4-13 『雨上がりの世界』
「えっ、大志の能力について……?」
語ることさえ憚られるほどの恥辱にまみれた一夜を乗り越え、ティーコに抱かれた大志は、イズリとレーメルに問いただされる理恩を見ていた。
考えるよりも、聞いたほうが早いと気づいたのだろう。
「きっと何かあるはずみゃん。まず、能力発動に何をするみゃん?」
「なっ、何って……そ、それは……」
急によそよそしくなった理恩は、レーメルの前で右往左往とした。
ただキスしただけなのに、理恩としては恥ずかしいことだったようである。それとも、大志の知らない何かが理恩にあったのだろうか。
どちらにせよ、能力の使用は控えたほうがいいだろう。
「キス……というか、きっ、キスなんだけどっ! 普通のキスじゃなくて、もっと熱くて、もっと深くて……大志も激しくて、私だけを求めてくれて、その時は私のことだけを考えてくれて……」
そんなのは、当たり前だ。
たとえどんなことがあっても、理恩を好きなことは変わらない。いつからかはわからないけれど、人を好きになるなんて、そんなものだ。気付いたら好きになっていた。好きになったから、好きを貫く。
すると理恩は幸せそうに、表情を柔らかくした。
「キス……ですか。変わった能力ですね」
「それなら、ルミもしたの。そしたら、タイシ様の記憶とかがぶわーっと流れてきたの!」
ルミセンは理恩の前に立ち、レーメルを見下ろす。
「それで、どうしたみゃん? それも能力と関係してるのかみゃん?」
「タイシ様と一緒になるかどうか、誰に聞かれてるわけでもないけど、決断しないといけないってなるの」
それは大志も同じだ。そして受け入れると、大志は理恩やルミセンを取り入れる。
こういう能力だから仕方ないけれど、過去を見られるというのはいい気分ではない。大志の歩んできた日々が明るいものではないので、余計にだ。
「両方の合意がないと、能力が使えないってことみゃん?」
「たぶんね。否定してないからわからないけど、きっとそうなんだと思う」
それについては、大志が知っている。理恩の言っている通りだ。
「能力を使ってる間は、どんな感じみゃん? 身体はどこに消えるみゃん?」
「え、えっと……なんていうか、大志の中にいるって感覚的にわかるんだよね。大志の見ているものを、そのまま見させられるし、大志の身体を動かすこともできない。話しかけても、聞こえる時と聞こえない時があるみたいだし。……身体がどこに消えたかはわからないけど、考えられるとしたら、大志といったあそこかな……」
「あそこって、どこみゃん?」
理恩がどこのことを言っているのかは、わかる。最初に能力を使った時にだけ行ける空間のことだ。
大志の中に入るのは意識や能力だけなのに、身体は消える。消去法で考えれば、身体の安置場所はあの空間しかないのだ。
「なんていうかな……大志とキスするための空間、かな」
大志でさえ、あの空間を説明するとしたら、そう言ってしまう。
それほどまでに、あの空間を説明する言葉がないのだ。
するとレーメルは、難しい顔をする。経験のないレーメルにとっては、想像することもできないのだ。
「あの……大志さんがこうなってしまう直前に、ルミセンは大志さんと何かあったのですか? 大志さんも必死の様子でしたし」
「……ちょっとだけ、いろいろあったの」
途端に表情を暗くしたルミセンは、ちょっとなのか、いろいろなのか、よくわからない言葉を呟く。
ルミセンは、やはり今でも気にしているようだ。
ルミセンの幸せを考えて言ったつもりの言葉は、ルミセンの気持ちをまったく考えていなかったのだ。今さら気づいたところで、取り返しはつかない。
「もしかしたら、大志さんがこうなってしまったことと関係があるかもしれません。ルミセンの能力が暴走してしまったのなら……」
「能力を使っていたわけじゃないみゃん。大志に影響が出るなんて、おかしいみゃん」
レーメルに否定され、イズリは口を閉ざす。
しかし、大志がこうなってしまった原因に、ルミセンが関わっているのは事実だ。だからイズリの言っていることを考えもせずに否定するのは、間違っている。
「いや、それは正しいぞ」
不敵な笑みを浮かべたポーラが、レーメルの前に立った。
