盗賊と村 5
狩小屋の周囲には凄惨な光景が広がっていた。
空地には三十を超える屍が転がり、そこから流れ出た血がどす黒い池を作り出していた。血の池にぷかぷかと浮かぶのは、頭をかち割られた衝撃で飛び出した眼球。その持ち主は頭の中身を日の下に晒してぐんにゃりと転がっている。
炎によって温められた空気に乗って漂うのは、人肉の焼ける匂いと血と臓物の匂い。熱せられた武器によって焼かれた傷跡は血を流すことなく、ぽっかりと空いた傷口から身体の中身を晒している。
かつて暴威を振るった盗賊の首領―――ゲートは今や縦に真っ二つになって地面に転がっている。骨や皮、身に着けていた衣服まできっちりと二等分された、嘘のように綺麗な切り口だった。その周囲に散らばるのは砕かれた剣の破片。鉄製のそれは陽光を浴びてキラキラと輝いている。
ナチは術を解除する。土の壁が音もなく崩れて消えた。
「あの―――さっきの、そのゲートという者との話は、村に、村人に―――」
戦いの邪魔をしないように離れていたソロンが急いでナチに走り寄る。戦いの勝利を祝うことも早々に、蒼白な顔で棍棒を握りしめて答えを求めるようにナチを見た。
「小屋の中を確認しましょう。この男の部屋のテーブルの上にある皮袋、それに入っている筈です」
ナチは刀を仕舞って小屋へと歩き出した。その後に続きながらソロンが呟く。
「村人の誰かが、脅されて協力したということでしょうか………」
「おそらくは」
「………それは、……いや、しかし………」
信じ難い、信じたくないという顔でソロンは呟く。
もし本当ならば村長として、また娘を攫われた一人の父親として、許せる行為ではない。だが、盗賊達は村を完全に支配下に置いていた。何処にも逃げる場所はない。彼らに脅されたら、単なる村人がどれだけ抵抗できるというのか。
村人達はその者を許さないだろう。村の世界は狭く、村人は許可なく居住地を移動することはできない。発覚すればその者に待っているのは村人による私刑か、或いは生き延びたとしても村の共同体から排除されたその者とその家族の末路は悲惨なものとなる。
村は小さく、記憶は薄れにくい。その者の血筋が裏切り者として後ろ指を指されるのは果たして何代先までだろう。もしくは血を繋ぐことすらできないか。
その者とその家族の行く末を思うと、どうしても心が重くなる。
「この小屋、増築されているのでしょうか」
「あぁ、はい。ここは元々一つの部屋しかなかった筈です。連中は大所帯のようでしたから………」
小屋の中は汚く、臭かった。
入ってすぐの大部屋の床や壁にはあちこちに汚らしい染みがあり、奇妙な色をした泥のようなものと、腐って液化した林檎の芯がべっとりと床にこびりついている。そこに所せましと毛布と脱ぎ捨てた垢まみれの服が転がり、その上に黄ばんだカードが散らばっている。倒れたコップから流れ出た酒と床の汚れが混じり合った液体。盗賊達の寝床のようだった。
似たような部屋がもう一部屋続いて、そこを通り抜けて廊下に出た先、この小屋の中では比較的マシな一室、それがゲートの私室だった。
「テーブルの上の皮袋―――これですね」
「……まったく、良い部屋に暮らしてるもんですよ。寝台に立派なテーブルに椅子、あぁ、鏡まで! 攫った人間を売った金で………」
遣る瀬無さそうに頭を振って、ソロンは廊下の方に視線をやった。
「あの、攫われた人達は地下にいるんですよね? 私は地下室を探して―――」
