5-2 『セロリ』
「おまえはバカか? ただの犬が喋るわけないだろ」
犬にそう言われてしまった。
犬の声は理恩にも聞こえている。だから、魔物であるとは考えられない。
「だって、犬だろ。たぶん」
「この姿はただの犬だ。だが俺はセリアンスロープだ。ちょっとした手違いで第一星区に来てしまって、脱出する機会を探してるのだ」
「そんなのわかるわけないだろ。それにセリアンスロープって名前か?」
すると、犬は前足を地面から離して二足歩行になった。身体つきが人のように変化するが、全身を覆う体毛はそのままである。そして、まるで犬の着ぐるみを着た人ようなものができあがった。
「セリアンスロープとは、獣と人の混合生物だ。お前たちがいうところの、魔物だ」
「ダウト。まず一つ、魔物は人語を喋れない。そしてもう一つ、本当に魔物ならここで喋りかけるメリットがない。少し化けられるからって、嘘はよくないぞ」
「その判断、あの世で後悔するんだなッ!」
犬は大きく口を開き、大志を食らおうとする。
鋭い牙が生え揃っていて、噛まれただけでも重傷だ。だから避けようとしたのだが、そう判断した時にはすでに危機は去っている。
大志の前で横たわる犬は、白目をむいていた。
「犬だかセロリだか知らないけど、大志に危害を加えるつもりなら、容赦しないよ」
「ま、まあ、それは話を聞いてからでも遅くはないだろ」
理恩は殴ったのだろう。しかし、その速度を捉えることができなかった。大志の気が緩んでいたせいもあるが、理恩の反射神経は人の限界まで高められているのではないかとすら思えてくる。
しばらくもしないうちに犬の意識が戻ったので、手を貸した。
「で、セロリはどうして俺を襲おうとしたんだ?」
「しばらく肉を食ってなかったからな。弱そうだから食ってやろうと思っただけだ」
「それならトトに言えばよかっただろ。肉くらいくれるんじゃないか? 腐ったやつとか」
「それは食わねーよっ!」
セリアンスロープが魔物であるということは、どうやら本当のようだ。能力の性能は、ぶれず劣らず今日も絶好調である。
第五星区にある封魔の印が、セリアンスロープの力を封じているようだ。つまり、ピルリンの持っていた封魔の印である。
「……ところで、なんで魔物なのに人語が喋れるんだ?」
「唐突だな。さっきも言ったが、セリアンスロープは半獣半人だ。俺は獣になることしかできないが、中には人になれるやつだっているんだ。そういうやつが人種に交じり、言葉を習得してくる。だからセリアンスロープは人語が喋れるんだ」
違和感なく人種と交流できるほど、精巧な人になることができるようだ。しかしそれなら、なぜ魔物なのか。マーメイドたちにも同じようなことを思ったが、人に近しい存在なのにどうして人種ではないのか。かつてあった魔物との戦いで、敵味方をわけているのだとはわかっている。わかってはいるが、理解はできない。
「セロリには人の血が流れてるんだろ? なのに、どうして魔物の味方なんてしたんだ?」
「昔あった戦いのことなんて知らねーよ。俺たちだって先祖を恨んでる。……そう思うのは、魔物が負けて人種が勝ったからだろうがな」
誰だってのけ者にされるのは嫌なことだ。魔物側についたせいで、人の血が流れているにも関わらず魔物と呼ばれるようになったセリアンスロープ。その気持ちは、察することすら難しい。
「なら、魔物やめるか? そっちがその気になれば、協力するぞ」
「……やめられるのか?」
大志の誘いに、セロリは食いついてきた。魔物をやめたい意思があると、認識する。
さすがにさっきのように襲われては困るが、それはまともな食事をしていなかったことが原因だ。人と同じように食事をしていれば、そんなことは絶対に起こらない。
「それは、セロリ次第だ。生活する上での最低限のマナーを守れば、誰も文句は言わないだろ」
「なら、教えてくれ! マナーってやつを教えてくれ!」
「あとでな。今は療養中なんだ」
犬になったセロリが、大志の足に身体をこすりつけている。
そんな姿を見て、トトとアイス―ンは優しく微笑んだ。そして見世物になっていると気づいていないセロリは、大志の足の周りをぐるぐると回っている。
「その犬は、迷い犬でござる。少し前に牧場でうろうろしているのを見かけて、保護したでござるよ」
「そうなのか。……それで、海太は?」
詩真は帰ってきた。しかし、海太の姿はどこにも見当たらない。
「ああ、それね……」
視線をそらす詩真が、何かを知っているようだ。
そして詩真のあとをついていくと、畑の隣に細長い窪みができている。その横では、シャベルを持った海太が腰を叩いていた。
「おーい、何やってるんだー?」
