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ハオサーク  作者: 桜前線
17/25

迷宮都市コーマ 1

 ウルクラート帝国の属国の一つ、カルタルメリア州の北に位置するロズヴィア王国――その南西に聳えるリラス山脈の源泉から流れ出る大河、カラトス川。ロズヴィア王国とカルタルメリア州を縦断し、海へと流れ出るその大河の流域に迷宮都市コーマは存在した。

 いや、正確には「流域」というより「カラトス川そのもの」と表現した方が正しい。コーマはカラトス川の中央に位置する巨大な中州の上に建設されているのだ。

 楕円形のその中州の幅は幾度も埋め立て工事によって拡張された結果、最も広いところで縦十八キロ、横七キロを超える。


 その両岸に並び立つのは迷宮都市コーマを支える幾つもの衛星都市だ。

 食糧を供給する数々の大規模農園。金属を供給する製鉄所に、魔道具や魔術薬の製作所。コーマで働く者達の住居が集中するベッドタウン。

 コーマの冒険者ギルドに所属する冒険者はおよそ二万人。正確な数は定かではないが、コーマの都市内部で暮らす者がおよそ十万人。周辺の衛星都市の住人は九十万人を超えると言われている。

 合わせて百万人。


 これが迷宮都市コーマの都市圏である。


 その都市圏の端の端、というより大きく外れた範囲外の街道を歩いている人影があった。立ち並ぶ都市の城壁が辛うじて目視出来る距離だ。幾つもの衛星都市の城壁が見晴らしのいい平野の向こうに、地平線の上に落とされた指輪のように連なっている。


「地平線までの長さが向こうより長いね。向こうより大きな星か、それとも向こうとは違う形の星なのか」

「重力はこっちのが重てェな。通力が満ちてるから動きやすいのもこっちだが」


 那智と沙伊、紅である。

 彼らは現在、あまり派手ではない衣服を選んで身に着けていた。上質だが飾り気のない黒いマントで全身を覆い、靴もまた簡素な革靴だ。手には実用的な皮手袋を嵌め、装飾品は付けていない。

 三人共背中に荷物を背負い、沙伊と紅は腰に刀を下げていた。昨日持っていた鬼灯の花が鞘に描かれたものではなく、鞘を黒漆を塗って仕上げた革包太刀だ。

 マントのフードを目深に被り、彼ら三人は足早に街道を歩く。


「そうだ、向こうとの違いと言えば時間だな」

「時間?」

「ああ。お前がこっちに来てから今日で三日だろ? オレ達はお前がいなくなってから十六日後にここに来た」

「へえ、流れが違うんだ」

「まあ、『海』を渡った先にあるような界だ。驚くようなことじゃねェがな」


 街道は石畳で舗装されていた。ぴったり同じ大きさの灰色と濃い灰色の長方形の石材が交互に並べられ、道に模様を描いている。石と石の間に隙間はなく、高さも寸分違わず揃っていた。平らで歩きやすい道が地平線の向こうの都市まで続いている。

 道の端に一定の間隔で設置されているのは赤い石碑。ここは結界の外、魔物の領域だ。人が集まればすぐさま魔物がやってくる。集まり過ぎないよう目印が置かれているのだ。

 この道は迷宮都市同士を繋ぐ街道だ。国中に蜘蛛の巣のように張り巡らされた街道は、国内の全ての迷宮都市を残さず網羅している。数多ある他の地方都市とは明らかに違うこの扱いは、すなわち迷宮都市の重要性を示していた。


 街道を歩く那智らの右手には悠然たる大河が流れている。川幅は向こう岸が霞む程広く、まるで海のようだった。澄んだ水は空の青を映し出し、白い雲の影がゆっくりと流れていく。

 大河の左右に広がる枯草色の平野はところどころが白い。昨夜から今朝にかけて雪が降ったらしい。降雪量は少なかったようで、既に溶けかけている。


 街道にはちらほらと行き交う人の姿がある。コーマに近付くにつれ、その数は増していった。

 行き交う人々の恰好は様々だ。村人が着るような褪せた服を着ている者もいれば、暖かそうな防寒具を着こんでいる者もいる。逆に擦り切れた襤褸のような服で、寒風に身を縮めて歩いている者もいた。

 整った身なりの者は揃って剣で武装している。そして武装している男、みすぼらしい恰好の男女はいるが、身なりの良い女の姿はない。


「那智、昨日も言ったが外套がめくれるようなことはするなよ。お前の記憶でもこの辺りの連中の恰好を見ても、女は女、農民は農民、それぞれ決められた服装があるようだからな……」

