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逆転転移のカタルシス  作者: ビンセンピッピ
第一章 始まりの異世界
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1-19 『出来損ないの策略』


「よお、こんなにすぐ出会えるとは思ってなかったぜ」


 五分……いや、もっと短かっただろうか。まるでタイミングを見計らっていたかのように、その少女は姿を現した。


 短く整えられた明るい茶色の髪に、貧相な胸。しかし平らというわけではなく、しっかりと膨らみはある。服はいつも通りの私服を着ており、その手には大志の腕を切り落とした刀が握られていた。


 理恩の目はどこかおぼろげで、まるで大志が映っていない。それが何故なのか、確認しようにも、唯一の手を伸ばすような愚かなことはできない。


「まだ、死んでなかったのね」


 まるで死んだ魚を見るような目。だが、その目は正解かもしれない。左腕を失った大志には、もはや何もできない。それは死んだ魚と大差ないからだ。

 右手で刀を持った理恩は、大志と対峙する。武器を持たない隻腕の大志に、刀を持って挑んでくるとは、さすがに卑怯としかいえない。


 太陽からの光は、真上から降り続いている。日が肌を焦がし、汗を浮かび上がらせた。頬を伝っていくそれにむず痒さを感じながらも、大志の目は理恩を捉えたまま動かない。もし一瞬でも目をそらせば、次はどこを切り落とされるかわかったものではない。


「あいにく、その手の運は強いらしくてな。俺も、お前も」


 理恩はそんな大志の言葉に鼻を鳴らし、構えていた刀で虚空を切る。

 呆れたようにも聞こえるため息を盛大に吐き出し、細めた目を大志へと向けた。優しかった理恩のそんな顔を見るのは、つらく心を締めつける。


 理恩がおかしくなってしまったのも、フードの男と、もみあげ男のせいだ。しかし二人の姿はどこにも見えていない。それはここに来ているのが理恩だけという証拠である。


「私とあなたに何の関係があるの?」


 依然として理恩には、大志が大志に見えていないようだ。なら、何に見えているのか。少し気になりはするも、そんな場合ではないと戒める。


「俺と理恩は、将来を誓った仲だ」


 ここぞ理恩に気づかれない時に、ありもしないことを叫ぶ。こんなことで、少しでも理恩の意識が戻ってくればいいと思ったのだが、きっとそう簡単にはいかないだろう。


 案の定、理恩の顔が大志の望んでいた表情になることはなかった。細めた目の上にあった眉が下がり、眉間にはたてじわが生まれる。そして開いた口からは固く閉じた白い歯が見えた。その顔はまるで、大志へと怒りを向けているように見える。


「汚らわしい。私は……大志のものなのッ!」


 怒りに満ちた理恩の刀は、空間の穴を貫き大志の目前へと現れる。

 刃に微かに触れた前髪がそこではらりと舞った。それは一瞬の出来事で、理恩が止めなければ大志の頭はトマトのように真っ赤な液を飛び散らしていただろう。

 足が(すく)んでいるのを必死に隠し、大志の目へと光を反射させる刀に触れた。


「怖いの?」


 懐かしい理恩の優しい声。

 空間の穴が視界を遮り、その姿を確認することはできない。だが、それは間違いなく大志へと向けられた言葉である。なぜなら、今この場には大志と理恩しかいないからだ。


「そうだな。このまま、ずぶりとされるのはごめん被りたい」


 ――あと少し……


 目前に悠々とその姿を示す鉄の塊は、ガタガタと揺れ始めた。それはまるで武者震いのような、それとも喜びで打ち震えているような。理恩の声が途絶え、それがどちらなのか判断がつかない。

