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ハオサーク  作者: 桜前線
7/25

盗賊と村 7

「そちらの収穫はどうですか?」

「いやぁ、こいつら相当な横着者だったようで、足が臭いのなんの……」


 盗賊達の死体から靴を奪う作業は思いのほか難航した。なにしろ碌に身体も拭かない不潔な無法者の集団である。当然靴など何十日も履きっ放し、寝る時もそのまま、ひどい者だと三メートル先から悪臭が漂ってくる。五感が鋭いナチなどはすわ、死に際に放った生物兵器かと警戒態勢を取った程だ。

 服も同様。綺麗な状態の服があれば剥ぎ取ろうと思っていたのだが、垢と埃にまみれてテカテカと嫌な感じに光っているものばかり。とても人に着ろと渡せるようなシロモノではない。


「冬場でこれですから、夏になったらどうなっていたことやら……。そうだ、今の季節は冬……ですよね?」

「冬ですよ。ちょうどオリーブの収穫の時季でして、その時にあいつらが来たもんですから……。いやぁ、あの部屋の状態を考えれば、さもありなん。迂闊でした……」


 ソロンは盗賊から脱がせた短靴をなるべく顔から離して持ち上げて、嫌そうな顔で中を覗いた。中には砂とよくわからない黒い塊がこびり付いている。気のせいだと思いたいが、なにか蠢いているような。


「……これ、洗ったらなんとかなりますかね? ほら、出してくれたあのお湯で、なんだかいい匂いのする石鹸もあったようですし」

「何事にも挑戦してみる気概は大事だと思います。革そのものに染みついているようなこの臭気……」


 既に諦めが入っているナチを横に、ソロンは嫌々ながらもマシな靴を幾つか選んで抱えあげた。見るからに汚れ仕事と縁のなさそうなナチと違って、ソロンは農村の農夫である。少し洗えば耐えられなくもない、とやや投げやりにソロンは思った。

 一から靴を作っていたら何時村に帰りつけることやら。娘と村の人間だけを連れて行く訳にも行かず、だとしたら全員で村へ戻らなければならない。その後、どうするにせよ、だ。


「私は中で洗ってきます。あのお湯、使っちまっても構いませんかね?」

「―――わたしもご一緒します。ソロンさん一人を死地に向かわせる訳にはいきません」

「………。いえ、根城の探索をお願いします。これも重要な仕事です。誰しも向き不向きというものがある」


 臭気を放つ靴の山に突っ込んで行こうとするナチを、ソロンは丁重に引き留めた。


「根城の探索……奪った靴を何処かに置いてあるかもしれませんね」

「そうですとも。そうなれば私が洗わなければならない靴の数も減ります。どうかよろしくお願いします」

「探し終わったらすぐに手伝いに参りますので」

「ごゆっくりどうぞ」


 ソロンは渋い顔で靴の山に手を突っ込み、ナチは狩小屋へと退却する。

 盗賊達の死体が転がる空地から離れた森の中、ヤニの死体は茂みに隠れた窪地に置かれていた。それは腕を身体の前で組まされて、服に飛び散った血はできるだけ綺麗に拭き取ってあった。潰れた頭部がなければ、森の中で眠っているように見えただろう。







「残念ながら、これだけしか……」

「捕まってた人数にしては随分と……」


 簡易風呂の中、ナチは戦利品をソロンに差し出した。

 ソロンの前にあるタライからは泡が溢れていて、その合間から靴のかかとが覗いている。隣には強烈な臭気を放つ靴の山と、それよりはほんの少し改善された匂いを放つ濡れた靴が数足。石鹸の匂いと靴から放たれる臭気が混じり合って気分の悪くなるような匂いが立ち込めている。


