1-26 『笑って明日を』
精が空になっていた人たちは、次第に意識を取り戻す。
チオが精を解放したのだ。
「それで全部か?」
問いかけても、チオは返事をしない。白目を向けたまま、放心している。
しかしそれも無理はない。チオは奪った精を、その身に宿していた。それはすわなち、数千もの人の精が、一人の身体に収まっていたのである。それを考えれば、チオの思いは強かった。だが、ラエフを倒したいという思いばかりが先走りし、ラエフに匹敵する能力を求め続けたのである。その結果、臆病な心のまま、莫大な力を手に入れてしまった。
「た、助かったのかみゃん?」
「もう、わけがわかんねーよ!」
驚く速度で傷を完治させたヘテは、大志へと駆け寄る。
そして不思議そうにその身体を、凝視した。
「腕が生えたわけじゃねーよな?」
「これは俺の能力。今は理恩と一つになっているから腕があるだけで、効力が切れれば腕はなくなる」
しかし大志の腕は、しっかりと大志の腕である。理恩の腕がくっついているとか、そんなことはない。
この能力が、いつ切れるかなんてのも、はっきりとはわからない。けれど、はっきりわかるのは、理恩と離れれば、大志はまもなく死ぬということだ。
「俺にも、回復能力があればよかったんだがな」
「ないものねだりはよすみゃん。それより、理恩はどこみゃん?」
レーメルもイズリを抱え、人の群れを飛び越えてくる。
それを追うように、海太もロセクも走ってきた。
「理恩は、ここにいる」
そう言って、大志は自分の胸に手を当てる。すると、たしかな鼓動が、伝わってきた。
ここに理恩がいる。そう思うだけで、不思議と妙に心が安らいだ。
そして、チオを踏んでいた足を離す。
チオは未だにピクリとも動かない。精を放出した勢いで、意識もどこかへ飛んでいってしまったようだ。
「それより、こいつはどうするってんよ?」
海太はチオの身体を蹴りつける。
「どうもしない。こいつには生きて、自分のしたことの重さをわからせなければいけない。……それに、少し気になることもある」
海太とレーメルに、チオが捕らえた人を集めてもらう。
そしてそれを待っている間、ヘテはふと声を出した。
「シュアルのほうも無事みてーだ」
「何かあったのか?」
「いや、特に何もねー。シュアルのとこには、ポーラさんがいるからな」
ポーラの能力があれば、チオに操られていた人も正気に戻るだろう。だから、チオはこの場にポーラを連れてこなかった。バンガゲイルとシュアルが何故残されたかは不明だが、無事なら何の問題もない。
「なぜ、ポーラには『さん』をつけるのですか?」
イズリは不思議そうに首を傾げる。
すると、ヘテはわかりやすく頬を染め、そしてそっぽを向いた。
「そ、そりゃあ……よ、呼び捨てなんてできねーよ!」
「理恩は呼び捨てだったよな?」
しかしヘテは何も言わない。無視されたのだ。
そんなことをされたら、よけい気になってしまう。
「いくら隠しても、俺にはバレバレだぞ」
「ぷ、プライベートの問題に能力を使うんじゃねーよ!」
ヘテはすかさず大志から距離を取った。
どうやら、どうしてもバレたくはないことらしい。ここまでされたら、大志も気が引けてしまう。
「兄ちゃん、赤い」
「うっ、うるせー!」
笑ったロセクの手は叩かれてしまう。
そんな戯れをしていると、意識を取り戻したカマラの民が近づいてきた。
「あんたが、助けてくれたのか……?」
「いや、まだ助けてはいない。ここから出ないと、助けたとは言えないだろ」
「ここから出る方法があるのか!?」
驚きを隠せないカマラの民に、大志は親指を立てて見せた。
「俺と理恩に、不可能はない!」
そこにちょうど、人を集めてきた海太とレーメルが戻ってくる。
チオに捕らえられていた人はあまりにも多く、広大だった部屋が狭く感じられた。
「これで全員だってん」
「こんないたのか。まあ、それじゃあ、行くぞ!」
大志は人差し指を天へと突き立てる。
すると、全員を巻き込むほど大きな穴が足の下に開かれた。
しかし、そこにいる誰も不安な顔は見せない。
大志を見つめるその目は、期待に満ち溢れている。
「……帰ってきた」
空は黒く、満天の星々が大志と、そして助けた者たちを明るく照らす。
