2-10 『求められる器の大きさ』
「ははっ、これも運命。心機一転だね」
髪を切った神無月に、誰もが驚いた。
真水の話では、ここにきた時から神無月は髪が長かったようである。
「初めから切ればよかったのよ。見てて、イライラしたもの」
小金沢は安堵の息を漏らし、席に座った。
それとは逆に、山崎はぽけーっと神無月を見つめる。怒声を振りまいてばかりの山崎とは、まるで別人だ。
「な、なんでござるか?」
「……ちっ、ブタのくせに」
山崎は睨んで、神無月に背を向ける。
しかしその顔が少しにやけていたのを、見逃さなかった。
「なんだか、様子が変だな」
「君を見てると、僕はどうにかなってしまいそうだよ」
にこやかに微笑む下野は、相変わらずである。
「みんなのサイズを知りたいの!」
神無月の騒ぎが収まったころ、小路が話を切り出した。
「サイズって何のサイズだ?」
「身体よ。水泳のために水着を用意しないとなのよ」
そして小路はメジャーを取り出す。
サイズなら何年か前にギルチに測ってもらったことがあった。しかし、その時には服をすべて脱いでいなければならなかった。
「じゃあ、男女に分かれて測るよ」
まず女が別室でまとまって測るという。
「待てよ! それって、服を脱ぐのか?」
「そうね。正確に測りたいからね」
大志の身が震えた。
大志は構わないことだが、真水は違う。傷を見せれば、他の人に何と言われるか。
「それなら、一人ずつにしてくれないか? 服を脱ぐなんて、躊躇う人もいるだろ」
「ダメよ。少し脱ぐくらい、異性とは別室なんだし、恥じるほどのことじゃないもの」
そう言って小路は、生徒の顔を見回す。
しかし、それをよしとする顔は一つもなかった。
「なら、多数決をしよう。それで俺が負けたら、素直に従う」
大志は立ち上がって、小路の横に並ぶ。
そして、小路を睨みつけた。
「それに何の意味があるの? 時は金なり。時間は有限なのよ」
小路も負けじと大志を睨みつける。小路も教師だ。立場上、大志に言いくるめられるわけにはいかないのである。
しかし大志も引き下がるわけにはいかない。引き下がれば、傷つくのは真水だ。
「時間は有限。だから、どうした! いくら時間があっても癒えないものを、抱えてるやつだっているんだぞ」
「それこそ、どうしたっていうのよ。私には関係ない。癒えないのなら、隠す必要もないんじゃないの?」
小路の言葉は、とても冷えきっている。
まさか過去を知らずに担任をやっているはずもない。
「先生の言う通りだわ。大上、早く席に戻りなさい」
小金沢が小路に賛同する。
ここにいる人なら自分に賛同してくれると思っていた大志には、驚きだ。
「あたいは大上の意見に賛成。ブスに肌を見せるなんて、無理」
山崎は退屈そうに頬杖をついている。
そして、その声を筆頭に大志を推す言葉が続いた。
「拙者も賛成でござる」
「私も大上に賛成するよっ!」
「これも運命。僕も賛成だよ」
しかし大志の意見に偏っている中、小金沢が自分の机を叩き、視線を集める。
その睨んだ目は、大志にまっすぐと向けられていた。
「いい加減にして! 時間の無駄なのよ。先生が言うことに従えばいいのよ。先生が言うのだから、正しいのよ! そんなことで、私の時間を奪わないで!」
小金沢はポケットから、サバイバルナイフを取り出す。
そして立ち上がり、それを全員に見えるように向けた。
「私はちょっと前に事件を起こしたわ。先生の話を無視して騒ぐ男子の首を、かき切ってやったの。私は邪魔者を排除しただけ。なのに、私は捕まったわ」
それは、小金沢の過去だろうか。
しかし小金沢の表情に、悲しみや後悔の色は見えない。ただ、興奮している。そして血走った目が、大志を捉えた。
「大上が邪魔者になるのなら、私はそれを排除するだけ」
「ダメだよッ!」
歩き出そうとする小金沢の腰に真水がしがみつく。そして右腕を神無月が、左腕を草露が捕らえた。
「何をやっているでござる!」
「そうだってんよ。さすがに冗談じゃすまないってん!」
「冗談? あいにく、そんなことに時間を使う気はないわ」
つまり、誰も止めなければ、大志の命はなかったということだ。
ここにいる人は過去を抱え、それを苦にしていると思っていた。だから、小金沢の反応は想定外だった。
小路もさすがに議論を続ける状態じゃないと思ったのか、小金沢の持つナイフを叩き落し、教室の外へとつれていく。
