4-20 『ジョーカーのかたわれ』
見た目は変わらないけれど、刀が反応したということは、女と判断したのだろう。
大志は刀を振るい、獣へと矛先を向けた。
「まあ、それはどうでもいいか。この刀、少しだけ借りるぞ」
そう言って歩き出そうとする大志を、咄嗟に腕を伸ばしたアイス―ンが止める。
「まっ、待ってくれ! それを失ったら、僕は何で戦えばいいんだ?」
不安そうなアイス―ンを落ち着けるように、大志は伸ばされた手を握った。そしてアイス―ンの前で膝をつけると、握った手を倒れたままのトトの上へと移動させる。
アイス―ンは戦闘ギルドでもなかなかの腕前だ。刀を持たせるのは、大志より向いている。大志自身もそれは重々に承知しているけれど、この戦いにアイス―ンを巻き込ませたくない。トトが目覚めたとき、もしもアイス―ンが重傷を負っていたら、ひどく苦しく、悔しく思うはずだ。
「今までアイス―ンには守られてばかりだった。だから、今回ぐらいは俺たちのうしろで、勝利を祈っててくれ」
トトのためにも、アイス―ンのためにも、勝たなければいけない。
大志は海太、クシュアル、バンガゲイルに目で合図をして走り出した。
「まずは俺が行くぜぇ!」
能力で加速したバンガゲイルは、地面に深い足跡をつけながら獣の真下に潜り込む。そして握り拳を獣の腹部へと突き上げた。すると獣はほんの少しだけ浮かび上がり、そしてすぐに着地する。
獣へ打撃を与えられたとみて、いいようだ。
「あとは一斉に攻撃っつーことでいいのか?」
いまだに短刀を鞘に納めたまま走るクシュアルは、大志に顔を向ける。
バンガゲイルの攻撃で、獣はバンガゲイルや大志たちの存在に気づいた。油断していたら、今度やられるのは大志たちだ。現に、ポーラから離れた獣の尾は、バンガゲイルへと向けられている。
「避けろッ!!」
「こんな速度、止まってるようなもんだぜぇ!」
バンガゲイルの速度に追いつけなかった獣の尾は、地面へと突き刺さった。
しかしそれだけならよかったのだが、獣の尾は地中を掘り進み、大志の足元から姿を現す。咄嗟に刀を振り下ろそうとするけれど、大志の腕よりも獣の尾が速い。それを理解した時には、すでに能力を使っても処理がおいつかない距離まで迫っていた。
獣の圧倒的な力を一度受けてしまった大志には、もしかしたら軽い痛みだけかもしれないなんて甘い考えは浮かばなかった。ポーラのように蘇る力もなく、王の力もない大志では蹂躙されるだけである。
「諦めんじゃねーっ!」
突如、大志の身体を風が押した。
クシュアルは鞘を上空に投げると、吸い込まれる大志をかわし、地面から突き出た獣の尾を両断する。斬られた尾は地面へと落ち、獣は雄叫びにも近い悲鳴をあげた。
しかしそれでも吸い込まれる大志をよそに、クシュアルは短刀を空へと向ける。すると、上空へと投げた鞘が刀身を隠した。
「た、助かった……」
「まだ助かっちゃいねーぞ。休憩するには、まだはえー!」
悲鳴をあげる獣へと走り出したクシュアルの背へと、斬り落としたはずの尾が飛ぶ。斬り落としてもなお、それは獣の意思で動かせるのだ。しかしそれを、クシュアルは気づいていない。
大志は手で銃をつくり、尾へと向ける。撃ち落とさなければ、クシュアルの身体には大きな穴が開いてしまう。撃ち落とさなければ。そう思っても、大志の指先は震えていた。一発で決めなければ、クシュアルは死ぬ。もしも間違えてクシュアルに当ててしまえば、それでも死んでしまう。
『大丈夫だよ。大志ならあてられるよ』
『大志には、私たちがいるわ』
理恩と詩真の声が聞こえると、大志の手の震えは止まった。
大志の手を温かな感触が包む。自然と大志の中で渦巻いていた不安は消え、指先はただ一直線に獣の尾へと向けられていた。
二人が、大志を支えてくれている。だから大志は、迷わない。
口から発せられた発砲音と共に、無形の銃弾が獣の尾を貫いた。すると獣の尾は地面へと落ち、動きをとめる。
「このまま押しきるぞ!」
空間の穴から獣の上空へと移動した大志は、刀を自らの下へと突き出した。しかし落下する大志を見逃す獣ではない。先端の切断された尾を器用に動かし、大志を叩き飛ばそうとする。
「ここで退くわけにはいかないんだッ!」
