3-13 『魔法少女、見参!』
「卑怯なことをするなァッ!!」
大志は拳を振り上げ、詩真へと飛びかかる。
「ふふっ……そうやって私も殺すのね」
詩真は不敵に微笑み、逃げようともしない。
そこで大志は考えてしまった。これから自分が、詩真に何をしようとしていたのか。詩真をどうしようとしていたのかを。
その一瞬の隙で、返り討ちにあってしまう。
詩真の強く重い拳が、大志を地面に叩きつけたのだ。
「ダメじゃないの。その程度の言葉で揺らいでは、私を殺せないわよ」
「……ふざけるな。殺すわけ、ないだろ……生きて、一緒に明日の日差しを浴びるんだから……っ」
「残念ながら、ここで死ぬわ。私も、あなたも」
そう言って、詩真は海太に目を向ける。
詩真相手では、大志たちは手の出しようがない。敵が目の前にいるというのに、手の届かないもどかしさが大志を一層焦らせた。
「もう俺は仲間を傷つけない! 誰も殺させない!!」
締めつけられる胸をそのままに、詩真の頬を殴る。
すると詩真は倒れ、地面に手をついた。その顔は驚いたようで、大志に向けた目は怯えている。
「た……大志……?」
「戻ったのか!?」
詩真に手を伸ばすと、その手を引かれ、体勢を崩した大志の顔面に詩真の手が触れた。
握った手から伝わってくる情報は、詩真ではないものである。詩真の中にいる寄生体の情報だ。
侵食が進めば、詩真は元に戻らなくなり、寄生体に身体や精が取り込まれてしまう。
「選択肢は一つしかないわ。私を殺すの」
直後、大志の頭に激痛が走った。まるで木刀で叩かれているかのような、激しい痛みである。
そんな苦しむ大志の腹に、詩真が蹴りを食らわせた。
よろめき、詩真の手から離れると、頭を襲っていた激痛はなくなる。
「くっそ……んで、こんなことに……」
「考えることはないわ。私を殺せば、それでいいの」
「うるせぇ! 殺したくないから、考えてんだろッ!!」
このままでは、詩真が飲まれてしまう。
しかし寄生体を剥がれさせる術が大志にはない。
「考えるだけ、無駄じゃないかしら? それに、新人類になれば、またいつでも会えるわよ」
「死んだら、もう会えないんだ! そんな言葉に騙されるかよっ!」
死は覆らない。覆ってはいけないのだ。
一度きりの生だからこそ、誰だって精一杯に最善の選択をしようとしている。それは、大志だって例外ではない。
「新人類は、今までの常識が届かない位置にいるわ。だから蘇るの。あなたが好きだった伊織も、蘇るわよ。よかったわね」
詩真の言葉に、大志は動揺した。
心臓の鼓動が加速していき、詩真から逃げるように後退する。
「す、好きって……」
「知ってるわよ。いくら理恩への想いで隠しても、根底には伊織への好意がしっかりとあるってことをね」
「ちっ、違う! 俺は理恩が――」
好きだ。そう続けたいのに、言葉が出ない。
理恩とはずっと、ずっと一緒だった。ずっと昔から、ずっと好きだった。それは事実である。
「違わないわ。今でも伊織を求めているのが、その証拠よ」
「違うッ!!」
『ううん。違わないよ。大志は伊織が好き。そんな嘘をつかなくても、大志を嫌いになったりしないよ』
理恩の声で、大志はもう逃げられない。
理恩には大志の本音が筒抜けだ。理恩が言うのだから、それは本当なのだろう。
大志は胸を押さえ、荒い息を吐いた。
「お、俺は……」
夜空を照らす月の光が、木々の間から大志に降りかかる。
もう我慢しなくていい。そう思ってしまった途端、想いが溢れ出てきた。伊織への思いが。理恩よりも強い思いが、溢れる。
「俺は伊織が好きだ。また、笑ってほしい……」
あの日失った笑顔は、もう見られない。生き返らない。
けれど、もしも、少しでも望みがあるのなら。大志はそれに手を伸ばす。
大志の手は詩真に捕らえられ、優しく包み込まれた。
「本当に、伊織が……」
「ええ、約束するわ。新人類なら、何でもできるわ」
すると、詩真に包まれた大志の手に、黒い短刀が握られた。
どこから現れたのかなんて、どうでもいい。伊織が戻るのなら、何を失ってもいい。
『私は大志が望むなら、何だってする。たとえ親友の命を奪うことになっても!』
大志と理恩の意思が、短刀を詩真に振り下ろした。
しかし、短刀は詩真の肌を裂くことはなかった。詩真の前に現れた黒い物体が、短刀を受け止めたのである。
「ったく、何か策があるわけじゃねーのかよ!」
ヘテは、大志の手から短刀を叩き落した。
