2-27 『大上大志プロジェクト』
ㅤ5日目の朝も、静かだった。
ㅤ大志を除いた六人が、大志の起床を待っている。
「起きたんだね。おはよ」
ㅤまず、理恩の声が大志の耳に届いた。
ㅤ何も変わらない。いつも通りの、理恩である。
「もう朝か」
ㅤ空は快晴で、太陽に照らされた海が、青々と輝いている。
ㅤしかし、大志を始め、この場にいる七人の心は晴れやかではない。
ㅤ昨晩、翔があんなことになっていたのだ。気分が落ち込むのも無理はない。
「もうお昼だよ。大志ってば、お寝坊さんだね」
ㅤ理恩は、そう言って鼻をつつく。
ㅤ元気付けようとしてくれているのは、痛いほどよくわかった。
「そうか。どうりでお腹が空いているわけだ」
ㅤ大志は、全員の顔を見渡す。眠そうな顔は一つもない。しっかりと睡眠はとれたようだ。
「それよりも翔はどうするってん?ㅤ大志が起きるまで待ってたってんよ」
ㅤ翔はきっとまだあの場所にいる。
ㅤ朝になり、しかも快晴だ。今なら、よく見えるだろう。
「いや、とりあえず朝食にしよう。食べられるものも、食べられなくなるかもしれないからな」
ㅤ今までの遺体も惨たらしかったが、翔の遺体は常軌を逸している。思い出すだけでも、吐き気を催すほどだ。
ㅤ大志は理恩の手を握り、廊下へと引っ張る。
「そうだね。君の言う通りだ」
「にっ、二条さんの手料理が食べられないなんて、ありえないってんよ」
「そんなことを言ってる場合じゃないのよ」
ㅤ桃華は、海太の手を引いて歩かせた。すると海太は静かになる。まるで、忽然とどこかに消えてしまったかのような、変わりようだ。
「そこまで静かにならなくていいのよ」
「そ、そうだったってんな」
ㅤしかし、海太も静まりたくて、静かになったわけではない。そのことに、二条は未だに気づけないでいる。海太も、言ってしまえば楽になるのに、決断力のない男だ。
「じゃじゃーん!ㅤハンバーグよ」
ㅤ食堂のテーブルには、ハンバーグが並べられる。朝なのに、だ。
「朝から重いな」
「なに言ってるのっ!ㅤ朝だからこそ、たくさん食べないとなのよ!」
ㅤしかし、ハンバーグは好物である。それに桃華の手料理だ。味に期待してしまう。
ㅤすると理恩が、自分の分を大志の皿へと移した。
「大志は、ハンバーグが大好きだもんね」
「いやいや、それだと理恩の食べるものがなくなるだろ」
「いいの。大志が幸せになれば、私はそれで」
ㅤどうしても食べない気である。しかし、桃華の手料理を食べないなんて、あまりにももったいない。なんとしてでも、食べさせたい。
ㅤ小さく切って、理恩の口にいれる。
「んぅッ……あむ、もぐ……」
「そうそう、それでいいんだ。どうだ、美味いだろ?」
「……大志の、おいしい」
ㅤしかし、残念ながら理恩の分のハンバーグだ。
ㅤそんな二人を見ていたのか、桃華はテーブルを叩く。
「私が作ったのよ!」
「そんなのわかってる。美味しいよ」
「そんなの当たり前! 海太も美味しい?」
桃華の海太へのデレ具合が、どうもおかしい。
何が桃華を変えたのかはわからないが、いい方向へ進んでいるのはいいことだ。
「美味しいってんよ! 二条さんの料理は最高だってん!」
「それはよかった。……もう、汚れてるじゃないの」
桃華は、海太の頬についたソースを手で拭い、それを舐める。
そんなことに慣れていない海太は、当然ながら思考と動きが止まった。
桃華に顔を向けたまま、石のように動かない。
「あーっ、なんで海太のハンバーグだけソースがかかってるんだよ!」
海太のハンバーグだけ異様な雰囲気を放っていたが、それがようやくわかった。海太のハンバーグだけ、ご丁寧にソースがかかっている。
しかし、海太以外のものには何もかかっていない。ただのハンバーグだ。
「ちょっと手が滑ったのよ。海太のやつだけ、ソースがかかっちゃったのよ!」
「素直に海太のだけ特別って言えばいいだろ」
そんなわかりやすい嘘をつくくらいなら、潔く言ってくれたほうが納得できる。桃華が海太を気にしていることくらい、バレているのだから。
「なっ、何言ってるのよ! 私が海太を好きだっていうの!?」
「いや、そこまでは言ってない。というか、好きだったのか。短期間でチョロすぎるだろ」
まさか桃華の思いがそこまで成長しているとは思わなかった。海太の大勝利だ。
すると、剛が桃幸の肩を抱く。
「なら、僕は君と結ばれるのかな?」
「えっ、ぼ、僕とですか……」
桃幸は顔をひきつらせた。
桃幸だって異性を好きになりたいだろう。しかし、剛からは逃げられなかった。
「誓いのキスだよ」
