迷宮都市コーマ 3
滞在許可証を受け取り、沙伊達は検問所を後にした。再び魔導車に乗り込み水路を走る。
「これからいよいよコーマに入りやす! 目的地は決まってますかィ?」
「冒険者ギルドへ向かってくれ」
「冒険者ギルドですね。どの冒険者ギルドにしますかィ?」
「幾つもあるのですか?」
「えェ。一番大きいっつーか重要なのはアイオン区にありやす。コーマ支部ですね。他のは分所で大きさは大きいんですが、お偉い人とかはあんまりいやせん。支部は一番奥の壁と二番目の壁に挟まれた場所にありまさァ」
「ではそこで頼む」
少し進むと大きく開けた――これまでも広々としていたが、更に広い――場所に出た。背後には那智らが乗る辻魔導車が出て来た水路と同じような水路が二本。大きな水路が三本合流していた。
そこで不意に、悲鳴のような声が聞こえてきた。それと同時に忙しなく走る足音と揉み合うような音がする。
「お願――コ――入ら――――」
「押さ――駄目――連れて――」
「行け――く――――」
魔導車が速度を上げ、その声はすぐに水の音に紛れた。アクセルを踏み込んだ運転手がしかめっ面をして頭を掻く。
「どうなさったのですか?」
後部座席からかけられた那智の声に咄嗟に笑みを浮かべようとし、そして自分でもわざとらしいと思ったのか運転手はすぐに気まずそうな表情になる。
「……潜り込んできた連中がいたんでしょうねェ」
「潜り込む?」
「えェ。食えなくなった連中か、それとも一旗あげようとしたのか……。ここにゃあ想像も出来ねえくらいの金が集まりやすからねェ。冒険者ってなァ農民が一生かけて稼ぐ金を一日で稼いじまう。金回りが良い上に明日も知れねェ稼業なもんで、冒険者っつーのは気前良く金を使う連中が多くてねェ……。だから冒険者相手に商売する連中もそりゃもう儲かるんです。そんな連中の話を聞くとね、夢を見ちまうんでさァ。『自分も』ってね……」
運転手は遣り切れなさそうに頭を振る。
「田舎から出て来た連中は物を知りやせん。それが冒険者に選ばれて来たんでもなけりゃ尚更でさァ。教えてくれるところがありやせんからね。当たり前のことを……ほら、道に目印がありやしたでしょう?」
「はい」
「そいつは人が集まり過ぎねェように付けられてて、都市のモンは皆気を付けて歩いてるんですが、田舎から出て来た連中はそうはいきやせん。お構いなしに道端で座りこんじまいやがる。道はさっさと歩く、休む時は道から十分に離れる。――そういうことも知らねェんですよ。人の少ない田舎でやってたのとおんなじことをしちまうんです」
小さくため息を吐いて運転手はコツコツとハンドルを叩く。
「都市に入りたがる奴は後から後から湧いてくる。ここにゃぁありとあらゆるモンがありやすからねェ。食いモンも金も名誉も……。だがなんも知らない田舎もんが出てきて上手くいくほど迷宮都市は甘くありません。誰かに雇ってもらおうにも、いい仕事にありつくのは難しい。都市の連中はね、田舎モンは迷宮都市の流儀を知らねえってんで、雇うのにも躊躇うんでさァ。そりゃ余計な手間がかかるのは嫌だってのもわかりますがね、ちっと教えてやりゃあ奴らだってちゃあんと出来るんですがねェ……最初っから切り捨てるのはあんまりじゃないですか」
それに奴らは帰ることも出来やしません、と運転手は憂鬱そうに言う。
「来る時に土地だの家財だの処分して来ちまうんです。全てを賭けてコーマを目指して来るんですよ、奴らはね。でもそのなけなしの金だってすぐに消えちまう。それもコーマに入る前に、です。斡旋業者ってのがあって、そいつらが金を取ってコーマに潜り込ませるんですが、それがまた真っ当に生きてきた農民だの地方の住人だのにはとても払えないような大金なんです。それで全部取られちまって、それでも足りない分はそいつらに借金して……」
愛嬌のあるぎょろ目がしょぼしょぼと瞬く。
「コーマにゃ金も物も唸ってるんですからねェ。せめてそういう連中の食事くらいは面倒みてやって、迷宮都市のやり方を教えてやるくらいしてやっても罰はあたらねェと思うんですが……最初の何か月かだけでもね……。コーマのギルドにゃ資金がたんまりあるんですから、そういうのに少しくらい使ったって屁でもないでしょうに」