大志たちが使っている扉ではなく、小路が使っている扉から出ていった。その先に何があるのかを、大志たちは誰も知らない。
「小金沢さんには、少し眠ってもらった。どうやら睡眠不足で、疲れがたまっていたみたい」
本当だろうか。しかし、誰も真実はわからない。
そしてあんなことがあっても、身体測定はやるようだ。大志の意見を認め、一人ずつやるようである。
「これで、安心だな」
「……うん、ありがと」
真水は小さく礼を言う。
しかし、それでいい。真水のために何かをしてあげられたのが、誇らしかった。
「君の身体には興味があったんだけど、これも運命なら仕方ないね」
「興味があるって、どういう意味だよ」
特に鍛えているわけではない。外見も他の男と大差ないはずだ。
身体能力も特出していない。一般的なはずである。
「ははっ、それは今度の機会にとっておくよ」
「わけのわからないやつだな。それにしても、小金沢のことはどう思う?」
「え、女子はちょっと……」
下野はいつもの微笑み顔で、言葉を詰まらせた。
女子はちょっと何だというのだろうか。怒りやすいのだろうか。それとも、わからないとでも言うのだろうか。
「男じゃないと、ダメなんだ」
「女が男じゃないとダメ?」
「前のセリフとくっつけないで。僕は男じゃないとダメなんだ」
いまいち話が合っていないような気がする。
小金沢の奇行について聞いたのだが、下野の何かについての情報が返ってきてしまった。
「きっと、あれが小金沢の本性なのでござる」
「やはりそう考えるしかないか。……でも、そんなやつには見えなかったけどな」
小金沢とは接点がなさすぎて何とも言えないが、それでも危害を加えるようには見えない。
それに、あのサバイバルナイフ。あれは小金沢の部屋の道具なのか。それとも、外部から持ち込んだものなのか。いずれにせよ、情報が少なすぎる。
「ゆーちゃんと私は一心同体なの! だから、一緒でいいの!」
「ダメよ。一人ずつって決めたのよ」
小路は二条の腕からゆーちゃんを引き離そうとする。
しかしそんなことをすれば、二条が小金沢の二の舞になりそうだ。
「一心同体って言ってるんだから、一人なんだろ。わざわざ離す必要はない」
横から口を出すと、小路に睨まれてしまう。
さっきの出来事で、そこまで大志を嫌ったということだろうか。
小路は諦めて、二条とゆーちゃんを一緒に連れて別室に移動した。
二条がゆーちゃんを甘やかすのは、ゆーちゃんのためと言っていた。きっとそれは、真実なのだろう。だから、全てがわかるまでは無理に引き離すのは危険だ。もちろん小路は、それを知っているのだろうが、大志たちは知らない。そこに残されていっては、危険そのものだ。
「大上はすごいね。大人にあんなに堂々として」
「大人だからって、へこへこする必要もないだろ。自分の気持ちを言えない口なんて、ないのと同じだ」
そして、自分の意志で生きられないのは、人とは言えない。
人は自分で考え、そして自分で道を切り開いて先へと進む。時には他人の力を借りることもあるが、前に進むのは自分の力だ。そうにギルチから教わった。
だから、二条の人形状態のゆーちゃんを、助けたい。
しかし、どうに二条の鉄壁を抜けてゆーちゃんと話すか。それが、問題である。
「大上君、あなたの番よ」
小路に呼ばれ、大志は別室に移動する。
小路が使っている扉の先には、普段大志たちの使っているものとは違う廊下があった。そして三つ扉があり、その一番手前にある部屋に入る。
「それじゃあ、さっそく服を脱いで」
「小路は、ここに住んでいるのか?」
その部屋は白い壁に囲まれて、細長い。
そして窓はなく、ベッドが一つ置かれていた。
「二つ隣の部屋に住んでいるの。ここは、空き部屋よ」
話している間に大志は上半身の服を脱ぐ。
「これでいいか?」
「下も脱ぐのよ。全部ね」
やはりギルチの時と同じで、全てを脱がないといけないようだ。
そして大志が脱ぐと、小路も自分の服を脱ぎ始めた。
「小路も脱がないとなのか?」
「大上君の言葉に、いろいろ考えさせられたのよ」
綺麗な肌が、大志の前に晒された。
「今はこんな綺麗だけどね、ちょっと前までは痣とか酷かったのよ」
「痣って治るのか」
小路の引き締まった腹に、手を滑らせる。
さらさらと手を動かすと、小路は恥ずかしさからか頬を染めた。
「私の痣は、時間がたてば綺麗になった。けど、大上君の言う通り、いくら時間をかけても治らないものを抱えた子が、あの教室にはいる。わかっていたのに、大上君に言われるまで自分の過ちに気づかなかった」
