2-24 『偽りの数』
「ということは、誰がやったってん?」
海太が首を傾げる。
だが、そんなことは言うまでもない。扉の秘密を知っていた大志と、伊織を殺めた桑菜が違うのだから、自然と疑いの矛先は愛に向いた。
「君の指は、本当に動かないのかな?」
「そう言ってるでしょ! あたいは、それで親に捨てられたのよ!」
その話は、すでに全員が知っていることである。
しかし、それを証明するものはない。愛がそう言ったから今まで信じていたが、本当は動かせるかもしれない。
「君の指は動かない。だから、自然と犯人の疑いをかけられない。初めから、計画していたことなんじゃないのかな?」
「そんなわけないでしょ! あたいの指は本当に動かないのッ!」
「それがわかるのは、君だけだ。僕たちには、その真偽はわからない」
たしかに愛の指は動くのかもしれない。だが、動かないのかもしれない。どちらともわからない今、愛の言葉を否定することはできない。
大志は、全員の視線から愛を守るように立った。
「愛の言葉を否定するのは間違ってる。今は、愛以外に誰が可能だったのかを考えるべきだ」
「可能かどうかで言えば、僕、海太、桃幸、桃華……そして、翔」
その五人の中に、湊を殺し、愛を陥れた者がいる。
伊織がいなくなっても、悲しんでいる余裕はないようだ。
「翔は、まだ部屋にいるのか?」
「そうだね。ずっと出てきていないけど、食事はどうしているんだろうね?」
剛は顎に手を当てる。
桃華の部屋のように食べ物が支給されるなら安心なのだが、翔は食堂で食事をしていた。それはつまり、部屋に食べ物がないということである。それがこうやって閉じこもっていては、空腹で死んでしまう。
「翔のことだ。さすがに飢え死ぬことはないと思いたい」
「なら、僕たちの知らない間に食べているということだね」
しかし、それがいつなのか。それを、翔以外に知っている者はいない。
翔はなぜか情報通だ。こういう場合には、翔の意見も聞きたかったが、いないのなら仕方がない。
「翔も怯えているのかもしれないね。こんなことになれば、仕方ないけど」
剛はそう言って、部屋を出ていく。
大志も理恩の手を引いて部屋を出た。湊の状態を確認しに行く。
湊は首を絞められていた。だが、伊織の時のような見落としがあるかもしれない。
「愛は絶対にしていない。あの時の涙が嘘だったなんて、信じられない」
「首に紐の跡がある。首を吊っていたのは、本当みたいだな」
湊の首には、ぐるりと紐の跡があった。
「というか、この紐は海太のだよな。現実的に考えて、海太がやったと考えるべきか?」
引き上げたのも海太だ。首を吊るし、愛が目覚める頃を見計らって駆けつけた。考えるのは簡単だが、実際にやるとなると難しいだろう。
「伊織の時のように、どこかから持ってきたものを使ったという可能性もあるよね。まあ、そうなると僕も怪しまれることになるけどね」
「どこかから……か。でも、伊織を拘束していた紐は短いよな。となると、海太の部屋から紐を持ち出した誰か。……一度、海太と話したほうがいいか」
理恩に同意を求めると、理恩はただ頷いてくれた。
大志は、握る手に力が入る。そこに理恩の手を、しっかりと感じた。
たとえどんなことになろうと、理恩だけは守る。そう強く、心に誓った。
「はぁ? 知らないってんよ」
「湊を吊るしていた紐は、海太の部屋のものだろ。本当に誰にも貸してないのか?」
「あんな紐、誰も使わないってんよ。ちゃんと棚にしまってるってん」
海太は棚の引き出しの中に、手を突っ込む。
しかし、その手はすぐに出てこなかった。海太は他の引き出しも開けてみるが、目当ての物はどこにもないようである。
「な、なんで、ないってんッ!?」
「誰かに渡したんだろ。もしくは、自分で使った」
