5-24 『異なる道筋』
「来たぞ、トゥーミ。待たせたな」
大志の姿を目にしたトゥーミは、溢れる涙を抑えられない。
そして走ってきたトゥーミをしっかりと抱きしめる。
「……こわ、くて……怖くて……」
「もう大丈夫だ。すべてを救ってやる……だから、俺にすべてを任せろ。俺に、トゥーミの初めてをくれ」
能力から解放された者は、次第に繰り返された記憶を思い出した。それはトゥーミも同じである。
見上げたトゥーミと唇を重ねた。すると、大志の首に刻印が描かれる。
「……二回も奪われちゃいました……」
「嫌か?」
「嫌だったら、こんなに落ち着いてないですよ」
そう言って大志の胸に身体を預けるトゥーミを、詩真が引き離す。そして慌てたように大志とトゥーミの顔を交互に見た。
「いつの間にそんな関係になったの!?」
「そんな関係って何だよ。俺と詩真みたいに記憶残して繰り返してたわけじゃないんだ。混乱するのは当然だし、それを受け止めてやるのが俺たちの役割だ」
トゥーミの頭を撫で、背を向ける。まだ手に入れたのは片方だけだ。心を落ち着けるには、まだ世界は危なすぎる。
するとトゥーミに服を掴まれた。振り返ると、その左目には十字架が描かれている。
「……気づいたのか。でも、本当にいいのか?」
「少し、不安です。……けど、後悔は……したく、ないです」
「その目……どうしたでござる? 何を知ってるでござる?」
困惑したトトは歩み寄るが、未知の事態に触れることを恐れた。
そうなっても仕方ない。今の今まで、トゥーミ自身ですら知らなかったのだから。その身に秘められた能力のことを。
「あんまり詳しく言えないが、トゥーミの能力だ。俺ですら、触っただけじゃわからなかった。キスしてトゥーミの中を探った時でも、微かにわかったくらいだ」
「これは私の選択……未来永劫、永遠たる契り……」
「どういうことでござるか?! 何をするでござる!?」
我慢できなくなったトトはトゥーミへと手を伸ばす。しかし謎の力で弾かれ、トトは後退した。
トゥーミが大志を視界に捉えると、もう片方の目にも十字架が描かれる。そしてトゥーミの手は優しく大志の胸に触れた。
「重なりし世界の十字路……重なりしはこの身。媒体を食らい、この者に純然たる契りを結びたまえ」
胸に熱い痛みが刻まれる。深く、抉るような痛みは、口から血を吐き出させた。
その血を顔面に浴びても、トゥーミの表情に揺るぎはない。それほどまでに真剣で、大志も負けじと痛みを堪える。
そして胸から手を離し、握りしめた拳を打ちこんだ。
「ぐッハァ――!」
血を出して倒れそうになった大志を、トゥーミが抱きしめる。
「ごめんなさい。痛かった、ですよね……」
「俺は大丈夫だ。それより、トゥーミのほうこそ大丈夫か? 俺よりも、つらいはずだろ」
するとトゥーミは首を横に振った。トゥーミの両目には十字架が描かれたままで、それがある限り、トゥーミの能力はなくならない。
「どういうことだってんよ。説明してほしいってん」
「精霊契約です。私の身体を糧に精霊契約したんです」
しかし、トゥーミのその言葉を理解できたのはアイス―ンだけだった。
珍しく怒りをあらわにしたアイス―ンはトゥーミの頬を叩く。そして倒れたトゥーミを立ち上がらせ、その肩を揺すった。
「精霊契約は、そんな簡単にしていいものじゃないッ! 今すぐ契約を破棄するんだ!」
「……できない、です。これは永遠たる契り。どんなことがあろうと、契約がなくなることはないです」
「なんでっ、そんな……君は健康だ。精霊に捧げるような身体じゃない!」
アイス―ンの腕を掴むと、簡単に払われてしまう。しかし、それだけでも情報を得るには十分すぎるほどだ。
アイス―ンがそこまで過剰反応するのは、精霊契約が引き起こす最悪の結末を知っているからだ。アイス―ンの母親が精霊契約の能力者だった。そして契約の代償で身体は蝕まれ、衰え、死んでいった。
「契約の代償を知らないわけじゃないです。……でも、これは永遠たる契り。私が最後の精霊契約者。今後、絶対に精霊契約者が生まれないという契りです。だから、精霊も私を無駄には殺せないはずです」
「最後の……精霊契約者……?」
「そうです。この能力は、私と精霊両方に枷を付ける」
それでも精霊を受け入れられないアイス―ンの手に力が入る。実の母親を殺した相手だ。許せないのも無理ないが、ここは堪えてもらわないと困る。
