5-13 『オオツキとアリエル』
黒い霧が、スプリガンに吸い込まれる。
壁に埋まっていた物体はなくなっており、魔黒が目覚めたのだと理解した。そしてスプリガンは魔黒に寄生され、自我を失う。
「……相応しくない器だ。だが、繋ぎとしては十分。ちょうどそこに、とんでもない器があることだしな」
目が合った。スプリガンが、大志を見ている。
魔黒の対処の仕方は知っていた。しかし、それは理恩と一緒になっていた時だけだ。同じことができる確証はない。
「ご主人様には触れさせないですよーっ!」
「おとなしく回収されなさい!」
大志を守るように、ピルリンとグリーンが前に出る。
それを見たスプリガンは、手を前に出した。直後、霧が噴出される。実体のない黒い塊が、大志たちを襲った。
光が遮られ、暗黒に包まれる。
「大丈夫ですか、ご主人様?」
暗黒の中に光が生まれた。
グリーンの手の上には炎が揺れ、ピルリンは大志たちを包むように障壁を幾重にも重ねている。おかげで、黒い霧に蝕まれたものは誰もいない。
「ああ、なんとか。……だが、八方塞がりだな。魔法でどうにかなるか?」
「難しいですよぉ……。この状態を保っているので手いっぱいです。他の魔法なんて使ってられないですよぉーっ」
「魔力が切れるか、魔黒が諦めるか、か。血にも限りはあるし……」
すると、グリーンは自らの指を噛んだ。そして出てきた血は地面へと落ちる。
「任せなさい。魔黒の回収は本業よ。これくらい、どうにでもなるわ」
まるで水滴が落ちた水面のように、地面に波紋が描かれた。それは広がり、大志たちの足元を過ぎていくと障壁の外に出ていく。
そして障壁の中央を中心にして、三角が二つ描かれた。それは六芒星の形になると、赤く光を放つ。
グリーンは目を閉じ、手を前に出した。
「眠れよ、眠れ、古のかけら……目覚めの時を遡り、再び眠りにつけ。我が血を糧とし、再びの安寧を汝との契りとする」
黒い霧を、光が隠す。まばゆい光は大志たちを包み、闇を払いのけた。
気がついた時には黒い霧はなくなっており、空中にそれを封じ込めたビンが浮かんでいる。わずかに震え、魔黒はそこから出ようとしていた。
「やった、のか?」
「まだですっ!」
ピルリンのつくったビンが、魔黒の入ったビンを封じる。直後、魔黒を封じていたビンが割れた。
魔黒の力が、グリーンの魔法を打ち破ったのだ。紅いオーラをまとうピルリンも、打ち負けそうになっている。しかしピルリンなら、魔力さえあればいくらでも強化ができる。
しかし、差し出した腕はピルリンではなく、グリーンに吸われた。
「お、おいっ! ピルリンに……っ!」
「うるさいわねっ! こっちのほうが効率いいのよ! ……たぶん」
グリーンは良質な魔力をつくることができる。しかし、ピルリンよりも強力な魔法を使うことは不可能なはずだ。それはピルリンとの戦闘で明らかになっている。
そして口を離すと、ピルリンを見た。魔黒と力比べをしているピルリンの体内からは、着実に魔力がなくなっている。
「何があっても、魔法を使い続けるのよ。あなたが、私たちの生きる希望なのだから」
何かに気づいたのか、ピルリンは目を丸くした。
そんなピルリンに歩み寄ると、その顔を固定して唇を重ねる。グリーンの舌が無理やりピルリンの中に入った。何をしているのか理解できない大志は、ただ見届けるしかできない。
「あふっ、んっ、んんぅっ!」
指だけではない。ピルリンの手が、身体が、痙攣し始める。しかしそれでも魔黒を封じている魔法は健在だ。
グリーンを受け止めきれず、ピルリンの口からは粘液が垂れる。
「……すごいのらー」
レズを押さえている間も、熱いキスが続いていた。
グリーンにその気があったのはなんとなくわかっていたが、ピルリンにはないはずだ。エルフの千冠のように興奮で力が解放される可能性もあるが、それでもグリーンの力が解放されるだけである。
すると、空中で震えていたビンは静まり、落下してきた。落下する途中で小さくなり、片手で持てる程度の大きさになる。
「これで終わりか。魔法ってすごいな」
終わっても、グリーンはピルリンとのキスを続けていた。
逃れようとするピルリンだが、力は入らず、魔法を使うこともできない。そして短い間隔で身体を跳ねさせるピルリンの頬には涙が流れている。
「いつまでやってるつもりだ?」
しかし返事はない。聞こえていないようなので、無理やり引き離した。
魔黒を回収し終えていることに驚いたグリーンと、支えを失って地面に倒れた痙攣するピルリン。
「ごめんなさい。むちゅ……いえ、気づかなかったわ」
「い、んっ、いえ……こっちも、おぉっ……わっ、るかった……でしゅ」
「それで、何をしたんだ? 説明をしてくれ」
