4-17 『両手に花はありえない』
「疎外感を感じるな……」
大志は人力車に乗って、揺れていた。
そして前には、すたぁ、バンガゲイル、ルミセンの順で背が見える。大志だけが楽をしている状況だ。
「おじ様は、すたぁがいればいいよねぇ?」
「ダメなの! ルミが一緒にいるの!」
「二人とも近寄りすぎだぜぇ。これじゃあ、動きづらくて仕方がねぇ」
しかし、互いに様子を見合い、相手より先には離れない。その結果、二人とも離れなかった。バンガゲイルの、これからの苦労が垣間見える。しかも片方は男。
ふと桃幸を思い出し、目を閉じた。
「たぁいしさぁんっ!」
伊織と理恩と三人で暮らす妄想をしていたら、いつの間にかバンガゲイルから離れていたすたぁが隣に座っていた。にやけていた顔を戻し、すたぁに目を向ける。
すたぁは、なくなった大志の左腕を気にしない風を装っているが、やはりどうしても気になるようだ。大志としても、すたぁについては知らないことばかりなので、今のうちに話しておきたいと思っていた。
「何を考えてたんですかぁ?」
「言うほどのことじゃない。それよりも、この腕が気になるんだろ?」
図星をつかれたすたぁは、口をつぐむ。
隠すような大それたことではないけれど、言うようなことでもない。
すたぁはハートの描かれた目を伏せて、考えた。そして、同時に大志も考えていた。もしもすたぁが聞きたくなければ、教えることではない。しかし大志と知り合ってしまった以上、大上大志プロジェクトに巻き込まれるかもしれないのだ。
「それで大志さんの心が楽になるなら、教えてください」
すたぁの目は大志を捉え、微笑んだ。
「……この腕は、大切なものを守るために失った。大切なものを忘れていた代償に、失ったんだ。……すたぁにも、大切な人がいるなら、絶対にその気持ちを忘れちゃだダメだ」
「大切な……ですかぁ。すたぁには、おじ様がいます。ずっとずっと、おじ様を待ってたから……やっと会えて、嬉しかったんですよぉっ」
すたぁはバンガゲイルに目を向ける。
かつてバンガゲイルに会っているような口ぶりだけれど、バンガゲイルには心当たりがないようだ。そんなバンガゲイルに、ルミセンは頬を膨らませる。
「本当に会ってないの? ルミの知らないところで、内緒で会ってたんじゃないの?」
「おいおい、そんな暇はなかったぜぇ。常にギルドで走り回ってたからなぁ」
それでも頬を膨らませているルミセンは、とても不機嫌そうだ。
しかしそれなら、すたぁの会った人は別人ということになる。大切な人と言っておいて別の人と間違えるとは、あまりにも残念な記憶力だ。
「えぇー、絶対におじ様だよぉっ!」
「だがよぉ、おめえなんかに会った覚えはねえぜ。似てるやつに会ったんじゃねえのか? 似てるやつって、けっこういるらしいぜぇ」
バンガゲイルは振り返りもせず、ただ人力車を引く。
すたぁの過去を探るのは、大志の能力なら簡単だ。しかし、能力の副作用ですたぁを束縛してしまうかもしれない。せっかく口があるのだから、能力など使わずに喋ればいい。
「その会ったやつの名とかは、わかるのか?」
すると、すたぁは人差し指を顎に当て、首を傾げる。
容姿が容姿なもので、本当に男なのか疑いを持ってしまう。そして自然と、手は伸びていた。
「もぅ、だめですよぉ……」
そう言いつつも、大志の手を自らの胸に導くすたぁ。
まるでレーメルのような胸に、男なんだと確信する。
「あの時は何も教えてくれなかったんですよぉ。ただ、次に会った時はおじさんになってる、って……」
「それで、おじ様なんて呼んでるのか。いったい何があったんだ? そんなに長く想い続けられるなら、それなりに何かあったってことだろ?」
「あの人は、すたぁの特別なんですよぉ……」
うっとりとしたすたぁは、古い記憶を繋ぎ合わせるように語り始めた。