「他にもあることにはあったのですが、切り裂かれていたり、凄まじく汚れていたりで……」

「ふざけ半分にやったんでしょうな、まったく。盗賊なんぞやってると物のありがたみってもんがわからなくなるんでしょう」


 ナチが手に持っているのは四足のサンダル。どれも木や麻布で作られている。革の靴は一足もない。

 下を見れば、ソロンが足に履いているのも木と布を組み合わせたサンダルだ。

 ナチの視線の動きに気付き、ソロンが苦笑する。


「あぁ、革の靴ってのは高価ですからね。家畜だって限られてるし、なめすのだって手間がかかる。さて、こいつらの匂いをやっつけられるかどうか……」

「お手伝いします」

「ありがとうございます。……匂いが混ざり合ってますが、大丈夫ですか?」

「はい。為せば成る、です。心頭滅却すれば火もまた涼し……」


 ナチは透徹した眼差しで宙を見つめた。タライから飛んだ泡が鼻先でぱちんと割れる。


「……捕まってた連中も食べ終わった頃でしょう。そろそろ手伝ってもらいますか。こういう時は手を動かしていた方がいいものです。呼んできてくださいますか?」

「そういえば皆さん、食事の手を止めた方が増えていましたね。―――では、呼んでまいります」


 ソロンのもっともな言葉に、ナチは速やかになんとも言えない匂いが充満する風呂場を後にした。

 既にほとんどの者が食事を終えていたのだろう。最後に檻から出た幾人かを除いて、敷布の端で身を寄せ合って深刻な顔でなにやら話し合っている。ナチが歩み寄ると人々は一斉に顔を上げた。食事をしている者達へそのまま続けてくれと告げ、ナチは敷布の端で固まっている人々の方に向かう。


「靴を調達したのですが、少し問題がありまして……。手伝っていただけませんか?」

「はい、もちろんです!」


 すぐさま立ち上がったのはナチの応対役の少年である。続いて少年にせっつかれた者達がぱらぱらと立ち上がる。暗い表情の者が多い。

 ソロンの考えは正しかったらしい、とナチは思った。なにを話していたかは知らないが、こんな顔を突き合わせていても碌な結論はでないだろう。

 人々は重苦しい顔のまま言われた通り風呂へと向かう。先程自分が出した靴の材料を回収し、ナチは靴洗いを手伝うべくその後を追った。







 適当なところで靴洗いを切り上げ、ナチが出した炎により靴を乾かし、炙ってサイズを調整し、なんとか全員分の靴を無事調達することが出来た。全員が全員足にぴったりの靴を手に入れられたとは言い難いが、村までの短い距離なら歩くのに問題はない。

 盗賊達を殺すまでより、盗賊達を殺してからの方が遥かに時間がかかった。ナチとソロンが盗賊達に襲撃をかけたのは朝だったのに、捕らえられていた人々と共に狩り小屋を出る頃には既に太陽が中天に昇っていた。


「ヒッ、ま、また……」

「……し、死んでるんだよな」


 道に転がる死体が現れる度に肩を跳ねさせる人々の、被っている毛布の下は未だに裸だ。思ったより靴の調達に時間がかかってしまった上に、狩り小屋の中を探しても着ることの出来る服が見当たらず、一先ず村へと帰ることにしたのだ。


