4-14 『初恋の相手』
「ルミは自分のことばかりなの。タイシ様のことを、考えてなかったの……」
ルミセンとイパンスールの思い出の場所。ボールスワッピングにあった公園へと来ている。
ゆっくりだったため、ここへ来るだけで一日を費やしてしまった。
「ここに何があるんだぁ?」
しかしルミセンは何も答えない。
公園の中央にある湖を眺める。水面は風に揺れ、太陽の光を幾重にも反射させていた。
返答が来ないとわかったのか、バンガゲイルは目を閉じて、風を感じる。ずっと歩き続けて疲労のたまっているはずのバンガゲイルだが、文句ひとつ言わずに、ここまで運んでくれたのだ。これは仕事ではなく、ただのルミセンのわがままだ。文句の一つぐらいあるだろうと覚悟していたが、どうやら無駄だったようである。
「あっ、ルミ姉さんっ!」
聞き覚えのある声は、イパンスールのものだった。
アルインセストを連れて、公園へと来ていたようである。大志がこうなってる以上、イパンスールもやることがなくて暇なのだ。
「イパンスール君……どうしたの?」
駆け寄ってきたイパンスールは、大志の姿を見て、眉を曇らせる。
「少し散歩をしていたんだが、その子どもは……」
「タイシ様なの。ルミのせいで、子どもになったの」
するとイパンスールは首を傾げた。
どうやら、やっと誤解が解けたようだ。
「子どもになったとは、どういうことだ?」
事情のわかっていないイパンスールのために、ルミセンは一通りの説明をする。そして、すぐに理解したイパンスールは、腕を組んだ。
「つまり、イズリの子ではなかったということか。……まあ、そうだよな。イズリがタイシとなんて……」
「それで、どうにかするために、ずっと一緒にいるの」
ルミセンに抱かれた大志を覗きこむと、イパンスールは鼻で笑う。
そして能力で恐怖を与えてくるので、盛大に泣きわめいてやった。さすがに能力だとわかっていても、恐怖を与えられれば泣いてしまう。
すると悪ふざけがすぎたイパンスールは、アルインセストに怒られた。子どもを怖がらせるなんて、大人げなさすぎる。
「もうイパンスール君は、近づかないで!」
イパンスールに背を向けると、ルミセンは泣きわめく大志を揺すった。
その時にはイパンスールの能力もなくなっており、大志も泣き止もうと努力をしている。
「大丈夫かぁ?」
バンガゲイルも心配そうに覗いてきた。
泣きわめいている姿をバンガゲイルに見られ、大志の気分はさらに落ち込む。
「大丈夫じゃないから、泣いてるの。そんなこともわからないの?」
「育てたことがねえからなぁ。そういうおめえは、あるのか?」
痛いところをつかれたルミセンは、口をつぐんだ。
そして黙ったままバンガゲイルから離れる。ないと答えれば、笑われるとでも思ったのだろう。しかし、そんなことで笑うほど捻くれた男ではない。
そんなルミセンの姿に、やれやれと髪のない頭をかいた。そして、ここまでの疲れを癒すために腰をおろす。
「……まったく、どこまでも似てるぜぇ」
ルミセンは湖の周りをゆっくりと歩いていた。
「タイシ様はリオンが好き。それは、ずっとわかっていたつもりだったの」
しかし、大志にはそれが聞こえていない。すでに大志は眠っていて、ルミセンはそんな大志に優しく微笑む。
大志からは、言われていた。ルミセンを好きにはなれないと、言われていた。それなのに、少しでも希望があるかもしれないと思ったのが、間違いだった。
「……タイシ様とリオンは、ずっと昔から一緒だった。そんなの、勝てるはずがないの。二人の間には、誰も入ることができない。だから、もしもタイシ様がリオンと会うよりも前に、ルミと出会えていたら。……そう考えたのが、間違いだったの」
それでも、大志を諦められない。
大志に救われ、大志に恋をした。勝ち組と負け組がいると話をしたけれど、やはり負け組のまま大志と理恩の仲を応援することはできない。せめて一度だけでも、一日だけでもいいから、本気で愛されたい。そう考えてしまう愚かな自分が、憎い。
「タイシ様が死ぬかもしれないっていうのに、こんな時までルミは自分のことしか考えてないの……」
湖のほとりに立っている大木は、そこにいつからあるのかわからないほど太く、高く天へと伸びている。
その根元に腰を下ろすと、妙に心が落ち着いた。
