3-5 『主派と長派』
ルミセンの城で臨戦体勢で待っていると、アイスーンが空間の穴から顔を覗かせた。
オーガに傷を負わせられる道具を持ってきてくれたのである。
「ずいぶんと時間がかかったな」
「使いやすいものを選んでいたら、時間がたってしまった」
そう言って、アイスーンは白い指なし手袋を差し出した。
それはただの手袋である。情報を得ても、それはただの手袋だ。しかし、能力がかけられている。
「この手袋をつければ、オーガにダメージを与えられるはずだ。でも、これで人を殴ったりしないようにね。そんなことをしたら、いくら君でも、軽蔑するよ」
「そんなに危険なものなのか。これは売り物か?」
「手袋はね。でも、それに能力を付与させたんだ。二時間程度で能力は持ち主に返ってしまうから、気をつけて」
大志はさっそく手袋をはめた。
妙に力が湧き出てくるような感覚が襲い、まるで特別な力を得てしまったかのような気分になる。
「カッコいいか?」
「タイシ様は、もとからカッコいいの!」
ルミセンは笑顔で手を叩いた。
ルミセンの優しさに、頬が緩んでしまう。
『私も、カッコいいと思うよっ!!』
理恩には、手袋のはめられた手しか見えていない。だから、断言はしてくれないのだ。
そしてアイスーンに別れを告げ、ルミセンに目を向ける。
「それで、オーガはどこに行ったかわかるか?」
「……ごめんなさい」
ルミセンは顔を伏せるが、謝るようなことではない。ルミセンはルミセンなりに、頑張っているのだ。
大志は頭を撫でそうになった手を、なんとか引っ込める。もしものことがあれば、大変だ。
「わかった。レーメルはこのまま、ルミセンを守ってくれ。オーガのところへは、俺と理恩で行く」
「大丈夫みゃん?」
「俺を誰だと思ってるんだ。大上大志だぞ」
大志は、空間の穴に飛び込んだ。
「ここが、そのまま残っていてよかった」
大志が出たのは、木々がなぎ倒されていた地点である。
もしもこの木々を、オーガたちがなぎ倒したのだとすれば、その先にオーガたちの住処があるはずだ。
「詩真のためにも、笑って明日を迎えるためにも、先に進まないとだな」
『でも、危ないことだけはしないでね』
「そんなことは言ってられない。相手はオーガだ」
大志は、なぎ倒された木々の間を進んでいく。
しかし、不思議だ。もしもオーガが攻めてきたのだとしたら、町があんなにも綺麗に残っているだろうか。カマラの時は、ずいぶんと酷いものだった。家にしろ地面にしろ、これ以上にないほどの壊れようだった。
『もしかして、怪しんでるの?』
「ああ。もしかしたら、オーガが襲ったなんて嘘なんじゃないのか……」
ルミセンは何者かに記憶を操られ、もしくは精を乗っ取られている。そう考えれば、あの町の綺麗さも頷けるが、それができるのはチオだけだ。
「オーガは囮で、他に何かをするんじゃないのか?」
『でも、詩真がいなくなったのは事実だよ』
「もしかしたら、本当にオーガに攫われたかもしれないってことか。……ここは、手のひらの上で踊ってやるしかないのか」
木々の間を進んでいると、ガサガサと何かの音が聞こえてくる。
大志は耳を澄まして注意をしていると、その音がだんだんと近づいてきていることに気づいた。
「もしかしたら、痛いかもしれない。謝っておく」
『いいよ。大志の痛みが感じられて、私は嬉しいよ』
人として生きていて、他人の痛みが本当にわかる人なんていない。だが、大志の能力の場合は別だ。同体となっている以上、感じる痛みも等しく平等なのだ。
そして待っていると、正面から何かが近づいてくるのが見える。
人と少し違うということは、オーガだ。オーガが大志に気づいて、襲ってきているというわけでもないようである。
オーガは大志の前まで来ると、土下座をした。
『ごめんなさいッ! あなた様の御友人を攫ったのは事実ですが、オーガの総意ではないのです。ですので、オーガを殲滅させるようなことはしないでいただきたい』
オーガの声が聞こえてくる。
しかし耳からではない。頭に直接響いてくるのだ。これは大志の能力だと思っていたが、やはり能力ではない。
「どういうことだ? 詩真を返さないのなら、俺は全力を尽くすだけだ」
『あなた様のお怒りは、わかります。ですが、我々もあなた様を傷つけることはできません』
オーガが嘘をついているとは思いたくない。
けれど、このオーガを信じたところで詩真が返ってくる確証もない。
