2-29 『戦艦島の終点』
桃華の部屋に佇んでいるのは、不敵な笑みを浮かべる剛だ。
「気づくのが、遅かったね」
「桃華たちはどこにやったんだ!」
すると、剛は噴き出す。
ぴとり、ぴとり。大志と剛の間に、赤い雫が垂れた。
大志は、恐る恐る視線を上へと向ける。すると、そこには――
「も、桃華なのか……」
四肢を切断された桃華が吊るされていた。腕も脚も、その隣に吊るされている。
ほんの少しだけ、この場を離れただけだ。それなのに、その間にこんな残酷なことができるのか。
「ははっ、彼女は僕に傷をつけてね。少しお仕置きをしたんだよ」
「お仕置き!? 殺しておいて、何を言ってるんだッ!!」
剛の懐に入る。そしてそこから拳を突き上げ、剛の顎を殴った。
剛は三歩後退し、そこでまたも不敵に笑う。
「僕も心が苦しんだよ。遺体は綺麗に残しておきたかったからね」
「ふざけるなッ」
踏み込むと、剛の手が伸び、大志の首を掴んだ。
ものすごい力である。大志の力では、その腕を離すことはできなかった。
「君まで殺すわけにはいかないんだ。大上大志プロジェクトのため、君だけは生きるんだよ」
「な、うっ、なんっ、だと……」
剛は大志の腹を殴る。
ただでさえ首を絞められ、苦しい。殴られ、意識が軽く飛んだ。
「君はアダム。だから、死んでもらうわけにはいかないんだ」
首から手を離され、大志はその場に倒れる。
アダムなんて知らない。大志は大志だ。
伸ばした大志の手は、剛の足に踏まれる。
「あがぁァッ!」
「全てが終わった時、君は絶望するんだ。そこで君が壊れることは許されないけどね」
そう言って、剛は部屋を出ていった。
行く場所なんて、決まっている。理恩たちのいる場所だ。
「り、おん……」
床を殴り、その重い身体を起こす。
早く行かなければ、手遅れになる。そうならないためにも、今は足を動かすしかない。
「は、アッ」
振り返るとそこには、扉の陰となる位置に、桃幸がいた。
頭に刺さった刀が、桃幸を壁に貼りつけている。
「も、もも……ゆき……」
大志は噛みしめた歯の間から、我慢できずに息を漏らした。
「ご、ごう……ッ!」
怒りに染まった大志は、剛のもとへと走る。
理恩は何としても殺させはしない。
「理恩ッ!」
教室の扉を蹴り開ける。
中では短刀を持った剛が、海太と接戦していた。
「た、たたっ、大志……」
理恩は教室の隅で身体を震わせている。詩真もまだ無事だ。
殺意むき出しの剛は海太を殺そうとするが、海太はそれをなんとかかわしている。
大志は剛の背に殴りかかるが、ひらりとかわされてしまった。
「邪魔をしないでくれるかな? 君のためなんだよ」
「俺はそんなことを望んでない!」
すると剛は短刀をおろす。
「君さえ生まれなければ、こんなことにはならなかった。大上大志プロジェクトなんて、行われることもなかったんだ」
「ど、どういうことだ?」
「君には自覚がないのかもしれない」
剛が投げた短刀は、海太の腕に刺さった。
海太は苦痛に顔を歪めながらも、短刀を抜く。するとそこから血が溢れ出た。
自覚なんてあるはずがない。今まで、そんな話は聞いていない。全ては、大志の知らないところで決定したことである。
「どういうことだってん? 大志が何か知ってるってんか?」
「ははっ! 知ってるわけがない。知られたら、この計画の意味すらなくなってしまうからね」
剛は床のパネルを剥がすと、そこから新たな短刀を取り出す。
そこに収納スペースがあったなんて、今まで知りもしなかった。
「でもね、計画は全て順調ではなかったんだよ。君が同じ部屋で寝ようといったから、そのせいで僕の行動は制限されてしまったんだ」
剛は壁を伝って歩き出す。その顔を、大志に向けたまま。
いつ攻められるかわからない緊張感と、誰も殺させないという責任感が大志を焦らせた。
「それは残念だったな」
「ふふっ、七日目には君しか生き残っていないはずだったんだ。けれど、もういい。草露海太、中田詩真、君たちは大上大志に生かされたんだ」
海太も詩真も、まだ生きている。そして、剛は二人を諦めたのだ。
しかし、この場にはもう一人生きている者がいる。千頭理恩。その名を、剛は口にしなかった。
「……ッ! 理恩!」
気づいた時には、すでに遅い。
理恩は剛に捕らえられ、その首筋に短刀の刃が押し当てられている。
