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ハオサーク  作者: 桜前線
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盗賊と村 4

 甲高い笛の音が森の中に響き渡った。

 ここは村から街道へと続く道から森の中に外れた獣道、盗賊達がいる狩小屋への道中だ。

 後ろにはナチとソロンによって殺された盗賊達の死体が、道に沿うようにして点々と転がっている。死体には二種類ある。一息に首を掻ききられ、心臓を突かれて即死したものと、激しい殴打の後頭を叩き割られたものだ。前者はナチ、後者はソロンの手によるものである。


 ソロンはよく戦っていた。

 一人相手ならまず遅れを取らず、二人相手でも問題はない。三人なら少し厳しいか。

 ナチが軽く援護すれば数に任せて囲まれることもない。ソロンもそれがわかっているらしく、ナチから離れて一人で暴走することはなかった。戦いを生業とする者でもないのに、娘を攫われたというこの状況で、敵を前に驚異的な冷静さを保っている。

 ナチとしてはソロンが一人で突っ走るようなら気絶させて村に置いてくるつもりだったが、今のところその必要はなさそうだった。


 道から少し森へ分け入った樹木の前で、ナチとソロンは立ち止まっていた。二人の前には足を折られ、手を貫通する苦無によって木の幹に磔にされた盗賊が一人。

 血と脳漿がこびり付いた棍棒を肩に担いたソロンが唐突に響いた笛の音に森の中を見回す。


「―――なんだ……?」

「森の中に分散していた盗賊達の気配が一か所に集まっていきます。先程逃げて行った盗賊が報告したのでしょう。狩小屋の前で迎え撃つつもりのようです」


 磔にした盗賊から視線を逸らさずナチは答える。そのまま盗賊の手に突き刺さる苦無を握って傷口を抉り、絶叫を上げてのたうつ盗賊の顔を掴んで覗き込んだ。


「あなたのお仲間は、全員がこの森にいらっしゃるのですね?」


 激痛に身を捩る盗賊に答えを返す余裕はない。構わずナチは続ける。


「―――そう。あなた方の首領はゲートさんと仰るのですか。街の役人への懐柔にはあなたは関わっていないと。攫った方々は? ―――地下室。売られた方も………馴染みの奴隷商がある。それがそもそもの目的だったのですね」


 記憶を読み取っているのだ。

 このような術を行使する場合、相手の精神を乱し余計なことを考える隙を与えないのが鉄則だ。精神を集中する隙を与えると防御されてしまう。強引に記憶を覗き込むことも出来なくはないが、その場合浮かび上がってくる記憶を読み取るのではなく、相手の記憶に潜って目的の情報を探さなければならない。この盗賊の故郷やら性癖やら家族やらに興味はないのだ。よってこの盗賊は不運にも痛めつけられて殺されることになる。―――もっとも、この盗賊が意識して心を閉ざすことが出来るかどうかは怪しいものだが。


 凄惨な光景に、しかしソロンは眉一つ動かさない。ソロンの表情に浮かんでいるのは盗賊への怒りだけだ。そこにナチの所業への恐怖や嫌悪はない。

 ナチに言った通り、ソロンは盗賊達を殺し尽くす覚悟でここに来た。彼は村長として、一人の父親として為すべきことをする。―――それだけだ。


「こいつ、こいつらは、最初から村の者を攫うことが目的で………!」

「―――エフィさんはまだ狩小屋にいらっしゃるようです。知りたいことは知りました。行きましょう、ソロンさん」


 ナチは苦無を引き抜くと、盗賊の喉を掻き切った。







 厚手の革に鋼を打ち付けた籠手を嵌める。胴体は厚手の革シャツを重ね着し、靴は有り触れた革靴。

 失敗したな、とゲートは苦く顔を歪めた。

 盗賊家業を始めてからのゲートは、実力が拮抗する、もしくは実力が上の相手と戦うことはまずなかった。重要になったのはそういう連中とかち合わない為の情報収集と逃げ足だ。よってゲートは装備ではなく小役人に鼻薬を効かせる為の金品と、素早く動く為の身軽さを重視した。


 現在ゲートの手元にある装備は冒険者時代と比べ物にならない程お粗末なものだった。

 貴族の女とはどの程度の戦闘力の持ち主なのだろうか。

 性別の違いは大きい。女は戦いには向かない。どれほど魔力量が多かろうと、どれほど魔術の扱いに長けていようと、男のように身体能力を強化したり、反射速度を上げたりは出来ないのだ。それが性別の差というものである。仮にも冒険者であったゲートが遅れを取ることはないとは思う。思うが―――