まあ色々事情があるんでしょうが、と呟いて運転手はその話題を終わらせた。
検問所を抜けると、一気に栄えた町並みが広がる。道路は全て青みがかった灰色の石畳で舗装されており、等間隔で洒落た形の街灯が設置されている。道は広く、歩道と車道を仕切るのは魚を模した形の遊び心のある安全柵。水路を流れる水は透き通り、街に吹く風は清涼な水の香りを含んでいる。
通りに立ち並ぶのは大きな店構えの店舗達。どれも工夫を凝らした造りをしていて、ガラス戸や開け放たれた扉から豊富な種類の商品が並んでいるのが窺える。
だが、海原から訪れた面々の注意を引くのはそれらの賑やかな町並みではなかった。
彼らが神経を傾けているのは遥か上空にて旋回する物体――ソーサーのような形をした円形の乗り物だ。かなりの高度を飛んでいる筈だが風避けや安全柵はついていない――だ。
直径十メートル程のその飛行物体の上に五人の人間が佇んでいた。
その気配。感じる力の猛り。
〈強いな。これまで会った連中とは段違いに強い〉
紅の念話に二人も同意を返す。
隠す気もないのか、ひどくあからさまに自分達に向けられている力の気配。辻魔導車の中からでもはっきりとわかる。引き絞られた巨大な弓を思わせる通力の集約。なにか少しでもおかしなことをすれば、次の瞬間撓められた力がこちらに向かって放たれるだろう。
〈今は様子見ってところかな。今すぐ仕掛けてくるつもりはなさそうだ〉
水路を走る辻魔導車の中、静かに、けれどすぐにでも応戦出来るよう態勢を整え動向を見つめる。
上空にいる人物達の目的が自分達の監視ならば、冒険者ギルドに着くまでこうして警戒を向けられ続ける訳だ。少々鬱陶しいが、叩き落としてしまう訳にもいかない。
〈運転手は……気付いていないのか? このあからさまな気配を?〉
沙伊が怪訝な目で見つめる先では、運転手が誇らしげに町並みを紹介している。まるきり上空から向けられる威圧など存在していないかのような態度だった。
沙伊は訝しげに目を細める。見る限りこの運転手はあまり強くない。上空にて構える者達が己に害を及ぼすことはないと信頼しているのか、それでも圧倒的な力が意志を伴って向けられればなんらかの反応があっても良さそうなものだ。
「地方の街とは比べ物にならねェでしょう? 水も綺麗で臭いもしねェ。その辺の小せェ街とは全然違うでしょう」
「はい。わたしが以前訪れた街は街灯もなく、地面は剥き出しのままでした」
「そうでしょうそうでしょう。ちゃあんとね、水を汚しちゃならねェ、ゴミを道に捨てちゃならねェって決められてんでさァ。ま、冒険者なんか多いですからねェ、どうしたって道なんかは汚れるもんですけど、ちゃんと掃除する連中がいるんです」
通りを行き交う人々、店の中で働く店員の服装は様々だった。個性豊かに色々な形、色の服を着ているのだ。それはタオスの街やクレタス・マティ村では見られない光景だった。
「これまで訪れた村や街では皆同じ服装をしていたように思うのですが、これは一体……?」
「ああ、そりゃあここに居る連中は大体冒険者だの癒師だの魔道具職人だのですからねェ。そういった連中は着て構わねェ服装が増えるんでさァ」
「どの程度自由になるのでしょう?」
「ほとんど自由でさァ。特別に注意されなけりゃなに着ようと自由です。あと、冒険者だったモンが店を開いたりするでしょう。そしたらちょっと口を利いて店員に制服を着せたり、服装を自由にしてやったりするんでさァ。やっぱり垢抜けた恰好の店員の方が見栄えがいいですからねェ」
「掃除している女性もスカートを穿いているのですね。男性の方が着ている服の方が動きやすいように見えます。掃除の最中だけでも男物の服を着たりしないのですか?」
屋外のカフェテラスで給仕をする女性、洋服店の中で接客する女性、買い物をする女性、モップを持って道路を掃除している女性――性別が女とつく者は皆スカートを穿いていた。誰一人として例外はいない。
服装の決まりごとについて知るいい機会だと尋ねた那智の言葉に、運転手はぎょっとしたように目を剥いた。魔導車の車体がぐらりと揺れて水を跳ね上げる。