「いえ、まだ止めてください」
「え―――な、何故です?」
ナチは皮袋の中身を調べていた手を止めてソロンに目を向ける。
「盗賊が壊滅したことを知ったら、彼らに協力していた村人がどのような行動に出るかわかりません。そして絶え間ない恐怖と暴力に晒されていた者達の精神状態にも不安があります。彼らを解放するのは全てが片付き、十分に彼らに注意を割くことができるようになってからの方が良いでしょう」
「つ―――つまり、村の人間が、その、襲う可能性がある、ということですか? 村人ですよ? 同じ村の……」
ソロンは呆気に取られてナチを凝視する。
「どのような行動でるかはわかりません。逃げようとするかもしれませんし、わたし達が知らないという一縷の望みにかけて沈黙を選ぶかもしれません。あるいは逃亡した後の為の金策に、地下室の人々を連れて行こうとするかもしれない」
「ま、まさか! そんなことは―――」
「ありました。これだと思います。盗賊の首領がその者に書かせた念書」
ナチは皮袋の中から一枚の紙を取り出した。ざらついた、黄ばんだ紙に黒いインクで文章が書かれている。ざっと一瞥してからナチが差し出してきたそれを、ソロンは食い入るように見つめた。
「しら……知らせる、こと。……村人が、道を不法に、……抜けること、企てた場合………」
商人のように簿記をつける必要もない農村では、聖職者以外に読み書き出来る人間はほとんどいない。村長であるソロンも、流暢に字を読めるとは言い難い。
つっかえつっかえ読み進め、そして最後にある署名の箇所でソロンの目が大きく見開かれた。
「………を、誓う。や、に………ヤニ?」
―――ヤニ。
ソロンの友人であり、この苦境にあってソロンを支え続けてくれた男の名だ。
自分が読み間違えたのか。ソロンは読み書きが得意ではないのだ。それに、名前の部分の字はぐにゃぐにゃと曲がっていて、なにが書いてあるのかわかり辛い。
ソロンが思わず視線を向けたナチは、窓辺に佇んで外を見つめている。
「あの……これは、一体どういう」
「―――来ました」
「え?」
「こちらに村の方が一人、いらっしゃいました」
「い、一体誰が!!」
ソロンは窓に駆け寄った。目を皿のようにして木々の間を見渡す。
―――果たして、そこには棍棒を持ったヤニがいた。うろうろと忙しなく背後を確認しながらこちらに向かって来る。まるでなにかに怯えているような様子だった。
「ヤ、ヤニ……」
「行きましょう」
ナチはソロンの手から黄ばんだ紙を抜き取って、部屋の出口へと歩き出す。
「ここは地下室の入口に近い。外で出迎えるべきでしょう」
ソロンとナチが大部屋を通り抜け外に出た頃には、既にヤニは空地へと足を踏み入れていた。
小屋の中から出てきた二人を見て、ぎょっと身体を強張らせた後、ヤニは笑みを浮かべようとして失敗したような顔をした。
「ぶ、無事でしたか!! さすがはソロンと貴族様、いや、私も疑っていた訳ではありませんが、予想以上ですな! 実にお見事な―――」
「ヤニ、お前どうしてここに―――」
「どうしてって、そりゃ助けに来たに決まってるだろうが!! ええ、ソロン! 他になにがあるってんだ!? おれ、俺はいつもそうだったじゃねえか! おめぇがヘマしやがって、村の蓄え根こそぎ奴らにやっちまった時だってよォ!! おめ、おめぇが、おめぇがなぁ―――」
