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ハオサーク  作者: 桜前線
25/25

迷宮都市コーマ 9

 カルツァ地区の一画、街中の廃棄物が集められてくるゴミ山にジシス達の姿があった。

 うず高く積まれていた廃棄物は今はどかされ、果たして何年ぶりなのか、黒い地面が顔を出している。

 ゴミ山をかき分けて確保した場所の中心には突貫でつくられた柵があり、その囲みの中には半血の魔物が人間を装って暮らしていた頃縁のあった住人達が入れられている。

 その周りを囲むのはコーマ支部より任を受けた冒険者達だ。

 彼らを指揮し半血の魔物の殺害、あるいは捕獲の任にあたるのがジシスである。


「ジシスさん、広さはこれくらいで構いませんか?」

「もう少し視界を確保しておきたい。なるべく遮蔽物を減らしておいてくれ」


 一人の冒険者が声をかけてくる。彼の階級はジシスと同じピルス・プリオルで、見た目から判断するにジシスよりも年上だ。髭を生やした顔は三十七、八かそのくらいの年頃に見える。

 だが冒険者としての経験はジシスの方が長い。

 年若い――幼いと言っていい頃から冒険者の世界に身を投じたことがその理由の一つ。そしてもう一つはジシスが実年齢よりも若く見えることが理由に挙げられる。

 ジシスの見かけは二十後半。しかし実際にはジシスが三十歳を通り越して数年経っている。


 身に宿る魔力が肉体に影響を及ぼすのはなにも貴種に限ったことではない。

 貴種ほど顕著ではないが、平民でも力をつけ、魔力の総量が上がるにつれて肉体の老化が遅くなる。同じ年月を生きても冒険者でないものより冒険者の方が肉体年齢が若い。下級の冒険者だとさして違いがわからない程度であることも多いが、中級ともなるとその差異ははっきりと表れてくる。


「半血の魔物と特に親しかった者が生き残っている聞いたんだが、どいつだ?」

「ああ、そりゃあのガキです。他の連中の話じゃ、なんでも家族ぐるみの付き合いがあったようで、兄弟同然だったとか」


 隠し切れない苦さが滲む声音でそう言って、壮年の冒険者が流し見た視線の先には一人の少年の姿があった。

 橙がかった赤毛は埃に汚れ、服は焼け焦げたような跡があり、あちこちが破れて肌が剥き出しになっていた。

 寒そうな恰好だったが、焦げ臭い匂いが混ざった寒風が剥き出しになった肌を擦っても、少年は微動だにしない。腕には血に染まった布の塊を抱えている。重ねあわされた布の隙間からちらりと髪の毛のようなものが覗いていた。


 ――彼が抱えているのは人の首だ。


「他の連中は皆死んじまったようですね。魔物腹の女も、父親も兄弟も。あのガキは母子二人っきりの生活だったらしいですが、その母親も殺されたようです」

「……そうか」


 柵の中には少なくない数の住人がいたが、少年に話しかける者はおらず、彼の周りだけぽっかりと隙間が空いている。人々が少年を見る眼差しは疑いを含んだものもあれば、同情が窺えるものもあった。

