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逆転転移のカタルシス  作者: ビンセンピッピ
第二章 戦慄の世界
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2-13 『苦悩の先』


「理恩……」


 隣の机に座る理恩は、悲しんでいた。

 その理由がわからないほど、大志は愚かではない。


「おや、これも運命」


 反対側から聞こえる笑い声にイラつき、拳に力がこもる。

 しかしそれで、誰かを殴るのは自分勝手というものだ。こうなってしまったのは、大志の性である。それがわかっているから、大志も苛立ちを抑えるのに必死だ。


「何があったでござるか?」


「いや、これは俺一人の問題なんだ。口出ししないでくれ」


「そうでござるか。だが、いつでも手を貸すでござるよ」


 湊だけじゃない。真水も山崎も、心配そうに顔を向ける。

 しかし、理恩との仲を戻すには何をしたらいいか、全く思いつかない。


「この気持ちが消えるまでは、大志への思いは変わらない」


 理恩の微笑み。それが大志を後悔のどん底へと叩き落とした。

 理恩はあの時のことを誤解している。あれは中田に襲われて、仕方なかった。しかし、そんなことを言ったところで、理恩が笑顔に戻ってくれるはずもない。きっと大志に懐疑の目を向けることだろう。


 理恩に嫌われるなんて、胸が苦しいどころの話じゃない。いつも隣にいてくれた理恩が、急にどこか遠くへ行ってしまったかのような気分だ。


「あれは、違うんだ。理恩の思ってるようなことは、全くない」


「いいよ……、気にしてないから」


 理恩は大志とは反対を向いてしまう。

 しかし、大志の反対には何もない。あるとすれば、コンクリートで作られたであろう灰色の壁だ。

 つまり、理恩から拒否されている。目を合わせたくないし、話したくもないということだろう。


 悔しさから、歯を食いしばった。自分への怒りで、どうにかなってしまいそうである。



「どうしたら、いいんだ……」


 その日の授業は、全く身に入らなかった。

 しかしそれでも大丈夫である。なんせギルチから習ったことでほぼ補えるからだ。


 今は勉強のことよりも理恩のことである。

 授業が終わって話しかけようとしたら、すぐさまどこかに逃げられてしまった。


「悩んでるな」


 食堂で、汁を吸って麺が伸びたソバと睨めっこしていると、無表情の榊が隣に腰を下ろす。

 人前では絶対に話しかけてこないくせに、こうやって一人でいるとすぐ話しかけてくるのだ。


「ああ、悩んでるさ。どうにもならない」


「情報がないのに、早いな。……だが、正解だ。お前の歩く先に希望はない」


 そう決めつけられると、立ち直れそうにない。

 榊はグサグサと相手の悲しんでいることを抉る。そんなことをして、何が楽しいのか。


 大志はやっとソバを口に入れた。昨日とはまるで味が違う。


「いろいろ探ってみるといい。そうすれば、悩みもなくなる」


「いろいろ、か……」


 榊は今日も牛丼を食べるようだ。卵もちゃんとある。


「今日も牛丼か。同じもの食べてて飽きないのか?」


「何を言っている。同じではない。今朝の牛丼と、この牛丼は別物!」


「それは屁理屈だろ。そもそも、朝から牛丼なんて食べてるのか」


 それはそれで驚きだ。榊は細くて小さい。バランスが偏りすぎて、身長が伸びなかったのだろうか。

 榊は卵を割りいれ、食べ始める。とても美味しそうに食べるので、大志も食べたくなった。

 しかし大志には伸びたソバがある。いくら腹を鳴らしたところで、それを大志が食べねばならないことには変わりない。


「人は外見で判断しすぎる。それは、あまり他人と関わりたくないという気持ちの表れだ。大事なのは外よりも内側。外見が同じでも、その内側に変化はきっとある。……大上も、それはわかっているよな?」


