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ハオサーク  作者: 桜前線
15/25

タオスの街 6

「ナチ様、足、足が地面から浮いて――!」

「おめでとうございます、ソロンさん。空中歩行を会得したのですね」

「違います!!」


 疾走する美しい貴人とそれに付属する村人の姿に、家の中の中年の女が口を開けて糸玉を取り落とし、汚物を運んでいた出稼ぎの農民がうっかり自分の足に零し、道端で手を差し出していた物乞いは目を擦った後疲れてるんだ、と呟いてそのまま地面に横になった。

 突如現れた貴人への驚愕がようやく落ち着いてきた街へ再び加えられた衝撃である。

 ナチ(とナチに掴まれナチの術によって浮かされたソロン)は悪臭漂う街中を駆け抜け、虜囚だった人々と村人達が待つ教会へ戻った。


「ナチ様!?」

「どうしたってんですかい、そんなに慌てて!?」

「ソロン!? 大変だ、ソロンがぐったりしてる!! 敵襲か!? 盗賊共の残党が!?」


 浮かばせたソロンを室内へと投擲。なにかを言いかけた表情を貼り付けたまま、ソロンは教会内部に飛び込む。布を手に燭台を磨いていた者、桶の前で雑巾を絞っていた者の間を錐揉みしながら通り過ぎ、見えないクッションに受け止められたかのように減速してから床に転がった。

 どうやら掃除をしていたらしく、腕をまくった村人達が騒然としてソロンを助け起こす。慌てた彼らは雑巾を持ったままソロンを支えた為、べしゃりと濡れた感触がソロンの背中に当たり、息も絶え絶えなソロンは微妙な顔をしつつナチを指差す。「ナチ様を狙ってきやがったのか!」といきり立つ村人達。いや、とソロンが否定する前に教会の入口に立ったナチが厳かに宣言する。


「皆さん、わたしは旅立とうと思います」


 いい感じの立ち位置だ。ちょうど外の光が差し込む場所なので暗い教会内部からだとまるで後光を背負っているように見える。


「ナ、ナチ様、もう……!?」

「旅立つって、何処に――?」

「まだ俺らなんのお礼も出来ねえで――」

「冬の日は短いで、もういくらも経たずに日が暮れちまいますよ!?」

「明日に伸ばしたら――」


 雑巾を持ったまま慌て始める人々。わたわたと振り回された濡れ雑巾が顔面を直撃して、ソロンが仰け反った。顔を擦り、手についた汚れを見て微妙な顔をする。


「ナチ様、供の者は……?」


 ナチが飛び込んできたときから目を白黒させていた神父が、ナチを見て、ナチの周りを確認して、訝しげな顔をした。


「そうです神父! 言ってやってくださ――ゲホッ、ゥゲホッ」

「ああッ、ソロン! 大変だ、さっきの四回転が響いたんだ!」

「あの見事な捻りか! ソロン、もういい年なんだからあんまりはしゃいじゃいけねェよ!」


 余計なことを言おうとしたソロンが咽せ、神父が慌てて水を取りに走る。村人達がソロンを取り囲み背中を擦る。ソロンはなにか言おうとするものの、込み上げてくる咳と口ぐちに捲し立てる村人達の声に紛れて言葉にならない。今が好機と見て、ナチは室内の者達に向かって爽やかに別れを告げた。


「では皆さん、お元気で!」


 人々が引き止める暇もなくナチは教会を出て跳躍し、幾度か壁を蹴り付け屋根へと飛び乗った。残された人々は押し合いへし合いナチを追う。


「おい、なんだこの濡れたの!」

「臭ェ! 雑巾じゃねェか!」

「ナチ様、お待ちください――!」


 雑巾が飛び、燭台を拭いていた布が舞い、桶がひっくり返って零れた水に滑る。玉突き事故のようになりつつ、雑巾を頭に乗せた村人が、尻を濡らした者が団子のようになって教会から飛び出る。そして何処から聞きつけてきたのか、路地裏から飛び出してくるコスタス及び部下達の姿。