大志は歯ぎしりをして、踏み出す。そして拳を振り上げた。
「これで、いいんだ……」
大志の手からは、赤い雫が垂れる。
なぎ倒された木々の間を、点々と赤い印をつけ、大志は足を進めた。
「詩真のために、仕方がなかったんだ」
『うん。大志は正しいよ』
理恩が肯定してくれるが、大志はそれでも納得できなかった。
大志の前を、血を流して歩くのはオーガである。
『あなた様は何も悪くありません。我々が悪いのです』
しかし、そんなことを言われても、目の前の光景を肯定できない。
両腕を亡くしたオーガが、大志たちをオーガの集落へと道案内しているのだ。
オーガの言ってることが信じ切れずに、腕を落としたのである。あの強靭な身体も、大志のつける手袋のおかげで、まるで豆腐のごとく崩れ落ちた。
だが、今になってそれが真実だったと理解できた。信じている相手に腕を落とされる気持ちは、大志には痛いほどよくわかる。
大志は、自分の弱い心が許せなかった。
「詩真が攫われたのは、なぜなんだ……?」
『オーガの長が変わりました。新たな長は、あなた様の存在を許しませんでした。オーガではないあなた様が我らの主であることを、長は嫌悪しました。あなた様の御友人は、あなた様を誘い出すための餌でしかありません』
たしかに大志が主となった経緯は、封魔の印から解放したという理由である。
それに賛同できないオーガがいたとしても、不思議ではない。
「そうか。俺は、それなのに……」
『腕のことなら気にしないでください。腕を失うことで、あなた様が信用してくださったのなら、悔いはありません』
「いいわけないだろ。もう腕は戻らないんだぞ。……俺は、お前を信じる。何があっても、俺は信じる。お前を、オーガを信じる」
大志は拳を握りしめた。
すると、オーガの足が止まる。そして大志に身体を向けた。
『あなた様が主でよかった。我々オーガは、人と共存できる未来を望んでおります。しかし、我々の声は人種には届かない。けれど、あなた様は違います。あなた様は、我々の声を受け止めてくれる。あなた様が、我々と人を歩み寄らせてくれる存在であると確信しました』
「共存?」
人と魔物は、かつて大きな戦闘を経験した。それは互いに譲れないものがあったからだ。だが、今は違う。今のオーガは、人と共に生きたいだけなのだ。
『かつてオーガは、人と争いました。ですが、それは昔のことです。今の我々は、人と共に歩みたいのです。敵対し続ければ、いつまた争いが起こるかわかりません』
「……わかった。その言葉を信じる。だがそれなら、長はどうして?」
『オーガは今、二つの勢力に分断されています。人との共存を望む主派と、人と敵対する長派。今回のことは、長派がやったことです』
つまり、長派と呼ばれるオーガが詩真を攫い、主派の崇める大志をけしかけようとしたのである。
だが、素直に憎むことはできなかった。長派が行動に移してくれたことで、大志はオーガたちの現状を知ることができたのである。
「なら、その長派のところに行けばいいのか」
『その前に、我ら主派のもとへ来てください』
オーガは、そう言って大志に背を向けた。
「……すまなかった」
大志は大勢のオーガの前で、頭を下げる。
その隣には、腕を失ったオーガが佇んでいた。
「許されることではない。だから、俺がお前らの主として、人との共存の道を切り開いてやる」
失った腕に見合うわけではない。けれど、大志がオーガのためにやれることなんて、こんなことぐらいである。
するとオーガが大志を囲んだ。威圧的な目が、大志を見下ろす。
「これが終わったら、腕でも足でもくれてやる。だから、今は俺の罪に目をつぶってくれ!」
『いいえ、そんなことは無用です』
大志を囲んでいたオーガは、片膝をついて頭を下げた。
そんなオーガの姿に、大志は驚いて顔をあげる。オーガが頭を下げる理由なんてないはずだ。
『あなた様は、我らの主様です。我らはあなた様の意思に従うだけです』
「でも俺は、腕を落としたんだぞ! お前らは、俺に少しでも怒りを向けてもいいはずだ!」
『あなた様は、我々に必要な存在です。もしも我々に後ろめたい感情があるのなら、我々を導いてください』
オーガの期待に満ちた目が、大志を見る。
大志はその目を知っていた。自分に向けられる期待に満ちた目から、視線をそらすことはできない。
見渡すかぎりにいるオーガが大志を見ている。
