5-1 『新天地』
「確保ー! かくほぉー!」
大志と理恩の失踪判明から5日と14時間。一週間にも満たない二人の逃走劇は、第三星区から少し離れた森の中で終わりを告げる。
ペドの能力を恐れて森の中に逃げたのだが、クシュアルの追跡能力からは逃げられなかった。
「もう逃がさないでござる。第一星区へ来てもらうでござるよ」
担いでいた袋から鉄製の手腕を取り出したトトは、無理やり大志の左肩に取り付ける。
そしてバンガゲイルに背負われて、第三星区へと連れ戻された。わずかな時間だったが、すべてを忘れて理恩のことだけを考えられた。今までで一番幸せな時間だったかもしれない。
「……なんで第一星区に行くんだ?」
「おめぇのためらしいぜぇ。自然に触れあえば、心も回復するってよ!」
カマラの城では、代わりを頼んでいた海太が待っていた。
理恩との逃走は、大志の心にゆとりを生んだ。そしてその他のものには、不安と混乱をもたらした。
「逃げるなら、一言言ってほしかったってんよ」
「言ったらバレるだろ」
膝にのせたポーラを撫でながら、海太はため息をはく。イパンスールには睨まれるし、レーメルには呆れたような目で見られるし、さんざんな結果だ。
しかしアイスーンだけは、大志に歩み寄る。そして俯いた顔を覗きこむように膝を曲げ、大志の手を握った。
「君を責めるつもりはない。そんな選択をさせるほど追いつめてしまったのは、僕たちだ。……だから僕は、君に謝りたい」
アイスーンの言葉に、嘘偽りはない。逃げた大志に、アイスーンだけは変わらない。大志に敬意を持ち続けている。
そんなアイスーンが眩しすぎて、目を閉じた。そしてアイスーンの手を、強く握り返す。
「どうして……そこまで……」
「君の腕になると誓った。たとえどんなに君が変わろうと、僕は君の味方だ」
わからない。そこまで肩入れする理由がわからなかった。
心の隙間に生まれたわずかな恐怖が、大志の足を動かす。アイスーンから逃げるように、後退した。しかしそんな大志の背に、柔らかなものがあたる。そして大志は抱かれた。
「怖がらなくていいの。みんなタイシ様に助けられた。だから、ちょっと逃げたくらい、誰も怒ってないの」
前にはアイス―ン。うしろにはルミセン。逃げる道を失った大志は、抱かれるルミセンに身を預けた。
「……もう、嫌なんだ。誰も殺したくない……」
「タイシ様が殺したんじゃない。タイシ様は、助けたの。タイシ様がいなければ、きっと被害はもっと大きかったの」
あの時、戦艦島から帰ってきた時と同じだ。その言葉に甘えればどうなるか。大志は痛いほどわかっている。
きっとすべてを忘れてしまうのだ。その心地よい言葉が、大志を大志でなくする。そうすれば、また大事な何かを失うことになる。
「逃げることは、悪ではないでござるよ。たしかに目をそらしたくなるような事実、忘れたい過去から逃げるのは褒められるべきことではない。だが、蔑まれることでもないでござる」
「そうみゃん。誰だって逃げて、それでもなんとか自分を保ってるみゃん」
そしてイパンスールは息を吐いて、大志の肩に手を置いた。
恐怖など感じない。素のイパンスールが、目の前に立っている。
「貴様には少々荷が重すぎたのかもしれないな。……俺の跡を継げるような器になるまで、待っててやる。まあ、嫌なら嫌でいいんだ。たとえそれが民衆の意見であっても、貴様を縛りつけるものではない。時には切り捨てることも必要だ」
目の前には、牛がいた。比喩ではなく、正真正銘の牛がいる。
理恩たちと共に、大志は第一星区へと来ていた。
「この世界にも、こういう動物がいるんだな……」
「食材は主に第一星区で作られてるでござる。牛、豚、鶏の他にも、じゃがいもやにんじん、玉ねぎなどの作物もあるでござる」
まさに食材の宝庫というわけだ。
しかし第一星区に頼りきりというのも悪い。だから第三星区にも田畑をつくろうとしていたのだが、もはや気力すら残っていない。
「わぁー、これって猫?」
足にすり寄っている毛だらけの四足歩行動物を見て、理恩は嬉しそうに声を出す。
狭い世界に閉じ込められてばかりいた大志と理恩にとって、動物と触れ合うなんてなかったに等しい。だからこそ理恩は、喜びつつも少し怯えていた。
