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ハオサーク  作者: 桜前線
20/25

迷宮都市コーマ 4

 ハオサークでは女の性を持つ者が政に参加することはまずない。

 ハオサークで国家を維持する為には第一に軍事力が必要となる。

 支配者に被支配者がまず求めるのは「自身と自身の共同体を魔物から守る軍事力」だ。

 そしてここは個人が群を圧倒する世界。

 人の上に立つ者は強くなければならない。

 国家の格はその国の君主の力を見よ、という格言もある程だ。

 国家を支配するということは、魔物との戦争の指揮を執ることでもある。

 ハオサークでは指揮官もまた戦列に並ばねばならない。そうでなくては誰も従わない。

 故に女は政の世界に入ることが出来ない。


 だが、女の性を持つ者が蔑ろにされているのかというと少し違う。

 男と女では役割が違う。

 男は戦い、女は生み出す。

 男は女を守り、女は男を支える。

 その傾向は階級が上がるほど、つまり性差による能力差がはっきりと表れるようになるほど強くなる。

 戦士たる男にとって戦闘力を持たない女は庇護の対象だ。騎士道精神にも似た女性崇拝がそこには存在する。

 もっともその庇護は女性としての力を持った淑女にのみ向けられるものではあったが。


 今回訪れたのが那智一人だったのなら、コーマ支部は異国の淑女を庇護対象として迎え入れる準備をするだけで良かった。

 正体も目的も不明瞭な異国の貴種に対してある程度の警戒はあるものの、その度合いは男であった場合と比べて格段に緩い。

 能力値の高い異国の貴種の少女。異国の資源を生み出す者。

 取り込めれば益は大きく、危険性は低い存在である。


 一方能力値の高い異国の貴種の男とは、すなわち異国の強力な軍事力だ。

 他国の軍団を鼻先に突きつけられて呑気に構えていられる筈がない。

 貴種の男二人が少女に同行していることを知ったコーマ支部は、帝国の軍事力として即座に厳戒態勢をとった。

 敵かどうかはわからない。目的も不明だ。

 コーマ支部は見極めなくてはならないのだ。

 彼らは果たして帝国の敵か否か。

 彼らは果たして帝国になにをもたらすのか。




「配置が完了いたしました」

「よし。彼らは今何処に?」


 陣頭指揮に当たるのはコーマ支部長、エルレウス・ヴァドゥム・ゼノヴィアスだ。

 柔らかく跳ねる焦げ茶色の巻き毛、コーマを抱くカラトス川のような青い瞳を持ったゼノヴィアス一門の傍流。


「三の壁を越えたところにございます」

「サフィルス様は間に合わぬか」


 彼が待つのはゼノヴィアス家の嫡流、サフィルス・レイヴァーノ・ゼノヴィアス。コザーニ方面本部長である。那智の捜索に夜を徹してあたっていた彼は現在飛行能力のある魔道具を駆りコーマに急行している。


「人数は!?」

「女性が一人、男性が二人」

「何処の国の出身だ!?」

「なにもわからないと――」


 迷宮都市コーマに滞在する貴種の中でも選りすぐり戦士達がエルレウスの下に集う一方、コーマ支部に所属するギルド員もまたやって来る者達の対応に追われていた。

 未知の国の出身であるということは、つまりどのような礼儀でもって接するのが正しいのかわからないということだ。

 文化も礼儀作法も違う異国の貴人を持て成す。

 頭の痛い問題である。


 表面上は冷静さを取り繕いながらも水面下に緊張を孕みつつ、コーマ支部は異国の貴種を迎える用意を整える。


 そしてコーマ支部の扉は開かれた。




 磨き抜かれた黒大理石の床に銀灰色の模様が走っている。石材に浮かび上がったそれは一見野放図なように見えて精巧な幾何学模様を作り出していた。

 広々としたエントランスホールには柔らかそうな椅子が幾つも並べられ、洗練された意匠のテーブルの上にはガラス細工の灰皿が置かれている。天井にはカレンデュラの花を模したシャンデリア。眩い光に透き通る橙の水晶の花弁が美しい。