 少年に抱く感情は人それぞれのようだったが、程度の差はあれど全員に共通しているものがあった。

 それは恐怖だ。

 彼らは恐れているのだ。

 半血の魔物と親しかった少年。彼もまた、魔物に与した存在なのではないかと。


 人に紛れる半血の魔物。

 姿の見えない敵は人々の猜疑心と恐怖を際限なく掻き立てる。


 半血の魔物が過ぎ去った後、魔物が人であった頃の名残は一切合財消えてなくなる。

 家も、服も、持ち物も、そして時には人も。

 全てを洗い流し、再び人の社会を構築する為に。

 人が人を裏切って魔物に与した痕跡を、隣人として接していた者が魔物だったという記憶を残してはおけないのだ。

 人は不安の種を、疑心の芽を抱えたまま生きていけるほど強くない。


 ジシスは少年から視線を外し、冒険者達の指揮に戻る。

 ともかくジシスがやらねばならないのは半血の魔物を殺すことだ。

 物思いにふけっている暇はない。


 半血の魔物の出現を警戒しつつ待つことしばし。やがてジシスの腕につけた魔導通信機に連絡が入る。


『包囲が完了いたしました』


 いったいどういう構造になっているのか。穴一つない滑らかな黒水晶の中で透明な輝きを放っているのは恐ろしく複雑な幾何学模様を描く白金だ。

 そこから声が聞こえてくる。耳に直接流し込まれるような声だ。この声は魔導通信機の持ち主にしか聞こえない。


「住人の避難は」

『勧告した後、どいつも大慌てで逃げていきましたから、おそらくもうこの辺りに残っている奴はいないでしょう』

「よし。そのまま警戒を続けていろ」

『了解』


 通信を切ったジシスは魔導通信機に魔力を込める。黒水晶の腕輪の上に鏡のようなものが現れた。そこに表示されている数字や文字が次々と切り替わって、やがて目的の通信機と繋がった。


「ミルティアディス様。作戦を指揮するピルス・プリオル、ジシスです。配置が完了いたしました」

『ご苦労。結界に反応はない。半血の魔物はまだ包囲の中にいるだろう。私は結界を解除し、ギルドに帰還する』

「了解」


 準備は終わった。後は半血の魔物が現れるのを待つだけだ。

 冒険者達は柵を囲み、半血の魔物を待ち構える。誰ひとり無駄口は叩かず、何時襲い掛かってくるとも知れない敵を警戒する。

 冒険者という存在を初めて間近で感じたゴミ山の住人達が、その威圧感にごくりと息を呑みこむ。先程まで軽口を叩いていた冒険者達が一変して戦士の顔に変わっていた。


 最初にそれに気付いたのはジシスだった。

 柵から少し離れた場所に立ち、蟻一匹すら見逃すまいと尖らせていた彼の神経は、そのかすかな異常の前兆を漏らすことなく感じ取った。

 肌を撫でる冬の凍えた風に、ほんのわずか別種の冷気が混ざっている。

 周囲の魔力が奪われることによって感じる奇妙な肌寒さ。


 ――来た。


 ジシスが魔力を練り上げて走り出すのと同時に、轟音と共にゴミ山の一角が爆発したように四散する。巻き起こる粉塵と暴風の中で黒い影が疾走するのをジシスの目は捉えた。その黒い影はほとんど四つん這いのような恰好でこちらに向かってくる。

 ジシスは飛んでくるゴミを引き抜いた剣で切り払い、その勢いを殺さず風を纏わせ振り下ろす。


 触れたものを切り裂く見えない刃となった風が縦横無尽に暴れ回り、古びた椅子を、汚れたぬいぐるみを、あらゆるものを空間ごと切り裂いていく。


「来たぞ!」


 半血の魔物も例外ではなく、真正面から疾走してきた黒い影は散々に切り裂かれて身体中から血を噴き上げる。けれど出血の勢いはすぐに弱まり、傷口は塞がり完治した。舞い散る血飛沫の中、半血の魔物は向かってくる。

 半血の魔物は総じて異常に高い治癒力を持っている。四肢の一本でも切り落とさなければ、幾ら傷を負わせてもまるで意味がなかった。


 ――浅かったか。


 もっとも邪魔な廃棄物や粉塵を吹き飛ばすことを優先した攻撃だ。これで仕留められるとはジシスも思っていない。

 向かってくる魔物に相対し、ジシスは魔力を練り上げた。身体の血管という血管に魔力が行き渡り、肉体の力を増幅させる。撓めた魔力を孕んだ足で地面を蹴り、半血の魔物の眼前に躍り出た。剣を振り下ろす。