「よくわからないが、つまりはアレだろ。スカートを穿いてるけど、内側を見ないと男か女か判断できないってやつ」


「……そんなところだ。今回のことも、奥の奥まで探ってみるといい」







 食事を終えた大志は、理恩の部屋の前へと来ていた。


「榊が言ってたのって、理恩の思いを確かめろってことだよな……」


 今になって不安になる。さらに怒らせてしまったら、大志は立ち直れないかもしれない。

ㅤしかし、悩んだところで何も解決しない。たとえ傷つくことになっても、大志は一歩を踏み出さなければいけないのだ。真水や湊や山崎が、踏み出したように。


ㅤ大志は重たい扉を叩いた。

ㅤ音は妙に耳に残り、嫌というほど鳴り響く。そのせいか、理恩が扉を開けるまで、とても永く感じられた。


「大志……」


ㅤ扉が開き、理恩が姿を現す。けれど、その目は一度大志を捉えると、伏せられてしまった。

ㅤ大志から目をそむけたい。大志なんて見たくない。そう思われているのかもしれない。


「昨日のことは、誤解なんだ。中田に押し倒されて、それで」


「それで大志も脱いだんだよね……。うん……」


「ちがっ、あれは……確かに脱いでたけど、違うんだ。やましい気持ちで脱いだわけじゃない!」


ㅤその言葉に、理恩は頷く。そして、作り笑いをしてみせた。


「わかってる。……わかってるから」


ㅤそして扉がゆっくりと閉められる。しかし、ここで閉じられてはここまで来た意味がない。

ㅤ閉じられていく隙間に腕をねじ込み、無理やり開かせた。


「な、なにっ?」


ㅤそんな大志に驚いたのか、理恩はバックステップで後退する。なので、部屋への侵入はとても楽だった。

ㅤ理恩は困惑した表情で、ジリジリと距離を離す。


「なんで、逃げるんだよ。俺が嫌いか?」


「違う……、違うよ。そんなんじゃないの!」


ㅤしかしその目からは、涙が流れていた。

ㅤ嫌われているのは、本当に違うのかもしれない。だが理恩は、恐れている。大志に恐怖を抱いているのは、間違いないようだ。


「なら、何だよ。どうして俺を避けるんだ?」


「……言いたくない」


ㅤ理恩は顔を背けてしまう。

ㅤしかしそんなことでは、いつまでもたっても、大志と理恩の間にできた溝は埋まらない。


「何をすればいい?ㅤ何をすれば、理恩は」


「出てって。お願いだから……出てってよ……」


ㅤだんだんとか細く、弱くなる声。大志は言い返すこともできない。

ㅤ理恩は大粒の涙を流し、大志を見た。


「お願い、だから……」







ㅤ理恩は泣いている。なのに、何もできなかった。

ㅤ大志は自室のベッドの上で、身体を小さくする。まるでダンゴムシが身体を丸めるように、大志も身体を丸めた。


「理恩……俺は……」


ㅤそこからは自己嫌悪の連続である。苦しんで、苦しんで、さらに苦しんだ。救いなど、ここにはない。あるのは、破けた布団から出てきた羽毛と、冷えた心をさらに冷やす冷蔵庫だけである。すでに布団は、布団ではなかった。


