2-9 『自己隠伏』
「中田の部屋だったのか」
部屋の中にいたのは、中田だ。
目を合わせてくれないところは、やはり中田である。
「助けてくれたんだね。ありがとう!」
真水が手を伸ばすと、おずおずとその手を握った。
やはり苦手なのは異性だけのようである。大志が手を伸ばしても、握ってくれなかった。
中田にもきっと何か辛い過去がある。しかし、それを聞くような状況でないのは大志でもわかることだ。
どうしても大志と目を合わせたくないのか、中田は背を向ける。
「いれてくれたことには感謝をいうが、なんでわかったんだ?」
部屋は防音になっており、大志と真水の声が聞こえたということはないはずだ。
「そそっ、そっ、れです」
中田の指の先を目で追うと、扉の上にテレビモニターが設置してある。
そこには暗い廊下が映し出されていた。
「なんだ、これは?」
「かっ、監視カメラ、ですっ」
見ていると、ランプを持った小路が横切る。
中田がいうには、中田の部屋の前を映しているようだ。
「俺の部屋にはないな。やっぱり、それぞれの部屋に何かしらあるってことか?」
「でも、私のところにはなかったよ」
それが不思議だ。大志と理恩のみならず、中田の部屋にも特殊なものがあったとすれば、真水の部屋に何もないというのはおかしい。
しかし、真水の部屋に何もなかったのは知っている。
「……もしかして、扉か」
ドアノブを回してみれば、動くし、開いた。それは大志の部屋も同じである。
消灯後、真水の部屋の扉は開かなかった。まるで、鍵がかかったかのようにビクともしなかったのである。
「何のこと?」
「真水の部屋は、消灯後になると扉が開かなかっただろ? でも、俺の部屋も中田の部屋も、扉が開いた」
しかし、なぜ扉なのか。大志の冷蔵庫にしろ、中田の監視カメラにせよ、使い道はある。理恩の鍵はわからないが、それでも何かに使えるはずだ。それに比べ、真水の開かなくなる扉は何も使えない。
「そうなのかなぁ?」
真水は腕を組んで、唸る。
「それしか考えられないな」
「そっ、その、二人は、どっ、ういう、関係で?」
中田は未だに背を向けたままだ。
大志と真水に、関係と呼べるほどの関係はない。悩んでいると、真水が中田の前へと移動する。
「友達。全てをさらけ出した仲なんだよ」
「すっ、すべて……?」
中田は言葉を漏らし、足を震わせる。
全ては言いすぎだろうと口を出そうとしたが、思い返してみれば嘘ではなかった。
「それよりも、今日はここで寝かせてもらえるか?」
すると、中田はビクッと身体をはねさせる。
「こ、ここでっ、ふ、二人のあ、愛の……」
「何のことだ?」
真水の説得もあり、なんとか中田の部屋で寝かせてもらえることとなった。
「ど、どうぞっ! べべ、ベッドはご自由に! で、でっ、でっ、でも、よ、汚さないで、ください」
「いや、中田が使えよ。俺たちは床でいいから」
さすがに他人の部屋にきて、ベッドを横取りなんてできない。
大志が横になると、その隣にくっついて真水も横になる。くっつかなければいけないほど、部屋は狭くない。けれど、離れてほしいとは思わなかった。
「で、では、電気を消します」
「ああ。真水も、中田もおやすみ」
目をつぶると、大志を闇が包む。だが、真水の温もりが消えることはない。
意識が薄れていき、心地よい中に埋もれた。
「はぁ、はぁ……んっ、ぁあ、んんぅ……はへぇ、へっ、んぅッ……」
声が聞こえる。
声は聞こえるが、朦朧とした意識ではそれが何かはわからなかった。
手が熱い。何かを押し当てられている。しかし、目を開けたくない。もう一度、眠りたい。
「きっ、きもち、いい……」
そして、大志は再び眠りについた。
「な、なんだ、これっ!?」
目覚めれば、腕が濡れている。腕だけじゃない。手もだ。
少ししょっぱいから、汗なのだろうか。しかし汗とは少し違っているような気もする。
「それどうしたの?」
隣で目を覚ました真水は、目を丸めた。
しかし、大志もそれがわからないから驚いている。
「起きたらこうなってたんだ。不思議なこともあるもんだな」
「そうだね。とりあえず流したほうがいいよ」
真水に背を押され、シャワーで腕についた液体を流した。
寝ている間に何があったのか、全く思い出せない。
「ど、どうしたんですか?」
そこに、中田が姿を現す。
シャワーの音で起こしてしまったのかもしれない。
「ちょっと腕が汚れてたから、洗ってるんだ」
「え、よ、よご、れた……」