***
それは、すたぁがすたぁではなかった頃。本当の名であるギ―スタイルマンと名乗っていた時のことだ。
生まれたときから女のような容姿で、よく間違われていた。トイレに入った時など、周りの男の目が妙に血走っていたという。
ルミセンの弟として生まれたため、自由な暮らしをしていたのだが、ギ―スタイルマンは自分に自信を持てないでいた。男として生まれたのに、周りからは可愛いとしか言われない。それがどうしても嫌だった。
「ねぇね。女になるには、どうしたらいいの?」
「……急にどうしたの? あなたは元から女のようじゃないの」
しかし、暗くなった表情から察したのか、ルミセンはギ―スタイルマンを自室へと連れていく。
そして服を脱がすと、代わりに自分がかつて着ていた服を取り出した。それは弟の涙を見たくなかった姉の、些細な思いやりの気持ちである。
服を着た自分の姿を鏡で見ると、ギ―スタイルマンは目を輝かせた。その姿は、どう見ても女である。
「何があったか知らないけど、ルミにできることがあるなら手伝うの」
「ねぇね、ありがとうっ!」
ギ―スタイルマンは、走っていた。
ルミセンの部屋から飛び出し、城を飛び出していた。
改めてみる世界は、まるで別世界。すべてが輝いて見えた。町の人から可愛いと言われても、不快に思わない。今の自分が可愛いことを、自覚していたからだ。
「気持ちいい……っ! かわいいって、こんなに気持ちよかったの……っ」
不快に思っていたものが、今では気持ちがいい。自分の可愛さに、誰もが目を向ける。可愛さに誰も目を背けることができない。それがとても気持ちよくて、心が弾んだ。
「きゃぁっ!!」
夢中で走っていたせいで、人にぶつかってしまった。
相手の男はギ―スタイルマンを見ると、突然ぶつかったところを押さえて痛めたことを強調する。
当時は貧しい人ばかりで、身体の栄養も不足していた。だから、ただぶつかっただけでも大怪我になる。そうだとギ―スタイルマンは思った。
「ごっ、ごめんなさい……」
ギ―スタイルマンは、男の押さえていた足を撫でる。
しかし、痛いのは内側だと言われ、内太ももを撫でた。それほどまでに痛かったのだと、ギ―スタイルマンは不思議にも思わずに撫で続ける。
「あっ、あの……どうしたら……」
「あーっ、今度はもっと上のほうが痛い。足の付け根のあたりだ」
痛くしてしまったのは自分のせい。しかし、男が撫でろと言っている場所にあるものを、ギ―スタイルマンも知っている。自分も持っているモノが、ある場所だ。
いつまでも撫でないでいたギ―スタイルマンに痺れをきらし、男はギ―スタイルマンの手を無理やり股間に触らせる。
「えっ、あっ、あの……」
「いいから撫でろ。こっちは痛いんだ!」
自分が浮かれていた結果だ。仕方なく手を動かすと、男は恍惚とした表情を浮かべた。たとえ傷つけられたとしても、自分の可愛さに見惚れている。そう思った途端、嬉しくなった。
「……っく、はぁ……我慢できねえ……」
男は急にギ―スタイルマンを押し倒し、荒い息を顔にかける。
そして痛かったはずの足を動かし、逃げられないようにしっかりと挟まれた。笑ってしまったのがいけなかったのか、それとも嬉しいと思ったのがいけなかったのか。どちらにせよ、反省の念が欠けていた。
「……はぁ……はぁ」
荒い息を吐き、男はギ―スタイルマンの胸に触れた。しかしそこに膨らみなどなく、それが当たり前である。男は気にもせず、手を股間まで動かした。そして、そこで初めてギ―スタイルマンが男だと知る。
「おっ、おまえ、男だったのか!」
男は慌ててギ―スタイルマンから離れると、足をあげた。
踏まれる。そう思った。理由はわからないけれど、気分を害してしまった。きっとこれも、自分が不注意だったからだ。
しかし、男は踏むよりも先に転んでしまう。
「相手は子どもじゃねえか。大の大人がみっともねえぜぇ」
