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ハオサーク  作者: 桜前線
6/25

盗賊と村 6

 水の流れる音と温かい湯気が地下室のすぐ上の部屋を満たしていた。

 岩でできた湯船が二つ。床は重みによって抜けないように補強してある。二つの湯船の真ん中には竹でできた仕切り。その間から突き出された竹筒から熱いお湯が流れ出てくる。


 ナチは湯船から手を出した。ちょうどいい温度だ。こちらの世界の人間の趣向はわからないが、身体の作りがそう変わらない以上、このくらいの湯加減で大丈夫だろう。

 自分で作った風呂を見回してナチは頷いた。即席にしてはなかなかいい感じに出来たと思う。


「では皆さん、どうぞ。こちらが女湯、こちらが男湯になります」


 布でできた簡単な仕切りから出てきて言ったナチに、捕らえられていた人々は戸惑うような顔をした。どの者も皆、身体の前でブランケットを掻き寄せて不安そうに縮こまっている。どうしたらいいのかわからないが、ナチに直接尋ねるのも躊躇われる―――そんな周囲の視線を受けて少年が口を開いた。


「あの………これは一体」

「簡単にお風呂を作りました。皆さん身体が冷えていらっしゃるので、よく温まってから出てきてください。石鹸やタオルは用意してありますが、足りない物があれば言ってください」

「い、いえ………そうじゃなくて」


 少年は困惑したようにナチの作成した簡易風呂を見つめている。これは一体なんなのか図りかねている様子だった。未知の物体を見るような顔で簡易風呂とナチを見比べている。

 その困ったような顔にナチはピンときた。


「わたしの術で作り出した物です。現世に固定している訳ではありません。すぐに元に戻せるのでご心配なさらずに」


 人々の不安を宥めるべく、ナチは自信満々に太鼓判を押した。

 大丈夫だ、この狩小屋の持ち主に訴えられることにはならない。

 なにもない場所から物質を創造するのは、一時的に水や炎、土壁を出現させるのとは比べ物にならない”力”がいるのだ。戦闘中に敵に向かって攻撃する為の水流と、先程彼らに飲ませた水とはその性質が大きく異なっている。

 前者は込められていた”力”がなくなれば消える”幻影”。後者は命の循環に組み込まれた”物質”だ。飲めば渇きが癒され、やがて体外に排出され、雲となって雨となる。

 力強く頷いて見せたナチに、少年は何故か余計に奇妙な顔になった。


「……このお湯を、使っても構わないということでしょうか……?」

「もちろんです。用意してある物は全て使ってください。その為の物です」


 もしかして彼らにはお湯を使うことになんらかのタブーがあったりするのだろうか。お湯に触ると穢れるとか、お湯に浸かると性別が転換するとか。

 異文化だからな、とナチは改めて自作した即席風呂を振り返った。お湯に浸かると精神も癒されるだろうと思ってやったことだが、実は有難迷惑だったのかもしれない。

 張り切って風呂を示していたナチの手がそっと下ろされた。誤魔化すように背中に引っ込める。


「……なにか事情があるのでしたら、無理に使う必要はありません。無神経なことをしてしまったようで―――」

「いッ、いえ! 違います!! こういったことはその、僕達のような者には珍しくて! 驚いてしまっただけです!」


 少年は飛び上がって否定した。先程の困惑したような様子とは一転、ぶんぶんと首を振っている。やたらと極端な反応だ。


「……本当ですか? 迷惑ならはっきりと言ってくださいね。無理に入らせて村八分なんてことになってしまったら―――」

「迷惑だなんてとんでもない! すぐに使わせていただきます! ありがとうございます!!」


 やけに勢いよく返事をした少年は、他の者達の背を押しててきぱきと簡易風呂の中に入って行った。

 しばらくすると「この泡、美味しそうな匂いがするのに苦い……」とか「目、目が……!」とか控え目に騒ぐ声が聞こえてくる。

 一体彼らにどのような葛藤があったのかは謎だが、とりあえず凄まじい臭気を放つ彼らを風呂に放り込むことに成功したようだ。後は風呂に入るということが彼らにとって禁忌ではないことを願っておこう。


