1-15 『傷心の再会』
「わりとすぐついたな」
そこはすでにカマラの町中である。
サヴァージングから続くアクトコロテンでは、特に問題はなく平和だった。唯一問題があったとすれば、オーガが壁を作っていたであろう場所が、壊れていたくらいである。いつか誰かが気づいて直すはずだ。
「ここのどこかに理恩がいるってんな」
「そうだな。だが、ここは敵だらけだ。いつ襲ってくるかわからないぞ」
刀を持った男に囲まれたことを憶えている。刀を持っていたということは、戦闘ギルドではない。故にアイスーンも状況を理解できていなかった。
アクトコロテンの見張りがいない。おかげで大志たちは、すんなりカマラへ侵入できたが、いくらなんでも無防備すぎる。これでは人もオーガも侵入し放題だ。
「少し静かですね」
町を見たイズリの第一声。
イズリの言うとおり、たしかにカマラは静まり返っている。しかし今はもう日が沈みかけている時間だ。そんな時間になれば人々が家へと入り、外が静まるのは当然である。
「これから夜になる。今から行動するのは、迷惑になるか」
理恩を助け出すのに、カマラの民を巻き込むわけにもいかない。
「そうだってんな。とりあえず寝床を探すってんよ」
「いえ、ここでいいですよ」
イズリはその場に座ると、壁に寄りかかった。
ここはカマラの入り口のすぐそばである。ということは、人に見つかりやすい場所だ。
「いや、さすがに危なくないか?」
「何も危なくないです。少し眠るだけですから」
胸を強調するように腕を組むと、イズリは目を閉じた。
こんなところで寝たら、触られ放題、やられ放題だ。それで損をするのは、イズリだけである。
「人もいないようだし、仕方ないってんな」
そう言って海太も、その場に横になった。
二対一じゃ勝ち目がない。ここで一晩を明かすしかない。
「よし、俺が見張ってるから、二人は安心して寝てろ」
イズリの言っていたことが気になり、町を練り歩いた。
静かすぎる。まるでカマラから誰もいなくなってしまったかのようだ。異様なまでの静けさに、恐怖すら感じる。家から漏れるはずの光も、ない。覗いてみても、そこはもぬけの殻だ。
「どこに行ったんだ……」
大志は走った。どこまで行っても、光がない。それに、誰もいない。
まさか何かに襲われたのか。けれどオーガは人を襲わない。それとも、あの偽者の理恩だろうか。しかし、それならこんな綺麗に町が残っているものだろうか。レーメルが襲われたあとを見るに、あの理恩が暴れたとすれば町は半壊とまではいかないとしても、壊れているはずである。
「おーい、アイスーンはいないのかー?」
あの時、大志が逃げるために一人残った少年の名だ。
しかしそれに応える声はない。
「誰かいないのかよ!」
「いるぜぇ」
夜の路地に、大志以外の男の声が響いた。聞き覚えのある、嫌な声である。
剛腕とそれに見合った体格。閉じられた右目には縦に切り傷のようなものがあった。
「お前は、物流ギルドの男か」
「ああ、そうだ。それとな、バンガゲイルって名前があんだよっ!」
直後、振り上げられた剛腕が大志へと降りかかる。
それをギリギリのところで避け、バンガゲイルを睨みつけた。
「そんなことで怒られても、困る。聞いたのは初めてだぞ」
剛腕が振り下ろされるたびに、地面にはクレーターがつくられた。いくらなんでも強すぎる。一発でもまともに受けてしまったら、命に関わる事態だ。
「なんだよ、目は怪我でもしたのか?」
「へっ、女男がやけに強くてな。まさか、あそこにいたやつらを全員倒すとは思わなかったぜぇ」
女男とは何か。女であり、男でもあるということか、それとも女のような男のことだろうか。前者は知らないとしても、後者なら思い当たる人物がいる。
「……まさか、アイスーンのことか……?」
「そんな名前だったな。ビビッたぜ、ひん剥いたら男なんだからな」
つまりアイスーンは、バンガゲイルに負けて、捕らえられた。
バンガゲイルは無意味と気づいたのか、その巨体の動きを止めた。そして、ニヤリと笑う。
「そんな避けてばっかだと、尽きるぜぇ」
「断念ながら、命を投げ捨てるようなバカじゃないんだ。それに、お前と戦う意味がない」
「へっ、アイスーンは今頃、どうなってんだろうなぁ?」
バンガゲイルの顔は卑しく歪む。
アイスーンもそうだが、この町の人たちもどうなっているのか。きっとそれも、バンガゲイルが何か関係しているのかもしれない。
「アイスーンはどこにいるんだ?」
「地下牢だ。俺を倒せたら、行ってみるといいぜ!」
剛腕が、しゃがんだ大志の真上を通過する。すると辺りの建物が軒並み崩壊した。しかしそんなことに驚いている暇はない。バンガゲイルの追撃が降りかかる。