その喋りかたからして、王であることは疑いようもない。頻繁に目覚めるあたり、どうやら会話の楽しみを覚えてしまったのだろう。
「能力を使っていなくとも、残滓が残っておる。肯定し続けなければ残滓は行き場を失い、暴れだすのだ。欠陥品どもは、そんなこともわからないのか……」
やれやれ、とでも言いたそうなため息を吐いたポーラに、レーメルは首を傾げた。
「……残滓って、どういうことみゃん?」
「残滓は、残滓だ。たとえ身体は離れていたとしても、結びつきが完全に切れたわけではない。その身体の中に、複数の精が残っておるのだ」
「そんなはずはないみゃん! 大志はただの人みゃんっ!」
因子の数は限られており、ポーラの言っていることは不可能だ。
レーメルだけでなく、ここにいるポーラ以外の人は、同意見である。
しかし、複数の精を一つの身体にとりいれた事例を、思い出した。チオである。チオは、自身の能力で他人の精を乗っ取り、操っていた。それがチオの能力の範疇なのか、それともチオが特別なのか。
「ただの人……か。たしかに王位のない欠陥品だが、それでも特別だ。王位を持っていなくとも、そいつはすでに王になり得ておる」
「……大志さんが、王ですか?」
どうやら大志は、人とは異なる特殊な存在のようだ。
因子に制限がなく、それこそ神や王のように、いくらでも因子を増やすことができる。大志の能力は、自らの因子を増やし、そこに取り入れた者の意思や人格を格納するものだ。分離したあとも、取り入れたものの複製が残り続ける。再び能力を使う時のために、格納する場所を保管しているのだ。
「つまり、今回のことはルミセンの能力が関係しているんですか?」
「そうだ。さっきも言ったが、否定されたせいで、保管されていた残滓が弾き出されそうになった。その反動で、能力が暴走したのだ」
ポーラはしてやったりという顔で、腕を組む。
王がどんな姿をしていたかはわからないけれど、今のポーラの姿では格好がつかない。
「なら、ルミはどうすればいいの? またタイシ様とキスすればいいの?」
「そんな単純な話ではない。そもそも、まだ残滓は残っておる。たとえ残滓といえど、精に変わりはない。それを失えば、その程度の被害では済まない」
すると、ティーコの表情がこわばった。
まるで精を失うとどうなるか、知っているという顔である。
その顔を見上げていると、それに気づいたティーコは作り笑いをした。まるで大志を心配させないためにつくったような笑顔である。
「なら、どうすればいいのッ!!」
「受け入れればいい。……だが、一度否定してしまったら、再び受け入れるのは並大抵のことではない。すぐに、というのは無理だ」
ポーラはわかったような口調で告げると、影を使って大志を抱えた。
大志を王と言っておいて、大志には王の力が効くようである。王の力も能力も無効化していたイパンスールとは、まるで違うようだ。
「大志さんを、どうするんですか!?」
「何もしない。こうするだけだ」
影に抱えられた大志は、ルミセンの腕の中へと移される。
そして腕の中にいる大志に呆然と目を丸くしながら、ルミセンはゆっくりとポーラに視線を向けた。
「離れていては、いつまでも元には戻らない。元に戻るまでは、責任を持て」
「で、でも……タイシ様は、きっと嫌がるの。ルミが頑張っても、タイシ様の負担になるだけ……」
「どう思おうが、関係ない。そいつには元に戻ってもらわねば困るのだ。それとも、いつまでもそんな不安定な状態でいさせるつもりか? いつ死んでもおかしくない状態だぞ」
ただ小さくなっただけかと思いきや、どうやら死の淵にいたようである。
それを聞いたルミセンは、再び大志に視線を落とした。その表情は、明るいと呼べるものではない。
「……それは、ダメ。助けてもらったのに、ルミのせいでタイシ様が死ぬなんて絶対にダメ。……ごめんなさい、タイシ様。ルミ、ちゃんとタイシ様と向き合わないとダメみたいなの。だから、ほんの少しだけ、ルミにタイシ様の時間をください」
大志を抱いたルミセンは、人力車に乗っていた。
人力車を引くのは、バンガゲイルである。町を造りなおしている間は、物流ギルドも忙しいようだ。木材や食料など、運ぶものも多いという。