 薄暗い山道をしばらく歩くと、オリーブの木が茂る村の姿が見え始める。ソロン達の姿が村の入口に現れると、村の中から声が上がった。


「―――ソロンだ!! ソロンと、エフィもいるぞ! 盗賊達に攫われた連中だ!!」


 どうやら村の入口を監視していたらしい。物影からぞろぞろと農具を持った村人達が現れる。この村から攫われた者達が飛び出して村人達に駆け寄った。


「お、お前ら……!! 帰って来れたのか、良かったなぁ……!!」

「ってことは盗賊達は死んだのかい? 全員? 首領も?」


 毛布を被った見慣れない連中をじろじろと見て、鍬を持った村人がソロンへと視線を向ける。


「ああ、死体なら森の中にある。なにせ人数が多いもんで、そのままだ。後で始末せにゃいかん」

「そうかそうか! 随分時間がかかるもんだから、てっきり……」

「隠れてる連中にも知らせてこねえと!」


 顔を明るくした村人達の幾人かが村の奥へ向かって走り出す。よくやったと肩を叩いてくる村人達に、しかしソロンの表情はぎこちない。


「ソロン、あんたほんとに立派な村長だよ! これからもよろしく頼むよ」

「ああ……」

「なんだ? なにか心配ごとかい?」

「……後からヤニが来たんだ。盗賊達と戦って、それで―――死んだ」

「ヤ、ヤニが……?」

「なんてこった………」


 村人の一人が痛ましそうにソロンを見る。


「あいつはあんたと仲が良かったから、心配だったんだろうな……」

「……ああ。勇敢に戦って、盗賊達を殺して死んだ。……後できちんと弔ってやりたい」

「もちろんだとも! 村の英雄だ、あいつは。それで、その後ろの連中は?」


 検分するような村人の視線に、人々は肩を震わせる。


「あいつら、人を攫って売ってたらしい。狩小屋の地下に閉じ込められていた。詳しい話は後にして、先にこいつらを休ませたいんだが……」

「そりゃあ、難儀なこって………。わかった、教会に連れて行きな」

「いいのかね? 余所者を……」

「構いやしないさ。あんたらもサルヴァトル教徒だろ?」


 村人に問われて、毛布を被った人々は不安げに頷く。


「こんだけの人数が入れる場所ってのも他にないしなぁ。仕方がないさ」

「じゃあ、俺は教会へとこいつらを連れて行く。誰かエフィを家まで………いや、駄目だ。家には捕まえた盗賊がいる。エフィ、まだしばらく我慢できるか?」

「大丈夫、父さん……」


 知らせはすぐに村中に行き渡った。盗賊達の報復を警戒して隠れていた村人達が外に出てきて浮かれたように騒ぎ始める。幾人か、村の若い男達が農具を持って狩小屋へと確認に向かった。

 道を行くソロン達に村中から歓喜の声がかけられる。誰も彼もが喜びに湧いていて、毛布を被った余所者の集団にさして不審の目を向けることもない。


 一方で、ソロンの家の周りでは引きずり出された盗賊達が村人達によって私刑にかけられていた。村の財貨を奪い取り、村人達を攫い、売り払った連中だ。彼らの背後にあった盗賊の一団が壊滅した今、報復に怯える必要もない。村人達はこれまでの恨みを晴らすべく念入りに痛めつけていた。


 苦痛に泣き喚く声と、切り裂かれた口で許しを請う不明瞭な哀願が響くが、それは一層村人達の怒りと復讐心を煽る結果にしかならない。血達磨になって地を這う盗賊達と、それを囲んで執拗に追い回す村人達。蒼褪めたエフィの肩を抱き寄せて、見せないようにしてソロンは家の横を通り過ぎた。


 教会は村の中央からやや外れた場所にあった。粘土造りの他の家と違い、石で造られた屋根の高い建物である。


「これはソロンさん、ナチ様。よくぞご無事で。………この方達は、一体?」


 中から出て来たのは三十そこそこの、黒い長衣を纏った痩せた男だった。この教会の神父である。神父はソロンの背後で肩を寄せ合っている、毛布を被った見知らぬ人々に目を留めてソロンに尋ねた。


「盗賊達に捕まっていたんです。奴らは奴隷商人の真似事をやっていたらしく……。休ませてやりたいんですが、なにしろ人数が多いでしょう。全員が入れるような家はありませんから……」

「ああ、そういうことなら構いません。どうぞ、お使いください。……大変だったでしょう」


 自らが信仰する宗教の聖職者に穏やかな声をかけられて、張りつめていた気が緩んだのか人々の間から嗚咽が漏れた。


「村長、盗賊達は……?」

「全員、死にました。それから……ヤニも。盗賊達と戦い、死にました」

「なんと……」

「後で葬儀をお願いします。今は……こいつらを」


 俯いて泣き出す人々を促して、神父は教会の中へと入っていく。ソロンとエフィは盗賊達の悲鳴が止んだのを確認して家へと戻り、ナチは村人達に囲まれて広場の中央へと向かった。







 ナチを取り囲んだ村人達は、盗賊達との戦いの様子を聞きたいようだった。死体を確認しに行った者達が帰ってきて、やや青ざめた顔で死体の山ができていたと報告すると、その熱気は更に増した。


「いやぁ、凄いもんですなぁ! 何人でしたか……三十人? 四十人? 全員を二人、いや三人でやっちまったんでしょう?」

「ソロンはどうでした? あいつはあれでも村一番の腕でして、なかなかお役に立ったんじゃねえかと思うんですが」

「ヤニもなぁ、あいつ、小さい頃はソロンとよく張り合ってまして……一時はどっちが村長になるか、なんて言われたこともあったんですよ。こんなことになっちまったが、あいつは最後まで村の為に……」

「しんみりするのは後だ! 今はとにかく、盗賊達がいなくなったことを喜ぼう。それがきっと、ヤニへの一番の弔いだ……!!」


 広場に集まった村人達は、やがて酒や食べ物を持ち寄って騒ぎ始めた。村が勝ち取った勝利と解放を祝う宴である。狩り小屋にあった物資も村に運び込まれた。盗賊達が蓄えていた豊富な酒や肉類を見て、村人達は目を輝かせた。酒の質といい、肉の量といい、祝い事でもない限り食べられないようなご馳走である。