「それは犬だってん。猫にしては大きすぎるってんよ」
「そ、そうなんだ……。海太って物知りだね」
そんな二人の会話を尻目に、詩真との会話を楽しんでいる人物に視線を向ける。
栗色の髪を縦ロールにするおっとりした目の女は、自分の名が書かれたスク水を着ていた。たとえ北の寒い場所へ来ても、服装は変わらない。寒さを感じない体質のレズである。
「どうして来たんだ?」
「どこに行こうが、勝手なのらー」
そう言われてしまえば、おしまいだ。
アイス―ンを女にしてしまった張本人であるが、二度と目覚めないはずだったアイス―ンを助けた張本人でもある。だから怒るに怒れないのだ。
「ご主人様―っ! ピルちゃんもいるですよーっ!」
空から降ってきた声はピルリンのものである。
第一星区にはペドの扉を繋ぐ能力でやってきた。しかし、寝坊したピルリンは空を飛んでやってきたのだ。それにしては、やけに早い到着である。
「早かったな。本当に飛んできたのか?」
「びゅーんって、高速で飛んできたんですよっ! そのせいでパンツが脱げちゃったですよーっ!」
スカートを押さえながら下降してくるピルリンから目をそらした。穿いているにしろ穿いていないにしろ、大志には興味のないことである。
そして大志たち6人は、トトとアイス―ンに連れられて家へと入った。中は質素なつくりだが、とても大きい。老朽化が目立つ木造の家だが、崩れることはないだろう。
「こんな古くても、慣れれば住みやすいでござるよ」
「トトもここに住んでるのか? 第一星区の代表にしては、ぞんざいな扱いだな」
「拙者がそれを望んだでござるよ。特別な扱いを受けたくて代表をやってるわけではないでござる」
トトはそう言って、壁に貼ってあった地図に目を向けた。
北海道のかたちが描かれており、その中に十が描かれている。そして北に向いた先端を指差した。
「拙者たちがいるのは、北区。この第一星区には北、西、南、東、中央に町があって、中央区はすべてと繋がっているでござる」
「北……? 名前はないのか?」
「北区が名前でござるよ。独特な名前を付けるのは、人だけでござる」
たしかに方角をそのまま名前にするのはわかりやすいかもしれないが、なんだか少しだけ悲しい名前に聞こえなくもない。
同じ人種といっても、そういった些細な違いはあるようだ。
「北区は牧場や農地などが多いでござる。心を休めるには、きっと北区が一番いいでござるよ。……もちろん他の町へ行ってもいいでござるが、その時は拙者も行くでござる。人とエルフは互いに嫌いあってるから、少しのことでも戦闘になるかもしれないでござる」
「わかった。とりあえずここにいれば、大丈夫ってことだな」
大志は椅子に座ると、天井を見上げる。
二階建てだが、大きく吹き抜けていて一階からでも二階の様子を窺えた。もし何かあったとしても、これならすぐに知らせることができる。
「拙者とアイス―ンは二階を使うから、一階を使ってほしいでござる」
「ああ。もし夜中に声が聞こえても、聞こえないふりするから安心してくれ」
そう言うと、アイス―ンの顔は真っ赤になり、まばたきの回数が増えた。
男だったなんて、昔のことのようだ。今のアイス―ンは、どこからどう見ても女そのものである。アイス―ンにとってもそれはよかったことなのだろうが、アイス―ンが女らしくなればなるほど、他から狙われる危険も増えるはずだ。
しかしアイス―ンを守る役目は、他でもないトトの仕事である。もはや大志が頭を抱えることではないのだ。
「拙者はいびきをかかないと自負してるでござる。だから睡眠の妨げはしないでござるよ」
「いびき以外の声が聞こえないといいんだけどな」
その時、家が揺れる。大きく左右に、まるで誰かに揺すられているかのようだ。ほんの少しの時間だったが、とても長かったように感じた。
揺れがおさまると、トトは家の中を見渡す。これでは、老朽化している家が崩れるのなんてすぐだ。
「最近は多いでござる。今回は無事だったが、危険でござるな」
「こんなボロボロだしな。寝てる間に埋められでもしたら、たまったもんじゃない」
「それならピルちゃんに任せるですよーっ! どんなに古くても、魔法で新品に戻しちゃいますっ!」