そこで、小路は目を伏せる。
わかっていた、ということは、やはり小路はそれぞれの過去で何があったのかを理解しているのだ。
「人なんだから、誰だって間違いぐらいある。それより、早く測ってくれないか。俺だって恥ずかしいんだからな」
「まあ、それは見ればわかるわ」
小路はメジャーで腰回りを測定する。
大志がため息を吐きながら、早く終わらないかと考えていたら、小路はクスッと笑った。
「何かあったのか?」
「いえ、おかしな状況だと思っただけよ」
そうなったのは、小路が下着姿になったからである。
小路がちゃんと服を着ていれば、ただの測定だ。
「それより、二条とゆーちゃんの過去って、何があったんだ?」
「それは教えられない。知りたければ、自分で聞いてみればいいのよ」
「聞いたんだが、怪しまれて聞き出せなかったんだ」
すると、小路は丸めた手を口に当て、何かを考える。
そしてちらりと大志を見上げた。
「聞き出せるまで、聞けばいいのよ。あなたはすでに二人の過去を知っているのだから」
「何で知ってるんだ?」
「言ってたのよ。真水さんと神無月君が」
あの二人は口が軽いのか、それとも共感を得たかったのか。
大志は、またもため息を吐いた。
「大上君は、他の誰とも違っている。だから、期待してるのよ。十二人のバラバラの心を繋ぎ合わせられるってね」
「バラバラ、か。そういえば、なんでここには、何かしら辛い過去を抱えた人が集まっているんだ?」
すると、小路は口を閉じた。そして、きょろきょろと辺りを見回す。しかし、この部屋には大志と小路の二人しかいない。
「普通の人と同じ学校に通わせたくない危険な人が、ここに集められたらしいの」
「危険な?」
大志の言葉に、小路は小さく頷く。
普通の人というのが大志にはよくわからないが、真水も神無月もただの人だ。
「だから、せめてここでは幸せに生活できたらって思ったのよ」
「まあ、一応幸せな生活はできてたみたいだな。自分の過去をひた隠しにしてたけどな」
すると、小路は大志の手を両手で包みこむ。
「大上君が頼りなの。みんなにはここで、辛い過去なんてどうでもよくなるくらい、楽しい思い出を作ってほしいの」
「確約はできないけど、努力はする」
「……と言ってみたものの、二条はいつか本当に刺してきそうなんだよな」
さすがに生きてるからには、刺されるのは勘弁したい。
自室のベッドで横になっていると、そのまま眠ってしまいそうだ。なので、上体を起こす。すると、空腹を知らせる音が鳴った。
時計を見れば、六時すぎ。少し早いが、食事をとることにする。
部屋を出ると、目の前に中田が立っていた。
「ノックに気づかなかった。何か用か?」
「い、いいっ、いえ、のっ、ノック、して、ないですっ」
中田は顔を伏せたまま、近づいてくる。
そして目と鼻の先までくると、伏せていた顔を上げた。
その顔は、半開きの口の端が上がり、目じりは下がっている。まるで中田とは別人のその顔は、赤く染まっていた。
「なっ、何時でも、いいのでっ、部屋に来てください」
そして大志の返事すら聞かずに、中田の部屋へと走っていってしまう。
「なんだったんだ……?」
暇な時に中田の部屋に行けばいいとわかったが、その理由がわからない。
まさか、朝の妙な液体のことで怒られるのだろうか。
大志の気分は、少し落ち込んだ。けれど、自分のしたことだ。少し怒られるくらい、仕方ない。
中田の部屋は、大志の三つ隣にある。
大志、理恩、小金沢、中田、下野、真水の順で部屋が並んでいるのだ。
「さて、今日は何を食うかな」
食堂に設置された機械には、メニュー全てのボタンがある。そのボタンを押せば、自動で料理が作られるのだ。
そして大志が迷っていると、横から伸びてきた手が『ソバ』のボタンを押す。
「お、二条」
そこには、二条がいた。ゆーちゃんも一緒である。
「会わないように早めに来たというのに、なんでいるの」
「腹が空いたからな。それより、二条はソバか。俺もソバにしようかな」
「それは大上のぶん。だから、私とゆーちゃんの『ソバ』にこないで」
二条は餃子定食のボタンを押す。
どうやら、決めかねていた大志のために、二条が選んでくれたようだ。
「あ、もしかして、『ソバ』とかけてたのか?」
「そ、そうよっ!」
二条は顔を真っ赤にする。二条も普段からこうだったら、親しみやすいのに。
「少しわかりづらかったな」
「うるさいッ!」