「しっかしどいつもこいつも判で押したみてェに同じ恰好してやがる」


 クレタス・マティ村でもタオスの街でも、女は皆裾を引く長さのワンピース型のスカートに前掛け、男はタイツのようなぴったりしたズボンに上着を羽織る恰好、あるいは膝下の長さのワンピース型の長衣と長ズボンを着用していた。例外は役人とギルド員、そして神父くらいのものである。

 それはこの街道でも同じだった。防寒具を着込んでいる者達の服装は外からではわからないが、外套もなく寒風に身を縮めている者達の服装は村や町で見たのとそっくり同じものだった。


 太陽は中天より東にある。昼まではまだだいぶ時間があるものの、朝日の弱弱しさはすっかり消え去っている。

 彼ら三人が簡易寝所を引き払ったのは早朝だ。それからずっと走り続け、目的の都市が目視出来るようになった地点で足を止め歩き出した。

 ただし目視出来ると言っても見晴らしの良い平野である。その上この辺りではカラトス川がおおよそ真っ直ぐに流れている為、河に沿った街道も真っ直ぐだ。つまり直線距離がとても長い。よって彼ら三人が歩かなければならない距離も長い。




 歩き始めて一時間と少し経った頃、那智ら三人はコーマの都市圏に足を踏み入れた。

 都市の付近では大河の氾濫を防ぐ為の護岸工事が施されており、大河を囲む白い堤防が都市圏の端から端まで続いている。

 見渡す限りの水面に浮かぶのは幾艘もの小舟。緩やかな流れの大河に、櫂で漕いで進む舟が浮かんでいた。木造の、帆もない単純な造りの小さな舟だ。河の大きさと比べるとまるで水に浮かぶ木の葉のようである。

 彼らは都市付近の比較的安全な場所で漁をしているのだ。


 小舟の集団を通り過ぎ、少し歩くと緩いアーチを描く橋に出る。橋の下を流れるのはカラトス川から引かれた水路だ。都市圏の入口から迷宮都市コーマまで、無数の橋が街道を繋いでいた。

 都市圏内部には大河から引かれた幾本もの水路が張り巡らされている。河に沿って敷かれた街道はそれらの水路を飛び越える形で迷宮都市コーマに面する河岸まで続くのだ。


 水路には魔力によって動く水上車や魔導船が行き交い、盛んに人や物資を運んでいた。地上の道では様々な形の魔導車が高速で移動する。農村や地方都市ではまず目にすることのない移動用の魔道具だが、コーマでは珍しい光景ではない。それらは広大な都市圏を繋ぐ主要な移動手段である。


 迷宮都市コーマ。

 都市圏の入口からもその威容は明らかだった。

 周囲に衛星都市は数あれど、カラトス川の中心に建つコーマを遮る物はなにもない。


 コーマの城壁は立ち並ぶ衛星都市のどれよりも高く重厚だった。

 高さ二百メートルを超える分厚い城壁が河水を押し退けるようにして大河の中央に聳え立っている。コーマを囲むその巨大な城壁は、中州だけでは飽き足らず河の中まで侵略していた。