ピルリンが腕を広げると、まるで砂金のような細かな輝きが家に充満する。そしてまばたきをする暇もなく、それは終わった。家は見違えるほどきれいに、新品らしい輝きを放っている。
「……すごい。魔法って、こんなこともできるのか」
「はいっ! でも、元に戻る力もすごいですよぉ……。魔法をかける前の姿になるまでの時間が、半分以下になっちゃうんですよーっ!」
「それって、老朽するのが速くなったってことか?」
すると、ピルリンは首を縦に振った。
どの程度速くなったのか憶測することさえ難しい。しかし、さすがに一日ぐらいはもつだろう。その日その日で魔法をかけ続ければ、いつまでも新品ということだ。
「これで家は大丈夫だな。……それより、地震が多い理由はわかってるのか? 地震っていうと、プレートの動きがどうとか言われるけど」
「たぶん違うでござる。プレートに大きな変動はない。だから、他の何かが地震を起こしていると思うでござるよ」
自然ではなく故意に地震を起こされては、安心して生活できない。自然の地震だって環境や文明を破壊することがある。そんな地震を起こしているのだから、大層な理由があるはずだ。
しかし、何かをする気にはなれなかった。
「……まあ、いつか誰かが解決してくれるだろ」
「ご主人様が何かするんじゃないんですかーっ!? ご主人様には漆黒の美少女がついてるですよーっ!」
初めて会った時は漆黒の乙女と言っていたくせに、いつのまにか美少女にランクアップしている。そして相変わらず漆黒の要素が見当たらない。
たしか下着が黒かったが、今は穿いていないと自白している。
「どこが黒いんだ?」
「影です」
まさかの本体ではなく影の通り名だったようだ。しかし、漆黒というほど影も黒くない。
「影の美少女ってことだな。……シルエットだけなら美少女に見えるってことか?」
「違うですよッ! ピルちゃんが美少女なのは、誰もが認める常識です。それに影の美少女ではないですーっ! 漆黒の美少女です! 漆黒、ですよっ!」
ピルリンに指を突きつけられ、大志は見るからに嫌そうな顔をする。なにせ、黒は影と言っておきながら、漆黒が影ではないと言うのだから。
するとピルリンは、理恩に頬をつねられた。
「そろそろ黙って。大志は疲れを癒すために来たんだよ? もう家は元に戻ったから、ちょっと静かにしてね」
笑顔を見せる理恩だが、それは笑ってなどいない。
そしてそんな理恩に恐れたのか、ピルリンはすぐに黙った。あんな騒がしいピルリンをこうも簡単に黙らせるとは、見習いたいものである。
「それで、これから何をすればいいんだ?」
「それは自由でござるよ。何かをしなければいけない、というようなものはないでござる。庭で遊んでもいいし、屋内で寝ていてもいい。好きなようにしてくれればいいでござる」
しかし、急にそんなことを言われても、困ってしまう。特にやりたいこともないというのが本音だ。助けを求めて理恩に視線を送ると、うなずかれる。
今は遊ぶというより、情報を集めたい。そして安全を確認してからでないと、全力で遊びに集中できない。
「なら、牧場を散歩する。動物たちと触れ合ってみたい」
「それがいいでござる。拙者は畑へ行くから、用があったらきてほしいでござる」
そして理恩と大志は、牛や豚たちと触れ合った。海太は畑まで連れていかれ、詩真は応援しについていってしまった。だから二人きりである。
ピルリンとレズはというと、家で留守番だ。一緒についてくると何かと問題を起こしそうなので、外に出ないようにきつく言っておいた。
ピルリンなら絶対に守ってくれるだろうが、レズはどうだかわからない。神出鬼没で、どこにいつ現れるかわかったものではない。
「それにしても、牛ってこんなに大きいんだな。もう少し小さいものかと思ってた」
「実際に会ってみると、思ってたのと違うよね。まだまだ知らないことがいっぱいだね」
牛に触りながら歩いていると、理恩の足元を歩いていた犬が二人の前に出る。
「てめぇら、牛に触ったことすらないのか?」
それは理恩の声ではない。真正面の犬が発した声だと、瞬時に理解した。
しかし、犬は人種ではない。ならば、なぜ人語を話しているのか。考えても答えは出てこない。答えは目の前の光景そのままだ。
「犬って、喋るんだな」