「ありえないってん! 二条さんに渡した以外は、ここにしまってたってんよ!」
桃華に渡したものは、そのまま伊織の犯行に使われた。
そして、海太の言うように、他に誰にも渡していないのだとすれば、なくなっているのはおかしい。
「誰が持ち出すっていうんだ? ここは海太の部屋だろ」
海太の部屋だって、鍵がある。愛の部屋のように、誰でも入れたわけじゃない。
大志も引き出しの中を覗いてみたが、海太の言った通り、そこに紐はなかった。
「そんなの知らないってん!」
海太は本当に知らないようだ。全てを信じるわけではないが、ひとまず信じてみないことには話が先に進まない。
「わかった。他の人にも話を聞いてみよう」
まず、桃華と桃幸だ。海太が紐を渡した唯一の相手である。いつも一緒にいる二人だ。共犯ということもありえる。
「紐についてだが、海太から貰ったのは、桃幸を拘束していたので全部か?」
「まさか私を疑ってるの?」
「まあ、そうだ。だから、正直に話してくれ」
すると、桃華は鼻を鳴らし、そっぽを向いた。
「そんなの、海太に聞けばわかるでしょ」
「一応の確認だ。海太は、桃華の不利になりそうな情報を隠しそうだからな」
「なにそれ?」
桃華は、海太に目を向ける。すると、海太の頬はほんのりと染まった。
海太もあいかわらずだが、桃華も桃華である。桃幸以外は眼中にないのか、海太の気持ちに気づいていないようだ。紐を渡したのも、桃華じゃなければきっと断っていたことだろう。
「わからないなら、それでいい。紐は余分には貰ってないのか?」
「そうよ。あんな紐、あっても必要がないじゃないの」
「そうか、わかった。……それより、桃幸はどこだ?」
部屋の中に、桃幸の姿はない。自立すると言っていたが、別居しているのだろうか。
すると桃華は大志の腹に、拳をねじ込んだ。
唐突の攻撃に、大志は口から何かが出そうになる。
「ゆーちゃんは、一人でトイレよ。一人で、トイレに入っているのよッ!」
「な、なんで、殴ったんだ……」
倒れそうになる大志を、理恩が支えた。
桃幸のことになると、常軌を逸した行動をする。忘れていたわけではないが、油断していた。
「もうゆーちゃんに、おねーちゃんは必要ないっていうのッ!?」
大志を殴ろうとする拳を、剛が受け止める。
「さすがに、大志を傷つける君を、黙って見ていることはできないよ」
剛の目は、鋭かった。けれど、笑ってもいる。感情の読み取れない表情は、恐怖以外の何物でもない。
何かが起こる前に、大志は仲裁に入った。
「俺は無事だ。だから、落ち着け」
「でも、君は傷ついた」
さすがに心配性すぎる。ただ殴られただけだ。もしも傷がついたとしても、時間がたてば治る。
大志は桃華の手を握って、その甲を撫でた。
「この手は、人を殴るためにあるわけじゃない。桃幸だって、それを望んでいないだろ?」
「ゆーちゃんの何がわかるっていうのよ!」
「桃華に比べれば、知らないことも多い。そんな桃華が、桃幸の意志を尊重しないで、どうするんだよ」
今まで桃幸の身の回りの世話をしてきたから、こうやって自立するとショックも大きいだろう。だが、それで八つ当たりしていては、桃幸のストレスになりかねない。
ただでさえ、人が二人も死んでいる。それも、相当なストレスとなっているはずだ。
「話はそれだけだ。あとは桃幸と話し合ってくれ」
次は愛の部屋だ。寝ていたとしても、何か不審な音などを聞いているかもしれない。
しかし、愛は首を横に振るだけだった。
「ごめんなさい。あたいはぐっすり寝てたから、何も聞いてない」
「本当に何でもいいんだ。不思議なことでも」
愛は目を伏せる。湊が死んだあとで、辛いだろうが仕方ない。湊のためにも、愛のためにも、犯人を見つけなければならない。そのためだと愛もわかってくれているが、湊が死んでしまったことに、まだ向き合えないようである。