「貴族ってのは得体がしれねぇ」


 魔力量も魔術への適性も桁違いだ。

 女の魔力は柔らかい。魔術に攻撃性を持たせることへの適性が致命的に欠けている。炎も水も、容易く切り裂ける程度の強度しかないだろうが、量で押されれば脅威になるかもしれない。

 さて、どうするか―――

 考えながらゲートは幅広の剣を腰に装着する。


 剣―――その武器を持っているのはこの盗賊団の中でもゲートのみだ。手下達は弓や槍、斧や鉈などを武器として使っている。

 弓や槍は猟に、斧は木々の伐採、薪割りに、鉈は雑草の刈り取りや枝打ち、動物の解体などに。全ては生活に根差した道具である。実際に手下共が持っている武器はまだ盗賊になる前に、それぞれが生活の中で使い慣れていた道具を武器としてそのまま使っているに過ぎない。


 剣は違う。剣は純粋に戦う為の武器である。それ以外には使えない。

 農村では先端の刃の部分だけ鉄製にしたような木製の農具が転がっているような世の中である。剣とは限られた人間しか持てないものであり、また剣を扱える人間は更に少ない。剣術を覚えても戦うことしか出来ないからだ。日々の生活に追われる平民には収入に結びつかない余計なことをしている時間がない。


 この世界で剣を持ち、剣術を修めるということは、戦いに生きる人間の証であった。

 故に人々は剣を恐れ、剣を畏怖する。

 剣が象徴する闘争の意志を神聖視する。

 多くの平民にとって、剣とは憎むべき権力者の象徴であると同時に、途切れることのない憧憬の対象だった。


 この剣は冒険者を辞める際にあらゆる装備を売り払ったゲートが唯一手元に残したものである。


「大丈夫だとは思うがな……」


 手下の話では貴族の女とソロンという村長はゆっくりとした速度で進んできているということだった。罠や待ち伏せを警戒しているのだろう。

 周囲の木々が間引かれている為、この狩小屋の周辺は森の中にしては見通しがいい。もうそろそろ木々の間から襲撃者の姿が見えてもおかしくはない。

 ゲートは鎧戸を開けて外を窺った。道の先へと目を凝らす。ちらちらと動く鮮やかな黒と褪せた色。


 ―――いる。


 木々の向こう、曲がりくねった獣道を歩く二人組。一人はソロン、もう一人は―――

 貴族だ、とゲートは思った。

 黒髪を靡かせた女。遠目に見ても飛び抜けて身なりがいいことがはっきりとわかる。肌も日に焼けていないようだった。手も足もすらりと伸びて美しい。野良仕事で痛めつけられたことなど一度もないだろう。女にしては背も高い。


 ―――だが、それ以上に。

 いっそ無造作な足取りで、辺りに視線を向けることすらせず悠々と歩を進める女。

 女の何処を探しても殺し合いを始めようという気迫が、緊張が見当たらない。

 これからゲート達に襲撃をかけようというのに、敵地に乗り込もうというのにだ。

 間違いなく貴族だと、ゲートはそう思った。


 ゲートはテーブルの上にある皮袋の中からガラスの瓶を取り出した。その数は三つ。

 特殊な材料と製法で作られた魔術薬だ。飲み合わせを考えると使えるのは二つ。どれも効果が低い魔術薬ばかりだが、特殊な材料と限られた者しか知らない製法と、なにより魔術によって作り出される魔術薬はこの程度のものでもひどく値が張った。


 全部でミレス銀貨五十枚。総額五千万ヴァレールである。

 筋力の増大、反射速度の増大、そして魔力操作を補助する魔術薬。

 ゲートの持つ低質の筋力と魔術操作の魔術薬は、一緒に飲むことができない。身体の中で妙な反応が起こって戦うどころではなくなってしまう。


 ゲートは少し考えて、反射速度の増大と魔術操作の補助の魔術薬を飲んだ。

 なんとも言い難い味が喉を通り抜けて行き、静かな熱が身体に広がっていく。その感覚とは裏腹に、頭の中は澄んでいく。まるで今まで霞がかかっていたのが晴れたかのようだった。続いて身体を巡る魔力がざわざわと粟立ちその存在を主張する。


