2-28 『運命の歯車』
六日目の朝も、晴れていた。
大志は理恩が寝ているのを見て、心を安らげる。
「誰も、死なせたりしない」
今日も七人が生きたまま、朝を迎えられた。
それはとても喜ばしいことなのだが、大志は目を細める。
「ほぉら、ママのおっぱいおいしいわね」
なぜかそこには、裸になった詩真と、その胸を吸う桃幸がいた。
桃幸はとても幸せそうな顔をしている。その姿は、まるで赤ちゃんだ。
「何やってるんだ……」
「あら、見てわからないのかしら。授乳よ」
詩真は桃幸の頭を撫で、その顔を胸に押し当てる。
桃幸は桃幸で、一生懸命にその胸を吸った。
「母乳が出るのかよ」
「出るわけないわ。でも、興奮していいんじゃないのかしら?」
「それは詩真だけだろ。まあ、桃幸が幸せそうだから、いいけどな」
桃華が見たら、いったいどうなるだろうか。
「桃華が起きる前にやめろよ」
「それなら、もう起きてるわ」
詩真は大志の視界の外を指差す。見ると、そこには桃華が耳を塞いで目を閉じていた。
現実を直視できないのだろう。今まで世話をしてきた桃幸が、今は詩真の腕の中だ。
「なるほど。なら、尚更やめろよ」
「……仕方ないわね」
詩真は桃幸の口を胸から離れさせる。
その胸には、桃幸の唾液がついていた。
「桃幸も変わったな。最初にあった時とは別人だ」
「……僕も、そう思います。僕は成長したんです」
桃幸が離れると、詩真は脱いでいた服を着る。
本当に桃幸のためだけに脱いでいたようだ。変態のターゲットにされ、桃幸が可哀想である。
「それで、今日はどうするんだい?」
壁に身を預けながら、剛は大志に顔を向けた。
13人目は、まだこの建物のどこかに潜んでいる。小路の部屋に隠れているかもしれないし、全く違う部屋に隠れているかもしれない。そして、三階の部屋の鍵は、全て大志たちの手中にある。
「二手に分かれて13人目を探そう。一階から探すのと、三階から探すのとで。それで見つからなければ、小路の部屋にいるに違いない。そうなったら、みんなで扉を壊して突入する」
「二手に分かれるなんて、危険じゃないかしら?」
たしかに危険がないわけではない。けれど、見つけなければ、これからも怯えて生活することになる。
もし小路が帰ってきても、小路がやられてしまうかもしれない。
「分かれても、三人と四人だ。逃げられるくらいできるはずだ」
「じゃあ、どうやって分かれるのかな?」
「そうだな、詩真と桃幸は別にする。途中で何するかわからないからな。それで、桃幸のために桃華を同じにする。詩真の見張りとして、海太と理恩。俺と剛は桃幸側につこう」
理恩と別なのは悲しいが、これも仕方のないことだ。
理恩と剛を入れ替えた場合、海太が二人の変態の餌食になってしまう。
大志と海太を入れ替えたとしても、海太と桃華がイチャイチャし始めるだけだ。
「わかったわ。それで、どう探したらいいのかしら?」
「13人目は部屋に隠れている可能性が高い。だから、詩真たちは部屋のない一階から探してくれ。もしも遭遇した場合、人数は多いほうがいいからな」
「ふぅー、お腹いっぱいだ」
しかし、捜索の前に腹ごなし。
腹が空いていては、力も出ないからである。
「なんで大志と一緒じゃないの?」
食事が終わると、理恩が不安そうな声を出した。
「今回は我慢してくれ。捜索に集中できるように、別にしたんだ」
もしも理恩の身に何かあれば、大志はその身を投げてしまうかもしれない。
大志は理恩を抱きしめ、そして頭を撫でる。
「もしも何かあれば、叫ぶんだ。そしたら、すぐ駆けつけるからな」
「うん……、約束だよ」
そして、二手に分かれて捜索が始まった。理恩たちのカードキーを受け取り、大志たちは三階へと向かう。
「まずは、海太の部屋か」
海太のカードキーをかざし、中へと入った。
特に変わったような点はない。しかし、もしものことを考え、念入りに調べる。
「トイレにもシャワー室にも、誰もいなかったよ」
「そうか。なら、ここは違うのかもしれないな。次の部屋に行くか」
端から部屋の中を調べていけば、いずれ見つけられるかもしれないという考えだ。
しかし、12室もある部屋を調べるとなると、一苦労心ではない。
海太の隣の部屋は翔だ。カードキーをかざしてドアノブを捻るが、扉は開かなかった。
昨日の時点では開いたが、壊れてしまったのかもしれない。
「ここに潜んでいたら、困るな」
「そうだね。けど、ここで立ち止まっているわけにもいかないよね」