ピルリンは回復までまだ時間がかかりそうなので、グリーンに視線を向ける。しかし、痙攣するピルリンを見て、グリーンは喉を鳴らした。
そしてピルリンに伸ばした腕を掴み、意識を大志に向けさせる。
「俺の一言で、お前を嫌いにさせられるんだぞ。それが嫌なら、さっさと状況を話せ」
「……そ、そんなことで脅してるつもりかしら? 坊やは冗談が好きなのね」
本当にそう思っているのなら、涙目にならないでほしい。まるでこれでは、大志がいじめているようだ。
嫌わせられるかは定かではないが、悪い噂を吹き込むことは簡単だ。純粋なピルリンなら疑うこともないだろう。
「ただ魔力を受け渡しただけよ。体内にある魔力は、口を通して他者に分け与えられるの。もちろんヴァンパイアでない坊やにも可能よ」
「グリーンのつくった魔力を、ピルリンの魔力にしたってことか」
「この子のユニークなら、普通の魔力を重ね合わせるより、良質な魔力を重ねたほうが強くなるに決まってるわ。キスをしたのは、そのために必要だったからよ。他に理由はないわ」
「嘘つくなよ。本心を隠してると、損するぞ」
魔黒を封じたビンをグリーンに渡すと、地上に出ることになった。地下にいる時に崩されては、逃げようもない。
スプリガンはいなくなっており、魔黒に呑み込まれたのだと理解する。
魔黒が目覚めた時の地震は、第一星区で頻繁に起こっている地震と関係があるはずだ。地震の度に、魔黒はスプリガンを呑み込んだのだろう。
「それにしても、こんなボロボロでよく崩れないな」
大志たちは、再び城の中を探索していた。魔黒はすでに回収してあり、スプリガンが襲ってきたとしても恐れることはない。
歩く振動だけでも危ないので、魔法で浮遊する。
「アリエルさん……でしたっけ? スプリガンと生きていたみたいですね」
「そうじゃないなら、スプリガンがあそこまで執着しないだろ。……まあ、あそこまでいったら信仰に近いような気もするけど」
部屋を一つ一つ調べる理由はないが、そうしないとレズが満足してくれそうにない。魔黒以外にも何かあるなんて、考えたくもない。
「ご主人様! ここ開かないですよ!」
何の変哲もない部屋のように見えるが、開かない。
すると扉が爆発する。するなら先に言ってほしいが、それをしないのがグリーンだ。
「おー、これは……」
扉の先には、複数のスプリガンがいる。小さくなったスプリガンが身を寄せ合って震えていた。その様子からして、敵として見られている。
「そんなに怯えないでくれ。俺たちは戦いに来たわけじゃない。一通り見たら帰るから、少しだけ見せてくれ。ごめんな」
『……オオツキ、さま……?』
「いや、俺は大志だ」
別れを告げて廊下を進むと、そのうしろをスプリガンが一体追いかけてきた。どうやら、道案内をしてくれるようだ。
せっかくの厚意なので、大志はそのスプリガンを抱きかかえる。
「ここはアリエルってやつの城らしいな。お前たちは、どれくらい知ってるんだ? ついでにオオツキってやつの話も教えてくれるとありがたい」
『アリエル様が訪れるよりも前から、この地にいました』
「アリエルって、そんな最近の話じゃないんだろ? スプリガンって、長寿なのか?」
『生きるというのは間違っています。スプリガンには、死もないし生もない。人のように食事をしなければ、睡眠もしない。数が減れば、その分だけ石碑から出てきます。だから、数は変わりません』
どういうことなのか。オーガやガーゴイルは食事をしていた。魔物だって人と同じ生活をするのは知っている。それなのに、嘘ではない。
その話が本当のことだと理解しても、受け入れられなかった。
『ここから石碑が見えます。窓の外を見てください』
言われた通り外を見ると、そこには人と同じくらいの大きさをした石碑がある。そこの地面から手が出て、スプリガンが出てきた。
わざわざ地面に埋まっていたとも考えられない。大志たちが殺してしまった分、出てきている。
「……どういうことなんだ。記憶はあるのか?」
『はい。わずかに記憶が残った状態で出てきます。人種との戦いも、憶えているものがいます』
魔物との戦いは、魔物側からしてみれば人種との戦いなのだ。しかし、それでも記憶が残っているというのはすごいことだ。
「なら、あの戦いについて教えてくれないか?」
『……聞いた話ですが、あの戦いは誰も悪くなかった。まるで何者かに操られていた。すべては神の悪戯にすぎなかった、と』
神が複数いたことは、王の話で知っている。神殺しのあとにあった魔物との戦いに神が絡んでいるのなら、神殺しは終わっていなかったということだ。
そして魔物との戦いが終わった時、同時に神殺しも終焉を迎えたのか。それはわからない。いくら考えたところで、過去が変わることはない。