顔を真っ赤にして早口で捲し立てるヤニ。忙しなく目をうろつかせて頬がひくひくと神経質に引き攣っている。
ソロンの知る、村でも有数の使い手で、頼りになる闊達な友人の姿はそこにはなかった。
「ヤ、ヤニ、お前は―――」
立ち竦むソロン横をすり抜けてナチがヤニの前へと進み出る。黄ばんだ紙を取り出してヤニの前に掲げて見せた。
「!!」
紙を目にしたヤニの顔が一瞬にして赤から青へと変化する。劇的な変化だった。明らかに、ヤニはその紙のことを知っていた。
ヤニは紙とソロンを見比べてよろよろと後ずさる。
「ヤニさん。あなたは盗賊に協力をしていらしたのですね」
「ち、ちが、そいつ、そいつが―――」
裏返ったヤニの声を無視して、ナチが紙を懐に仕舞う。そして袖口から苦無を取り出した。
ソロンがぎょっと目を見開く。ナチが造作もなく人を殺していく姿はソロンの脳裏に焼き付いていた。相手がヤニだからといって、彼女が躊躇う理由はない。
「なにを、まさか―――待ってください!!」
「ソロンさん。わたしは最初に言った筈です。盗賊達を皆殺しにすると」
引き攣った悲鳴を上げてヤニが後ずさった。
「ちッ、違うッ!! 俺は盗賊じゃない! 脅されてたんだ、脅されて、仕方なく情報を―――」
「―――ヤニさん。あなた、村人を殺したでしょう」
ヤニの喚き声が、ナチの静かな声音に呑み込まれるようにして掻き消えた。
ナチの前に回り込んで止めようとしていたソロンが凍りついたように動きを止める。
時間が止まったような静寂が落ちた。
言葉の意味を呑み込むのに、ソロンもヤニも少しの時間を要した。最初に我に返ったのはヤニだった。いや、より恐慌の度合いを増したというのが正しいかもしれない。とにかく、口を開くのはヤニの方が早かった。
「こ、こ、こっ殺し、殺してなんて、なんてひどい―――濡れ衣、い、いい、いくら貴族ったって―――」
「トマスさん、と仰る方なのですね。そばかすの残る、金髪の、二十になったばかりの青年。結婚を控えてらしたんですか。昔の喧嘩の傷跡が瞼に残っている」
「な―――」
「偶然遭遇した盗賊達。ヤニさんは勝てると思い戦いを挑んだ。しかしヤニさんは負け、腕を切り落とされた。そして村人達の情報を差し出すことを約束し、そして盗賊達はその証としてヤニさんにトマスさんを殺すことを求めた。共に戦い、怪我を負い、縛られているトマスさんに向かって―――」
「あああああああああ――――!!!」
ナチの声をかき消して、ヤニの絶叫が空気を震わせた。獣じみた吠え声を上げてヤニは地面に棍棒を打ち付ける。
「ヤ、ヤニ! 本当なのか、ヤニ!!」
「ちがう!! ちがう!! ちがうううううう!!!」
「―――ナチ様!!!」
ソロンは叫んだ。
―――何故あなたは。何故知っている。本当なのか。
いや、そんなことよりも。もしそれが本当なら。もし本当なら―――
ヤニ―――いや、ヤニの背後を見つめていたナチの視線がソロンへと動く。
目が合った。
その瞬間、ソロンは全てのことを忘却した。狂ったように喚くヤニも、村のことも、自分のことも、全てが消えてなくなった。目が吸い寄せられて離せない。総毛立っているのに、心の何処かがひどく静かだ。
「―――黄泉の匂いは、此処でも変わらない」
この世の果てから見つめられているような、透明な眼差しだった。恐ろしい程澄んでいるのに、底が見えない。
これは――――――人なのだろうか。
「では、そろそろ終わりにしましょう。ソロンさん、辛いようなら向こうへ行っていてください。あなたはもう十分に戦いました」