瓦礫が大志の動きを制限した。そのため、バンガゲイルからの追撃を避けることができない。
「ひゃっはー! これで昇格だぜぇ!」
バンガゲイルの叫びが、脳内を駆け巡る。
何のことだか、大志には理解できない。バンガゲイルは物流ギルドだ。物流ギルドについてはよく知らないが、大志を倒すことで昇格するなんてありえない。
そう考えているうちに、剛腕が目前に迫る。しかし、その腕は数センチ手前で止まった。
「な、なんだよ……」
「早く逃げるってんよ!」
海太の映像が……いや、実体だ。海太は大志の身体を担ぐと、バンガゲイルを背に走り出す。対するバンガゲイルはというと、まるで石像のように止まったままだ。
海太は眠っているはずである。それなのに、なぜこんな場所にいるのか。それに、海太がここにいるということは、イズリが一人ということだ。
「大志さん!」
しかしそんな心配もつかの間。少し走ればそこに、イズリがいる。
「ったく、一人じゃ危ないってんよ」
「なんで、ここにいるんだ?」
「大志が一人でどこか行くからってんよ」
イズリの呪いで動きを封じられていたバンガゲイルは、呪いが解けると海太を追った。瓦礫があるというのに、バンガゲイルの動きは素早い。
海太も頑張っているが、距離はどんどん詰められている。イズリの呪いも、再び使えるまでにはまだ時間がかかりそうだ。
「俺のせいか。俺のせいで、こんな目に……」
「そんなことないってんよ」
担いでいた大志をイズリへと投げ渡すと、海太はバンガゲイルへと向き、目を光らせた。その光は海太の前で一つになると、細長いものを形成する。
海太はそれを掴むと、鞘から抜いた。
それは戦闘ギルド以外が持つことを強制されている刀だ。バンガゲイルの腰にあるものと同じである。
「さあ、勝負ってんよ」
「こいつぁ、また、妙な力を使いやがる」
海太は刀身をバンガゲイルに向け、地面を蹴った。
鋭い刃がバンガゲイルに迫る。しかしバンガゲイルはそれを物怖じともせず、刀身に剛腕を押し当てた。すると、鋭い音と共に、海太の持っていた刀は折れる。
海太は折れた刀をバンガゲイルに投げつけると、イズリのもとへと走った。
「なんだってんよ、あいつ!」
「能力の類ですね。さすがに不自然すぎました」
たしかに海太の刀は、本物と大差ないはずである。折れた刃が瓦礫に突き刺さっているのが、その証拠だ。
バンガゲイルは、その刀を腕一本で折った。それは並大抵の人間ができるものではない。
「いや、あいつには脚力強化の能力しかなかったはずだ」
「今はそれだけとは限りません。新たな能力……覚醒していれば、ですけど」
イズリはキッと睨みつけると、バンガゲイルから逃げるように走り出した。
それを追って、大志と海太も走る。しかし普通に走っただけでは、追いつかれるのは時間の問題だ。
細い路地を何度も右折左折し、バンガゲイルの視界から逃れる。バンガゲイルは、さっきのように町を壊そうとはしないようだ。
「海太、さっき勃起してたよな?」
「そうだってんよ」
「意識的に勃起ができるのか?」
もしそうなら、コツを伝授してほしいものだ。
自らの意志で勃起すれば、暴れることもないだろう。
「いや、イズリの胸を見てたら勃起したってん」
目を向けると、イズリは訝しげに眉をひそめた。
イズリはちゃんと服を着ている。特別に胸を見せたような形跡はない。大志のように透視が使えるわけでもない。
「見たといっても、服の上からだってんよ」
「それで勃起したのか」
「そうだってん!」
親指を立てるが、そんな誇らしいことではないだろう。
逆に情けない気持ちでいっぱいだ。
「そんな簡単に勃起できるのですか?」
「もう、したあとだってんよ」
イズリが興味を示すが、そんなことは一般人にできることではない。
海太が特殊すぎるから、できたことである。
「私もできるでしょうか?」
「それはやってみないとわからないってんよ」
そんな時、バンガゲイルの声が聞こえた。迷路のような路地の中、バンガゲイルの声は確実に近づいてきている。うまくまけたと思っていたが、詰めが甘かったようだ。
大志たちの真横を、バンガゲイルが通り過ぎていく。まるで、猫に追いかけられるネズミの気分だ。
呼吸の音ですら、バンガゲイルに位置を知らせてしまうことになる。息を殺し、バンガゲイルがいなくなるのを待った。
細い路地にある横長の木箱の中。そこに大志たち三人は身を寄せて入っている。
狭いため、イズリの身体に触ったり当てたりしてしまっているが、許してくれるはずだ。
イズリは顔を赤く染め、何かに耐えている。それと同じように、大志も勃起しないように必死に耐えた。こんな場所で勃起してしまえば、バンガゲイルに気づかれてしまう。
「もう、大丈夫だってんな」
バンガゲイルの足音が聞こえなくなり、しばらくすると海太が声を漏らした。