そして大志を担ぎ、詩真から距離を取る。
「なんで、邪魔を……」
「俺たちは、ただうしろにいるだけじゃねーんだよ。間違いを正すことぐらいできんだ!」
ヘテの拳が大志を殴りつけ、地面を転がせた。
詩真に殴られた時よりも強い痛みが、大志を襲う。
「その決意にどれくれーの重みがあるかは知らねーが、そのために誰かを犠牲にするのはちげーぜ」
「……そう、だったな。こんなことをしても、伊織は笑ってくれない」
新人類になっても、伊織を蘇らせる確証はない。敵の思惑に乗せられていただけかもしれない。伊織への思いが先走り、そんな判断すらできなかった。
もう鈍ってはいけない。抗う牙が鋭く輝かなければ、この暗い悪夢を照らすことはできない。
「俺は信じる。仲間も、自分も、明日も!」
空に輝く月へと手を伸ばす。
何かが溢れてきそうな高揚感。今なら何だってできる。そう思ってしまうほどの、心の高ぶり。
「俺は、もう何も失わない! 俺も、理恩も、詩真も、みんな救ってやる! だから、こんなところで止まっているわけにはいかないッ!! お前の居場所はここだ、詩真ァアアッ!!」
降り注いでいた光が、大志を輝かせる。
目をくらませるほどの眩い光は、詩真を照らし、闇さえも照らした。
「あ、ありえないわ……。これが、英邁である大上大志の力とでもいうの……」
「もう終わりだ。詩真の中から出ていってもらうぞ!」
大志は詩真へと飛びつき、その唇を奪う。
それは意味のない行動ではなく、その口づけにこそ意味があるのだ。
新たに目覚めた大志の能力。口づけをした相手の情報を、自分へと移し替える能力である。
寄生された情報を、詩真から大志へと移し替えるのだ。
しかしそれだけでは不十分である。大志の中から寄生体を取り除かなければ、無意味だ。
「理恩……」
胸に手を当てると、大志の左腕が姿を消す。そしてその隣に理恩が現れ、二人の前には黒い霧があった。
「賭けだったが、うまくいったみたいだな」
能力の解除とともに、一体となっていたものが分離する。理恩はもちろんだけれど、寄生体が分離してくれるかどうかはわからなかった。
「大志はすごいってんな!」
「俺は英雄だからな。すごくないと、ダメだろ?」
海太が笑ったので、大志も微笑む。
寄生についてはどうにかなるが、倒し方が見当つかない。殴っても斬ってもダメとなると、もはや戦いですらなくなってしまう。
「あら……私は、どうしていたのかしら?」
寄生体から逃れた詩真は、辺りを見回した。
「詩真はそこで待ってろ。俺たちが何とかする」
「って、腕がなくなってるわよ!?」
大志が腕をなくしたのを知らなかったのか、詩真は騒ぐ。
チオとの戦いの前に詩真とは別れ、それきり会っていなかったのだから、無理はない。
「その話はあとでな。それよりも――」
「はい、どーんッ!!」
直後、空から大きなビンのようなものが降ってきて、黒い霧を閉じ込めた。
ビンの中で霧が蠢くけれど、ビンからは出られないようである。
「誰が、こんなビンを……」
可能性があるとすれば海太だが、海太は首を横に振るばかり。
「あなたたち、すごいですよーっ!」
空から降ってきた少女の声に顔をあげると、そこには空に浮かぶ人型の姿があった。
それは弧を描いて下降する。そしてぐるりぐるりと回り、ビンの向こう側へと着地した。
「なんで反対側にいるんですかーっ!」
理不尽なことを言いながら、少女はビンの周りを走って大志の前に立つ。
見た目は人そのものだが、白い牙のようなものが異様だ。
「助けてくれたのはありがたいが、お前は誰だ?」
「ふっふー、闇の力を纏いし漆黒の乙女、魔法少女ピルリン! ピルちゃんって呼んでいいですよーっ!」
「魔法? 何を言ってるんだ?」
それに漆黒と言っておきながら、服に黒い部分が見当たらない。
それとも夜に現れたから、そのことを言っているのだろうか。
「ふっふー、魔法とはかつて魔物が使っていたとされる技法ですよーっ!」
「ということは、お前も魔物か」
するとピルリンは慌てて首を横に振った。
「違うですよー! 人種ですよーっ!」
「お前も人種か。でも、人じゃないよな?」
「ふっふー、ただで教えるわけにはいかないですよー!」
ピルリンは腕を組んで、にやりと頬を緩めた。
しかし何かを渡してまで知りたい情報でもない。それに知りたければ、触れば済む。
「じゃあ教えなくていい。あの霧の処理は頼んだぞ」
