5-19 『魔神臓』
「別にいいけどよ、なんでだ?」
レイウォックは頭をかき、不思議そうな顔をする。キスをせがまれればそうなるはずだ。今まで素直に受け入れていたほうがおかしいのだ。
「レイウォックの持つ鍵を譲ってほしい。そのために、キスをしなくちゃいけないんだ。軽く唇を触れ合わせるだけでいいから、頼む!」
「鍵を? うぅー、鍵をか。渡していいのかどうか、あたいだけでは判断ができないな。トゥーミと話し合ってからでいいか?」
鍵をもらうためならば、それくらいの時間のロスも許せる。グリーンに襲撃されることもないので、大志は空を飛んだ。
そしてレイウォックの手を握り、夜の空中散歩を満喫する。
「魔法使っても痛みはないのか?」
「そうみたいだ。痛みはまったくない。ヴァンパイアがいなければ、魔法も悪くないな」
魔法にも反応するのかと思ったが、どうやらヴァンパイアにしか反応しないようだ。二人が揃って、初めてヴァンパイア感知の真価が発揮される。
しかし競い合ってる二人としては、一緒にいることを避けたかったのだ。
「ところで、ゾルヒムについてどう思ってるんだ?」
「唐突だな。どう思ってるも何も、頑張って動いてくれてる。ありがたいとしか言えないんだが……」
わずかな希望でもあるかと思ったのだが、ゾルヒムは恋愛対象にすらなっていない。これでは使われるだけ使われて、身をすり減らすだけだ。
レイウォックに伝えるわけにもいかないので、口を閉じる。
「なんだ? ゾルヒムがどうかしたのか?」
その問いかけを無視し、レイウォックの手を離した。すると慌てたレイウォックだが、魔法をかけているので落ちることはない。
「び、ビックリさせるなよッ! こちとら魔法は初体験なんだぞ!」
「能力だって初体験だろ。そういや千冠は持ってるのか?」
「ん? まあ、持ってるには持ってるぞ。冷気の千冠だ。暑い時には便利だが、滅多に使わないな」
つまり南区を凍らせていたのは、レイウォックの千冠だ。目を抜き取られたせいで、暴走した千冠が南区全体を凍らせてしまったのである。
しかし完全に死んでいた二回目は、すでにレイウォックから千冠が消えていたのだ。
「便利だな。それがあれば、ヴァンパイアも倒せるんじゃないのか?」
「ヴァンパイアには魔法があるからな。千冠が通用するとは思えないんだよなぁ……」
ピルリンとグリーンも、レイウォックの意見に賛成のようだ。レイウォックの千冠を受けたことのあるグリーンが言うのだから、それほど魔法が強力ということだろう。
「それなら無理に戦う必要もないか。誰だって、できるだけ戦闘を避けたいし」
「平和が一番だな。魔神臓なんて永遠に封じられてればいいのさ」
そして西区へ戻る頃には日が昇りかけていた。途中で睡魔に襲われたので仕方ない。
魔物に襲われる心配もなかったので、森の中で眠った。レイウォックの身体は柔らかく、何よりも特大な胸に目を奪われる。どさくさに紛れて触ってみたが、本物だった。
「……どうしたんですか?」
早朝だというのに、店の前で掃除をしているトゥーミと会う。どうやら毎日掃除をしていたようだ。まったく気づいていなかったので恥ずかしくなる。
「ちょっと魔神臓について話を聞かせてくれ。……それと、鍵についても」
「魔神臓について……ですか」
トゥーミはマフラーを掴み、レイウォックに視線を向けた。
「魔神臓については、はっきりと断言できません。……でも、確実なことは邪悪なものってことです。今は封じられてるから平和ですが、目覚めてしまえばかつてのような魔物との戦いが起こると教えられました」
トゥーミたちが魔神臓を知っているのは、サックリントから教えてもらったからのようだ。当時は理解していなかったのだが、鍵を宿された時に嫌でも理解したという。
「なぜ鍵を宿されたかはわかるか?」
「……たぶん狙われていたからです。いつ殺されるかわからないとも言っていました。サックリントさんは、ヴァンパイアから逃げるために第一星区に来たんです」
「ヴァンパイアから狙われてる?」
ヴァンパイアから逃げていたということは、魔神臓をヴァンパイアが探していたのだ。それを阻止させるために逃げていたと考えていいだろう。
「レイウォックは知らないと思いますけど、鍵ってすごく重要なものなんです。これ一つで世界を崩壊させてしまうかもしれないんです」