 蹴り砕かれた地面が弾け飛び、振り下ろした剣圧で黒い土が深々と抉られた。


 魔物は間一髪で避けていた。ジシスが目前に現れた瞬間咄嗟に飛び退いていたのだ。だが完全に躱すことは出来なかったらしい。

 胸がざっくりと切り裂かれ、肉の隙間から肋骨が覗いている。抉られた骨の欠片がぱらぱらと落ち、赤い血が流れ落ちるそばから修復が始まる。早送りでもするように肉が盛り上がり傷口は見る見る内に塞がっていった。どうやらこれもこいつには大して効果がないようだ。


 治癒力の強い個体だ、とジシスは思った。これまで殺してきた半血の魔物と比べても自己治癒力に優れている。

 だがさすがに瞬時に完治とはいかないのか、半血の魔物は足を止めてぐるぐると奇妙な唸り声を上げた。

 その顔は人とは思えない表情に歪んている。奇妙に吊り上った口。剥き出しになった歯。血に染まったどす黒い顔の中でぽっかりと見開かれた目が忙しなく動き、柵の方向とジシスとを見比べた。


 半血の魔物がなにかを求めるようにぽっかりと口を開ける。奇妙な寒さが肌の熱を奪っていく。魔力を集めているのだ。

 魔物がなにかをする隙を与えまいとジシスは火球を放った。手の平から放たれた火球は聳え立つ炎の壁となって半血の魔物を押し包む。半血の魔物は魔力を噴き上げて散らそうとし、しかし炎に込められた魔力の密度に押し負けて焼かれていく。

 だが駄目だ。半血の魔物を中心にざわりと魔力が蠢いた。ジシスが放った炎は半血の魔物に触れたそばからなにかに絡め取られたように勢いを失くしていく。


 真円に見開かれた目が炎の揺らめきの向こうから柵を見つめる。駆け出そうとした半血の魔物は、けれど急激に足を止め反射的に身を引いて仰け反った。

 次の瞬間、魔物の首があった場所をジシスの剣が切り裂いて通り過ぎていく。間一髪で感付くことが出来たものの、完全には避けきれず一拍遅れて喉笛から血が噴き出る。仰け反った勢いのまま半血の魔物は跳躍した。左右から切り込まれた剣が二本。空ぶった剣を引いて二人の冒険者が舌打ちした。


 半血の魔物の特徴として、周囲の魔力を吸収し我が物にするというものがある。これが厄介な能力で、魔術とはつまり魔力によって魔術式を織り上げることで発動する。半血の魔物は魔術を構築する魔力までも引き剥がし取り込んでしまうので、余程硬く練り上げた魔術でない限り、吸収されて消滅してしまうのだ。

 図抜けて魔術に長けた者、あるいはそれこそ貴種でもない限り、半血の魔物を魔術のみで仕留めることは難しい。


「残りの者は俺達が抜かれた場合に備えろ!」


 半血の魔物を囲む二人の冒険者とジシス。ジシスが一歩前に出て、残り二人はやや遠まきに構えている。

 背後の冒険者達に指示を出し、ジシスは魔力を身体に張り巡らせた。身体能力を強化して半血の魔物に切りかかる。

 確実に息の根を止めるのなら、剣で直接切り裂くのが一番手堅い方法だ。


 踏みしめた地面が砕かれ、土埃と血飛沫が舞う。剣戟が走って魔力がぶつかり合った。


 ジシスと二人の冒険者は順調に半血の魔物を追いつめていた。半血の魔物は動きが速く生命力も強いが、それはこの場に集まった冒険者達にとって大した脅威とはならなかった。

 冒険者のように練り上げられた術理を用いるのではなく、かといって獣のように本能に研ぎ澄まされた動きとも違う。力任せで雑な戦い方だ。

 折角の能力の利点を活かし切れていない。もしこの半血の魔物と同じ能力を持った冒険者を相手にすればこうも簡単にはいかないだろう。

 そしてもう一つ、半血の魔物の大きな特徴として理性の欠如がある。


 ――隙だらけだ。


 なにかに気を取られたように一瞬半血の魔物の注意がジシスから逸れる。それを見逃す筈もなく、ジシスが薙いだ剣がざっくりと肩口を切り裂く。怪鳥のような鳴き声が上がり、見開かれた目が再びジシスを映し出した。