一件落着。帰ろうと踵を返すと、ピルリンに手を掴まれてしまった。
そして泣きついてくるので、その手を振り払う。
「ヴァンパイアが、何を欲しがるんだ?」
ヴァンパイア。魔物と戦い、人種として扱われている。ピルリンから得た情報だ。
ピルリンは大志からその言葉が出るとは思っていなかったらしく、慌てふためく。
「なっ、なんで知ってるんですかー!」
「ヴァンパイアが魔法を使うのと同じで、人には能力ってのがあるんだ」
「ぐぬぬ……。卑怯ですよーっ!」
悔しいのか、ピルリンが地面を何度も踏みつける。そしてその度に、ティーコの身体が震えた。
このままではティーコもかわいそうなので、ピルリンの露出した肩に手を置く。
「何が欲しいか言ってみろよ。だから、足を止めろ」
「ぐぬぬ……。血が欲しいですよーっ! 魔法の糧とする血が欲しいですよーっ!」
さすがに世界が違っても、ヴァンパイアは血を吸うもののようだ。
しかし魔法の糧にするというのが気になる。人の持つ能力や、エルフの持つ千冠と違って、ヴァンパイアの魔法というのには糧となるものが必要なのだ。
「死なない程度なら、血ぐらいやるよ」
「本当ですかー! もう血がなくなりかけてて、帰れないところだったんですよー!」
「助けられたから、礼ぐらいにはな。その身体には、血が流れてないのか?」
「自分の血は糧にできないのですよー!」
ピルリンは口を大きく開け、大志の首筋に牙を突き立てる。
血を吸われている。しかしそんなことより、ピルリンの吐息のほうが興味をそそられた。
ちゅぱちゅぱと血を吸う音と吐息が混じり、大志の頭を煩悩が駆け巡る。
「……っふぅ、いっぱいもらっちゃいましたよぉ……」
首から口を離したピルリンは、嚙みついた場所を手で撫でた。
大志がそこに触れると、牙によって開けられた穴がなくなっている。
「吸わせてもらったら、傷は治す。それがヴァンパイアの流儀ですよー!」
「証拠隠滅か。それじゃあ、あの霧の処分は任せていいか?」
「もちろんですよー! そのために来たんですよーっ!」
ピルリンが空に浮かぶと、霧を閉じ込めたビンは小さくなり、蓋を閉められる。
浮かび上がったピルリンのスカートは風に揺れ、わずかに見えた黒く布が海太の目を輝かせた。
「なんで勃起してるんだ……」
海太の目の前に、黒い下着が複製される。
するとそれを見たピルリンが急降下し、その下着を掴んだ。
「なんで脱げてるんですか―!」
「いや、それは本物じゃないぞ。複製された偽物だ」
海太も興奮が冷めてきたのか、目の輝きが失われる。そしてそれと共に、ピルリンの握っていた下着は姿を消した。
「ビックリですよーっ!」
「俺たちは、いまだに浮かんでる本物の下着のほうがビックリなんだが」
大志の指差した先には、悠然と浮かぶ下着がある。
ピルリンはそれを見て、自らのスカートを触り、しまいには中へと手を入れた。
「なっ、な、なっ、なんで脱げてるんですかーっ!」
「それはこっちが聞きたいくらいだ」
ピルリンが手を伸ばすと、下着は移動を始める。
魔法というのは、様々なことができるようだ。糧を必要とするのは、そのせいかもしれない。
「もしかして、空を飛ぶ魔法は、服とか一つ一つにかけないとなのか?」
「当たり前ですよー! 自分には魔法がかけられないんですよー!」
やっと下着を手にしたピルリンは、スカートがめくれないように慎重に穿く。
霧を任せるのは心配だが、大志たちに手の負えるものでもないので仕方がない。
「それなら簡単よ。服を脱げばいいわ。そして服を抱えれば、難しくもないんじゃないかしら?」
「ぬっ、脱げないですよー!」
誰だって詩真のような変態ではない。それが再確認できてよかった。
大志はピルリンの肩に触れ、さする。
「なっ、なんですかーっ!」
「その霧の処分が終わったら、俺のところにきてくれないか?」
「どうしてですかー!」
ピルリンの手に持たれたビンに目を向ける。
もしもピルリンが来てくれなかったら、無力化することもできなかったはずだ。
「ピルリンが必要なんだ。俺の仲間になってくれ」
「な、仲間……ですか?」
「ああ。気が向いたらでいいから、考えてくれ」
最後に肩を叩いて、ピルリンから手を離す。
ピルリンは困ったような表情をしながら、空へと飛んだ。月が輝く夜空へと。
「第一星区……行くしかないか」
大志は月を見上げて、そう呟いた。