 エントランスホールには剣で武装した身体つきのいい冒険者が何人かいるものの、広さからするとひどく閑散とした印象を受ける。

 その幾人かの冒険者も入ってきた三人を一瞥しただけで、後は興味を失ったように視線を外す。意識は沙伊達に向けられているが、それをあからさまに表に出すようなことはしない。


 格式高いホールの中央で三人を迎えたのはコーマ支部長エルレウスだ。

 腰に剣を下げ鍛え上げられた見事な体躯を独特の形をした服に包んでいる。背に翻るのはゼノヴィアス家の紋章が刺繍された藤色のマント。エルレウスの背後にずらりと控えるのは同じくマントを羽織った貴種達。


 彼らはちょうど扉の正面に待ち構えていた。

 高貴なる血統を受け継ぐ者達。

 それに相応しい力を持った眼差しが一斉に沙伊達に注がれる。

 凡百の匹夫には決して纏うことの出来ない、生まれながらにして選ばれた者だけが持つことの出来る独特の迫力。


 沙伊を先頭に、三人はゆっくりと歩を進める。

 大理石を踏みしめる足取りは軽く、足音はほとんど聞こえない。

 椅子に座る者もいれば、受付にはギルド員もいる。人がいない訳ではないのにホールには奇妙な静けさが満ちていた。

 誰もが自分の仕事に集中しているように装って、その実異国と自国の貴種達の対峙を固唾を呑んで見つめていた。


 エルレウス達から少し離れた場所――互いが腰に下げている武器の間合いの外で沙伊は立ち止まった。

 顔を覆うフードを上げる。

 漆黒の髪が鮮やかに揺れ、神の血を引く美しい容貌が露わになる。

 悠久の昔より黄泉と現世の狭間での戦いを率いてきた黄泉司、その血を引く人の形をした剣。底知れない深さを湛えた漆黒の瞳が貴種達を見返す。


 先に口を開いたのはエルレウスだった。

 彼はゆっくりと三人を見回し、そして沙伊と視線を合わせる。


「ようこそ異国の客人。私は総長よりコーマ支部を預かるエルレウス・ヴァドゥム・ゼノヴィアスだ」

「私の名は鬼灯沙伊。海原の一門が鬼灯の一員」


 沙伊はエルレウスから視線を外さないままさらりと虚偽の関係を告げる。


「後ろにいるのが弟の紅、妹の那智だ」


 彼らはウルクラート帝国にとって国交もなければ聞いたこともない、未知の国から訪れた異邦者だ。ウルクラート帝国内での沙伊達の序列は未だ定まっていない。

 エルレウス、沙伊。向かい合う両者共傲然とした態度は崩さず、しかし決定的に無礼な振る舞いは行わない。隙あらば相手を呑みこもうとする鍔競り合うような挨拶を交わした後、沙伊達は貴賓室へと案内された。

 外に面した壁には大きな窓がくり抜かれており、そこから湖を望むことが出来る。深い山奥のような静謐な気配に満たされた部屋だ。


「私の知る限り、昨日の時点でこの帝国に訪れていたのは、さて、淑女が一人ということだったが」


 寛いだ様子で椅子に座るエルレウスがゆったりと沙伊と紅に視線を向ける。


「何時来られたのかな?」

「何処ぞへと消えた妹を追ってな、昨夜ようやく追いつくことが出来た」


 壁際には斧とカレンデュラの紋章が入った旗がかかげられている。楕円形のガラス窓からは日差しが降り注ぎ、何処からか水の流れる音が響いていた。


「それは重畳。か弱き妹御が遠い異国に飛ばされたとあってはさぞ心休まらぬことだっただろう。そこが見ず知らずの国ならば、尚の事」

「なに、心根の善い者達に巡り合ったようでな。つつがなく過ごしていたようだ」

「ほう、それはクレタス・マティ村の者達のことか?」


 エルレウスは那智に目を向ける。


「不運にもたった一人で異郷に落とされたという淑女の不運。それをみすみす見過ごすことは戦士の名折れ」


 エルレウスは穏やかな微笑みを浮かべる。対等な舞台に上る相手ではないと見做しているからこその柔らかな態度。エルレウスと沙伊が対峙するこの場において那智は蚊帳の外なのだ。少なくとも、エルレウス達にとってみれば。