ここはカマラの広場。チオに捕らわれていた人は、助けられたのだ。
「すごいのらー」
達成感に浸っている大志に、一人の女が声をかける。
栗色の長髪を左右でくるくると縦ロールにしていた。そしておっとりとしたタレ目が、大志を見ている。
「誰だ……?」
しかしその疑問は、声を出した時にはすでに解決していた。
女の身を包む服は、スク水である。大人の刺激的なわがままボディにスク水は、異様でしかない。しかし、豊満な胸を包みきれていないスク水のせいで、大志の目は谷間に釘づけだ。
『うぅ……たいしぃ……』
理恩の声で、大志は我に返る。
そして、余計な考えを振り払うように、首を大きく振った。
「俺には理恩がいる。理恩が一番だよ」
すると胸がぽわっと温かくなる。
つい大きな胸に見とれてしまったが、理恩への思いは変わらずにあるのだ。
『……うん。わかるよ、大志の思いが直接伝わってくるから。……でも、やっぱり大きいのが好きなんだね』
「うっ……」
一つになっているから、気持ちが隠すことなく伝わってしまう。しかしそれは、大志も同じ。理恩の思いが、伝わってくるのだ。
しかしそこに悲しみはない。怒りも、嫌悪もない。あるのは、ただの諦めだ。
理恩には大志が見惚れるものはない。けれど、たとえ大志の望む大きさでなくても、大志は理恩を見ている。大きさなど関係なく、理恩を見ているのだ。だから、それでいい。
『それでも、私を愛してくれるよね?』
「当たり前だろ。俺には理恩しかいないよ」
大志にしか聞こえない理恩の声と会話をしていると、目の前の女は不思議そうな顔をする。
他から見れば、大志が独り言を言っている風にしか見えない。そんな顔を向けられるのは、仕方のないことだ。
「大きい独り言なのらー」
女の胸の部分に大きく『レズ』と書かれている。きっとこれが女の名前なのだ。疑う余地もない。
「レズか。俺に何の用だ?」
「ふわぁー、なんで名前を知っているのらー?」
目のやり場に困って、少し下方を見ていると、レズはその目を覗きこんでくる。
そのせいで、さらに胸は強調され鼓動は高まった。
「そ、そこに書いてあるだろ」
大志は目をそらしながら、レズの胸を指差す。
するとレズは、思い出したかのように自分の胸に書かれた名を見た。
「書いてあったのらー」
「大志、この人は誰だってん?」
「大志は相変わらずみゃん」
海太とレーメルは、まるで大志がレズに声をかけたかのような言い方をする。
大志は海太の頬をつねり、レズへと目を向けた。しかしそこには、レズだけではなく、多くの民が群れとなって大志へと視線を向けている。
「あんたは俺たちを助けてくれた。あんたは、神様だ」
「あんたが戦う姿は見ていた。すげーよ、救世主様!」
「あなたに救われました。このご恩は、一生忘れません!」
思い思いに言葉を投げてくるが、大志は首を横に振る。
民を助けた。それは揺るがない事実である。しかし、それで全てが解決したわけではないのだ。
「アヒャヒャ……後悔するなよ」
「静かにしろ。お前には聞きたいことがあるんだ」
傷ついたチオの身体を、治療系の能力者が癒す。
精を取られていたほうからすれば屈辱かもしれないが、なんとか堪えてもらった。
「まず、なぜお前が俺の過去を知っているんだ?」
「アヒャ、ヒャヒャッ。言えるわけがない。あのお方を裏切るわけにはいかないのだ」
あのお方。それが誰なのか、そしてそいつもなぜ大志を知っているのか。その情報を前に、悩む必要もない。
大志はチオの胸に手を当てる。そして、その奥に眠る情報を抜き取るのだ。
大きなステンドグラスに照らされた場所で、チオはその人物にあっている。しかし、その顔には黒いもやがかかっており、それが誰なのか判別することはできない。
「見えない……」
「アヒャヒャヒャ! あのお方に怯えるがいいッ!」
そう言って、チオは姿を消した。
チオの能力には、あの建物への行き来も含まれている。そして、あの建物からこっちに戻る際、その場所を好きに変えられるのだ。だから、きっともうチオは、大志の知らない場所へと行ってしまったのだろう。
「いいのかよ、逃げられたってんよ!」
「……いいわけないだろ。でも、俺にはあいつを殺せない。だから、逃げられるのも、時間の問題だった」