 最初は数十人程度だった人数は時間が経つにつれて増え、やがて村総出の宴になっていった。盗賊達の死体の始末、増築された狩小屋をどうするか、盗賊達の持ち物の処理などやることはたくさんある。殺された者や連れて行かれたきり帰って来ない者もいる。けれど今だけは全て忘れて祝おうと、村人達は家から食糧を持ち寄り、広場の真ん中に大きな炎を燃やしてその周りを囲んだ。

 ナチもまた巻物から食糧を出して宴の場に提供し、村人達と共に炎を囲む。彼らには色々と聞きたいことがある。


「そういえば、サルヴァトル教という言葉をよく耳にしたのですが……」

「あら貴族様、知らないんですか? サルヴァトル教を?」

「つい最近この地に来たばかりなのです。恥ずかしながら、この辺りのことには全く無知でして……。ところで”貴族”とは?」


 ナチに答えているのはダーサという農婦だ。道に倒れた幼い娘を庇って盗賊達に切られた母親である。お腹の膨らんだ彼女は先程から飽きもせずに、彼らにとってはつまらないことだろう事柄をいちいち尋ねるナチの相手をしてくれている。


「貴族様は貴族様ですけれど………あの、貴族様なんですよね? ま、まさか何処かの王族だったりするんですか……!?」

「王族? いえ、そういう者とは少し………わたしは、そう、ダーサさんと同じだと考えてください」

「同じ!? と、とんでもないことです! 冗談でもそんなことは言っちゃあいけませんよ!」


 飛び上がったダーサに詰め寄られてナチは軽く仰け反った。


「……あの、何故貴族だと考えたのです?」

「なんでって、何処からどう見たって身分のある方じゃありませんか」

「具体的には」

「全部ですけど……。えぇと、まず服かしら。とてもお綺麗な服ですよね、靴も立派な……よくわからないけれどとても高価な革でしょう? 刺繍だって、これ、金や銀じゃありませんか? この腕輪も銀ですよね? 他の飾りも、宝石も……」


 ナチは自身の服装を見下ろした。確かに少し派手かもしれない。別にこれは着飾ることが目的なのではなく、服や装飾具に付与されている効果こそが重要なのだが。金や銀などの貴金属、宝石が多用されているのは”力”が込めやすいからだ。


「………そうですね」

「それに手や髪、肌もとても綺麗。日焼けもしてない、手も荒れてない……畑仕事をしたことは?」

「ありません」

「水仕事は? 料理とか、洗濯とか」

「ありません」


 ナチに求められていたのはそういったものではない。


「髪もお手入れしていらっしゃるんでしょう? もしかして、毎日洗っていたり?」

「はい」


 毎日風呂に入るので。手入れはともかく、洗いはする。


「やっぱり貴族様でしょう。裕福な街の人間っていうには、少し着ている物が上等過ぎるような気がしますし……いえ、あたしも詳しくはわからないんですけどね。物腰もねぇ……やっぱり違いますよ。成り上がり者とはね。言葉遣いはやけに、その、あたし達みたいなのに丁寧に話してくださいますけどね」

