2-30 『失ったモノは戻らない』
そこは、光に照らされていた。
部屋の中央に大志は立っている。
そして左右と正面に設けられた長机に、人が並んで座っていた。
そこで何を言われたかは、よく覚えていない。けれど、ただ一つだけわかることは、大志は戦艦島で起きた連続殺人事件の加害者として告発されたのである。
しかし、大志に下された判決は、保護観察。大志が殺人をしたという決定的な証拠がなかったのだ。
「君には、生きてもらわないと困るんだ」
大志の正面に座った、偉そうな男は口の端を吊り上げる。
その表情は、嫌というほど剛と似通っていた。
「これから、どこに行くのかしら……」
大志たち四人は車に乗せられ、どこかへと移動している。
窓にはガラスがなく、格子がつけられていた。
「きっと、大丈夫だよ。大志と一緒なんだから、きっとね」
「何も安心できないってんよ」
海太は不貞腐れている。
無理もないが、まだ桃華のことを気にしているようだ。
「あの顔は……」
あの男の顔と言葉は、まるで剛と一緒にいるような不愉快さを感じた。
きっと、まだ四人とも大上大志プロジェクトの中にいる。これからも、戦艦島で起きたような惨劇が繰り返されるのだ。
そうすれば、また理恩が狙われる。
「――大志ッ!」
そこに、懐かしい声が聞こえた。
懐かしいというほど、古い記憶ではない。戦艦島の一件が大きすぎて、懐かしく思えてしまったのである。
大志は窓から外を覗く。
その目に映ったのは、白い覆面を被った男だった。
「ギルチッ!」
ギルチは大志たちの車へと走ってきている。しかし覆面のせいで、その表情はうかがえない。
でも、心配してくれているのは紛れもない事実だ。
大志の言葉に、理恩も窓を覗きこむ。
「ギルチが迎えに来てくれたんだよ!」
理恩は歓喜の声を出した。
「ああ、あの家に帰れるんだ!」
しかし、そんな願いも儚く散る。
ギルチの胸を、一筋の銃弾が貫いた。
胸から血が噴き出て、ギルチはその場に倒れる。
「ギルチ!? ギルチッ!!」
ギルチが血を流して倒れているのに、車は止まらなかった。
ギルチを置き去りにして、大志と理恩は進む。伸ばした手がギルチに届くことは、なかった。
それから大志たちは、ある施設に送られた。
大志たちの新たな家となる場所である。
一つの階に複数の部屋が並び、それが何階も重なっていた。
「ここが、俺の部屋か」
そこは五階。大志の部屋の隣に海太。そして詩真、理恩と続く。
理恩が一番遠いところなのが怪しいが、そんなことを心配しても何もならない。
「ギルチも、大上大志プロジェクトのせいなのか……」
ギルチを殺したのが誰なのか、そんなことさえわからなかった。
「俺のせいでみんなが……理恩が……」
大志と関わらなければ、誰も死ぬことはなかった。
理恩だって、大志が感情を向けなければ、狙われることもなかった。
「理恩のために、俺ができることは」
大志は見つめた拳を握りしめる。
翌朝、新しい学校への編入手続きのために登校する。
「理恩、もう俺に関わらないでくれ」
起こしにきてくれた理恩に、大志は冷酷にも無慈悲にそう告げた。
「え……ど、どうして? 私たち――」
「関わるなって言ってるんだ! もう、俺を苦しめないでくれ」
大志は背を向ける。理恩を守るために、理恩を突き放さなければならない。
それはとても苦しいことだ。胸が張り裂けそうなほどに、辛い。けれど、理恩を失う辛さ苦しさ悲しさに比べれば、こんなものは屁でもない。
「……そう、だったんだ。ごめんね、私だけ……浮かれて……ごめん、なさい……」
理恩は、部屋を出ていった。理恩は泣いている。
けれど、これでよかったのだ。大志が理恩から離れれば、大上大志プロジェクトによって理恩が死ぬことはなくなる。
「理恩……俺は、好きになっちゃいけないんだ」