「あなたの勇敢さ、そして献身に称賛を」


 椅子から立ち上がり、エルレウスは那智へと歩み寄る。


「――お手を取ることを許してくださるか?」


 那智は少し考えるような素振りを見せ、立ち上がった。跪いたエルレウスに一歩近づく。


「物を知らぬ故、知らずご無礼を働くことがあるやもしれませんが、どうか無知な小娘のすることと寛大なお心でお許しください。手を取る、とはこのようにすればよろしいのでしょうか」


 エルレウスは異国の少女が差し出した手をそっと掬い上げ、恭しく頭を下げた。少女はエルレウスにされるがままになっている。

 作法を知らぬな、とエルレウスは思った。動きの一つ一つは見事な優雅さを備えている。なんらかの礼儀作法が身に染み込んだ人間の動きだ。だがウルクラート帝国を含む文明圏の――つまり冒険者ギルドが存在する文化圏の淑女ならば当然知る筈の作法を知らない。


「あなたに一つ贈り物が」

「まあ、なんでしょう?」


 エルレウスは悪戯めかした笑みを浮かべた。やや垂れ気味の甘い目許がより一層甘さを増す。


「扉の外に用意してあります。――よろしいか?」

「構わない」


 問いかけられた沙伊は承諾を示し、エルレウスが扉に向かって声をかけた。

 そして重厚な扉が音もなく開き、一人の少女が現れる。

 彼女は彼らに促され、おずおずと賓客室に足を踏み入れた。その両脇には帯剣したギルド員。

 少女の日に焼けた顔は緊張に強張っていた。指の爪の形は歪み、小さな傷跡が手にも足にもたくさんあった。真新しい靴を履いた足が毛足の長い柔らかな絨毯をおっかなびっくり踏みしめ、足を取られて転びそうになる。

 明らかにこういった場所に慣れていないようだった。


「他の二人もまた、最寄の冒険者ギルドにて保護させています。冒険者ギルドは最も精強なる戦士達が集う場所、無事故郷に帰りつくまで娘達の身の安全は我らが保障しましょう」


 少女は那智に対して平伏する。純白の魔導車に乗せられていた村娘だ。那智が買い戻すことをギルドに依頼した奴隷の娘。


「お気に召していただけたかな?」

「確かに私が依頼を出した娘のようです」


 那智は平伏する村娘に目をやった。


「そなたの故郷の者達には世話になりました。もうあの村にそなたを攫った盗賊はおりません。村へ帰り、ゆっくりお休みなさい」


 歩み寄ることもせず、貴人然とした態度でそれだけ言って村娘から視線を外す。後はなにか、とエルレウスに疑問を含んだ眼差しを向けた。


「もうよろしいのですか? なにかご用がお有りなのでは?」

「いいえ、ございませんが……」


 エルレウスは不思議そうな顔を見せる異国の少女を見つめた。

 村娘に対する過剰なまでの施し。なにか理由でもあるのかも知れぬと引き合わせ、「我々は三人の娘を手中に収めている」と言外にほのめかす言葉を聞いても少女はこれといった反応を見せない。

 演技か本心かはわからないが、この少女からこれ以上読み取れることはなさそうだ。なかなか弁えた娘である。

 那智から反応を引き出せない以上、村娘に用はない。村娘を退出させ、エルレウスは那智をエスコートして椅子に座らせた。


「ナチどのがあの娘の村に惜しみなく施しをされたこと、私も聞いています。寄る辺ない異国の地に迷い込んだというのに、そのように寛大な振る舞いが出来るとは素晴らしい。そのお心の配りようから見て、さぞ攫われた娘のことを気になさっているのだろうと招いたのですが……余計なことをしてしまったかな?」