ㅤ理恩と少し距離をとる。それなら、ここまで苦しくはなかった。なのに、理恩に嫌われた。もう理恩が隣にいてくれない。そう考えると、胸が苦しかった。


「理恩……」


ㅤ散乱した羽毛を一掴みして、壁へと投げつける。

ㅤしかしそれが壁に当たることはない。空中でふわりと分散し、散り散りに床へと落ちた。


「今まで、ずっと一緒だっただろ……」


ㅤもう、あの時には戻れないのだろうか。


 大志はふらりふらりと、扉に近づく。さっきから、扉を叩く音が聞こえるのだ。

 しかし扉を叩いているのは、理恩ではない。確かめていないけれど、そうだと確信した。だから、無視していたのだが、諦めてくれないようである。


 扉を開けると、ツインテールの少女が笑っていた。

 その顔を見ると、荒れていた心も少しは安らぐ。しかし、そんな自分に苛立ちもした。


「今日は大丈夫だよね……って、どうしたの?」


「どうもしない」


 けれど、真水の眉はハの字のまま動かない。

 もしかしたら、顔に出てしまっていたのかもしれない。


「あ、あれ……怒ってるの?」


 胸の前で、手を重ねる真水は、少し怯えた様子である。

 いったいどんな顔をしているのだろうか。鏡がないので、それを確認するすべがない。


「怒ってない。それより、どうしたんだ?」


「あー、うん。昨日は断れちゃったから、今日こそって思ったんだけど……」


 きっと一緒に寝たいとかいう話だ。しかし、真水を迎え入れる状態に部屋はない。

 けれど、ここで真水を帰らせたくない。そんな思いのせいか、真水の腕を掴んでしまっていた。


「真水……」


 真水の腕を引き、その身を抱きしめる。


「えっ!? な、なにっ!?」


「真水……俺は……俺はッ!」


 強く、強く、抱きしめた。

 悲しみを埋めるように、真水への思いが膨らむ。


「何があったの? ちょ、苦しいよっ」


 真水の苦しむ声で、大志は我に戻った。

 そして真水を解放し、部屋の中へと無理やり入れる。大志は閉めた扉の前に立ち、息を荒げた。


「……ま、真水……」


 真水は大志の声よりも、羽毛で埋め尽くされた床を見て、息をのむ。

 それも無理はない。こんなの、常人の部屋ではないからだ。


「どうしたのっ!?」


 振り返った真水は、目を真ん丸と開き、驚きを示した。


「何も、聞かないでくれ……」


 大志はベッドだったものを背もたれにする。

 そして真水を一瞥し、目を閉じた。


「さあ、そうと決まれば早く寝るか」


 真水は大志の隣に座り、手を握る。

 温かく、柔らかい手が、大志の冷たくなった手を包んだ。


「どうしたの……?」


 真水は優しく問いかける。

 しかしそれを答えたくない大志は、真水を押し倒した。

 そして眉間にしわを寄せ、固くとじられた歯を見せる。癒しを求めておいて、追及されたらこの態度だ。普通の人なら、嫌悪を抱くだろう。……だが、真水は違った。


「何があったの?」


 真水は優しく微笑んだ。負の感情など全く感じさせない。


「聞かないでくれ。聞かないでくれよッ!」


「ダメだよ。ちゃんと話してよ」


 真水はいじわるにも、諦めてくれない。

 大志は聞かれたくないのに、真水はそれを許してくれない。


「真水には関係ない。だから、黙って寝てくれ」


 すると、真水は静かに横に首を振る。


「私には関係ない。関係ない……から、興味もない」


「なら、いいだろ。俺と寝てくれ」


 そう言うと、大志の頬を鋭い痛みが襲った。

 何があったかなんて考えるまでもない。真水に叩かれたのである。


 真水に叩かれるなんて、思っていなかったのだ。

 理恩にも真水にも嫌われたくない。そこで大志は冷静になり、身体を起こす。

 そしてそれを追うように、真水は大志に抱きついた。


「私に言ったよね……興味ないから、聞かせてくれって。……同じだよ。私も関係ない。大志に何があって、どうして苦しんでるのか。それを聞いたところで、私は大志を嫌いになんて、ならないよ」


「そんな……嘘だ」


 大志は真水を引き離そうとする。しかし、真水はそう簡単に離れない。


「信じてよ。私を信じて。……大上が信じてくれなくちゃ、誰が私を信じてくれるの……?」


「そ、そんなの誰だって、信じてくれる。真水は優しい。真水が相手を信じれば、相手だって」


「じゃあ、なんで大上は私を信じてくれないのッ!」


 真水の抱きしめる力が増した。


「俺が真水を……」


「信じてよ! 私は大上を苦しみから救いたいの! 大志を、楽にしたいの」


 大志は、真水の目から流れた雫に息をのむ。

 真水は最初から大志のためを思っていた。なのに、それに気づけないばかりか、逆に傷つけてしまった。


「……そうか。真水は俺を」


 真水を抱きしめる。

 やはり、真水は温かい。温かくて安心した。なのに、胸が苦しくなる。


「話してよ。話したら、少しは楽になるよね?」


「あぁ。実は、理恩に嫌われたかもしれない。いや、かもしれないなんて、逃げている。理恩は俺を嫌いになった」


「うん……」


 真水はただ頷いた。詮索はしようとしない。


「それで、こう……胸が苦しいんだ。苦しくて、何とかしたい。でも、理恩のことを思うと、さらに苦しくなる」


「うん。そう、なんだ。わかる、わかるよ」


 肯定の言葉が、耳元で囁かれる。

 くすぐったさを感じながらも、大志の心は癒えた。


「中田が俺の部屋にきて、それで二人で裸になっているところを、理恩に見られた」


「えっ!? あ、う、うん。そう、なんだ……」


 少し動揺しながら、肯定する。しかし、声の震えを隠しきれていない。

 顔を確認しようとしても、真水は頑なに離れようとはしなかった。


「で、でも……えっ、な、なんで、そんなことになったの? 中田って、異性が苦手だったよね……」


「それは中田から聞いてくれ。一応、中田の個人情報だからな」


 真水がどういう反応をするか気になるが、それでも勝手に話すわけにはいかない。

 混乱したのか、真水は深呼吸をする。


「わ、わかった。それが原因ってことだね。でも、きっと大丈夫」


 真水は身体を離し、やっと顔を見せた。


「本当のことを話せば、きっと誤解は解けるよ」


「そんなうまくいくわけ……」


「大丈夫だよ。私を信じて!」


 真水は二カッと笑顔を見せる。

 そんな顔をされたら、信じないわけにはいかない。


「私には、大上が必要。大上がいなくなったら、寂しい。だから、きっと千頭も同じ思いだよ。私よりもずっと永く一緒にいる千頭ならね」


「それなら、避ける必要もない」


「……それは、私からは答えられない。大上が自分で見つけないと、意味がない……と思う」


 真水は再び大志を抱きしめ、頭を撫でた。


「大上は一人じゃない。悩んだり、迷ったりしたら、頼っていいんだよ。力になれることは少ないかもしれない。けど、一人よりかは二人、二人よりかは三人、だよ」


「俺は一人、じゃない……」


 思い返せばそうだ。いつだって、大志の隣には誰かがいた。

 いや、『誰か』なんかじゃない。大志の隣には理恩がいた。それが、今はいない。そんなのはおかしい。


「立ち上がれないのなら、手を貸してあげる。歩き出せないのなら、背を押してあげる。一人で寂しいのなら、一緒にいてあげる。だから、元気を出して。大上は、私の……ううん、私たちの希望なんだよ」


「希望……?」


「大上は、人の心を変えられる。この学校に必要な存在なんだよ」



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