剛の言うことはごもっともだ。だが、もしもこの部屋に潜んでいたら、他の部屋を調べている間に違う場所へと逃げてしまう。
「仕方ない。次の部屋に行くしかないか」
「次はゆーちゃんの部屋ね」
桃華は、桃幸の手を握った。
それにどういった意味があるのかはわからないが、桃華も桃幸も暴れなくてよかった。
「何かあるのかな?」
「何言ってるの! ゆーちゃんの部屋よ。神聖であるに決まってるのよ」
久々に桃幸と触れ合って、気分でも高揚しているのだろうか。桃華は声を大にして言い放つ。
「で、実際のところはどうなんだ?」
「普通の部屋ですよ。僕の部屋だけ特別なんて、ありえませんよ」
桃幸はカードキーをかざし、扉を開けた。
どの部屋も同じデザインだ。もしも桃幸の部屋だけ特別だったら、それは桃華の仕業だろう。
しかし桃幸の言う通り、中は普通だった。
「やっぱり普通だな」
「普通って何よ! ゆーちゃんが普通の子だっていうの!?」
「ああ、そうだろ。桃幸だって普通に食べて寝て、普通に人を好きになるだろ」
詩真には単に甘えているだけだった気がするが、それも好きじゃなければできないことだ。
桃幸の部屋は不思議なほどきれいに整理されている。
「桃幸って、整理が好きなのか?」
「いえ、この部屋は使っていないだけです。おねーちゃんの部屋を使っていたので」
すると、桃華はふふんと鼻を鳴らした。しかし、威張るようなことは何もしていない。
これだけ綺麗だと、犯人も使いづらかっただろう。その思い込みを利用して、隠れている可能性はある。桃幸が使っていなかったとすれば、尚更だ。
「自立するとか言って、まだ桃華の部屋にいたのか」
「ひっ、一人は怖いんです」
言い訳をする桃幸を、桃華は優しく抱きしめる。
詩真と海太を離れさせたのはいいが、桃華と桃幸を同じにするのはダメだったかもしれない。けれど、海太と桃華を入れ替えれば、男と女で分かれたことになってしまう。それだけは防ぎたかった。そこに剛を加えればよかったのかもしれないが、女だけのところに剛を入れるのは、それはそれで危険である。
「そうか。自立できるのは、遠いな」
そして部屋を調べるが、特に何もなかった。
「何もなかったですね。ここは使われていなかったみたいです」
「そうだな。ところで、桃幸は桃華をどう思ってるんだ?」
すると桃華が、大志と桃幸の間に割り込む。
そして何を思ったのか、大志を睨み、獣のように息を吐いた。
「ゆーちゃんを狙っているのねッ!」
「本当にそう思うのか?」
大志はただ質問をしただけである。桃幸にいやらしい目を向けたわけではない。
桃幸は、桃華の背から手を回し、腹の前で交差させた。
「僕は、おねーちゃんが好き。大好き。でも、それじゃダメなんです」
桃幸に抱きつかれて、にへらと顔を緩ませていた桃華だが、桃幸の言葉を聞き、唐突に真剣な表情になる。桃華と桃幸は、義理ではなく、正真正銘の姉と弟だ。そんな二人が好きあうのは、どうやらダメなことらしいのだ。
「そんなの、おねーちゃんは構わないよ。おねーちゃんは困らないから。ね?」
桃華は、腹の前で交差された桃幸の腕を撫でる。
「ほ、本当に……?」
「おねーちゃんは、ゆーちゃんが大好き。だから、周りからどう言われたって、おねーちゃんはゆーちゃんを受け入れるからね」
桃華は桃幸へと身体を向け、優しく抱きしめた。
「……おねーちゃん」
桃幸は、服の上から桃華の胸を吸う。
詩真のせいで、妙なことを好きになってしまったのかもしれない。
そんな桃幸を、桃華は頬を染めながら愛おしそうに見た。
「もう……ゆーちゃんは、甘えん坊さんなんだから」
桃華は桃幸を抱き上げ、トイレの中に入っていく。こんな時に迷惑な話だ。
そして中から、「ゆーちゃん」や「かわいい」などの言葉が時折漏れてくる。
「いったい何をしているんだろうね」
「気にするな。桃華と桃幸の問題だ。俺たちが気にすることじゃない」
それにしても、桃華はやはり桃幸が一番というわけだ。海太の大敗北である。さすがに桃幸には勝てなかった。
トイレに二人で入るほどの仲なんて、きっと海太にはなれないだろう。
「ははっ、僕と二人きりだね。これも運命だよ」
伸びてくる剛の手を叩き、一歩離れた。しかし、それで諦める剛ではない。一気に距離を詰められ、大志の太ももを剛の手が這う。
「桃華ッ! 早くしてくれ!」
危険を感じ、叫んでいた。
しかし、桃華たちもまだ入ったばかり。すぐに出てこれるはずがない。
「そんなすぐに出ないのよ!」