 恐怖が大志の顔に見え始める。呼吸は不規則になり、涙とは違う水滴が頬を伝った。


 ――早く……早く……


 大志の恐怖心を煽っていた刀の揺れがピタリと治まる。

 何があったのか。理恩はどうなったのか。これからどうなるのか。大志の脳内には不安が膨らんだ。

 今の大志にはそれも仕方がない。大志には理恩に対抗する手段がないのである。


「決めた。やっぱり、あなたを許せない」


 キラリと光を反射する刃物は、大志の頬へ小さな切れ目を作った。

 切れた頬に当たる風が妙に涼しく感じる。晴天の暖かな日だというのに、その涼しさは生々しく現実を突きつけた。

 死をその身に覚悟した大志は、ポケットの中にある空になった愛液の壺を強く握りしめる。


「イズリィィィィッ!」




「――できました! 一斉攻撃です!」


 大志の声に呼応したイズリの声を合図に、理恩へとヘテ、ロセク、シュアルが飛びかかる。そして大志は、レーメルによって運ばれ、理恩の攻撃が届かない距離まで移動した。


 理恩は奇声を上げ、空間の穴から抜いた刀を上空へと振るう。その姿はまるで獣。怒りと焦りで我を失っている、人とは呼べない存在になっていた。

 しかし斬りつけたヘテの身体は硬く、逆に理恩の持つ刀が弾かれてしまう。


「なんでよぉぉぉ!」


 理恩は怒りの赴くまま声を張り裂け、それと同時に空間の穴を作り出す。すると、まるで吸い込まれるように理恩の身体は、空間の穴へと消えていった。


 そして、静寂が訪れる。理恩がどこから現れるかわからない緊張が、その場の空気を張り詰めた。

 ヘテたちも忽然と消えた理恩に慌てふためく。理恩の能力については知っていると思っていたが、もしかしたら違うのかもしれない。


「気をつけるみゃん」


 膝をつく大志の前で、ピンク髪が風に揺れる。その背はとても小さく、大志を守るには小さすぎた。しかしそれでも、大志とってはこれ以上にないほど頼りになる背中である。


 理恩はきっとヘテたちは襲わないはずだ。刀が弾かれたことで、その肌の硬さは十分にわかったはずだからである。残る選択肢はイズリ、もしくは大志、レーメル。

 少し離れた場所で身を潜めるイズリに攻撃を仕掛けたとしたら、大志たちはすぐには対応できない。しかし今のイズリなら、一人でもきっと大丈夫だ。そしてもし大志を襲ってきたとしても、大志の側にはレーメルがいる。


「レーメルも無理するなよ」


 その時、頬を撫でていた風が、消えた。

 恐怖で凍りつく首を、無理やりに風が吹いていたほうへと向ける。

 するとそこには、人がすっぽり入ってしまうほどの大きな空間の穴が開いていた。そしてそこには、理恩の姿もある。

 レーメルからは死角なのか、気づいていないようだ。


「さようなら」


 その間、一秒にも満たないだろう。

 微笑みを見せた理恩は、大志の首へと手を伸ばした。

 理恩の手くらいなら、片腕の大志でも抵抗できる。


「――待つってんよ」


 しかし、大志の手は止まった。いや、止まらざるを得なかった。

 大志と理恩に挟まれるように、刀を持った海太が現れたのである。映像ではなく、実体だ。その刃は理恩の首へと押し当てられており、理恩の手は大志へと届いていない。

 大志はほっと胸をなで下ろす。


「これ以上、大志に近づくのなら、その首がどうなるかわからないってんよ」


「ずいぶんと過保護だね。その男に、それほどの価値があるの?」


 理恩は伸ばした手を引っ込め、海太の刀を下ろさせる。ずいぶんと余裕な態度だ。

 大志の前に壁になるように、海太、レーメル、ヘテ、ロセク、シュアルが並ぶ。

 しかし、それを見た理恩は、まるで人の失敗を笑うかのように吹き出した。


「ふふっ。ここに六人。そして少し離れた場所に一人か。……どうやら邪魔者は排除できたみたい」


 理恩はそう残し、空間の穴の中へとその身を消す。

 そして穴は閉じられ、再び静寂が大志たちを苦しめた。居心地の悪い、いつ出てくるかもわからない状況で頭がおかしくなりそうである。

 それでも、容赦なく日は大志たちを焼きつけた。汗が点々と地面に形を描いては消えていく。




「大志さん! 敵の拠点がわかりました!」


 それはイズリからの伝達。そして同時に、イズリの無事を知らせるものでもあった。

 張り詰めていた緊張が解ける。なぜなら、イズリのその知らせは、理恩が拠点へと戻ったという合図でもあるからだ。


 今のイズリは勃起状態。愛液の壺が空になっていたのは、そのせいである。飲ませた途端に気を失うから焦りもしたが、一分もしないうちに目覚めた。そして目覚めたら、ちゃんと勃起状態になっていたのである。