人の形をした透明な殺意がヤニへ向かって歩き出す。
「おッ、俺は、俺は、違う、違うんだ―――殺したかったんじゃ、あいつらが―――」
「―――待ってください」
ソロンは再び制止した。ナチの横を通り過ぎてヤニの前へと進み出る。けれど今度の目的は、ヤニを殺すのを止めることではなかった。
「―――私が、やります」
ソロンにとって、ヤニは友人だった。今でも、友人だった。
だからソロンは棍棒を構えた。
血と脳漿がこびり付いた棍棒を友人に向かって構えた。
「ソ、ソロン―――」
「わかりました」
意外な程ナチはあっさりと引き下がった。それに目礼してソロンはヤニへ目を向ける。
―――ヤニのこんな顔は、初めて見た。
「―――ヤニ、お前はやっちゃならないことをやった」
「っな、なにをしようって、」
―――だからなんだな、ヤニ。お前がここまで追い詰められたのは。
「村は大きな一つの家族だ。狭い土地で、家族を養っていくのも精一杯で、だからこそ助け合わなきゃあっという間にお終いになっちまう。誰かが誰かを嫌ってようが、疎もうが、家族であることに変わりはない」
―――お前が村を裏切って平気でいられるような男じゃないことは、俺が一番よく知ってる。
「だから、だからなんだってんだ、おい、ソロ」
「俺達は弱い。生きていく為の土地すら誰かに借りなきゃままならない。だからって新しい土地を開拓することもできない。他の何処かで生きていく術も持っていない。俺達は、一人じゃ生きていくことすらできないんだよ」
ヤニの表情は忙しなく変わる。ソロンの機嫌を窺うような卑屈な笑顔が、次の瞬間には威嚇するような引き攣った顔になる。冬だというのに頭から水を被ったごとく全身が汗に濡れていた。時折痙攣するように震える手が忙しなく棍棒を擦る。
ソロンとヤニの獲物は共に棍棒である。二人が棍棒を使い始めた頃、ヤニはソロンより強かった。身体も大きく豪胆なヤニに、ソロンは憧れ混じりの友情を抱いていた。
ソロンは農作業の暇を見付けては鍛練をした。一本取ると、ヤニが感心したように褒めるのが嬉しかった。
いつしかソロンはヤニよりも強くなっていた。
「そ、そうだよ。俺は弱いんだ、弱い俺が、どうしたらあいつらに刃向かうことができるんだよ。なあ、同じ農民ならわかるだろ?」
やがて大人になると、ソロンかヤニ、どちらかが次の村長となることになった。二人の力は村の中では抜きん出ていたから、誰も反対はしなかった。
ソロンはヤニが相応しいと思った。気の弱いところのある自分より、豪胆なヤニが相応しいと思ったからだ。
けれどヤニはソロンを推した。
村長に決まった夜、とっておきの酒を片手にヤニと二人で話したことをソロンは今でも覚えている。
「―――俺達は弱い。弱いからこそ、裏切られた者がどうなるか、わかっていただろう、ヤニ……! ヤニ、お前は村の仲間であることをやめちまった、越えちゃならねぇ一線を越えちまった!」
―――お前が腕を失くしたあの日から、なぁ、ヤニ、どんな気持ちで俺の前に立っていた? ヤニ、お前、棍棒なんか持って、それでどうしようってんだよ。俺を殺して、それで何処に行こうってんだよ。片腕を失くしたあの日から、お前ずっと様子がおかしかったよな。無理もないと、そう思ってたんだ。俺は、そう思ってたんだ。お前、時々俺をじっと見てたよな。ずっと、俺に言いたかったのか?