 次の瞬間、ゲートはナイフを取り出し宙を突く。薄暗い室内にナイフが動かされる度に光が閃く。

 何度か動きを確かめて、ゲートはまずまずだと頷いた。

 魔力操作も、動きのキレも、最も調子がいい時を上回っている。能力を上げる魔術薬を使ったのはこれが初めてだが、なるほど値が張るだけのことはあるらしい。

 万全の態勢を整え、ゲートは部屋を歩き出た。







 貴族の女は、立ち止まることなくゲート達の待つ空地へと足を踏み入れた。その後ろに戦意を宿して険しく表情を歪ませたソロンが続く。


 待ち構えるゲート達の人数は四十一人。見張りに出ていた手下の内、戻って来なかったのが五人。朝方村へと向かったのが四人。この九人はもう殺されていると見た方がいいだろう。

 残り四十一人の内、森の中に広がっているのが三十人。狩小屋の前の空き地を囲むようにして木々の合間に潜んでいる。

 ゲートを含む残りの十一人は狩小屋前の空き地で正面から迎え撃つ恰好だ。ゲートを中心に、手下がその周りを固めている。


 とにかく数で畳み掛ける。それがゲートの選んだ戦法だ。

 おそらくあの二人の戦い方は、貴族の女が攪乱し、ソロンが前に出て肉弾戦を行うというものだろう。貴族の女も多少は戦闘の心得があるのかもしれないが、それでも女だ。反射速度に限界がある以上、一度に何人もの敵を相手にすることはできない。一人か二人は相手にできても、三人目にその隙を突かれる。ソロンも同様だ。如何に技が優れていようと、身体能力が図抜けていない限り、同時に幾人もの敵を相手取ることはできない。それが単なる村人の限界だ。

 村に行った四人はまんまと貴族の女に引っ掻き回されて各個撃破されたのだろう。見張りに立っていた連中は元々それぞれの距離が遠い。まとまって反撃する前に潰されたか。


 ゲートの戦法で戦えば幾人かは死ぬだろう。だが、それでも相手は確実に仕留められる筈。

 彼らを十分に引き寄せることができれば、逃げることが出来ない程度に引き寄せられれば、ゲートの勝利は決まったようなものだった。


 だから、敵がなんの躊躇いも見せずに空地に踏み込んできたのには少し驚いた。貴族の女はともかく、ソロンならばその程度のことは理解できるだろうと計算していたからだ。もっとも理解したところで、娘がこちらの手にある以上、逃げれば拷問するとでも脅せばソロンに選択肢はなくなる。


 人選からして貴族の女は失敗を犯していた。ソロンと来るべきではなかったのだ。

 ソロン以上に腕の立つ戦力があの村にいなかった故の選択だろうが、既に人質を取られている人間と共に攻めてくるとは、ゲート達が待ち構えるこの場所に踏み込むことの意味がわからないとは、貴族とはいえ所詮女か。


 けれど、そんな思考とは裏腹にゲートの身体は一向に緊張を解こうとしなかった。どころか、女が近付くにつれて汗が噴き出し剣の柄を握る手が強張り始める。


 貴族の女が、ゲートからほんの五歩程の距離を開けて立ち止まった。

 さらりと毛先まで手入れの行き届いた美しい黒髪が靡く。すんなりと伸びた肢体は華奢で、武芸は愚か労働の跡も見当たらない。

 身に纏うのは見慣れない装束。光沢のある純白の生地に見事な刺繍がされている。金糸、銀糸に宝石を溶かして紡いだ糸か。

 鎧は着けていない。防具らしきものもない。その豪奢な衣装には、血の跡一つ見当たらない。武器は妙な形の艶消しをされた黒のナイフ。異様に小さい。握りと刀身を合わせても広げた手から少しはみ出る程度の大きさしかない。

 年の頃は十代半ば。見慣れない顔立ちながら、異様に美しい少女だった。

 貴族の少女はゲートを真っ直ぐに見つめて口を開く。


「初めまして。唐突で申し訳ありませんが、あなた方と戦いにやって参りました」


 美しい声が淡々と戦意を告げる。気負いのない、恫喝どころか威圧する意図すら感じられない平坦な口調だった。

 だが、尋常ではない。

 気圧されたように手下共が後ろに下がる。

 闘志も、殺意もそこにはない。少女はただ単にゲート達を見つめ、そこに立っているだけだ。

 なのに彼らは気圧されていた。

 この圧倒的な存在感。凡俗とは生まれながらに異なる場所に立つ存在だけが纏うことのできる迫力。


 ―――これが、貴族だ。


 ケチな田舎領主とは似ても似つかぬ、この世界の支配者達。


「……へェ、そりゃ光栄なこって」


 掠れた声でゲートは笑った。そして剣を抜き放ち、貴族の少女に切っ先を向ける。睨み据えて、恫喝するように咆哮を上げた。

 恐れが大きければ大きい程、それが覆された時の反動は大きい。ゲートの虚勢は成功した。貴族を相手に一歩も退かぬ首領の姿に、完全に気圧されていた手下の戦意が一気に沸騰する。


