盗賊と村 8
教会の中は広場の騒ぎが嘘のように静まり返っていた。時折騒ぐ村人達の声が流れてくるものの、冷たい石の壁に阻まれて部屋の中まで賑わすことはない。人々は虚脱したような状態で力なく床に座り込んでいる。
「これを彼らに」
「これはこれは。確か……ナチ様、でしたかな? 私はパトラと申します。村を救ってくださり、ありがとうございます。あなたの行いは天の父に見守られていることでしょう」
彼らの毛布の下は相変わらず裸のようだった。ステンドグラスから陽光が差し込んではいるものの、他に照明もない室内は薄暗い。暖炉には火が入っているが、村人達が全員集まれるだけの広さがある部屋を暖めるにはとても足りず、人々は暖炉の前に身を寄せ合っている。
「彼らの服は、この村で調達することは出来ますか?」
「それは難しいかもしれません。この村で必要な分よりも多く物を持っている者など……」
「そうですか……。では、これを彼らに」
「よろしいのですか? その……とても良い布のようですが」
「構いません。材料があれば服を作れるとのことでしたので」
人々は食事や布地に礼を言うものの、その表情は一向に晴れない。食事も手を付けようとする者はほとんどおらず、大抵の者が陰鬱な顔付きでじっと黙り込んでいる。
「彼らはこれからどうなるのでしょう?」
「街に行けば、仕事を得られる筈ですが……」
「この村で暮らすことは?」
「それは……難しいでしょう。この村はもう土地が余っていない。これ以上人を増やしてしまえば食べていくことも……」
パトラ神父は辛そうに目を伏せる。
「では、役場か何処かに身柄を預ければ……? 彼らが自分の村へ帰ることが出来るのでは」
「それは………そう、なるといいのですが」
「面倒を見てはくれないと?」
「親切な方に巡り合えれば、あるいは………」
沈痛な面持ちで首を振るパトラ神父。これ以上、ここで話すべき内容ではなさそうだった。
教会を出て、ナチは広場へ戻る。まだ日も高いのに酔っぱらった村人があちこちに転がっている。呂律の回らない口で浮かれた声をかけてくる村人達を受け流して、ナチはまだ酔いの回っていなさそうな村人達の側へと腰を下ろした。ナチと共に教会へ行った村人達も近くに座る。
「彼らのことなのですが―――」
「なんだい、使徒様方のことかい? それともアマデウス様と戦った連中?」
「いやいや、まずはアマデウス様の教えをもっとちゃんと―――」
「いえ、盗賊達に捕らわれていた人々のことです」
先を争って話そうとする村人達をナチは冷静に遮った。サルヴァトル教については後回しだ。色々と興味はあるが入信するつもりはないし、宗教絡みの厄介ごとを避けられるだけの知識があればそれでいい。
「彼らを村に受け入れることは出来ないとパトラ神父は仰いました。彼らはこれからどうなるのでしょう?」
「そりゃあ……だって、ナチ様。こんな小さな土地じゃあ今だって精一杯ですよ」
「それです。村の周りの森を切り拓くことは禁じられているのでしょうか?」
村の周囲は広大な森に囲まれている。余力さえあればいくらでも開拓できそうだった。
村人達は顔を見合わせる。困惑を浮かべ、そしてダーサがなにかに気付いたような顔をする。
「ナチ様、魔物避けってのを知ってますか?」
「魔物避け?」
「遠くからいらっしゃったから知らないんだね。どんなところかは知らないけど……あぁ、いいんです、なにも仰らなくて。ええと……あたしも魔術を使える訳じゃないから、よくわからないんですが……」
ダーサは目を瞑って考え込んだ。
