2-26 『壁の向こう側』
「……ゆーちゃんは、どう思う?」
桃華は、隣に座った桃幸に意見を促す。
桃幸の自立と一緒に、桃華も桃幸への依存をなくすべきだ。
「僕は、いいと思う。大志さんを、信じます」
「ゆーちゃんが言うなら、おねーちゃんもそうしよっ!」
にこやかに微笑み、桃華は握手を求めてくる。
大志が握手しようと手を伸ばすと、海太が大志を突き飛ばし、代わりに握手した。
「おっ、おねっ、おねっ、お願いしますっ」
怒る気はないが、握手したいならそう言うべきである。桃華だって、握手くらいなら拒否はしないはずだ。
大志は剛に支えられ、元の位置に戻る。
理恩は未だに少し眠そうで、大志が突き飛ばされたことにすら気づいていない。
「俺は、絶対にこれ以上の犠牲は出したくない。そのために、みんなを信じる。だから、一緒に笑って明日を迎えよう」
すでに四人が犠牲となった。しかし、だからといって笑って明日を迎えてはいけないわけがない。
大志が手を前に出す。すると、それに剛が手を重ねた。そして、海太、詩真、桃華、桃幸も重ねる。
「理恩は……寝てるから仕方ないか」
もう、誰も殺させたりしない。犯人は、絶対に捕まえてみせる。
「それにしても、翔はどこに行ったんだ?」
大志はそれが気がかりで落ち着かなかった。
たしかに翔が一連の犯人なのだとしたら、姿を消した理由もわかる。だが、翔が大志に言っていた言葉は何だったのか。大志の切り開いた未来や、誰も望まないなど。まるで、今のことを予知していたかのようだ。計画していたからわかったことなのか、それとも犯人の計画を知ってしまったからか。
「だから、翔が犯人なのよ!」
桃華に、耳元で叫ばれる。
そんなに近くで叫ばれたら、耳がどうかしてしまいそうだ。
「そうだったな。はいはい、早く夕食を作ってくれよ」
「なんで、朝、昼、夕って私が作らないとなのよ!」
それは、桃華の料理が一番おいしいからである。
と言っても、今日の朝と昼は冷凍食品だった。これでは、せっかくの桃華の腕がなまってしまう。
「二条さんの手料理が食べたいってん! 美味しいに決まってるってん!」
「美味しいって……ふんっ、し、仕方ない。特別よ」
美味しいと言われると、やはり嬉しいのか、桃華の頬が緩んだ。
嬉々として食材を並べる。そして、調理器具を用意していると、ピタリと桃華の動きが止まった。
「ちょ、ちょっと、これ……」
桃華の震える声。
大志と海太は急いでその場に向かう。すると、桃華の開けた戸棚には、赤く染まった包丁の立てられた包丁立てがあった。
「これは血か?」
「きっとそうだってん。ここに絵の具はないってんよ」
しかし、なぜ血のついた包丁がこんな場所にあるのか。
そこに剛もやってきて、顎に手を当てる。
「愛を刺した凶器だね。そうとしか考えられない」
愛の胸にあった刺し傷だ。たしかに刺したあと、ここに隠したのかもしれない。
けれど、こんなわかりやすい場所に凶器を隠すだろうか。
大志の部屋にあったナイフのように、別の人に罪をなすりつけるくらいはするはずである。
湊の時も、愛に罪をなすりつけていたくらいだ。
「そうか。これで……」
大志はどこか煮え切らない気持ちで、それを肯定するしかなかった。
愛の胸が刺されていたのは、覆らない事実である。
「こ、こんなので料理をしろっていうのッ!?」
「ま、まあ、他にも包丁はあるし、それでやってくれ」
せっかく見つけた手がかりだ。保存しておくべきである。
大志は包丁を手に取り、食堂へと持ち出した。
「凶器を見つけた。愛を刺したと思われる包丁だ」
大志は包丁をテーブルの上に置く。
「これで……刺したんですか?」
桃幸は怯えながら、包丁を遠目で確認した。
これで愛は刺された。それは間違いない。けれど、どこか腑に落ちない。
「これで愛を刺し、桑菜に見られたから、桑菜も殺した」
「……えっと、鉄パイプで刺されてたって、おねーちゃんから聞いたんですけど」
桃幸は、あの場にいなかった。だから、遺体については桃華から伝えられた情報しか知らないのである。
愛の身体にあった刺し傷については、教えていなかったようだ。
「愛の胸のところに、複数の刺し傷があったんだ。ちょうど、包丁で刺したようなやつがな」
「そ、それで、愛さんは刺されて……えっと、桑菜さんは……?」