「この気持ちを我慢すれば、タイシ様は元に戻るの……? 我慢して、タイシ様の気持ちが動かないと覚悟して、ルミはタイシ様を……」
言っていて、悲しくなる。
敗北が約束されている恋なのに、ルミセンは諦めることも、忘れることもできないのだ。ただひたすらに、届くはずのない想いを抱いて、愛し続けなければならない。
大志に助けられたあの時、たしかに幸せを感じていた。あの時は、こんなにつらい思いをするとは思ってもいなかったから。
「ルミは、生き延びられれば幸せだった。生きていれば、幸せだと思っていたの。……なのに、どうして……こんなにもつらいの……」
ルミセンの涙に、眠っている大志は気づかない。
涙の流れる頬を、風が優しく撫でる。しかし涙は止まらず、ただ流れては消えていった。
「タイシ様……ルミは、あの時に死ぬべきだったの……?」
「――そんなわけ、ねえぜぇ!」
ルミセンの心の叫びに答えたのは、大志ではなかった。
顔をあげれば、そこにはバンガゲイルがいる。呼んでもいないのに、わざわざついてきたのだ。
「泣くなら、言うんじゃねぇ! おめえが死んでも、誰も喜ばねえぜぇ!」
バンガゲイルに隣に座られ、ルミセンは慌てて涙を拭う。
大志と二人だけの時間だったのに、これでは台無しだ。しかし、返事をしてくれる人がいるというのも、いいかもしれない。あのままだったら、気分を沈めていく一方である。
「……あなたには、聞いてないの」
「そんなのわかってるぜぇ。だが、おめえは放っておけねえんだ」
バンガゲイルは、笑ってみせた。
そんな笑顔を無視しつつ、ルミセンはため息を漏らす。どんな言葉を投げかけられても、ルミセンが束縛から解放されることはない。
「どうしたの? ルミに惚れたの?」
「まさか。俺の好きな人は一人だけって決まってんだぜぇ。……ただ、おめえには笑っていてほしい。それだけだぜぇ」
バンガゲイルも恋をした。しかし、今のバンガゲイルを見れば、その恋が実らなかったのだとわかる。
それでもバンガゲイルは、その人を好きでいるのだ。何がバンガゲイルを、そこまで一途にしているのか。それほどまでに、魅力的なのだろうか。
今さらだけれど、気になってしまう。
「あなたは、どうしてそこまで想い続けられるの?」
するとバンガゲイルは、短パンのポケットから小さなスプーンを取り出した。
バンガゲイルが使うには小さすぎるし、誰かへの贈り物だとしても、そんなスプーンを使うのは幼い子供ぐらいである。
「そんなの、忘れられねえからだぜぇ。たとえ記憶は色褪せたとしても、想いってのは、いつまでも色褪せずに残るもんだぜ。それに、この木が残ってれば、またいつか会えるような気がするんだぜぇ」
バンガゲイルは背を預けていた大木を見上げて、笑った。
ルミセンも立ち上がり、大木を見上げる。バンガゲイルが生まれるよりもずっと前から立っているであろう木を、二人で見上げた。
「この木の下で、何か約束をしたの?」
無粋とわかっていても、聞きたい。
するとバンガゲイルは静かに首を横に振り、そして愛おしそうに幹を撫でる。
「この木が、俺の初恋なんだぜぇ。いつかまた、会える日を楽しみしてるんだぜ」
直後、バンガゲイルの頬を殴った。
不意のことにふらついたバンガゲイルの腹部へと蹴りが加わり、バンガゲイルは身体を倒す。
そして倒れたバンガゲイルを二度、三度と踏みつけてから、人力車の置いてある場所へと戻った。
「どうかしたのか、ルミ姉さん?」
バンガゲイルを置いて戻ってきたルミセンに、イパンスールは不思議そうな顔をする。
言うことすら腹立たしい。真面目に聞いていたら、木が初恋の相手だったのだ。純粋な乙女の気持ちをからかったのだから、あれくらいされて当然である。
「気にしないでほしいの」
人力車の前で待っていると、遅れてバンガゲイルがやってきた。
能力を使えばすぐだというのに、ちんたらと歩いてくる。ただでさえ怒っているルミセンを、さらに怒らせるのだ。
「聞いといて、わがままだぜぇ」
「ルミ姉さんに何を話したんだ?」
するとバンガゲイルは、ルミセンにした話をイパンスールにもする。
木に恋をして、それをルミセンの恋と同等に語ることが、ルミセンには我慢ならなかったのだ。
