1-4 『迫り寄る危険』
「絶頂……するのか?」
「絶頂になるって言ってるみゃん」
絶頂といえば、大志の右隣で失神しかけている詩真のようなことをいう。特殊な薬であればそれもありえるのかもしれないが、露店に堂々と売ってるはずはない。
「わざわざ絶頂する必要はあるのか?」
「絶頂するって言い方はおかしいみゃん。絶頂は力が溢れてくる状態のことみゃん。少し身体が敏感になるけど、それは仕方ないみゃん」
荷車の揺れだけでも、びくんと反応する。
その反応からして、敏感になっているのが少しだけではないと確信できた。
「勘違いか。それで、なんで絶頂になりたいんだ?」
「まだ手が痛いからみゃん。絶頂になれば、回復も早いみゃん」
レーメルは手をグーパーグーパーと繰り返す。
まだ痛いと言われても、いつ痛めたのかを知らない。思い当たることといったら、荷車に乗り込んだ時だ。イズリを抱えていた負担のせいで、手を怪我したと考えられる。
ためしに痛いという手を、強く握ってみる。するとレーメルは、快楽に染まった顔をした。
「痛いんじゃないのか?」
その顔は、痛がっているようではなかった。それどころか、逆に気持ちよくなっているように見える。
レーメルは歯を食いしばって、荒い鼻息を漏らした。
「絶頂になると、感覚が敏感になるんですよ。だから、ひどく痛いと思います。……ですが、レーメルは痛いのが好きな変態さんですから……」
イズリが代わりに口を開いた。レーメルと同じギルドでやってきたイズリが言うのだから、間違いないのだろう。
「たしかレーメルの能力に、触った相手に自分の痛みを押しつけるってのがあったよな?」
「なっ、あぁぁ、なん、で……んぅっ、そ、それを……知って――んぅっ!」
「だから、俺の能力は情報を得るって言っただろ。能力だってバレバレだ」
レーメルは手を握られた痛みに、甘い吐息を漏らす。
そんなレーメルの姿を見ていると、大志の手に激痛が走った。まるで鞭で叩かれたような鋭い痛みが、永続的に伝わってくる。それが痛みを押しつける能力だと即座に気づいた。
「離すみゃんっ!!」
レーメルは、大志の手を振りほどく。
すると、大志の手を襲っていた痛みもすんなりと消えた。
「そんな強い痛みだったのか。絶頂になるって怖いな」
握っただけで、あの痛みだ。転びなんてしたら、いったいどうなることか。考えただけでも恐ろしい。他人に痛みを押しつける能力があるから、レーメルは平然としていられるのだろう。
大志はレーメルを痛めつけないように、できるだけ距離をとった。しかし場所は限られており、詩真のほうへ逃げるか、イズリのほうへ逃げるかの選択である。大志がどちらに行くかは、決まっていた。
「それで、なんで手が痛いの?」
周りへ迷惑をかけていたことに気づいたのか、理恩は膝を抱えて小さくなっている。
元気がなくなったように見えて、少し寂しい。幼い時からずっと一緒だったせいで、そんなわずかな変化でもすごい心配してしまう。
「物流ギルドに交渉に行った時みゃん。引き受けるから、マッサージをしてほしいと言われたみゃん」
レーメルは握られていた手を、もう片方の手で擦る。
そして思い出すように、語りだした。
「いつも物を運んでるから、こり固まってたみゃん。だから一人終わらせるだけで、手が痛くなったみゃん。……なのに、ギルドメンバー全員のマッサージをするよう言われたみゃん! やらないと引き受けてくれないと言われ、仕方なく……痛かったけど、やるしかなかったみゃん」
どうやら下手に出たことをいいことに、好き放題レーメルを使われたようだ。
しかしギルドメンバー全員をマッサージしたのに、実際に来たのは一人だけ。これではレーメルの働き損だ。
「大変だったな。俺のために……」
「それはいいみゃん。筋力もなさそうだし、歩いて行くほうが負担になったみゃん」
「煙が見えるってん……」
やることもなく、眠そうな理恩を何気なく眺めていると、海太が声を上げた。しかしここは荷車の中で、布に覆われて外は見れない。それに、荷車の中で煙が出ているわけでもない。
「そこからどうやって話を広げるんだ?」
「いや、ふざけてるわけじゃないってん。アクトコロテンの先に煙が立ってるのが見えるってんよ!」
アクトコロテンの先。それはつまり、カマラのことだ。
工場があるわけではない。かといって、たき火をしているはずもない。
「まさか、カマラで何かあったみゃん?」
レーメルは布をめくり、こっそりと外を見た。
しかしそんなことをせずとも、海太が言っているからには本当である。海太の能力で、たまに外を眺めるように言っておいたのだ。
「話し合うより、確かめたほうが早いだろ」
