2-22 『追究と追及』
「大志、どうしたの?」
「……伊織なのか?」
そこには伊織がいた。
水色のパレオがついた水着を着て、海辺に座っている。
その笑顔は、その声は、伊織だ。そこにいるのは、伊織以外の何者でもない。
「よかった、無事だったのか」
「何言ってるの、大志ってば変だよっ」
伊織は笑って、水を蹴った。
そうだ。あんなの、ただの夢だったんだ。伊織が、あんなことになるなんて、ありえない。
「ははっ、そうだな。何を言ってるんだか」
「大志ってば、今日はどうしたの? ほら、笑って」
伊織が満面の笑みを見せる。
もう、大志が悲しむ理由なんてどこにもない。ここに、伊織はいるのだ。伊織がここにいてくれる。
「本当に、笑っていいのか?」
「そんなこと聞かないでよ……」
伊織は顔を伏せ、ため息を吐いた。
伊織の言うとおりである。笑うかどうかなんて、自分で決めるものだ。
「そうだな。おかしかったな」
「そうだよ。私に、聞かないでよ……」
そこで、伊織は顔をあげる。
「私は、もう死んでるんだよ」
「うわぁァアあぁッ!」
大志は目を覚ました。
そこは、大志の部屋である。伊織を失って、一日がたったのだ。
「い、伊織……」
大志はありもしない望みを確かめに走る。
伊織の部屋の鍵は、大志が預かっていたのだ。
伊織の部屋を駆け込むと、そこにはベッドに横たわる伊織がいる。
大志は伊織の身体を揺らすが、伊織に反応はない。
「やっぱり、伊織はもう目覚めないのか」
伊織の髪を撫でると、ついまた涙が出てしまいそうになる。
だが、もう泣いてなんていられない。なんとしても、伊織をこんなことにした犯人を見つけるのだ。
「伊織のポニーテール、好きだったよ」
伊織は髪をポニーテールにしており、いつもの伊織である。
寝るときはツインテールになるのも、可愛かった。
「いや、なんで……ポニーテールなんだ……」
詩真は一緒にシャワーを浴びたと言っていた。
つまり、その時点でポニーテールからツインテールになっているはずである。
なら、なぜ見つけた時に、ポニーテールになっていたのか。
伊織をうつ伏せにしてポニーテールを持ち上げると、髪に隠れていた首の裏に深い刺し傷のようなものがあった。
正面からでは、見つけることもできない位置である。
「伊織は、凍死したわけじゃないんだ……」
「わざわざ集めて、何の話なのよ!」
桃華は、いまだに警戒心が強い。
しかしそれは桃華だけではない。まだ、この中に犯人がいることは、事実である。
「まだ翔が来てないな。……まあ、翔にはあとで話しに行けばいいか」
翔以外の全員を食堂に集めた。
話をするのはもちろん、伊織のことに決まっている。
「伊織が、その……冷凍室で死んでいた、のは見たよな?」
「本当に死んでいたってんか?」
「それは間違いないと思うよ。呼吸が止まっていたからね」
海太の問いに、剛が答える。
あの時、呼吸は止まっていた。死んでいたのである。
「伊織はいつもポニーテールだが、シャワーを浴びたあとはツインテールにする。一昨日の夜は、詩真が一緒にシャワーを浴びたといったから、そのあと呼び出された時は、ツインテールだったはずだ」
「たしかにそうだったわ。ツインテールにした伊織を見たわ」
詩真が思い出したかのように、言った。
やはり、伊織はツインテールにしていた。大志の読みは当たっていたのだ。
「俺は一昨日の夜に、伊織が冷凍室に閉じ込められたと勘違いしていた。でも、もしそうだったなら、伊織の髪はツインテールじゃないとおかしいんだ」
「つまり、翌朝に閉じ込められたということでござるか?」
「そうかもしれない。それで、ここへ最初に来たのは……」
大志は、桃華と桃幸へと視線を送る。
厨房に最初に訪れたのは、桃華と桃幸だ。二人が何も見ていないのだとすれば、犯人は二人が来るよりも早く、その場を離れたことになる。
「二条さんは、やってないってんよ!」
一言もそんなことを言っていないのに、海太は桃華を庇った。
しかしそんなことは百も承知である。
「疑ってなんていない。まだ謎は残っている」
「あら、何が残っているのかしら?」
桑菜は大志の前に立ち、代わりに喋り始めた。
「理恩の持っていた鍵、あれに似ている鍵を小路の部屋で見たわ。きっとそれが、スペアキーだったのよ。そして、そのスペアキーを使って、あなたたち二人が伊織を閉じ込めたんだわ!」
桑菜の指は、まっすぐと桃華へと向けられる。
もしも桃華と桃幸が、小路の部屋への鍵を持っているのだとしたら、桑菜の言っていることに可能性はある。しかしそこに、大志が新たに得た情報を加えれば、二人の犯行は難しいものとなるはずだ。