 次にやることは、と考えてナチは巻物を取り出す。洋服を収納してある巻物の一つだ。開くと黒地に銀の刺繍をした長衣、光沢のある真紅の生地に金糸で花のような模様が描かれた上衣などの映像がずらりと並ぶ。

 それらを流し見ながらナチは思案した。ナチが持っている大抵の衣服には加護やら特殊な効果やらが込められているのだ。気軽に人に渡すには少々問題がある。

 駄目だな、とナチは衣服の巻物を閉じて服飾関係の素材が入った巻物の一つ、割合有り触れた素材が入れてある巻物を取り出した。幸い手持ちの素材の中には普通の、それ単体ではなんの効果もない布地もある。洋服に関しては自分達で作ってもらうことにしよう。


 一先ず脱衣所には分厚い毛布を積み上げておく。上がったらこれにくるまるよう風呂の中に声をかけ、ブランケットを回収して簡易風呂から出た。巻物を眺めて布と糸を選んでいると、外から誰かがやってくる足音がする。


「………これは、一体」


 ソロンだ。全身に返り血が飛び散り、顔には疲労の色が濃い。脇にはべっとりと脳漿が付着した棍棒を携えている。


「身体を洗ってもらっているのです」

「……そうなんですか。―――あの、薄茶色の髪の毛をした、十六程の娘を見ませんでしたか? 私の娘の、エフィという」

「その方なら、今―――」

「お、お父さん? お父さん……!?」


 ナチが女湯の方を振り返ると同時に、風呂の中から声が上がって少女が一人飛び出してくる。ナチがソロンの娘だと感じた、縄で吊るされていた少女だ。


「エフィ……!!」


 ソロンは声を詰まらせて少女―――エフィを抱きしめる。ナチは親子の再会を邪魔しないように、素っ裸のエフィの肩にさりげなく毛布を被せた。できれば湯冷めしない内に風呂に戻って欲しいが、それは無理な話だろう。なので厳重に毛布を巻いておく。気配を消すのはお手の物だ。今のナチは背景に溶け込んでいる。

 エフィがソロンに縋り付いて大きく震えながら泣き始めた。立っていられないエフィを支えてソロンが床に座らせる。


「あ、あいつら、と、盗賊が、盗賊は………」

「ああ、大丈夫だ。エフィ、盗賊は……全て殺した。お父さんと、ヤニと、そこにいらっしゃる方が全部やっつけたんだ。大丈夫だ、もう大丈夫だ、エフィ……!!」


 泣き崩れるエフィの肩に顔を埋めてソロンは言った。

 ナチは抱きしめ合う親子から離れて、存在感を消しつつ彼らから見えない簡易風呂の影へと向かった。そこで再び巻物を開く。


 コバルトブルーの絹に、薔薇色のウール、萌黄色の木綿などを流し見ていく。使ってはいけない色があるかどうか訊かなければ。迂闊に渡せば彼らが不敬罪に問われたり、犯罪者と間違えられたりする可能性がある。

 物影で布地を糸をああでもないこうでもないと選んでいる内に、人々が風呂から上がってくる。彼らは抱きしめ合うソロン達と物影で巻物を開いている那智を見比べて、しばらく迷った後ナチの方へ向かった。


