1-13 『空いた穴を満たすのは』
「それで、ルミに内緒で何やってたの?」
朝が近くなると、眠っていたルミセンが広間へとやってきた。
大志と海太はすでに眠りから目覚めたあとである。
「人探しの能力者に会いに行ってたんだ」
大志、海太、ルミセンの揃った広間で、ポケットから一枚の紙を出す。それは昨夜、男が置いていったものだ。大志には地図がどこを指しているかはわからないが、ルミセンならきっとわかるだろう。
レーメルは城に帰ってきてから見ていない。あんなことをしてしまったあとだ。大志の顔も見たくないのだろう。無理にあって謝っても、逆効果だ。
「誰を探してもらったってん?」
「いや、ダメだったんだ。そしてこの紙を渡された」
渡されたというより、置き逃げされた。
海太は地図を眺めるが、そこがどこなのかわからず、首を傾げる。
ルミセンは目覚めの一杯なのか、コーヒーのようなものを飲んでいた。
大志もコーヒーは嫌いではない。しかし、理恩が淹れてくれたものしか飲まないと決めている。だから今は、ただの水だけで十分なのだ。
「つまり、ここに行けばいいの?」
「そうだろうな」
日が昇り始める空は眩しかった。
町の大通りは、露店の準備で忙しく動く人々で溢れかえっている。
イズリと詩真の看護は、ルミセンの使用人である男に代わってもらった。ルミセンの使用人も、レーメルのように不良らしい。古くから、緊縛の使用人は不良がやることになっていると聞いた。しかし不良はなかなか生まれることがないので、探すのに一苦労だとルミセンは言う。
「なんでレーメルを置いてきたの?」
「まだ寝てそうだったからな。起こすわけにもいかないだろ」
お互いに心を傷つけるのは、昨夜ので終わりにしたい。
それにいつまでもレーメルに頼ってはいられない。力がないあまりに、誰かを失うなんて御免だ。だから、誰かを救う力を手にいれないといけない。
「あまり深くは聞かないってんよ」
昨日のことを覗かれていたのか、海太の対応はどこか優しい。だが、あそこに海太が経由できるほどの光はなかった。あったとしても、蝋燭に火をつけたあとである。だから、見られるはずがない。
もしもあれを見られていたかと思うと、ゾッとする。
「それで、この地図の場所はどこなんだ?」
ポケットから再び地図を取り出す。目印になるようなものが一つも描いてないそれは、まるで迷宮の地図だ。わからなければ、地図の意味がない。
しかしルミセンは地図を覗き込むと、何かを確かめるように道をなぞり始めた。
さすが緊縛である。町のことなら何でも知っているということか。
「少し遠いの。本当にここにいるの?」
「そりゃいるだろ。道案内は頼んだぞ」
レーメルのことで色々あったが、ルミセンに気にする素振りはない。
「た、タイシ様の頼みなら、ルミも断れないの……」
どこか恥ずかしそうに頬を薄く染める。やっぱり崇められているのだろうか。
ルミセンの守護衛であることの証である指輪は、未だに大志の指にはめられたままだ。
「……ルミセンは、俺が守護衛ってのだから、そんな態度なのか?」
「そんなことないの! タイシ様は、守護衛様である前にタイシ様なの!」
「よくわからないってんよ」
海太と同意見だ。たしかに大志は守護衛になる前は、ただの大志であった。というより、今もただの大志である。守護衛というのが偉いのかと思ったが、ルミセンが大志を崇めるのには別の理由がありそうだ。
海太と顔を合わせると、左右の手を上に向け、顔の位置まで上げた。
「ルミはね、タイシ様に救われたの」
「はぁ、さいですか」
「いきなり敬語でどうしたってんよ?」
「特に意味はない」
ルミセンはもしかして、カマラでのことを言っているのではないだろうか。あの時、オーガたちに人を襲う気はなかった。現に被害者も出ていない。オーガに触れてわかったが、オーガたちは意味もなく人を襲わない。何か正当な理由がない限り、人を襲わないだろう。
「タイシ様がいなければ今頃……」
「何を言ってるかわからないが、オーガは人を襲わないぞ」
しかしルミセンの表情は一向に変わらない。ルミセンのうっとりとした顔は揺るがないのだ。
これではっきりした。ルミセンは事実を捻じ曲げて認識している。だがちょうどいいかもしれない。ルミセンは大志に恩があるわけだ。
「今度はルミが、タイシ様のためになりたいの」
「それで俺を守護衛にしたってことか。そうすれば地位は確立される。よく考えたな」