「人がたくさん集まったり、人が同じ場所で長く暮らしていたりすると魔物が寄ってくるんです。まるで獲物を察知したみたいに、どこからともなく現れて殺しに来る。十人二十人ならともかく、村や街くらいたくさん人がいるともう駄目です。必ずそこをめがけて魔物が来るんです」
ダーサはまるで、魔物に聞かれまいとするかのように声を潜める。
「移動していても同じで、隊商なんかも人数が多すぎると魔物に嗅ぎ付けられるんだそうです。匂いがつくんでしょうね、魔物にしかわからない人間の匂いが……。魔物は人間の匂いを見逃さない。人間を殺せる機会を見逃さない。……だから村や街には結界が張ってあるそうです。偉い方々の強い魔力を張り巡らして、魔物の目を欺くんだとか」
「だからですか。村の周りのこの魔力は」
ずっと感じていた、村の周りに張り巡らされた縄張りを主張するような力。
ナチがそう言うと、ダーサは驚いたように声を上げる。
「本当にあったんですか! いえ、すみません。あたしらにはわからないもんですから、本当にそんな偉い方々がやってくださってるのかと……」
「村を囲むように張り巡らされている力は確かにあります」
「そう、だったんですか……。いえね、魔物避けっていったって、嗅ぎ付けて集まって来ないってだけで、魔物から守ってくれる訳じゃありませんから……。偶々村に入り込んだ魔物に襲われたり……」
不信感を顔に浮かべた村人達がダーサに同意する。
「本当に効果があるんだかねぇ」
「大勢で集まるのがよくねぇってのは確かだと思うぜ。馬鹿な成り上がり商人が百人だか二百人だかの大きな隊列を組んだらよ、あっという間に魔物に喰われちまったってのを話に聞いたことがある」
「あとよ、隠し畑を村ん外に作ってて収穫期にしばらくそこに通いつめたって、ほれ、川を渡った向こうのなんだかっていう村のよ。そしたらなんでも一家全員食い殺されちまったって。村に逃げ込んだ奴がいた所為で、その時暮らしてた村の人間は殺されちまって、今いるのは皆新しく入ってきた連中だって話だ」
「……ですから、魔術で結界を張るなんてできないあたし達には、土地を手に入れる方法なんてないんですよ。この村の土地だって、あたし達のものは一欠片だってありゃしません。全部領主様から借りてるんです。借りる為に税を収めなくちゃいけない」
つまりこの村人達は自分で耕す土地すら誰かに借りなければ成り立たないということだ。
農民にとって生活の豊かさとは実りの豊かさ。農業技術に革新が起こらない限り、実りの豊かさとはそのまま土地の広さに直結する。その土地を自分で広げることも出来ない、自分のものにすることも出来ない。そしてそれは自らの力の欠如―――つまり魔物を退ける程の力がないことに起因する。
なるほどな、とナチは思った。サルヴァトル教とやらが流行る訳である。
「あの人達は、二十人はいますよね? そんな余計に暮らす土地はこの村にはありませんよ。そりゃ、気の毒だとは思いますけど、あたし達だって生きてかなくちゃいけない……」
「そういう事情だったのですね。……話しにくいことを話してくださり、ありがとうございます」
「いえいえ! そんな……」
「そうですよ! 聞きたいことがあったらなんでも聞いてくださいよ! なあ、皆?」
「おう! 俺達みてえなのが知ってることでよけりゃあ、いくらでも」
礼を言ったナチに、村人達は慌てたように頬を染める。
「では、お言葉に甘えて。―――彼らが故郷の村に帰る手段はありますか?」
「……それは」
「あいつら、何処の出身なんだ?」
「この辺りじゃ聞かない村の出身の奴も相当いたらしい」
「遠いのか。何日くらいかかるんだ? 盗賊達に連れて来られたってこたぁ知った道じゃないんだろ? ちゃんと辿り着けるのか?」
