5-25 『逃げるな』
「あっさり入れたな……」
城の地下にある魔黒の目の前までやってきた。丁寧にスプリガンの案内付きで。
どうやらスプリガンたちにも記憶が残っていたようで、この現象を引き起こした能力はとんでもないもののようだ。
「早速回収して地上に出ましょ。きっとアイツも記憶が残ってるはずよ」
あいつとは剛のことだろう。一時的だが主人にしていたことを屈辱に思っているのだ。
グリーンとピルリンの魔法で魔黒をビンに詰めると、地下での用はなくなる。念のためにオオツキの刀を回収し、アリエルの城を後にした。
「連れて行かなくていいのらー?」
「数を集めても剛には勝てない。だから少数精鋭で挑む。……海太、キチョウは呼べるか?」
すると海太は懐から一枚のカードを取り出す。そんな紙切れ一枚でキチョウが瞬間移動してこれるのだから、魔法は恐ろしい。
そして、溢れる光の中からめんどくさそうにキチョウが出てきた。
「はぁ……何なのよ、本当に。気づいたら第四星区に戻ってるし、意味わからないわ」
「色々と事情があってな。繰り返されてた時間から抜け出したから、これから元凶を倒しに行くんだ。そのためにキチョウの力が欲しい」
キチョウが加わるだけでも、勝率は格段に上がる。代行だが仮にも六星院の一角。剛の暴走を見過ごせるはずがない。
何があったか説明すると、少し考えた末に、嫌々ながら賛同してくれた。
「こっちの星区とはあまり交流ないし、助ける義理もないのよね」
「それでも世界の危機だ。魔神なんて蘇ったらいやだろ?」
「見たこともない相手に嫌も好きもないわよ。……でもまあ、どうしても私が必要って言うなら、協力してあげるわ。ね、海太」
キチョウは振り返り、カードを持ったままの海太にウィンクをする。
対する海太は顔を赤くして、慌てたようにカードをしまった。
「そっ、そうだってん。キチョウの力がどうしても必要だってんよ」
「……わかったわ。なら、いっぱい頂戴よね?」
熱い吐息と共に出した舌で、自分の唇を舐める。そんなキチョウを見て、海太は身体を震わせた。
まさか海太に好意でもあるのだろうかと疑ってしまうが、今はそれよりも剛である。
「その話は後にしてくれ。これから魔神臓を回収して、剛を叩きに行く。準備はいいな?」
「……魔神臓がここにあるの? たしか第五星区が管理してるとかなんとか……」
キチョウが不思議そうな表情を見せると、グリーンはバツが悪そうに視線を逸らした。
魔神臓の再臨に必要なカギをヴァンパイアが持っていたのだから、それは事実だったのだろう。そしてパイルーデ・サックリントによって第一星区まで持ち逃げされた。
「ピルちゃんは知らないですよー!」
「……というわけで、グリーンはどうなんだ?」
すると両耳を塞いで口笛を吹き始める。誤魔化すつもりはないようだ。
視線で合図をすると、頬を膨らませたピルリンがグリーンの顔を覗き込む。すると鼻の下を伸ばしたグリーンは誘惑に負けて、塞いでいた耳を離してピルリンを抱きしめた。
「かわいい可愛いカワイイッ! あぁ、ピルリン、ピルリンっ、ピルリンッ!」
「教えてくれたらキスまでしていいぞ」
「えっ?! ごっ、ご主人様ーっ!!」
なのに、鼻息を荒くしたグリーンは無理やりピルリンの唇を奪う。助けを求めようと手を伸ばすピルリンだが、誰も助けようとはしない。助けられないからだ。
かわいそうにと眺める中で、キチョウだけが汚物を見るような目をしている。
「んっ、ぅぐっ、んんぅ……んちゅっ、ぅ、むぅ……んふぅ……ふぅ……」
長く続いたキスが終わると、自由になったピルリンは地面に倒れて、ぴくぴくと身体を痙攣させた。魔力供給も行われ、普段とは異なる質の魔力に身体が対応しきれていない。
満足したグリーンは口を拭うと、微笑む。
「魔神臓がなぜここにあるか、って話だったわね。違う局の話は滅多に聞かないのだけど、あの出来事については何度も耳にしたわ。当時、魔神臓を所持していたのは保存局よ。そこの局長をしていたパイルーデ・サックリントが機密情報と共に魔神臓と鍵を持ち出し、逃走した。騒ぎになって捜索隊が何度も派遣されたけど、見つかったという報告はなかったわ」
「なんだ、それ。けっこう重大事件じゃないのか?」
「そうよ。パイルーデ家は名の知れた家系だったけど、それで落ちぶれたわね。おまけにサックリントが捕まらないんで、一家全員を罪人扱いするようになってね……」