「愛の上に覆いかぶさって、背中にぶすりと鉄パイプが刺さっていた」
するとそこで桃幸は目を伏せ、手を動かす。
何をやっているのかわからないが、桃幸にとっては大事なことなのだろう。
「どうしたんだ?」
「……あの、桑菜さんの身体に刺し傷は……」
「鉄パイプの傷しかなかったぞ」
「……なら、おかしいです。愛さんの刺された現場を、桑菜さんが見てしまったなら、その時の犯人の手には包丁が握られているはずです……。なのに、桑菜さんの身体に刺し傷がないなんて……」
その言葉で、大志はやっと納得できていなかった部分がわかった。
桃幸の言うとおりである。桑菜に他の傷がないのはおかしい。桑菜が刺されるのを望まないかぎり、あんな遺体はできないはずだ。
「つまり、桑菜は殺されるのを望んでいたってことか?」
「……そう、とも言えません。愛さんを庇って、そこをうしろから刺された、かもしれないです」
犯行の手順が一通りしか思いついていなかったが、桃幸のおかげで何通りもの犯行の手順が見えてきた。しかし、それがわかったところで犯人がわかるわけではない。
「たしかに君の言う通りだね」
厨房から出てきた剛が、大志の隣に座る。
「とすると、包丁の刺し傷が最初につけられたものかどうかも、考えものだね」
「どういうことだ?」
「つまり、包丁の刺し傷は、僕たちを惑わせるためだけのもの。本当は二人とも鉄パイプに貫かれて死んだけど、あとから愛の胸にこの包丁で刺し傷をつけた。そうすれば、愛が包丁で刺されて死んだと思うよね」
ありえない話ではない。しかし、それではさらに犯行がわからなくなる。愛を刺した包丁は、先か後か。桑菜はどうして刺されたのか。わざわざ鉄パイプで貫いた理由は。
考えれば考えるほど、謎が深まるばかりだ。
「はーい、召し上がれ」
桃華は、山盛りに盛られた春巻きを持ってきた。
どうやら、自力で作ったようである。よく材料があったものだ。
「いただきますってん!」
海太は待ちきれないと言った表情で、春巻きを口に入れる。
しかしまだ揚げたて。中は熱いままだ。
熱さで口から出しそうになったが、そこは我慢してなんとか飲み込む。
「どう、美味しい?」
そんな海太の隣に、桃華が座った。
あまりの驚きで海太は、口から声が出ない。
桃幸が自立中だからどこに座るのかと思っていたが、まさか海太の隣とは。
「おっ、お、おっ、おいしいっ……てん」
「そう、よかった。たくさん食べてね」
桃華は、今まで海太に見せたことのないような満面の笑みを見せた。
それには一同驚きである。
「何か、あったみたいだね」
「そうだな」
大志は理恩から運ばれてくる春巻きを、口に入れた。
そしてご飯、春巻き、ご飯、ときどき飲み物という具合で、食べさせてもらう。
「君も、何かあったみたいだね」
「そうだな」
そして愛と桑菜の謎はわからないまま、消灯時間となった。
詩真の部屋に、翔を除いた七人がいる。一人用の部屋なので、七人も入れば狭く感じた。
「これから順番で見張りをするんだが、七人か……半端だな」
二つに分けるにしても、三つに分けるにしても、一人余る。
「じゃあ、二つに分けよう。そして余分な俺は寝る」
大志がそう言うと、桃華に叩かれた。
ただでさえ徹夜したあとである。眠くて仕方がない。
「なら、僕が君の抱き枕になるよ」
「いや、理恩がいるからいい」
近づいてくる剛の顔を離した。
全員が協力しようとしてるときに、自分だけ楽をしようなどと甘い考えだった。
「なら、俺は外の見回りするよ。きっと、13人目が現れる」
「あぶないよっ」
心配してくれる理恩を撫で、頭をポンポンと叩く。
さすがに一人で行くつもりはない。廊下で寝てしまったら、終わりだからだ。
「じゃあ、下野と詩真。一緒にきてくれ」
「わかったよ」
「いいわよ」
危険な場所に理恩は連れていけない。そして海太は桃華といい雰囲気だし。桃幸も念のため、桃華のそばに置いておきたい。
消去法で、この二人ということだ。
「夜といっても、明るいわね」
朝は曇っていたが、今は晴れている。
窓から差し込む月の光のおかげで、なんとか消灯していても歩くことができた。
「月に感謝だな。それにしても、これだといきなり襲われたら、逃げられないかもな」
外に出ないとわからないことである。