「ナチ様ァー! 今度私達の村にも遊びに来てください!!」

「クレタス・マティ村もお忘れなく!!」

「タオスの街は生まれ変わりますぞ!! 遠く離れていても、ナチ様のお耳に届くような、そんな街にしてみせ――ああッ、翻る高貴なるお召し物から覗くおみ足……!! そ、そんないけませんナチ様!!」

「お気を確かに、隊長ォ!!」

「壁に上るには少々お腹のお肉が!!」


 眼下で叫ぶ人々に一度手を振って、ナチは屋根の上を駆けた。

 冬の冷たい空気が頬を打つ。

 蟻の巣のような路地が、腐臭を放つ廃屋が、あちこちで働く人の姿が、ぐんぐん遠ざかって行く。


 クレタス・マティ村の方角には、陽の差し込まない深い森。

 城壁の外、これからナチが向かう先には見渡す限りの荒地。

 灰色がかった透明な冬の空の下、冷たい風が吹き抜けていく。

 城壁の中の人の世界。

 城壁の外の魔物の世界。

 どちらも平等に、天高く昇った太陽は照らし出す。





 ――この世界の名はハオサーク。剣と魔法が席巻し、人と魔物が喰らい合う混沌の方舟である。













 磨き抜かれた黒い大理石の廊下に狼の影が映りこんでいた。

 うっすら銀色に輝くその影は本物の狼のものではない。壁際の台座の上で跳ね上がる、銀とミスリルの毛並を持った狼の像の影だ。

 その堂々たる体躯は撓められた強靭な筋肉を感じさせ、光を弾いてギラつく琥珀の瞳は鋭く獲物を睨みつける。金属で作られていながら冷たさをまったく感じさせず、今にも飛び掛かりそうな剥き出しの躍動感を全身で主張している。

 置かれているのは一体や二体ではない。

 長い廊下の端から端まで、狼達が一定の間隔を開けて廊下の両脇を囲み、獰猛さと叡智を兼ね備えた琥珀の瞳で行き交う者達を睥睨していた。


 床、天井、壁を覆う艶やかな黒い大理石。

 壁から天上までびっしりと繊細な彫刻が施され、その複雑に彫り込まれた一つ一つが黒く煌めいている。大理石に浮かび上がる銀と灰の模様は、寸分の狂いもなく彫刻の華として調和する。

 床は美しいアラベスク。深い黒の上で、銀と灰が幾何学的な模様を精密に繰り返して見事な造形美を作り上げている。

 一流の錬金術師達が長い年月をかけて錬成した、組成自体に魔術の回路を内包した漆黒の大理石。


 外に面した壁には全面に透かし彫りが施された、薄翅カゲロウの羽のような薄いガラスが幾重にも重ねられ、差し込む陽光を幻惑する。乱反射した陽光は率直な不躾さを持たず、柔らかな光のヴェールが美しい壁面を優しく撫でていく。

 まるで壮麗な神殿のようだった。


 国内で最も固く守護されている場所の一つであるこの施設は、ウルクラート帝国内の全ての冒険者ギルドを束ねる総本部である。


 その一画を銀灰色のマントを翻らせて歩く人影があった。


 長身の男だ。俗に農奴と呼ばれる農民達よりも優に頭一つ分以上高い。

 夜空に輝く月とよく似た紫がかった銀の髪。狼と同じ琥珀色の瞳。野性味と高貴さを兼ね備えた端正な顔立ち。

 男から溢れ出す、ともすれば野蛮になりそうな荒々しく獰猛な気配は、それを圧倒する威厳によって王者の威勢へと昇華されている。

 今にも襲い掛かってきそうな狼達も、男の前では忠実な従者のようだった。


 彼の名はアイダシュ・セルカン・アレクサンドリアス・ティ=ツェンナム。

 数多の小国を呑み込み幾つもの属国を持った大帝国、ウルクラート帝国の皇帝にして、この総本部の主。

 雌狼を象徴に抱くウルクラート帝国の支配者である。


「キュレーネ支部はどうなった?」

「なんとか持ち堪えました。数体の魔物が市街に漏れ出ましたが、重大な被害が出る前に全て打ち取られました」


 皇帝に答えたのは真紅のマントを羽織った男だ。

 身の丈はアイダシュと比べてわずかに高い。上質のワインのような赤髪に、それより少し明るいカーマインの瞳。鷹揚さを感じさせる口元に、通った鼻筋の高い鼻。端麗だが女性的なところは少しもない。


