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逆転転移のカタルシス  作者: ビンセンピッピ
第二章 戦慄の世界
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2-2 『非日常は日常に』


「君たちには、ここで暮らしてもらう」


 身寄りのなくなった大志と理恩は、とある場所に連れてこられた。

 全面が灰色に染まる部屋に窓はなく、外との繋がりは扉一つである。


 敷き布団が一人分敷かれ、それ以外には便器がぽつんと置いてあった。


 大志と理恩を連れてきた、白い覆面を被った男は扉を閉め、扉の上部に取りつけられた長方形の覗き窓から覗きこんでくる。


「それでは、いつでも呼ぶといい。来るかはわからないが」


 覗き窓は閉じられ、泣きじゃくる大志たちは部屋に残された。

 知らない場所に連れてこられただけじゃない。周りに、知っている人がいないのである。



 泣きつかれて、大志と理恩は眠ってしまっていた。

 そして目覚めても、世界は変わっていない。


「ママ……」


 大志の口から言葉が漏れる。もうどこにもいない人へ向けられた言葉は、むなしく消えた。

 すると理恩はパンツを下ろして、のっそりと便器に座る。そして『じょぉぉ~』と音がした。


「紙が……」


 便器はあれども、トイレットペーパーがどこにもない。

 理恩が便器の上であたふたしていると、扉の下部につけられた小さな扉が開き、そこからトイレットペーパーが現れた。


 大志はそれを持って、理恩のところへ行く。そして理恩はそのトイレットペーパーを使った。


「そろそろ現実を受け止めたようだな」


 覗き窓から白い覆面が覗く。

 外が見えず、今が昼なのか夜なのかすらわからない。


「君たちは、もうこの世界に存在しない。存在を証明するものは、もうない。だから、ここでの生活を受け入れろ」


 しかし、六歳の大志にそれが理解できるはずもない。

 大志はドアノブを捻って開けようとするが、ピクリとも動かない。

 すると小さな扉が開き、水の入った桶と白いタオルが姿を現した。


「身体を清潔にするがいい。毎日二度は身体を清潔にさせてやる。朝と夕の二回。夕はちゃんと洗わせてやる」


 その水で身体を洗えということである。

 この部屋にシャワーはない。つまり、自由に身体を洗うことはできないのだ。


「その服も面倒だろ。朝食と一緒に新たな服を持ってきてやろう」


 大志は服を脱ぎ、桶の水を手ですくって身体にかける。しかし身体を洗っている気が全くしなかった。

 理恩も大志の隣で服を脱ぎ、その肢体を晒す。そして大志と同じように身体に水を滑らせた。


「いずれ、この生活にも慣れる」


 覗き窓から見える男は、大志と理恩の裸体をただ眺める。

 今まで大志と理恩は一緒に風呂に入っていたが、それは愛奈も一緒だった。だが、今は二人しかいない。



「朝食だ」


 白いご飯とタコさんウィンナー。そして牛乳。

 それに加えて大きな布が二枚渡される。縦長の布の中心に首が通るほどの穴があり、そこに頭を通すように言われた。


 頭を通してみると、布が身体の前後を隠す。しかし左右に布はなく、すーすーした。


「これからは、それを着てすごしてもらう」


 大志たちに拒否権はない。もう、ここに大志の味方は理恩しかいないのだ。


 そして朝食を食べ、牛乳を飲む。理恩は牛乳が嫌いだったのか、半分ほど残してしまった。だから、残ったものを大志が飲み干す。残したら怒られるような、そんな気がしたのだ。