「……それは、神霊にあったのかもしれないな。まさか、こんな身近にいるとは思わなかったけどな」
「神霊……って、本当にいるの?」
ルミセンでも、噂程度に聞くものだ。
物や自然に姿を変え、世界を見守っているという女神の現身である。
「あの大木には、それなりの伝説もある。神霊が宿っていたとしても、不思議ではない」
イパンスールはそう言うと、大木へと目を向けた。
しかしそれでも、神霊がいるなんて信じられるはずがない。もしもいたとしても、わざわざバンガゲイルに姿を見せた意味がわからない。
「って、ことらしいぜぇ」
「それが本当だかは、わからないの。それよりも、早く出発するのっ!」
ルミセンに急かされ、バンガゲイルは人力車を構えた。
バンガゲイルはもう少し休憩をしたかったところだが、機嫌を損ねさせてしまったら、あとあとが怖い。
「もう行くのか。責任を感じて、自分を責めないようにな」
心配してくれるイパンスールに手を振り、ルミセンは次の場所へと移動する。
大志が元に戻るまでは、まだまだかかりそうだ。
「そういやぁ、トイレは大丈夫なのか?」
閉じそうな目をこすっていたルミセンに、バンガゲイルは振り返った。
するとルミセンは、伸ばした足をバンガゲイルの顔へと押し当てる。そして明らかに嫌そうな顔をして、自分の股間を隠すように手をあてた。
「何を言ってるの!? とっ、トイレくらい……っ!」
「大志のことだぜぇ?」
すると、ルミセンは大志の股間に顔をうずめ、臭いを嗅ぐ。
気になる臭いもなく、大志も騒いでいない。どうやら大志は大丈夫のようだ。
「大丈夫なら、いいけどよぉ」
再び人力車が動くと、大きく跳ねる。まだ舗装のされていない、今まで森だった場所を進んでいるのだ。なので、こんなことばかりである。
しかし大きく揺れるたびに、ルミセンが小さな声を出していた。それを気にして声をかけたのだが、どうやら考えすぎだったようである。
「んっ……ぁ、っくぅ……」
「変な声を出されると、進んでいいのかわからねえぜぇ」
人力車を停止し、身体ごと振り返った。
すると、また足を伸ばしてくるので、その足を掴む。大人の姿をしているが、その足は細く、女なのだと再認識した。
「どうしたんだぁ? 具合が悪いなら、今日の宿を探したほうがいいぜぇ」
「あっ、あし……おろ、してっ……」
何かを必死にこらえて絞り出した声は、か細く、運が悪ければ聞き逃してしまう。
言われた通りに足を離すと、大志を抱いたまま、もう片方の手で股間を押さえた。そして俯いて、やはり何かをこらえている。
「まいったなぁ。そんなに体調悪いなら、早めに言ってほしいぜぇ」
しかし、そこはまだ家もたっていない。宿に行くとしても、もう少し時間がかかってしまいそうだ。
するとルミセンは、大志をバンガゲイルに差し出してくる。何事かと受け取ると、ルミセンはそのまま人力車をおりて、草むらの中へと入っていった。
慌てた様子だったルミセンを追うと、草むらの陰でしゃがんでいる。
「腹がいてえのか?」
「あっちにいってッ!! ……あっ、ああぁぁっ」
水音が聞こえ、バンガゲイルはそこで察した。
そして何も言わずに、その場を離れる。最後まで聞くような趣味はない。
「あいつにも、オムツが必要なんじゃねえのか?」
ルミセンの能力で小さくなれば、大志の予備として持ってきたオムツも穿ける。こういう時だけは、便利な能力だ。
しばらくして帰ってきたルミセンは、とても不機嫌そうである。
「それじゃあ、宿を探すか」
かつてサヴァージングだった場所へと向かっていたのだが、宿を探していたら、カマラへと来てしまった。
自分の下着を握りしめたルミセンは、バンガゲイルを睨んでいる。
「そんな睨まれても困るぜぇ。宿も決まったことだし、明日に備えて早く寝ようぜぇ」
カマラに来たのだから城に戻るよう言ったのだが、大志が戻るまではどうしても城へは戻りたくないようだ。だから仕方ないので、わざわざ宿を借りたのである。
「そんなことも言ってられないの! タイシ様のミルクや、トイレのお世話をしないとなの!」
水を入れたやかんを加熱させながら、水洗いした下着を広げて乾かしていた。
バンガゲイルは大きなあくびをすると、今にも悲鳴をあげそうな身体を横にする。
「頑張ってくれぇ……」