「………そうですか?」

「そうですとも。……まあ、この話はここまでにしておきましょう。ともかく、村人ってのは今のままじゃ無理がありますよ。ええと……ナチ様?」


 ダーサは声を潜めて窺うようにナチを見る。


「ナチで構いません……と言いたいところですが、それは不自然なのですね?」

「ど、どうしてもそう呼べって言うなら、そうします」


 まるで断頭台に連れて行かれることを覚悟するような顔でダーサは言った。


「いえ、呼びやすいように呼んでください。―――それで話を戻しますが、サルヴァトル教とは一体……?」

「あぁ、ナチ様はここら辺の方には見えませんからねぇ。見たことのないお顔立ちで、とても遠くからいらっしゃったんですね? だからサルヴァトル教も知らないと」

「そうです、とても遠くです」

「やっぱりねぇ。サルヴァトル教を知らないなんて、そうだと思ったんですよ。ずっと向こうの方の国までちゃあんと教化されてるんですから。不届きな蛮族を除いてね」

「広く信仰されているのですね」

「ええ、まあ。でも当然のことですよ。真実の教えはちゃんと広がるものなんです」


 ダーサは得意げに胸を張った。


「サルヴァトル教というのは、神様が遣わしてくださった救世主、デア・アマデウス様が説かれた教えを伝えているんですよ」

「デア・アマデウス様?」

「し、知らないんですか!? あ、あぁ、すみません。サルヴァトル教を知らなかったんですから、アマデウス様も知らないですよね」

「ええ、恥ずかしながら」

「いいえ、誰にでも初めはあるものです! ナチ様のサルヴァトル教への道、お手伝いできて光栄です」


 奇妙に熱の籠ったダーサの目に、ナチはアルカイックスマイルで返した。何時の間にかダーサの中で、ナチが入信を希望していることになっているが、とりあえず話が終わるまでは黙っておこうとナチは決めた。こういう目をした者には迂闊なことを言わないのが賢いやり方だ。


「デア・アマデウス様とは今からおよそ七千年前に、神様の正しい御意志を受けてこの地上に降り立った救世主です。人が皆、平等であること。それが神様の真実望む世界なのです。けれど人の世を支配する者達は誰一人としてその声に耳を傾けず、あろうことか神様のお言葉を騙って弱き者達を虐げるばかり。そこで神様は、アマデウス様を地上に遣わされたのです。神様の御意志を偽る者達に、神様のお手は差し伸べられない。アマデウス様は、当時人を支配するどの王族、貴族とも縁のない平民でした。けれど誰よりも強かった。神様の愛を一身に受けていらしたからです」


 長くなりそうだな、とナチは思った。ダーサの口調には非常に熱が籠っている。大変情緒豊かな語り口だ。


「それは自分達が神様より民を支配する権利を授かった存在だと、恥知らずにも僭称する王侯貴族には我慢のならないことでした。だってそうでしょう? 彼らとまったく、なんの血の繋がりもないアマデウス様が神より力を与えられた。それは彼らの欺瞞を暴く、生きた証拠です。アマデウス様は時の王達から迫害を受けました。けれどアマデウス様はその試練をことごとく打ち破ったのです。そして悟られました。哀れな民を虐げる者達に神の御言葉は届かない。自らが神の御意志を実現するしかないのだと」


 何時の間にか周囲に村人達が集まって、ダーサの話にしきりに頷いている。感極まって涙ぐむ者までいる始末だ。今にも天に向かって祈り始めそうである。


「アマデウス様は勇敢な冒険の末、一つの国をお作りになりました。テラ・メエリタ。それが国の名前です。史上唯一の、王も、貴族もいない国。そう、アマデウス様は自らがお作りになった国の王となることを望まれなかったのです。アマデウス様は仰いました。強き者も、弱き者も、人である。なにも変わらぬ人であると。虐げられている者、苦しんでいる者、支配者に奪われるだけの生活………アマデウス様のお導きは皆にとって救いでした。国を越え、各地から賛同者が集まりました。福音は苦しみに満ちる地の隅々に鳴り響き、アマデウス様の下に集った者達によってテラ・メエリタは建国されました。テラ・メエリタ……地上に現れた神の国。そこに住む者は皆平等でした。その国では誰しもが飢えることなく、誰しもが凍えることなく生きることが出来ました」


 ナチの提供したパンにかぶり付いていた村人が、手に持ったパンをしみじみと見ながら言う。


「なんでもな、話じゃ皆が毎日白いパンを食べることが出来たらしいって。ふわふわで、ほんのり甘くてそりゃあもう美味しいパンだったそうです。……こんなパンを毎日食ってたのかもしれねぇなぁ」

「皆があったかい家に住んでよ、冬にも毎日肉を食べてたって話だよな」

「病気になったり怪我したりすっとすぐに治してくれて、しかもその間働けねぇで食ってけなくなると面倒まで見てくれるって」

「言葉が違う連中も、皆が仲良くやってたんだってなぁ」

「子供なんかもよ、育てられなくなったりすっと国が代わりに育ててくれるって話だ」

「奴隷がいなかったんだとなぁ。食えなくなったからって家族を身売りすることもなかったし、娘が攫われて売られちまうこともなかった。だって奴隷がいねえんだから。売れねえんだ」