でも、それが大志のためになっているかは、微妙なところだ。そのせいとまでは言わないが、流れでレーメルを傷つけるという結果に至った。
ルミセンの頭をぽんぽんと叩くと、大志は足を進める。
大通りに並んでいる露店は、今日も繁盛しているようだ。そんな毎日、何を売っているのだろうか。覗いても、そこにはガラクタのようなものが並んでいる。
特に目を引くのは、透明な液体の詰まった小瓶。小さいくせに、やけに高い値段だ。一緒に並んでいるユリアーズの約10倍である。手にとって確かめると、軽い。
愛液の壺。中に詰まっている液体は、人の神経を麻痺させて勃起させる。勃起したことにより、普段抑えられている力が最大限に引き出され、能力が強化される。
「愛液を売ってるのか」
壺という名なのに、実際は親指程度の大きさの小瓶だ。名前負けしすぎである。
大志の知っているものとは違う液体で、その仕組みは不思議だ。何かの植物でつくられているようだが、一つ作るのに長い年月がかかる。
「タイシ様は、愛液が欲しいの?」
「勃起が制御できるのなら、少し欲しい気もする」
制御できれば、もう誰も傷つけない。これ以上、信頼を失わずにすむ。
そういえば、カマラで捕まった時に海太も勃起してた。その時は特に暴れはしなかったが、まさかあの時すでに、勃起を制御できていたというのか。
それに、なぜ海太が勃起したのかも気になる。
「なら、その指輪を見せればいいの。タイシ様はお金なんて払わなくていいの」
「なんか悪いな」
ルミセンの守護衛である証の指輪を、店主の女に見せる。すると、店主はにこやかに愛液の壺を手渡した。手間をかけて作ったものなのに、指輪を見せられただけで手放さなければならないとは、女店主に罪悪感を抱いてしまう。
「タイシ様、飲むの?」
「いや、今はやめておく。さすがにルミセンを襲うわけには、いかないからな」
「襲うの……? 別にルミはいいの」
たとえルミセンがいいとしても、大志はダメなのだ。理恩とレーメルのことで悩んでいるのに、そんなすぐ心変わりするわけがない。
大志は、ルミセンの口に人差し指を当てる。
「そんなこと言うな。いいわけないだろ」
「いいの。タイシ様になら、何されても怒らないの」
「じゃあ、早く道案内を再開してくれ」
「まさか、本当に来るとはなが」
目的の場所では、フードの男が座って待っていた。相変わらず細い路地にいる。こんな場所では、商売にもならない。しかし人探しなんて頼む人も、きっと少ないのかもしれない。
男の言葉は、まるで大志たちが来るのを予想していなかったかのようだ。
「それで、誰を探してほしいのじゃなが?」
「昨日と同じだ。今度はちゃんと本物を探してくれよ」
男の差し出した紙に、昨日と同じ理恩の特徴を書く。
紙に書かなければ人を探せないというのは、不便な能力だ。
男は地図を取り出し、その上で撫でるように手を動かす。すると地図がぼぉと光を放った。しかしその光はしばらくすると治まり、地図はただの地図となる。
昨日は青白い光がぽつんと、理恩のいる場所を示したが、今回そんなものはない。
「どうやらこの町にはいないようじゃなが。昨日は別人だったのじゃなが?」
「ああ。そっくりな別人だったぞ」
そっくりというよりか、誰かが理恩に似せたようだった。きっと理恩は、長いもみあげ男に捕まっている。その本拠地さえわかれば、わざわざ人探しをする手間も省ける。
けれど、今回は理恩だけじゃないので、苛立つこともない。
「ちょっと待つんじゃなが」
男は手を合わせ、何かを瞑想するように目を閉じる。
そしてカッと目を見開くと、目をカタカタと動かした。そんな気持ち悪い姿を、客に見せないでほしい。
男は地図を一心に見つめ、ある部分を指で貫く。それはサヴァージングから離れた場所。カマラの町だ。せっかく逃げてきたのに、また行かなければいけないようだ。
「ここじゃなが。この町で逸れたわけじゃないんじゃなが?」
相手は移動能力がある。だから、逸れた場所なんて関係ないのだ。
「いや……、まあ、わかった。そこに行けば、本当に会えるんだな?」
「それはわからないなが。この力は特徴で探しているなが。似ている人が当てはまることもあるなが」
また昨日のようになるかもしれないということだ。だがそうすればきっと、もみあげ男と会える。その時に理恩のことを探ればいいだけだ。触るだけなら、一瞬で十分である。
行ってみて、損はないはずだ。
「わかった。とりあえず行くしかないようだな」
「すまないなが」
「それで、もう一人探してほしいやつがいるんだ」