「てめぇら、かかれ!!」


 ゲートの合図と共に、手下共が怒声を上げて隙だらけの恰好で佇む敵二人に飛びかかる。合計十二人。他の者は手を出さない。下手に密集すれば同士討ちとなる可能性が高い。

 手下はソロンと女を分断し連携させるなと指示を出されていた。故に彼らはソロンと女を挟み込むようにして同時に攻撃を仕掛ける。頭、胴体、背後を狙って武器を突きだす。強者との戦いは避け、弱者を嬲ることに慣れた盗賊にしてはよく統制された動きだった。

 同時に振りかざされる武器の合間に逃げ道はない。この攻撃だけで呆気なく決まるかとゲート達は思い、しかしそれは次の瞬間容易く覆される。


 なにが起こったのか、正確に把握できたのはゲートだけだっただろう。

 攻撃の瞬間、女はほんのわずかに生じた誤差を正確に把握し、一番早く届くであろう頭に振り下ろされる鉈を半歩踏み込み掴み取ったのだ。そしてそのまま奪い取り、持ち主の喉を描き切り、その勢いのまま近くの手下二人の首を跳ね飛ばし、後ろを見もせずにソロンの方へと投擲。続けざまに首を跳ね飛ばした手下達の手から斧と短剣を奪い、突きだされる槍をわずかに身体を斜めにするだけで躱しながら斧を投擲。


 回転しながら突き進む鉈は一人の首を断ち切り、なお勢いを止めずにその後ろにいたもう一人の腕と胸を引きちぎり、木の幹を抉ってその影に隠れていた手下の顔に深々と突き刺さってようやく動きを止めた。

 投げられた斧はソロンに槍を突き出そうとしていた手下の背中に命中し、つんのめった手下の手に持たれた槍は勢いのまま深々と味方の胸を穿つ。


 その間、女の持つ短剣によって仕留められたのが三人。槍と鍔ぜり合いながら唐突に力を抜いて見せ、体制を崩した槍の手下と背後から迫っていた手下を噛み合わせる。手下二人はそれぞれの武器に貫かれて崩れ落ちた。なにが起こっているのか理解できないまま向かってくる棍棒を持った手下に振り返りざまに短剣を投擲。深々と味方の短剣を額に突き刺したまま、間抜けな顔で手下は倒れた。


 曲芸のような戦い方だった。

 女の柔い魔力で斬撃を防ぐことは出来ない。

 振り下ろされる武器に向かって踏み込んで、あまつさえ相手の武器を掴み取る。一歩間違えれば腕が飛ぶ。力が及ばなければ捕らえられて周囲から迫る武器に串刺しにされるだろう。


 ―――正気じゃない。


 綱渡りをするような、曲芸のような戦い方だ。まっとうな神経の持ち主なら好き好んでやるような戦い方ではない。だが、実際に地面には手下の屍が積み上げられている。


 女の動きは決して速くない。終始ゆったりと動いていた。なのに女が一つ動くたび、まるで自分から飛び込んで行くかのように、手下の身体に武器が吸い込まれていく。

 目にも止まらぬ素早い剣戟で切り刻まれたのではない。異様な怪力で武器ごとへし折られたのでもない。

 ゆっくりと舞う女に屈強な男達が良いように倒されていくのは、予定調和の演劇でも見ているような気分にさせた。だが、これは舞台ではなく、また倒れている手下の死体から流れ出る血の生温さも臓物の臭気も嫌という程本物だ。