大志は新しい学校の制服に袖を通す。
今までそういった制服を着ることがなかったので、新鮮な気分だ。
学校は、今までの常識では考えられない場所だった。
初めは懐疑の目を向けられる。戦艦島殺人事件と名付けられた事件で、唯一犯人として疑われたのが大志なのだ。大志は事実上、無罪を勝ち取った。しかし、それで全ての人が信じるわけではない。
それはまるで、グラスになみなみと水を注いだ状態。少し息を吹けば、その均衡は崩れる。
そしてその均衡が崩れるのは、割とすぐだった。誰かが、大志への疑いを口にしたのだ。そこからは、零れた水が広がるように、大志への疑いを口にする者が増える。
「俺が、何をしたっていうんだよ……」
けれど、大志は怒りを必死に抑えた。
ここで暴れでもしたら、きっと理恩たちにも疑いがかけられる。一緒に生き残った者たちは、大志と共犯だったんじゃないのか。そういう疑いがかけられるに決まっている。
そこからは、記憶するのも嫌になるほどの罵詈雑言。
戦艦島での楽しかった時が懐かしい。できるのなら、あの時にかえりたい。あの時は知らなかった。学校が、こんなにも苦しい場所だったなんて。
「俺は無力だったんだ。だから……」
「……伊織」
そこには、伊織がいた。
伊織だけじゃない。湊も、愛も、桑菜も、翔も、桃華も、桃幸も、そして剛もいる。
全員が、寝ている大志を見下ろしていた。
「大志が、私たちを殺したんだね」
伊織は、伊織の声で言う。
「違うッ! 俺じゃない!」
「違わないよ。大志がいなければ、私たちは死ななかった」
大志がいなければ、大上大志プロジェクトはなかった。それは、剛が言っていたことだ。
それはきっと事実で、伊織たちは巻き添えになっただけである。
「俺が、それを望んだわけじゃない!」
「ほんとかな?」
今すぐに逃げだしたい。けれど、身体が動かない。
「私たちの身体も、もう動かないよ。これで、一緒だね」
「うあぁぁああぁっ!」
起き上がると、そこはベッドの上だった。朝になったのである。
夢だったのだ。それもそうだ。伊織があんなことを言うはずがない。伊織は優しくて、いい子なんだ。
「大丈夫かしら?」
そして部屋の中には、なぜか詩真の姿がある。
この部屋は、戦艦島のように鍵のかかる部屋ではないのだ。
「ちょっと嫌な夢を見ていたんだ。それより、どうしてここにいるんだ?」
「元気がなさそうだからよ。あんなに酷いことを言われれば、誰だって傷つくわ」
詩真は大志を抱きしめた。そして、優しく頭を撫でる。
詩真から漂ってくる匂いに、くらりとしてしまいそうだ。
「誰が何と言おうと、大志が私たちを救ったのは事実よ。だから、大志が気を落とす必要はないわ」
「でも、俺は八人も……」
「違うわ。大志は三人も救ったのよ。とてもすごいことだと、私は思うわ」
悔しい。詩真の言葉に、安堵してしまった自分がいる。
大志は詩真の身体を離し、立ち上がった。
「俺は八人を死なせてしまった……。それなのに、俺は詩真の言葉を心の中では肯定してしまっている。三人も救えた。俺はすごいんだって……」
「それでいいのよ。苦しいほうに考えなくていいの。そんなことしてたら、いつか壊れてしまうわ」
大志の横を通り過ぎていく詩真の手を掴み、引き寄せる。そして、口を手で塞いだ。
その直後、ノックの音が聞こえる。
「あ、あの……そのまま聞いてほしいんだけど……」
理恩の声だ。
扉の向こうに理恩がいる。けれど、開けるわけにはいかない。
「私なんかが言うのも、おかしいけど……もし、学校に行きたくなかったら、行かなくてもいいんだよ。私が大志の分まで、頑張るから。……それだけ、なんだけど」
あんなことを言ってしまったのに、理恩はまだ大志に優しかった。
しかし、大志が理恩へ特別な感情を向ければ、辛くなるのは大志だけではない。