 澄んだ水に洗われるその城壁の色は黒。透明感のある、何処までも沈んで行きそうな漆黒だった。その表面には灰と銀の模様。冒険者ギルドの建築素材と同じ大理石である。

 時折その漆黒の城壁に、波打つような銀灰色の波紋が走る。魔力光だ。城壁には魔術による防護が施されている。そこに通される魔力が光を放っているのだ。


 迷宮都市コーマに存在する城壁は一枚だけではない。コーマには他に三枚の城壁がある。度重なる拡張の結果、そのまま残された古い外郭だ。

 もっとも古いと言ってもそれらは全て新しい外郭と同じだけの防御力を備えている。魔術による防御が施された、透明感のある黒の大理石の城壁。

 それが外郭と同じ高さ、厚さを持って都市内部に聳え立っていた。


 そしてそれらの城壁よりもなお異彩を放っているのがコーマの中心に位置する漆黒の塔である。

 いや、正確に言えばそれは塔ではない。壁だ。天を衝く程の高い高い壁が屹立しているのだ。

 それは迷宮の入口を囲む最初の防御壁である。

 最も魔物に近い防御壁。その先端は雲に霞んで見えない。その雲の上の先端から螺旋を描くように地上へと藤色の魔力光が駆け下りてくる。


 重厚な城壁。魔術による防御。

 迷宮都市の城壁は世界でも指折りの防御力を持つ。だが、通常の都市の城壁と最も異なる点は、魔術による守りでも圧倒的な高さと重厚さでもない。

 特筆すべきはその厳重な防御壁の存在意義である。

 迷宮都市の城壁は、内部の魔物を封じ込める為にある。

 外敵から都市を守る為ではない。

 都市の外部に迷宮から湧き出る脅威を漏らさぬ為にあるのだ。


 ――魔物との戦争の前線基地。


 それが迷宮都市だ。







「やっぱり通力で動かしてる。変わった造りだな……。あれ、銀とか銅とか使い捨てじゃない? 車の中に入ってる、通力が溜められてるやつ」

「動く度に微妙に減ってってるな。消耗品なのか、あれ?」


 都市圏に入ると街道の様相が変化する。それまでは仕切りもなにもない一本の道だったのが、幅が広がり車の通る車道と歩行者が通る歩道に別れるのだ。その間は黒い柵で仕切られている。景観を考慮しているのか柵は装飾性の高い造りをしていた。


 車道を走る魔導車にはどれ一つとして同じ形のものがない。荷馬車をそのまま車にしたような魔導車もあれば、デフォルメされた狼のような魔導車もある。実に個性豊かな取り揃えだ。

 魔導車の走った後には排ガスの代わりに魔力光がきらきらと輝いている。


「中で人が働いてる。……弱ってるな」

「ギルド員が言ってた魔力を絞り出す措置ってやつだろ」


 橋の上から遥か下方にある農園を見下ろして、那智と紅は呟く。

 街道を繋ぐ橋の下を流れる水路の幅はどれも非常に広くとられている。大型船でも通れるように設計された橋の高さは最も低い場所で六十メートル。最も高い場所では水面からの距離が百メートルを超える。


 眼下には網の目のように張り巡らされた水路と無数の衛星都市。

 衛星都市の城壁はコーマと比べて随分と簡易な造りのものが多い。大抵は十メートルあるかないかの高さで厚さもそれ程ない。透明な材質で出来たものや、壁一面に透かし彫りが施されているものなど、とても防御力を考慮しているとは思えない城壁ばかりだった。


「ここに着いてからがまた長いな。目的地はあの黒い壁の都市だろ? このままのペースで歩いてたら日が暮れちまうぞ」

「……待て、こちらになにか来る」


 都市圏内部には、道に沿った随所に柵で囲まれた広場があった。そこには巨大なチーク製の掲示板が設置され、銀色の文字が刻々と変化していく。

 時刻に路線、車の番号が表示されたそれは魔導車の運行表だ。ずらりと並んだ車庫の中には数多くの魔導車が駐車されており、その運転席には制服を着た男達が座っている。


 魔導車乗り場である。

 その内の一つ、街道沿いにある魔導車乗り場の横を足早に通り過ぎようとした那智らに近付いてくる者がいた。


「すいやせん! ちょっと、そこの旦那方!」


 制服を着た五十絡みの男が小走りで駆け寄ってくる。ぎょろり出っ張った目が印象的な、愛嬌のある顔立ちの白髪頭の男だ。那智らの目の前まで来ると、男は朗らかな愛想笑いを浮かべた。


「いい天気ですねェ、思わず外を散歩したくなるような天気です。ですが車で快適に飛ばすってのも悪くない。差支えなけりゃちょっとお聞かせ願いたいんですが、旦那方はどちらまで……?」

「河の中央にある都市に行こうと思っている」


 沙伊の答えに男はぴしゃりと手を打った。


「コーマですね、そりゃあいい! ちょうどここにコーマまで行く空っぽの車があるんですが……どうです? 乗って行きやせんか?」


 男――魔導車の運転手は広場の中を示して誘う。

 その時、那智と紅の頭の中で沙伊の声が響いた。


〈不審な点はないな。単なる営業のようだが……どうする?〉


 念話だ。他人と直接思考をやり取りする術である。

 術者の力量にもよるが、距離が離れている相手と瞬時に意志の疎通をすることが可能であり、また思考を直接やり取りする為、大量の情報を一気に交わすことが出来るという利点がある。