『我々に、未来をお与えください』
「まったく……。まさか、こんなことになるとはな」
大志の進む先には、大きな鉈のようなものを手にしたオーガがいた。その頭には、他のオーガにはなかった角が生えている。長派のオーガには、角が生えていると聞いていた。
「貴様が大上大志で間違いないな?」
そこにいたオーガは、一丁前にも口から声を出す。それは他のオーガにはできなかったことだ。
オーガは、魔物との戦いで魔物側にいたこともあり、戦後は人と関わることがなかったのである。そのため、人に通じる言葉が喋れずにいた。
他のオーガが大志と会話ができるのは、アイスーンの意思伝達のように、意思を相手に伝えているからである。しかし大志にもオーガにも、そのような能力はない。誰が仲介しているかわからないが、今は知らなくてもいい情報だ。
「そうだ。お前が長派のオーガだな。詩真はどこにやった?」
「あの女は無事だ。殺してしまっては、誘き出す餌にはならないからな」
大志はホッと息を漏らす。
詩真には、戦艦島の事件のあとでいろいろとお世話になった。
『って、ええぇぇ……そ、そんなことされてたの?』
つい思い出してしまったことが、理恩にも伝わってしまったようである。
いずれ理恩には告げようと思っていたが、こんな場所で知られるとは考えてもいなかった。
「ああ、だがもうしない」
『当たり前だよっ!!』
もう、あの時とは違う。理恩を手放す必要はないのだ。
助けるために遠くに置くのではなく、助けるために強く抱きしめる。誰にも傷つけさせないように、守り続けるのだ。
大志は走り出し、拳を突き出す。
手袋の威力は、すでにオーガの腕を落とした時に証明済みだ。しかし大志の拳は、オーガの肌に弾かれてしまう。それほどまでに、長派のオーガは硬い肌ということだ。
「何かしたか?」
オーガは余裕の表情を浮かべる。その身体は、出会った時から一ミリも動いていないのだ。
アイスーンの言い様では、この手袋にかけられた能力はとても強力なもののはず。しかし、それを持ってしても、長派のオーガにはかすり傷一つつけられないのだ。
「いくらなんでも、硬すぎるだろ」
「この程度で音をあげるとは、恐れるほどの相手ではなかったな」
「まだだッ!!」
大志は前へと出る。いくら弾かれても、拳を突き出した。何度も、何度も、何度も。オーガの肌に傷をつけられるまで、何度も拳を突き出した。
しかしオーガが手を振り上げ、そこで大志は距離を取る。オーガの肌に傷は全くついていない。
「これが人とオーガの差だ。非力な人は、オーガに敵うはずがない。……封魔の印がまだあったのだとしたら、わからなかったがな」
大志が封魔の印をなくさなければ、何も起こらなかったのである。オーガの力を解放してしまったことも、大志が主となったのも、封魔の印さえなくさなければ、平和のままだった。
しかしそれは、人の話である。
オーガは古くから、人と歩み寄りたかった。オーガにとっては、大志の行いが全ての始まりだったのである。解放されたオーガは、人に従う必要がない。もう、人とオーガに上下関係はない。だから、並んで歩くことができるはずなのだ。
「お前は、それで悲しくないのか?」
大志は人よりはるかに大きいオーガを見上げる。
するとオーガは拳を振り下ろした。風が巻き起こり、砂塵が舞う。大志はできるだけオーガから離れ、様子をうかがった。
「オーガは積年の恨みを晴らせるんだ。悲しいわけがない」
長派のオーガは、人を嫌っている。そんなことは知っていた。だが、わかりあえるはずである。
もう、誰も失わない。誰も悲しませない。
「……この世界には、いろんなのがいるんだ」
「魔物と人種がいるだけだ」
「いや、もっといるだろ。人種にはゴブリンやエルフがいる。そんな大勢の種族がいるのに、争いあうなんてもったいないだろ?」
せめて、もう少し人種や魔物の種類を知っておくべきだったが、仕方ない。
オーガは、塩をまくように土を大志にまいた。
「人さえいなくなれば、人種など怖くはない。あとは蹂躙するだけだ」
「それがもったいないんだ。いがみ合うより、笑いあったほうがいいだろ?」
直後、大志の足が地面に埋まる。
まるで押さえつけられているかのように、抜け出すことができない。
「たしかに笑うのはいいことだ。だが、それは勝利の笑いだけだ。我が名はアースカトロジー。四天王の中では、最弱だ」
ついに、オーガが動いた。