「また何かするに決まってるってんよ!」
海太の言葉が、大志の胸を絞めつける。
そんなことは大志でもわかっていることだ。だがそれでも、大志には他人の未来を奪うことはできない。
「ああ、そうだな。俺が無力なばかりに……」
「いいえ、大志さんは無力なんかじゃないですよ。ここにいる人たちを見てください。大志さんは多くの人を救ったんですよ。もっと胸を張ってください」
励まそうとしてくれているのか、イズリは大志に優しく言葉をかける。
しかしそれでも、チオという危険を逃してしまったのは、大志に変わりないのだ。
「でも、チオが……」
「逃げられたから、何ですか。逃げられても逃げられても、その度に捕まえに行けばいいんです。そしていつか改心してくれるまで、一緒についていきますよ」
イズリは手を差し伸べる。そしてそれに続くように、レーメルも手を差し出した。
「同じギルドみゃん。ついていく時は、一緒みゃん」
「……俺を責めないのか? 俺は悪くないのか?」
すると、イズリは大志の手を無理やり握り、微笑んだ。
「そんなの、聞かないとわからないんですか?」
月が照らすカマラに、陽気な音楽が流れていた。
夜遅く、町の修復も手に負えないので、今夜限りのお祝いが開かれている。
「そういえば、何かを忘れているような……」
「ポーラさんがいねーじゃねーか!」
大志はポンッと手を打った。
そして大志は空間の穴を開き、ポーラたちのいる地下へと繋げる。
そこは光もなく真っ暗で、姿を確認することもできない。
「誰かいるか?」
「お、やっと来たのか。遅いぜぇ」
バンガゲイルの声だ。しかし、姿は見えない。これでは連れていきようもない。
「ポーラは目を開いているか?」
「いやぁ、ぐっすりと眠っているぜぇ」
それを聞いて安心だ。大志は地面におり、バンガゲイルの声が聞こえたほうへと足を進める。
しかし、こんな暗闇でポーラは過ごしてきたのだと考えると、すごいとしか言えない。
「お、何かいるな」
人気を感じ、しゃがんでそれを触ってみる。すると、ぷにぷにとした感触。そしてその中央に、一筋のくぼみのようなものがあった。
理恩から伝わってくる卑猥なイメージから察するに、どうやら触ってはいけないもののようである。
「これがポーラか。バンガゲイルもシュアルもいるな?」
「あぁ、いるぜぇ」
「やぁ、いるよ」
二人の声を確認し、大志は空間の穴を開く。そして出た場所は、牢だった場所だ。
そこには一糸まとわぬアイスーンが横になっている。
『きゃあぁぁッ!』
どうやら、理恩にアイスーンの姿は刺激が強かったようだ。しかし、大志が見ているものを理恩も見なくてはいけないので、理恩は目を背けることもできないのである。
「お、女男じゃねぇか」
「アイスーンだ。アイスーンにフェインポスを飲ませたのはバンガゲイルだな。いったい何の目的だったんだ?」
シュアルに眠っているポーラを背負わせ、大志はアイスーンを抱き上げた。
その顔は、未だに正気に戻っておらず、フェインポスの恐ろしさがうかがえる。
「それは、知らねぇ。だが、ポーラと一緒に何かに使うみてぇだったな」
「ポーラと?」
アイスーンはカマラの戦闘ギルドの長だ。しかし、それだけでポーラと何か関係があるようには思えない。それに何より、アイスーンがこうなる必要はあったのか。
「しかしもう無理だな。こうなったら、ずっとこのままだぜぇ」
その言葉に、大志はアイスーンを落としそうになる。
アイスーンがこのままなんて、受け入れられないからだ。大志たちを逃がそうと残ったアイスーンがこんな目に合うなんて、現実はいつも悲惨である。
「あぁー、いたのらー」
そこへ、スク水姿のレズが姿を現した。
しかしここは、いくつもある地下牢の中の一つである。それを短時間で探し当てたとは考えづらい。
「どうやってここを見つけたんだ?」
「匂いなのらー」
大志はためしに匂いを嗅いでみるが、特にこれといって匂いはない。
すると、レズは大志の腕からアイスーンを奪い取った。そして、反応のないアイスーンに首を傾げる。
「アイスーン様、どうしたのら?」
「レズはアイスーンの知り合いなのか?」
「そうなのら。アイスーン様は、レズのご主人様なのら」