 沙伊は慎重に隠蔽した念話を那智と紅に送ったのだ。


〈乗ろう。ずっと歩いて移動してる人はあまり身なりの良くない人が多い。多分、このまま歩いてる方が目立つと思う〉

〈いいんじゃねぇか? こいつじゃオレらをどうこうしようったって無理だろ〉


「では頼もう。いくらだ?」

「ありがとうございやす! こっからコーマの四番目――一番外側の城壁までなら、大体六百万ヴァレールになりやす!」

「支払はミレス銀貨で構わないのか?」

「もちろんですとも。さ、どうぞどうぞ!」


 運転手に案内されたのは、魔導車乗り場の中でも取り分け立派な車庫だった。中には車高が高く、長い車体の魔導車が駐車されている。運転手がドアを開けてうやうやしく一礼した。

 車内は広く、後部座席と運転席の間には仕切りが設けられていた。ドアを入って正面と後部に一つながりになった革張りの座席があり、窓には深い青色のカーテンがかけられている。外にはまだ昨夜降った雪が残っているのに車内は春のように暖かい。


「旦那方、コーマは初めてで?」

「ああ」

「っと、すいやせん。折角仕切りを作ってんのにこれじゃ意味ねぇや。いけねェなぁ、おしゃべりで」

「構いません。出来ればこの辺りのことについて色々聞かせてくださいませんか?」

「おや! お嬢さんでしたか!」


 運転手が驚いた声を出して後部座席を振り返る。と言っても時速八十キロを超える魔導車を運転している最中だ。すぐに顔を前に戻した。


「なるほどねェ。そりゃそのフード被ってた方がいいでしょうなァ」

「このフード、不審でしょうか?」

「んん、迷宮都市だ、際立って不審ってこたァねェですが。なんせ全国から色んな連中が集まる場所ですからねェ。……とと、お嬢さん相手にちっと失礼な口の利き方ですかね。お許しを、お嬢様」


 伝法だった運転手の口調ががらりと変わり、騎士のような礼儀正しいものになる。


「なにぶん私のお客様は冒険者の方が多い。彼らはこのような口調をあまり好まないのです」

「まあ。運転手さん、恰好いいです」

「そうですかィ? いやァ、照れますねェ」


 口調を戻して運転手ははにかんだ。


「辻魔導車の免許取る時に教わりやしてねェ」

「その話し方も親しみやすくて好きですけれど」

「そいつァありがとうございやす。いやね、あっしも元は農民なもんでこっちの方が話しやすくってねェ」

「お客さんは冒険者が多いのですか?」

「ええ。つったってあっしのは辻魔導車ですからね。お乗りになる冒険者の方々の階級もなかなかのもんなんですよ?」


 窓の外を流れていく魔導車のほとんどは何十人も乗れるような大型車だ。中には荷台のような場所に詰め込まれて運ばれていく者達もいる。


「辻魔導車?」

「ええ。乗り場に魔導掲示板があったでしょう。乗り合い魔導車の運行はあの時刻表に従わなくちゃならねェんです。あれで決められた以上に多く走っちゃならない。道が混み合って万一魔物が来ちまったら大事ですからねェ」

「辻魔導車は良いのですか」

「交通管理局から特別に注意されない限りは大丈夫です。どんな魔導車の運転にも免許は必要ですがね、辻魔導車の免許はその中でもちっと特別です」


 紅の声が沙伊と那智の脳裏に響く。


〈冒険者……。だからか、車内に漂う血の匂いは〉

〈丁寧に拭き取ってはあるが、染みついているな〉

〈この人も冒険者だったのかな。最近は御無沙汰みたいだけど、戦いの心得があるみたいだし、ソロンさん達より体格も良い。背も百八十は超えている〉


「たくさん魔物をぶっ殺してなくちゃならねェし、教養だってなくちゃならねェ。乗り合い魔導車と違って決まった道を走る訳じゃねェから、この広い都市圏の道を覚えておかなくちゃならねェ。免許を取れた時にゃそれはそれは嬉しくってねェ。貯金をはたいてこの魔導車を買っちまって、女房にゃあえらく嘆かれたもんです」


 運転手は屈託なく笑う。


「こいつにゃ一目惚れしちまいましてね。名が知られてるって訳じゃねェが、いーい仕事をするんですよ。こいつを造った職人は」

「職人?」

「魔導車職人でさァ。この突進する猪みてェな見た目にぐっときちまってねェ。これを造った人間たァ気が合うなと、一目でわかりましたよ。整備だなんだとありますからね。やっぱし相手がどんな人間かってなァ大事でさァ。なによりこいつは加速がよくってねェ。止まるのにゃあちっとばかし難があるが、やっぱり車ってなァアクセルを踏み込んだ時どんだけ喰らいついてくるかってェのが一番大事なことですからね!」