そこでグリーンは、痙攣し続けるピルリンに視線を落とした。
サックリントのせいで罪人になった家族が可哀そうすぎる。しかし、魔神臓はかつての災厄の元凶といってもいい。それを持ち出されたのだから、仕方ないのかもしれない。
「グリーンはいつから魔神臓があることを知ってたんだ?」
「アイツ……イチモツの血を飲んでからよ。魔神臓について、アイツから聞いた」
「第五星区には連絡したのか?」
「してないわ。今の第五星区をよく思ってないもの」
ピルリンを虐げてきた第五星区を許せないのだ。だから第五星区の言いなりには動かない。
そして悲しそうに目を細めると、グリーンは大志に目を向ける。
「この子に聞こえるところで、もう二度とこの話をしないで」
「……理由を聞いてもいいか?」
一度口を強く閉じた。それにどんな意味があるのか。そもそも、この話とピルリンに何の関係があるのか。
グリーンは大志以外も見回し、それから小さくうなずく。
「この子の一族だからよ。パイルーデ家がね」
その言葉に耳を疑った。
ピルリンからそんな話を聞いたこともなかったし、レイウォックからサックリントの話を聞いたときにもピルリンは何も言わなかった。
「パイルーデ・ピルリン……?」
「ふふっ、違うわよ。ピルリンは仮の名。本当はパイルーデ・ラインビューズっていうの」
そしてため息を漏らしたグリーンの手を握る。
ピルリンが虐げられていたのは、罪人扱いされていたから。ユニークを明かしてはいけなかったのは、罪人が優れていてはいけないから。
そんな中で、味方だったのはグリーンだけ。グリーンの愛がなければ、今のピルリンはない。
「ありがとう。ピルリンを助けてくれて」
「当然のことよ。この子に罪はないもの。……だから、坊やが幸せにしてあげて。ご主人様になったんだから、拒否権はないわよ?」
「なら、グリーンも幸せにしてやらないとだな」
ふざけて言ってみると、大きく手を鳴らしたキチョウが割り込んでくる。そしてグリーンと握っていた手は離され、キチョウに睨まれたグリーンは口を閉ざした。
ピルリンとのキスが気に入らなかったのなら申し訳ないが、ここで怒られても困る。
「あなた、あの時に使っていた魔法は誰から教わったの?」
「……あの時って言うのがわからないけど、だいたいはシアン様から教わったものよ」
「シアン……六星院のあいつか」
キチョウは手を離し、腕を組んだ。
剛との戦いの中で、魔力が圧縮されて一歩間違えれば爆発しそうだと教えてくれたのはキチョウである。グリーンも承知の上でやっていたのだろうが、そんな危険なことはコリゴリだ。
「なら忘れなさい。あれは禁忌級魔法……やってはいけないことよ」
「違うわ。あれは高級魔法なんだからっ!」
否定するグリーンの頬を、平手が叩く。そして呆れたようにため息を漏らし、目を閉じた。
直後、大志たちは北区にある魔神臓の下に立っている。何が起きたのか理解できない。アリエルの家を出て、森の中にいたはずだ。
「これが高級魔法。魔力を圧縮させる必要なんてないの。あなた、シアンに騙されてるだけよ」
「だ、騙されてるなんて……何のために?」
「私が知るわけないでしょ。魔法は世界を再構築する技法なんだから、使う時は自分でよく考えて使いなさい」
魔法についての知識も技術もキチョウのほうが優れている。それが嫌というほどわからせられ、グリーンは悔しそうに口を閉じた。
キチョウの肩に手を置き、情報を探る。そして魔法についての膨大な知識にたどり着く寸前、恐ろしい何かが逆流してきた。咄嗟に手を離して尻もちをついた大志は、流れる汗を拭う。
「……な、なんだ今の」
「知りたいなら、相応の器が必要なのよ。魔を受け入れられる技量もね」
ピルリンやグリーンの力を借りたときは、こんなことはなかった。直接、魔法について知り得ようとするとこうなるようだ。
鼓動する魔神臓を見上げ、息をのむ。魔法だけじゃない。魔神臓を受け入れることも、魔を受け入れるということなのだ。
「なら、魔神臓を……受け入れられるのか……?」
わからない。自信は疑心に変わり、決意が失意に変わる。前にできたから次もできるというのは、あまりにも愚かな考えだ。
しかし大志がやらなければ、何も変えられない。理恩を救うこともできなくなる。