「ははっ、名推理だね」
「ちっ、違うッ! そんなことしてない!」
解決して一息つく剛と、それを否定する桃華。
大志がどちらにつくかなんて、わかりきっている。
「そうだ。桃華じゃない。もちろん、桃幸でもない」
大志の言葉に、桑菜の意見に傾いていた空気がどよめいた。
桑菜は振り返りぎわに大志を睨み、胸倉を掴んだ。自分の意見を否定され怒ったのか、それとも別の理由か。
「二人に犯行は可能だったわ! どこに疑う余地があるのよ!」
「たしかに犯行は可能だ。だが、それは桑菜も同じだろ?」
大志は桑菜の手を離させる。そして湊を一瞥し、再び桑菜に視線を戻した。
桑菜は悔しそうに顔を歪めている。
「ど、どういうことだってん? 桑菜が何をしたってん?」
「桑菜も、伊織を殺すことはできた。ただ、それだけだ」
自然と、全員の視線が桑菜に集まった。
「わ、私が伊織を? どうやって?」
「もしも、伊織を呼び出したのが、桑菜だとしたら辻褄はあう」
「私は小路に呼び出されたわ! 伊織なんて、呼んでないわよ!」
桑菜は、大声で訴えてくる。しかし焦っているのか、その頬には汗が伝っていた。
「小路に呼び出されたのは、きっと事実だ。そして、その時にパイプ椅子と紐、それと冷凍室の鍵を受け取ったんだ。パイプ椅子と紐は、桃幸がまた暴れた時のためにとでも言えば怪しまれずに借りられる」
「ふざけてるわッ。どうやって、冷凍室の鍵を受け取ったっていうの!」
「小路の本当の用件は、それだったんじゃないのか? 理恩が鍵を持っているが、それを使ってくれるかわからない。だから、保険として桑菜にスペアキーを渡した」
食料の入っている場所だ。理恩が気づかなければ、そのまま飢え死にしてしまう。もしものことを考えれば、保険として違う人に鍵を渡すはずだ。
それがたまたま、桑菜だったというだけのことである。
「そ、そんなの憶測だわ。私が伊織を殺した証拠にはならないわよ!」
「そうだ。だから、証拠となるようなものを見つけた。伊織の首の裏に、とても深い刺し傷のようなものがあった。この中でそんな傷をつけられるのは、桑菜のナイフと湊のハサミだ」
唐突に話を振られ、湊は目を丸くした。
愛も驚いたような顔で、湊を見る。しかし、湊のそばから離れようとはしなかった。
「何を言っているのかしら! 厨房にだって、包丁があるわ」
「いや、厨房の道具に使われた形跡はなかったよ。それは僕が保証する」
剛は、スペアキーを探して厨房内をくまなく探していた。その剛が言うのだから、間違いないのだろう。
大志は桑菜と湊を交互に見やった。その慌てようから、桑菜の怪しさが増えていく。
「二人とも、見せてくれないか?」
すると、湊はすんなりとハサミを出した。何人かの髪を切ったが、まだ綺麗である。
そして桑菜はというと、バツが悪そうな顔でナイフを出すのを渋っていた。
「それは、出せないということか?」
「な、無くしたわ。もう、持ってないのよ」
桑菜は目をそらすが、それは肯定と思われても仕方ない。
「ちょ、ちょっと待つってん。あの時、桑菜は一人であがってきたってんよ。そもそも、伊織があんなのになったのが朝だったなら、なんのために呼び出したってん?」
「そうだわっ! 何のために、私は伊織を呼び出したのよ!」
「それは、伊織を殺すためだ。あの夜、桑菜は伊織を殺害し、椅子に縛りつけて冷凍室にいれた。殺害時刻を偽装するため、綺麗にポニーテールにしてな!」
それが、大志の導き出した答えだ。これが絶対にあっているという確証はない。しかし、この答えが、考えられる最適解である。
桑菜は大志を睨み、床を蹴った。しかし直後、桑菜は床に身体を押さえつけられる。湊が腕を拘束して、動きを封じたのだ。
「もう、言い逃れはできないでござる」
「私はやっていないわッ! ふざけるんじゃないわよォッ!」
「もしやっていないのだとしても、この休暇期間が終わるまで部屋から出ないでくれ。俺の望みはそれだけだ」
今の大志にできることは、それだけである。もう伊織が返ってこないのなら、これ以上の被害を抑えることしかできない。
桑菜を部屋へと閉じ込め、大志たちはやっと一息ついた。
「それじゃあ、これからどうするのかな?」
「桑菜は捕らえたが、注意はし続けたほうがいい。あまり部屋の外には、出ないほうがいいな」
「そうでござるな。念のため、というやつでござる」
その場を離れていくみんなに、大志は軽く手をあげた。
「……じゃあ、笑って明日を迎えよう」