 ただ強いのではない。幾度も修羅場をくぐった手練れの強さだった。


 ―――この女、戦い慣れている。


 女の投げた鉈に幹を抉られた木がぎしぎしと音を立てて倒れた。

 それを引き金に手下達に動揺が広がる。


「な、なんだ!? あの女、なにしやがった!?」

「おい……なんで倒れてるんだよ!?」

「―――落ち着け、てめぇら!!」


 ゲートの一喝が森を震わせた。手下達の視線がゲートに集中する。女とソロンから視線を外さないまま、ゲートはつまらなそうに鼻を鳴らす。


「どうやらあの女はちったァ戦うことが出来るらしい。女に戦わせるたァどんな情けねェ男が仕切ってる家だか知らねえが、ともかくあの女は武器の使い方を知っている。間抜け共め、木偶の坊だと思って舐めてかかりやがったな」

「ゆ、油断したってことか……?」

「兄貴の言う通りだ! あの女は大して速くなかった。なのにあっさりやられちまいやがって!」

「クソが!!」


 手下達の間から動揺が消え、先程よりも警戒を増した顔つきで貴族の女とソロンを睨みつける。

 弱い者を嬲ることは得意でも、自分を殺せるような力を持つ相手とは戦えない。それがこの盗賊団の本質だった。貴族の女は牙を持つ狼ではなく無力な兎としなければ、ここで総崩れになる危険性があった。

 故にゲートは小娘といっていい年頃の娘の漂わせる血塗れた気配に慄きながらも、それを隠して振る舞う。


 今ので殺された手下は十三人。貴族の女が十一人、ソロンが二人。

 ソロンもソロンで腹を決めたのか、先日とは別人のような形相で容赦なく棍棒を振り下ろしていた。女が投擲する武器が脇を掠めても小揺るぎもしない。

 貴族の女の手札を晒させることなく、あっさりと殺された手下共に舌打ちしながらも、ゲートは女を殺すべく頭を回転させる。

 女は手練れだ。それも稀に見るほどの。だが、それはゲートが敗北する理由にはならない。最初から素質に恵まれている貴族とは違って、ゲートのような平民上がりは小手先の技を磨くしかないのだ。

 ゲートは再び手下達に囲むように指示を出す。


「てめぇら! 今度はヘマするんじゃねぇぞ!! 俺も援護してやらァ! ―――貴族を殺せ!!」

「ウオオォォ!」

「貴族を殺せ! 貴族を殺せ!!」

「兄貴ィ、頼みますぜ!!」


 森を揺らすような怒号と共に、手下達が女とソロンに殺到する。それを身ながらゲートは魔力を練り上げる。

 やはり造作もなく切られ、突かれ、自らの武器を、味方の武器を生やしたまま倒れていく手下達。敵味方入り混じっての乱戦も構わず矢を放つも、あっさりと躱されて味方の眼球に突き刺さる。だが、それで構わない。ゲートが攻撃を練り上げる為の時間稼ぎが出来ればいい。


 ゲートの前に浮かんだ人の背丈程もある火球に強靭な魔力が練り込まれていく。大気に溶けて行こうとする魔力を揺らぐ炎に留め、ゲートは更に魔力を込めた。圧縮された魔力を注ぎ込まれた火球は威圧感を放って渦を巻く。熱せられた大気が歪んで、冬の森に陽炎が揺らめいた。


 女を殺す為の準備は整った。ゲートは戦闘を注視し、機を窺う。

 地面に転がっている手下の数はこの短時間で既に二十を超えていた。手下共の顔に怯えの色が混ざり始めている。腰が引けた手下の中にはじりじりと後退し始めている者もいる。


 女はゲートを見もしない。その傲慢のツケはこれから支払うことになるだろう。ソロンが異様な温度の上昇に緊張の色を浮かべているが、今気付いたところでなにができる訳でもない。ゲートはソロンに憐みを込めて笑ってやった。


 ―――残念だったな、イイところまでいってたのによ。実際あんたはよくやったと思うぜ。


「お前ら、よくやった! ―――離れろ!!」


 火球が地面を抉り取りながら豪速で女へ向かう。離脱する手下共が置き土産とばかりにナイフを女へ投げつけた。女はソロンを弾き飛ばす。

 ゲートは思わず嘲りの笑みを浮かべた。自分より村人をってことか。なるほど、大した度胸と正義感の持ち主である。さすがはサルヴァトル教の信奉者。だが、それはどうしようもない失策だ。

 女はゲートを殺せるかもしれない力の持ち主だった。ソロンは違う。手下を全て殺されても、女を殺して自分が生き残ればゲートの勝利だ。女が庇ったソロンはゲートによって殺される。これだから理想という麻薬に嵌った奴はどうしようもない。