「穴を掘るように言われて掘ってたってんよー。もう腰が痛くて、動けないってんよー」
そこに、ビニール袋を持ったトトがやってきて、袋の中のものを海太の掘った穴へと移す。そして得体のしれない何かをかけて、土で埋めた。
「何をしたんだ?」
「堆肥をつくる準備でござるよ。堆肥をつくれば、栄養のある野菜がつくれるでござる」
堆肥というものは知っている。しかし、その作り方までは知らなかった。きっと堆肥作りも、第一星区にとっては大事なことなのだろう。
詩真に支えられながら、海太は家に帰った。大志たちもあとを追うように室内へと戻り、休憩をする。と言っても、これから外に行く用事はない。空も暗くなりかけていて、あとは食べて寝るだけだ。
「北区は、どこもこんな感じなのか?」
「そうでござる。例外も少しあるが、だいたいはこんな感じでござる」
「なら、他のところはどうなんだ? まさか第一星区全体が、牧場やら畑やらじゃないよな?」
するとトトは少し考えるような素振りを見せ、それからアイス―ンへと目を向ける。それに対してアイス―ンはうなずくだけだった。
「西区に呼び出されているでござる。日帰りではないが、一緒についてくるでござるか?」
「行ってみたいけど、人を泊めてくれる宿があるのか?」
エルフは人を嫌っている。そう言ったのはトトだ。
さすがの大志でも、野宿だけは勘弁してもらいたい。寝てるときに襲われたら、抵抗のしようがない。
「それなら安心していいでござる。西区には友好的なエルフが少ないながらいるでござる。それに拙者と一緒ならば、嫌がられることも少ないでござるよ」
「それなら行きたい。西に行くには、中央に行かないとなんだよな?」
「中央によらず西へ直進することも、できるにはできるでござる。だが、安全性は確保されていないでござるよ。それを考えると、中央を中継したほうが近道でござる」
第一星区にいる魔物が徘徊しているのだろう。たとえ力が封じられているとしても、能力のないエルフにとっては遭遇するだけで死を覚悟するものなのだ。
こういう時こそ理恩の能力があればいいのだが、使えないのだから仕方ない。
「そういえば、詩真は畑で何してたの?」
理恩は、いまだに海太を支えている詩真にそんな問いかけをする。
たいして深くもない長い穴を掘って、海太が腰を痛めたことは知っている。しかし、詩真が何をしていたのか想像できない。
靴や手に土をつけていたトトと違い、詩真は別れたときと同じ格好で汚れもない。
「海太の応援してたわ。がんばれ~、がんばれ~って」
「あっ、そ、そうなんだ……」
まさか本当に応援するためだけに行っていたとは驚きだ。
「詩真ちんの応援は最高だったってんよ! 最初にあった時はおどおどしてたのに、今ではまるで別人だってん!」
「あぁ……敬語とか使ってた頃か。でも、その頃から変態なのは変わらないだろ」
今の詩真は、本当の自分を前面にだしているようで、とても楽しそうである。
すると詩真は海太の頭を胸に抱きしめ、頬を紅潮させた。しかし海太はそれに対して何もしない。いつもなら胸を揉んだりしそうであるが、抱かれるままなされるままである。
「……どうしたのかしら? 欲望の赴くまま好きにしていいのよ」
「いや、いいってんよ。……なんか、違うってん。詩真ちんは嫌いじゃないってん。でも、なんか身体にも胸にも興奮しないってん」
「こんな場所でそんな話するなよ」
詩真から離れた海太は、静かに椅子に座った。
海太が詩真を拒んだことなんて、今までなかっただろう。詩真としても、海太は素直に興奮してくれて欲を満たすには最適だった。だから、海太に否定されることは想定外である。
「どうして……私の身体に飽きたの?」
「違うってんよ。ただ……醒めただけだってん」
「だから、こんな場所でする話じゃないだろ」
しかし大志の言葉は再び無視され、詩真はすがるように海太に泣きついた。
詩真が何をしていたか聞いただけで、こんなにも話が大きくなるなんて予想外だし、なによりこんなトトたちの見てる前でする話ではない。
「どうして……ッ! 大志に捨てられ、あなたにも捨てられたら、私は誰を頼ればいいのっ!?」
「その言い方よくないぞ」
トトもアイス―ンも、そんな詩真を心配そうに見る。
あくびをするレズの横では、ピルリンが顔を赤くして目を隠していた。
「いつでも頼っていいってんよ。……ただ、興奮できなくなったってだけだってん」
「それが大事なのよ! 嫌々仕方なく引き受けてくれるなんて、こっちがつらくなるだけじゃないの……」
興奮できないからって、嫌々と決めつけるのはどうなのだろうか。そんなこと言ったら、この世のほとんどのことが嫌々やっていることになる。
「あっ、あの……っ!」
すると、目を隠したままのピルリンが声を出した。