「お、俺がやらなくたって、変わらなかった! あいつらはどっちにしろ同じことをやってた!」
泡を飛ばして怒鳴るヤニ。
―――俺は気付けなかった。お前の助けを求める声に、気付いてやれなかった。
「ヤニ……お前は」
棍棒の固さが手に染みた。
息を吸い込む。
「お前が一番わかってる筈だ!!!」
ソロンは棍棒を振りかざしてヤニに殴り掛かった。頭めがけて振り下ろす。
「ッゥウアアアアアア!!」
転がるようにしてヤニが避けた。そして跳ね上がるように体勢を整え棍棒を振ってくる。ソロンは簡単に弾き返す。腰の入っていない、狙いも定まっていない、破れかぶれの一撃を防ぐことは容易かった。
明確な殺意を持って殺そうとするソロンと、破れかぶれに振り回すヤニ。
これまでソロンが相対した中で一番弱いヤニだった。片腕を失くしていた時よりも。
幾度目か、弾かれた衝撃でヤニは棍棒を取り落す。そちらに視線を奪われた瞬間、ヤニの頭蓋にソロンの棍棒がめり込んだ。
「ウオオオオオオオオ――――――!!!」
倒れたヤニにソロンは幾度も棍棒を振り下ろす。血が飛び散り、せり出した眼球が吹き飛び、ペースト状になった頭の中身が地面に染み込む。
ヤニの頭が原型をとどめなくなって、ようやくソロンは棍棒を振り上げることをやめた。
ヤニの首から上には、もうなにも残っていない。砕かれた骨と歯が血と脳漿の混じり合った液体に浮かんでいた。ぐんにゃりとした身体が力を失って横たわっている。
ヤニはソロンの友人だ。これからも、ずっと友人だった。
「ソロンさん。わたしは地下室の方々のところへと向かおうと思います。今、戦いは終わりましたから」
棍棒を握りしめて立ち尽くしていたソロンの肩が震える。倒れ伏した友人の前にずるずると座り込んだ。
「………お願いがあります」
「なんでしょうか」
「……こいつは、ヤニは、盗賊と戦って死んだことにしちゃあくれませんかね……? ヤニは、村を守って盗賊達と戦い続けたと、そう……」
「これはソロンさんの戦いでした。幕引きの権利はソロンさんにあります。ヤニさんは勇敢に戦い、村を守り、そして死んだ。―――それがここで起こったことです」
「………はい」
「わたしは地下室へ向かいます。捕らわれているのは二十四人。十五人が女性で九人が男性。おそらく人前に出るのに障りのある恰好の方々ばかりでしょうから、それを解決するまでソロンさんはここにいてください」
◇
ゲートの部屋の更に奥、廊下の突き当たりを右に曲がったところにある部屋の床に、地下室への扉はあった。元は貯蔵庫だったそこには光源もなく、扉を閉めると真っ暗になってしまう。そう広くもないそこには所狭しと檻が並べられて、その中に攫われてきた人間が詰め込まれていた。
破られて襤褸のようになった服を辛うじて纏わりつかせている者、裸のまま吊るされている者、服は着ているものの目隠しをされて手足を縛られている者。垂れ流しになった汚物と生臭い匂いが纏わりついている。
どうやら盗賊達は「商品」の状態を良好に保つことに興味がなかったらしい。
冬だというのにほぼ裸の彼らに与えられている防寒具は一つの檻につき薄い毛布が二、三枚。檻の数は四つで一つの檻に入っているのは七、八人。到底足りない。
檻は狭く、横になって眠ることもできない。どの者もひどく憔悴していた。憔悴を通り越して心を閉ざしてしまったのか、虚ろな目で宙を見据えて涎を垂らしている者もいる。
ナチが地下室に足を踏み入れると、部屋の中からかすかな悲鳴が上がった。
どんよりと濁った眼で宙を見つめている者、意識が朦朧としている者は言うまでもなく、意識がはっきりしている者も目を合わせようとせず、下を向いて震えるばかり。
彼らは怯えきっていた。
「わたしは盗賊の一味ではありません」
ナチの声に幾人かが弾かれたように顔を上げ、入口に佇むナチを見て大きく目を見開く。
その者達を確認し、ナチは部屋の状況に内心で眉を顰める。仮にも商人なら売り物には気を使えばいいものを。これでは解放したとして、生きていく気力があるかどうか。
「盗賊達は全員死にました。わたしは奴隷商人ではありませんので、皆さんを解放しようと思います」
ナチは話を聞いている様子のある、意識のはっきりした者達に向かって話しかける。