「あぁぁっ、アッ、うぐぅっ、あぁあんっ」
桃華に続いて、桃幸の悲鳴のようなものが聞こえてくる。
いったいトイレの中で何が起こっているのか。
「ほら、いいのよ。おねーちゃんの手で気持ちよくなって」
「ほら、僕たちも……」
耳元で囁く剛に、頭突きをする。
やはり剛は手におえない。剛から桃幸を守ろうと思っていたのだが、自分すら守れないのだ。
トイレから出てきた桃幸は、げっそりとしていた。
ただでさえ弱々しい桃幸が、さらに弱々しく見える。
「次の部屋は、私の部屋ね」
桃華は待たせたことに罪の意識もないのか、真っ先に桃幸の部屋を飛び出た。
大志たちも遅れて桃幸の部屋を出る。
廊下はあいかわらず静かだ。足音でさえうるさく感じるほどに。
「桃華は、海太に気があったんじゃないのか?」
「バカね。ゆーちゃんに比べれば、海太なんてミドリムシよ」
桃華はそう言って、カードキーをかざす。
「ミドリムシってなんだ?」
「海太みたいなやつよ」
海太みたいなのが、他にもいるというのだ。それはそれで、見てみたいような気もする。
桃華が扉を開けると、その時ちょうど大志の耳に悲鳴が聞こえた。聞き間違えるはずもない。これは、理恩の声だ。
「理恩ッ!」
大志は三人に何も言わずに、走りだす。悲鳴を上げるほどのことが、理恩の身に起きたのだ。他のことなど気にしている場合ではない。
「どうか……どうか、無事でいてくれ」
階段を下りると、教室の扉が開いていた。
きっと理恩たちが調べに入ったのだろう。大志も教室の中へと入った。
「どう、なってるんだ」
教室の中は、机が綺麗になくなっている。そして、そこには誰もいなかった。
理恩たちは一階から調べているはずである。だから、理恩たちがここへと入ったのだと思った。しかし、ここには誰もいない。窓もしまっている。ご丁寧に鍵まで。
「おい、誰もいないのか? 理恩……、理恩は……」
大志は教室の中を見渡しながら、足を進める。
まさか、もう理恩はここにいないのか。大志の頬に、嫌な汗が伝った。
「ここは……」
教室の奥。そこには、小路の部屋に通じる扉がある。その扉が、開いているのだ。
これは罠かもしれない。けれど、そこに理恩がいるのだとしたら、進まないわけにはいかない。
扉の先に足を踏み入れると、廊下の先に理恩の姿がある。
思わず、目から涙が溢れた。そして理恩まで走り、抱きつく。
「よかった。理恩に何かあったんじゃないかって、心配したんだ」
「……うん。ありがと」
しかし、理恩の声は暗い。
大志は顔をあげ、理恩の見ているものに目を向けた。
「こ、これって……」
そこは小路の部屋だ。床が畳だったり、ベッドではなく敷き布団が敷かれているが、そこが小路の部屋だとすぐにわかる。扉に『小路』と書いてあるからだ。
そしてその部屋の奥に、赤い大きな染みができていたのである。
「これは人の血だってんよ。ここで、誰かが殺されたんだってん」
海太は畳を調べながら、そう言った。
「誰か……。それは伊織だな」
「なんでわかるってん?」
「伊織の首には刺し傷があった。なのに、伊織の遺体があった冷凍室には、血が一滴もなかった。つまり、他の場所で殺されたってことだ。そして今まで、伊織以外の遺体のそばには血があった。湊は除くが」
伊織は13人目に呼び出され、ここで殺されたのである。
やはり13人目は、小路の部屋を占拠していたのだ。
「伊織はここまできたって言うのかしら?」
「そうだ。ここまでやってきて、13人目に殺されたんだ」
扉を調べていた詩真は、海太のいる場所まで移動する。
そして、血の染みの上に立つと、大志に向き直った。
「ここで、伊織は殺されたのかしら?」
「現場から察するに、そうとしか考えられないだろ。……いや、おかしいか」
扉からそこまではすぐであるが、入る意思がなければそこまで入らないというのも事実。
もしも13人目がこの部屋にいたのだとしたら、そんな見ず知らずの相手がいる部屋に、奥まで入るだろうか。
扉付近で、すでに襲われていたのなら、奥の染み以外に血の跡がないのは不自然である。
「そうね、おかしいわ。何故、伊織はこんな奥まで部屋に入ったのかしら?」
「そんな……ッ!」
大志は、やってきた道を走って戻った。
ありえない。そんなことがあっていいはずがない。
大志は頭をよぎる想像を、頑なに否定する。だが予想とは、外れてほしい時ほど、よく当たるものなのだ。
開かれたままの桃華の部屋に駆け込む。
「お前が……。お前が、伊織を……みんなを殺したのかッ!」