5-17 『歪んだ愛とすれ違い』
「……あ、あ……」
腕に重みがある。見れば、トゥーミを抱えていた。
アイスーンはどこにもおらず、大志の前には階段がある。トゥーミの店まで戻ったのだ。
「行かないと……」
「いっ、イく……っ!? だっ、だめですよっ!」
なんと言われても、助けに行かなければならない。今ならば、誰も犠牲になっていない。まずはレイウォックを助ける。それからアイス―ンを助けに行くのだ。
そうと決まれば、ピルリンの部屋まで走る。どうしてもピルリンに頼ってしまうが、相手がヴァンパイアなのだから仕方ない。
「必要なことなんだ。だから行かせてくれ! 俺が行かなかったら、皆が悲しむ結果になるんだ」
「……私はどうすれば……」
「寝てればいい。起きるまでにはぜんぶ終わらせるから、安心しろ」
ピルリンの部屋の前でトゥーミとわかれると、ノックもせずに入った。すると、胸の大きさを触って確かめていたピルリンが見え、すかさず目を閉じる。
何をしていてもピルリンの自由なのだが、せめて服を着ていてほしかった。
「ごっ、ご主人様ッ!! ど、どうしたですか!?」
慌ただしい音が聞こえて、うっすら目を開けると、まだ着ている途中だった。しかし、待っているほど時間に余裕はない。
巻き戻りと共にピルリンとの記憶も消えればよかったのだが、しっかりと記憶に染みついている。触れてもいないのに、あの時の喘ぎ声が耳をこだました。
「……ピルリンは、俺を好きか?」
それはちょっとした質問。これからすることの前準備としての、質問。本音を言ってくれればいいのに、ピルリンは難しい顔をする。
いきなり部屋に入ってこられてそんな質問をされれば、誰だってそうなる。だから急かしはせず、ピルリンの言葉を持った。
「好き、とは違うです。……でも、ご主人様は特別です。ピルちゃんにとって、何よりも優先される特別な存在です」
そんなことは、すでに知っている。ヴァンパイアにとってのご主人が何を意味するのか、どうして守らなければならないのか、すべてピルリンから聞いていた。
できれば二つ返事で好きと答えてほしかった。そう返ってくれば、これからすることに心を痛めることもなかった。
「なら、この時だけでいい。これが終われば、今まで通りの関係に戻ればいい。だから今だけ、グリーンを倒すまでは俺を好きになってくれ」
服を着ている途中だったピルリンを、ベッドに押し倒す。
驚いたピルリンだったが、大志から離れようとはしなかった。それは大志がご主人様であるからかもしれない。そんな悔しい惨めな気持ちを隠し、朱色に染まった頬に手をあてる。
「何度繰り返しても、失敗ばかりだった。助けようとしたら、別の誰かが犠牲になる。何度も何度も、殺してしまった。……だが、今ならまだ間に合う。だから俺に、力を貸してくれ!」
南区は静かに時を刻んでいた。
まだグリーンの襲撃がないことに安心し、レイウォックの家へと走る。レイウォックの家がどこにあるかは、触れた時に収集していた。
「……ここだな」
レイウォックが括りつけられていた場所よりか、少し奥に入った場所。ノックをすると、しばらくして扉が開いた。そして出てきたのは、レイウォック本人である。その目には、しっかりと模様が描かれていた。
「あいよ! こんな遅くに何の用だ……って、人か!」
ずいぶんと男勝りな言葉遣い。想像していたものとは、似つかない。
「トトの知り合いだ。それより、ここは危険だ。ここじゃなくても危険なんだが、ヴァンパイアに狙われてるんだ! レイウォックの目とトゥーミの首を集めて、魔神臓を復活させようとしてる」
「どうしてそれを……。とりあえず中に入りな。話はそれからだ」
木造建ての家の中は、まるで新品のように木の香りがする。それに混じって、甘い匂いも漂っていた。スイーツから漂っているのか、レイウォックの色気から漂っているのかは問題ではない。
薄紅色のネグリジェが、褐色の肌を強調させる。そんな薄着であるのに、大志を警戒する素振りはない。
「こんな簡単に入れてよかったのか? エルフって人を嫌ってるんだろ?」
「それを知っていながら、危険を知らせに来てくれた。そんなやつを嫌うエルフなんていないぜ。エルフを嫌ってる人を嫌ってるってだけなんだ」