 剣を持ち、殺意を露わにした者達が切りかかっているというのに、半血の魔物は度々無防備になることがあった。ジシスを意識から外してしまうのだ。まるでジシスなど存在しないかのように柵へ向かおうとしたり、ふと辺りに視線を向けて何処かへ行こうとしたりする。

 半血の魔物は理性が欠けている。理性があるのならば、殺そう切りかかってくる者達――それも自分よりも強い――の前で、こんな行動をとれる筈がない。


 冒険者二人とジシスは連携して半血の魔物を追いつめる。ジシス達には余裕がある。念の為三人であたっているものの、単独でも問題なく半血の魔物を殺すことが出来るだろう。

 腕を、足を、腹を、身体中を間断なく切り刻まれる半血の魔物。治癒能力はもう追いつかない。傷は徐々に深く大きくなっていく。傷口に更に傷を重ね、肉と骨を削り取っていく。


 展開は一方的だった。


 勘が鋭いのか致命的な一撃はなんとか避けているが、この分では遠からず腕か足が落ちるだろう。四肢の一部が欠ければこれまでと同じようには動けまい。動けなくなれば心臓を突いて首を落としてそれで終わりだ。


 魔物の全身は赤く染まり、地面は滴った血でぬかるんでいた。

 それでも魔物は向かってくる。己の不利な状況などまるで眼中にないように向かってくる。

 いつものことだ。半血の魔物はいつもそうだ。


 半血の魔物が放った炎を剣で振り払い、ジシスは風の刃を放つ。それを相殺しようと出来た隙を、冒険者の剣が容赦なく抉る。


「――デジー!!」


 誰かの叫び声がした。

 炎と風が吹き荒れる戦闘の最中、誰かが叫んでいた。


「どの面下げてここに来やがったァ!! お前は!」


 少年が叫んでいた。

 抜け殻のようだった姿が嘘のように身を乗り出して叫んでいる。柵を乗り越えようとする少年を冒険者達が抑え込む。

 引き倒され、押さえつけられながら少年はなおも叫ぶ。


「……!! 二度とおれの前に!! 現れんじゃねェよ!!」


 剣が奔る。銀色の閃光が閃く度に血が飛び散り、肉が抉られる。

 既に数えきれないほどの裂傷が走った右腕にまた一つ裂け目が刻まれる。肉片が血のぬかるみに落ちていく。

 半血の魔物は止まらない。切り刻まれる度に苦痛の声を上げ、それでもひたすら前に向かう。


「とっととどっかに行っちまえ!!」


 少年が叫んでいる。

 半血の魔物に剣を振るいながら、それをジシスは聞いていた。

 戦闘に向けられた思考の片隅にちらりと子供のことがよぎる。


 ――そういえばあの子供は半血の魔物と親しかったと言っていたか。そしてあの子供以外の半血の魔物と深い関わりを持っていた者達は全て殺されたのだと。


 だが、どれだけ叫ぼうと無駄なことだ。

 半血の魔物に言葉は通じない。

 なにを言おうと、なにをしようと、半血の魔物には届かない。そういうものなのだ。

 ジシスが殺してきた半血の魔物はどれもこれもがそうだった。


 だから、その変化にジシスは目を疑った。


 半血の魔物の動きが変わった。

 やみくもに暴れていたのが変化した。


 ――目が合った。


 これまでとは空気が違う。

 半血の魔物は今や完全に冒険者達を認識していた。柵へ向かう途中に現れる邪魔な障害物ではなく、己に殺意を向けてくる相手として認識していた。

 その場しのぎの回避行動を繰り返していたのが冒険者達の動きを先読みするようになる。馬鹿の一つ覚えのようにひたすら前へ向かっていたのが、振り上げられる剣を見て足を止め、冒険者の動きに合わせて跳ね上がるように回避する。