「とんでもございません。そのように細やかなお心遣いをいただき、感動しております」


 ですが……、と控え目に那智は首を傾げる。


「私のしたことは、それほどに取沙汰されるようなことなのでしょうか?」

「と言うと?」

「領主の方の領分を侵してしまったり、あるいはこの国では相応しくない振る舞いをしてしまったのではないかと……」


 語尾を落として言葉を濁す那智に、エルレウスは安心させるような笑みを浮かべた。


「そのようなことはありません。何故そう思われたのです?」

「ギルドで私に対応した者も、なにやら煮え切らない様子だったのです」

「おそらくその者は、ナチどのがあまりに惜しみなく村娘に振る舞うので驚いたのでしょう」

「過分であったということでしょうか?」

「確かに、村娘に対する振る舞いとしてはあまり聞く話ではありません」


 あまりというか、全く聞かない珍事である。夏に雪が降るようなものだ。故にエルレウス達はなにかあるのかと勘ぐってわざわざ探っている訳だが……。


「そうだったのですか……。なにぶん私はこちらの金銭についてよくわからないのです。確か金貨五千枚程だったと思いますが、それは大きなお金なのでしょうか?」

「金貨五千枚といえば――世の大半の者にとっては大金です。それは冒険者であっても変わらない。……なるほど、金銭の価値が掴みにくいと」


 言われてみればそう不自然なことではない。

 この世界では冒険者ギルドが発行するミレス硬貨が共通の通貨として広く行き渡っている為、為替の差や通貨の価値についていちいち考える機会が少ない。何処に行ってもミレス硬貨が通用するからだ。

 だがミレス通貨を見たこともない、冒険者ギルドが存在しない国からやって来たならば、見知らぬ通貨の価値がわからなくとも不思議ではない。

 もっとも、そう考える場合「冒険者ギルドの存在すら知らない(ある程度の力を持つであろう)国」があることを認めることとなるが。


「恥ずかしながら、私は自分で物を買ったこともなかったのです。人から色々と聞きはしたものの、よくわからなくて……。一年過ごすのに銀貨一枚あれば充分だという話もあれば、一月過ごすのに最低でも金貨三百枚は必要だという話もあり――」

「異国の方にはわからぬのが当然というもの。ご心配なく、ナチどの。必要ならば財を管理する者を雇い入れればよいのです」

「はい。お気遣いありがとうございます、エルレウス様」


 素直に頷く那智に微笑みを返しつつ、エルレウスは思考を巡らせる。

 村娘と異国の少女、どちらも互いに面識はないようだった。貴種である少女はともかく、村娘にエルレウスの目を誤魔化せるような腹芸が出来るとは考えにくい。

 クレタス・マティ村、タオスの街――調査の結果が出るまではっきりとしたことは言えないが、こちらの深読みだったか。


「さて――ナチどのは冒険者ギルドを知らぬ、ミレス硬貨を知らぬとのことだが、そなたはどうなのかな、サイどの」


 言うと同時にエルレウスの纏う雰囲気が一変した。那智に見せていた柔らかな微笑みはなりを潜め、貫くような眼差しが沙伊に向けられる。


「南の端から北の端、西の果てから東の果て――人が越えることが出来ぬ領域よりこちら側、国という国に根を下ろす冒険者ギルドを、かつて世界に覇を唱えた大帝国の遺産を――知らぬのかな?」