厚みのあるソファに座らせられると、相向かいにある椅子にレイウォックが座った。
「それで、魔神臓について誰から聞いた? トト様にだって話していないことなんだ。トゥーミから聞いたなんてこともないだろ」
「……未来を知ってるんだ。これから何が起こるか、そして誰が犠牲になるのかも。トゥーミを守ることはできたが、レイウォックを守ることができなかった」
するとレイウォックの眉間にしわがよる。こんな話を簡単に信じてもらえるなんて思っていない。だから行動で示すのだ。
この場所へと、強力な魔力が近づいてきている。それを感知した大志は、静かに立ち上がった。
「ここで待っていてくれ。絶対に助けるから、俺を信じろ」
外には何の変化もない。しかし見上げれば、グリーンが浮かんでいる。
少し驚いた表情を見せたグリーンだったが、理解したのか微笑んだ。それは勝利を確信したかのようにも見える。
「ピルリンだと思っていたら、坊やだったのね。……ふふっ。ピルリンから魔力をもらったとしても、それだけのことよ」
投げ出された風の刃を、障壁で防いだ。そして大志も飛び上がり、拳を突き出す。
しかし簡単に防がれてしまい、弾かれた大志に光の剣が斬りかかった。咄嗟に同じものをつくり、受け止める。技量はほぼ互角だ。
「どうして魔神臓が必要なんだ? ピルリンだって犠牲は望んでない!」
「……坊やがここにいることと同じよ。魔神臓が必要だから、どんなに犠牲が出ても仕方がない。ピルリンと一緒にいられるのなら、魔神にだって手を貸すわ!」
力に押されて下降する。
グリーンの行動理由は、ピルリンと一緒にいたいから。純粋な愛の感情が積もり積もって、歪んでしまったのだ。
それはきっと誰のせいでもない。しかし、受け入れられるものでもない。
「なら、どうしてピルリンを殺したんだっ!?」
巻き戻る前の世界。そこで、ピルリンは殺されていた。鉄柱に突き刺された姿は異様で、グリーンがやった以外に考えられない。
「あぁ……あれね。だってピルリンがダメだって言うんだもの。魔神臓を再臨させればピルリンと一緒にいられるって言ったのに、それを否定したのよ。……そんなピルリンは、ピルリンじゃない。あの子は素直で、頑張り屋さんで、たまにドジをするかわいい子なの」
「たったそれだけで……?」
「それがすべてなのよッ! 私がピルリンを求め、ピルリンが私を求める。それがすべてだったの! それで幸せになれるのだから、それ以外は認めない!」
グリーンは光の剣から手を離し、大志の腹部を蹴る。
なんとも身勝手な理由だ。ピルリンがグリーンを求めていたのは事実である。嘲笑される中で、ピルリンを受け入れてくれたのはグリーンだけだったからだ。
しかしピルリンが抱いていた好意は、恋愛感情ではない。尊敬や憧れである。
「それでも殺してどうするんだ! 死んだら、もうピルリンとは会えないんだぞ!」
「だからよ。ピルリンと会うために、いらない人格を殺したの。あの身体にピルリンの人格をいれてあげれば、またピルリンと出会える。……それなのに!」
衝撃波が大志を襲う。まるで波のように何度も打ちつけてくる衝撃波に、防戦一方だ。
「それこそピルリンじゃない! お前がしようとしたのは、人形に人格を持たせるのと一緒だ。生きてるなんて言わない! それでいいのか!?」
「どうしようもないのよ! あの子は、私にとっての天使だった。乾いた心を潤してくれた。……だから、二人で幸せになるはずだった!」
強い衝撃波が大志の障壁を砕く。そして衝撃を全身で受け、地表に叩きつけられた。
普段使っていないせいか、魔力の消耗が激しい。すでに空になりかけている。このままでは、じり貧どころではない。
「それはお前のわがままだ! 誰だって一人で生きてるわけじゃない。お前が生きてるのと同じで、ピルリンだって生きてるんだ! それを受け入れろ!」
「……もう、関係ないわ。あの子はまだ生きてる。だからあの子と生きる道を選んだの。たとえ魔神臓が世界を滅ぼそうと、私たちの愛はなくならない。私の愛は、あの子の愛は永遠になるのよっ!」