 ウルクラート帝国大宰相、ルキニアス・コスタポウラ・アレクサンドリアス。

 遥か昔、冒険者ギルドを創設した大帝国がまだ辺境の小さな都市国家だった頃、世界帝国を築き上げた大王の末裔。

 その血脈に宿る歴史の重みは皇帝の一族を凌駕する。当代皇帝であるアイダシュの母親もアレクサンドリアス一門の出身だ。

 もっともかつて東方の遊牧民族だった皇帝の一族は、帝国に数多存在する貴種の血統の中では歴史の浅い方なので珍しいことではないが。


「持ち堪えた、か。フン……相変わらず守勢の一方、そろそろ攻勢に出たいものだな。いい加減魔物どもばかりにはしゃがせてやるのは気に喰わぬ」

「まったくおっしゃる通りですが、攻勢に出ようにも何処に向かえばいいのやら」

「順当に考えれば迷宮の深部か」

「はい。けれどそこは絶対の死地。雑兵を送り込んだところでなんの成果もなく未帰還となるのは明らか」

「雑兵では足りず。ならばこの帝国で最も精強たる戦士が向かえばどうか」

「どちらにせよ帰ってくることが出来るかわかりませぬ。得るものがあるかもわからない。御身が向かわれるには少々不確かに過ぎる試みです」


 二人の会話を聞き咎める者はここにいない。

 周囲に人がいないのだ。

 壁際に立つ衛兵はおろか、二人に着いて歩く警備の姿すらない。


 この帝国の頂点に君臨する皇帝アイダシュと、次点でそれを支える大宰相ルキニアス。

 彼らと並んで”戦力”となるような者はそうはおらず、それが出来る者達を無駄に警護に割く余裕は今のウルクラート帝国に存在しない。いや、余裕がないのはウルクラート帝国に限らず、今のハオサークではどの国も似たようなものなのだが。


「キュレーネで貴種は幾人死んだ?」

「十四人やられました」

「結界は」

「あまり力のある家の者ではございませんでしたので、農村が二十五、小さな街が四つ。その内一門の者が引き継ぎきれなかったものが農村三つ。既に始末はつけたとの報告がありました」