「それじゃあ、私は先に行くね」
理恩の気配が消えるのを待って、詩真の口を塞いでいた手を離す。
「あら、泣いているのかしら?」
「泣いてなんかねーよ!」
すると、詩真の指が大志の頬を滑った。
涙なんて、一滴も流していない。詩真も、それがわかったはずである。
「いいえ、心が泣いているわ。……なんてね。でも、とても辛そうな顔をしているわ」
「俺は、俺のために、辛い選択をした。いや、しなくちゃいけなかったんだ」
詩真は頬から手を離し、大志の片手を握った。
そして太ももを触らせられる。大志の意志ではなく、詩真に無理やりだ。
「どんなに辛いことなのか、私にはわからないわ。でもね、そんな大志に何かをしてあげたいわ」
大志の手は、詩真の身体を這うように上部へと移動する。
そして詩真の胸へと行きついた。
しかし理恩のことで悩んでいる今、そんなことをされては大志も反応に困る。
「それは詩真の趣味だろ。他に何かないのか?」
「趣味ではないわよ。それに、おっぱいは偉大よ。大抵の辛いことは、おっぱいが解決してくれるわ」
「どういうことだよ……」
詩真は無理やり揉ませ始める。
大志の手を、詩真が動かすのだ。
詩真の胸のやわらかさは知っていたが、やはりやわらかい。
「ほぉら、どんどんおっぱいの虜になるわ」
最初は、否定していたが、揉めば揉むほど気になってしまう。
大志は自然と、もう片方の手でも揉んでしまっていた。
もう理恩は大志と何の関係もない。いくら揉んでも、それを怒る人がいないのである。
「なるほど。これは」
「元気になったかしら? さあ、それなら学校に行くわよ」
建物の外に出ると、そこでは海太が上空を見上げていた。
「何してるんだ?」
「自殺でもするんじゃないかと、見張ってたってん。大志には、二条さんの分まで生きてもらわないと、二条さんが浮かばれないってん」
海太はそう言って歩き出すが、詩真に肩を叩かれ、立ち止まる。
「何だってん?」
「疲れた顔をしてるわ。おっぱい揉む?」
「揉ませてくれるってんか!?」
そのあからさまな喜びよう。海太に少しでも好意を寄せていた桃華は、浮かばれないだろう。
そして大志と海太は、詩真の胸に魅了されていくのだった。
「……もし、大志が私を嫌いなってるとしても、大志のためなら何だってするからね」
あれから何日かたったが、未だに理恩は扉越しにそう言って、あとは立ち去ってしまう。
大志としても、もう理恩と顔を合わせて話すことも避けたい。
「理恩は、何が目的なんだろうな」
理恩がいなくなる頃、大志は声を出した。
「大志に頼られたいんじゃないかしら?」
大志の部屋には、詩真がいる。
詩真は頬に伝う液体を拭い、扉を見た。
「頼られたいってなあ……、もう子供じゃないんだから」
「理恩も理恩なりに頑張ってるわ」
詩真はそう言って、服を着る。
もう夜だ。ここにも消灯時間は存在する。
戦艦島の時のように、出入りできなくなるということはないが、廊下は真っ暗になるのだ。窓もないので、光の入る隙間がない。
「じゃあ、私も帰るわ。明日もちゃんと学校に行くのよ」
「元気が出たらな」
大志への悪口は、未だになくなってはいなかった。
他人の悪口を言わなくちゃ生きていけないのかというほどに、毎日毎日、飽きることなく言ってくる。そんな学校生活にも飽きてきたところだ。勉強も低レベル。知っていることばかりである。
「いくら勉強ができても、出席しないと進級できないわよ」
「大丈夫だよ。一日くらい休んでも」
そして、つつがなく大志は進級していき、17歳となった。
その頃には、大志の嫌な噂をする者はいなくなっていた。
それからしばらくして、大志たち四人は、何の前触れもなく異世界転移をする。
***
目を開ければ、そこは黒い空間だった。