「なら、朝の状況はどうだ? 廊下には、本当に誰もいなかったのか?」
「ええ……それで叫んだけど、誰も来てくれなくて……待ってたら、海太が部屋から出てきたのよ」
「そうだってん。それで、湊のことを聞いたってん」
朝の出来事は、本当のことのようだ。しかし、それで海太の疑いが晴れたわけではない。
大志は窓の外を見る。真下には、海があった。足場は見当たらず、出れば海に真っ逆さまだろう。窓から入ってきたと考えたが、無理だ。
「消灯後に、海太の部屋にある紐を手に入れ、それで湊の首を絞めたということだね」
「首を絞めた?」
湊は、首を吊っていた。首を絞められていたのとは、違う。
剛は湊の首に残っていた跡を指した。
「首の裏にも跡は残っていた。首を吊っただけでは、そこに跡が残るはずがない。だから、きっと首を絞められ、そのあとで首を吊るされたんだ」
「なんで、わざわざそんなことを?」
すると剛は口に手を当て、目を閉じる。
首を吊るせば、きっと犯人のお望み通り、湊は死んだはずだ。しかし、なぜ首を絞めてから、吊るしたのか。そこに、犯人に結びつく何かがあるはずだ。
「……もしかしたら、だけど……」
理恩が控えめに声を出す。それは、愛でも、剛でもなく、大志に向けられた言葉だ。
その声に、大志は肩の力が抜ける。
「どうしたんだ?」
「ここで首を絞めたら、湊が騒ぐんじゃないかな……って」
そこで理恩は、ちらっと愛を見た。
首を絞められた経験のない大志は、わからないことである。寝ていたら、気づかないものではないのだろうか。
「そうだね。湊なら、起きて抵抗したかもしれないね」
「寝てるところを襲われて、気づくものなのか?」
「それはどうだろうね……。被害にあったことがないから、僕はわからないな。でも、湊は勘がいいから、気づいたりしたんじゃないかな」
何とも曖昧な意見だ。しかし、犯人もそれがわからなかったとすれば、愛のいる部屋で湊の首を絞めたりしないはずである。もしも湊が騒いだら、それで目が覚めた愛に顔を見られるからだ。
だとすると、首を絞めたのは、別の場所だったことになる。
「別の場所で首を絞め、そして愛の部屋で吊るした。でも……誰が紐を……?」
大志が眉間にしわを寄せると、肩に剛の手が置かれた。
「やはり、海太なんじゃないかな? 海太の部屋には、海太しか入れないのだから」
「だが……海太が殺して、部屋に帰った……」
海太の部屋には、海太のカードキーがなければ入れない。
しかし、その考えを否定している。本能が、その考えを受け入れてくれないのだ。
「……何かが、情報が足りない」
「何の情報かな?」
殺害時刻は、消灯後。殺害現場は、愛の部屋以外のどこか。そして湊は、愛の部屋の窓の外に吊るされた。それを愛が発見したのは、朝。廊下で叫んでいると、海太が部屋から出てきた。
「……愛が目覚めたのは、何時だ?」
「え……5時くらいだった気がする。肌寒くて目が覚めて、窓が開いてたから覗いたら、湊が……ッ!」
その時のことを思い出してしまったのか、愛は苦虫を噛み潰したような顔をする。辛い思いをさせてしまって、大志まで苦しくなった。
「それで、すぐに助けを呼びに廊下へ出たのか」
「違う。自力で引き上げようとしたけど、無理だった。それで、廊下に出たの」
「それは何分くらいだ?」
「30分くらいだった」
つまり、5時半には廊下へと出ている。その時、廊下には誰もいなかった。
消灯後は、廊下からの解錠ができなくなる。その解錠システムが回復するのは6時だ。
そして廊下にいる愛が、部屋から出てくる海太の姿を見ている。
「なら、海太はやってない。海太だけじゃない。犯行は不可能だったんだ」
「どういうことかな? 現に湊は死んでいるんだよ?」
