2-23 『そして二人目』
なぜか。そんなのは考えても、わかるはずがない。
今はそれよりも、目の前で怯えている理恩に何と言うべきか。それを考えるべきだ。
「ちっ、違う。俺は――」
「でも、ここは大志の部屋だよ。大志以外の人は、入れないよね……」
それはそうだ。大志の持っているカードキーがなければ、扉を開けることはできない。
つまり、大志が持ち込まなければ、この部屋にそれがあるはずがないのである。
「俺は何もしてないんだ。信じてくれ。俺は……」
「うん。大志がそう言うなら、私は信じる。私は信じるよ」
理恩はナイフを再び羽毛に隠した。
そして理恩は笑う。もうそこに、恐怖の色はない。
「ほ、本当か?」
「本当だよ。私は大志の味方」
ナイフを隠すと、理恩は大志の手を握った。
「いつだって、私は大志の味方だよ。だから、大志が言えば、私はそれに従うよ」
「そんなのを見て、怖くないのか?」
「……うん。大志になら、何されてもいいから……」
理恩は、大志をギュッと抱きしめる。
理恩の温もりが、大志の身体を包んだ。
「何されてもってなぁ」
大志は理恩の頭を撫で、理恩の匂いを鼻から吸い込む。
不思議と、落ち着いた。他のことなど、どうでもよく思ってしまうほどに、理恩と抱き合っていることが気持ちよかった。
「大志になら、殺されてもいいから……」
「そんなことするわけないだろ。理恩は、大事な……」
こんな時に、伊織のことが脳裏をよぎった。
伊織も、大志にとって大事な人だった。だが、もうここにはいない。
「大志が何を考えて、何に苦しんでいるのかはわからない。でも、その苦しみを紛らわすためだったら、何だってするよ」
「……なら、隣で笑っていてくれ。ずっと、隣にいてくれ。それだけで、俺は救われる」
できれば、伊織にもまた笑ってほしい。そんな望みが、大志をさらに苦しめる。もう伊織がいないという現実を突きつけた。
だからせめて、理恩だけでも笑っていてほしい。
「わかった。大志が、そう望むなら」
理恩は、大志の唇にキスをする。
そして、優しい笑顔を大志に向けた。
「私は大志の隣で、大志のために笑う。だから、大志が私を前へと引っ張ってね」
「……お安い御用だ」
夕食を食べていると、桃華が大志の前に座った。
だが、今日のご飯は桃華に作ってもらっていない。理恩が、桃華から教わって作ったものである。
「大志、口を開けて」
理恩に言われるがまま、大志を口を開けた。そして、その口に、理恩によって炒飯が運ばれる。
桃華のものとは違って、パラパラしていないし、焦げている部分もあった。だがそれが、この炒飯が理恩の作ったものだと教えてくれる。
「美味しいよ。桃華が作ったのより、ずっとな」
「よかったぁ。見た目がちょっと違ったから、心配してたけど……よかったぁ」
嬉しさからなのか、理恩の目からは涙が流れた。
その涙を、大志は手で拭う。
「泣くほど心配だったのか? けど、もう泣く必要はない。美味しかったんだから、笑ってくれよ」
「そう、だね。笑わなくちゃね」
理恩は、またしても優しく笑った。
その姿を、桃華がつまらなそうにじーっと見ている。
「そんなに見つめるなよ。桃幸はどうした?」
「ゆーちゃんは自立するって、一人でシャワーを浴びてるのよ」
「いいことじゃないか」
桃幸は、桃華と仲直りしてから、桃華にべったりだった。桃華も、桃幸にべったりだったが。
そんな桃幸が桃華から自立しようとしてるのは、きっといいことだ。そのせいで、また自傷が始まったら問題だが、それを考えていないわけないはずである。
「今まで、おねーちゃんがぜぇんぶやってきてあげたのよ! 食事でも、シャワーでも、トイレでも、ぜぇんぶおねーちゃんが手伝ってあげてたのに……なんで……」
「桃幸にも、恥じらいがあったんだろ」
食事だけならまだしも、シャワーもトイレもとなると、さすがに耐えられないというものだ。
桃華はテーブルの下で、大志のすねを蹴る。
「姉弟なのよ! 恥じらいなんて、あるわけないじゃないの!」
「……いや、姉弟だからこそだろ。それか、桃幸に何かをしたんじゃないのか?」
あの桃幸だ。多少のことでは桃華を嫌うなんてこともないはずである。だが、桃華も桃華だ。何か度のすぎたことを仕出かしそうである。
「何もしてない! ……わけでもないけど、きっと関係ないことよ!」
「いったい何をしたんだよ」
すると桃華は顎に手を当て、何かを考え始めた。
「なんて名前……て……てこ……みたいな名前だった気がする。詩真から、男子が好きなものって教えてもらったのよ」