「大志さーん!」


 建物の影から、その胸を揺らして走ってくるイズリが見えた。手を振っている姿に、外傷は見られない。服も破れておらず、言葉どおりの無傷である。

 しかし、その姿に妙な違和感を覚えた。何がなのか大志には判断できなかったが、鋭い目を向けるレーメルには、その違和感が何かわかったようである。




「……違うみゃん」


 大志が顔を向けたときには、すでにレーメルはそこにいなかった。海太もヘテブラザーもレーメルを見失っている。

 鈍い音が聞こえ、レーメルとイズリが衝突した音だと気づいたのはすぐだ。

 イズリはすり身になってしまいそうなほど身体を地面に擦り、そしてそびえ立つ家の壁へとその身を叩きつけられる。


「イズリはどこに行ったみゃん!?」


 手をついて血反吐を吐くイズリに、怒りを隠しきれないレーメルは声を強める。

 何がレーメルをそこまでするのか。まさか淫らに胸を揺らしていたことだろうか。しかし大志が違和感を覚えたのは、きっとそこではない。

 もっと根本的な違和感が、そこにはあったはずだ。


「おいおい、さすがに胸を揺らしたぐらいで……」


「大志は何を言ってるみゃんッ!」


 その声に、伸ばした大志の手が止まった。

 レーメルは血反吐を吐くイズリの背へと、かかとを叩きつける。

 するとイズリは腕の力を失ったのか、自ら吐いた血に顔を埋めた。いくらなんでもスパルタ過ぎる。これでは、イズリが壊れてしまうのは時間の問題だ。


 大志は不安定な身体を走らせ、レーメルの腕を羽交い締めにする。小さな身体に秘められた力は、大志とは比べ物にならない。それに大志が押さえられるのは片腕だけ。振り切られそうになるので、仕方なく腕を胴へと回した。

 指先が触れた突起物をふにふにとこねくり回す。するとそれは、だんだんと硬く、だんだんと大きくなった。そしてなぜだか、レーメルから漏れる声も大きくなる。


「や、ぁ……やめる、みゃんっ」


「なら、イズリをいじめるな」


 最後に突起物を爪で弾き、レーメルを自由にする。

 前方へと倒れそうになるのを踏ん張ったレーメルは、足を回して大志の腹部へと蹴りを入れた。しかも防がれないように、しっかりと左腹部を狙ってくるのは考えられている。


「うっ……だからって、俺をいじめないでくれ」


「自業自得みゃん」


 レーメルは大志の顎を殴り上げ、くるりと背を向ける。

 その先で倒れていたイズリは、憤怒と屈辱に染まった顔をレーメルへと向けていた。

 まるで、イズリではない。怪物がイズリへと姿を変えていたかのようだ。そしてその化けの皮がレーメルによって剥がされた。そう思ってしまうほど、今のイズリはイズリになりえていない。


「っれ、えぶっ……レーメル……」


 イズリがやっと紡いだ言葉は、その視線の先で見下ろすピンク髪の少女の名。

 しかしやっと紡いだその言葉も、レーメルの耳には届かない。聞く耳を持たないといったほうが正しい。

 レーメルは鼻息を荒げ、イズリの背に自らの足跡をつける。


「ま、待てって。何をそんなに怒っているんだ?」


 レーメルとイズリの間に膝をついて割って入ると、レーメルの威圧的な眼光が大志を見下ろした。その目を見ただけで、敵わないと身がすくんでしまう。犬に襲われる猫の気持ちが、嫌というほどわかった。

 妙なことをすれば、首を持っていかれてしまうのではないか。

 レーメルの抑えている怒りが、もうすぐ爆発してしまうのではないか。


 内心ビクビクだが、それでもイズリが痛めつけられるのを放って見ていられるほど、大志は人間を捨てていない。




「そこを、どくみゃん」


 レーメルの手が大志の肩に置かれる。

 このままレーメルの邪魔をすれば、きっとただではすまない。それどころか、そのまま土の下でお休みになるかもしれない。


 今まで苦労せずに生きてきたわけではないが、特別鍛えていたわけでもない。だから、怒りに満ちたレーメルの一撃を食らったら、デッドオアヘヴン。特殊な癖に目覚めるのは、避けたいところだ。


「せめて理由を教えてくれ。話はそれからだ」


 今のレーメルに話が通じるとも思えない。なぜなら、完全に我を失っているからだ。

 怒りに染まった瞳は、大志の先にいるイズリへと向けられている。大志など眼中にないのだ。


「そこにいると、危ないみゃん」


 その言葉を聞いたときには、すでに大志は地面と接吻していた。あまりの速度に、何があったかすら大志にはわからない。

 大志はすかさず上体を起こすが、レーメルの険悪な表情に身体が動かなくなる。




「大丈夫ってんか?」


 駆け寄ってきた海太の顔が視界に入ると、強張っていた筋肉が緩む。

 呼吸が乱れていることに気づいたのはそのときだ。自分でも気づかないほど、大志は興奮していたのである。それがレーメルへの怒りからか、それともレーメルへの恐れからか。

 どちらにせよ、海太のアホ面を見たらその興奮が落ち着いた。


「ああ、それよりレーメルを」


 海太の先で睨みあうレーメルとイズリは動かない。

 目立った傷のないレーメルと、血反吐を吐くイズリでは、どちらが優勢かは明らかである。


「レーメル……どうして……」


 今にも消えてしまいそうなイズリの声。まるでそれは息絶える寸前の子猫のようだ。

 しかしそれが、レーメルの堪忍袋の緒を切った。

 レーメルは横たわるイズリを、まるでボールを蹴り上げるように軽々と上空へとあげる。そしてそれを追うようにして、レーメルも高く飛んだ。


「私のイズリを、侮辱するなみゃぁぁああんッ!」


 レーメルの小さな拳は、イズリをさらに高くへと殴りあげた。



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