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ハオサーク  作者: 桜前線
23/25

迷宮都市コーマ 7

 布に包んだ首飾りを鍵の壊れた物入れに仕舞って再び外に出たラビスはデジーの家に向かった。

 ゴミ山の麓でしばらくデジーが来るのを待っていたものの何時まで経っても来る気配がなく、このままでは魔導車が来るのに遅れてしまうと迎えに行くことに決めたのだ。


「おい、ラビス! 今日もたんまり稼いでたなァ! おかげでこっちは商売あがったりだぜ。ちっとはわけてくれや。困った時は助け合いだろ?」

「お前とデジーがうろちょろしてっからよォ。踏み潰さねェように気を使ってるとこっちの仕事がはかどらねェのよ」


 道に置かれた長持ちに腰かけ、捨てられた樽や瓶から集めたワインを啜っている男達がラビスにちょっかいをかけてくる。彼らの目は怠惰と諦観に濁り、髪や髯は手入れもされずに伸び放題になっていた。


「おっさん達こそあんまり飲み過ぎないでくれよ。酔っぱらった奴は動きが危なっかしいんだ」


 軽くあしらったラビスに男達はげらげらと笑い声を上げる。まるでラビスが面白い冗談でも言ったかのようだ。そこに険が含まれていないのを見て取って、ラビスは軽く肩を竦めつつ通り過ぎる。

 弱みを見せれば付け込んできて強硬に出過ぎれば根に持つ面倒な隣人達だが、根っから腐り切った悪人という訳ではない。

 侮られないように力を見せて、後は本当に困っている時に少し力を貸してやれば、大体の者と上手く付き合える。

 ラビスも最初は絡まれる度にいちいち衝突していたが、それを悟ってからは上手くやっている。


「よぉ、ラビス! この前神父に冒険者になれるかどうか聞いてたんだって? どうだった!?」

「冒険者か。ラビス……遠くに行っちまうんだなぁ。おれ達のことも忘れねぇでくれよ!」

「冒険者になったらしっかり金を送ってくるんだぞー!」


 自分でなんとかしようという気概がこれっぽっちも感じられない、くたびれた格好の男達へ向かっておざなりに手を振り返しながらラビスは「ったく。そんなんだから何時まで経ってもこっから抜け出せねぇんだ」と口の中で呟いた。


 狭い小道に突き出した掘立小屋の屋根を避け、だらしなく置かれた長持ちを飛び越えデジーの家へ向かう。ほど近くまで来た時、道の隅に固まってなにやら話している女達の一団がラビスに声をかけてきた。