剛は、桃幸の唇を奪い、微笑む。
そしてショックを受けた桃幸は、桃華に助けを求める視線を送った。
けれど、桃華の目は海太を見ている。
「お、おね……ちゃん……」
桃華へと伸ばした手は、剛ではない変態に捕らえられた。
詩真である。詩真は桃幸の手を引き、自分のほうへと顔を向けさせた。
「私もキスしてあげるわ」
強引にも、今さっきまで剛の唇が重なっていた部分に、自分の唇を押し当てる。
食事中に行儀の悪い連中だ。
「ちょっと、ゆーちゃんに何してるのよ!」
桃華はそこで、テーブルを叩く。その顔は、怒りに染まっていた。
「いや、もっと早く気づけよ。詩真よりも大問題なことがあったぞ」
しかし聞く耳持たずといった具合に、桃華は二人の唇を引き離す。桃幸は離れていく詩真に、手を伸ばした。そしてその手は詩真によって、胸に導かれる。
桃幸は恥ずかしさで顔を染め、詩真は興奮で頬を染めた。
「ゆーちゃん、そんなことしちゃだめよ。ゆーちゃんには、おねーちゃんがいるでしょ? どうしたの、お胸が触りたいの? だったら、おねーちゃんのがあるでしょ。ね?」
桃華は桃幸のもう片方の手を握るが、それはすぐに払われてしまう。
桃幸の目は、詩真に向けられていたのだ。
「詩真さん……」
「なにかしら?」
桃幸はうっとりとした目を、詩真に向ける。
あれは間違いない。変態の瘴気にやられてしまったのだ。
「ダメよ。それ以上近づくのは、おねーちゃん許さないんだからね」
「許してくれなくていい……」
桃幸は桃華を避けて、詩真に抱きつく。
すると、とても落ち着いたように、息を漏らした。
「なんだか、ママみたいです。とっても、懐かしい気分です」
「あら……だったら今日から、ママになってあげようかしら?」
詩真はよからぬことを考えたのか、恍惚に表情を緩ませる。
「ゆーちゃんに変なことしたら許さないんだからッ!」
詩真のことだ。どうせ期待通りのことをしてくれるだろう。
しかし今は同室でともに生活している間柄。バレるのは必然だ。
桃幸にとってどちらがいいかなんて、考えるまでもない。
「まあ、そう怒るな」
朝食を終える頃には、桃幸が詩真ママに完全に甘えていた。
詩真ママに抱っこしてもらい、頭を撫でてもらっている。
そんな姿を見て、桃華が冷静を保っていられるわけがない。
「怒ってないッ!」
「怒ってんじゃないか。そろそろ桃華も、桃幸離れするべきだろ」
そして、詩真の部屋の前で理恩たちとはお別れだ。
話し合った結果、大志と海太と剛の三人で確認することになったのである。やはり、惨たらしいところを見せたくはないのだ。
突き当りの壁は、昨晩の状態のまま残っている。
開いた引き戸の中には、血みどろの何かが詰まっていた。
「思ってたより、だいぶグロタスクだってん」
「それをいうなら、グロテスクだ。これを引きずり出すのか……」
手を入れることすら、はばかられる。
すると剛が意を決して、腕を入れた。そして中をまさぐり、ゆっくりと引き抜く。
「何か、あったよ」
剛の手には、長方形の赤い薄いものがあった。
その形に、どこか見覚えがある。
「これカードキーじゃないかってん?」
「これがか……。血がこびりついたのか」
それなら、もしかしたら使えなくなっているかもしれない。
大志はカードキーを受け取り、剛と海太に目配りをした。
「先にこのカードキーが使えるか確かめる。ここに居続けると、気持ち悪くなりそうだ」
「……そうだね。それなら、僕は腕を洗わせてほしいな」
さほど調べられなかったが、部屋へと戻る。
部屋へと戻ると、桃幸が桃華と詩真に挟まれていた。そして理恩は、それを見ている。
「あ、早かったね」
「……まあ、ちょっとあってな。これから、翔の部屋に行く。だから、一緒にきてくれ」
翔の部屋は、未だ誰も見たことがない。
その部屋の道具ですら、知っている者がいないほどだ。
「やっぱり、翔だったんだ……」
理恩はしょんぼりと大志へと近づく。
桃華たちも、真剣な表情に変わった。自分たちの命もかかっていることなのだ。気を引き締めなければならない。
「よし、開けるぞ」
赤く染まったカードキーを、解錠システムにあてる。
しかし解錠できたかどうかは、ドアノブを回さなければわからないのだ。
「……開いた」
扉は、ゆっくりと開き、大志たちを中へと招き入れる。
内装は他の部屋と同じだ。綺麗に整っている。
ただ、他の部屋と違う点は、紙の束が置かれているということだ。
大志は一番上の紙を手に取り、目を通す。
「大上大志……4月2日産まれ。血液型はA……って、なんで俺のことが書かれてるんだ?」