 ソロンを逃がしたことによって女は火球の直進上から逃れる機を失う。もっとも、ゲートの魔力を練り込んだ火球だ。ある程度のコントロールは可能。どちらにせよ、ゲートは女を逃すつもりなどない。

 火球が女の腕に触れた瞬間、ゲートは魔力を操り燃え盛る炎で女を呑み込んだ。


「イヤッホゥー!!」

「貴族だ、貴族の丸焼きだ!!」

「燃えてるぞォ! 貴族が燃えてる!!」


 球状になって獲物を包んだ炎の中に黒い人影を手下共が囲む。興奮に目をギラつかせた手下共が武器を手に、焼かれる女に向かって切り込んだ。

 おいおい、魔術の邪魔するんじゃねえよ。そう思いながらもゲートは好きにさせることにした。なにしろ貴族を仕留めたのだ。なにを隠そうゲートも笑みが堪え切れない。


「ぁ……あぁ………」


 愕然としたソロンを横目に、既に焼かれ死ぬのを待つだけの女と、それに嬉々として群がる手下達を眺める。女の魔力は柔い。ゲートが魔力を入念に練り込んだ炎を、あの女が消し去ることはできないし、逃れることも出来ない。既に勝負はついていた。


 ―――だから、ゲートは目に映った物を理解することが出来なかった。


 炎に突き込んだ槍がなにかに引っ張られたように奪われる。次の瞬間赤い輝きが走り、炎の近くに居た三人の手下が崩れ落ちた。尾を引くように流れていく炎。

 槍だ。炎を纏った槍が喉を掻き切ったのだ。


「え、……ぇ?」


 よろめいた手下の額に、赤く焼けた短剣が生えていた。赤く焼けた―――そうだ、炎の中から投擲されたのだ。

 手下達が一歩、二歩と炎から後ずさる。ゆらりと炎が揺らめいた。炎の中から構えられる槍。それを携えているのは――――――炎の中の黒い影。

 燃えた筈の貴族の女が、焼かれている筈の貴族が自分達を殺しにやってくる。

 そこまでが限界だった。手下達は悲鳴を上げてがむしゃらに遁走を始める。


「いッ、いやだあああぁぁぁ!!」

「死にたくねえ!! 死にたくねえよォ!!」

「ば、化け物―――」


 投げられた槍が一気に二人を突き刺す。灼熱の熱に抉られて、槍で繋がった二人の男はのた打ち回って傷を広げ、血と肉が地面に飛び散った。

 燃え盛る炎に包まれた人影は動き続ける。

 鉈で頭をかち割られ、投擲された短剣で木に磔られ、手下達は次々と屠られていく。


「馬鹿……な………」


 ゲートは動けなかった。狩小屋の前に立ち尽くしたまま、手下達が絶叫を上げながら血と内臓を地面にぶちまけて倒れていくのを目に映していた。


 あれはなんだ? 炎の中で蠢くあれはなんだ?

 敵だ、と思った。敵ならば逃げなければ。どうしたら逃げられる。逃げようとした連中は皆殺されていく。敵―――そう、あれは貴族だ。貴族の女。サルヴァトル教かぶれの。

 その時、ゲートの頭に狩小屋の地下室にいる存在が浮かんだ。―――ソロンの娘。あれはソロンと一緒に来たものだ。ならば、ソロンの娘を盾に―――


 ゲートがそう考えた瞬間、炎の中の瞳がゆらりと動いてゲートを映した。

 漆黒の瞳の中に紅の炎が禍々しく踊っている。


 ―――駄目だ。


 ゲートは理解してしまった。あいつは殺すことを躊躇ったりしない。娘を盾にすれば娘ごとゲートを殺す。ソロンが庇えばソロンも殺す。

 人質が通用するような生易しい相手ではない。

 恐怖がゲートの全身を締め上げる。

 手足の感覚が遠い。身体が氷になってしまったかのようだった。なのに全身を濡らす冷たい汗が次から次へと流れ落ちてくる。


 ―――貴族。


「に、逃げ―――」


 ゲートは萎えた足で必死に走り出した。一歩でもあれから遠ざかる為に。

 緩んだ下半身から排泄物が流れ落ちる。糞尿を垂れ流しにしてゲートは走った。

 這いずるようにして森へ分け入る。足がもつれて無様に転び、鋭く尖った下草に引っかかれて顔中に赤い線が走る。

 茂った草で足元が見えず、足を着いた先の地面がなくなり、ゲートは傾斜を転がり落ちた。


「グゥッ!! ……ハ、ハッ、ハッ、ハッ、ハァ、ハッ」


 地面に打ち付けた尻の部分のズボンに茶色い染みが広がった。傾斜にぴったりと身を寄せ、ゲートは自身の意志とは無関係に忙しなく喉を焼く、犬のように荒い呼吸を抑えようと試みる。


 ―――隠れなくては!! 静かにしていなければ見付かって―――クソ、うるせぇ、うるせぇ――――――あれ、なんでこんなに静かなんだ―――?