「君たちには、勉強と運動をしてもらう。それが君たちに与えられた試練だ」


 食器を片付けると、勉強道具が出された。

 数字の読み書きや、ひらがな五十音の読み書き。本当に基礎の基礎からの勉強である。


「わからないことがあれば、言え」


 急かされ、勉強の本を開いた。

 五十音はお手本の上をなぞり、形をたしかめながら、読みも一緒にたしかめる。

 数字も同じように書き方や読み方をたしかめ、どうに数が増えていくかの順序も確認した。


 それを何度も繰り返し、もう見ることすら嫌になる。

 そしてページをめくると、そのページにはお手本が書いていなかった。

 文字は覚えているが、お手本がないと字はよれよれのみみずみたいになってしまう。しかしそれでも、怒られはしなかった。


「『ぬ』ではなく、『め』になっているぞ」


 怒られはしないけれど、間違っているものはその度に注意してくる。

 そしてその次のページには、りんごやばななのような絵があり、その下にお手本の文字が書いてあった。


「めろん……?」


 大志は、それを知らない。食べたことがないのである。

 その他にも、知らないものがたくさん書かれていた。


「なんだ、食べたことないのか。……なら、昼にでも用意してやるか」


 勉強が終わると、大志と理恩は軽く睡眠をとる。慣れない勉強に、疲れてしまったのだ。

 しかしこの後には、運動が残っている。それを知ってか知らずか、大志と理恩は身体を休めた。



 そして目が覚めると、すぐに覗き窓から白い覆面が覗く。


「やっと起きたか。昼食を食べるか?」


 そういって深い皿に入ったコンソメスープが出された。

 大志と理恩はお腹がすいていたので、それをあっという間に飲み干す。

 そして、空になった皿と交換するように、細かく切ったメロンが出された。


「メロンだ。食べてみろ」


 大志は手で掴んで、口に運ぶ。そして理恩も同じように口に入れた。

 すると、大志の口の中には甘い汁が溢れる。噛めば噛むほど、口の中が甘くなった。


 あまりのおいしさに、理恩へと顔を向ける。すると、理恩は次のメロンを口に運んでいた。

 大志も負けじと次のメロンを口に入れる。


「気にいったみたいだな。あまりがっつくと、喉に詰まるぞ」


 しかしその声もむなしく、メロンはすぐになくなってしまった。


「うまかったか?」


「おいしかった!」


「うん。おいしいっ!」


 大志も理恩も笑顔になる。すると、覆面の目も笑ったような気がした。

 そして、開くことはないと思っていた扉がゆっくりと開く。


「なら、少し身体を動かすか」


 大志と理恩は、覆面に言われるがまま、扉の外へと出た。

 外も灰色で染まっており、長い道が伸びている。


 覆面は背を向け、歩き出した。それを大志と理恩もただ追うのである。

 この場所に見覚えはない。連れられてきた時は、泣いていたので記憶にない。



 そしてとある場所に出た。そこは暖かく、地面には芝生が敷きつめられている。それに大きい。まるで、遊ぶために造られたような場所だ。


「まだ君たちは幼い。ボール遊びでもするか」


 すると覆面は、そこに転がっていた赤いボールを持つ。

 片腕で抱えられる程度の大きさだ。そしてそれを転がし、大志に取りに行かせる。


「おじさん、だれ?」


 大志は覆面にボールを投げ、そう言った。

 そして、足下に転がっていったボールを、覆面は持ち上げる。


「……ギルティ。そう呼ばれていた」


「ぎるち?」


 まだ五十音しか覚えていない大志に、拗音(ようおん)は難しかった。

 覆面は軽く笑うと、理恩の背を押して大志と同じ場所まで走らせる。


「ギルチか。……なら、ギルチでいい」


 そう言って、ギルチは理恩へとボールを転がした。

 覆面から覗くギルチの目は笑っている。けれど、悲しさも感じられた。


 理恩はボールを持って、両手を使って投げるが、それでもギルチには届かない。悔しかったのか、理恩はボールを追って蹴る。すると、少し場所はズレたが、ギルチの場所に届いた。