こんな時でも、大志は他人頼り。海太の能力で、煙のもとを見てもらう。海太の能力は万能であるけれど、能力を使っている間は本体が無防備だ。だから今の海太を殴れば、受身すらとれない。
すると海太の口が開き、なんともだらしない顔になる。そして待っていると、開いていた口が動き、言葉をつくった。
「町から煙が出てるってん。中で争いが起こってるみたいだってんよ」
カマラは大きな町だ。食料や衣類、情報などの流通の要となる町である。そこで内乱が起これば、その被害はカマラだけではすまない。ボールスワッピングやサヴァージングにも、それなりの影響があるはずだ。
「なんか物騒だな。これから行くのに、大丈夫か?」
レーメルは表情を強張らせ、荷車を引く男の肩を叩き、急がせた。
どうやら異常事態のようである。大志たちが訪れる時にちょうど争いごとなんて、運が悪い。
「これはひどいみゃん……」
町は荒れていた。町と森を区切るように建てられた壁は崩壊し、家や地面まで壊れている。そして、そこらじゅうに潰れた食べ物と、赤い水溜りができていた。
何が起こったのかなんて、考えるまでもない。大志は走り出した。
町の中央部に近づけば近づくほど、被害は少なくなっている。どうやら内乱というわけではないようだ。内乱にしては、町の壊れ方にバラつきがある。
「なら、いったい何が町を壊してるんだ?」
見回しても、人の影すら見当たらない。逃げたのなら安心だが、まだそう決めつけるわけにはいかない。
荒れた息を整え、振り返った。するとそこには……
「ギヤァァアアッ!」
奇声を上げる、人とは異なる存在。人よりも一回り大きく、大きく開かれた口には尖った牙が生えている。
それを見た大志は、足がすくんで動けなくなった。元の世界にはこんな生物はいなかった。だから直観的に、それが魔物であると理解した。
しかし魔物も、大志を見下ろしたまま動かない。
「走るみゃん!」
声が聞こえ、イズリを抱えたレーメルが駆けてくる。
どうやら魔物は、イズリの動けなくなる呪いにかかっているようだ。欠点だらけと思っていたが、こんなところで助けられてしまった。
しかし足がすくんでいるので、走れるわけがない。
「こんなところで死ぬ気かみゃん!」
レーメルにタックルされ、尻餅をつく。
そのおかげか、足の自由が戻った。そしてレーメルを追って走る。
少し離れた場所で建物の影に隠れると、止まっていたイズリが動いた。これで呪いの効力は切れる。止まっていた魔物も、動き出すはずだ。
「あれはオーガみゃん。近隣の森で生活している魔物みゃん」
「魔物は人を襲わないんじゃないのかよ!」
そう聞いていた。なのに、オーガという魔物が町を壊している。明らかな敵意がなければ、こんなことはしない。
しかしレーメルの表情を見れば、レーメルも困惑しているのだとわかる。
「誰かがオーガを刺激すれば、話は別みゃん」
「そんなことをして、何のためになるんだ?」
オーガを興奮させたところで、暴れるだけだ。そうなれば、被害が出るだけである。
そんな誰にも得がないことを、すき好んでする者の気が知れない。
「カマラが、崩壊するみゃん」
「だから何の……って、まさか、それが理由か?」
「信じられないけれど、ありえるみゃん」
カマラに何か恨みがある人物の犯行だ。しかし、なぜわざわざ魔物を使う必要があったのか。考えれば考えるほど、わからなくなる。
カマラは、ボールスワッピングとサヴァージングの中央に位置する大事な町だ。ここが失われ、魔物に占拠されれば、連携を取れなくなり他の町が崩壊するのも時間の問題となる。
「カマラの戦闘ギルドが戦っているはずみゃん。そこに合流するみゃん!」
ボールスワッピングにギルド館があるように、このカマラにもギルド館がある。そしてそこにも戦闘ギルドがあり、戦っているというのだ。しかしこの惨状を見たらわかる。戦闘ギルドは劣勢だ。
「詩真たちはどうしたんだ?」
「先にギルド館へ向かうように言ったみゃん。仲間の力を信じるみゃん!」
イズリを下ろし、レーメルは走る。
迷っている時間はない。オーガを討伐し、この町を救わなければ、さらに被害が増えるだけだ。
レーメルのあとを追おうとした時、袖を引かれる。振り返ってもそこには、イズリがいるだけだ。
「もしかしたら、封魔の印がなくなったのかもしれないです」
その言葉に、大志の思考は一瞬だけ停止する。
それは、目覚めたときに胸に描かれていたものだ。深遠の闇に触れた時になくなってしまったが、それとこの惨事に何か関係があるようだ。
「それがないと、どうなるんだ?」
「魔物の凶暴化を防いでいたのが、封魔の印です。それがなくなれば、凶暴化を妨げるものがなくなり、魔物は最大限の力を発揮してしまいます」