 ――我らは知っている。貴様らのような者達が治める国など黄金と白銀の地図には存在しない。


「そなたは既に答えを出しているだろう。重ねて問うか?」

「ああ、問う」

「賢明なことだ」


 唇を笑みの形に歪め、沙伊は答えを告げる。


「知らぬな。我らは冒険者ギルドなる組織を知らぬ」

「ウルクラート帝国は」

「知らぬ」

「ローラス帝国は」

「知らぬ」

「冒険者は」

「似た言葉は聞くがな。戦士ではない。そんなものは我らが知る世界には存在しない」


 水の流れる音が響いていた。

 エルレウスも背後に控える貴種達も、誰もなにも言わない。

 しばらくしてエルレウスが息を吐いた。背もたれにもたれ目を伏せる。


「――そなたらはいったい何処から来た?」

「海原より」

「海原?」

「そうだ。『海』を越えてやって来た」

「海……」

「揺蕩う場所だ。全てが還ってゆく――母のたなごころ」


 エルレウスは掬い上げるようにして沙伊を見つめた。

 数少ない帰還者も、その証言はあやふやで統一性がなく、夢想のようなことばかり。

 魔物のいない地、黄金で出来た地、老いも死も存在しない常世の国。

 あるいは血の河が流れ骸の大地に骨の樹木が立ち並ぶ魔界。

 数多の豪傑達がその果てを見んと挑み、そして終ぞ帰還することはなかった――海。


「海を……越えた?」

「私も越えるとは思っていなかったが」

「どのようにして越えた?」

「那智を追ったら越えていた」


 はぐらかされているのか、とエルレウスは思い、しかしすぐにそれを否定する。そういった気配は感じない。装っているという訳でもなさそうだ。


「……転移したということか?」

「転移――まあ、転移と言えば転移だろうな。向かう場所もわからずに渡ることを転移と言えるのならば、だが」

「ほう、通常ならば明確に目的地に向かって瞬時に移動すると」

「その通りだ」

「三人共が?」

「我らにとって転移の術は珍しいものではない。もっとも――」


 沙伊は言葉を切る。底知れない漆黒の瞳が貴種達を射竦めた。


「そなたらにとっては違うようだな」

「……その通りだ」


 確信を込めた沙伊の言葉にエルレウスはやや間を置いて肯定を返す。少し急ぎ過ぎたか。どの道少し調べればすぐにわかる常識だが、競り合いの場で読まれては面白い筈もない。


「して、その転移を行使する者達が何故未だにこの地に留まっている? この地になにか用でもあるのか……?」


 カラトスを映す青い瞳が苛烈な光を宿して鋭く細められる。それをいなすように沙伊はゆるりと瞬いた。


「妹がこちらに渡ってきたのは事故のようなもの。そして我らはその妹の居場所を辿り転移した。もとよりこの地を目的として渡った訳ではない。――転移といっても海を越えるのは勝手が違うようでな。故郷へ向かう道が見付からぬ」

「道?」

「そうだ。果てしなく続く海を渡るには導が必要だ。だが、それがない」

「帰り方がわからぬと」

「然り」


 故郷から断絶され、異国に放り出されたというのに、沙伊の様子からはほとんどなんの感慨も感じ取れない。ひどく淡々とした態度だった。


「何故コーマへ訪れたのだ?」

「帰還の方法を確立する為だ」

「コーマにその知識があると?」

「いや。この都市の中央、最も高い壁の中にそれがあると考えている」


 貴種達の纏う気配が否応なく鋭さを増す。

 最も高い壁の中――そこにあるのは迷宮の入口。

 魔物から採取される素材は魔道具文明であるハオサークにおいて重要な資源だ。迷宮とは魔物が湧き出す地獄の釜であると同時に欠かせない資源でもある。自国の迷宮には、基本的に自国の冒険者しか入らせない。そして迷宮の管理は代々その迷宮都市の結界を構築する貴種の一族の責務だ。