「野盗はあの盗賊達だけじゃないだろう。魔物にも襲われるかも―――」
村人達はあれこれと旅の危険を上げていく。
「一人で旅をするのは危険が多いのですね?」
「貴族様くらい強けりゃなんてことないんでしょうが、俺達にゃあ……」
「一人じゃなくてもよ、村から出たことのねぇ人間がうろうろしてたら、盗賊達のいいカモにされちまう。あいつらまた捕まっちまうんじゃねえか? 大人しく近くの街に腰を落ち着けるのが一番じゃないですかね?」
「守る人間が必要ということですね」
ナチは思案するように炎を見つめた。
「護衛を依頼できるような者達に心当たりは?」
「依頼ですか? 護衛を……しかし単なる村人が護衛を頼むったって―――」
「俺達は近くの街にしか出たことねぇし、近くの村のモンと一緒に行くことはあっても、人を雇ったことなんてのはねぇからなぁ……」
「そんなことする金もねぇし」
「お金……」
そういえば、と呟いてナチは盗賊の首領、ゲートの荷物の中にあった銀で出来た丸いコインを取り出した。おそらくこの地で流通している貨幣だろうと当たりをつけて持って来たのだ。
「このコインはこの辺りで使えますか?」
「お、おいおい―――」
「ぎ、銀色……銀貨か? 初めて見た……」
ナチがかざしたコインを見て村人達は息を呑んだ。恐る恐る銀貨に触れて、感じ入ったようにため息を吐く。
「使えるのですか?」
「つ、使えるって?」
「これで物を買うことが出来ますか? 宿をとることは?」
「そりゃもう、想像もできないくらいたくさんのことが出来ますよ! 銀貨だから、ええと……何万ヴァレールだ? 銅貨が一万で、銅貨が何枚で銀貨になるんだ?」
「銅貨と銀貨。他に貨幣の種類はありますか?」
「ええと……金で出来た、金貨っちゅうのもあるみたいですが」
村人達は困惑しつつも懸命に頭を捻る。
「地金……金の塊は高価なものですか?」
「へ?」
「例えば、あなたの作っているオリーブ油を買い取りたいという者が金塊を持って来たら―――」
「金塊!? そ、そそそんな、俺んとこの油は、そりゃ正直に作っていますけど金、金なんてそんな―――」
「黄金とは価値があるものなのですね」
「あ、当たり前です!」
村人は何度も頷く。
「銅や銀、金のインゴットを換金することが出来る場所はありますか?」
「換金……。この村にはありませんが、街に行けばあるんじゃないかと」
「あるとは思いますが……おい、換金ってしたことあるか?」
「無え。何処行きゃいいんだ? 役場か?」
「いや、待て。確かギルドでそういうのをやってたって聞いたことがあるぞ」
「ギルドだァ?」
「冒険者ギルドだ。なんでも魔物の中にゃあ金になる珍しい金属を持ってる奴もいるらしい」
「冒険者ギルドか……あくどい金貸しじゃなかったか?」
「おう、それもあるが、色々手広くやってるらしい」
「冒険者ですか?」
ナチは首を傾げた。聞きなれない職業だ。
「あぁ、冒険者ってのは魔物を殺す連中のことでさぁ。まあ、乱暴な連中ですけどね、冒険者ギルドに行ってみりゃ、金に換えることが出来ると思いやす」
「そうなのですか……。ありがとうございます」
ふと、ダーサが思いついたように言う。
「……ねぇ、護衛のことなんだけどさ。冒険者に依頼することって出来ないのかね?」
「はぁ? ダーサ、おめえ冒険者なんぞ使おうと思ったら、いくらかかるか知れたもんじゃねえぞ!」
「あいつら元は俺達と一緒だった癖によ、一旦良い暮らししたら途端に思い上がっちまって、俺達のことなんか気にかけやしねえ」
「そりゃ、あたし達には冒険者を雇うことなんか出来ないけどさ。もし、ナチ様が……って思っただけさ」