笑うと、伊織を思い出す。伊織が笑ってくれる。伊織のため……いや、自分自身のために明日も笑いたい。笑っていれば、こんなことはもう起きないはずなんだ。
大志の拳に、自然と力が入る。
「おーい、いないのかー?」
翔の部屋をノックするが、返事がない。
不思議なやつではあるが、それでも割としっかりしているはずだ。そんな翔が寝坊ということもないだろう。
しかし、いくら待っても翔から返事はなかった。
「おや、まだ出てこないのかな?」
桑菜を閉じ込め、大志以外は食事をしに食堂へと行った。
そして一番早く帰ってきたのが、剛である。
「そうなんだ。剛も何か言ってくれよ」
すると剛は腕を抱えて何かを考え始めた。
そして途切れ途切れで言葉を紡ぐ。
「もしかしたら……翔も……君を、でも……ありえ……る、のかな?」
「何を言ってるんだ。わかりやすく言ってくれ」
「翔も君に恋をしたんじゃないのかな? 僕のようにね」
そう言って、剛は大志の手の甲に口づけをした。
しかし大志にそんな趣味はない。すかさず手を引っ込める。
「おや、悲しいなぁ。……そういえば、理恩が一人で悲しそうにしていたよ。行ってあげなくていいのかい?」
「俺は翔に話があるんだ」
「なら僕が、ここで翔を見張っているよ。だから、理恩のところへ行ってあげてくれないかな?」
それなら、大志がここにいる理由もなくなる。大志は食事もまだなので、ちょうどいい。
それに理恩が悲しんでいるというのも気になった。
「じゃあ、翔が出てきたら、俺のところにくるよう言ってくれ」
「わかったよ。理恩とちゃんと仲直りするんだよ」
剛の笑顔が妙に気持ち悪く感じられ、大志は足早にその場を離れる。
「大志……」
桃華に朝食を作ってもらい、それを持って理恩の隣に座った。
すると、テーブルの下で理恩が手を握ってくる。
「どうしたんだ?」
「大志は、どこにも行かないよね……」
不安そうに眉が垂れる理恩に、大志は微笑んだ。
そして理恩の手を握り返す。強く、強く、その意思を心に刻むように。
「俺はずっと理恩と一緒だよ。だから、理恩もどこかに行ったりしないでくれよ」
「……うん。大志が望むなら、私はずっと一緒にいるよ」
理恩は、大志に身体を預けた。
それは信頼してるからこそ、安心しているからこそ、できることである。
「食べ辛いんだが」
「なら、私が大志の手になるよ」
桃華に作ってもらった炒飯をスプーンですくって、大志の口へと運んだ。
それはまるで、桃華が桃幸にしていることのようである。
「子供じゃないんだから、一人で食えるぞ」
「……ごめん。私の使ったスプーンでなんて、食べたくないよね……」
理恩はしゅんと目を伏せた。
そんな顔を見せられたら、大志も何もしないわけにはいかない。
理恩のスプーンにむしゃぶりつく。
「ああ、美味しいな。だから、もっと食べさせてくれ」
「ほ、本当に美味しい?」
「ああ、だから早く食べさせてくれ」
口を開けると、理恩は喜んで次をすくった。
理恩には笑っていてほしい。そう望んだのは大志だ。そんな大志が、理恩の笑顔を奪うなんてできない。
すると、厨房から出てきた桃華が、大志と理恩の前に座る。
「なんで、他人の作った料理で、そこまでイチャイチャできるのよ」
「羨ましいか?」
「そういうこと言ってるんじゃないのよ。ちなみに私にはゆーちゃんがいるから、大丈夫よ」
そんな今更なことを堂々と口にし、桃幸の隣に座った。
桃幸は、桃華に作ってもらったであろう餃子を食べている。前に餃子が好きといっていたのは、本当だったようだ。
「何が大丈夫なんだ……」
そんな疑問を漏らしつつ、運ばれてくる炒飯を平らげた。
「今日、一緒に寝てもいい?」
部屋でやることもなく、ただ時間をすごしていると、理恩がそんなことを言った。
「そんなの、いいに決まってるだろ」
「……うん」
理恩は意味もなく前髪をいじる。
あれから時間がたち、すでに夕方だ。結局、翔と会うことはできなかった。けれど翔のことだ。いち早く部屋に籠ったということだろう。
「それにしても、やることがなくて暇だな」
「なら、寝ようよ」
「まだ寝るような時間じゃないだろ」
「ちょっとだけだから」
そう言って、理恩は身体を倒した。
すると、そのせいで、まとめていた羽毛が舞う。
「あ、ご、ごめんっ」
理恩は慌てて羽毛を集めた。大志もやることがなかったので、手を貸す。
しかし、そんな二人の目に、ここにあるはずのない物が移りこんだ。
「な、なんで、大志の部屋に……」
刃を赤く染めたサバイバルナイフ。それが、羽毛に隠れていたのである。
それは桑菜が持っていたはずのもの。そして、伊織を殺めたものだ。
「お、俺は、何も知らないぞッ!」