「壁の中、か。これは可笑しなことを言う。海の果てからやって来たのではなかったか?」

「我らが越えた海と壁の中の奥深くに存在する――力の巡りがひどく似ている」

「力の巡り?」

「そうだ。聞くが、あの壁の奥にはなにがある?」

「魔物が湧き出る地獄の釜だ」

「なるほど、ますます似ている」


 沙伊は笑みを深め、対してエルレウスは鋭い眼差しを崩さない。沙伊はエルレウスの瞳を覗き込むようにして手を組んだ。


「そなたらは何処まで進むことが出来る?」

「なんだと……?」

「壁の奥だ。あの壁の奥のそのまた奥、現し世から一歩一歩離れ人ならざる者の世界へと、そなたらはどれ程踏み込むことが出来る?」


 鋭い光を宿す青い瞳と、笑みを湛えた漆黒の瞳がぶつかり合う。

 エルレウスはくつりと唇を歪めた。獰猛な笑みが甘い目許を苛烈に彩る。


「……随分と行儀のよいことだ。転移で入り込むことを試みもせず、我らの許可を得ようとは」

「我らとて礼儀という言葉は知っている。断りもなく他国の貴人に礼を失したことはせぬ」

「ほう、土足で他国に踏み込んできた者にしては殊勝な物言いだ」


 エルレウスは那智に渡したアウロラ・カードの顛末を知っている。

 エルレウス、沙伊。両者の浮かべた笑みが深まる。

 何時の間にか水の流れる音は止んでいた。二人の放つ不可視の力が空間を震わせ、音をかき消し沈黙でもって抑え込む。


「――それとも、なにか他の理由があるのかな? 生身の人間に海を渡らせる程の魔術だ、制御が出来なくとも可笑しくはない。いや、生身の人間に空間を渡らせること事態、ひどく難しい魔術であることは想像に難くない」

「想像? 術を行使出来ぬ者が――どうした、那智?」


 突然言葉を切って那智の方を向く沙伊に虚を突かれた形となったエルレウス。せめぎ合っていた力が空かされ、部屋に満ちていた威圧感が掻き消える。

 エルレウスとの駆け引きを唐突に投げ捨てて『妹』に注意を払うという沙伊の行動。

 『兄』と貴種のやり取りを中断させるという那智の行動。

 これは――


 ――仕掛けて来たか。だが、このような切り口からどう来る?


 大きく身体を捻って何処かをじっと見つめていた那智は、エルレウス達の視線に気付くと「ご無礼を」と口元を押さえた。


「ごめんなさい、お邪魔をしていましました」


 毒気のない、か弱い淑女の手本のような楚々とした佇まい。怯えもなければ緊張もない。この威圧に満ちた場でこんなことしておいてその態度。

 なかなか胆力のある娘だ、とエルレウスは内心で呟いた。本当になにも感じていないのか、それとも押し隠しているのか、エルレウスをして読み取れない。まだ十代半ばの若年で見事なものだ。


「……いえ、なにかございましたか?」

「街の中に、魔物――がいるのは普通のことなのでしょうか?」


 躊躇いがちに言われた那智の言葉に、エルレウスは青い目を一度瞬かせた。


「いいえ。魔物とは我ら人類の天敵。ご安心を、冒険者達に守られたこの街は安全です」

「では、可笑しなことなのですね?」

「魔物が入り込むことですか? ええ、普通では有り得ません」

「では、お知らせしなければなりませんね」


 一つ頷いた那智は真っ直ぐにエルレウスを見る。


「四の壁にて、人を殺めているものがいます。揺らいでいて定まってはいませんが、まるで魔物のような気配を持ったものが」


 一瞬エルレウスは絶句した。なにかやってくるとは考えていたが、そうくるとは。これは一体なにを意図した発言だ?


「……なに? 我らの守りが破られたと、そう言っているのですか?」

「いいえ。あの高い壁の中から出て来たのではありません」

「では、何処から」

「街の中から」


 一体どういうことだ、とエルレウスは三人を見回した。那智が見ていた方向をちらりと一瞥した紅は、すぐに興味を失くしたように視線を戻して目を伏せた。再び沙伊の隣で彫像の役に徹する。沙伊は那智が先程視線を向けていた方向と同じ場所を見つめている。


「――あれか。しかし、どうにも……」


 まるで四の壁にいる魔物が見えているかのような物言いである。


「そなたらはなにを言っている……? ここから四の壁にいる一体の魔物を感じとったとでも言うのか?」


 貴種達にとって、それは到底信じるに値しない主張だった。

 彼らの常識ではそれほどに距離の離れた、しかも城壁によって遮られた場所のたった一体の魔物を感知するなど、余程その魔物が強大な魔力を放っていなければ不可能であるという認識だった。