「それがトゥーミの選んだ道なんだ。アイス―ンのように悲しむ人が、二度と生まれないための」
「なんで……っ! そうか。それが君の能力だったな」
据わったアイス―ンの目が大志を捉えた。そんな目を向けられたのは初めて、少しだけ震えてしまう。
しかしそれは一瞬で、すぐまたいつものアイス―ンに戻る。
「僕には、他人の選択に口出しするほどの地位も権力もない。その意思は素晴らしいと思うけど、賛同はできない。それが僕の意見だ」
それからアイス―ンが口を開くことはなかった。
責められて自信を無くしたトゥーミは大志の腕を抱きしめている。精霊は力を貸してくれる代わりに、契約者の身体を蝕むのだ。
しかしトゥーミの能力は、自分を代償にして他人に契約を刻みつけるというものである。
「……なんで、俺だったんだ? 俺じゃなくても……それこそ、トトでもよかったはずだ」
「そんなこと言わないでください。もう、無力でいたくないんです。ただ見てるだけなんて嫌なんです。大志さんが私たちのために戦ってくれるなら、力を貸すのは当たり前です。……それに、勝てなければ終わり。だから出し惜しみなんてしたくないんですっ」
剛に唯一対抗していた大志に託したいということだろう。
晴天の空を見上げ、そのまぶしさに目を細めた。今の理恩には、このまぶしさだってわからないだろう。
悔しさを噛みしめ、大志は視線をおろす。そこには歩み寄ってくるレイウォックの姿があった。そこはすでに南区。
「ああ。勝てなければ終わりだ。だから、勝つんだ!」
手を差し出すと、前に立ったレイウォックはその手を握る。
「恥ずかしいから大声で叫ぶな。あたいまで変な目で見られるだろ」
「変な目で見られようがそれが正義だ。……俺たちが正義になるんだ」
そしてレイウォックとの距離は縮まり、唇を重ねた。これですべてが揃う。魔神臓を手に入れれば、剛と同格になれるはずだ。
すると、レイウォックのうしろに息を切らしたゾルヒムがやってくる。その憎悪に満ちた目は当たり前だ。想い続けた相手の唇を、ひょっと出の男に奪われたのだから。
「てめぇぇえッ!」
ゾルヒムを止めようとするレイウォックだが、それを止めてトゥーミを離す。
この誤解を解きたいわけじゃない。レイウォックに慰めてほしいわけじゃない。ただ、殴りたいだけなのだ。それがわかったからこそ、大志も拳を握る。
「ゾルヒムゥゥッ!」
二人の拳は互いの頬を殴った。
しかし地面を転がったのはゾルヒムだけ。大志はその場で踏ん張り、ゾルヒムを睨む。
「こそこそしてるお前とは違う! 散々嫌がらせしやがって……殴る前に謝れ、スマ隊! ……いや、スマ・ゾルヒムッ!」
「スマ隊でござるか?!」
トトだけではない。アイス―ンの、トゥーミの、そしてレイウォックの目がゾルヒムへと向けられた。
するとゾルヒムは何も言わず、大志を睨む。そして地面を蹴り、再び大志へと殴りかかった。
「茶番はよせッ!」
ゾルヒムを避け、地面に叩きつける。
説明を求めるトゥーミとレイウォックに囲まれ、ゾルヒムは涙を流した。
「……誰かに、見てもらいたかった、だけなんだ。俺はここにいる。俺は生きている。誰の記憶にも残らないなんて、嫌だったんだ」
「私の店のタンクを壊したのもですか?」
「あれも俺がやった。……でも、あれはレイウォックのためだ。レイウォックが優勝できるために……トゥーミさえいなくなれば、レイウォックの優勝は確実だ!」
見上げるゾルヒムを見下したレイウォックは、その顔のすぐ横を踏みつける。
「誰が、そんなことを望んだ? あたいはそんなものに興味があるわけじゃない。あたいは、トゥーミと競えるのが楽しくてやってるんだ!」
「だっ、だって言ってただろ? サックリントみたいになりたいって……」
レイウォックとトゥーミの目標でもあるヴァンパイア。しかしそれは、自らの力で到達しなければ意味がない目標だ。
腰をおろしたレイウォックは優しく微笑む。
「たしかに言った。だが、その栄光はあたいだけで掴んだってダメなんだ。あたいは……あたいは、トゥーミと一緒に店がしたい。トゥーミに追いつければ、それでいいんだ」
レイウォックの頬が赤くなり、トゥーミに目を向けられない。
「そうなんですか?」
トゥーミの問いかけでさらに頬を赤くしたレイウォックは、顔を伏せた。