つまり、レズはアイスーンの使用人ということだ。しかし、今まで使用人というのは緊縛に仕えている者しか見てこなかった。だが、アイスーンにも使用人がいるということは、緊縛に限られた話ではないということである。
なら、アイスーンは何なのか。戦闘ギルドの長をやっているからには、富も名声もあるはずだ。しかし、それだけで使用人が雇えるのかは不明である。そして使用人にスク水を着せるアイスーンの考えも、不明だ。
「……そうか。だが、残念ながらアイスーンは、もう目覚めない」
「それなら心配ないのら」
レズはアイスーンを抱えたまま、角に移動する。
絶対に覗くな、という強い念を感じ取り、大志たちは背を向けて許しが出るのを待った。
そしてしばらくすると、くちゅくちゅと音が聞こえてくる。
それが何か、大志にはわからない。けれど、見ることもできない。
理恩から流れてくるイメージは卑猥なものが多く、大志もそうだと思ってしまうから大変だ。
「僕が眠っている間に、どうやら君は大活躍だったらしいね」
ありえない。フェインポスによって、もう目覚めないと言われていたアイスーンが、目の前に立っているのだ。それも、平然とした顔で。
レズがなぜか持っていたタオルで、その身を隠している。頬を染めて胸までしっかりと隠すように持っている姿は、女そのものだ。
「な、なぜ……」
「アイスーン様に害となる精を、抜いただけなのら」
レズの言葉に、大志は耳を疑う。精とはその人を構成するもので、過去から積み重ねてきたものだ。それを抜くというのは、その人をその人ではない新たな人とするのと同じである。
しかし、その精を抜いただけでアイスーンが目覚めるというのも不思議な話だ。
「心配しなくても大丈夫なのら。抜いた分、違う精を入れただけなのら」
「ち、違う精……?」
「そのおかげで、アイスーン様はかわいい女の子になりつつあるのら」
レズは自分の顔に手を当て、興奮を抑えようとする。
しかし収まらなかったのか、アイスーンの背から飛びかかった。
助けようと大志は踏み出すが、大志が助けるよりも早く、アイスーンの手がレズを叩く。
そしてレズは幸せそうな顔で倒れた。
「レズは昔からこうなんだ。だから、気にしないでくれ」
「それより、精が抜かれたって、大丈夫なのか?」
「はは……、きっとね」
アイスーンの顔を見ると、それ以上聞き出すことはできなかった。
「それじゃあ、締めをお願いしますよ!」
アイスーンたちとお祝い騒ぎで盛り上がり、そんな騒ぎももう終わりを迎える。
夜と朝の境目。そこで大志に声がかかった。
「締めって何すればいいんだ?」
「何でもいいさ。君がしたいようにすればいい」
アイスーンに背を押され、台に乗る。そこからなら、遠くまで見渡せるのだ。
そして大志が昇ると、楽しんでいた人々は静まり、大志を見上げる。
「えー、こほん。俺は大上大志。ここにいる人なら、俺を見たことのある人も多いだろう。だからそこで、俺は一つ問いたい」
「聞きたいこと?」
アイスーンは小さく声を漏らした。
意識のなかったアイスーンには何のことだかわからないだろう。
「このカマラには緊縛がいない。いや、いなくなった。だから、この町には新たな緊縛が必要だ。それを、俺に任せてくれないか?」
すると、カマラの民は互いに顔色をうかがった。
ポーラに誓った手前、ここで否定されては困ってしまう。
しかしそんな不安も、そのあとに訪れた歓声がかき消した。
「ありがとう。俺が緊縛になるからには、みんなには辛い思いはさせない。今回のような出来事も、未然に防ぐように努力する」
大志の背に、朝を知らせる光が現れた。
「これから朝が来る。誰も失わずに、俺たちは明日を迎える。だから、笑って明日を迎えよう!」
大志は笑ってみせる。すると、それにつられるように大志に多くの笑い声が届いた。
誰も失わずに明日を迎えられる。大志はほっと肩の荷をおろした。
すると、身体に衝撃が走る。
そして隣に理恩の姿が見えたかと思えば、大志は力を失い、台から落ちた。
左腕はなくなっており、胸にはチオにやられた穴がある。
「誰か! 治癒の能力者はいませんか?!」
理恩の声が聞こえた。
笑ってと言っておいて、自分がこの様では情けない。
そして、大志は静かに眠りについた。