 村人達は遥か昔存在したという、遠い理想郷に想いを馳せる。その横で、それを黙って聞いていたダーサが悲しげに顔を歪めた。


「けれどしばらくして、テラ・メエリタは儚くも滅んでしまいます。何故、並ぶ者のない強さを誇っていたアマデウス様が………。アマデウス様を恐れた欲深い者達の仕業です! 神の御意志を騙る忌まわしい者達……!! アマデウス様は、アマデウス様は…………ある時領土を広げようと魔物の住む森へ聖戦に赴いたアマデウス様は、この世の誰もが見たことのないような激闘の末、天に御帰りになりました。ああ、なんということでしょう! アマデウス様が負ける筈がないのです! 卑怯な手を使われて……!! ああ、神様!」


 ダーサは哀しみの入り混じった敬虔な表情で空を見上げて手を組んだ。


「テラ・メエリタという国は滅びました。支配者のいない唯一の地だったその国は、今や神様の御意志を騙る王侯貴族に支配される土地となりました。けれど全てが滅びた訳ではありません。アマデウス様が体現なされた神様の御意志は人々の心に深く刻み込まれたのです。テラ・メエリタ……かつてその国の首都だった場所は、サルヴァトル教の聖地として教会が守護しています。かつての栄光の国を偲び、テラ・メエリタの名を受け継いで………」

「サルヴァトル教にはどのような教えがあるのでしょうか? どなたがそれをお伝えになったのです?」

「生き残った使徒様方が、国がなくなり惑う民にお伝えくださったのです。神様の真実の御意志の体現者、アマデウス様の教えを。アマデウス様が語ったことを。人は皆、平等であるべきなのだと。飢える者にはパンを、病める者には癒しを、貧しき者には施しを」


 ダーサは潤んだ瞳でナチを見つめた。


「……ナチ様。あたしは今、神様の存在を強く感じています」

「え?」

「善きサルヴァトル教徒を虐げる盗賊共、そこにあなたが現れました。盗賊達を打ち倒し、傷を負った者、病を患った者を癒し、奪われた財を取り戻してくれた」


 盗賊達が蓄えていた財産の行方について、ナチは関与していない。村人達が自主的に狩り小屋から運び出して村に持ってきたのである。


「なにか誤解が―――」

「そう! まるで……まるでアマデウス様のように! 皇帝、王、貴族……強い者は皆、真実の教えに背く者ばかり。神様の御意志を騙り、恥じることもない。真実の神様の御言葉に耳を傾けるのは正直に暮らしている平民ばかりです。弱者を虐げ、富を独り占めする。代々に渡ってそのように暮らしてきた者達に、神様の御言葉は届かないのでしょう。―――けれど! 希望はあるのです。あたしは今日それを知りました。罪は償われるのだと。今ここに、ナチ様、あなたが―――」

「ああ、わたしとしたことが! 捕らえられていた方々、今教会にいる方々はきっと服もなく、宴に混ざることも出来ず、苦しい思いをしていらっしゃることでしょう! のけ者にしてはいけません、少し席を外します!」


 ナチは適当にその辺にある食べ物を引っ掴んで立ち上がった。

 ダーサ並びに周りを囲む村人達がナチを見つめる視線は妙に熱っぽい。既視感がある。ナチが村人達を治療した時のことだ。それまでナチを恐れている様子だったのが、治療を境に妙に友好的な態度に変化したのだ。


「こりゃいけねえや! そうだよなぁ、あいつらも大変な思いをしてやっと解放されたんだもんなぁ。これも持ってってくれ、ナチ様!」

「さすがはナチ様だ!」

「おめぇナチ様はもう両手に抱えてんじゃねえか。持ちきれねえよ。俺も持って行きます、ナチ様!」

「ああ、これこれ。これ出来立てだからね! これも持って行きましょう!」


 ナチの言葉に村人達は一層盛り上がった。どうやらそのサルヴァトル教とかいう教えのツボに嵌ったらしい。


「……ありがとうございます。教会ではどうかお静かに願います。ご存じの通り、彼らは恐ろしい体験をしたばかり」

「そりゃあもう! 攫われて売り飛ばされちまうところだったんですからね。考えただけでも恐ろしいことですよ!」

「やっぱりナチ様は立派なサルヴァトル教徒になれますよ!」

「今までは異教徒だったんだろうが、なぁに、神様は悔い改める者を許してくださる」

「この出会いはお互いにとって幸いなことだ。善き行いをする心があるのに、神様の教えを知らないまま地獄に行っちまうのを防げたんだからね」


 熱の籠った真っ直ぐな眼差しを向けてくる村人達にアルカイックスマイルを返し、ナチは食事を持ってついてくる村人達を引き連れて教会へと向かった。




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