「いや、ナチ様だったらそりゃ……雇えるだろうけどよ。でも、あいつらを村を送り届けるだけだぜ? そんなことに……いくらかかるかもしれん大金を、なぁ。どう考えたって割に合わねえよ」
なにを言ってるんだ、と顔を見合わせる村人達にダーサはむっとした顔でそっぽを向く。
「……わかってるよ! あたしらが一生働いたって、身を売ったって払いきれない大金が必要に決まってんだ。それくらいなら小金を渡して街で生活でもさせる方がよっぽど―――」
「つまり、冒険者に依頼すればよいのですね。わかりました、あの方々それを希望するのなら、わたしが連れて行きましょう」
「へ……?」
「い、いやナチ様、そんな簡単に」
「あ、あいつらを丸ごと買うよりも金がかかるんですぜ?」
「構いません」
黄金を貨幣として使えるのなら金銭の心配はない。幸い素材としていくらか持っているし、足りなければ術を使って生成すればいい。
ナチと盗賊達は戦い、そして盗賊達が死んだ。生き残った方に戦いの後始末がまわってくるのは必然だ。
「それで、ダーサさん。まだ幾つかお尋ねしたいことが」
「ナ、ナチ様……!」
「ご、後光が……!」
「ま、眩しい……!」
ナチを拝み始めた村人達を押しのけて、ダーサが鼻息も荒く請け負った。
「なんでも聞いてください! あたしの知ってることなら、なんでも! あっ、なんならパトラ神父と村長を呼んで来ます!」
「いえ、ダーサさんのお話、とても興味深いです」
「お、お役に立てたのなら光栄です……!」
ダーサは目を潤ませて手を組む。ナチは腕を振って袖口からプレートのようなものを取り出した。
「これなんですが……」
このプレートはゲートの部屋の木箱に入っていたものだ。木箱には頑丈そうな錠前がかけられていた。
黒ずんだ鋼鉄製のプレートには文字と数字、交差する剣と盾、それを月桂樹が囲む紋章が描かれている。
「これがなにかわかりますか?」
「……なんだか、字が書いてあるようですが………ご、ごめんなさい! あたし、学がなくて、字が読めないんです」
ナチはプレートの文字をなぞった。翻訳の術を込めた腕輪の効果で読むのに不便はない。
「人の名前だと思います。バシル、と。それからハスタティ。ウルクラート帝国カルタルメリア州アカイヤ県キュレーネ支部………ギルド・オブ・ミレス」
「ミレスっていうと、銅貨にミレスってついてたような……」
「ああ、そりゃあ冒険者ギルドだ。ミレスってのは確か昔あった国の言葉で、兵士とか戦士って意味だ」
ダーサが面白くなさそうにミレスの意味を言った村人を見る。
「あんた、なんでそんなこと知ってるんだい」
「睨むなよ、ダーサ。前の不作の時、村長が金を借りるのについてったんだよ。ちょうど経営が苦しかったらしくて教会じゃ借りられなかったから、冒険者ギルドに借りたんだ。そこでギルドの受付やってた男が暇つぶしに教えてくれたって訳だ」
「へぇ……。じゃ、これは冒険者ギルドのなんだってんだい?」
「そりゃあ多分冒険者に配られる証だ。冒険者ギルドの壁に同じようなのがかけてあった」
ダーサはしげしげと薄汚れたプレートを眺める。プレートは汚かった。錆びているようにも見える。
「ナチ様、冒険者だったんですか? でも、バシルって書いてあるんですよね。それにナチ様も知らなかったみたいだし……」
「盗賊の首領が持っていたのです」
「盗賊が!?」
「そりゃどういうこった?」
「もしかして……冒険者が盗賊だったってことか?」
「いえ、盗賊の首領の名はゲート。これはバシルです。……まぁ、そういうことなら後で死体と一緒に埋めておけばいいでしょう」
村人の一人が酒を煽りながら息巻く。