「それだとあたいがバカみたいじゃないか! 鍵が危ないものだってのは、わかってるからなッ!」
しかしそんなレイウォックを無視して、トゥーミは話を続ける。レイウォックが知っていたかどうかなんて、大志には関係のないことだ。
それに、トゥーミの知識が多いこともわかった。
「魔神臓は、かつて世界を混乱に陥れた魔神たちの概念集合体らしいです」
「魔神っていうのは何だ? 魔物たちと関係してるのか?」
「それは……わかりません。私も話を聞いただけなので、詳しいことは知らないんです」
グリーンも魔神という存在がいたという認識しかなく、それがどういったものなのかはわかっていない。魔黒を創りだしたという言い伝えはあるものの、その証言を確かにするものは何一つないのが現状だ。
これ以上聞いても無意味なようなので、トゥーミの頭に手を置く。
「なら、俺とキスしてくれ」
「なんでですかっ!?」
「魔神臓の鍵をもらう。トゥーミとレイウォックから鍵をもらい、魔神臓のところへ行く。もしかしたら魔神臓の目覚めが、巻き戻りと関係してるのかもしれないからな」
巻き戻りと言っても、トゥーミとレイウォックは何のことだかわからない。そのせいか言葉に迷っているようだった。
「……それだと、魔神臓が目覚めるんじゃないのか?」
「その通りだ。魔神臓を目覚めさせ、俺を器にさせる。たとえどんなに強力なやつだろうと、抑えこめればこっちの勝ちだ」
「逆に呑み込まれちゃったら、どうするんですかっ!?」
「心配するな。俺を信じろ!」
トゥーミの唇を奪い、それからレイウォックの唇も奪う。二つの鍵が大志に宿り、トゥーミとレイウォックは目をパチクリさせた。
鍵と一緒に、大志にキスされた記憶も奪った。そのせいで自分に二回もキスされたと記憶される。
「キスしたんですか!?」
「いや、してないしてない。……じゃ、あとはよろしくな」
魔法で飛び上がると、首に激痛が走った。痛むことを忘れていたせいで、地面を転がる。
すると転がったところを二人に押さえられた。乙女の唇を奪った罪は重いらしい。記憶を消せば何とかなるかと思ったが、これでは簡単に逃げられない。
「鍵を持ってるのはどういうことですかっ! 逃げるなんてズルいですよ!」
「信じろの一言で見逃せられることじゃないぞ!」
魔神臓を復活させるのは、それほどまでに危険なことなのだ。しかし巻き戻りを回避するため、可能性のあることは一つずつ潰していかないといけない。
痛みを伴うが、魔法で自身を強化する。ピルリンとグリーンの魔法なので、大志自身の強化が可能なのだ。
「……悪い。でも、信じてくれ。絶対に勝ってやるから、魔神臓なんて恐れるに足りないってわからせてやるから待っててくれ!」
トゥーミとレイウォックを引き離すと、大志に刃が降りかかる。
機械の左腕で受け止めると、そこには海太がいた。そこに殺気などなく、受け止めることをまるで知っていたかのような顔をする。
「一人でどこか行くなんて、水臭いってんよ」
「これは危険なんだ。だから一人……じゃないけど、海太をつれていくわけにはいかない!」
刀を弾くと、もう一本の刀が頬をかすめた。
「大志が何かと戦ってるなら、それは大志だけの敵じゃないってん。危険だって承知の上で大志と一緒にいるってんよ。今さら黙って見てられないってん」
「そうだぜぇ。おめぇだけじゃ、できることも少ねぇだろうぜ」
「そうみゃん! できないことを補うために仲間がいるみゃんっ!」
海太のうしろからバンガゲイルとレーメルが姿を現す。三人とも力を貸してくれるのだ。しかし人数が増えたところで、魔神臓を取り込むのは大志だけである。
「……わかった。でもついてくるだけだぞ。危なくなったらすぐ逃げろよ」
空に、魔神臓が浮かんでいた。鼓動し、今か今かと目覚めの時を待っている。
「だ、大丈夫なのかみゃん……?」
「大丈夫だ。じゃあ、危なくなったら逃げろよ」
ピルリンとグリーンと分離し、大きく手を広げる。すると、目と首に描かれた模様が砕けた。そして砕けたかけらは混ざり合い、空中に円を描く。その円を通して、魔神臓から漏れた液体が大志に降り注いだ。
まるで何かに押しつぶされているかのような感覚。自我は押しつぶされ、意識を失う。
「――……ん、た―君!」
目を開ければ、そこには理恩がいた。
部屋を見回せば窓などなく、あるのは布団と便器だけ。間違いなくそこは、ギルチと暮らしていた場所だ。