中田は真水を見て、頬を真っ赤に染めた。
「真水が何かしたのか?」
「何もしてないよぉ! ずっと寝てたんだから!」
真水は頬を膨らませ、拗ねる。
真水を疑うなんて、大志も愚かだった。真水が他人にいたずらをするような人じゃないのは、わかっていたはずだ。
「なら、俺のせいか。今までこんなことなかったのにな」
シャワーで濡れた腕を拭き、大志の寝ていた場所を調べる。
真水がいたのとは反対側に多少の液体が見られた。やはり汗なのだろうか。
真水の服に吸い取られて、片側しか残っていなかったと考えれば、納得がいく。
「あ、あの、わわ、私が片付けますので」
中田に押され、大志と真水は部屋から出された。
寝かせてもらった上に、片付けまでしてもらって、申し訳ない気持ちでいっぱいである。
「で、どうしよっか?」
扉の前で、真水はツインテールをポニーテールにしながら、そう訊ねてきた。
しかし、することなど一つしかない。
「お互いに部屋へ戻るか。じゃあ、またあとで会おう」
真水に手を軽く上げ、部屋へと戻る。神無月に教わったことを使ってみたが、使い方がよくわからない。
「おねーちゃんも、ゆーちゃんが大好きだよぉ」
二条がゆーちゃんを胸に抱きしめる。
しかし、ゆーちゃんは何も言っていない。二条には幻聴でも聞こえているようだ。
食堂で朝食をとっている。運がいいのか、悪いのか、また二条と同じ時間にきてしまったのだ。
「た―君は、何してたの?」
真水ではなく、今は理恩と一緒である。
「いつの話をしているんだ?」
昨日は理恩と離れている時間が多すぎて、いつのことなのかわからない。
真水に過去を打ち明けているときだろうか。しかし、それなら事前に理恩とも話をしていたし、聞いてくるはずもない。なら、その前の榊と食事をした時だろうか。考えれば考えるほど、わからなくなる。
「昔のこと、話したんでしょ?」
「ああ、そのことだったのか。話したぞ」
すると理恩は味噌汁をすすり、一呼吸置いた。
「……それだけじゃ、ないよね? 消灯の時間になるまで見てたけど、出てこなかった」
「まさか扉の前で待ってたのか?」
「うん。いつ出てくるか待ってたんだよ。……でも、出てこなかったね」
理恩の顔が大志に向く。しかし、その顔は理恩であって、理恩ではない。
幼い時から大志の隣にいた優しい理恩ではなかった。
怒っているのか、悲しんでいるのか、はたまた驚いているのか。無表情に近い理恩の顔からは、感情が一切読み取れない。
「それは悪かった。でも、ノックくらいしてくれないと、わからない」
「ううん。部屋に入る気はなかったの。ただね、本当に話をするだけなのかな、って」
理恩は勘が鋭いようである。しかし、大志が泣いたことはバレていないはずだ。
「ちょっとあったが、理恩が気にすることじゃない」
「……そう、だね」
理恩はふっと目を伏せ、食事を続ける。
理恩には知られたくない。泣いたなんて知れれば、何て言われるか。
「もう済んだ話だ。忘れろ」
まだ食べている理恩をおいて、食器を片づける。
そして二条に話しかけようとしたら、睨まれた。どうやら、まだ昨日のことを気にしているようである。
「今はやめとくか。なら……」
食堂を見回すと、神無月も座っていた。
意味深な言葉が気になっていたので、ちょうどいいだろう。
神無月の隣に腰を下ろした。
すると、神無月は髪をめくって顔を覗かせる。
「何か用でござるか?」
「ああ。昨日の言っていたことが気になってな。他人に迷惑をかけるな、とか」
すると、神無月は残っていた朝食を一気に食べた。そして立ち上がり、手招きをする。
ついていくと、三階にある神無月の部屋に辿りついた。
「大上は、何者でござるか?」
「ただの人間なんだが」
すると神無月は首を横に振る。
「違うでござる。何故、ここにきたのかでござるよ」
神無月についてきただけだ。
そう答えようとした時、神無月の言ってることがわかった。
「俺の過去が知りたいってことか」
「拙者に害をなすかどうかを、知りたいだけでござる」
まさか昨日の今日で、同じ話をすることになるとは思いもしなかった。
しかし、知りたいと言っているのなら、話さないわけにはいかない。
真水の時のように丁寧な説明はよして、適当に重要な点だけ伝える。
今なら、言うべきことが親の死と、ギルチに長い間育てられたことだけだとわかるからだ。
「――とまあ、こういうことがあったんだ」
「なるほど。苦労したのでござるな」