「冒険者を騙ってたんじゃねえか!? あいつら、まったくとんでもねえ野郎共だ!」
「ああ、こりゃ偽物ってことか」
村人の一人がプレートをいじっていた手に力を込める。
「この! ………曲がらねェ。こいつ、相当丈夫だぞ」
「よく出来てんなぁ」
「さて、どうでしょうね」
プレートを村人の手から取り上げて、ナチは再び袖の中へと仕舞った。
「どちらにせよ、盗賊の首領は死んだ。共に葬るべきでしょう。誰かに悪用されない為にも」
「まったくです。冒険者を騙るなんて……」
「……フン」
「お似合いじゃないか。あの恩知らず共、盗賊と大して変わりゃしないよ」
憤慨する者に面白くなさそうに鼻を鳴らす者、憎々しげに吐き捨てる者。
「冒険者とは、どのような方々なのですか?」
「すげえ奴らですよ! 俺達と同じ平民なのに、貴族と同じように魔物と戦ってぶっ殺すんです」
「ああ、そうさ。そんで貴族と同じように俺達を見下すようになりやがる! 朝から晩まで畑を耕して家畜の面倒見て、やることは尽きないのに生活はちっとも楽にならねぇ、パンは滅多に食えねぇ、それなのに税だと言って俺達よりよっぽどいい暮らししてる連中にがっぽり払わなきゃならねぇ! そんな暮らしを骨身に染みて知ってる癖によ!」
気炎を上げた村人が荒い動作で酒の入った木製のコップを地面に叩きつける。
「サルヴァトル教徒の癖に、施しも寄付もちっともしやがらねぇ! 強くなったんならそれまで育ててやった仲間に恩返しするのが当然だろうが!」
「なに言ってんだ、教会に寄付してんのが誰だと思ってやがる。街の教会へ行って聞いてみろよ!」
「十分じゃねえっつってんだ! あいつらがちゃんとやってんならなんで俺達の生活がいつまでたっても苦しいままなんだよ。おかしいじゃねぇか!」
焼いた肉を手に持った村人が諦観の入り混じった目で炎を見つめる。
「冒険者ってのは儲かるらしいからなぁ。生きていくのに十分過ぎるくらいの金が簡単に稼げる。そうなるともっと欲しくなっちまうんだ。そういう風に染まっちまうんだよ。馬鹿みてぇに贅沢なもんがあるところにゃああるんだ。宿も、食いもんも、服もよ。一旦そういうモンに慣れちまえばどんだけ金があったって足りやしねぇ」
「故郷の村にちゃーんと恩返しする冒険者なんておとぎ話の中だけさ。現実には居やしない。それどころか村を捨てて貴族になっちまう連中だっているんだからね」
冒険者を擁護する者と激しい敵対心を剥き出しにする者、両者が入り混じって村人達はがやがやと言い合い始める。擁護するのは若年の者に多く、敵意を見せるのは二十を越えた者に多い。
どうやら色々と複雑らしい。酒も入った彼らが喧嘩を始めるのを防ぐべく、ナチは話題を転換することにした。
「そういえば、半血の魔物とは一体なんのことなのでしょう?」
「は、半血の魔物……!?」
「ヒッ―――」
「い、いるのか!? この中に!?」
軽い話題転換で言ったつもりのナチの言葉は、思わぬ反応を引き起こした。酒で赤らんでいた村人達の顔が一気に蒼褪め、腰を浮かせて辺りを見回す。
「いえ、わたしが最初に皆さんにお会いした時に小耳に挟んだのが気になって」
「えっ…………あ、ああ! あ、あの時は大変失礼を―――」
「失礼なことだったのですか?」
「うッ! し、失礼というか、その、なんていうか、誤解があってですね……」
気まずそうな顔で縮こまる村人達。先程とは違った意味で顔色が悪い。
ナチは状況がわからずに説明を求めて村人達を見回す。ダーサと目が合った。
「………あの、ナチ様。もしかして、半血の魔物がなんなのか知らないんでしょうか……?」
「ええ、恥ずかしながら」
