1-24 『弱き者は醜態をさらす』
「なんだ、ここ……」
さっきまで地下にいたのに、ここはこじゃれた喫茶店のような場所だ。
電気がついているようなので、イズリに光はもういいと伝える。すると、イズリの上空に浮かんでいた光源はなくなり、目の焦点も定まった。もしも、これで目が見えなくなったらと思うと、恐ろしい。
何度も視覚チェックを行う。すると、理恩に拗ねられてしまった。
「心配しなくても、理恩が一番だ」
髪を撫でれば、恥ずかしそうに頬を染める。
しかし、イチャついている場合ではない。
この状況も理解できていない上に、一緒にいたはずのポーラ、バンガゲイル、シュアルがいないのだ。
「アヒャヒャヒャッ。ようこそ、大上大志」
もみあげ男は、店の奥から顔を覗かせる。そして、その白い歯を見せた。
ころころと表情を変えるその姿は、不気味というより、気持ちが悪い。
「レーメルはどこだ!」
「さぁて、どこでしょうねっ!」
もみあげ男が大志に手を向けると、店の奥から人の行列が出てくる。
その顔から生気は感じられず、まるで動く人形だ。
「あくまでも、戦うってわけだな」
「悪を滅ぼす。そうすれば、また教徒が増えるのだ!」
もみあげ男は、またも耳障りな笑い声を出す。
「アヒャヒャ。オーラル教の正義のもと、大上大志は滅せられるのだ」
言葉が終わると、店の奥から出てきた人の群れが大志に襲いかかってきた。それも、十や二十なんて数ではない。
理恩をうしろに隠し、何があっても前に出ないよう忠告する。けれど、大志に何かができるわけはない。だが、やる前から諦めるなんて、嫌だ。
運のいいことに、相手の戦闘能力は皆無に等しい。武器を振り回すが、どれも大振りで、避けるのは造作もない。
それに、触れても何も情報が得られない。本当の人形のように、中身が空なのである。
「いったい、この人たちに何をしたんだ!」
「なぁに、神を創る生贄だ。多少の犠牲は仕方のないことさ」
大志を攻撃してくる人たちには、感情がない。自我というものを失っている。
それが何かの能力の影響であることは違いない。けれど、その情報が何一つ得られないのだ。
一瞬の思考が判断を鈍らせ、攻撃の範囲外へ逃げるのが遅れる。このままでは、大志の服のみならず、身体を引き裂かれる。
「世話を焼かせるんじゃねーよ!」
大志の身体は何者かに引かれ、代わりに黒い身体が前へと出た。
そして大志の代わりに、斬られる。
「ヘテッ!」
代わりに斬られたヘテは身体をうしろに倒す。
それを受け止めると、ヘテの身体には大きな切り傷がつくられていた。
しかしヘテの身体はオーガのように固く、ただの刃物では全く通さないはずである。それなのに、大志の目にはしっかりと映された。ヘテが血を流しているという事実が。
人の群れは動きを止め、大志とヘテを見下ろす。
「アヒャヒャッ! 人とオーガのハーフのせいで、かつて苦渋を味わった。だから、対策は万全なのだ!」
「それも能力の一つってことか」
オーガに傷を負わせるなんて、能力でなければ不可能だ。情報を得ている大志だからこそ、断言できることである。
だから、オーガがカマラを襲った時に、オーガが怪我をしたというのは驚いた。
「……まさか、オーガに傷をつけたのって……」
「アヒャッ、ご名答。カマラに危険を与え、それを救うことで信仰を得る、はずだった。しかし、救ったのは君で、作戦はめちゃくちゃさ。だから、苦労したんだ。でも、ちゃんとカマラの民はそろった」
もみあげ男は手を広げるが、そこには武器を持った人の群れがあるだけである。
そこから結びつけられる事実は、一つだけだ。
「ここにいるのは、カマラの住民なのか!」
「アヒャヒャヒャヒャッ! カマラの全てが、神の完成をさらに近づけたのだ!」
「さっきから神って何だよ。オーラル教は、何をしているんだよ!」
ヘテの傷は塞がり始めた。大志は安心して、ヘテを海太に渡す。
ロセクはヘテが傷ついて、とても戦える状態じゃない。海太一人に理恩とイズリ、そしてヘテ、ロセクを任せるのは荷が重いかもしれないが、任せるしかない。
大志は人の群れの外を大きく回って、もみあげ男へ接近する。
「君は女神ラエフを知っているか? この世界を作り、自分の劣化コピーを生んだのだ」
「ラエフは知ってる。だが、劣化コピーってなんだ?」
ラエフは、ちょっと頭がアレな感じの女神さまだ。忘れるわけがない。
偉大だとイズリが言っていたのは覚えているが、劣化コピーというのは初耳だ。
「ラエフは全ての能力を持っている。そして、その中の一つの能力を一人の人間に与え、この世に産み落とす」
「へー、初めて聞いたぞ」
威勢よく走り出してみたものの、人の群れは大志の動きなんて完全に無視だ。まるで電池のなくなったロボットのように、動きを止めている。