「オ――オイオイ、脅かしちゃあいけねェよ、お嬢さん! そりゃ熱心に働く連中とは言えねえし、サボることばっかり考えてやがるが男の恰好しろなんてこたァ言っちゃいけねェよ! 魔物の仲間ってなァ言い過ぎだぜ!」
「魔物の仲間?」
「そうだぜお嬢さん! 性別に背く行いをするってこたァ神様に背くっちゅーことだ。女は女、男は男、そうやってお作りになったんだからよォ。それに背いて魔物の仲間になっちゃァいけねェよ!」
「少し誤解があったようです。わたしの国では女性用の服装にも、もう少し動きやすいズボンのような服装があるもので……」
「――あ、ああ、そういうことか! いや、男物なんて言うからおれもびっくりしちまって……」
念話が届く。
〈なあ、思ったんだがあのタオスの街での那智の恰好、あれってどうだったんだ? ズボンっつーかこっちの男物の下衣に近い服装だったろ〉
〈そういえばソロンさん、『ちょっと変わってますね。でも異国のお貴族様ですからね!』とか言ってたような……〉
〈大丈夫だろう。ギルド員も街の役人も大した反応は見せていなかった。こちらでは見かけない形だからな。異国の服装として納得した筈だ〉
魔導車は水路を進む。運転手の言った通り街のあちこちに水路が張り巡らされているようで、道路を行く魔導車と同じくらいたくさんの水路を行く船の姿があった。
進んでも進んでも街の賑やかさは一向に減らず、通りを行く人々は買い物や食事を楽しんでいる。時折酔っぱらった男達が喧嘩するような怒声が聞こえてくるが、それもすぐに野次馬達の歓声に呑み込まれて街の彩りの一つとなる。
「でっかい街でしょう?」
「はい。それに綺麗です」
「ふふふ、ここはまだ四の壁。まだまだ三の壁二の壁ってありやすからね! 楽しみにしててくださいよ、中に行けば行くほどすごくなるんでさァ! ま、賑やかさはここが一番ですがねェ」
「ここが一番栄えているのですか?」
「んんん、ちーっと違いやすね。中に行くと物も宿も高いモンが増えるんでさァ。でもそんなん買える人間ばっかりじゃありやせんから、ここが一番賑やかなんです。ま、安いっつったって、手頃で良い品が揃ってやすからね。ちっとぶらついてみるのもお勧めですぜ!」
後部座席に顔を向けて運転手はにっかりと笑う。辻魔導車が水路を進む速度はあまり速くない。標識も車道の区切りもない水路では、さすがに運転手のハンドル捌きも大人しくなるようだった。
「広いですものね。散策のし甲斐がありそうです」
「ええそりゃもう――あ、くれぐれも一人で出歩かねェようにね、お嬢さん!」
「駄目なのですか?」
「あ、その口ぶり。さては一人で抜け出そうとしてやしたね? 駄目ですよー、お嬢さん。こっから見てる限りじゃわからないかもしれやせんが、大通りはともかく奥へ入ると途端に柄が悪くなりやすからねェ。まァ大通りも危ないっちゃ危ないんですが。迷宮帰りの冒険者、それもこの辺りは比較的階級が下の方の冒険者が溜まってるんで」
「奥へ入ると危ない、とは?」
「んー……なんつーか、あんまし金を持ってねェ、ろくな仕事にもついちゃいねェ連中の住処が集まってやしてねェ。ま、貧民街って奴でさァ。お嬢さんみてェな育ちの良い娘さんが一人でうろついてたら一発で拐かされちまいますからね、お兄さん方の言うことはよく聞いておかなくちゃいけませんぜ」
そこで運転手は眉を下げて那智を見る。
「それから、異国のお嬢さんだからしょうがねェんでしょうが、さっきみたいなこたァあんまり大きな声で言っちゃなりませんよ」
「先程のこととは?」
「あの男物の服がどうこうってことでさァ。ほら、無知な連中ってなァいますからねェ。いちいち大げさに騒ぎ立てる連中もいるんで、気を付けるに越したこたァありやせん。特にサルヴァトル教会の連中に目を付けられると面倒ですからねェ。いや、サルヴァトル教会もね、人に混じる魔物を狩り出そうって頑張ってるだけなんですがね、真面目過ぎて融通が利かねェところがありやすからねェ」
「サルヴァトル教会……」
