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逆転転移のカタルシス  作者: ビンセンピッピ
第三章 崩壊の異世界
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3-9 『海太の覚悟』


 地面が揺れ、大志やティーコやヘテたちを囲むように水が噴き出る。

 操れるのは湖の水だけではなかったのだ。地面に浸透している水までも、オーガの思うがままなのである。


「安全な場所なんて、最初からなかったってことか」


 大志は水の壁を突き破り、湖の中へと走った。


「血迷いましたか。わざわざ水を被るとは」


「考えてる暇なんてないんだ。目の前に助けるべき相手がいる。だから、俺は手を伸ばす。ただ、それだけだ」


 大志の全身についた水が、身体を蝕んでいく。

 だが、そんなことで足を止めることはできない。

 空間の穴を開き、オーガの角を掴むが、角は簡単には外れなかった。


「弱すぎます。やはり、人が主にはなれない」


 オーガが大志の手を掴もうとする。すると途端に大志を蝕んでいた水は、動きを止めた。

 大志は手を引っ込めて、オーガへと走る。オーガも手を戻すと、水が再び大志を苦しめた。


「なるほどな。その能力の弱点ってことか」


「バレてしまいましたか」


 オーガは自分の身体を動かしている間、能力を使えない。それがわかっただけで、十分だ。

 大志が左拳を前に突き出すと、それを阻むように水の壁が姿を現す。


「それがどうしたァァッ!!」


 左手につけられた手袋は無事だ。この距離からなら、水の壁を突き抜け、オーガを無力化することもできるはずである。

 致命傷にならないことを祈って、壁を突き破った。


「命など、惜しくはありません。長のために、主を排除します」


 大志の左手は、オーガの右手が受け止めていた。

 そして、その右手はボロボロと崩れていく。


(ひる)むんじゃねー!」


 そこに、ヘテがシュアルを放り投げた。足をもって回され、遠心力も合わさり、オーガにやっと届くほどまで飛ばされる。

 大志と戦っている最中なので、オーガはそれに対して何もすることはできない。


「形勢弱点だな」


 大志が右拳を突き出すと、それに続くようにヘテ、ロセク、シュアルがオーガに降りかかった。

 しかし大志の笑みは束の間。水柱が四人の身体を貫く。オーガの周辺は土で底上げされており、水は薄くある程度だった。



「ここへ誘いこみました。ようこそ、ここがあなたの死に場所になります」


「ごっ、ほォッ!」


 大志の口から血が吐き出て、透明な水が赤く染まる。

 身体に突き刺さる柱は固く、それを壊すよりも、オーガに手を伸ばしたほうが効果的だ。


「くっそ! こんなの卑怯じゃねーか」


「おや、まさかそんな言葉を聞くとは思いませんでした」


 ヘテの溶けた肩は、すでに元に戻っている。

 しかしオーガの能力によって、ヘテは身動きできない。多勢だったからか、少し心に余裕が生まれていたのかもしれない。


「まァッ、だ……」


 拳を前に出すと、オーガを守るように水の壁が現れた。

 左拳がその壁を壊すけれど、その先にいるオーガには届かない。あと一歩だけでも踏み出せれば届くのに、歯がゆい。


「これで終わりにします。その弱さを後悔しながら、朽ち果ててもらいます」


「……弱い、か。ごふッ、たっ、たしかに俺は弱い。……だが、それを後悔はしない。後悔したら、前に進めなくなる」


 自分の弱さに後悔したら、あの時に逆戻りだ。それだけは絶対にダメだ。


「前に進む必要はありません。安心して、眠りなさい」



「ちょおおおっと、待つってんよぉぉお!」


 その声と共に降ってきたのは、海太である。

 海太の握っていた刀が、オーガの頭についていた角を切り離した。

 動揺したオーガは動いてしまい、大志たちを捕らえていた水は力なく湖へと戻る。


「ヒーローは遅れて登場するってんよ!」


 海太は刀を振りかざし、オーガの身体に傷をつけた。

 オーガの身体が柔らかいのか、刃が面白いほどよく通る。そしてあっという間に、オーガは力尽きた。


「おかしい……」


 オーガの肌が、そんなに柔らかいはずはないのだ。その考えは的中し、倒れたオーガの身体は水になる。

 アースカトロジーの時と同じで、本体ではなかったのだ。

 そこで大志の意識は、暗闇へと落ちていく。







「これで、大丈夫」


 ティーコに傷を手当てしてもらっている最中に目覚め、痛みは(やわ)らいでいた。


「それで、そいつが本体だったのか」


 海太に連れてこられたオーガは、オーガとしては小さく、まだ子供のように見える。

 そして、そのオーガの腹部に、海太が刀を突き刺した。しかしオーガに意識はなく、そんなことをせずとも、角を切ればいいだけである。


「な、なんで……刺してるんだよ!」


「敵だったってんよ。苦痛を与えるべきだってん」


「違うんだ。そいつは角のせいで操られてるだけなんだ」


 すると海太は腹から刀を抜き、その小さなオーガの頭にある角を切り落とした。

 そしてその角を大志へと放り投げる。


「大志は優しすぎるってんよ。誰だって、自分のした罪にけじめをつけてほしいものだってん。例え操られていたとしても、何かしらの罰を与えられなければ気の晴れないやつもいるってん」