「ははっ! やはり千頭理恩が、君にとってのイブなんだね」
「理恩は理恩だ!」
剛は理恩を歩かせ、窓際まで移動した。
そして目を細め、大志に不快な笑みを見せる。
「この計画は、最愛のイブを殺すことで完遂する。だから、千頭理恩は生かすわけにはいかないんだ」
「なんだよ、イブって。なんで理恩が死ななくちゃいけないんだよ!」
「君は新人類にとっての象徴。孤高の存在でなくてはならない。だから、君の隣にいられては困るんだ」
剛が窓を開けると、理恩は肘打ちを食らわせた。
首に刃があてられた状態で、やれることではない。けれど、理恩はやったのだ。
「ふふっ、どうやら今すぐ死にたいようだね」
剛は理恩の首から刃を離し、それを腹部へと突き刺す。
「大上大志に愛されたから、こうなったんだ。さあ、最後の言葉を言って、散るんだ」
しかし、理恩は俯き、動かない。
そんな理恩の姿に、血の気が引く。大志が理恩に特別な感情を向けなければ、こうにはならなかった。こうなったのは、大志のせいだ。
「りおん……おい、嘘だろ……」
「た、いし……あっ、ごほっ、ありが……とう」
理恩の言葉を聞いて、剛は口の端を吊り上げる。
剛は理恩を抱えたまま、窓に足をかけた。
「これで僕の任は完遂した。じゃあ、もう会うこともないだろうね」
「そう。もう会うことはない」
理恩が剛の腕から逃れ、大志へと背を向けた。
理恩の腹部へと刺さったはずの短刀が、床を滑る。その刃には、血がついていない。
「もう二度と、大志を苦しめないでッ!」
窓に足をかけていた剛を、突き飛ばした。
窓の先は海だ。剛はそこへと、落ちていく。
だが――
「どうやら、運命に愛されているようだね」
剛は窓のサッシに捕まり、這い上がろうとした。
しかし、怒りに支配された大志が、それを許すはずがない。
大志は短刀を拾い、サッシを掴む剛の手に突き刺す。
「もう、誰も殺させないッ!」
「あははっ! たとえ、ここで僕がいなくなったとしても、大上大志プロジェクトがなくなるわけじゃない。大上大志プロジェクトは、新人類のためになくてはならないのだからね!」
剛の手がサッシから離れ、落ちていく。落ちていく剛に、差し伸べられる手はない。
そして、青く広い海に落ちた剛は、その姿をくらませた。
「こ、これで……よかった、のか?」
大志は肩で息をし、振り返る。そこには、理恩がいた。
そんな大志に、理恩は抱きつく。その身体は、とても震えていた。
「怖かった……怖かったよ、大志……」
涙を流す理恩に、大志は安堵する。
理恩は、生きている。理恩は、ここにいる。
「ああ、俺だって怖かった。でも、理恩は無事だ。もう、恐れることはないんだ」
大志はぎゅっと理恩を確かめる。
守り抜いたのだ。あの、剛という殺人鬼から理恩を守り抜いた。
「な、何があったってん?」
海太が傷口を押さえ、歩み寄ってくる。同じく、詩真も寄ってきた。
海太は傷を負ったが、詩真には見当たらない。
「全ては、あいつの……剛の仕業だったんだ」
「なら、これで安心していいってことかしら?」
「そうだ。……そうだよな?」
大志は、海太と詩真の顔をうかがう。
すると二人とも、静かに頷いた。
「大志……これ」
腕の中にいた理恩は大志から離れ、首にさげていた赤い球体を取り出す。
その赤い球体には、何かの刺さった跡があった。
「そうか。これが理恩を救ってくれたのか。ギルチに感謝しないとだな」
剛に腹部を刺された時、この球体が身代わりになってくれたのだ。
奇跡のようなことだけど、その奇跡が理恩を救ってくれたのは事実である。
「ううん。これを私に持たせてくれた大志のおかげだよ」
大志に球体を返そうとする理恩の手を、大志は包んだ。
「まだ、持っていてくれ。笑って明日を迎えられたら、その時に返してくれ」
この島には、まだきっと何かがある。
大上大志プロジェクト。そのために造られたというのだから、きっと何かがあるはずだ。
「なんだってんよ……これは……」
桃華の部屋に吊るされた、桃華の遺体。
それを愕然と見上げる海太は、そう言った。
「俺が目を離している間に、桃華と桃幸は……」
海太は、俯く大志を殴る。
そこに手加減なんて言葉はなかった。
「なんで目を離したってんよ! 何のために集まって行動してたんだってん!」