「ええ。まァ色々世話をしてくれるとこですし、人はみーんなお腹いっぱい食べて幸せに暮らすべきってのも悪い教えじゃねェんです。だからっつって人が稼いだモンをなんもしてねェ奴に分けて当たり前ってなァ違うと思いますがね。そういうこと言うのは本当のサルヴァトル教徒じゃありやせんよ。本当は皆で協力していい世界をつくっていこうって教えなんです」
魔導車は進み、やがて大きな水門へと出る。門の横には検問があり、中には制服を着た男がいたが、辻魔導車は呼び止められることなく門へと進む。
「魔導車とか魔導船は登録してありますからねェ。いちいち止めなくってもどういう持ち主のどういう魔導車が通ってるのかわかるんでさァ」
コーマに入った時に通り過ぎた水門と同じ、まるでトンネルのような分厚い門に入って城壁を通り過ぎる。中はやはり星空のような輝きに満たされていた。
そこを抜けると再び活気に満ちた町並みが戻ってくる。那智は道の脇に設置された小さな箱のような建物に目を留めた。人一人が入ればいっぱいになってしまうような長方形の箱型の建物。ガラス張りになっていて、内部には円形の板とラッパのような形の魔道具らしきものが壁に取り付けられている。四の壁でもよく見かけた建物だ。
「あれは?」
「ああ、ありゃあ公衆魔導通話機でさァ。硬貨を入れて番号を入力すると、なんと! 遠く離れた相手にたちどころに繋がるんですなァ。相手の通話機によっちゃ映像も見ることが出来ますよ。まァちょっと稼げばすぐに自分の通話機を買ますがね、駆け出しの頃にゃあ世話になったモンです」
道路に設置された街灯、車道と歩道を隔てる柵、水路にかかる橋――都市の設備は四の壁にあったものより凝った意匠をしていた。大通りに立ち並ぶ店舗の店構えも、二の壁に近付くにつれて大衆的な親しみやすいものから上品なものへと徐々に雰囲気が変わってくる。
「この辺りは大体下級の冒険者達の場所ですかねェ」
「では四の壁は?」
「あっちにいるのは最下級、見習いを脱した冒険者に最初に与えられる階級のハスタティとか、下働きの平民ですね。ただ大通りなんかは割とどんな階級もごっちゃになってまさァ。都市から出る時嫌でも通りますからね。大通りはどの場所でもあんまり差がないっちゃないです。いや、店の種類とかはやっぱり違いますがね。あ、そうだ。あそこの建物見えますかィ?」
運転手が指した先には赤煉瓦の建物があった。平屋建てで、外の壁には時計がかけられている。扉は取り付けられていない。誰でも入れるようだった。
「ありゃあ公衆便所です。外から見ても広くて綺麗そうでしょう? 中に入るとそうでもないんですがね。四の壁にある狭くて汚い便所よりは大分マシですが。便所もね、奥の壁に進むほどにどんどん綺麗になってくんでさァ。ただ四の壁っつっても大通りにあるのは綺麗なんで、お急ぎの場合は入っても大丈夫ですよ!」
「お気遣いくださりありがとうございます」
「いえいえ! この辺りは散策するにゃあ……やっぱり気を付けた方がいいですかねェ。四の壁よりゃあまだいいですけど、やっぱりお嬢さんがうろつくにはね。まァ迷宮都市ってなァ冒険者が集まる場所ですから、女の子から見りゃどうしても物騒っちゅーか剣呑な場所ですわなァ」
道中あれこれと運転手から話を聞きつつ、辻魔導車は水門を抜けてコーマ支部のある二の壁に入る。ここまで来ると立ち並ぶ建物も目を楽しませることを重視した洒落た造りのものが多くなる。
水路から道路に乗り込んでしばらく走り、辻魔導車は目的地に到着した。
銀灰色の輝きを纏った総大理石の漆黒の建築物。ガラス張りの入口の横には人の背丈程もある石碑に交差した剣と盾、月桂樹のレリーフが彫り込まれている。冒険者ギルドコーマ支部はタオスの街が丸ごと入ってもまだ余る、巨大な建物だった。
「よーし、到着です! 長い道中、お疲れ様でやした!」
冒険者ギルドから少し離れた駐車場に停車して、運転手がドアを開ける。
「お代は七百六十四万ヴァレールになりやす!」
〈確か外つ国にはこういった時に心付けを渡す習慣があったな〉
〈ああ、チップか。どうだろうな……見る限り欧羅巴に似てる気もするが〉
〈銀貨八枚渡しておけば? それか金貨一枚か〉
当然のことながら那智と紅の返答は頼りない。ここは世間知らずだと思われている那智が尋ねることにした。