男は眉をぴくんと動かすと、地図に刺さった指を抜いた。そして新たな紙を差し出す。
「書くほど情報がないんだ。名前と能力しか」
「それじゃあ探せないなが。見た目の情報がなければ、無理なが」
男は呆れたように、差し出した紙を懐にしまう。この男を訪ねてきたのも、最初は理恩の捜索が理由ではなかった。イズリという名の、呪いの能力者。それも深遠の闇を使える強力なやつ。
さすがに見た目の情報までは得ていない。
「そうか。期待していたが、残念だ」
「また探すしかないってんよ」
海太に肩をぽんと叩かれる。
探すと一言で言っても、その探す手がかりがないから、ここまで来たのだ。この人物の情報をレーメルたちが持っていなければ、探すことすら放棄したかもしれない。
「仕方ない。城に戻るか」
「誰を探してるの?」
ルミセンが大志を不思議そうな顔で、見上げる。
「ルミセンには関係ない。だから、ルミセンは俺の隣で笑っていてくれ」
変に喋って、複雑な関係にはなりたくない。それに、せっかく何も知らずに慕ってくれているのだ。このまま、何も知らずに慕い続けてほしい。
そんなのはきっと許されないことだ。しかしルミセンは、そんな大志の言葉に笑顔を見せる。
「タイシ様が望むなら、ルミはいくらでも笑うの」
「……ありがとう。……ごめん」
笑顔のルミセンの頭を撫でる。ついでに喉も撫でてやる。
その時、何かどす黒いものが見えたような気がしたが、きっと気のせいだ。
***
「もうじき、ここへ来るなが」
白い光が照らす店の一角で、フードを被った男は静かに言った。
少しだけ錆の目立つテーブルに置かれた透明なグラスには、白い牛乳のような飲み物が入っている。フードの男はそれを一気に飲み干すと、相向かいに座る長いもみあげが特徴的な男へと目を向けた。
「うまく誘い出したということだね」
「そうなが」
店の中は賑やかで、歌う人もいれば、踊る人もいる。その声はうるさいけれど、耳障りではなかった。むしろ全員が喜んでいるように見える。
「どうだい、彼らは君がいなければ、ここへ来ることもなかった。君のしたことは偉大だよ」
「恐れ多きお言葉なが」
「そんな畏まることはない。……だが、それも仕方ないか」
もみあげ男は席を立つと、背を向けてどこかへと歩いていってしまう。逃がすまいと、フードの男もそれを追った。
そして辿りついたのは、一人の女が占領するテーブル。
そのテーブルで突っ伏し、泣き続ける女はまだ若い。20……いや、もっと若いだろうか。
「こいつは、昨日手に入れた。もうじく来ると言っていた連中の連れだよ」
「この人が理恩なが。しかし、なぜ泣いているなが?」
ここでは誰もが楽しく、愉快な気分になってしまう。それなのに、泣いているなんておかしい。このテーブルに誰も近づこうとしないのは、きっとそのせいだ。
女は小さく『大志』という言葉を繰り返している。その人物に何かをされたのか。それとも、その人物に何かをしてしまったのか。どちらにせよ、ここにいればそんなことは忘れてしまうはずだ。
「目障りなやつを消すのに、この女を使ったんだ。そしたら、手をかけてもいない男に、罪の念を懐いたらしい。愉快な話さ」
「それで、何をすればいいなが?」
「ふふっ、この女には、まだ働いてもらおうと思ってね」
もみあげ男は理恩を椅子から立ち上がらせると、フード男の前に立たせた。
「さあ、来たようだよ」
もみあげ男が、理恩の耳元でそう囁く。すると、理恩はハッと顔を上げた。そしてフード男を視界に捉えると、表情が緩む。
「大志……」
理恩は流れる涙はそのままに、フード男の腰へ抱きついた。もう離すまいと、しっかりと。
フード男はその能力で、相手からは恐怖の対象にしか見えていないはずである。だから、今まで抱きつかれるなんてことはなかった。なのに、今確かに抱きつかれている。驚きのあまり気を失いそうだ。
顔を上げた理恩の目からは涙がまだ流れている。涙と鼻水で服が汚れてしまい、フード男は今すぐ離したい気持ちで一杯だ。
しかしもみあげ男は手を広げ、『待て』と合図する。
「何でもするからね。大志が望めば何だってするよ。だから、私を見捨てないで……。いつまでも、私を必要として……。何でも、するから……」
懇願するような声。しかし、その相手は大志ではないのだ。
もみあげ男はそれを確認すると、笑うのを堪えながら、一枚の紙をフード男に手渡した。
フード男は、その中に書かれたことを読むと、驚くでもなく、悲しむでもなく、ただにやりと笑う。
「チオ様は、悪いお方なが……」
***