「ラビス! デジーの家に行くのかい?」

「そうだけど……どうかしたのか?」


 ラビスは首を傾げた。洗濯をしてきた帰りらしく絞った服の入った盥を抱えた女達が、なにか言いたそうな顔でラビスを見ている。

 女達は意味ありげに顔を見合わせてから口を開く。


「いやね、最近デジーが頑張ってるだろ? あたしらは小っちゃいのにえらい子だと思ってるんだけどさ……」

「ほら、何人か根性の悪い奴がいるだろ? あんたの父さんのことがあった時も大げさに騒いで――」

「他人の家が自分のとこより上手くやってるのが我慢ならない心の貧しい連中が――」

「大きな声で言うことじゃないけど、あそこの父親はあんまり神経の太い男じゃないから……」

「何度か絡まれてるのを見かけたけど、ありゃあ聞き流せてないね――」

「さっきもね、大きな音がしてたんだよ」


 一斉にまくし立てられた言葉に目を白黒させながらも重要な部分を拾い上げ、ラビスは酸っぱいミルクを飲んだような顔をした。


「話はわかった。ありがと! すぐ行って――」


 見てくる、と続けようとしたラビスの言葉は突如鼓膜をつんざいた叫び声にかき消された。

 心底怯えきった絶叫。命が危険に晒された人間の叫び声だ。

 ラビスは咄嗟に道の隅に身を寄せて悲鳴が聞こえる方向を窺う。

 悲鳴がぶつりと途絶え、なにかが崩れ落ちるような轟音が響く。少し遅れて灰茶色の土煙がもうもうと立ち上る。唐突に強い風が吹き、掘立小屋を軋ませる。

 ラビスは目を見張った。不自然に巻き上げられた灰茶色の土埃はぐわりぐわりとまるで意志を持っているかのようにうねっている。

 その位置はラビス達が居る場所からそう遠くない。


「な、なんだってんだい!?」

「悲鳴が――」


 殴りつけられているような風の中、洗濯物を取り落とした女達がなにか叫んでいるのが聞こえた。土埃の混じる風の中、ラビスはなんとか目を開けていようと幾度も瞬く。ゴミが入ったのか、それとも冷たい風に晒されて乾いたのか、奇妙な異物感があった。轟々と唸る風に邪魔され耳はほとんど聞こえない。悲鳴やなにかが壊されるような音が大きくなったり小さくなったりしながらわんわんと響く。

 誰かに突き飛ばされて、不意を打たれたラビスは転がった。薄っすらと開いた視界で忙しなく動く何本もの足が見え、慌てて道の隅へ戻る。


 悲鳴が途絶えたのは何故だ?

 叫んでいた奴は――


 空気が可笑しい。

 ぞろりと撫で上げられるような、奇妙な寒気がする。充分に着込んでいた筈なのに、その隙間から氷水が入り込んでくるようだった。いつもの寒さじゃない。突き刺すような冷たさが喉を通って入り込み、異様な速さで身体の奥まで侵入する。

 叩きつけるような風が一瞬緩み、ラビスはほとんど瞑っていた目をこじ開けた。眼球が痛んで涙が滲むが気に留めずに、最初に悲鳴が聞こえた方向を凝視する。


 屋根がごっそりとなくなっていた。

 まるで一つの長屋のように連なっていた掘立小屋の屋根が、ラビスから少し離れた場所からぶっつりと途切れていた。その向こうにはところどころで廃材が肉を剥がれた骨のように空に向かって突き出している。焦げ臭いような匂いも漂っていた。土埃に紛れてわからないが、何処かに火がついているのかもしれない。


「ッおい、何処に行こうとしてる!」

「悪い、どいてくれ!」


 正体不明の脅威から遠ざかろうとする人々の流れに逆らってラビスは走った。


 ――あっちは、デジーの家がある場所だ。


 道を行く者達の中にデジー達の姿を探しながら、ラビスは歯を喰いしばった。逃げ出している者達の喧噪が煩い。怒声と悲鳴が行き交い、荷物を持った親が子供を探す。これでは向かう先から人の声が聞こえてもわからない。まだ生きている人間の声がするかどうか――


 デジーの家が建つ路地に入る角を曲がると唐突に目の前が開けた。

 ひしめき合っていた掘立小屋がなくなり、代わりに瓦礫の山があった。廃材で敷いた道はめくれあがり、屋根に被せられていた布ぶすぶすと煙を上げている。残骸となった一画を炎がちろちろと舐めていた。


 悲鳴が聞こえてからそれほど時間は経っていない。その間にこれだけぐちゃぐちゃにされたのか。

 変わり果てた場所に汗を浮かべつつラビスは足を動かす。なにかに妙な感触のものに躓いた。

 下を見る。

 奇妙な形をした黒い塊があった。ぶすぶすと黒い煙を上げている。細長い長方形から長い棒が二本、短めの棒が一本伸びていて、ひょっこりと丸いものが飛び出ている。


 ――これは、人だ。


 人間が焼けて煙を上げているのだ。腕が引き千切られた人間だ。

 何処からか瓦礫が崩れるような音がした。なにかが動くような音。続けて誰かが呻くような声が聞こえる。


「デ――」


 黒い影が凄まじい勢いでラビスの横を通り過ぎて行った。

 一拍遅れて強風が襲い掛かる。散弾のように飛来した微小な木片が目に飛び込んできて、ラビスは思わず棒立ちになって目を押えた。眼球がじくじくと熱を持って突き刺されるような痛みが涙腺を刺激する。