「そいつが悪いわけじゃないだろ?」


「それでもッ!! けじめをつけてほしいってん。……俺も、けじめを」


 海太は苦虫を噛み潰したような顔を、大志に向けた。

 そんな海太の顔を見たのは、いつぶりだろうか。いつだってふざけているような海太にしては、とても珍しいことである。



「もう二条さんはいないってん。俺は二条さんの『特別』にはなれなかった。でも、二条さんがあんな姿になって、悲しまないわけがないってん。……その悲しみ、苦しみ、怒り、憎悪、喪失感のすべてを、大志にぶつけたってん。気を失うまで、ずっと、ずっと、全力で」


 それは、あのすべてが終わった日のことだ。

 桃華の死は、好意を寄せていた海太にとって、一番起きてほしくなかったことだろう。


「あの時のことは、謝る。俺が桃華たちから目を離さなければ……」


「そんなことはいいってんッ!!」


 海太は刀を地面へと突き刺し、その場で正座をした。


「あのあと、残ったのは虚無感だけだったってん。何も考えられずに、時間だけがすぎていったってん。……そしたら、自然と二条さんの姿を見に行っていたってんよ」


 海太は自らの足を叩く。

 涙を流しながら、何度も、何度も、叩いた。


「それなのにッ! 何も感じなかった。二条さんの姿を見ても、何の感情も沸いてこなかったってんよ!! ……あの時、俺は人として壊れたってん」


 大志は言葉が出てこなかった。何と言えばいいのか、大志にはわからない。

 あの島では人が死にすぎた。そのせいで、人の命の重さがわからなくなっていたのだ。

 大志も理恩も詩真も、安心して最後の日を迎えている中、海太だけは一人で苦しんでいたのである。


「俺は、大志を殴ったってん。その罪悪感が、俺を死なせてくれなかったってん。過去にしてしまった罪を清算して、俺は二条さんのあとを追うってん。だから、この刀で、俺の首を落としてほしいってん」


 海太は首を前に出し、顔を下に向けた。


「な、なにを言って……おっ、俺たちは助かったんだぞ!? それなのに……」


「ああ、助かったってん。そして、無駄に生きてしまったってん。本当なら、あの日、なくなるはずの命だったってん。だから、ここでなくなったとしても、問題はないってんよ」


「も……問題ないわけないだろォォッ!! なんで、そうやって簡単に命を捨てるんだよ! たしかに『大上大志プロジェクト』では、海太も詩真も、理恩も死ぬはずだったのかもしれない。でも、今もこうやって生きてるんだ。だからッ、もう死ぬ必要なんてないんだッ!」