 そして半血の魔物は繰り広げられる斬撃の合間を縫って大きく飛び退く。

 ざわりと奇妙な寒気が増して、半血の魔物が纏う魔力が急激に高まった。血に染まった小柄な魔物を中心に炎の竜巻が渦巻く。


 ――これはまずい。


 半血の魔物の追撃に向かった冒険者二人は咄嗟に地を蹴って後退した。

 これまでとは込められた魔力の桁が違う。造作もなく打ち払える強さではない。

 半血の魔物は更に魔力を吸い上げる。炎の渦は見る見る内に二十メートルを超える高さにまで育ち、周囲の瓦礫を呑み込み巻き上げた。同時にジシスの剣先から雷の竜が迸る。


 瞬間、ゴミ山は白い閃光に埋め尽くされた。


 灼熱の竜巻が爆散し、雷を纏った赤い炎が飛び散る。人を丸のみ出来そうな大きさの竜は青白い雷光と共に獲物を求めて炎の中を突き進む。渦巻く炎が雷に散らされてその勢いを失っていく。火の玉となって落下してくるゴミがぶつかりあって火の粉と散らした。

 吹き荒れる魔力で気配が読めない。


 空間を蹂躙する炎と雷の隙間から半血の魔物を探すジシス。しかし血に染まった人型の魔物は見つからない。魔力で織られた雷の牙にも獲物の感触は伝わってこない。

 遠くから魔術で狙っているのか、それともこの隙に通り過ぎようというのか。背後の冒険者達が戦う音は聞こえてこない。接近して不意を打とうとしているのか? いや――


 焼け焦げた大地が露わになった時、半血の魔物の姿は何処にもなかった。

 ゴミ山が土煙を上げて地面へと崩れ落ちる。ぱちぱちと燻ぶる火の音。けれど生き物の気配はない。


「まさか――退いたのか?」


 不利だと悟ったのか。一旦態勢を立て直そうとしたのか。

 馬鹿な、と思わず漏れたジシスの呟きに共に戦っていた冒険者の一人が同意する。


「有り得ないでしょう。半血の魔物は間違いなくあの坊主に執心してた。言っちゃなんだが特上の獲物を前にして退くなんてことがあいつらに出来るんですかね?」


 今にも半血の魔物が物影から飛び出してくるんじゃないかと云わんばかりに辺りを見回す冒険者は、これまで幾度かジシスと共に半血の魔物の討伐にあたったことのある経験者だ。彼は半血の魔物がどんなものか経験から知っている。

 そしてジシスもそれに同意見だった。


 柵を囲んでいた冒険者達が様子のおかしいジシス達に気付いて声をかけてくる。


「ジシスさん! 魔物は――」

「仕留めちゃいない。……隠れて隙を窺っているんだろう」


 少しは頭が働くのかもしれない。

 ここは廃棄場だ。隠れる場所には事欠かない。

 気を取り直すようにジシスは冒険者達に指示を出す。


「何時かかって来てもおかしくない。気を引き締めろ」


 だが、魔力のうねりが収まり瓦礫を燃やす炎が消えても半血の魔物は現れなかった。静かになった廃棄場の何処にも半血の魔物の気配がない。

 そしてジシスの元へ一通の通信が入る。半血の魔物を逃がさないようこの一帯を封鎖していた一団からだ。


『半血の魔物が出現! 包囲を突破されました!』


 半血の魔物は逃げ去った。

 後退したのだ。半血の魔物が最も欲するものである『人の皮を被っていた頃親しかった人間』を前にして。

 握りしめた剣の柄がぎしりと軋む。煙を上げる瓦礫が散らばる中、ジシスは自問した。

 何故だ?

 最初はこうではなかった筈だ。最初、戦った感触はこれまでの半血の魔物とまったく同じだった。理性など欠片も感じられず、人間らしい感情など読み取れない。

 何時からだ? 何時からそれが変化した――?