ギ―スタイルマンの隣には、大きな男が立っていた。鍛えあげられた筋肉だらけの身体は、ギ―スタイルマンとは正反対である。その男らしさ溢れる筋肉男に、一目惚れをしてしまった。
「お、お兄さんは……」
上体を起こし、筋肉男を見上げる。
「おめえに言うほどの名はねえ。それよりも、怪我はなかったかぁ?」
筋肉男に背負われ、ギ―スタイルマンの心ははち切れそうだった。
もう会えなくなるかもと思って、嘘をついてしまった。怪我をして動けないと嘘をついてまで、一緒にいようとしたのだ。
「あっ、あの、男ですよ……」
「だからどうしたんだぁ? おめえが男だろうが女だろうが、関係ねえだろ。それとも、助けてほしくなかったのかぁ?」
するとギ―スタイルマンは首を横に振る。
あのまま踏まれていたら、きっとすごく痛かった。それくらいは、ギ―スタイルマンでもわかる。
「そんなことは……。あっ、ありがとうございます」
「困ってたら助けるのが当たり前だ。おめえも、そういうやつになれ」
しかしギ―スタイルマンには、人を助けられるほどの筋力も能力もない。きっとまともな能力があれば、ギルドで人々を助けられた。それができないギ―スタイルマンは、誰かを助けることなんてできない。
城につくと、筋肉男とは別れる。また会えることを願って、階段をおりていく背に手を振った。
「どうしたの? それに、さっきの人は?」
ルミセンに問いただされるも、返す言葉が見つからない。
町で踏まれそうになったなんて言ったら、しばらく外出はできなくなる。だから、それは言えない。しかしそれを言わなければ、どうして筋肉男と出会ったかの説明ができない。
ギ―スタイルマンは笑顔を見せて、首を横振った。
「なんでもない。楽しかったよ、ねぇね!」
次の日も、早朝からルミセンの服を着て、町へと出ていた。
筋肉男に昨日まで会えなかったのは、きっと今まで女の服を着ていなかったから。そう考えたギ―スタイルマンは、今日も走っている。
走っていれば、また助けてくれる気がしたからだ。
「きゃっ!」
昨日と同じように、人とぶつかった。
見上げれば、そこには筋肉男がいる。やはり自分の考えはあっていたのだ、とギ―スタイルマンは筋肉男に抱きついた。
驚いた顔を見せた筋肉男も、ギ―スタイルマンの笑顔につられて笑う。
「どうしたんだぁ? こんな早くから」
「会いたかった! 一秒でも早く会いたかったよぉ!」
城に帰ってからも、ずっと考えていた。また会えるだろうかと、会えたら何を話そうかと。今まで感じたことのない高揚感に、なかなか寝付けなかったほどだ。
「そうか。……だが、タイミングが悪かったみたいだぜぇ」
真剣な表情をした筋肉男は、辺りを見回す。遅れてギ―スタイルマンも見回すと、複数の男が囲むようにして立っていた。その中には、昨日の男もいる。
危ない、と言うよりも先に筋肉男はギ―スタイルマンを抱えて、高く飛びあがっていた。それはとても常人の飛べる高さではない。そして男たちを飛び越え、反対側に着地する。
「結果が見えてる勝負ってのは、やる意味もねえぜぇ」
「ま、負ける……?」
すると、筋肉男は軽く笑った。
そしてまっすぐに見つめられる。鼓動が早まり、顔が紅潮しているのが自分でもわかった。そんな無限に続いてほしい時間は、あっという間に過ぎ去り、筋肉男は再び高く飛び上がる。
「圧勝しちまうからなぁ。それじゃあ、あいつらに悪いだろぉ?」
それは嘘だったかもしれない。しかし、ギ―スタイルマンは目を輝かせた。
どんなに複数でかかってきても、絶対に負けない。そんな人に抱かれている。それだけで、嬉しくて何も言えなかった。
男たちからだいぶ離れ、見つけられることもないだろう。
そこで筋肉男からおろされた。