「……あの、」

「―――迂闊でした。靴のことを忘れるとは。折角洗ったのに汚い床でまた汚れてしまって……。革でしょうか、この場合は」


 話しかけてきた少年の足裏は少ししか歩いていないのにもう真っ黒になっている。捕らえられていた者達の中で靴を履いている者はいない。逃亡を防止する為に奪ったのだろう。

 舗装などされていない剥き出しの地面には容赦なく尖った石や枝などが落ちている。これでは村へ行くのも難しい。まずは服よりも靴だ。


「そうだ、使ってはならない色はありますか? 例えば身分の高い方しか身に着けることのできない色など」

「ええと……なかったと思います。偉い人にはそういうものがあると聞いたことがありますけど、僕達のような者には関係がないと」

「では、もう一つ。あなた達は服や靴を作ることは出来ますか?」


 遠巻きにナチを囲んでいる人々が顔を見合わせた。一人の女がおずおずと頷く。


「その、貴族様の身に着けていらっしゃるようなものは出来ませんけれど、どこにでもあるような普通の、簡単なものなら……。農作業の合間に、自分や家族の服を縫ったりするくらいなので、そんなに上等なものじゃないんですけど……」

「皆さんも?」


 人々が同意するように頷く。まだ目を合わせてくれる者は少ないが、身体を清潔にして温まってだいぶ落ち着いてきたのだろう。その顔からは張りつめた緊張が薄れ、疲労が濃く浮き出ている。


「では今から革と糸を……ああ、その前に食べ物ですね」


 彼らは皆、落ち窪んだ目をして飢えた雰囲気を漂わせていた。

 ナチは彼らに食事をさせる為、部屋の隅の空いている場所へ向かう。

 そこに行くにはエフィとソロンの横を通り過ぎなければならない。赤く腫れた目でぼんやりとソロンにもたれかかっていたエフィは、ナチが近付くとはっとしたように顔を上げて、わたわたと風呂とナチを見比べ始めた。


「エフィさん、ですね? 濡れたまま出て来たので身体が冷えてしまったでしょう。立てるようでしたら、もう一度温まって来てください」

「ぁ、わ、私……」

「エフィ、行っておいで。大丈夫だ、この方はお優しい方だから」

「ごゆっくりどうぞ」


 頭を下げて足早に横を通り抜けて行ったエフィを見送って、ナチは巻物を取り出した。食糧を入れてある巻物だ。米や小麦、パンやお握りなどが入っている。

 ナチは巻物の中から湯気を立てているシチューの鍋と食パン、熱々の紅茶が入ったポットを取り出した。床に厚めの布を敷いて、その上に鍋と食パンを置く。その周りに食器と角砂糖、ミルクの瓶を出して、ナチのすることをじっと見つめている人々を見上げて言った。


「まずは腹ごしらえということで。皆さん、どうぞ召し上がってください」

「こ、これ……」


 その目は温かな湯気が漂う食事を凝視しているのに人々はなかなか動こうとしない。風呂に入った時のように先導してくれることを期待して少年を見るが、少年も食事に視線が釘付けで気付いてくれない。ナチはソロンを見る。ソロンが心得たように頷いた。


「もう大丈夫だ。安心して、ゆっくり食べなさい。この方によく感謝をするように。―――食事の前になにかありますでしょうか?」

「いえ、特にありません」


 ナチが思っていたのと微妙に違うが、大体期待通りである。


「細かいことは気にせずに、ともかくお腹を満たしてください。食べたいだけ食べていただいて構いません。なくなったら追加します。ソロンさんも良かったらどうぞ。エフィさんとご一緒に」

「は、ありがとうございます」

「では、わたしは地下室へ行って残りの皆さんを連れて参ります」


 ナチが地下室へ下りる階段に消えるのと同時に、箍が外れたように人々は食事に殺到した。その気配を背後に感じながらナチは地下室に残っていた人々を檻から出す。


「では、皆さん。お風呂に行きましょう。歩けますか? ―――はい、階段を上がって下さい。そこにあるのがお風呂です。右が男湯、左が女湯。わからないことがありましたら、部屋には先に上がった方々がいらっしゃるので聞いてみてください」