 森の中は静まり返っていた。自分の呼吸音が気になる程に。

 手下達の悲鳴が、殴打される音が、死体となった身体が倒れる音が聞こえない。

 生きている者の気配が消えている。

 パキリと小枝が踏まれる音がした。

 ゲートはびくりと肩を揺らした。冷や汗がどっと噴き出す。恐る恐るそちらに視線を向け、ゲートは絶句した。


「ぁ……あ、ぁ………」


 貴族の女が立っていた。ゲートの行く手を遮るように立っていた。

 炎がゆらゆらと揺れていた。今はもう、女の身体に纏わりつく程度の火力しか残っていない。だからはっきりと見えた。

 傷一つなく佇む女が。

 肌も、服も、髪の一筋すらそのままで、女はそこにいた。

 まるでそよ風に吹かれているかのように、炎で彩られた漆黒の髪が翻る。次の瞬間、炎は跡形もなく消え失せた。


「ま、待て、待ってくれ……」


 後ろは鼠返しになった傾斜。常のゲートならばともかく、今のゲートには到底登ることができない。

 傾斜の上からは血と脳漿で変色した棍棒を携えたソロンが見下ろしていた。

 茶色い染みを引き摺って後ずさりながら、ゲートは卑屈な笑みを浮かべた。


「なぁ、そう怖い顔をするなよ―――俺、俺は反省したんだ、そうだ、俺だけが悪いんじゃねえよ―――あいつが言ったんだ、差し出すって、自分から―――」

「黙れ!! お前の仲間は全員殺した。後一人、お前を殺す」


 唸るように一喝したソロンに、ゲートは引き攣ったような笑い声を上げた。


「なにがおかしい。狂ったか?」

「俺の仲間はもう全員いないんだって? そりゃ、あんたの勘違いだよ、ソロンさんよォ」

「この後に及んで嘘を、」

「嘘? 嘘だって? 考えてみろよ、村長さんよ! おかしいと思わなかったか? どうして村から出る人間を全部、全部だ、森の中を通る連中も全部、俺達が捕まえられたと思う?」


 せせら笑ったゲートの顔には追いつめられた焦燥だけではないなにかがあった。

 優越感。自分だけが知っていることがある、それを知る者特有の表情。


「お前らが見張って―――」

「見張って!? この広い広い森を? たった五十人で!?」


 カッと目を剥いたゲートは卑屈な笑いを一変させて怒鳴る。


「―――できるわきゃねぇだろうが!! 現にてめぇらは一度抜けた! 抜けて役人にちくろうとし、そして失敗した! それだけじゃねぇ!! どの家にどんな娘がいるか! 利子の取り立てをする俺達は、まるで知ってるみたいに―――」

「なにが言いたい!!」


 怒りも露わにゲートを睨め付けるソロンの顔は、しかし色を失っていく。


「―――あんただって、おかしいと思ったことがあったんじゃねぇか? もしかして―――もしかして、だ。村人の中に、自分達の身内の中に、裏切ってる奴がいるんじゃねぇかと。まるで知ってるみたいに反抗の企てを看破されて、まるで知ってるみたいに荷物の隠し場所を探し当てられて―――おかしいよなァ? 限られた人間にしか伝えてないことも合った筈だ。誰だ? 今言った全てを知っていたのは―――」