「じゃっじゃーん! ラエフちゃんだよーっ!」
突如として現れた銀髪の女は、両手でピースをつくる。
ここは、ラエフのいる世界の狭間だ。
大志はとても長い夢を見ていた。大志の運命を狂わせた出来事の夢である。
「どうだった? 元の世界のことを思い出した?」
「ああ、嫌っていうほど思い出したよ。俺は、あれからずっと逃げていたんだな。俺は、詩真の優しさに甘え、あの事件から、理恩から、逃げてたんだ」
「はいはい、暗い顔しちゃダーメ」
両頬を手で挟まれ、口が尖がった。
ラエフは手を離すと、大志の左腕があった場所を撫でる。
「ここ、治す?」
「いや、いい。これは、理恩を悲しませた代償だ。もう二度と理恩を悲しませないためにも、ないほうがいいんだ」
するとラエフはフッと息を吐いて、大志から手を離した。
「じゃあ、ラエフちゃんを悲しませたから、もう片方の腕もなくしちゃおっかなー?」
「さすがにそれは困るぞ。そもそも、ラエフを悲しませたからって、なんで腕をなくす必要があるんだよ」
すると、ラエフは顎に指を当て『んぅー』と唸る。
どうやら、理由はなかったようだ。しかし理由もなく腕をなくそうとする神なんて、怖すぎる。
「ほら、ラエフちゃんってば、女神さまだからさ。天罰?」
「怖いわっ! というか、さっきから『ラエフちゃん』って何だよ。前にあった時は、そんな呼び方してなかっただろ」
「イメチェンだよ。ちょっとは可愛らしくなるかなーって!」
他人と会うこともないのに、なぜそんなことに気を遣うのか。
大志は盛大にため息を漏らす。
「質問しといてため息なんて、ひどいよー!」
「それは悪かったな。……それより、もう少し質問してもいいか?」
するとラエフは、嬉々として目を輝かせ、何度も首を縦に振った。
しかし、質問といっても一つだけである。だから、頷きは一回で十分だ。
「ラエフは全ての能力を持っていて、それを人に分け与えてるってのは本当なのか?」
「ううん。違うよ」
ラエフはあっけらかんと答える。
「たしかに神は偉大だけど、万能ではないんだよねー。神は、他の生物がいるからこその神なんだよ」
「つまり?」
「んー、この場合は人を例えに出すけど、人のできないことは神にもできないってこと。能力だって、神が先じゃなくて、人が先なの」
わからない。
ラエフがすごい頼りないということはわかったが、それ以外はちんぷんかんぷんだ。
「人が生み出した能力を管理するけど、分け与えてはいないってこと。神は世界の発展を見守るだけなんだよ。基本的にはね」
「なら、俺の能力も管理されてるのか?」
「まだしてないよ。死んだら、するけどね」
死んだら、ということは、死ぬまでラエフは能力に手出しできないということだ。
大志は頭をかく。
「いつになったら、元の世界に戻れるんだ? 正直、この世界は物騒すぎる」
「んー、どうしよっかなー。ラエフちゃんの気分次第かなっ!」
ラエフは頬に指を当て、ウィンクをする。
まともな返答が返ってくると思っていた大志が愚かだった。
ラエフがそういう相手だということは、最初にあった時からわかっていたはずである。
「はぁ……とりあえず生きてれば、いずれ帰れるんだな?」
「いずれ、だけどね」
ラエフは、大志の目の前で手を広げた。
すると、眩い光が大志の視覚を襲う。
「なっ、なんだこれっ!」
大志が咄嗟に目を閉じると、まるで身体が何かに吸われるような感覚があった。
「そろそろ本体の身体に戻らないとね。それじゃ、ラエフちゃんは応援してるよっ!」
その言葉を機に、大志の意識は、世界の狭間から消える。
元の身体のある場所へと、戻っていったのだ。
そして、大志のいなくなった世界の狭間で、ラエフが一人ぽつんと佇んでいる。
「……だから、早く来てよね。……ダーリン」
その頬は、少し染まっていた。