「え……でも…………」
これまでナチの無知に寛容だったダーサが怪訝な顔をしている。どうやら”半血の魔物”とは、文化や国の違いで誤魔化せないことらしい。
戸惑った様子を見せるダーサに、ナチは腕輪を示して見せる。赤い宝石が嵌め込まれた銀色の腕輪、翻訳の腕輪だ。
「わたしはこちらの言葉がわからないのです」
「え? でも、とても流暢に話して……」
「これのおかげです。この腕輪は言葉を翻訳してくれる道具なのです。わたしはずっと、わたしの国の言葉を話しています。けれどきちんと通じるでしょう? 皆さんの言葉も、わたしの国の言葉になって聞こえます」
「あぁ、そういえばナチ様、この辺りのお人には見えませんものね。それにしては言葉がお上手だと……そんな道具もあるんですか」
ダーサは物珍しそうに腕輪を見つめた。
「ですけれど、こちらの言葉を上手くわたしの国の言葉に訳せないこともあります。同じような言葉がなければ難しい」
「はぁ、なるほどねぇ。えぇと……どう言えばいいんですかね」
ダーサはしばらくぶつぶつと口の中で呟き、やがて考えを纏めて口を開いた。
「男は戦って、女は生み出す。それが神様から定められた役割です。だから男は力が強かったり、相手をやっつける魔術を使う。女は畑の作物なんかを育てるのが上手かったり、人を癒したりする力を持つ」
「どうだかなァ。女が育てようが男が育てようが大して変わりゃしねえだろ。家だって母ちゃんが死んでもう何年も経つが、なんの問題もねえぜ」
そう言って胡散臭そうな顔をした男をダーサが睨む。
「うるさいよ、あんた達だって牛を投げ飛ばしたりできないだろ!? ……身分の高い女はあっという間に死にかけの人間を治しちまったり、一月もかからずに種から麦を育てて収穫できるたりするって話は聞きますけどね。あたし達はそんな魔術なんか知らないし……」
「知ってたって使えねえだろ」
「お前らに本当にそんな魔力があったら俺らだって楽出来るのによ」
混ぜっ返す村の男達に、女達が眉を吊り上げて腰を浮かせる。
「あんた達がナチ様の半分でも強かったら、あたし達だって今頃ふかふかの布団で寝て、毎日たっぷり肉とパンを食べてたさ!」
「あたし達にそんな力があったらもっと裕福な街の人間に嫁げただろうよ!」
「まったくねぇ、男は力が強くなるからってさ。わかり易いからって威張っちまって」
ああ嫌だ、とダーサは吐き捨てて同意を求めるようにナチを見る。
「女の力はわかりにくいから、ちっとも有り難味がわかりゃしない。ねぇ、ナチ様も言ってやってくださいよ。あたし達だって形が違うだけでちゃんと力があるんだってね!」
「皆さん、食卓の主を蔑ろにするのは賢いやり方ではありません。報復は目に見える物とは限らないのです……」
「!?」
「!!」
低い声で囁くナチに男達が慄く。炎に照らされたナチの顔には良い感じの影が出来ていた。
「わ、悪かったな、おめぇら。俺だって別に喧嘩したい訳じゃねぇんだ。変に力のある威張り腐った女よりお前らの方がよっぽどいい女だ」
「そ、そうだとも。だからこれからも仲良くやってこうじゃねぇか」
「わ、わかりゃいいんだよ、わかりゃあ」
「ま、まあ。あたし達だって、別に、ねぇ」
おどろおどろしいナチの迫力を前に、村人達はそそくさと座りなおした。
「それで、半血の魔物とは?」
「あぁ、そうだった。えぇとね……そう、男は戦う力、女は生み出す力。それが神様がお作りになられた人間です。けれどね、時々性別と逆の力を持って生まれてくる奴がいる。魔物と交わった女の腹から生まれてくる、魔物の合いの子。そういうあべこべの、生み出す力を持った男は魔物の娼婦、戦う力を持った女が半血の魔物。こっちじゃそういう風に呼ぶんです」