 背後から木材がへし折れる音と布が舞う音、人の悲鳴、なにもかもいっしょくたになって地面へ崩れ落ちる音が聞こえてくる。目を開けられないまま、ラビスはじりじりと地面を手探りで後ずさった。

 音はあちこち飛んで、その度に風が運んでくる血の匂いが濃くなる。氷水に浸かったような寒さと瓦礫と人が燃える嫌な熱が混じり合ってじっとりと撫でていく。


 すぐ傍でがらがらと瓦礫が崩れる音がした。続いてなにか重たいものが湿った音を立てて座り込むラビスの前に落ちる。ぬるい飛沫が足にかかった。

 ラビスは痛む目をなんとかこじ開けた。ぼやける視界の中になにかもじゃもじゃとした塊が映りこむ。


 人の頭だ、とラビスは思った。

 そして次の瞬間、ラビスの口から声が漏れた。


「かあさん……?」


 べっとりと固まった髪の毛から覗く血の気の失せた顔は、今日の朝、頭を梳かされながら見た顔と同じ形をしていた。

 ラビスの視線が頭の周囲をうろうろと彷徨う。

 母の顔をした頭は可笑しな恰好をしていた。

 頭だけしかない。首の先にある筈の胴体が見当たらない。


 いや――あった。多分、あれだ。

 瓦礫の上に母が着ていたような服を纏った胴体があった。見覚えのある服だった。ラビスが以前うっかり破ってしまった箇所と同じ箇所が、母の服とそっくり同じやり方で補修されていた。土気色をした足がだらりと開かれ、投げ出された腕に血が伝っている。頭はない。


 黒い影が横切り、轟音と共に瓦礫の山に着地した。粉塵が舞い上がり吹き飛ばされた瓦礫が音を立てて落下する。火の粉が散って更に炎が広がった。

 ゆらゆらと揺れる炎の向こうで黒い影はなにかを咀嚼していた。ラビスに背を向ける形だ。瓦礫の影になっていてはっきりとは見えない。くちゃくちゃと湿った音がする度に、丸まった影が揺れる。