「やっと、ゆっくりお話しできるね。……どうすれば他人を助けられるか、あれからずっと考えたんだよ。それで、やっとわかったの! この声で、頑張ってる人を応援する。それが、すたぁにできる人助け!」
すたぁの能力は、声を変化させる能力。子どもから、おじいさん、おばあさんなど、いろいろな声に変化できる。拡声もできるため、多くの人に声を届けることもできるのだ。
すると筋肉男は、すたぁの頭を撫でる。
「そうか。きっと喜ぶぜぇ」
「あ、あの……それで、一番に聞いてほしくて……」
すたぁは大きく息を吸うと、歌い始めた。
筋肉男は、それを静かに聞いてくれる。だからすたぁは、顔を紅潮させながら筋肉男を見つめ、ただ一人のためだけに歌った。
「いいじゃねえか!」
歌い終わり、拍手をするのは、筋肉男だけではない。
多くの観衆がすたぁを囲み、賞賛の拍手を送っている。
「どっ、どうも……すたぁっていいまぁす! これからは、みなさんを応援したいと思ってますっ。……おっ、お願いしますっ!」
「……行かないでッ!」
サヴァージングから出ていこうとする筋肉男を、必死に止めていた。
「お兄さんは、すたぁと一緒にいて! ねぇ、いいでしょ?」
「すまねえが、それは無理なんだ。きっとここでやることは、もうねえ。だから、次の場所に行くだけだぜぇ。絶対に、いつかまた会える。それまで待っててくれ」
腕にしがみついていたすたぁを剥がすと、筋肉男はアクトコロテンへと入っていく。
どうやっても、止めることはできなかった。だから、追いかけたらきっと困ってしまう。
すたぁは涙をこらえ、大きく声を出した。能力など使わない本当の声で、叫ぶ。
「絶対……絶対に帰ってきてよぉ! それまで、待ってるからねぇ!」
すると筋肉男は、背を見せながら手をあげた。
「何年たつかわからねえが、おめえの前に帰るぜ。次に会った時には、おじさんになってるけどな。……まぁ、すでにおじさんだけどな!」
小さくなっていく背と比例するように、筋肉男の笑い声も小さくなっていった。
恋がつらいものだと、すたぁはここで初めて知る。
***
「やっぱり会ってたんじゃないの!」
すたぁの話が終わると、ルミセンはバンガゲイルをつついた。
「俺は知らねえぜぇ」
しかしルミセンもすたぁも、バンガゲイルと確信している。否定したところで、簡単には考えがひっくり返らないはずだ。
姉弟揃って同じ人を好きになるとは、もはや奇跡である。
「大志さんも、そう思いますよねぇ?」
「……まあ、否定はできないな」
「おめえまで、そっち側かよぉ。本当に身に覚えがねえぜぇ」
人力車を止めたバンガゲイルは、ため息を吐いて振り返った。
バンガゲイルは大志を見たのだろうが、勘違いしたすたぁはバンガゲイルに飛びつく。
「というわけだから、おじ様はすたぁと一緒にいるの。だから、ねぇねは離してよ!」
「そっ、それなら、バンガゲイルはルミに気があるの! 離すのは、そっちなの!」
姉弟喧嘩に挟まれるバンガゲイルに手を合わせ、再び大志は妄想の世界に入った。
助けを失ったバンガゲイルの顔を、白髪の二人が覗きこむ。
「おじ様は、すたぁを選ぶよねぇ?」
「ルミを選ぶでしょ?」
バンガゲイルの好きな人はシロと決めている。だから、二人とも選べない。それなのに、二人とも自分が選ばれると自信に満ちた目をしていた。
「お、俺は――」
「すたぁだよね!?」
「ルミでしょ!?」
選べない。その言葉を、すんでのところで飲みこむ。
そんなことを言えば、興奮状態の二人に何をされるかわかったものではない。
「しばらく、考えさせてほしいぜぇ……」
逃げるようなバンガゲイルの言葉に、二人は頬を膨らませた。
そしてできるだけ目を合わせないようにしたバンガゲイルの頬に、両側からキスをされる。
「少しだけ、待ってあげるの」
「おじ様がキスしてくれるまで、ずっと待ってるよ!」
二人の笑顔があまりに眩しくて、バンガゲイルは目を閉じた。