「半血の魔物が逃げた……? 見落としてた連中が包囲の外に漏れちまったってことか?」

「ここにいる連中じゃ囮として不十分だったのかも――」

「……」


 推測を口にする冒険者達を聞きながしながら、ジシスは柵へと目を向ける。

 あの少年が叫んでからではなかったか。あの少年が叫んだから、半血の魔物は退いたのではないか。

 だがそれでは、それではまるで――


 ざわめく冒険者達の横を通り抜け、ジシスは無言で柵に歩み寄った。間近で目の当たりにした冒険者と半血の魔物の戦闘への恐怖が抜けきらず、強張った顔で身を竦める人々の間に視線を走らせる。息を荒げて座り込んでいる少年に目を留めた。

 抑え込まれて抵抗した時についたのだろう。身体のあちこちに擦り傷や打撲の跡があった。ずたずたに破れていた服は一層悲惨なことになり、もはや貧民街で見かける物乞いよりもひどい恰好になっている。

 戦闘の最中叫んでいた少年だ。半血の魔物と兄弟のように育ったという。近くで見て初めてジシスは彼が思っていたより幼かったことに気が付いた。十を二つか三つ越えた年頃だろう。こんな場所で育った割には体格がいいので十四、五にはなっていると目算していたのだ。


「お前は……」


 言いかけて、ジシスはふと口を噤んだ。なにを言いたいのか、自分でもよくわからなかった。


「あの魔物の知り合いか」


 意味のない問いかけに、少年は唸るように「そうだ」と返す。射殺しそうな眼光を宿した鳶色の目がジシスを見上げた。

 少年の背後には女の首が転がっている。おそらく彼の母親だろう。


 半血の魔物に母親を殺された少年。そして半血の魔物と兄弟のように育った少年。

 その目に浮かぶ感情がいったいなんなのか、ジシスには推し量れない。もしかしたら少年自身もわかっていないのかもしれない。


「あれはどうなるんだ」

「あれ?」

「あの魔物だ。おれの母さんとてめぇの両親、まだ小せぇ弟をぶっ殺した――魔物だ」

「半血の魔物は殺す。あるいは捕らえて処刑する」


 少年はハッと鼻で笑ってジシスを睨みつけた。


「捕らえるって? 殺そうと向かってくるあいつを? あんた達はそれが出来るのか?」

「さあな。だが半血の魔物は生命力が強い。殺そうとしても生き残ることがある。――そうすれば処刑台行きだ」


 押し黙った少年から視線を外し、ジシスは足早に歩き出した。


「どうしますか?」


 髭面の冒険者が尋ねてくる。

 ここで待つべきだ、と普段のジシスならば考えただろう。先程共に戦っていた冒険者が言った通り、また世間に広く知られている通り、半血の魔物は人として過ごしていた頃親しかった者達を殺すことに執着する。何故そんなことをするのか、なにが半血の魔物にそこまで殺意を抱かせるのか、理由は誰も知らない。

 コーマに来て冒険者になったジシスは色々と調べてみたものの、曖昧で論拠も不確かな推測ばかりが流布していて、結局確かなことはなにもわからなかった。


 だだ、事実として半血の魔物はどの個体も例外なく近しかった人間を殺す習性がある。それは間違いない。だからここにあの少年がいる限り、半血の魔物は再び襲撃してくる筈なのだ。


 だが、なにかが引っかかる。確証がある訳ではない。論理立てて説明出来る訳でもないが、なにかがジシスの口から指示を出すのを押し留める。

 結局、ジシスは己の感覚に従うことに決めた。単なる勘とはいえ侮れるものではないのだ。長く冒険者などやっていると特に。


「俺は半血の魔物を追う。お前達はここで待機しろ。まだ半血の魔物が戻ってくる可能性がある」


 ギルドに報告を入れた後、ジシスは一人駆け出した。



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