神無月は腕を組んで首を上下に動かす。
苦労した覚えはないが、聞いてるほうとしては苦労してると思うのだろうか。
「それで、なんでこんな話を聞きたかったんだ?」
「大上が拙者の害になるか、敵になるかを見極めるためでござる」
神無月の過去と何か関係があるのか、それともただ注意深いだけか。
しかし、その様子から察するに、味方だと認めてくれたようである。
「それで、神無月の過去も教えてくれるんだろ?」
「拙者だけ教えぬわけにはいかないでござる。簡単に言えば、自殺未遂でござる」
普通の学生として暮らしていたのだが、強姦として捕まったようだ。
下校中に、強姦の犯人として間違えられたのである。外は暗く、被害者が犯人の顔をよく見ていなかったのだ。それで、走っていた神無月が犯人にさせられたのである。
そして捜査が行われ、部活顧問の証言などで、時間的に神無月の犯行が不可能だとわかった。神無月は無罪となったのである。
しかし、周りの神無月を見る目は変わった。
疑われたくらいだ。もしかしたら、本当にするかもしれない。
昨日まで仲の良かった友達も、神無月に近づかなくなり、憎悪の目を向ける。
「生きるのが辛かったでござる。……だから、命を絶とうとした。でも、目が覚めたら病院にいたでござる」
「強姦ってわからないんだが、そんな憎まれるようなものなのか?」
「そうでござろう。でなければ、拙者はここにはいないでござる」
神無月は部屋に置かれた棚からハサミを取り出すと、それを大志に渡した。
大志の部屋にはない。つまり、これが神無月の部屋の道具である。
「髪を切ってほしいのか?」
「それは拙者に必要のないものでござる。だから、大上にあげるでござる」
大志はハサミを動かしてみた。動きは滑らかだ。まだ、使ったことがないのだろうか。
「拙者は全てを失った。だから、いらないでござる」
「じゃあ、さっそく使うぞ」
神無月の顔を隠している髪を、少しだけ切ってみる。
すると、神無月は飛んでうしろへ下がった。
「な、何をするでござるッ!」
「何って……それじゃあ、前が見えないだろ?」
「それでいいでござる! 前など見たくない。現実など見たくないのだ! だから、こうやって視界を覆っているでござる!」
神無月の髪が長い原因は、現実から目を背けたいからのようだ。
大志はハサミと見つめあい、そして決心したように神無月に近づく。
「神無月の気持ちは、なんとなくわかる。見てきた世界が、神無月を苦しめてきたこともわかる。……だけど、その神無月を苦しめた世界ってここにあるのか?」
「な、何を言っているでござる……」
神無月の髪をめくり、その目を見た。
恐れと恐怖に染まった神無月の目は、大志へと向けられる。
それも仕方ない。今まで自分の殻にこもって、外を否定してきたのだ。いきなりその殻を剥がされれば、誰だって恐怖を覚える。
「ここにいる人は、神無月を苦しめるのか?」
「わ、わからないでござる……」
神無月の髪を戻し、ハサミを神無月の手に戻した。
「俺は、神無月と仲良くなりたい。だから、信じてくれ」
「大上は敵ではない。だが、簡単には信じられないでござる」
神無月の手からハサミが落ち、床を転がる。
苦しんできた思いは、そう簡単になくせるものではない。それは大志もわかっていることだ。
「……こう言っちゃあれだが、チャンスだと思うんだ。この過去と隔離された世界で、知らない人間と一緒に生活をして。過去の自分とは違う、新しい自分になるチャンスだってな」
「チャンス、でござるか?」
大志は床に転がったハサミを拾い、神無月に差し出す。
「嫌われていた自分を隠すのは、傷つかなくていい。でもここで、嫌われていた自分を捨てたら、もう隠す必要もないだろ? 簡単にできることとは思ってない。だから、一歩ずつ、少しずつでいい。まずは、その長い髪を切るとかな」
「自分を……捨てる」
神無月は差し出されたハサミを使って、髪を切り始める。
視界を遮っていた髪は床へと落ち、神無月の顔がだんだんと姿を露わにした。
「これで、いいでござるか?」
「ああ、そうだな。意外にイケメンなのが、殴りたくなるけどな」
大志は軽く笑って、手を差し出す。
すると、迷うことなく神無月は、その手を握った。
「湊……。神無月湊でござる」
「俺は、大上大志。これから、よろしくな」
名を明かすのは、親しくなった証。
まだ、神無月との関係は始まったばかりである。だが、好調のようだ。