剛が大志を睨みつけた。
大志でも信じたくない。けれど、そうとしか考えられない。
消灯後に自由に出入りできたのは、愛の部屋だけだ。しかし、愛の部屋に紐はなかった。そもそも、愛の手では無理だ。そして海太の部屋にあった紐が誰かに盗まれたのだとしても、それを使って湊を殺したあとに部屋へと戻れなかった。
「無理なんだ。解錠システムが止まっている間に、殺され、発見されたんだ」
「それなら、誰に湊は殺されたというのかな?」
そんなの、考えられるとしたら一つしかない。
12人に犯行が不可能だったのだとしたら、いるとしか考えられない。
「俺たち以外の、13人目がいるのかもしれない」
「13人目? ここには12室しか部屋がないんだよ」
剛の言っていることは正しい。けれど、間違っている。
ここには12室しかない。たしかに、生徒の部屋としてあるのは12室だけだ。
「小路の部屋があるだろ。小路の部屋には、きっと全ての部屋を解錠できるマスターキーがあるはずだ。13人目はそれを使って、海太のいない間に紐を盗んだ。そして寝静まった頃、湊を殺し、また姿を隠した。ぶっ飛んだ話だが、そうとしか考えられない」
そしてその後は何もないまま、一日が終わろうとする。
13人目は、本当にいるかはわからない。けれど、注意するべきである。
だから、一緒の部屋で寝るべきだと言った。だが、愛はまだ他の人を信じられないと言って拒否する。念のために、湊の部屋に寝ることになった。剛も同様の理由で自室に籠る。桃華と桃幸は、二人で寝るから大丈夫だと言った。翔は扉越しに伝えても、反応がなかった。
「大丈夫だよな……」
桑菜にも言ったのだが、薄いリアクションで頷くと、扉を閉めてしまう。
だから、一緒の部屋で寝ることになったのは、大志、理恩、海太、詩真だけだ。監視カメラのある詩真の部屋を使う。
「これだけいれば、安心だってん!」
「全員が一緒に寝たら、意味がないからな。交代で見張りをするぞ」
しかし、問題は誰と組ませるかだ。見張りを一人にした場合、そいつが眠ってしまう可能性がある。だから、見張りは二人ほしい。大志と理恩が組んだら、もう片方は海太と詩真だ。海太と詩真を組ませて、本当に見張りをしてくれるか怪しい。違うことを始めそうである。だからといって、大志と詩真を組ませても同じだ。
「えっ、詩真と?」
「そうだ。もしも何かあれば、俺を起こしてくれ」
「わ、わかった」
理恩は困惑しながらも、承知してくれた。
もしも詩真が理恩を襲うようなことがあれば、思いっきり殴ってしまうかもしれない。
「ね、ねえ、ちょっといいかしら……」
詩真が、モニターを見上げて手招きする。
大志もモニターを見ると、そこには桑菜が歩いていた。
「もう消灯後だろ。どこかに行くのか」
「違うわ。これは、休暇期間前夜の映像よ」
それは、桑菜が伊織を殺した夜のことである。
しかしそんな映像を今さら見せて、いったい何だというのか。
「時間が書いてあるのだけど、見えるかしら?」
映像は、桑菜がこの扉の前にいる場面で停止された。
その右下に細かく日付と時刻が記されている。
「20時45分……ん?」
「そう。消灯15分前。そして、桑菜が階段を上がってきたのは、何分だったかしら?」
忘れたわけじゃない。けれど、確認するように、海太に顔を向けた。
「50分くらいだったってん!」
その差は五分しかない。そのたった五分の間に、桑菜は下の階での用事を済ませ、戻ってきた。
そんな短時間で、伊織を殺し、偽装工作をし、冷凍室に閉じ込めるなんて、できるだろうか。わからない。けれど、よほど手際が良くないと無理だろう。
「もしかしてなんだけど、本当に桑菜は伊織を殺してないんじゃないかしら?」
詩真の核心を突く言葉に、大志は言葉を詰まらせた。