「詩真から? 変なことを吹き込まれたんじゃないだろうな」
そんな大志の隣で、理恩が顔を真っ赤にしている。
理恩には、桃華が何をしたのかわかったのだ。しかし、顔を赤くするということは、やはりそういう系のことなのだろう。
「そ、それはダメだよ。相手のペースでやってあげないと」
「何をしたんだ?」
「そ、それは言えないよっ!」
理恩は顔を伏せてしまった。
そして桃華は、深くため息を吐く。
「ゆーちゃん、あんなにうっとりしてたのに、嫌だったのね」
「だから、何をしたんだ?」
しかし桃華は返事もせず、立ち上がった。
去っていく桃華を追おうとしたが、理恩によって止められてしまう。
「か、関わらないほうがいいよ」
「そう言ってもな……悩んでいるのなら、何かしてあげたいし」
「たぶん、大志に知ってほしくないと思う。桃幸は、特に」
理恩の必死さに負け、大志は追うのを諦めた。
他人の部屋に出入りして怪しまれるということも、避けたい。だからここはひとまず、様子見だ。
「じゃあ、俺たちも早く部屋に帰るか」
「大志が言うなら、そうだね」
理恩の作った炒飯を平らげ、使った食器を理恩に洗ってもらっていると、そこに剛が現れる。
「やあ、少しいいかい?」
「いいぞ。どうした?」
剛は大志にすり寄り、理恩には聞こえないように耳打ちをした。
「どうやら、桑菜の言っていたことは本当のようだよ」
「何のことだ?」
「桑菜の部屋や服などを調べたけど、ナイフは見つからなかった。本当になくしたようだ」
それは、大志の部屋にあったナイフのことだ。
桑菜のなくしたものが、大志の部屋にある。それが、ただなくしたものだったらよかったのだが、その刃は赤く染まっていた。それが大志の部屋にあると知れれば、疑われるのは桑菜から大志になってしまう。
「それじゃあ、桑菜はやってないってことか?」
「いや、それはわからないよ。運が悪いことに、ここは島だ。海に投げ捨ててしまえば、もう見つけられないだろう」
「そうか、海に捨てるって手段があったか」
なら、大志が隠しきれば、ナイフは海に捨てられたということで処理されるのだ。
大志は剛を一瞥し、剛から離れる。
「わかった。剛も、気をつけろよ」
「君に心配されるなんて、これも運命だね」
剛は軽く笑い、階段をあがっていった。
疑っていた様子はない。一安心するとともに、誰がナイフを入れたのか考える。犯人は、大志に濡れ衣を着せるためにやったのだろうが、その手口がわからない。
伊織を発見した後、部屋に誰かを入れただろうか。
「大志?」
「お、もう洗い終わったのか?」
「うん。それより、どうしたの?」
理恩は、知っている。だが、こんなところで話して誰かに聞かれたら、隠し通せない。
大志は理恩の手を握って、部屋へと引っ張った。
「どっ、どうしたのっ?」
「どうもしない。ただ、理恩に話しておきたいことがあるんだ」
理恩を部屋に入れると、押し倒した。
最初は驚いた様子だったが、察してくれたのか表情は優しくなる。
「俺は、悪くない。俺は伊織を殺してなんてないんだ」
「うん。大志は悪くない。殺してなんて、いないんだよ」
ただ、そう言ってほしかった。自分の言ってることを肯定してくれる言葉がほしかった。それだけが、今の大志の心を落ち着かせてくれる。
「なあ……俺は、大志だよな……」
「そうだよ。大志は、大志だよ。私の大好きな、大志だよ」
理恩は、大志の頭を両腕で包みこんだ。
そして大志の顔を、自分の小さな胸に押し当てる。
「でも、俺はこんなナイフ知らないんだ。俺の知らないところで、俺がこのナイフを使ったのかもしれない。俺は……俺が、伊織を……」
「違うよ。大志はそんなことしない。このナイフは……その、わからないけど、大志じゃないよ」
理恩が、頭を撫でてくれるが、撫でられれば撫でられるほど、胸が苦しくなり、涙が絞り出された。
大志には、自分がわからない。自分が何者なのか、わからない。
「うぅっ、おっ、おれはっ……」
「大丈夫だよ。私はここにいる。大志を知ってる私が言うんだから、信じて」
理恩は、そう言って頭を撫でる。
しかし大志には、その言葉だけで、十分だった。自分の知らない自分も、理恩が知ってくれている。大志の涙は、さらに溢れてきた。
「我慢しないで、泣いて。それで、苦しいことも悲しいことも流して、スッキリしよ」
そして、また朝がきた。休暇期間三日目の朝である。
「スッキリした?」
衣服の乱れた理恩は、大志の顔を覗きこんだ。
大志は、そんな理恩の頬に指を滑らせる。
「ああ、スッキリしたよ」
大志は起き上がり、理恩の乱れた服を正した。