〈……大丈夫なのか、それ?〉

〈だから広い造りになってるんじゃない? 正面のドアを蹴破って速やかに脱出出来るように〉


 車内には立って移動出来るだけの広さがある。


「曲がる時のあのギリギリのスリルなんてもう……! 燃費はいまいちだがそれだけの価値があるってもんです」

「燃費と言えば、この魔導車はなにを燃料にしているのですか?」

「おッ! 興味がお有りですか、お嬢さん。こいつは銅と亜鉛と錫、それから銀も入ってますね。他にも細かいのは色々ありますが、結構速いやつです。銀の割合が結構高いんでさァ。乗り合い魔導車なんかはもっと遅いやつを使いますね。乗っけてる魔導エンジンが耐えきれないってのもあるんですが、やっぱり金がかかるんで」


 乗り合い魔導車という大型の魔導車は、この魔導車の半分以下の速度しか出ないようだった。辻魔導車は乗り合い魔導車を次々と抜かしていく。


「だからね、今日は運が良かったですよ、お客さん方をあそこで捕まえられて。上得意さんを送った帰り、一服してたんですけどねェ。あそこからコーマにただ戻るにゃあちっと距離が長過ぎまさァ」

「わたし達も助かりました。あのままでしたら日が暮れてもコーマに向かって歩き続けていたことでしょう」

「ははは! そう言って貰えるとハンドル握る手にも力が入りますねェ! いや、いつも入ってるんですがね!」


 剣を持ち防御を固めた者達が乗った乗り合い魔導車とすれ違い、あるいは追い越しながら辻魔導車は街道を走る。

 都市圏内部の道路が街道に合流する地点でも足止めを喰らうことはほとんどなく、辻魔導車はすんなり通り過ぎることが出来た。乗り合い魔導車と辻魔導車がかち合った場合、道を譲られるのは必ず辻魔道車である。

 カーテンを寄せたガラス窓の向こうで景色がどんどん後ろに流れていく。速度はそろそろ百五十キロを超えそうだ。


「辻と乗り合いじゃ乗ってるお客が違いますからねェ。――んん?」


 前方を走っていた魔導車の速度が落ち始める。片側三車線、全ての車線で同じことが起きていた。速度を落とした魔導車はやがて完全に停車する。

 運転手はブレーキを踏み込んだ。がくんと魔導車がつんのめる。慣性に従い何メートルか引き摺られた後、辻魔導車はぎっくり腰になったような音を立てて止まった。ブレーキの利きが不安になるような、煮え切らない停止だった。

 場所は衛星都市間を走る道と街道の合流地点。辺りには停車した魔導車が並び、道行く人々も立ち止まってなにかを眺めている。


「どうしたのでしょう?」

「こりゃあ……」


 運転手が前方に目を凝らす。どの魔導車もそれぞれ十分以上に間隔を開けて停まっているので、彼の魔導車が停車している場所から原因が存在すると思われる合流地点まで二百メートル程距離がある。

 ややあって目的のものを発見したのか、運転手は歓声を上げた。


「おッ、こいつに行き当たるたァね! ほら、見えるかい? あの道の合流するところ! あっちの道から魔導車が来てんだろ? あのでっかいやつだ」


 運転手が指差す先では、彼の魔導車の二倍程の長さの魔導車がゆっくりと街道に向かってくるところだった。丁寧に磨き上げられた純白の車体は繊細な銀細工で装飾されている。窓を遮るのは縁に金糸で刺繍されたベルベットの真紅のカーテン。

 四台の漆黒の魔導車が護衛するようにその魔導車を囲んでいる。特筆すべきはその漆黒の魔導車が揃って同じデザインをしていることだった。これまで道路を走っていた、また魔導車乗り場にあった魔導車はどれ一つとして同じものがなかったのだ。そんな中で、細部までそっくり同じ外観をした四台の漆黒の魔導車は異彩を放っていた。


「なんでも農園で働いてた奴隷の娘が見初められたらしいんですよ。しかもそのお人ってのが随分偉いお人のようでね。本人は表に出てこないらしいんですが、その娘を引き取りに向かったのがなんと! ピルス・プリオルの冒険者なんですよ!」