「何があったんだ? どうして……」
まさかここまで巻き戻ったということはないだろう。それか今までのことがすべて夢だったのか。もしそうならば、どれだけ喜ばしいことか。
理恩に触ると、温もりを感じられた。これで今が夢ということはないはずだ。
「た、た―君? え、えーっと……」
すでに服を着ているということは、ギルチとの別れが近いということである。
扉の小窓から廊下を見ると、エルフがいた。すぐ逃げられたので顔まではわからなかったが、尖った耳が見えた。しかし、大志たちのいた世界にエルフはいなかったはずだ。
「どういうことだ?」
すると、複数の足音が近づいてくる。間違いなくそれは、大志たちを戦艦島につれていく者たちだ。しかしわかっていても、逃げ道がない。
視界が黒くなった。それとともに、意識も沈んでいく。
「――私は真水っていうの。わからないことがあれば、何でも聞いてね」
フードのついた水色のノースリーブ。髪をポニーテールにして笑顔を見せる女子。そこには紛れもなく伊織がいた。真水伊織が笑っている。
差し出された手を握った。もう二度と感じられないと思っていた伊織の温もりが、そこにある。こんな時間が永遠に続けばいいのに。無理とわかっていても、そう願ってしまう。
しかし無情にも、視界はブラックアウトした。
「遅かったねっ!」
水色のパレオの付いたビキニ。水着姿の伊織は、一段と輝いていた。当時は伊織への想いがよくわかっていなかったので、この可愛さも十分にわかっていなかっただろう。
あまりの可愛さに、『好き』と言葉に出してしまいそうだ。
海で遊ぶ伊織に心を弾ませ、伊織の姿を脳裏に焼きつけ続ける。
そしてそれは、二度と見たくなかった光景。椅子に縛りつけられた伊織が、極寒の中で死んでいる。
今さっきまで感じていた温もりは、すでに冷めてなくなってしまった。
「なんで、こんなことに!」
伊織には何の罪もない。これからは楽しい日々が続くはずだった。それなのに、なぜ最初に伊織が殺されたのか。最初が伊織でなければ、何があっても伊織を守り抜いたのに。
剛が悪いわけではない。大上大志プロジェクトがすべての元凶である。
再び視界が黒く染まり、その中で一つの声が聞こえた。
「さあ、何を望む。我が器の願いを叶えようぞ」
「誰だ!?」
しかしそこは暗闇。姿かたちなど、どこにもない。
「汝の中に収まりし者だ。さあ願いを言え。肉親の復活か、愛する者の復活か、それともかつての平穏か。一つだけ叶えられるならば、何を望む?」
「いっ、伊織が蘇るのかっ!?」
「汝の望み次第だ。愛する者を望むというのならば、再びの温もりを約束しよう」
そんなことが本当にあり得るのだろうか。一度死んだ者は蘇らない。それは絶対に覆らない事実のはず。しかし、その誘惑を断ち切るのは、あまりにも難しい。
どうしても救えなかった伊織と再び会えるのだとしたら、それ以上の望みはない。
「さあ、願いを言え」
「俺は……俺は何も望まない! 伊織を死んだ。蘇らせたら、また失う悲しみを味わわなければならなくなる。それは嫌だ」
「ならそれ以外でもいい。富でも名声でも、ほしいものはいくらでもあるだろ?」
これはきっと魔神臓の誘惑だ。願いを言ってしまえば、きっとよくないことが起こる。だから大志は願いを言わない。
「そんなの自力で手にいれてやる! 自力で得られないものを望むほど、俺は強欲じゃない!」
「……ならば、いつでもいい。願いが決まったその時、再び会おうぞ」
視界が晴れ、目の前には青空が見えた。いつの間にか眠っている。そして傷だらけの海太たちが、大志を押さえていた。
「ずいぶんと苦労かけさせるってんな……」
「どうしたんだ、その傷」
「暴れたおめぇがつけた傷だぜぇ。この人数でも危なかったぜぇ」
ついさっきまで暴れていたのか、レーメルの傷はたった今修復している。
魔神臓の問いに応えなかったとしても、これだけの被害が出たのだ。もし願いを言っていたら、その代償に何をされたかわかったものではない。
「そうか。悪いことをしたな」
「何を言ってるってんよ! ちょっと傷ついただけだってん!」
「そうみゃん。大志が帰ってきたことが何よりみゃん!」
大志の中には魔神臓がある。いつ暴走するかわからないが、大志は魔神臓に勝ったのだ。
傷ついた三人と、ヴァンパイア二人に親指を立てて見せる。
「やったぜ!」