もう大志は迷わない。伊織を殺したのは、大志ではない。犯人が、何らかの方法で、大志の部屋にナイフを置いていったのだ。
「さあ、また探すか。理恩も一緒に」
「うん。私はいつでも大志と一緒だよ」
理恩は、差し出された大志の手を握る。
まだ、終わっていない。大志の部屋にどうやってナイフを置いたのか。それを見つけて、そこで伊織の件は終わるのだ。
「やあ、どうやら笑って今日を迎えることは、できなかったようだよ」
扉を開けるとそこには、剛がいた。
その顔は笑っておらず、どこか真剣そうである。
「何かあったのか? 足でも踏んだのか?」
「……見たほうが早いよ」
剛は、静かに足を動かした。大志たちは、それを追う。
見たほうが、ということは、何か物が残っているということだ。桃華が、料理を焦がしたとかだろうか。もしそうだったら笑えるが、騒ぐほどのことでもない。
「もったいぶらずに、教えてくれよ。ヒントとかさ」
「……二人目だよ」
「な、なんだよ……」
そこは愛の部屋。ベッドの足に結ばれた紐が、湊の首に巻きついている。
湊は目を閉じたまま、じっと動かない。
「窓から吊るされていたようだよ。僕がきた時には、もう引き上げられていたけどね」
「誰が引き上げたんだ?」
「俺だってんよ。部屋から出たら、愛が叫んでたってん」
愛が最初に気づいたが、その手では上げられなかったということだ。それで、起きてきた海太に頼んだ。
普通だったら、愛がやったと言われるだろう。しかし、愛の手では不可能だ。それに、愛の部屋の扉に鍵はない。誰だって、入ろうと思えば入れる。しかし、それを知っているのは、小路を除けば愛、湊、大志だけであるはずだ。ここで愛を庇えば、疑われるのは大志である。
「愛がやったに決まってるじゃないの!」
桃華は愛を指すが、大志はそれを否定する言葉が出てこない。
「そうだってんな! 二条さんが言うなら、そうに決まってるってんよ!」
「まさか、伊織をやったのも愛なんて言わないわよね?」
詩真の言葉に、その場が凍り付いた。
しかし、そんなことはありえない。指の動かない愛に、できるはずがない。
「あたいは指が動かないのよ!?」
「そうだ。伊織の件も、今回のことも、愛にできるとは思えない」
「だが、この部屋は愛と湊しかいなかった。愛にしかできなかったんだよ」
剛は、大志を一瞥する。
愛は違うと言うのは楽だが、信じてもらうのは難しい。
「あたいの部屋は、鍵がかからない。だから、誰でも入ってこれる」
「それは、さっきわかったよ。でも、それを犯行前に知っていたのは、愛と湊だけじゃないのかい?」
大志が何も言わなくても、話は大志の望まない方向へと進んだ。
このままでは、大志が怪しまれ、部屋にあるナイフが発見されてしまう。
「大志も知ってる」
「ああ、俺も知ってる。だが、桑菜はどうなんだ? 桑菜も知っていたとしたら、寝静まってから部屋を抜け出した可能性はあるだろ?」
桑菜に部屋を出るなと言ったが、出れないわけではない。出ようとすれば、いつでも出れるのだ。
大志は焦りを顔に出さずに、全員を見渡す。
「君の言うことも一理ある。桑菜のところへ行ってみよう」
「そんなの知らないわよ! 愛がやったとしか考えられないわ!」
「本当かい? ここで嘘をついても、得はないよ」
「嘘じゃないわよ!」
桑菜は、今にも襲ってきそうな剣幕で、剛を睨んだ。
しかし大志も桑菜を睨みたい気分である。このままでは、ナイフが見つかるのも時間の問題だ。
「なら、それを確認するわ」
詩真はそう言って、自分の部屋へと入っていく。
大志たちは桑菜も含め、詩真の部屋に入った。
そして扉の上に設置されたモニターに目を向ける。詩真はリモコンのようなもので、画面を操作した。
映りでたのは、廊下。詩真の部屋の前を映し出している。
「これは、昨日の消灯時間くらいよ。そしてこれを朝まで早送りすれば、桑菜が愛の部屋に行ったかどうか、それに加えて理恩と大志が関わっているかどうかもわかるわ」
グッドジョブと、賞賛の言葉を贈りたいところだ。
これで大志の疑いは晴れ、ナイフが見つかることもない。
「それでは、いくわよ」
詩真は早送りをはじめ、画面の中の時の流れが変動した。
そして夜は更け、やがて朝がくる。しかし、画面には誰も映らなかった。桑菜も、大志も理恩も、愛の部屋には行っていないことが証明されたのである。
反対方向から、剛が大志の部屋へ向かうのが見えた。
「なるほど。なら、今回の件に三人は関わっていないということだね」
「いや、四人だ。詩真も部屋を出ていない」