「大丈夫だってんよ。大志ならできるってん」
「海太……俺には……」
海太に背を叩かれ、立ち上がった。海太だけではない。仲間が支えてくれている。今までだって、仲間がいたからどんな無茶でもやってこれた。
もう二度と後悔したくないから、命をかけられる。今さら恐れることなんてなかったのだ。
「いや、俺ならできる! 俺がしないと意味がないんだ!」
両腕を広げ、魔神臓に鍵を捧げる。そして塵のように砕けた鍵が吸い込まれ、魔神臓は大志を飲み込んだ。
遠のきそうな意識を必死に繋ぎ、流れてくる畏怖を受け入れる。
「変わらぬな、我が器は」
「……魔神臓か。お前にも記憶が残ってるってわけか」
「幾星霜もの記憶を有している。汝との記憶もな」
黒く染まった中に伊織がいた。魔神臓が創り出した幻像だとわかっていても、笑顔を見せるその姿に涙が流れてしまう。
そして涙を流す大志に手を伸ばし、伊織が温かく包んだ。そのすべてが伊織そのもので、涙はとめどなく流れる。
「頑張ったね。ぜんぶ見てたよ。たくさんの人を助けて……感謝されて……。そんな大志に愛されてるなんて、嬉しい……」
「俺は伊織が好きだったんだ! もっと……うっ、も、っとぉ……はやっ、くにぃ……気づけて……いれば……」
すると伊織の感触がなくなっていく。だんだんと姿も消え始め、すがるように強く抱きしめた。
しかし伊織は消えていく。それはどうすることもできず、消えていく伊織に涙を流すしかできなかった。
「そんなに泣かないで。これからも、ずっと大志のそばにいるから。だから、笑って……」
伊織の唇が重なる。しかしそれは一瞬で、すぐに消えてしまった。そしていなくなった伊織を探して手を動かすが、そこには何もいない。
落胆する大志に光が差し込み、気がつくとそこには仲間がいる。
「帰ってきたってんな」
傷などどこにも見当たらない。そして頭上にあった魔神臓はなくなっていた。無事に受け入れることができたのだ。
頬に残っていた涙を拭き、親指を立てて見せる。
「よしっ! あとは剛を倒すだけだ!」
ポーラが現れた理由はまだわからないが、きっと第一星区のどこかで待っているのだ。
海太、詩真、バンガゲイル、レーメル、トト、アイスーン、ピルリン、グリーン、そしてキチョウを連れて剛のいる協会に向かう。その他は危ないので待機だ。
トゥーミからもらった精霊の力は、トゥーミが離れた場所にいても使える。だからわざわざトゥーミを危険な場所には連れていけない。
「勝算はあるでござるか?」
「そんなのはない! だが、倒さないといけない。だから絶対に倒すだけだ!」
「坊やは頭が弱いのかしら……」
そして中央区につくと、荒れていた。協会を中心に、町が壊滅的な被害を受けている。レイウォックに会いに行ったときは飛行したので、中央区がこうなっているとは考えもしなかった。
被害の中心には、四本足の首なし魔神が立っている。それは間違いなく剛だ。
「なんで、もう魔神に……?」
すると魔神の腕が大志のほうへ向き、黒い霧のようなものが円柱状になって迫ってくる。
詩真の能力でも、ヴァンパイアの魔法をもってしても、その霧は止められない。その光景に、嫌な記憶がよみがえる。オーガの長との戦いで、詩真が寄生された時の霧とよく似ているのだ。
「逃げるんだ、今すぐに!」
「逃げるな、大志ッ!」
大志の言葉を否定した声は、頭上から降ってくる。そして大志の前に降り立った金髪の男と、水色の長髪を揺らす少女。
二人が魔神へ手を向けると、霧は徐々に消えた。
「戦わずに逃げる選択をすれば、それは敗北と同じだ」
「どうして、ここに……」
大志の前に立った二人はイパンスールと、ポーラである。ポーラがいるのはなんとなくわかっていたが、イパンスールまでいるとは驚きだ。
「あれから連絡がないから来てみれば、この荒れようは何だ。第一星区は安全でのどかな場所ではなかったのか?」
「すまぬ。あれの存在は知らなかったでござる」
頭をかいたイパンスールは、ポーラに視線で合図をする。するとポーラはうなずき、大志へと顔を向けた。
ポーラが能力に割り込んでくれなければ、大志はいつまでも永遠の繰り返しに捕らえられていただろう。ポーラにそんな力があったとは驚きだ。
「我が力を貸してやる。あの魔神程度なら、我らだけでも勝てる」