似た波動を感じ取ったのか、グリーンはピルリンに身体を寄せる。
「……レイウォック?」
その顔を覗きこもうとすると、レイウォックはトゥーミの両手を握った。そして真っ赤になった顔をトゥーミに近づける。
「あたいはトゥーミと一緒に暮らしたい! 一緒にご飯を食べ、一緒にデザートを作って、掃除や洗濯なんかもして、それから風呂も一緒に入って、一緒の布団で寝て、起きたら『おはよう』って笑って言いあえるような生活がしたいんだっ!」
「えっ? ……え?」
「もう誤魔化しきれないくらい好きなんだよ、トゥーミ!」
荒い呼吸をするレイウォックに困惑しながら、視線で助けを求めてくる。しかし、さすがの大志でもこればかりは口出しできない。
「……え、えっと、わかりました。レイウォックがそう言うなら……」
この場を乗り切ろうと出した言葉なのだろうが、何を言っているのかわかっているのだろうか。
すると喜びが抑えられなかったレイウォックはトゥーミを抱きしめ、鼻血を出して倒れる。もしかしたら、グリーンよりも重症かもしれない。
「それで、ゾルヒムがスマ隊とはどういうことでござるか?」
「そのままだ。スマ隊ってのは、ゾルヒム単体で動いてたんだ。……俺の得た情報だから、間違いない」
「そうでござるか。これでスマ隊については一件落着でござるな」
「……そうなんだが、どうして能力使わなかったんだ?」
倒れたままのゾルヒムへと問いかける。
ゾルヒムには、自分がつくった衝撃を別の場所へと移動できる能力があるのだ。かつてゾルヒムと戦った時に殴られたのは、その能力のせいである。
「能力を使ったって意味がねぇ。この拳で殴りたかったんだ……が、それももう意味がねぇ。レイウォックにまで捨てられたんじゃ……」
「捨ててなんてない。もう悪さしないなら、雑用くらいには使ってやる。……あ、トゥーミに何かしたら追い出すけどな。ってことでいいか?」
白い歯を見せるレイウォックに、トトはため息をついた。それから少し考えて、再びため息をつく。
「仕方ないでござる。また暴れるようなことがあれば、その時はレイウォックを捕まえるでござる」
「へっ、それでいい。もう悪さなんてさせねぇからよ!」
レイウォックはゾルヒムの手を引いて立ち上がらせ、その頭を撫でた。
「っと、一応ここも見とくか」
魔神臓を回収する前に、アリエルの住んでいた城を訪れた。この城にあった刀を剛との戦いで使ったのは間違いない。
あの時のように虚空を握ってみるが、刀が出てくることはない。
「ぼろぼろじゃねぇか。崩れたりしたら大変だぜぇ」
「ああ、実際崩れるぞ。バンガゲイルは特に重そうだ」
しかも右腕にレーメル、左腕にレズを座らせている。だから余計重いはずだ。
レーメルは軽いにしても、レズまで一緒に持ち上げられるなんて、やはりバンガゲイルの筋力は頭一つ抜けている。
「あっ、今こっち見たみゃん! 重くないみゃんっ!」
「そうなのらー。重くないのら―」
「どっちでもいいけど、入ってくるなよ。本当に底が抜けそうだから」
ピルリンとグリーンを連れて飛行して進む。
スプリガンにも記憶が残っていればいいが、ただでさえ死なない連中だ。残ってないと考えたほうがいいだろう。
「坊や、その刻印は痛まないのかしら?」
グリーンに指摘され、首にある烙印に触れた。
そういえば、痛みをまったく感じない。ヴァンパイアと魔法に反応して痛むはずなのに、不具合だろうか。
「痛まないな。むしろ痛かったら、こんな平然としてないぞ」
「ご主人様が元気で何よりですよーっ! ピルちゃんも元気元気ですよーっ!」
「ピルリンが元気じゃないとグリーンが使い物にならないしな。……それに、俺もピルリンが元気じゃないのはちょっと嫌だな」
頭を撫でると、ピルリンは幸せそうに目を閉じた。
「これから何があるかわからないし、吸血しとくか?」
すると腕にピルリンが噛みつく。そして吸血していると、ピルリンの隣に移動したグリーンが同じ場所に噛みつこうとした。
それを押しのけようとするピルリンとグリーンは唇を触れ合わせながら、血を吸う。
「んっ、ふ……んちゅぅ、ん……んぁっ、ぅむ……」
「血を吸うかキスするかどっちかにしてくれ」
するとグリーンはピルリンの頭を掴んで舌を侵入させる。
「いってててェッ! 牙が変な向きになったって!」