つまり今のオーガたちは、最大限の力でカマラを破壊しているのだ。大志が不注意に深遠の闇に触れたばかりに、カマラは崩壊しかけている。
その事実が、大志を焦らせた。
「なら、急がないとだ――」
イズリの腕を掴み、レーメルのあとを追った。遠くなってしまったが、まだ見える位置にいる。見失わないうちに合流しないとだ。
しかし視界の端で、人の影が動く。見ればそこには、スカート部分がふわっとした白いドレスを身に纏った女の子が走っていた。
レーメルとは別の方向へと走っている。どこに向かっているのかわからないが、一人にさせるわけにはいかない。イズリにレーメルを追わせ、女の子のあとを追った。もしもオーガと会ってしまったら、女の子一人で逃げられるわけがない。
「そこの女の子ッ!!」
叫んでも、止まってくれない。さすがに聞こえているはずだ。
そして一本道を走っていたら、やがて広い通りへと出た。建物は半壊、舗装された道はいたるところがめくれ上がっている。ここはオーガが通ったあとなのだ。
女の子は、そこに落ちていたぬいぐるみを抱きしめる。
「それを拾うために、こんなところまで?」
声をかけると、女の子はぬいぐるみを抱きしめたまま、一歩後退した。助けに来たのに、逆に怯えさせてしまったかもしれない。
「あ、あなたは……」
「俺は大志。ここにいたら危険だ。逃げるぞ!」
しかし女の子は動こうとしない。それどころか、大志を見ていないのだ。大志の頭よりも高い位置に視線を向けている。
振り向くとそこには、オーガの姿があった。さっき出会ったオーガよりも細く、背が高い。そして、その目は大志を見ている。標的が大志なのはいうまでもない。
危険を感じた大志は、女の子を抱えて走った。人間の足で逃げきれるかはわからない。それにイズリの言っていたことが正しいのなら、封魔の印がなくなったオーガは最大限の力を発揮してくる。大志は自分の非力さを痛感した。
抉れた地面を避けながらなので、必然的に足は遅くなる。しかしオーガの足は思っていたよりも遅い。大志についてくるのがやっとのようだ。
これなら、もしかしたら逃げられるかもしれない。そう思った時――
「えっ……」
大志の頭上を、黒い影が通り過ぎる。そして、目の前で着地した。追いかけてきたオーガだ。大きな身体からは想像できない跳躍力である。
死を悟った大志だったが、オーガはじっと動かない。大志を見下ろしたまま、動作を止めた。その姿は、呪いによって身体の自由を奪われたかのようにも見える。
「まさか、またイズリに助けられたのか……?」
辺りを見回す。しかし、イズリの姿はどこにも見当たらない。まさか一人で来たということもないはずだ。オーガがうろついている町の中で、そんな危険をおかすはずがない。
すると止まっていたオーガが動き、片膝を地面につける。
「な、なんだ……?」
『やっとお会いできました。我らが主よ』
脳に直接聞こえてくる声。頭がズキンと痛む。今まで、こんな会話をする人はいなかった。
抱えている女の子には聞こえていないらしく、不安そうに見上げてくる。つまり、声は大志にしか聞こえていないということだ。
「どうなってんだ。ちくしょうッ!」
オーガに背を向け、今まで走ってきた道を戻る。
脳に語りかける能力者でも近くにいたのか。そうだとしたら、悪ふざけがすぎる。しかし、なぜか大志を『主』と言っていた。今まで誰かの主になった覚えがないので、それも不思議だ。
「――大丈夫かみゃん?!」
噂をすればなんとやら。レーメルがイズリと一緒に来てくれたのである。
しかし安心はできない。見れば、その後ろからオーガが追ってきていた。二人は咄嗟に気づいて、大志のすぐ隣まで移動する。
「戦闘ギルドと合流したんじゃないのか?」
レーメルはギルド館へと走っていた。そしてイズリもレーメルを追って、ギルド館へと向かった。
二人だけがここへ来たということは、ギルド館へとつく前に折り返してきたのだろう。
「それよりも、仲間が優先みゃん!」
「そうです。仲間を一人になんてさせません」
戦闘ギルドを連れてきてくれれば何とかなったかもしれないが、三人と女の子ではオーガ2体をどうにかできるとは思えない。
イズリの呪いも戦闘向きなものはあまりない。そう考えると、この場で戦力になるのはレーメルだけだ。それの補助としてイズリの呪いを使うとして、オーガ2体をレーメルに任せるのは無謀すぎる。やはり大志も戦いに参加せざるをえない。
そうこう考えているうちに、状況はさらに悪くなる。
2体しかいなかったはずのオーガが、大志たちを囲むように複数体に増えているのだ。
「戦闘ギルドが戦ってるんじゃないのかよ!」
「もしかしたら、最悪の事態かもしれないみゃん……」