「アヒャ……だが、そんな不平等はおかしい。そんなの、人がラエフに敵うわけがない」
「なぜラエフと戦おうとしてるんだ?」
それはラエフは女神だから、人が倒したらダメなんじゃないのか。
しかしもみあげ男は、そう思っていないらしい。
「ラエフを倒す。そのために、オーラル教は存在するのだ!」
大志を電撃が襲い、壁まで飛ばされる。
電撃なんて能力もあるのか、と感心してしまった。
「このラマイラマ・チオは、いずれ神となり、ラエフを倒す!」
「……それがお前の名前か。……神か。まあ、頑張ってくれ。だが、他人を巻き込むな」
電撃のしびれが、身体の自由を蝕む。
ここを抜け出すには、まずレーメルと合流しなければならない。幸い、レーメルは奥の部屋にいるようだ。
「その能力は厄介だ。惜しいが、君には消えてもらう」
心でも読まれたのか、チオは奥の部屋へと通じる扉の前へと移動する。
「本当にいいのか? この能力は、珍しいぞ」
チオが何故こんなにも人を集めたのか。そして生贄という言葉。大志は、それを理解したのだ。
電撃で飛ばされた際に、壁に触れた。その時に、チオの能力について情報を得たのである。
チオの能力は、この建物自体だ。喫茶店にしか見えないが、ここは世界の外、つまり誰からも干渉できない場所に存在する。
そして何より注目すべきは、その効力だ。この店の物を飲むと、その者の精がチオに乗っ取られる。
ちなみに精というのは、心や能力といった人の内側のことのようだ。
それを使って、チオは何人もの能力を自分のものにしているのだ。そしていずれこの世の全ての能力を、その身に宿そうとしている。なんともバカバカしい話だ。
「アヒャヒャ……理恩のほうが珍しい」
「呼び捨てにするんじゃねぇッ!」
殴ろうとするが、その拳はチオの身体をすり抜ける。
「アヒャ、理恩の能力は、ただの移動能力ではない。移動の際に、経由しなければいけない場所がある。それが、ラエフのいる世界の外側だ。つまり、理恩の能力を使えば、いつでもラエフに会える。理恩を正気に戻されたのは想定外だったが、まだどうにでもなる!」
「……諦めたほうがいいぞ。まぬけ」
その時、すでに大志はチオを通り越して、レーメルのいる部屋へと入っていた。
レーメルのうなだれている場所には、レーメルを囲むようにコーヒーが置かれている。まるで、何かの儀式のようだ。
大志はレーメルの襟を掴んで立ち上がらせ、頬に往復ビンタを食らわせる。
「どうだ、気持ちいいだろ」
「……みゃっ!」
まるで今までうなだれていたのが嘘のように、シャキッと目覚めた。
どうやらこの様子では、まだここの飲み物は飲んでいないようである。
「大上大志! どうやってすり抜けたんだ!」
「いや、自分で身体をすり抜らけるようにしただろ。拳が身体の中を通った時に、その能力についての情報を得た。それを使ってると、五感が機能しないんだよな?」
だから、説明しているすきに通り抜けさせてもらったというわけだ。
殴られるのを恐れて、能力の範囲を全身にしたのが悪かった。
「アヒャヒャ……だ、だが、君はここから出る術を持っていない。そんな一人助けたぐらいで、その事実は覆らない!」
「悔しいが、その通りだ。でも、俺は死なない」
レーメルの背を押し、ともに駆け出す。
目標はチオだ。だが、大志とレーメルの力をもってしても、チオには敵わないだろう。しかしそんなことがわからない大志ではない。
「アヒャヒャッ! 気でも狂ったか!」
チオが手を振れば、大志の身体に切り傷がつくられる。
しかし浅く、痛みもないに等しい。チオが手を振るたびに、同じような傷がつくられた。
「そんなの痛くも痒くもない! 本当に俺を殺す気なら、ちゃんと胸を狙え!」
「アヒャッ!?」
すると、チオの手が止まる。
そして間もなく、レーメルはチオに蹴りを食らわせた。
チオはすり抜ける能力を使い忘れたのか、その身体は宙に舞う。
「ナイスだ、レーメル!」
「これくらい朝飯前みゃんっ」
レーメルはチオから距離を取り、大志と並ぶ。
そしてそれとは逆に、大志は横たわるチオに歩み寄った。
「チオ、お前は弱い。俺よりもずっと、ずっと弱い」
「アヒャヒャッ! 何を言っているんだ! 能力の数では圧倒的な差がある!」
たしかにチオの能力は多い。きっと、ここにいる人以外にも、精を乗っ取られた人がいるのだろう。しかし、大志にとってそれはどうでもいい。
大志はチオの胸倉をつかみ、持ち上げた。しかし、あまりに重くてその身体はピクリとも動かない。
「強さ、弱さってのは能力の多さで決まるもんじゃない。その志で決まるものなんだよ!」
「アヒャッ! 君よりも、志がないというのか! ラエフを倒そうとしている、このチオがァッ!」
上体を起こそうとするチオを、床に叩きつける。