そんな忙しい時期にお願いできるのが、バンガゲイルくらいしかいなかったのだ。
「それにしても、大志がそんな小さくなるなんて不思議だぜぇ」
「……不思議なの。こんなに小さくなっても、タイシ様への思いは変わらない。それどころか、独占欲が増すばかり。……ほんとに、不思議なの」
ルミセンの表情は、終始暗かった。
そんな顔を見続けていると、大志まで気分が落ち込んでしまう。
「何があったか知らないが、あまり気分を重くするもんじゃねえぜぇ。人を好きになるなんて、そんなもんさ。相手が振り向いてくれないとわかっていても、気持ちに嘘をつけない。だから、どうにかして特別になろうとする……」
バンガゲイルの言葉は、どこか重たくもあり、悲しくもあった。まるで古い記憶を掘り返しているような、そんな儚げな様子である。
「意外なの。あなたにも、そんな経験があるの?」
「当たり前だぜぇ。人並みに生きて、人並みに恋だってした。イパンスール様が統治するよりも前、ここはまるで泥水の中のような場所だった。……それは、知ってるか。まあ、生きてるか死んでるかもわからねぇで暮らしていたが、そこにだって幸せはあったんだぜぇ。恋をして、子を授かって、次の世代に繋ぐ。だからこうやって、この町は今も生きてるんだぜぇ。……まぁ、子はいねぇがな」
「そんなの、見ればわかるの」
バンガゲイルの話で、ルミセンの表情には少し明るさが戻った。
緊縛として不自由のない暮らしをしていたルミセンは、苦しんでいる人々に手を差し伸べられなかった。助けることを諦めていた。だから、バンガゲイルの話を聞いて、少しだけ救われたのだろう。
「……あなた、どうやって好きという気持ちをなくしたの?」
「なくしてなんかいねえぜぇ。……だが、もう無理なんだ。どうやったって、この気持ちが届くことはねぇ。だから、我慢するしかねえんだぜぇ」
バンガゲイルは諦めたように呟いて、空を見上げた。昨日はずっと雨を降らしていた空も、今日になったら雲一つない快晴になっている。
その空を見上げながら、バンガゲイルはゆっくりと歩みを進める。
「未来なんて、思い通りにならない。失敗して、失敗して、その先でもまた失敗するかもしれない。それでも俺たちは立ち止まらず、歩み続けるしかねえんだぜぇ。歩み続けた先にしか幸せはねえんだ。それを一番よく知ってるのは、おめえだろ?」
顔は向けない。ただ、その言葉を向けた相手がルミセンだということは、大志もルミセンも気づいた。
能力により、死を宣告されていたルミセンは、自棄になって人体実験を行った。その実験のせいで死にそうになったし、名器を奪って不死を手に入れようとした、そこでも死にそうになった。でも、諦めずに生きることを望んだから、今もこうやって平和に生きていられる。
「……思い通りにならない。それもそうなの」
大志を愛おしそうに見ながら、ルミセンは肩の力を抜いた。
「ゆっくり考えればいいんだぜぇ。焦らず、ゆっくりな」
「あまりゆっくりしすぎるのも、困るの。……でも、少しだけならゆっくりするのも、いいかも」
鳥のさえずり、人々の活気に溢れた声、子どものはしゃぐ声、人力車が水たまりを踏む音。どれも耳に気持ちよく入ってくる。
今まで見えていなかった世界が、見えたような気がした。
「今まで忙しく生きてきた分、これからはゆっくりと生きればいいぜぇ」
「だから、少しだけなの……」
ルミセンは空を見上げ、あまりのまぶしさに目を細める。
その表情は、どこか満たされたようだった。
周りを見れば、町のために働くオーガや、子どもたちと遊ぶガーゴイルの姿があった。まだ言葉はわからないけれど、それでも人のために何かをしたいと、身振り手振りで意思を伝えている。
「ちょっと前までは、こんなの考えられなかったぜぇ」
「……これもタイシ様のおかげなの」
「違いないぜぇ。これからどんな世界になるかわからねぇが、大志がいればきっと今までよりも幸せな世界なるぜぇ」
大声で笑うバンガゲイルを見ると、照れくさくなった。
大志のやっていることは、今までの世界の規則を無視したことだ。しかし、それでも大志と心を同じにする仲間がいるというのは、心強い。
「当たり前なの。タイシ様はルミの……ううん、みんなの英雄様だもの」