海太の言うとおりである。こんなことにならないように、団体行動をしていた。それなのに、理恩の悲鳴を聞いて別行動をしてしまった大志に落ち度はある。大志は何も言えなかった。
何も喋らない大志に、海太は鼻息を荒げる。
すると、理恩と詩真が間に入って、海太を宥めようとした。
「でも、大志のおかげで私たちは助かったんだよっ!」
「起きてしまったことを怒っても、何も解決しないわ」
そんな二人の行動に、大志を涙する。
だが、涙を流している状況ではなかった。涙を拭い、二人をどける。
「二人を死なせてしまったのは、俺のせいだ。海太の気が済むのなら、殴られるくらい我慢できる」
「いくら殴っても、気が済まないってんよ!」
その後、大志は気を失うまで殴られた。
「大志……」
目を覚ますと、理恩がいる。理恩が心配そうに、見下ろしていた。
どうやら、ベッドに寝かされているようだ。
「今は、いつだ?」
「七日目になったよ。何度か起きたけど、覚えてない?」
言われてみれば、起きたかもしれない。だが、不確かな記憶である。
小路の部屋にあった医療道具で、大志は治療をしてもらった。
「いくらなんでも、手加減しないなんて人格を疑うわ」
詩真も理恩の隣で、大志に目を向ける。
ここは詩真の部屋のようだ。扉の上に設置されたモニターで、それがわかる。
「何か欲しいものはある? なんでも言って」
「いや、いいよ。自分で歩けるから」
大志は痛む身体を動かし、トイレへと進む。
さすがに手伝ってもらうわけにはいかない。
「あ、と、トイレだねっ。それなら、これがあるよ」
理恩が取り出したのは、尿瓶。小路の部屋にあったのだろう。しかし、そんなものは絶対に使いたくない。
大志は何が何でもトイレに入ろうとするが、途中で詩真に捕らわれ、ベッドに戻されてしまった。
「今日くらい、甘えてもいいんじゃないかしら?」
「いやいやいや、さすがに無理だろ」
「だっ、大丈夫! 布団で隠すから、大丈夫だよ!」
理恩は、大志の身体に布団をかける。
『大丈夫』という言葉を何度も繰り返すが、その顔は真っ赤に染まり、とても大丈夫ではない。
「じ、じゃあ、始めるね」
理恩は、尿瓶とともに両手を入れた。
「待てって。俺がするんじゃないのかよ」
「任せて! なんとなく、やり方はわかるからっ!」
そして理恩の手が、大志のズボンを掴む。
「まるで、介護されてるみたいだな」
理恩に、食事を口まで運んでもらう。
それだけならいつもと変わらないのだが、今日の大志は寝たままだ。
「大志が望めば、いつでもこうしてあげるよ」
「さすがに、そこまで迷惑はかけられないだろ」
「迷惑なんてとんでもない。大志のためなら、何だってするよ」
理恩は微笑む。大志には、その微笑みだけで十分だ。
だから、布団の中に潜り込んできている詩真は邪魔でしかない。
「何だって……か」
大志は、足の間にいる詩真の膨らみに目を向ける。
すると理恩は、恥ずかしそうに目を背けた。そして意味もなく前髪をいじる。
「うっ、うん……。た、大志が望むのなら、そっ、そういうことも、いいかなっ……みたいな。で、でもねっ、だ、段階っていうか、その、ね……あははっ、な、なに言ってるんだろうねっ」
顔を真っ赤にしているところを見ると、どうやら勘違いしているようだ。
否定するにも、できない。大志も、少しだけだが興味がある。
「俺が望むなら……か」
その言い方では、理恩は本気でそれを望んでいない。それではダメだと、大志でもわかることだ。
静かに息を吐き、足の間で蠢く詩真を、蹴り飛ばす。
理恩は、そこから出てきた詩真を見て、目を丸くした。
「あ、あれ……もっ、もしかして、勘違いしてた……」
両手で顔を隠し、声にならない声を漏らす。
理恩のそんな姿が愛おしくもあり、魅力でもあった。
「何を想像してたんだ?」
「な、なんでもないよっ! きっ、気にしないで!」
そして、七日目は何も起こることなく過ぎ去る。
休暇期間はそれで終了。次の日になれば、小路がやってくるのだ。そしたら、この地獄のような生活も終わりである。
「大上大志。貴様を拘束する」
しかし、来たのは警察だった。
大勢の警官が大志を捕らえ、拘束する。
理恩も詩真も、その理由を問いただそうとするが、聞く耳持たずであった。
そして、拘束された大志と、理恩、詩真、海太は戦艦島を脱出する。
望んでいた脱出とは、だいぶ異なる結果だった。