 ”始末”――それはつまり、維持出来なくなった村を住人ごと処分するということだ。


 この世には二種類の人間がいる。

 貴種と平民。

 結界を張ることが出来る者と出来ない者。

 生きる為の土地を己の力で勝ち取れる者と、与えられなければ持てない者。

 領民とは領主の所有物だ。故に領主は領民に生きる土地を与える為結界を張る。

 もしそれが出来なくなったのなら、行き場を失くし溢れ出る領民を整理する義務がある。


 百人の民衆がいるのに、九十人分の土地しかなかったとしたら。

 彼らは十人を殺害する。

 それが支配者として為すべきことだ。


 生きる場所を失った民衆がなにを引き起こすか、この世界の支配者達はよく知っている。

 かつて存在した人類史上最大版図を築き上げた大帝国。冒険者ギルドの始まりの国。

 栄華を誇ったその帝国の崩壊が、それを如実に物語っている。


「貴種の減りが激しいな……。さして力のない家の者ばかりではあるが、積み重なれば響く」

「単純に産んで増やすという訳にも行きませんので。力の保持を考えるとどうしても……」


 二人はギルド総長の、つまりアイダシュの執務室へと向かう。一際豪奢な扉を開き、中へ入るとホールのような場所に出る。そこを抜けて最奥にあるのがギルド総長の執務室だ。


 そこは巨大な帝国の頂点に君臨する者の執務室としては、意外な程飾り気のない部屋だった。

 置かれている調度品も内装も、全て上質だが実用性を一番に重視したものだ。


 部屋の最奥にあるのが不思議な光沢のある紋が美しいマホガニーの執務机、アイダシュの机だ。

 その横にあるのがアイダシュの執務机と比べて少し小さ目の執務机。こちらはルキニアスの机だ。

 ルキニアスも総本部に自分の執務室を持っているものの、利便性と人手不足の影響でしばらく前からもっぱらこの部屋で作業している。


「中級以下の冒険者の損害は?」

「二百五十六名。下級が百八十二名、中級が七十四名。中層で食い止めることが出来た為、駆け出しの損害はありませんでした」


 アイダシュはフン、と鼻を鳴らす。


「相変わらずこちらの戦力は減る一方か。あれだけ殺してやったにも関わらず魔物共は一向に減らぬというのに」

「魔物とはそういうものでしょう。――陛下」


 ルキニアスが魔導通信機の画面から顔を上げる。


「どうした?」

「カルタルメリア州の総督から、コザーニ県知事サフィルスより緊急の報告があると」

「コザーニ県で確認された妙な魔力反応の調査に向かった者だな。緊急性はないがこれまで観測されたどれとも異なった奇妙な反応、迷宮が出現する時にも似た――」


 アイダシュの琥珀の瞳がゆるりと瞬いた。


「サフィルスへ直接余に報告するよう伝えろ」

「仰せの通りに」


 ルキニアスが魔導通信機で皇帝の命を伝えてしばらく、アイダシュの執務机の正面にある、銀と孔雀石で飾られた黒檀の台座から大きな画面が立ち上がる。

 淡い白色に発光する画面から音声が聞こえてきた。


『コザーニ県知事、サフィルス・レイヴァーノ・ゼノヴィアスでございます』

「姿を見せよ」


 アイダシュが許可を出すと、画面に深々と頭を下げた男の姿が現れる。背後は鬱蒼と茂った森だ。

 ぽっかりと開けた空間に夕陽が差し込んで、男の肩にかけられた藤色のマントを照らしている。背に描かれた紋章は斧と橙のカレンデュラ。

 周囲には切り捨てられた魔物の死骸が散らばっている。


「魔力反応があった森だな。前置きはいい。面を上げ、そこでなにがあったのか報告せよ」

『はッ!』


 男がゆっくりと顔を上げる。

 暖かみのある栗色の髪。ロイヤルブルーの神秘的な輝きを持った瞳。黄昏の中で最高級のサファイアのように光を放っている。甘さのある顔立ちに浮かぶ表情は薄く、整った造作もあって精霊のような印象を抱かせる。


 コザーニ県知事、サフィルス・レイヴァーノ・ゼノヴィアス。

 冒険者ギルドの始まりの国、かの大帝国の流れを汲む血統の継承者。


『魔力反応が出現した地点に不穏な兆候は見られませんでした。一部森が消滅しているものの、魔力が集積する様子もなく、魔物の様子も変わりありません』

「森が消滅?」

『はい。その部分だけごっそりと消し去られたように、苔も、木も、草も、なにもかもなくなっているのです』

「確かに妙だな。だが、それだけか?」

『この辺りに異国の貴種が現れたと』

「!」

「!」


 アイダシュとルキニアスの気配が鋭くなる。

 貴種とは国家の軍事力の枢軸だ。

 この地を支配するウルクラート帝国に知らせもせずに踏み込むとは。この非常時にその振る舞い、宣戦布告されたに等しい。

 行き詰った国が仕掛けて来たか。それとも――


『ただ、貴種といっても女性のようです』

「女だと?」

『はい。その者はここから最も近い街の冒険者ギルドに訪れたようで、接触したギルド員の報告では転移事故で飛ばされた、……海の向こうの国の貴種である可能性が高いと』


 海の果て。

 地図にない地。

 数多の伝説で伝えられる黄金郷、あるいは煉獄。

 言ってしまえばおとぎ話のようなものだ。皇帝に報告する内容としては些か夢想的に過ぎる。


『詳細はその者と接触したギルド員の報告にございます』

「上げよ」

『しばし失礼いたします』


 サフィルスが画面の背後へと周り込み、画面が消えた。

 それほど間を置かずに、アイダシュの通信機に情報が送られてくる。

 アイダシュはルキニアスにも同じものを送り、サフィルスには再び映像を繋ぎ待機せよと命じる。


 しばし無言でアイダシュとルキニアスはコザーニ県アルタス郡のタオスという街から上げられた報告書を読み進める。

 海の果てからやって来たという与太話。酒場の酔っ払いでもまともに取り合わないような話が書かれたその報告を、コザーニ県知事サフィルスとカルタルメリア州の総督が皇帝まで上げるべきと判断したという事実。それだけとっても尋常な事態ではない。

