1-5 『封魔の印』
オーガは動かない。そのせいで、大志たちも動けないでいる。
最悪な事態。封魔の印をなくしてしまったばかりに、こんなことになってしまうなんて。どこに向けていいかわからない怒りが、大志の中で膨らむ。
「お前たちの目的は、何だ……?」
「言葉がわかる相手じゃないみゃん!」
レーメルは手を広げ、大志の動きを抑制する。相手は魔物だ。人の言葉がわかるはずもない。
しかし、大志の言葉に反応するように、オーガたちはその場に膝をつく。それはさっき出遭ったオーガがしていたことと同じだ。その姿はまるで、忠誠を誓う騎士のようである。
『我らは、主様を探しておりました。無粋な行動をしてしまい、真に申しわけありません』
脳に響く若い男の声。これはもしや、オーガの声なのだろうか。
レーメルたちには、やはり聞こえていないようだ。しかし何故なのかがわからない。封魔の印はなくなり、もうオーガたちは自由なのだ。それなのに、なぜこうも頭が低いのか。
「ひれ伏せ」
オーガに本当に言葉が通じているのか、確かめる。
すると、オーガたちは一斉にひれ伏した。どうやら、本当に言葉が通じているようである。
「何をしたみゃん?!」
「いや、特に何も……」
抱えていた女の子を下ろし、恐る恐るオーガに近づく。そして、その黒く硬そうな肌に触れた。肌は実際に硬く、まるで艶のある岩を触っているようである。
オーガ。知能が高く、忠誠心は人一倍。主を探して、町の中を練り歩いた。
「魔物を従える能力……なのかみゃん?」
「これが能力だとすれば、納得できる……のか?」
これが能力である自覚はない。触れたものの情報を得る能力は、直観的に効果を理解していたし、自覚もあった。しかし今回はそれがない。
「なぜ俺が主なんだ?」
「唐突に何を言い出すみゃん!?」
頭一つくらい低い位置にあるレーメルの顔が、見上げてくる。
しかしレーメルに言ったわけではない。レーメルの顔をオーガに向けさせた。
『封魔の印から我らを解放してくださった主様に、従いたく思っております』
オーガの声が聞こえるのは、大志だけだ。なのでレーメルは、なぜオーガに顔を向けさせられたのかわからないようである。
「何が起こってるってん?」
空に浮かぶ海太が、この異様な光景に声を漏らした。
海太が能力を使っているということは、詩真たちはきっと無事だ。
「そっちの被害はどれくらいだ?」
「被害なんてないってんよ。それより、どうなってるってん?」
「……そうか。こっちも何がなんだか。戦闘の指揮をとっていたのは、そこにいるか?」
海太に連れられてやってきた男は、美青年だった。栗色の髪をしており、前髪で右目を隠している。中性的な顔立ちをしているため、一目見ただけでは性別の判断か難しい。それに童顔だ。
美青年の名は、ホモセリー・アイスーン。見た目や、髪をかきあげる仕草のせいで女に見えるが、大志の能力の前では騙すことはできない。見た目と同様に歳も若く、それでいて指揮官をやってしまうほどの実力がある。
能力は意思伝達。触った者たちの意識が一定時間だけ同一のものになる。しかし同一といっても、全員が一つのことしか考えられないわけではなく、全員の考えが共有される。戦闘などでは、言葉を介さないで作戦を立てることができるのだ。
「君がオーガを追い払ったようだね」
「そうだ。それで被害は?」
「見ての通り、建物や食物などに甚大な被害が出ている。けれど、君がいなければ被害はもっと大きかった。カマラの民を代表して、君に感謝の言葉を贈る。ありがとう」
混乱を防ぐため、オーガたちは森に帰っていつもの暮らしをするように言った。これで、オーガたちがまた攻めてくることもないだろう。
海太たちが来る頃には、オーガは一体も残らず消えていた。大志の命令は、絶対遵守のようである。
「町の入口付近に血が水溜りのようになってたが、負傷者がいるんじゃないのか?」
「……それはきっとオーガの血だ。町に侵入してきたオーガに恐れ、怪我をさせてしまったのかもしれない。そのせいでオーガは興奮して、町を壊そうとしたようだね」