 檻の中の人々はやはりナチと目を合わせようとはせず、今にも平伏せんばかりの様子である。

 逃げるように上の部屋へと上がって行った人々を見送り、ナチは檻に残った四人を見た。


 どの者も心が現実にないのが一目でわかる。


 さて、どうするか。

 精神を現実に戻すこと自体は簡単だ。だが、彼らは現実から心を逃がすことによって自分を守っているのだ。いわばこれは彼らの最後の防衛線。迂闊に正気に戻せば脆く壊れかねない。

 彼らの最後の防衛を踏みにじって土足で引きずり出す者の責任として、一旦ゆっくり考える余裕を与えるべきだろう。


 精神は複雑だ。ナチは記憶を消すことが出来る。しかし、感情を消すことは出来ない。記憶を消してもその時抱いた恐怖や絶望は残り、その感情はその者を蝕み続ける。だからといって、粘土細工のように都合よく感情を切り取ったり作り直したりすることも出来ない。


 いや、正確にはそうするべきではない、というのが正しい。心に踏み込む行為は、対象者と術者、双方に多大な危険を伴う。心に触れる為には、術者も対象者と同じ地平に立たなければならない。相手の心に触れれば、自らも影響を受けずにはいられない。


「聞こえていますか? あなたの名前は―――」


 瞬きもせずに床の一点を凝視している少女の額に手を当てる。

 感情を消し去ることが出来ないといっても、出来ることがない訳ではない。暗示をかけて一時的に落ち着かせる―――他のことに注意を向けさせて抱いている感情を隅に追いやることは出来る。もちろんそう長く続けられることではないし、消し去ることが出来ない以上いずれ向き合わなければならないが、突発的な恐慌を抑止する助けにはなるだろう。


 精神の深いところへと呼びかける。力なく垂れ下がっている少女の手がぴくりと動いた。弛緩していた身体に力が戻り始める。床を凝視していた瞳が上げられ、ナチと目が合う。びくりと大きく震えた。


「大丈夫です。全ては終わりました。大丈夫、大丈夫―――」


 少女が現実を認識して恐怖に呑まれる前に、注意を自身に向けさせる。ゆっくりとした一定のリズムで”力”を込めた言霊を繰り返す。

 やがて少女の目に理性の光が宿っていく。同時に恐怖の色がちらちらと映り始め、ひび割れた唇がなにか言いたげにかすかに開く。ナチはそれに指を当て、言い含めるように更に繰り返す。完全に理性が勝ったのを確認して、ナチはゆっくりと唇と額から手を離した。


「ぁ…………」


 掠れた声を漏らす少女の口元に水の入ったコップを持って行く。ひび割れた唇を傷つけないようにそっと当てると、最初は躊躇いがちに、やがてむさぼるように飲み始めた。

 水を注ぎ足し、ずり落ちかけていたブランケットを痩せ細った肩にかける。残りの者達のところへ行こうと檻を出かけて、背中に注がれる視線にナチは振り返った。

 親とはぐれた子供のように不安そうに瞳を揺らした少女―――年頃はナチと同じくらいだ―――がナチを見上げている。


「立てますか? 手に力は入りますか?」

「………ぁ、は、はい……!」


 少女は急いで立ち上がろうとするが、足が萎えていてすぐにバランスを崩してしまう。汚い床に転がる前に、傍らに移動したナチが少女を支えて、落ちかけたコップを掴みとった。


「ゆっくりで構いません。檻に掴まって、転ばないように気を付けて」

「は……ぃ………」


 消え入りそうな声で返事をして、少女は顔を埋めていたナチの服から手を離した。ナチはコップを檻の外の床へと置く。


「檻から出たら、ここで待っていてください。わたしはこの―――」


 ナチは檻の中でうずくまっている人々を示す。


「―――方々をこちらに呼び戻さなければなりません」


 少女を檻の外に座らせ、ナチは残りの三人に取り掛かる。少女が二人、少年が一人。捕らえられていたのは若い年頃の者が多い。大抵は二十にもなっていないような少年少女だ。


「皆さん、喉の渇きは癒えましたか? ―――はい、では上の部屋に上がりましょう。そこで身体を綺麗にしましょうね」


 四人を連れて上の部屋に上がれば、第二弾の七人の内数人が風呂から上がっていた。部屋の隅で広げられる食事をちらちらと見ながらも、声をかけることは出来ずに所在なさげに立ち尽くしている。