桑菜が殺されたのが消灯後なのだとしたら、逃げられなかったのも頷ける。
「見回ると言っても、どこを見るんだい?」
「そうだな……とりあえず、一階から順に調べるか」
食堂、教室を見たが、どこにもそれらしき影はなかった。
もしかしたら、今日は諦めたのかもしれない。まとまっていれば、手の出しようがないのだろう。
「これで、行けるところは全部見た……かな」
「暗いと薄気味悪いわね」
これ以上調べても、疲れるだけかもしれない。
それに疲れた状態で遭遇したら、こっちが不利になってしまう。
「じゃあ、今日のところは帰るか」
「そうだね。僕も眠くなったよ」
剛はあくびをした。それにつられ、大志もあくびが出る。
早く安全地帯に逃げないと、眠ってしまいそうだ。
「それにしても、監視カメラがあるなんて、便利だよね」
「まあな。おかげでこうやって、気が楽でいられる」
大志も初めて見た時は驚いた。
部屋の外を見れるなんて、詩真の部屋だけである。消灯後に伊織と抜け出したところを見つけられたのが、もうずいぶん昔のように思える。見回りの小路にひやひやしていたのが、いい思い出だ。
それに、実は小路は見回りをしながら、愛に食事を運んでいたのである。
「……食事……か」
この建物の階段は一か所にしかない。そこから廊下が続き、一番奥に大志の部屋がある。
しかし、小路は突き当りで何かをし、持っていなかったはずの食事を手に入れた。
それを思い出し、大志は駆け足になる。
「いきなり、どうしたんだい?」
「心臓に悪いわよ」
剛も詩真も、ちゃんとついてきている。
こんなところで逸れたりしたら、犯人に狙われるところだった。
「実は、一つ思い出したことがあって」
「何か関係のあることかな?」
「……ちょっと前に、小路が突き当りの壁で何かをしているのを見たんだ。きっとそこに何かがある」
大志は二人を引き連れ、突き当りまで進む。そこにあるのは、何の変哲もない壁だ。
確かめるように壁に手を這わせる。すると、小さな出っ張りのようなものを見つけた。やはり、何か仕掛けがあったのである。
「何か見つけたようだね」
顔に出ていたのか、剛がそう言った。
大志は出っ張りを押したり引いたりするが、動かない。
「横に動かしたらどうかしら?」
詩真の助言通り、横に動かすと、壁の一部分が引き戸のように開いた。
そして、そこから何かがごとりと落ちる。
突き当りのせいもあって、その場所は少し暗い。何が落ちたか、見ただけではよくわからなかった。
「何か落ちたよ」
剛はそう言って、大志の足元に落ちたモノを拾い上げる。
そしてそれを持ったまま、光の当たる場所まで移動した。
「こ、れは……」
剛の手に握られていたのは、誰かの腕だった。
しかしその腕は、肘から先しかない。
「うで、だよな」
大志は恐る恐る、引き戸の奥に目を向ける。暗くてわからないが、そこには何かがあった。
次の瞬間、大志は走っている。詩真の手を引き、安全地帯へと走っていた。
剛も、腕をそこに置き、大志のあとを追う。
「どうしたってん!?」
扉を開けてもらい中に入ると、海太と桃華が起きていた。
大志は、あったことをありのままに話す。突き当りの壁のこと。そして、腕があったこと。
「それって、もしかして翔ってんか?」
「もしかして、じゃない。あれは翔だ。翔は、部屋に籠ってなんていなかったんだ」
部屋に籠っていると思っていた。いや、そう思いたかったんだ。だから、全く姿を現さない翔を怪しみもせず、部屋にいると決めつけていたのだ。
「それで、逃げてきたってことね」
「すまない」
「いいのよ。あなたたちは無事に帰ってきた。それだけで上出来よ」
桃華は、震える大志をそっと抱き寄せる。
理恩とは少し違うけれど、それでも桃華の温もりが、とても心を落ち着かせた。
「ずるいってんよぉ!」
駄々をこねる海太に、桃華はデコピンを食らわせる。
すると途端に海太は静かになった。
「今はそれどころじゃないの」
「……なんだか、すごい眠いな」
目がかすみ、ろくに前も見えない。
徹夜したせいか、眠気が普段とは比べ物にならない。
「もう寝ていいの。頑張りすぎよ」
すると、大志の意識は急速になくなっていく。
身体の重心もわからなくなり、大志は眠りについた。
最後に見えたのは、幸せそうな理恩の寝顔だった。