オーガの肌は岩のように硬かった。そんな相手に怪我を負わせることなんて、できるのだろうか。
しかし負傷者がいないのは、不幸中の幸いだ。
そして、海太からだいぶ遅れて詩真とも合流する。ちなみに理恩は空間移動で、海太よりも先に合流していた。
アイスーンの仲間だろうか、日本刀を腰にさした男たちが、大志たちを囲む。
「そちらの女の子は、責任をもって送り届けるよ」
「お、そうか。頼んだ」
ぬいぐるみを抱いた女の子を、アイスーンに預ける。女の子の名は、ラフード・ルミセン。
ルミセンを送り届けるためにアイスーンがいなくなると、日本刀を腰にさした男たちが大志たちを囲む。そして一斉に腰から刀を抜いた。
「貴様らの身柄を拘束する!」
「何言ってんだよ。感謝してるんじゃないのか?」
オーガを追い払ったのは大志だ。しかし刀を持った男たちは、それを信じていないのだろう。
大志自身も、夢でも見ている気分だ。
「そうだみゃん! ひどいみゃん!」
拘束するというのはさすがに冗談だろうと、大志は男たちの間を通ろうとする。しかし、男たちに退く気配はない。それどころか、刀を振り上げたではないか。
咄嗟に腕を掴んで制止させる。どうやら、冗談ではないようだ。
「おとなしくしていれば、身の安全は保障する」
「ここは、素直に従うしかなさそうだな」
「で、なんでこうなったみゃん……」
地下にある牢屋。外からの光は、もちろんない。鉄製の格子から差し込む廊下の光が、唯一の光だ。カマラをオーガから救ったというのに、ひどい仕打ちである。
「まさか、あの小さな女の子に何かしたんですか?」
イズリが呆れたように声を漏らした。
胸を揉んだことを気にしているのか、イズリは心を開いていない。
「するかよっ! 俺は小さいのには興味がない!」
レーメルには何故か興味が出てしまうが、それはきっとレーメルの能力にある、相手の関心を自分に向けるというものなのだろう。
するとふと、理恩に目が向いた。その胸は断崖絶壁に近い。おの字も出てこないほどだ。すると、理恩は視線に気づいて睨んでくる。
「どうせ、私は小さいよーっだ!」
ぷいっと、身体ごと壁のほうを向いてしまった。
理恩のそういうところが可愛くも見える。
「そういや、レーメルが買ってた白い粉は何だったんだ?」
「あれはフェチルみゃん。水に溶かして飲むものみゃん。どろっと濃厚で少し苦味があるけど、後味が最高みゃん!」
レーメルの喉が鳴った。そんな反応されると、飲んでみたくなる。しかしそのフェチルは回収されてしまって、ここにはない。
「あぁ、飲みたいみゃん! 飲みたいみゃん!」
レーメルはじたばたと地面を転がるが、ないものはない。それに、場所を考えてほしい。ここは、広くはないのだ。
転がるレーメルを避け、それぞれが四隅による。大志と詩真、理恩、海太、イズリ。
「これから、どうなるのかしら?」
「それは、俺たちを捕まえたやつの気分によるだろ」
そもそも何故こんな事態になったのか。刀を持っていた男に触れたが、その情報は得られなかった。あの男も理由を知らないのかもしれない。
「なんで、こんな世界に来ちゃったのかしら……」
「それを知るために、深遠の闇の能力者を探してるんだろ」
格子から廊下の様子を見てみる。廊下には誰もいない。出られないという絶対的な自信からだろうか。
詩真に鉄格子を握らせる。そして、その横を握った。詩真に握らせたのは、呪いがかかっていた時のための保険である。
当然だが、この格子は鍵があれば開けられるらしい。得られた情報はそれくらいだ。
「海太の能力で、この格子の鍵を探せるか?」
「めんどうだってんな」
海太は壁に背をあずけ、大きなあくびをする。
しかし頼れる能力は海太だけだ。理恩の空間移動は、理恩しか移動できないから論外。
「頑張ってください……」
「よし、やってやるってん!」
イズリに応援された海太は、意気揚々と倒れこんだ。すると、転がっていたレーメルの背中に、ちょうど海太の頭が打ち付けられる。レーメルの動きは止まったが、海太は大丈夫だろうか。
期待して待つしか、大志たちにはできなかった。
「ふと思ったんだけど、私たちってお互いのことを、あまりよく知らないわね?」