「そうだったんですか……」
呟いたナチになにを思ったのか、村人達が慌てて否定する。
「あ、あの時は勘違いしてて、貴族様っつっても、女の方があんなに強いなんて思わなかったもんだから―――」
「そうそう! あんなに強くて、なのに癒しの魔術も使えるなんて、あたしらにゃあ想像も出来なくって……!!」
「も、申し訳ありませんでした、ナチ様!!」
「この通りです!!」
「いえ、違います。怒ってなどいません。納得しただけです」
酒の入ったコップを投げ出して地に這いつくばろうとする村人達を止め、ナチは微笑む。
「ほ、本当ですか……?」
「本当です。わたしも注意が足りませんでした。許してください」
「と、とんでもありません……!」
「ナチ様……!」
しきりに畏まる村人達を座らせて、ナチは再び彼らの話に耳を傾けた。魔物の合いの子についての話題がまだ続いている。
「―――女の連れ合いも気の毒なことだよ。女房が魔物に股を開くなんてさ」
「魔物腹の女だよ。魔物と契るなんて、世の中にはとんでもない阿婆擦れがいたもんだ」
「半血の魔物も、魔物の娼婦も、なんでも最初は本性を隠してるらしい。そんで普通の子供の顔して人に混ざってるんだと」
「だが所詮魔物の子は魔物。そのうち必ず人を襲うようになる。必ずだ。例外は一匹もない。昨日まで仲が良かった友人だろうと、親切にしてやった恩人だろうと、嬉々として八つ裂きにして目玉をくり抜いて首を刈り取る。それまで父親と呼んでいた、魔物腹に騙されちまった不幸な男もだ。一時でも単なる人間を父親と呼ばなきゃならなかった鬱憤でもあるのか、父親として寄生されてたそいつはほぼ確実に殺されるらしい」
「……恐ろしい話だぜ、まったくよ」
身を震わせた男が酒を啜る。
「魔物の考えることなんざわかりゃしねえよ。自分を腹から出した女だって殺すんだからな。間抜けな話だぜ。魔物腹ってのぁ本性を現した魔物に真っ先に殺される奴の一人だろ。半血の魔物はまず、自分の周りの人間から殺していくんだからな。そいつと仲が良かった奴が狙われる。半分とはいえ人間の血が入ってるたぁ思えねぇ所業じゃねえか」
「気に喰わないんだろうよ。今にもぶち殺してぇ人間に混ざって、人間として生活して、それが我慢出来なくなって本性を現すんだ。周りの人間を一番憎んでんのさ」
「魔物腹っつーのもきっとそうなんだろう」
「あ?」
「だってよ、殺されちまうってわかってんのに魔物に股ぁ開くんだぜ? 魔物に人間を売り渡すんだ、自分の命も含めてな。そいつはもう人間じゃねえ、魔物だ」
「本性を現す前によ、わかる方法がありゃいいんだけどなァ。そしたら手遅れになる前に殺せるってのに」
「教会の偉い方々も調べてくださってるみてぇだが……」
頬に手を当てた女が思い出したように言う。
「そういや、どっかで殺すのに成功したって話を聞いたことがあるよ」
「被害は出なかったのか?」
「なんでもまだ上手く力が出せない子供の時分に始末したらしい。前々から可笑しいと思ってたらしくってさ、父親として利用されてた男の協力で子供も女も上手く仕留められたんだって」
「ほう、大したもんだ」
女は戦えず、戦う力を持つ女は魔物と見做される。何処までが事実で何処までが迷信なのかはわからないが、それがこの社会の常識らしい。男と女で明確に適性が別れているのなら、治癒や錬金の力を持つナチならある程度誤魔化せるだろうが、それが何処まで通じるか。単なる村人ならともかく戦闘を生業とする者を何処まで欺けるだろうか。
噂話に興ずる村人達の声に耳を傾けながら、ナチは無言で薄い酒の入ったコップを傾けた。