 ラビスは転がっている頭を見た。首の根元の皮膚がべろりと引き剥がされている。食いちぎられたような跡だった。

 胴体を見た。胸の真ん中から廃材が突き出していた。だらりと垂れた指はいくら見つめても動かない。

 ラビスは頭に近寄った。四つん這いのままぽっかりと宙を見つめる目と視線を合わせる。細かな瓦礫の散らばる地面に耳が擦れて、生暖かいものが流れ出す。

 視線は合わなかった。

 揺らしても、頬を触っても、視線は合わなかった。


 ラビスは頭を持ち上げた。膝に抱えて目を閉じさせる。

 少し迷って瓦礫の影に頭を置いた。上着を脱いで頭を包む。顔だけ出して首は隠した。


 ひどく身体が冷たかった。なのに腹の底で熱い塊が燃えている。奇妙に頭が冴えていた。


 ――武器が欲しい。


 周りを見回したが、ちょうどいいものは見当たらない。

 仕方なく、ラビスは折れた廃材を手に持った。握りしめると棘かなにかが手の平に突き刺さったが、特に気にはならなかった。


 瓦礫の山を凝視する。

 くちゃくちゃと耳障りな音はまだ場所を動いてはいなかった。影がゆさゆさと揺れ、なにかがべちゃりと零れて落ちる。

 炎は辺り一面に燃え広がっていた。もう悲鳴は聞こえない。途切れ途切れの呻き声だけが何処からか風に運ばれてくる。


 ラビスはゆっくりと歩き出した。

 足の下で割れた陶器が鳴る。黒い影は振り向かない。ラビスなどまるで存在しないかのように一心になにかを貪り食っている。

 瓦礫を登る。炎が足に纏わりつき、服を焦がして肌を焼く。ラビスは気にしない。

 何処か遠くで瓦礫が崩れ落ちる音がした。木が軋むような音がして、辛うじて形を保っていた掘立小屋が倒れて炎に呑み込まれる。黒い影は振り返らない。


 邪魔な瓦礫を回り込み、ラビスは黒い影の背後に立った。

 影は小さかった。

 蹲っているからよくわからないが、おそらくラビスより小さい。

 人のような姿をしている、とラビスは思った。

 髪の毛らしき束が赤黒い塊となって丸い頭にこびり付いている。

 血だ。

 影はべっとりと血に塗れた頭を赤い肉の塊に埋めていた。

 服を着て、靴を履いた肉の塊だ。

 顔はわからない。内臓がはみ出たその死体の頭は齧り取られたように欠けていた。


 ラビスは廃材を掲げて影の背中に狙いを定めた。

 魔物の中には首を刎ねても動き回る生命力を持つものもいるという。

 確実に仕留めたいのなら、心臓を潰すのが一番可能性が高い。

 何時か誰かがそんなことを言っていた。


 この魔物は人に似た形をしている。

 死体の腹をかき混ぜている手は二本。見に纏ったぼろぼろの布から突き出た足も二本。頭は首についていて、首は胴体に繋がっている。

 ならばまず、人の心臓がある場所を刺してみる。それが間違っていても構わない。なければ次の場所を抉ればいい。

 身体を全て引き裂けば、何処かに心臓が見つかるだろう。


 血生臭い熱気を裂いて廃材が突き下ろされた。

 しかし渾身の力を込めた一撃はなにも捉えることなく宙を切る。

 ラビスが気付いた時には、既に魔物は離れた場所の瓦礫に着地していた。

 四つん這いで瓦礫に掴まった魔物が唸る。

 固まった髪に覆われべっとりと血に汚れた顔の中で、剥き出しになった歯だけが異様に白く光っていた。


 ラビスは無言で廃材を構え直す。


 ――どうする。


 こいつは速い。おまけに勘も鋭いらしい。

 単純に向かっていっても勝てない。隙を作らなければ。

 頭はどうだ。知恵はあるのか。

 こいつの注意を引けるものはなにかないのか。

 行動を読める瞬間が欲しい。


 魔物を凝視したまま、ラビスは足下にある死体のことを思い出した。

 餌だ。

 こいつが食っていた餌を使うんだ。


 ラビスは魔物から視線を外さないままじりじりと死体に近付く。炎が髪を焦がしてちりちりと音を立てた。魔物は動かない。

 十分に近付いてから、ラビスは足を振り上げ死体を蹴り飛ばした。

 既にぼろぼろだった死体は衝撃に耐えきれずばらばらに千切れ、ちょうどラビスが蹴った足の部分が魔物に向かって飛んでいく。


 ラビスの狙いは当たった。

 飛ばされた餌に魔物は意地汚く喰らいついた。

 瓦礫から跳躍して空中で足をくわえて着地する。ラビスのことなど忘れたように夢中になってむさぼり始めた。蹴り飛ばされた衝撃で靴が脱げ、剥き出しになった土気色の足が揺れている。汚れが詰まった爪は黒く、足の甲に大きな傷跡があった。足を広げた蜘蛛のような、特徴的な傷跡だった。

 ラビスの目がゆっくりと見開かれた。


「――おじ、さん」


 まだデジーの兄が生きていた頃、デジーの父が見せてくれたことがあった。

 昔はちょっとした美人で知られていたデジーの母が絡まれたことがあったのだと。三対一で散々にやられたが、それでも彼女を追わせはしなかったと。

 慣れない喧嘩でやっちまったと照れくさそうに笑っていた。


 ラビスは廃材を握りしめた。ぎしりと木が軋む。

 死体を見る。破れた腹から内臓が飛び出ている。窪みに溜まった赤黒い血にぷかぷかと肉片が浮かんでいた。皮膚を突き破っているのは繊維のようなものが纏わりついた白い骨。顔はわからない。でろりとした脳が薄い桃色の液体にまみれて瓦礫の上に零れ落ちている。よく見ると眼球から飛び出した目玉が細い糸にぶら下がっていた。