「ピルス・プリオル?」

「ああ、お嬢さんは知りやせんか。そりゃむさ苦しい世界ですからねェ。冒険者には上級、中級、下級ってのがありましてね。ピルス・プリオルってなァ中級の一番上の階級の冒険者でさァ。おっと! 真ん中だからって大したことないと思っちゃいけやせんぜ! 上級ってなァ貴種の世界でね。ピルス・プリオルって言やァあっしら普通の冒険者の頂点なんでさァ!」

「運転手さんも冒険者だったのですね」

「おっと口が滑りましたかねェ。つったって魔導車の運転手ってなァみんな元冒険者なんですがね。動かす魔力がなくちゃならねェし、魔導車を持てるのは迷宮都市の役に立ったモンだけですからねェ。ま、階級は中級の一番最初、オプティオで頭打ちでしたが」


 純白の魔導車がゆっくりと街道に乗り込んでくる。真紅のカーテンがわずかに揺れ、ほんの一瞬隙間が出来る。那智らにはそれで十分だった。

 隙間から見えたのは真新しい服を着た顔色の悪い少女。肌は日に焼けて黒ずんでおり、顔のあちこちに湿疹がある。髪はぱさついて頬はこけていた。着ている服が可愛らしい上質のものだったので、それが余計に目立っている。

 その少女は、タオスの街で那智がギルド員に買戻しを依頼した少女だった。


「農園の主もねェ、そりゃ慌てふためいてその娘っ子を保護したらしいですよ。腹を空かせて藁の上で寝る生活から一転! 自分の娘みてェに手厚くしてやったようで。相手は奴隷の娘一人にピルス・プリオルを使うようなお人ですからねェ。そらァ怒らせたらえらいこっちゃと」

「ピルス・プリオル……」

「だって考えてみてくだせェ。ピルス・プリオルの上って言やァ……ね?」

「貴種ですか」

「おっとォ! はっきり言っちゃいけねェよ、お嬢さん! ここは迷宮都市、おとぎ話の中だけだと思ってた貴種もばっちりいるんですぜ!」


 運転手は大げさに辺りを見回しておどけた顔を作ってみせる。真剣に心配している訳ではないようだった。


「き――おっとっと、つまりそういうやんごとなき方にあの娘っ子は見初められたって訳でェ! いやァ、意外っちゅうかなんちゅうか――人の子だったんですねェ……」

「その方々はそんなに変わっていらっしゃるのですか?」

「変わってる……というか。……まァ……神の尖兵ですからねェ」

「神の尖兵」

「ええ。大げさだと思いますかィ? ま、こればっかりはね………」


 運転手は苦笑を浮かべて何処か遠くを見つめるような顔をする。すぐにその表情を消して、明るい声で続けた。


「その奴隷がいた農園はもう、都市中の娘が押し掛けたんじゃねェかってくらいの有様だったそうですよ。貴種ってなァ貴種同士で結婚すんのが常識ですからねェ。妾だってその辺の娘を選んだりしねェ。何処で知り合ったのか、なにをして気に入られたのか、あわよくば自分のことも紹介して欲しい……。それか貴種に気に入られたっていう娘っ子を一目見ようとする連中とかね」

「それは……大変な騒ぎでしたね」

「そりゃそうでさァ。なにしろ貴種ってのは凄まじく強い。その上色男揃いときたもんだ! 若い娘なんざいちころですよ。いや、家の女房もいちころかな!」


 運転手はからからと笑った。

 魔導車の列が進み始める。運転手が待ちかねたようにアクセルを踏み、再び魔導車が動き始めた。


〈……よォ、色男。こっちに来て三日目でこれか。なかなかやるな〉

〈ご両親への挨拶を忘れるなよ。大人しく一発殴られてこい〉

〈仲人はよろしく頼む〉


「耳の早い連中の間じゃもうこの噂で持ち切りでさァ。あっしもね、運転手仲間とかお客さんから色々聞きましたけど、冒険者ギルドが大慌てだったらしいですよ」

「大慌て?」

「ええ。あの黒い魔導車、四台ともそっくりだったでしょう? ありゃ冒険者ギルドの魔導車なんでさァ。紋章入りのとはまた違いますがねェ、あれが出てくるってこたァ――しかも単なる奴隷の娘の迎えにですよ? 相当上の方から力がかかったんじゃねェかと」