 この部屋から感じ取れる程の魔力の高まりが四の壁であれば、それは明らかな異変として自分達にも感じ取れる筈だ。けれど己の感覚にそんなものは引っかからない。

 これまでのやり取りから見るに、駆け引きのなんたるかをそれなりに弁えている相手だと見ていたが、買い被りだったか。このような戯言を聞かせる為に中断したのか、と険しく眉を寄せるエルレウスに、しかし沙伊と那智は怪訝な様子で顔を見合わせる。


「そうだが……それがどうかしたのか?」

「……本気で言っているのか?」

「ああ。何故偽りだと?」

「感知したというのか? 今、四の壁にいる魔物がいるというのか?」

「魔物らしきもの、だな」

「その証明は如何する」

「転移で現場に向かい確かめてくればいい。そうすれば答えが出る」

「他者を転移させることが可能だということか?」

「それもやればわかる」


 訝しんでいることを隠そうともしないエルレウスだが、沙伊は一貫して淡々とした態度を崩さない。


 ――転移の能力を見せる為か? いや、しかしそれならばもっと上手いやり方がある筈……


 沙伊達の行動の意図を読もうと思考を巡らせるエルレウスだが、次になされた提案に驚愕することになる。


「こちらからは那智を向かわせよう。いいな、那智?」

「はい、兄上」


 従順に受諾した那智。それを当然のように受け止め、沙伊はエルレウスに問う。


「そちらはどうする?」

「ナチどのが向かうと? そなたでも、そなたの弟でもなくナチどのが?」

「そうだ」

「……構わぬのか?」

「なに、そなたらが無事に返してくれれば済むことだ。あの程度の魔物相手にまさか遅れをとることもあるまい」

「……随分と買ってくれるものだな」


 ――まさか妹を差し出すとは。


 この誘いに乗るべきか否か。

 都市内部に魔物が入り込んでいるという言葉。

 転移で送ろうという申し出。

 そしてそれを行うのは戦闘力を持たない妹。

 突拍子もない誘いだが……。

 数瞬思考を巡らせ、エルレウスは決断した。


「――受けよう」


 戦闘力のない妹をエルレウス達の手に委ねるとは、器が大きいのかそれとも底抜けの馬鹿なのか。どちらにせよ、ここまでされてはエルレウスも無碍には出来ない。


「こちらからはこの者達が」


 エルレウスの言葉に応えて、背後に控えていた貴種の内二人が進み出る。


「メトロファネス・ヴラスタリ・オミクレールと言う」


 メトロファネス――白銀の髪に理知的な瑠璃色の瞳をした貴種だ。白藍色のマントを着用している。


「ミルティアディス・ペイオン・ドロースだ」


 ミルティアディス――冬の海に似た青灰色の瞳とススキのような薄い金髪の貴種だ。縹色のマントを着用している。

 彼らは沙伊に目礼した後、那智の下へと向かい、メトロファネスが椅子から立ち上がる那智の手を気品溢れる仕草で取る。


「メトロファネス、ミルティアディス。向かう先がどうであれ、ナチどのをお守りすることを第一にせよ」

「御意」


 メトロファネスが那智に問いかける。


「して、我らは転移にあたってどのようにすればよろしいか」


 那智は考えるようにメトロファネスとミルティアディスを見つめた。少しして小さく頷く。


「そのままじっとしていてください」

「それだけでよいのか?」

「はい」


 那智と二人の貴種達の距離はちょうど一歩ほど離れているが、問題はないようだった。

 果たして如何なる魔術を用いるのか。淑女に対する礼儀正しい表情の奥で注視するエルレウス達は、しかし転移の瞬間、那智がなにをしたのか見極めることは出来なかった。


「それでは失礼いたします」


 エルレウス達に一礼し、なんの前触れもなく那智と二人の貴種の姿は賓客室から掻き消えた。



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