しかし一安心ではない。木箱から出ようとするが、それが一苦労どころではない。蓋を開け、そこから一人ずつ出る。途中でバンガゲイルが現れないか、ひやひやしながらの作業だ。
「ふぅ……、抜けたってんな」
「そ、そうですね」
木箱から出たイズリは、まるでタコのように真っ赤になっていた。それにいつもよりか、息も荒い。目もどこか虚ろだ。まさか病み上がりの影響が、ここにきて出たのだろうか。
「大丈夫か?」
肩に手を置くと、イズリはその虚ろな目を大志に向けた。そんな顔を見ると、大志までどうにかなってしまいそうである。
「イズリ、勃起してるんだな」
それは、大志の得た情報。触れた際に、イズリが勃起しているという情報を得た。初めての勃起に、イズリは困惑しているようである。イズリの勃起した能力は、呪いの強化だ。今まで使えなかった高度な呪いも使えるようになっている。
「どうするってん?」
「ここで止まっているわけにもいかない。アイスーンがいるという地下牢に急ぐぞ」
勃起しているイズリを背負い、大志は走り出した。
それにしても、イズリさえも勃起した際に暴れる気配はなかった。もしかして、勃起した時に自分を失うのは大志だけなのだろうか。
「本当にここであってるってん?」
「ああ、間違いない」
イズリを背負っていると、吐息が耳へとかかる。それが普通の吐息だったらよかったのだが、勃起しているイズリの吐息は、どこか艶かしい。そしていつしか、大志も恐れていた勃起をしてしまったのだ。
しかし理性を失うことはなく、今もイズリを背負っている。
アイスーンがここにいると断言できたのも、透視の力で捕らえられているアイスーンの姿を確認したからだ。
「それにしても、暗いってんな」
「いきなり刺されないように注意しろよ」
地下牢への階段は暗く、踏み外してしまいそうだ。
ここならいきなり襲われても、対処できない。だから、注意を怠れないのだ。
「あとどれくらい降りるってん?」
壁に手をあて、透視してみる。すると、あと十数メートル先にアイスーンの姿が見えた。その身体は一糸纏わぬ姿だが、これは透視の力故か、それとも本当に脱がされているのか。バンガゲイルはひん剥いたと言っていたが、まさかそのまま放置ということもないだろう。
「すぐそこだ」
壁から手を離すと、階段の先に微かな光が見えた。きっとそこに、アイスーンがいる。
大志は海太を置いて走り出した。
階段が終わると、そこはT字路のようになっており、右から光が漏れている。大志は光のもとへと歩み寄った。
「これは……ひどい」
極太の鉄柱が、アイスーンと大志を隔てるように何本も立っている。鉄柱と鉄柱の間は腕が一本通るほどしかなく、その奥では手足を拘束されたアイスーンが、その肢体を包み隠すことなく晒していた。
気を失っているのか、アイスーンは顔を下に向けたまま動かない。
「アイスーン……顔を上げてくれよ……」
しかしアイスーンは動かない。
牢というくせに、扉のようなものが見つからない。これでは海太の能力で鍵を探そうにも探せない。
だがこの中にアイスーンがいるということは、どこかに道があるはずだ。大志は鉄柱を握り、情報を探す。すると、アイスーンをここに入れた時の情報が得られた。切断の能力者と、修復の能力者が、アイスーンをここへと運んだらしい。それなら、扉がなくてもアイスーンを入れることが可能だ。
「これはお手上げってん」
「そんなすぐ諦められるか。どうにかして、アイスーンを……」
「私に任せてください」
背負われていたイズリはそう呟くと、大志の前へと移動し、鉄柱へと手を向けた。
すると鉄柱がどろどろと熔け始め、大志とアイスーンの間にあった隔たりがなくなっていく。それが、使えるようになった呪いの一つだ。
今まで使っていた呪いとは一線を画すものである。
「アイスーン!」
まだ完全になくなってはいないが、大志は鉄柱を飛び越えてアイスーンに駆け寄った。
顔を上げてみると、目から光がなくなっており、だらしなく開いた口からは唾液が垂れている。
口を閉じさせ、頬を撫でた。
「誰が、こんなことをしたんだ?」
返事を期待していない問い。案の定、アイスーンから返事はなかった。しかし、それの代わりに、情報が流れてくる。
アイスーンがフェインポスを飲まされたということだ。
フェインポス。それは、カマラからサヴァージングへ向かう際に、大志たちが捕らえられそうになった原因の品である。あの時、バンガゲイルは持ち込んだとする大志たちを罪人と言っていた。だが、アイスーンはバンガゲイルに捕らえられ、ここにいる。そんなアイスーンに、誰がフェインポスを飲ませたのか。
答えは明白だ。アイスーンにフェインポスを飲ませたのは、バンガゲイルだ。