倒れた大志に、グリーンは手を開いた。光ったと思えば、大志の腹部から血が流れている。目にも見ない速度で腹部に穴を開けられた。
口内に流れてくる血を飲み込む。
「もう魔力がなくなるころね。あの子がいればどうなったかわからないけど、坊やだけなら簡単なのよ。魔力だって無駄に使っていたようだし、笑ってしまうわ」
「ぐっ、ぁ……り、ぃっ……ん。お、まえっ……はっ……」
「あら、まだ喋れるのね。坊やとはよくわからない縁があるし、命までは取らないわ。だからおとなしくしていてよ。これ以上戦うのなら、加減ができそうにないからね」
頭を撫でられるという屈辱的な行為に、大志は目を細めた。それだというのに、グリーンは子犬をあやすように頭を撫でる。
そして隣で膝を曲げたグリーンは、頬をつついてきた。
「敵意さえ向けてこなければ、いい友達になれたと思うわ。それ以上の関係にはなれなかったけど、本当に残念ね。職業柄、友達が少ないのよ」
「がはっ、ぁ、へっ……いま、さら……」
「あら、わからないの? 誘ってるのよ。仲間にならないかってね。……悔しいけど、坊やはピルリンのご主人様になったようだし。私としても、坊やに危ないことをさせたくないのよ」
ピルリンを失いたくないから、そのためには大志の安全を確保しなければならない。しかし、大志がグリーンの仲間になる理由はどこにもない。
首を横に振ると、グリーンは頬を膨らませた。そんな今までに見たことのないグリーンの表情に、自然と頬が緩んでしまう。
「どうすれば、坊やは首を縦に動かしてくれる?」
「……じゃあ、血でも……ふっ、吸って、もらおう、か……」
すると、迷いもせずにグリーンは唇を重ねた。腹部から出ている血を舐めるのは、衛生的に拒絶したのだろう。そして首に噛みつくのも、危うく失血状態になるかもしれなかった。だから口内に残っている血を舐めようとしたのだろう。
大志は賭けに勝った。
「んぅ、ん……ぁっ、んぅ……ん、ああぅ……」
ほんの少しだけ口内を舐められ、すぐに唇は離れる。しかし、それだけで十分だった。
グリーンは勝ち誇ったように笑みを浮かべ、自らの首に手をあてる。
「基本的にヴァンパイアのご主人様は、最初の1人だけなのよ。いくら坊やの血を吸おうと、坊やがご主人様になるわけではないのよ」
「なら……ごほっ……首輪を、見せてみろよ」
ご主人様がいる証である首輪は、決して外れることはない。しかし、首に触れたグリーンは明らかな動揺を見せた。透明になって姿を消しているはずの首輪が、なくなっている。
「なっ、なんで……ない……っ! そんなはずはっ! たとえ能力であっても、外すことはできないのに!」
グリーンは大志の傷を治すと、その胸ぐらを掴む。
前例がないのだから動揺するのは当然で、聞き出そうとするのも当然だ。予想以上に反応が良かったので、治療してもらうまでの工程を省略できた。
「首輪をつけてからなら、外せなかっただろうな。……だが、つけるのを阻むことなら簡単ってわけだ」
「どういう……。坊やの能力は相手に触れて何かするんでしょ?」
「それだけじゃないってことだ。口づけした相手の情報を、自分に移す。……今までの吸ってきた情報を、移したんだ。だから、グリーンにご主人様はいない」
魔力が残っているのはおかしな話だが、過去の出来事を変更しているわけではないのだろう。実際にはあったことなのだが、情報をなくすことで世界の姿を変える能力なのだ。
「だっ、だからどうしたのよっ! 今の坊やには、私を止められない。ご主人様がいなくなろうと、私のすることは変わらない!」
逃げていくグリーンを追うように、立ち上がる。腹の奥底で渦巻く力。速くなる鼓動。小さくなっていく背に、手を伸ばした。
直後、グリーンは空中で動きとめる。
「何なのっ!? 坊やには魔力が残っていなかったはずでしょ! こんなことする魔力なんて……」
「奥の手ってのは隠しとくものだ。絶対に成功するって思ってたら表情に出るんだろ? 今回はうまく隠せてたみたいだな」
十字に拘束されたグリーンを見上げ、笑ってみせた。
まだ魔力が残っているとしても魔法の打ち合いをすれば、先に枯渇するのはグリーンだ。それがわかったからか、グリーンは表情を苦める。
「これで形勢逆転だ!」