「まずはあなた方から出てください。外で身体を洗って服を着替えましょう。よろしいですか?」
「ぁ………と、盗賊達は……あ、あなたは……」
言うだけ言って吊り下げられている人間―――元の顔がわからないほど腫れ上がって変色し、あちこちに殴打の跡があるが、栄養状態は他の者達よりも良好―――を下ろし始めたナチに、十代半ば程の少年が恐る恐る掠れた声を出す。
「わたしは通りすがりです。盗賊達は近くの村の方々と協力して殺しました。まだ外に死体が転がっていますので、不安ならばどうぞ確認してください」
「ぁ……は、はい」
「声が掠れていらっしゃる。身体を洗う前に飲み物が必要ですね」
吊るされていた人間―――どうやらナチとそう変わらない年頃の少女のようだ―――は意識を失っていた。息はあるようだが状態を調べるナチにも反応を見せず、ぐったりとしてかすかな呼吸を繰り返すばかり。熱も高い。
ナチは彼女の顔をじっと見つめる。おそらく彼女はソロンの娘、エフィだ。ソロンとの血の繋がりを感じる。
彼女を壁にもたせ掛け、部屋を見回せば檻の中には水が入れられた汚らしい壺。腐ったような匂いを放つそれを飲み水として与えられていたようだ。
ナチはまず少年が入っている檻の鍵を開け、足が縛られていないのを確認して少年に出るよう促す。ナチが中に入るには檻は狭く、足の踏み場がない程に人が詰め込まれている。まずは動ける者に出てきてもらわなければならない。
少年はぎこちない動きで檻の中から出てきた。檻の中から固唾を呑んで見つめる視線が送られる中、ナチは少年の手を縛っている縄を苦無で切って、巻物からブランケットを取り出して少年に被せた。次いで壁際の女性もブランケットで包む。
「あ、あの、汚れてしまいます!」
「構いません。外に出るのにそのままでは支障がありますので」
少年が身に着けているのは腰に纏わりついている服の残骸のような襤褸布だけ。ほぼ全裸だ。ナチには全裸の少年と共に歩く趣味はないので遠慮はせずに大人しく被っていてほしい。
そんな思いを込めて微笑めば、少年は感極まったように目を潤ませた。
少年がブランケットでしっかりと身体をくるんだのを確認し、ナチは巻物から【湧水の水筒】を取り出した。透明な水色の石から削り出された水筒だ。尽きることなく清水が湧き出てくる呪具である。
ひんやりとした水をコップに注いで少年に手渡す。その足元に白い石でできたタライを置いた。タライの表面は動物の皮で覆われている。【湿らずのタライ】。ここに零された液体は吸い込まれて消える。
「口をすすいで、吐き出すのはここに」
「い、いいんでしょうか……。濡らしてしまうんじゃ」
「大丈夫です」
恐る恐る試した少年が驚いた声を漏らすのを横に、ナチは檻の中から見つめてくる者達に視線を向けた。
「歩ける方は立ってくださいますか? ………はい、ありがとうございます」
少年を入れて全部で十三人。この状況でこの数は多いのか少ないのか。身体の具合が悪いために動けないのが七人。精神に問題がありそうなのが四人。残りの二十一人も緊張の箍が緩めばどうなるか。
突発的な衝動で下手なことをしないように抑え込みつつ彼らに身なりを整えさせるのは思った以上に重労働になりそうだった。
ゲートの部屋から持ち出してきた鍵で檻の扉を開け、意識がしっかりしている者だけを解放し再び檻の鍵を閉める。荷物の中からブランケットを出して渡し、人数分のコップを出す。
出て来た者達は疲れ切った不安そうな顔をしているが、ナチの言うことを聞いてその通りに行動出来る程度には思考能力がしっかりしているようだった。それを確認して、ナチは具合の悪い者達を癒していく。
「あ、あの……」
「すぐに戻って来ますので、少しだけここで待っていてください。地上へと続く扉は開けておくので、なにかありましたら呼んでいただければ聞こえます」
癒し終わって、遠慮がちにナチの様子を観察していた檻の外の者達を振り返る。
「お水、十分に行き渡りましたか?」
「……は、はい」
最初にナチが話しかけた少年が頷く。どうやらこの中では少年がナチに対応することになったようだ。
コップを回収して巻物に収納し、水筒とタライと新しいコップを檻の中にいる者に渡して、ナチは檻の外の者達、合わせて十四人に向かって言った。
「では、身なりを整えに行きましょう」