「よし、じゃあ少し蹴ってみるか」


 ギルチはボールを軽く蹴る。しかしギルチは力加減ができなかったのか、そのボールは大志を飛び越えてしまった。

 大志はボールを追って走る。そしてやっとボールに追いついたら、大志とギルチの距離は倍になっていた。


「そこから、蹴ってみろ」


 それを聞いた大志は、助走をつけて蹴る。しかしボールは予想から外れた場所に転がってしまった。

 ギルチは走ってそれを取りに行く。


「ごめん!」


「いや、謝ることじゃない。最初からうまくできるやつなんて、いないんだ」


 ギルチはボールを理恩へと蹴った。







「ここは、どこ?」


 運動が終わった大志は、ギルチの背にそう訊ねた。

 ギルチは新たな場所へと向かっている。大志と理恩には、廊下が永遠に続くような気がした。

 しかし、大志の問いにギルチは答えようとしない。それどころか、足を速める。


 ただでさえ疲れている大志と理恩は、頑張ってそれを追った。


「ここで身体を洗え」


 ギルチの先には、シャワーがあった。

 そこにはシャンプーも石鹸もある。朝の時とはまるで別物だ。


 大志と理恩は布を脱ぎ、シャワーハンドルを回す。すると、温かなお湯が降り注いだ。

 動き回って汗まみれの大志と理恩はシャンプーで頭をしっかりと洗い、それを流すと、身体も洗う。石鹸を手で泡立て、お互いに届かないところは協力した。


「この二人が……」


 ギルチは声を漏らす。しかし、それは大志にも理恩にも向けたものではなかった。

 大志は一度振り返りはしたが、俯くギルチを見て、再び洗いに専念する。


 その間に、ギルチは棚から洗いたてのタオルを取り出した。

 そして満足してシャワーから遠ざかる大志と理恩に、一枚ずつタオルを渡す。


「ここには、ぎるちしかいない?」


「いや、そんなことはない。何人かいる」


 大志と理恩は軽く身体を拭くと、布を着ようとした。

 しかしそれを、ギルチは止める。そしてタオルを奪って、大志と理恩の身体についた水滴をしっかりと拭き取った。髪もしっかりと拭く。


「ちゃんと拭かないと風邪をひく。めんどくさがらずに拭くんだ」


「……わかった」


 大志は頷いて、布の穴に首を通した。




 部屋に戻ると、そこにはすでに夕食が用意されている。

 肉と野菜の炒めもののようだ。大志と理恩の分はあるが、ギルチの分がない。


「ギルチは?」


「ああ、いいんだ。別で食べるから」


 大志と理恩は自分の皿を持ち、部屋に入る。すると扉は閉められ、ギルチは覗き窓からしか見えなくなった。その目はまるで、大志が食べるのを待っているかのようである。


 大志が肉を口に入れると、隣にいた理恩が自分の皿にあった肉を、大志の皿に移した。そして大志の皿からピーマンやニンジンを奪う。


「りおんの肉……」


「いい。好きだよね?」


 理恩は大志から奪ったピーマンを食べた。そして白ご飯を食べる。

 それを見て、大志は理恩からもらった肉を食べた。


「りおん、好き!」


 すると、扉の外でギルチが笑う。

 なぜ笑ったのかを聞くと、謝られるだけだった。




 身体を覆う布は、動きやすいし、トイレにも行きやすかった。

 いちいち脱ぐ必要もないし、終わったあとも穿く必要がないのである。


「りおん、待って!」


「……うん」


 食事が終わって、大志は便器に座っていた。

 着ている布をめくり、力を入れている。


 しかし、なかなかでない。


 理恩は足をもじもじとすり合わせ、大志が終わるのを待つ。しかし、それがいつなのか、大志でも未だにわからない。


「もうちょっと!」


「……う、うん」


 理恩は股間を押さえ、口を堅く閉じた。

 声にならない声を漏らす。


「でる?」


 しかし、理恩は返事をしない。

 そこまで我慢しているなら、すぐ終わるだろうと、大志は便器から降りた。そして理恩に譲る。


 だが、理恩は動こうとしない。股間を押さえ、小刻みに震えていた。


 気づいていないのか、と肩を軽くつつく。すると、ビクッと足を一歩踏み出した。


「あぁ、あっ……あぁぁ……」


 そして、理恩の足に黄金水が伝う。




「今度からは気をつけろよ」


 しかし、理恩はまだ泣いたままだ。

 ギルチは拭いた床に新たな布を置いて、汚れた布を片付ける。

 そして、理恩の身体を拭くようにタオルを渡された。


 大志は渡されたタオルで理恩の身体を拭く。

 やはり足の内側に多く水滴が残っていた。大志は拭き残しのないように、念入りに拭く。


「ごめん」


 まさか理恩がそんなに我慢しているとは思っていなかった。

 大志にも非はあったが、それを伝えなかった理恩も悪い。


 大志の声に、理恩の声は帰ってこない。聞こえるのは、理恩の泣き声だけである。


 そして拭き終わると、理恩に布を着せた。




「じゃあ、ぐっすり寝ろ」


 理恩が落ち着くと、そう言われる。

 はみがきは食後にやっているので、大丈夫だ。


 布団に入ると電気が消され、覗き窓が閉まる。


 布団の中に大志と理恩で寝れば、当然狭い。けれど、温かかった。この灰色の世界で心から信じられるのは、理恩だけなのである。


「りおん、おやすみ」


 また泣きそうになっている理恩の手を握った。

 向かい合って寝ている二人は、必然的に見つめあうことになる。


「……こわい」


「何が?」


 理恩が手を握り返してきた。


「パパもママも、いない」


 一晩で両親がいなくなるなんて、大志にも理恩にも理解できないのである。

 しかし、ここに親はいない。だから、いつか迎えに来てくれると信じるしかないのだ。


「いつか、くる」


 大志と理恩はお互いを慰め、眠るしかできなかった。




 そして次の日も、親は来なかった。

 その日も勉強と運動をして、同じように一日を終える。

 それが何日も何日も続いた。







「理恩……」


 そして、大志と理恩は十二歳となった。

 その頃には二人とも、親の死を理解していた。



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