 もう、彼は人ではなかった。ぼろぼろに痛んだ肉の塊だった。


 デジーの父は、ゴミ山には珍しく温和な性質を持っていた。

 小さい頃、ラビスは彼のような父が欲しかった。


 ――……ちくしょうが。


 ラビスは足を振り上げる。

 渾身の力を込めて、デジーの父だったものを蹴り飛ばした。

 それと同時に走り出す。

 魔物が血が滴る顔を上げ、ばらばらに吹き飛んだ死体に大きく口を開ける。

 四散した獲物にどれを追うべきか迷ったのか、一瞬魔物の動きが硬直する。

 そのわずかな隙を捉え、ラビスは廃材を振り抜いた。


「ッ!」


 紙袋から空気が抜けるような音を立てて、魔物の頭が仰け反る。

 打撃に耐えきれず廃材が折れ、尖った切っ先に魔物が身に着けている服らしき襤褸切れが引っかかって裂ける。

 ラビスは舌打ちした。

 再び武器を探している余裕はない。

 一度上手くいった策が二度目も利くとは限らない。


 殴りつけた勢いのまま、ラビスは廃材を投げ捨て魔物に飛び掛かった。

 武器がなくたって構わない。

 こいつの皮を爪で抉って、こいつの心臓を食い千切ってやればいい。


 赤黒く固まった魔物の髪を掴む。引き摺り倒そうとしたところで魔物に腕を掴まれた。小さな手からは想像も出来ない凄まじい力だ。

 振り払おうとしてもぴくりともしない。力を入れているようには見えないのに、まるで鉄の輪に固定されているかのようだった。

 ラビスは歯を食い縛った。思い切り背中を反らして、勢いよく魔物に頭突きする。


「――!」


 薄気味悪い鳴き声を上げて魔物は身を捩った。

 ところが魔物の手は緩まない。それどころか一層力を増してラビスの腕に喰い込む。

 ラビスは舌打ちをして、しかしすぐに考え直した。


 こいつがおれから離れないってんなら好都合だ。

 間抜けに晒してるはらわたをこのまま食い千切ってやる。


「らぁ……び、す……」


 デジーの声が聞こえた。

 ぜいぜいと、喘鳴混じりの小さな声。

 来るなと言いかけて、ラビスの喉が凍りつく。

 今、この声は何処から聞こえた?