「運転手さん、この国では心付けの習慣はありますか? どのような場合にどのくらい渡せばよろしいのでしょうか? 渡す時の作法などは?」
「おっと、勉強熱心ですねェお嬢さん! いやァ、仕事にご満足いただけたら――ってことなんですがね」
明け透けな那智の質問に少々面食らったような顔をしながらも運転手は答える。
「支払わなくちゃならねェってなにかで決められてる訳じゃありやせんけども、やっぱり給金だけで生活していくにゃあ厳しい連中もいますからねェ。給仕に宿の使用人に酒場の姉ちゃん……おっとこいつはお嬢さんにゃ関係ねェか。ともかく、なんか働かせたらちょっとした小遣いをやるのが普通ですかねェ」
「ちょっとした小遣い」
「ええ、相場がいくらって言われると……まァ曖昧なモンですからねェ。お客さんの懐具合にもよりますし。小汚い酒場に旦那方みてェな身なりのいいモンが入ってけば期待されますし、逆にあんまし上等じゃねェ服着てけば扱いもそれなりの分、小金で済みまさァ。あっしも気楽にうろつきたい時にゃあわざと安物を着てったりします。元が農民ですからねェ、ちっともバレやせん」
〈小金って幾らくらいだ? こっちの金銭感覚がよくわからねェんだが〉
〈俺に聞くな〉
「辻魔導車に乗るようなお客さんはこの迷宮都市でも稼ぎのいい方々ですからねェ。やっぱりそういう方々の心付けってなァ結構な額になりまさァね。あ、別に催促してる訳じゃねェですよ!? いただけるってんならありがたく頂戴しますけどね」
人懐っこい笑顔を浮かべた運転手が悪戯めかして肩を竦める。
「わたし達がお店に行った時、どのくらい支払うのが妥当なのでしょう?」
「そうですねェ。店の格にもよりますが……まァお代の半分払っとけば間違いないでしょう。これより少なくても構いやしませんが、やっぱり稼ぎのいいモンがケチるってなァあんまりいい顔されやせん。あ、それとあんまし上等じゃねェ店に行った場合はちっと多目に支払ってやると喜びまさァ」
「そうなのですか……色々とありがとうございました」
あれこれ尋ねた分、色を付けて銀貨二十枚を渡された運転手は上機嫌で「ご用がありやしたら何時でも呼んでくだせェ」と魔導通話機の番号を渡し、荒っぽい運転で駐車場を出て行った。
沙伊と紅、那智は冒険者ギルドに向かって歩き出した。
〈……結局、あのおっさんが念話に気付いた様子はなかったな〉
〈あの人はね〉
〈これから赴く先では慎むべきだろう〉
沙伊の言葉に那智と紅も同意を返す。
目の前で内密のやり取りなどすれば痛くない腹も探られかねない。隠匿した念話を何処まで察することが出来るのか――それがわかるまで重要な局面で使用するべきではない。
そしてもう一つ、慎重に検討すべき事柄がある。
この世界に存在する男と女の能力差、その法則が彼らには当て嵌まらないこと。その事実をどうするか、だ。
服装や振る舞いは誤魔化せるが、能力まではそうはいかない。沙伊と紅、那智は幅広い分野の術を習得している万能型の為、治癒も金属の生成も、そして当然戦闘もこなせる。
治癒や錬金の能力はともかく、咄嗟の反応や身のこなしは誤魔化すことが難しい。
また、なんらかの術で見破られる可能性も考えなければならなかった。彼らはこの世界で使われている術――魔術に対して無知である。相手が使用してくるかもしれない魔術に対して対策をとるには、経験も知識も浅過ぎる。
紅はフードの影から上空を見上げる。
検問所を出てからずっとついて来た円形の飛行装置は二の壁に入ってしばらくして、冒険者ギルドの方向へと飛び去って行った。
〈やれやれ、前途多難だな〉
〈仕方あるまい。さて、ここより先は陣中だ。――行くぞ〉
冒険者ギルドコーマ支部。その漆黒の建造物は水の上に浮かんでいた。水に囲まれているのではない。水面に浮かんでいるのだ。澄んだ水を湛える湖の上に、銀灰色の輝きを纏う漆黒のギルドが。
そこに続く道は湖にかけられた橋一つのみ。人の行き来は少なくないが、どの者も無駄口を叩くことはなく整然と通り過ぎていく。
眼前に聳える巨大な軍事施設からは、よく律せられた組織特有の緊張感が発せられていた。