「少し待っていてくださいね」


 地下から引き連れてきた四人に声をかけて、ナチは食事をしている者達の方へと向かった。近付くナチに気付けば、食事の手が一斉に止まる。部屋に響いていた食事の音がしなくなって、風呂から聞こえる水の音だけになる。


「食事の量は足りましたか?」

「はい、それはもう。とても美味しかったです」


 口を拭ったソロンが照れたように笑う。

 ざっと布の上を見渡せば、シチューやパンは残り少ない。


「それは良かった。追加しておきますので、お風呂から上がってきた彼らにも食べさせてあげてください」


 巻物から今布の上にあるのと同じ種類のシチューと食パン、紅茶のポットにミルクと角砂糖を取り出して加える。並べるのを手伝ってくれたソロンと少年に礼を言い、ナチは布に座っている人々を見回した。

 飢えからくる切羽詰まった気配はなくなっている。


「お食事を終えた方がいらっしゃいましたら、彼らの入浴を手伝っていただきたいのですが……」


 そう言って流した視線の先にいる四人を見て幾人かが頷いて立ち上がる。彼らが四人と共に風呂へ入っていくのを見送って、ナチは巻物を開いて革と糸、靴を作るのに必要だと思われる材料を取り出した。食事をしている場所の隣に新しく布を敷いてその上に並べる。


「このままではここから出ることも出来ません。こちらの材料を使ってご自身の靴を作ってください」

「作る、んですか? 新しく?」


 首を捻ったソロンがナチと布の上にある材料を見比べて、言い辛そうに口を開く。


「あの………靴なら、心当たりがあるというか……その、お手を煩わせずとも解決ができる方法が……」

「そうだったのですか? それは……わたしは早とちりしてしまったようです。さすがはソロンさん、それならば話が早い。それはどのような?」

「……盗賊達の、身に着けていた物を―――いえ、忘れてください」


 渋い顔で口を噤んだソロンとは裏腹に、ナチは目から鱗が落ちるような思いだった。脳裏に閃光が走ったような気分だ。そうか、その手があったか。


 既に持ち主が必要としなくなった衣服と靴がすぐ外に転がっているのだ。衣服は血に濡れて着られなくなっているかもしれないが、靴は問題ない。なるほど、究極のエコである。ゴミにもならず、必要な者達のところへ必要ではなくなった者達のところから持って来る。しかもその者達はナチとソロンが殺した者。つまり彼らは自分達の獲物だ。獲物を捌くのは勝者の権利である。


「いえ、素晴らしいお考えです。ありがたくいただいておきましょう。こんなに単純なことに気付かないなんて……」

「へ? は、はぁ……そう、ですか……? いや、素晴らしいというか、あまり褒められたことでは……いえ、どちらにしろ薄汚れた金で購った物、引け目など感じる必要はありません……!」


 ソロンに感心した眼差しを送るナチと、思いがけない反応にあたふたしつつも吹っ切れた様に拳を握りしめるソロン。


「合理的な判断です、ソロンさん」

「そうと決まれば使えそうな靴を見繕って来ますか!」

「根城の中も探してみれば色々あるかもしれません。では、参りましょう」


 頷き合ったソロンとナチは、戦いの勝者として正当な戦利品を獲るべく、呆然と展開を見つめていた人々に一声かけて部屋を出た。







 意気揚々と二人が出て行った後、部屋には沈黙が落ちる。虜囚だった人々は誰ともなしに顔を見合わせた。


「……き、貴族様、行っちゃったね」

「村長さんも………」

「どうなるんだろ、あたし達……」


 身体の傷は癒されたものの、長い間暗闇に閉じ込められ、痛めつけられた彼らの心は回復していない。部屋にぽっかりと空いた地下への扉から滲み出る暗闇に、気を抜くと呑み込まれてしまいそうだった。