「―――もう結構です」


 ゲートの長広舌を遮ったのは澄んだ声だった。


「お、おいおい。貴族様よォ、善良な村人共を救ってやろうっつーあんたには気に喰わねぇかもしれねぇが―――」

「そうではありません。あなた、相当動揺していらっしゃるようで、読むのが非常に容易いのです。書かせた念書は私室に置いた皮袋の中にあるのですね」

「―――え?」


 ゲートは間抜けな顔で女を見上げた。

 女の言っていることが理解できない。いや、理解できたからこそ訳がわからなかった。私室の皮袋。どうしてそれを知っている。


「ど、どういう―――」

「つまり、あなたにお聞きしたいことはもうありません」


 淡々とした口調でそう言った女は、最初に見た時と寸分違わぬ歩調でゲートに歩み寄ってくる。

 後ずさろうとしたゲートは斜面にぶつかり、腰に下げた剣に足を取られて転がった。


「ま、待て、待ってくれよ……なぁ、おい―――」


 ゲートのズボンから零れた茶色の染みが地面になすりつけられていく。足腰の立たないまま這ってゲートは少しでも女から遠ざかろうとする。

 女は歩みを止めない。小枝が落ち、枯葉が散らばる森の中を足音も立てずに追ってくる。


「ふッ、ふッ、クソッ―――」


 ゲートは震える息で悪態を吐いた。

 女は足を速める様子すら見せない。ただ淡々と距離を詰めてくる。それで十分だと、そう見做しているのだ。

 ゲートは足に力を込める。萎えた足は、長広舌の間にだいぶ回復していた。ここは森。隠れる場所はいくらでもある。一度姿を見失ったら簡単には見付けることができない。


「―――ッ」


 ゲートは走り出した。後ろに敵がいることは頭から抜け落ちていた。余計なことを思考に上らせる余裕など存在しなかった。


 ―――だから、地面から現れた茶色の壁が、突如前方に立ち塞がったことに対応できなかった。


「ブギャッ!!」


 唐突に表れた土の壁に激突し、ゲートはくぐもった悲鳴を上げて転がった。鼻が折れたのか上手く呼吸が出来ない。

 地面を掻いて立ち上がろうともがくゲートに女が近付いてくる。


「ヒ、ク、グゥッ―――」


 ゲートの周りは土の壁に囲まれていた。単なる土なのに、異様に頑強で剣で突いても蹴っても欠片も崩れない。

 女の魔術? 有り得ない。女の魔力は柔らかい。有り得ない筈だった。

 女ではないのか? 女は治癒術を使っていた。女の筈だ。

 ならばこれは適性もない女の、戦闘魔術の素質が欠片もない筈の女の魔術だ。

 素質がない? これで? そうか、治癒に比べたら素質がないと、化け物じみた本来の性能に比べたら素質がないと――――――そういうことなのか。


 ―――貴族。


 生まれながらにして、支配者たることを約束された者達。


 行く手は塞がれている。背後には貴族。

 もう、逃げることは出来なかった。


「クソが……」


 ―――この世はクソでできている。クソッタレの神が創ったクソだらけの世界だ。


 ゲートはなることが出来なかった。未だ冒険者ではなかった頃、迷宮で見た”クソじゃないもの”のようにはなれなかった。

 ゲートはクソのままだった。


 震える手で、ゲートは剣を握る。

 鼻水と涙でぐっしょり湿った顔を拭うこともせず、悠然と佇む貴族を睨みつけた。

 これまでずっと、最初からずっと変わらなかった貴族の表情がここにきて初めて変わったような気がした。かすかに笑っているように見えた。


「クソが………クソッタレがよォォォオオオ!!」


 ゲートは剣を構えて貴族に突撃する。かつて冒険者ギルドで教わった剣の振るい方。強大な敵への恐怖も、憎悪も、敗北の先にある死も、今のゲートの頭にはなかった。


 ただ敵を見据えて突き進む。


 貴族が手下から奪った粗末な短剣を投げ捨てる。何処からともなくその手に奇妙な形の剣が現れた。飾り気のない、それ故に恐ろしい程研ぎ澄まされた闘志の象徴。

 上段に構え、貴族はゲートを待っている。ゲートと戦うのを待っている。


「うおおおオオオ――――!!」




 それは確かに戦いだった。両者の実力はあまりに隔絶し過ぎている。戦闘と認識することすらなく屠ることが出来る相手だ。だがしかし、それは戦いだった。ゲートが貴族と呼んだ少女は、盗賊達の虐殺が始まってから初めて戦っていた。




 何時勝負がついたのか、ゲートにはわからなかった。

 ただ、奇妙な形の、けれどとても美しい剣を振り下ろした恰好の少女と、動きを止めた自身の身体が気付いた時にはそこにあった。

 ゲートの剣が真っ二つに折れて砕ける。

 なにかを思う暇もなく、かすかな安堵だけを道連れに、ゲートの意識はそれきり途絶えた。




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