 小さな声だった。

 瓦礫が燃える音に簡単にかき消されてしまうくらい、小さな声だった。

 まるで、すぐ近くで囁かれたような、まるで、すぐ目の前で囁かれたような――


「ラビ……す……」


 血に濡れた口が動いた。

 人を、デジーの父を貪り食っていた口が。

 デジーの声で、ラビスを呼んだ。


「こッ、の、魔物が――デジーになにしやがった!!」


 一瞬、次の攻撃も防御のこともラビスの頭から吹き飛んだ。

 掴まれた腕を支えに足を振り上げ蹴り付ける。

 がむしゃらな捨て身の一撃は魔物を捉え、その身体をはね飛ばす。

 反動で瓦礫に転がったラビスは跳ね起きようとして、足を掴まれ引き摺り倒された。

 凄まじい力で引き寄せられ、なにかが身体の上に乗ってくる。


「グゥッ!」


 炎の熱で目を開けていられない。

 腹を圧迫されつつラビスは振り落とそうと拳を振り回す。

 三度手応えを感じたところで再び腕が掴まれた。

 生臭い息が顔に当たる。

 なにかがラビスの顔を覗き込んでいる。


「ラビス……」


 デジーの声だ、とラビスは思った。

 ちりちりと髪が焦げる熱の中、ラビスは瞼をこじ開けた。

 滲んだ視界の中、目が見えた。

 くりくりとした目がラビスを見ている。

 デジーの目だ、とラビスは思った。

 覗き込んでくる顔をよく見る。

 血で汚れていてわかりにくいが、顔中に散ったそばかすとふっくらした頬。空を向いた鼻先に丸い目。

 デジーだった。

 無事だったのか、と最初に思った。

 次に血塗れの頭が気になった。


「怪我、したのか……?」


 そう尋ねる。自分の拳が当たってしまったのだろうか。炎の熱さにからからに渇いて、掠れた声しか出なかった。

 どいてくれ、とラビスが言う前に空を向いた鼻の下にある大き目の口が動く。


「ラビス、おいしかったよ」

「……デジー? なに言ってんだよ、早くどいてくれ。背中が燃えて……」


 くりくりした目が弓なりに細まる。


「炎で燃やすの。それを囲んでおいしいもの、食べるんだよ」

「デジー……?」


 明晰な口調でデジーは言う。

 口調におかしいところはない。目もはっきりとラビスを見つめている。

 けれどそれがおかしい。

 ラビスに馬乗りになったまま動かないのも、ラビスの苦痛を訴える言葉に耳を貸さずに嬉しそうに話し続けるのも、ラビスが肩を押さえつけるデジーの手を跳ね除けられないのも。


 全てがおかしい。


 ――魔物は何処へ行った?


「っデジー、今すぐ逃げるんだ! この近くに魔物がいる……!」


 自身の迂闊さに歯を喰いしばり、ラビスは矢継ぎ早に続ける。


「いいか、よく聞け。ここから離れたら走るんだ。絶対に戻らずに大通りに向かって走るんだ。そんで誰かに魔物が出たと伝えろ。それを信じて冒険者ギルドに伝えてくれるようならギルドへ行け。信じちゃくれねェんなら地下の水路に潜り込め。騒ぎが収まるまで絶対に出てくるな。とうさんやかあさんを探そうとするな。おれを探しにも来る――」

「ラビス、また食べたいね」

「頼むデジー! 聞いて――」


 大き目の口がぱっくりと開く。

 横一杯に引き裂かれたような口から、欠けた歯が覗いている。

 口の中が赤い。赤い液体に濡れている。鉄錆の匂いがする。歯に引っかかっているのはなんだろう。黄色っぽいものが付いた桃色と肌色の小さな欠片。柔らかそうで、まるで肉片のような。

 焦りに押し込まれていた違和感が再び首をもたげる。


「……デジー?」


 ラビスは視線を下に動かした。

 服がぼろぼろだ。

 襤褸切れのような、黒ずんだ、血の染み込んだ服の残骸が少女の細い身体に纏わりついている。

 腹の部分は無理矢理引き裂かれたように千切れている。その鉤裂きに細かな木片が絡まっていた。

 魔物を廃材で殴りつけたあの時、折れた廃材が引っ掛けた布地がちょうどこんな風になっていた、とラビスは思った。


 欠けた歯が見える。

 真っ赤な口が裂けるように開く。

 血に固まった髪の隙間から覗くのは真円に見開かれた眼球。

 見慣れている筈のヘーゼルの瞳。

 首が痛んだ。

 息が苦しい。

 締め上げられている。

 小さな手が、ラビスの首を締め上げている。

 よく見知った幼い少女の顔が、まったく知らない表情に歪んでいた。


 ――ああ、そうか。


 笑っているのだ。


 炎が舐める瓦礫の上、デジーの父の死体に囲まれて、ラビスはデジーに首を絞められていた。




 そこから少し離れた場所、ラビスの視界の外で異変が起こった。

 瓦礫を舐める炎が見えないなにかに圧迫されたように圧し潰される。一拍おいて、唐突に現れた三つの人影が纏う魔力に吹き払われ、炎は完全に掻き消される。

 

 男が二人。少女が一人。

 華やかな迷宮都市の影、忘れ去られた住人達の住処に、この世界の支配者達が佇んでいた。



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