チオは苦痛に顔を歪めながらも、大志の頬を殴った。
「そんなへなちょこパンチで、何が志だ! ラエフを倒すなんて語る前に、目の前の敵を見ろ! 俺たちをどうにかしないと、お前はいつまでたってもラエフに触れることすらできないんだぞ!」
すると、風が大志を包み、吹き飛ばす。
大志はすぐに立ち上がるが、その時にはすでにチオも立ち上がっていた。
「アヒャヒャ―! 君を殺すなんて、一瞬でできる」
「なら、してみろよ! 今まで何度もチャンスはあったはずだ。それなのにしてこなかった。答えは単純だ。お前には、それほどの度胸がないってことだよ!」
一歩踏み出すと、大志の腹部に何かがめりこむ。
何もないはずのそこに、たしかに何かがあり、そして大志に苦痛を与えているのだ。
これは地上でチオと邂逅した時に、海太の首を絞めた能力と同じである。
「アヒャッ! その口が二度と開かないようしてやる!」
「……もう、呆れて口も開きたくもない。お前は、弱い」
「アヒャヒャ……負け惜しみか?」
すると、腹部にめりこんでいた何かがなくなる。そして、次は見えない何かに頬を殴られた。
しかしその程度で倒れる大志ではない。
「お前はまず、操った人で攻撃してきた。だが、その攻撃は隙が多く、まるで当てる気がなかった。そしてヘテが傷ついたら、攻撃は止まった。それは、それ以上やったら、ヘテの命が危険だったからだ。お前は人を殺すのに、躊躇いがある」
「ちっ、違う!」
「いや、違わない。お前には人を殺すほどの、度胸も勇気もない。その証拠に、俺の身体に致命傷は一つもない」
大志の身体には、チオにつけられた浅い傷が残るのみだ。
どれも、害のあるほどではない。
「い、生かしてやってるだけだ!」
チオが手を前に突き出すと、大志の喉に小さな切り傷ができ、わずかに血が出た。
しかしそんなのものは、かすり傷と同じである。
「お前は、その膨大な力で俺を傷つけ、優越感に浸っているだけだ。他人が恐れているのを見て、それに喜んでいるだけだ。そして、お前はこれからもラエフを倒すことはない。能力をコレクションして、そしてにんまり微笑むだけで終わりだ」
「アヒャヒャ! そんなわけあるか! ラエフを倒し、神の座から引きずり降ろしてやる」
チオの前に出した手は震える。それでは、狙いが定まらず二次被害が出てしまうのは、必至だ。
チオの顔には、さっきまではなかった若干の恐れがうかがえる。
大志はその姿に嫌気がさし、自分の胸に手を当てた。
「人を殺す覚悟もないのに、ほざくな! さあ、俺の胸を貫け。それができないなら、巻き込んだ人を解放しろッ!」
「あ、アヒャ、アヒャヒャヒャヒャッ! やる。やってやる。大上大志を、滅する。それが、あのお方の望みなのだ!」
チオの前に出した手は氷のつぶてをつくりだす。
そして、細く尖った尖端が、大志へと向けられた。
「見栄っ張りな度胸は、お前を苦しめるだけだぞ」
大志の忠告を聞いたか聞かずか、チオのつくりだした氷のつぶては、大志へと放たれた。
風を切って進むそれは、まっすぐに大志の胸へと伸びる。
「んなッ――」
そして大志の胸からは、大量の血が噴出した。
「大志!」
理恩が空間の穴から姿を現す。
レーメルはというと、動くのが危険と判断したのか、チオを睨みつけていた。
「アヒャヒャヒャ! 油断するから、そうなるのだ」
大志は苦しく、言葉すら出ない。
口を開けば血が噴き出し、息を吸おうものなら咳きこむ始末である。
大志は油断していた。チオが人を殺すほど度胸がないと、どうせ口だけで実行には移せないと高をくくっていた。それの結果がこれでは、笑えない。
「大志! ダメだよ。私を置いていなくなるなんて……許さないよっ!」
倒れた大志の顔に、温かな理恩の手が当てられた。そしてその横には、不規則に水滴が落ちてくる。
理恩が泣いているのだ。しかし、大志にはそれをどうにかすることは、できない。
大志は悔しさを抱えながら、瞼を閉じる。あの時、叶えられなかった願いは、また叶えられなかった。しかもそれは、自らの死が原因で。
薄れゆく意識の中、闇へと落ちていく大志は、小さな光を見た。
とても小さなそれは、だんだんと大きくなり大志を包む。
これが死の感覚なのか。大志にはわかり得ない。しかし、そこに恐怖はなかった。温かな安らぎが、大志の心を包む。
安らぎの中、大志の身体に熱が生まれた。そしてそれは、体内を巡る。
すると、薄れていて意識は鮮明になり、大志は再び瞼を開いた。
胸からはまだ血が流れている。これだと、きっと喋るのも厳しい。けれど、理恩に伝えなければ、いけないことがあるのだ。理恩のためにも、大志のためにも。
「り、ごほぅ、ごっ、おん……」
「な、何!? 何でもするよ。何でも言って!」
「せっ、性を……ぐふぅっ、げぼぉッ……ま、まじ、えて……くれ」