 すると海太は地面を叩きつけ、土を握りしめる。


「こんな世界で、二条さんがいない世界で生きて、それで何があるってん?!」


「そんなのわかるかッ! わからないから、生きてみろよ。そしたら、わかるだろ」


 大志は、海太の隣にある刀をもって、振り上げた。

 その刀は海太の複製の能力で作られたものではない。バンガゲイルの持っていたものである。


「生きるのが辛いってんよ……」


「それなら、俺の手を握れ。そしたら、進むべき道を作ってやる」


 振り上げた刀を、海太の頭めがけて振り下ろした。

 海太はそれに気づいていない。このままでは、海太の頭を刀が切り裂くだろう。


 しかし、刀は海太の頭をすり抜け、その下にある地面へと刺さった。


「……目の前で言うこともできない臆病者が、死ぬなんて言うなよ」


 目の前にいる海太は、映像である。しかし、刀を持ったり、砂を握ったりと、今までできなかったことをしていた。けれど海太が映像とわかったのは、影がなかったからである。


「生きる意味がないというのなら、桃華が生きるはずだった時間を生きろ。海太自身のためにも、海太の愛した桃華のためにも、海太は生きるんだ」


 顔をあげた海太は、まだ泣いていた。

 そんな顔を見て、大志の表情には微かな笑みがこぼれる。

 目の前にあった海太の映像が消えると、森の中からバンガゲイルと、荷車が姿を現した。そして荷車から海太が飛び出てきて、大志へと走る。


「生きてやるってん! 俺は、生きてやるってんよ!」


 涙を流した海太は、大志の頬を殴った。


「ああ、約束だぞ!」


 大志は殴り返し、その手を海太の前に差し出す。

 もうここに昔の海太はいない。もう、過去にとらわれる必要はないのだ。


 差し出した手に、海太の手が重なる。

 そしてその上にティーコ、ヘテ、ロセク、シュアル、バンガゲイルの順に重なった。


「ふっ……、握ったからには、最後までついてきてくれよ」







「それより、映像が物を握れてたのは何故なんだ?」


 最後の四天王に挑む前に、状況の整理をする。

 戦力の確認は最も重要なことだ。もしも映像が刀を持てるのだとしたら、ほぼ無敵だろう。


「能力の成長だってんよ。自分がもう一人できたみたいだってんな」


「なるほどな。それで、ディルドルーシーのほうはどうした? イズリ一人に任せたのか?」


「そんなわけないってんよ。レズとイズリに任せたってん」


 レズというのは、アイスーンの使用人だ。

 大人なわがままボディに、スク水という異様な組み合わせの人物である。目覚めてからは全く目にしていなかったが、どこかに隠れていたのだろうか。


「イズリに危険がないといいな。……まあ、それは気にしても解決しないか」


「能力を使えばいいんじゃねーのか?」


 ヘテの閃きに、大志は手を打った。

 さっそくディルドルーシーを見てみると、そこでは全壊しかけている町の復興に人々が汗水流している。

 そしてその中央で、二人の女が違う汗を流していた。


「あっ、んんぅっ……んっ、んっ……」


「ほぉら、早くイッちゃうのらー」


 レズは、イズリの豊満な胸を揉み、もう片方の手は下半身の服の中へと入っている。

 高揚のせいか、イズリは頬を染めて、呼吸もどこか落ち着きがなかった。

 そしてそんな二人の姿を、町の人たちがちらちらと確認している。これでは、することもできないはずだ。復興に集中させるためにも、ここは止めなくてはならない。


「と、止める、のか……」


 大志の手は震えていた。これから自分がすることに、恐怖しているのかもしれない。

 大志の隣では、海太とバンガゲイルも、その光景を見ていた。ただ一心に、二人の姿を目に焼き付けている。それなのに、大志は二人を止めなくてはいけないのだ。


「緊縛様……」


 直後、空間の穴の前に土の壁が作られる。

 声のしたほうを見れば、そこには無表情のティーコがいた。


「と、止めるよ。止めないわけないだろ」


『嘘つき……』


 理恩の声は、大志に深いダメージを与える。

 胸が苦しいのは、大志のせいなのか、それとも理恩のせいなのか。それはわからないけれど、理恩が悲しんでいることだけはわかった。



 大志は土の壁を殴り、その奥にいるイズリとレズにタックルする。

 レズはイズリと共に飛び上がり、大志のタックルを避け、横たわった大志を踏みつけた。


「なんなのらー?」


「ぐぇっ、避けるなよ」


「た、大志さん!?」


 イズリはレズを突き飛ばし、大志の上体を起こす。

 イズリの優しさは、どんな時でも変わらない。理恩が操られた時も、チオに逃げられた時も、イズリの言葉がなければ、大志は立ち上がることさえできなかった。


「イズリが心配になって見に来たんだ。大丈夫か?」


「私は大丈夫です。それより大志さんこそ、大丈夫ですか?」


 大志の服はところどころに穴が開き、身体のいたる所に包帯が巻かれている。

 オーガとの戦闘で負った傷は、とても軽いものではない。しかし、ティーコの治療のおかげで、なんとか致命傷にはならなかった。


「生きてるから、大丈夫だ。それにしても、レズをここに一緒にいさせるのは危険だな」


「……あの、サヴァージングで何があったんですか?」


 詩真がオーガに攫われたことをイズリは知らない。

 海太は能力でその事実を知り、バンガゲイルを走らせたが、イズリに詳しいことは知らせていないのである。


「イズリが気にするようなことじゃない。だから、イズリはディルドルーシーの復興に全力を注いでくれ」


 レズにもうイズリを襲わないように釘を刺し、約束を守れたら詩真を紹介すると伝えた。

 その約束を守るためには、大志も詩真を取り返さなければならない。


「ちょ、ちょっと待ってください!」


 空間の穴を通ろうとする大志を、イズリが引き止める。

 そして振り返ると、すぐ目の前にイズリの顔があったのだ。驚いて後退しようとする大志の頭を掴み、イズリは自らの額に大志の額をつける。


「どっ、どうしたんだよ……」


 少しだけ、胸が高鳴ってしまった。

 イズリの呼吸が聞こえる。吐いた息が、大志にかかる。しかしそれはイズリも同じだ。


「静かにしてください」


 すると大志の身体を、虫が這いまわるような、くすぐったい感覚が襲う。

 そしてその感覚は(ひたい)に集まり、消えた。


「これで、いいです」


 額を離したイズリは、微笑む。

 身体を確認すると、傷がなくなっていた。今までの戦闘が嘘だったかのように、傷一つない身体がそこにある。


「何があったかはわかりませんが、気をつけてください」


 これはイズリの能力だ。それはわかるが、イズリは何を代償に能力を使ったのか。

 見ただけでは、その異変に気づけない。しかし、気づかないということは、それほど微少な代償だったということである。


「ありがとな。それじゃ、イズリも気をつけろよ」


 大志はイズリに背を向け、空間の穴に飛び込んだ。







「どうか、無事に帰ってきてください」


 大志を見送ったイズリの口から、血が漏れる。



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