「これからっ、えっちなことでも始まるんですかっ!?」
「うっ……ぐすっ……ピルちゃんは、淫乱なんかじゃないですよぉ……」
布団で横になる頃になっても、ピルリンの涙は止まらなかった。
あんな話をしてしまった詩真にも責任はあるが、ピルリンも悪くなかったわけではない。そのたくましい想像力は、きっとピルリンの強みになるだろう。
身体にしがみついて泣いているピルリンの頭を、左腕の義手で撫でた。
「大志は優しいんだね」
そして右腕は、理恩に腕枕をしている。泣きつくピルリンをあやしていたら、拗ねたのかくっついてきたのだ。そんなところも、理恩の可愛いところである。
「……優しいわけじゃない。ただ、嫌われたくないだけだ」
「大志には私がいる。私は大志を嫌ったりしない。……だから、私以外に優しくする必要なんてないんじゃない? ねぇ……?」
「そういうわけには――」
その言葉を遮るように、大志の口は塞がれた。第三星区から逃げている時に何回もしたその行為は、二人にとって習慣になりつつある。
しかし、このままではいけない。このままでは、溺れていくだけだ。だから理恩を引き離し、上体を起こす。
「……俺たちは2人だけで生きてるわけじゃないんだ。理恩と逃げて、それが痛いほどわかったよ。俺と理恩だけじゃ、食料すらまともに得られなかった。みんなが支え合って、それで俺たちは生きてられるんだ。だから、理恩だけに優しくしていればいいってわけにはいかないんだ」
「どこに行くの……?」
「ちょっとトイレだ」
理恩とピルリンを残し、眠い身体を動かした。
詩真も海太は、心ここにあらずといった顔をしている。詩真にとっても、海太にとっても、互いを何かしら特別に思っていたかどうかは定かではないが、あの絶望の島を生きて抜け出した者として、運命的な想いがあったとしても不思議ではない。
だから、互いに納得できないでいるのだ。
「……口を出すことでもないか」
部屋の端にあったキッチンの横にある通路を進むと、そこにトイレがある。電気がついていたのでノックをするが、返事はない。
誰かの消し忘れだろうと扉を開けると、そこには先客がいた。
レズと書かれた水着が足元に置かれ、それを着ていた本体は便座に座り、器用に眠っている。
「こんなところで寝るなよ……」
裸を見たくらいでは動揺しなくなった自分に驚きながら、水着を着させようとした。しかし、眠っているせいもあって、なかなかうまく着てくれない。
手間取っていると、理恩とピルリンが様子を見に来る。そこにいるのは、水着を半分着せられたレズと、その水着を掴んでいる大志だ。
「な、なんで脱がしてるの……」
「着せてるんだ。理恩も手伝ってくれ」
「ひぇぇ、ご主人様えっちですよぉ……」
直後、ピルリンの頬は理恩に掴まれる。
「着せてるって言ったのが聞こえなかったの? 脱がしてるわけじゃないんだよ。それのどこがえっちなの? 淫乱さんには、何もかもがえろく見えるのかな?」
「ごっ、ごべんなさい……」
そんなやり取りを見ていると、大志の手を何かが包んだ。
見れば、レズは目を覚ましている。そして水着を持った大志の手を握っていた。
「触りたいのら―?」
「いや、水着を着せてただけだぞ」
するとレズは立ち上がり、水着を着る。そして何事もなかったかのように立ち去ろうとするので、その腕を掴んで止めさせた。
レズは大志に向き直ると、首を傾げる。
「どうしたのらー?」
「なんでここに寝ていたのかなんてのは、この際どうでもいい。それよりも、気になってたことがあるんだ。アイス―ンを女にしたことについて」
その言葉を聞き、レズの目つきが変わった。しかしそれも一瞬。そのあとはいつも通りの、何を考えているのかわからないタレ目である。
「ホモセリー家に伝わるオオツキの刀。それは女にしか扱うことのできない刀だった。女になったことでアイス―ンも使えるようになったが、それはただの偶然。たまたまだと思っていた。……でも、もしもそれが誰かに頼まれたことだったら……」
すると、レズの目つきは再び変わった。疑うまでもない。それは大志の言ってることが当たっているからである。
「お前は敵なのか、味方なのか、どっちなんだ?」
「……アイス―ン様には、内緒で。アイス―ン様を女にするように頼まれたのは事実。ホモセリー家は女系で、代々長女が受け継いできたのら。そんな歴史を続けてきたホモセリー家に生まれたのは、アイス―ン様ただ一人。病気を患い、子どもを産めなくなったお母様が、アイス―ン様を女にするよう頼んできたのら―」
「……敵ではないってことか。わざわざ伝統を守るために女にさせられたアイス―ンが可哀そうだな」
そう言って、大志はトイレに入った。