アイス―ンの刀を縦横無尽に振り回すと、獣の尾は細切れに小さく姿を変えた。アイス―ンと競り合った時は獣に傾いていた力の差が、今は大志へと傾いている。
勝てる。頬が緩んだその時、細かく斬った獣の尾が大志へと一斉に向きを変えた。そして高速で動き出した断片は、身体を貫く。
「どうだ、痛いだろ?」
大志の身体ではない。細切れになった尾は獣の身体を貫き、血を噴出された。
獣は苦しみからか膝を曲げて、その場に身を伏せる。しかしそれでも戦意は失っておらず、自らを貫いた尾の断片を再び大志へと飛ばした。
何度やっても同じこと。大志は空間の穴を広げ、待ち構える。
「やめろっ!」
準備は万端だったけれど、飛んできた尾の断片は空間の穴を通過するよりも先に影に飲みこまれてしまった。その影を操っているのは、王だ。バンガゲイルに抱えられ、腕を前に出している。
その表情は真剣で、疑問を口に出すことすら憚られた。
「あいつは確かに凶暴で、今すぐにでも無力化しなければならない。だが、痛めつけられているのを黙って見ていられないのだ」
「なら、どうするんだ? やつを無力化するには、身体の模様を探さなくちゃなんだろ?」
血を流しながら身体を伏せる獣は、ただ大志を睨んでいる。殺意に満ちた視線に、身体の芯から震え上がった。
「なんか訳ありみてーだな。何かあるなら、話せっての!」
隣に並んだクシュアルは、ポーラの顔を覗きこむ。
そんな態度が気に入らなかったのか、クシュアルの顔を影が包んだ。そして視界の塞がれたクシュアルは、殴られてその場に尻もちをつく。
「欠陥品の分際で、口がすぎるぞ」
バンガゲイルから離れた王は、倒れたクシュアルに乗った。そんな油断している王に対しても、獣は警戒を続けている。
それほどまでに、獣にとっても王は厄介な相手なのだろう。
「言い方は悪かったかもしれないが、クシュアルの言ってることはもっともだ。あの獣は、何だ? 王と何の関係があるんだ?」
そこに、遅れて海太もやってくる。その手に握られている刀が変わっているけれど、今はそんな話をしている場合ではない。
王は獣の様子を一度確認し、それから口を開いた。
「あれは、古き友のかたわれだ。名はジョーカー。あいつも、力を複数にわけて封印されてしまったのだ。その一つがあれだ」
友ということは、王のいう欠陥品とは違う。対等な存在なのだ。しかし王は唯一であり、対等な存在などいるはずがない。たとえいたとしても、王の性格からして対等だとは絶対に言わない。
「ジョーカーにも、王の力があるのか?」
「あいつにはなかった。あいつは、王とは正反対の存在だったのだ。すべてを持つ王に対し、ジョーカーには何もなかった。能力がない、筋力がない、というわけではない。世界の常識、存在そのものがなかった。世界の枠の中に、ジョーカーはなかったのだ」
どこか遠い目をした王は、そんな意味不明なことを呟き、大志に背を向ける。その視線の先にいる獣は、苦しそうに息を漏らしながらも立ち上がろうとしていた。そしてそれに呼応するかのように、身体につくられた穴は修復していき、尾以外が出会った時の姿へと戻っていく。それは不死身の王と同じで、死ねないことを現していた。
「何があって、封印なんて……」
不意に口から出た言葉は、大志の中にある疑問のすべてだった。
神が創りだしたという絶対的な存在である王。そして王が認めるジョーカー。そんな二つをつくってしまった理由と、その背景を考えたとき、大志の中で恐怖に似た感情が芽生える。
最強と呼べる存在をつくる理由なんて、一つしかない。神ですら恐れる存在がいたのだ。そして立ち向かうために、自らよりも強靭な王を創りだした。
「その話は、あとだ。まずは、あいつを元に戻す!」
獣へと飛んでいく王の背を、追っていいものかと考えてしまう。
獣への攻撃を止めさせたのは、手出しをしないでほしいということだったのかもしれない。それに、たとえ大志が加勢したところで戦況が大きく変わるはずもない。不完全である王も、ジョーカーのかたわれである獣も、その時点ですでに規格外だ。
「大志ッ! 行くってんよ!」
見知らぬ刀を振るった海太に続くように、クシュアルとバンガゲイルは走り出す。しかし大志だけは動かずに、ただ茫然と愕然と、駆けていく背を見ていた。