「もしも、まだいるとしたら……」
『記憶は薄れていくものです。鮮明に憶えているものはいません。記憶違いで話をするものもいるかもしれないです』
「それでも助かった。あの時の話が、ただの空想じゃなくなったのは大きい」
それから大志たちは、かつてオオツキが使ったという部屋に案内された。オオツキは長くいたわけではなく、すぐに出ていったようだ。
「ここを使っていたって言われても、よくわからないな」
置いてあったタンスなどを開けてみるが、何も入っていない。しかし、壁とタンスの隙間に、まるで隠すように一本の刀が置かれていた。
スプリガンに何か聞いても、答えてくれない。
「ご主人様には、何か見えてるですかー?」
ピルリンにはそう言われる始末。持って見せても、首を傾げるばかり。バカにしてるのかと、触らせる。すると、そこでやっとピルリンは刀があることを理解した。
「すごいですっ! 何も見えないのに、感触はあります!」
「……もしかして、本当に見えてないのか?」
レズもグリーンも頷く。自分にしか見えない刀なんて、初めてだ。アイス―ンの持っていた刀に似ているが、鞘には何も書かれていない。
情報を見ると、オオツキのつくった刀だとわかる。そして、魔物と会話のできるものにしか見えないということもわかった。
「オオツキについて聞き忘れたが、もしかして刀をつくるか?」
『すごい刀をつくると聞いたことはあります』
今まで否定していたが、同じオオツキのようだ。この刀をクシュアルに渡したら、泣いて喜ぶだろう。
鞘から抜いてみるが、クシュアルの刀のように異変が起こることはない。何年も眠っていたであろう刀なのに、錆びている様子はない。
「オオツキってのは、魔物と会話することもできたのか? それと、ここには何しに来たんだ?」
『オオツキ様とは会話をすることができました。タイシ様をオオツキ様と間違えてしまったのは、そのためです。……オオツキ様はアリエル様と共に来ました。理由までは聞いていません』
鞘に納めた刀を元の場所に戻すと、会話の外にいるグリーンはつまらなかったのか、ベッドに座った。すると、ベッドが古かったせいか壊れてしまう。
そしてベッドの下にあった何かまで壊してしまった。
立ち上がったグリーンは魔法でベッドを直し、下を覗き見る。するとそこには、ビデオカメラが潰れていた。
「なにかしら、これ?」
グリーンは何かもわからず、取り出す。ビデオカメラなんて、この世界には似つかわない代物だ。
「ビデオカメラだ。何か録画されてるのかもな」
元に戻したビデオカメラを、奪い取って開く。しかしどうやら充電が切れているようで、つかない。この廃墟には電気が通っていないので、充電する方法もない。
なので、一か八かで魔法で充電を試みた。もし失敗したとしても魔法で元に戻せるという安心感がなければ、こんなことはできない。
「電気をつくるなんて、初めてです。頑張ってみるです……」
充電コードをさす場所に、ピルリンの指をあてる。すると、充電中をしめすランプがついた。
「大丈夫みたいだな。じゃあ充電が終わるまで、そのままで」
充電が終わり、さっそく録画されているものを確認する。
映っているのはアリエルだ。写真に写っていた姿そのままである。
『――……えっ、もう話していいの? そうならそうと、早く言いなさいよ! ……んと、ね……えーっと、何言えばいいのよオオツキィー!』
『好きなように言えばいい。これをやろうと言ったのは、君だろ?』
『んーと……これを見てるってことは、人語を理解したってことね。まずはおめでとうって言ってあげるわ。人語を話せるようになれば、立派な人種よ。魔物と蔑まれることもなくなるはずだから、胸を張りなさい! それと、あなたたちと違って私の命は有限。いつか終わりがくるわ。だから、いつまでも私を求めちゃだめよ。……これくらい? オオツキはどう思う?』
『君がそれで満足なら、それでいい。これは、君のメッセージビデオなのだから』
『なら、これでいいわ。あまり長く言っても、意味ないもの』
そこで、録画は終わった。アリエルがスプリガンたちに残したビデオだ。しかし、まだスプリガンは人語を理解していない。
だから、画面に映るアリエルを見せれば、苦しめてしまうだけである。
これはスプリガンが人語を理解した時に見せるからこそ、意味のあるものだ。何も映っていなかったとスプリガンに伝える。
「……俺たちは帰るよ。ここには大切な思い出がたくさん詰まってるんだな。大事にしてくれ」
スプリガンに人語を教えたいところだが、今はそれどころではない。巻き戻りの原因を絶たなければ、今が永遠に続いてしまう。
魔黒を封じたビンを持ったグリーンとわかれ、大志とピルリンとレズはトゥーミの店に戻った。