海太がいない中、詩真に視線が集まる。
私たちといっても、大志たち四人はよく知っている仲だ。
「それもそうみゃん。慌ただしかったせいで、ゆっくり話す暇もなかったみゃん」
「ちょうど暇だから話そうってことか? 俺はいいけど、海太だけのけ者か?」
「あれは仕方ないみゃん。話したいことがあれば、あとで話すみゃん。それに一人欠けても、簡単な話くらいできるはずみゃんっ!」
遠回しにどうでもいいと言われてしまったけれど、海太には聞こえないのだろう。
そして最初に口を開けたのは、イズリだった。
開いた口が塞がらない。この世界に来てから驚きの連続だったが、これは今までで一番かもしれない。しかしこの驚きも、レーメルやイズリと知り合っていたからである。知り合っていなければ、イズリが町を治める家系の生まれだと聞いても、驚きはしなかったはずだ。
この世界では選挙がなく、町を治める家系の長男がその任を引き継いでいる。グルーパ家が治めるのはボールスワッピングで、大志たちが目覚めた町だ。そしてレーメルは、イズリ専属の教育係であり、世話係であり、護衛でもある。ただのギルド仲間かと思っていたが、根の深いところで繋がっていたようだ。
「でも、レーメルって歳は18だったよな?」
「16みゃん!」
レーメルは慌てて大志の口を塞ぐが、もうすでに言ってしまった。
口を塞ぐレーメルの小さな手を舐める。すると、レーメルは可愛らしい悲鳴をあげて後退した。
「そうだった、そうだった。……で、イズリは17だったな」
「そうです。そこまでわかるとは、奇怪な能力ですね」
イズリとレーメルは一つだけ歳が離れている。しかしこの世界には、学校という集団で勉学させる場所はない。そのため、例え歳が近くても、他人と親しく接する場所はギルドに入るまではない。ギルドに入り、そこで初めて集団としての生活をする。
イズリがギルドに入っているのは家を継ぐ必要がないからで、それの護衛としてレーメルも一緒に入ったらしい。
イズリとレーメルがどういった経緯で知り合ったかわからないが、聞いても二人は口を揃えて、家の事情と言うだけだ。レーメルの家族について聞いても、口を閉ざすだけである。
お互いを知るために自己紹介を始めたのに、これでは浅くしかわかりあえない。
「なんだか、よくわからないな」
「そっちも早く話すみゃん!」
レーメルに急かされ、詩真と理恩の顔を見やる。二人とも大志と同じで、元の世界について話すかどうかを迷っているようだ。せめて、この世界に連れてきた犯人を捜すまでは、イズリとレーメルとの関係を崩したくない。
「つい先日、俺の部屋に深遠の闇をかけたやつがいる。その犯人を捜すために情報を集めているところだ」
「昨日言っていたやつかみゃん?」
レーメルは汚れた手を、大志の服で拭う。
「そうだ。能力を使ってみたが、どうやらイズリという能力者の仕業らしい」
「……深遠の闇に、どうやって触れたんですか?」
その時、自分が失言してしまったことに気づいた。気が緩んでいたのかもしれない。
深遠の闇に触れられたのは、封魔の印が呪いの力を相殺してくれたからだ。だから、詩真のような能力を持たない人が触れば、たちまち魂を吸い取られてしまう。
封魔の印が大したものでないのなら、それをすぐに打ち明けられた。けれど、封魔の印は魔物の凶暴化を抑えていたもので、それをなくしたと知れれば、大志が非難されるのは免れないだろう。
「言われてみれば、おかしいみゃん。触ったら無事ではすまないみゃん」
封魔の印については、詩真たちにも隠してきた。まさか、こんな重要なものだとは思っていなかったのだ。
ここで黙り続ければ、逆に怪しまれてしまう。ここでもし言わなかったとしても、いずれは知られてしまうかもしれない。それなら、ここで白状したほうが罪は軽くなる。
「じつは、封魔の印と引き換えに触ったんだ」
「……封魔の印、ですか」
イズリは小さなため息を吐く。
そしてレーメルは、信じられないとでも言いたそうな顔を向けてきた。
理恩もレーメルの表情から察したのか、顔を強張らせる。
「とんでもないことを、してくれたみゃん……」