『大志……』
不安そうな理恩の声が、耳の中でこだまする。
王とジョーカーは封印されていた。不要になったからだとすればいいけれど、もしも目的である敵を倒すことができずに封印されてしまったのだとすれば、その敵はまだこの世界のどこかで身を潜めている可能性がある。
「なんで、俺なんだ……」
この世界へと転移した理由を、ラエフは明かそうとしなかった。もしもその理由が、王とジョーカーを復活させて敵との再戦をさせるためだったら、今までいいように使われていただけだ。
しかし大志には何の特技もなく、能力に目覚めたのだってこの世界へとやってきてからだ。なぜ別世界にいた大志に白羽の矢がおりたのか。否定したいけれど、考えられることなんて一つしかない。
『大上大志プロジェクトってことね』
新人類プロジェクト。どちらが正式名称かなんて、どうでもいい。今までの人類とは異なる新人類を創りだす計画で、幼い時から大志と理恩を苦しめ、そして伊織や湊たちを殺していった憎き計画だ。
その全貌は明らかになっていないけれど、大志が選ばれる理由なんてそれしかない。この世界に来てからも、その名を口にする者はいた。ラエフ自身もその名を口にし、調べたとも言っていた。もしも新人類となった大志を、王とジョーカーと共に敵と戦わせるつもりなのだとしたら、ラエフが大志たちの帰還を渋る理由もわかる。
「もしもそうなら、俺は……」
新人類がどれほどの力を有しているのか想像もできず、ただただ恐怖した。今でさえ規格外な王の完全体とジョーカーの完全体であっても倒せなかった相手に、大志が敵うはずもない。
『わ、私もいるよっ』
励まそうとしてくれたのだろうが、そんな戦いに理恩を巻き込むわけにはいかない。今まで何度も危険な目にあわせてしまった大志が言えることではないけれど、理恩は大切な人で、一番守りたい人だ。
大志は深呼吸をして、うしろで見守ってくれているアイス―ンを見る。もしもそんな戦いが起これば、被害にあうのは大志や理恩たちだけではない。アイス―ンやトト、イズリやレーメル、この世界に住む人や魔物、その他の生物、その規模は計りしれない。
「……俺は、それでも前に進むしかない。未来は前にしかない。たとえ今までも、これからも利用されるとしても、それでも俺は幸せな明日を、みんなが笑っていられる明日をつくりたいんだっ!」
やっと地面を蹴りつけた大志は、遅れて獣へと走った。
獣が暴れたせいなのか、第二星区は荒れ果てている。もはやゴブリンの生き残りがいるのか疑問ではあるけれど、残っている者のためにもこれ以上の犠牲を出させるわけにはいかないのだ。
すでに応戦している王と海太、クシュアルは、器用に獣の体毛を削ぎ落としている。そしてバンガゲイルは、何もできずにただその姿を見上げていた。
「模様を探すだけで一苦労だな。しかも再生するんじゃ、キリがない」
クシュアルの刀はもちろんのこと、海太の持っていた刀も負けていない。手を貫くほどの硬い体毛を、二人の刀が削ぎ落としていく。切れ味はほぼ互角と言っていい。
そんな姿を見上げていると、大志のうしろで唐突に巨大な音と共に何かが落下した。
すぐさま振り向くと、そこにはクレーターができており、撃ち落としたはずの獣の尾の先端が埋まっている。そしてその上に立つ初老の男。黒髪のオールバックに、左右対称に白いラインが入っている。
「大志様、敵はどこから攻めてくるかわかりませんよ?」
ネクタイの緩みを確かめながら、ペドは微笑んだ。
たとえ壊れかけであっても、扉として機能するならばペドの能力を使うことができる。ここにペドがいるのだから、疑いようもない。
「もう大丈夫なのか?」
「はい。大志様を守るようにと仰せつかっておりますので、微力ながら参上いたしました」
ペドは軽くお辞儀をすると、大志の前へと出た。
獣の姿を見ても怯むことはなく、やけに落ち着いている。
「身体に描かれてるはずの模様を探してるんだ。できるか?」
「……さあ。やってみないと、わかりません」
ペドは飛び上がった。回復力がなくなったとしても、不良は不良。その跳躍力は人並みのものではない。
そして負けじと、大志も地面を蹴った。