「上の方……冒険者ギルドの役員ということでしょうか」

「え? えェ、その通りなんですが……お嬢さん、知らねェんですかい?」


 運転手がバックミラー越しに那智をちらりと見る。声に少しだけ怪訝そうな調子が含まれていた。

 沙伊が口を開く。


「こいつはあまり外に出たことがなくてな。外の世界が珍しいんだろう。うるさくてすまない」

「いやいや!」


 運転手は恐縮したように肩を縮めて見せる。


「まァ無理もないですよォ。お客さん、よく見りゃそれ、結構立派なモン着てるでしょう? あッ、だから料金ぼろうってんじゃありませんけどね!? ……ま、そういうとこのお嬢さんなら大事に仕舞われてても不思議じゃねェです。それにあっしは元々おしゃべりでねェ。お嬢さんみたいなお客さんは嬉しいですよォ」

「ありがとうございます、運転手さん」

「ふふふ、それほどでも。で、冒険者のことでしたねェ。冒険者にゃあ貴種の方々もいるっつーことはお話しやしたね? 冒険者ギルドってなァね、大昔にあったそらもうすんげェ大帝国の一番偉い人、つまり皇帝が創ったものなんでさァ」


 終始伝法だった運転手の口調にかすかな憧憬が滲む。


「そのお人は元は剣闘士だったらしいんですかね、皇帝まで成り上がっちまったっちゅう凄まじいお方でして。そんでええと、そのお人が皇帝だった頃に冒険者ギルドってのを創りましてね。それまで戦う人間っていやァ国民、いや、市民かな? ともかく国の為に戦うのが自由民で、それ以外が奴隷。属州民だの傭兵だのはいたらしいですがね。そういう世の中だったんですが、ところが冒険者ギルドは力のある奴なら身分関係なしにいれてくれたんでさァ」

「皇帝が」

「そうです、皇帝です。退位した後も冒険者ギルドを盛り立てていくことに力を尽くされましてねェ。仕舞いにゃその帝国の戦力の中心になるまでになったらしいです。で、それが次の皇帝に受け継がれていくと。そんな訳だから、冒険者ギルドを仕切るのは国を治める方々だって相場が決まってるんですなァ」


 運転手は眼をきょろりと動かす。


「そんで国を治めてるのは誰かっちゅーと、皇帝陛下とか宰相閣下とか、総督とか知事とかでさァ。皆揃って冒険者ギルドに所属してて、そんでこの帝国の冒険者ギルドを仕切る総長が皇帝陛下です。つまりギルドの上の方ってーと……ね?」

「この国の施政に携わる者である、と」

「うおォッと! お嬢さん、ずばり言っちまいますねェ」


 運転手は大げさに肩を竦めて楽しそうに笑った。


〈へェ、為政者ねェ……。それが奴隷の娘一人に国家の軍事力たる組織を動かすと。……情熱的だな〉

〈まったくだ。親切な連中だな〉

〈…………〉


「こういうことはよくあるのですか?」

「まっさかァ! これまで一度だって見たことありやせんよ! だから噂で持ち切りなんでさァ」

「一度もない」

「ええ、少なくともあっしは見たことも聞いたこともありやせん! 奴隷のやり取り自体は珍しいことじゃありませんけどね? ほら、例えば人手が足りなくなって余所の農園から借りてくるとかねェ。でも今回のはそういうのとは全然違うでしょう。農園の奴隷を、しかも家族でもないもんが解放する。解放するにゃあ余計な金がかかりますからねェ。買い取っただけじゃそいつは奴隷のまま、そいつの子供も奴隷になるし土地だって持つことが出来ない」

「ギルドの魔導車というのは……?」

「そう、それさァ! あっしは今それを見て確信しやした。その単なる娘っ子をですぜ? 護衛するように囲むあの魔導車! こりゃあいよいよ噂も本当だったとしか思えねェ。――その娘、何処かのお偉いさんに見初められたんでさァ! いやァ、こんなことがあるとはねェ……」


 しみじみと顎を擦る運転手。


〈ほう、相当に珍しい事態だと〉

〈完全に目を付けられてるな〉


 沙伊は無感動に呟き、紅は口の端に笑みを上らせる。


〈おーおー、国家っつー馬鹿でけェ化けモンとばっちり目が合ってんぜ〉

〈避けて通ることは出来そうにないな。……致し方あるまい。接触するぞ〉

〈まったく、仕事が速いな……〉



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