 貴族の少女と村長が出て行った扉を幾人かが不安を隠し切れない顔でちらちらと見る。

 まだ死体を見ていないからだろうか。今にも盗賊達が怒鳴りこんできそうで、解放してくれた二人の姿が見えなくなると、今檻の外にいるのが現実かどうか不安になる。


「ねぇ……本当に、盗賊の人達、死んだんだよね? ねぇ、誰か見た人いない?」

「いないわよ。誰もこの部屋から出てないのは知ってるでしょ?」

「そ、そうだよね。でも死んだよね? あの村長、強そうだったし、あの貴族様も……」

「そんなに気になるなら行って見てこいよ」


 しきりに扉を気にする少女に苛立ったようにパンを齧っている少年が言う。びくりと怯えた少女に取り成すようにこの中では年嵩の、二十程の女が微笑みかける。


「そうね、これぞ貴族様って感じで……。ちょっと怖かったけど、そんなに悪い人じゃないと思う」

「そ、そうでしょうか……?」

「そうよ。わざわざお湯使わせてくれたり、ご飯くれたり……」


 何日もまともに食べさせてもらえず空腹だったことを差し引いても、貴族の少女から出された食事は美味しかった。パンも、シチューも、彼らが知っているものとはまるで別物だったし、砂糖が無造作に置かれているのにも驚いた。


「怖い!? とんでもない! あの方は……凛々しいんだ!」


 頬を上気させて頭を拭いていたタオルを振り回したのは、人々からナチの相手役を任せられていた少年である。最後に檻から出た四人の内、男湯の方の入浴を手伝っていたのだ。

 きらきらと眩しく輝く瞳にはナチへの憧憬が映りこんでいる。


「そ、そうだね。いい人そうだったもんね」

「うちの村の領主様なんぞとは全然違ったもんな。な、だからほら、ちゃんと毛布被れ」

「見かけないお顔立ちの方だったけど、どこの人なのかしら……?」


 彼らのほとんどはここが何処かもわからないのだ。近くの村から連れてこられたという者に村の名前は聞いたものの、彼らには聞き覚えがなかった。当然だ。普通の農民は精々歩いて一日の範囲から出ることなく生涯を終える。地図を見たこともなければ、旅などしたこともない。魔物や賊が跋扈するこの世界で、旅は常に危険を伴う。


 自分の村の場所もわからない。わかったとしても帰れるかどうか。

 解放された喜びに一旦は忘れていたものの、腹が満たされ身体が清潔になって余裕が出てくれば先行きへの不安が湧き起こる。


「ここの領主様はどんなお人なのかな……」

「村長さんの話によるとあの貴族様じゃないそうだけど……」


 領主や役人とは、大過なく領地を治める為にいる。税の取り立て、街道の整備、関所の取り締まり、魔物の動向の監視。国という巨大な組織を成り立たせる為にあるのだ。単なる村人が攫われたからといってなにかをしてくれる訳ではない。それは彼らの仕事ではないのだ。そもそも村人、平民とは領主に隷属するものである。領主を始め支配階級とは領民の持ち主であって、領民に対して奉仕する存在ではない。


「じゃあ無理かな……」

「近くの街へ行くのはどうだ?」

「行ったって仕事が貰えるもんか。街の連中は俺達とは違う」


 自らの境遇を訴えたところで、奉公として奴隷同然に働かされるか、あるいは捨て置かれるか。近くの街に行ったところで農村から出たことのない自分達に出来る仕事など限られている。糊口を凌げるだけの仕事を得られるかどうかすら、彼らにはわからなかった。




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