「あ、こっちは私だよ」
大志以外にも、理恩や海太など、全員の情報が事細かに書かれていた。今まで歩んできた人生が、その紙の上に記されている。しかし、そんなことを誰かに教えた覚えはない。
「これは、どういうことだろうね」
剛は眉間にしわを寄せ、紙とにらめっこした。
翔がやけに情報通だったのは、この紙を持っていたからだろうか。
「何よ、これ! やっぱり、私たちを殺そうとしているのよ!」
「どうして、そうなる。翔はもう死んでいるんだ」
大志は残っている紙束にも目を通した。
他の全員の情報も書かれている。その中で、ふとじっくりと読んでしまったものがあった。
「真水伊織。3月31日産まれ。血液型はO。母、父、妹の四人家族……」
そしてその下に、年代順に何が起こったかが書かれている。
真水の言っていたとおりのことが、そこには書かれていた。嘘だとは思っていなかったが、こんなことがあったなんて、目をそむけたくなる。
「……妹は夕莉って名前なのか」
その妹が命に代えて守った伊織も、もうここにはいない。
大志は持っていた紙を握りつぶしてしまった。
「た、大志……」
理恩が心配そうに顔を覗かせる。
いくら悔やんでも、もう伊織はいない。気持ちを切り替えないとだ。
「大丈夫だ。ありがとな」
理恩の頭を撫でる。
すると、理恩は笑顔を大志に見せた。
「おや、まだ紙があるね」
全員の情報が書かれた紙は全て見た。しかし、まだ紙がそこにはある。
考えられるのは、13人目の情報だ。
しかし、予想とは外れることのほうが多い。
「なんだよ、これ……。『大上大志プロジェクト』……?」
その紙には、でかでかとそう書かれていた。
大志の名を称するプロジェクト。しかし、当の大志には何のことだかさっぱりである。
「今回のプロジェクトのために、戦艦島はつくられた……?」
「どういうことかな?」
そんなことを聞かれても、大志が知るはずがない。
地図帳に戦艦島の名がなかったのは、きっとそれが原因なのだとなんとなくだがわかる。
「大上大志と千頭理恩、その他十人を、この戦艦島で学生生活を送らせる。その中で、大上大志の心の成長を促進する。もしも変化が見られない場合は、こちらから刺激を与える」
それは、この学校のことである。
大志は他人の心を開かせ、楽しい生活を送っていた。それが、まさか最初から計画されていたことだったなんて、今まで思いもしなかった。
「大上大志が他の者と仲良くなったところで、次の段階に移行する」
そこまでしか書いていない。紙もそれで終わりだ。
「それ以外には、何か書いてないのかい?」
剛が紙を覗きこんできたので、紙を渡す。
こんな計画があったのだとしたら、きっと今起こっていることもその計画の一部なのかもしれない。断定はできないが、可能性は高い。
「どういうことなの? 大志は何も知らないの?」
桃華も剛の持つ紙に目を通した。
「怪しいってんな。もしかしたら、大志が黒幕かもしれないってん!」
「違うよ! 大志は違う!」
理恩が大志を庇う。大志が関係ないとわかるのは、理恩だけだ。
すると剛は、首を縦に振る。
「そうだね。僕は君を信じるよ。これはきっと、僕たちを疑心暗鬼にさせるための罠だ」
剛は紙を破って床に捨てた。
そして顎に手を当て、何かを考え始める。
「どうかしたのかしら?」
「ちょっとね……これがもし罠だったとして、犯人は、いつ部屋へと入ったのかと思ってね」
「きっとマスターカードキーがあるんだ。それがあれば、ここに入ることも簡単だ」
謎は深まり、未だに13人目の姿は見えてこない。
翔の部屋にあったのは、その紙束だけだった。いくら探しても、それ以外のものは見つからない。
「大志……」
そして何もわからないまま、消灯となった。
今日も七人は同じ部屋で夜を明かす。すでに、ここにいる七人以外はいない。
先に休憩となった大志と理恩は、向き合って横になった。
「そんな不安そうな顔をするなよ」
大志は、理恩の頬を撫でる。
『大上大志プロジェクト』。あんなものを見たら、不安になるのも無理はない。たとえ犯人の罠で、本当のことではないにしろ、気になってしまうのだ。
大志は首からネックレスを外し、それを理恩に渡す。
ギルチからもらった赤い球体のネックレスだ。片手で包みこめられる程度の大きさである。
「これ、大志のだよね」
「そうだ。だから、理恩に受け取ってほしい」
大志は、理恩の手を包みこんだ。
「また笑いあえる日がくるまで、預かっていてくれ」
「……うん。わかった」