 実際に、報告書に記されていた内容は驚くべきものだった。


《――文法が全く異なる未知の言語を使用していた様子有り――》


 現在使用されているどの言語も、遡れば一つの言語に辿り着く。

 かつて存在した大帝国。人類史上最大版図を誇った冒険者ギルド始まりの国。

 そこで使用された公用語は、長い年月をかけて世界へと浸透していった。

 崩壊してから長い時が経ち、それぞれの地域に取り込まれ元々あった言語と融合し、やがて変質していったものの、それでも未だにある程度の互換性を保っている。


《冒険者ギルドに訪れた目的


 換金

 金五十キロ

 白金十キロ

 オリハルコン十キロ

 総額四兆三千九百億ヴァレール

 備考:これらの金属は女性自身が生成したものと思われる。この辺りで流通する通貨への質問有り。ミレス硬貨、ミレス紙幣についての知識がなかった。


 依頼

 アルタス郡クレタス・マティ村にて人身売買を行っていた盗賊と交戦した。貴種の女性に被害なし。その際商品達を保護。彼らを故郷に送り届ける為の護衛を求めていた。

 また、盗賊によって売り払われたクレタス・マティ村の住民を買い戻し、村へ送り届けることを依頼。彼女らが健康を損なっていた場合の治療費も支払った。

 総額五千三十六億四千二百万ヴァレール。


 クレタス・マティ村の住人の話では高度な癒しの魔術を使うとのこと。百を超える村人の多種多少な病、外傷を一度の魔術の行使で完治させたと、クレタス・マティ村の複数の住人が証言している。証言者達に外傷、外部からわかる疾患は見当たらず。外傷の中には片腕の欠損、骨折、広範囲の火傷が含まれている。ただ、これらは先に述べた百を超える村人を癒した魔術とは別に行使された魔術によって治療されたと証言。

 また盗賊に捕らえられていた商品達も、この貴種の女性によって快復されたと証言している――》


 一口に魔術と言っても、その種類は様々だ。

 現在冒険者ギルドで正式に採用されている分類では、大まかに分けて三つ。


 物質や生命をより完全な存在に錬成する魔術――――錬金術。

 一般には錬金術と言えば金属を生み出す魔術と認識されていることが多く、また一般に「錬金術師」と言えば金属の生成に携わる者を差すことが多いが、学術的にはその意味は多岐に渡る。


 物質や生命の性質を一時的に呼び出し再現する魔術――――召喚術。


 物質や生命に魔術式を組み込む魔術――――付与術。


 一つの現象を引き起こす為には幾つもの魔術を重ねて行使する必要が有ることが多く、強力な魔術であればある程分野横断的な傾向が強い。


 錬金術、召喚術、付与術。

 この三つはあくまで大まかな分類だ。

 実践的な分類分けをするとここから更に細分化され、その数は千を超える。


 魔術とは学問だ。

 実際に魔術を行使する為には必要な魔術式を理解し、その発動方法を習得する必要がある。

 更に魔術式を学んだとしても、その魔術に必要な潜在能力がなければ発動することは出来ない。

 そして魔術の難易度が上がれば上がる程、積み重ねなければならない下位の魔術は多くなる。


 銀を生成出来る者は銅を生成することが出来る。

 金を生成出来る者は銀と銅を生成することが出来る。

 白金を生成出来る者は金と銀と銅を生成することが出来る。


 一足飛びに白金を生成する魔術だけを覚えることは出来ないのだ。


 魔術によって生成される金属、その樹形図の頂点に位置する物質の一つがオリハルコンである。

 貴種の少女が持って来たという十キロのオリハルコン。

 かかった時間、労力にもよるが、もし彼女が生成したのだとしたら、この帝国で最も優秀な錬金術師達と比肩する力を持っている可能性が高い。


 そして百を超える村人達を一度で癒したという魔術。

 こちらは完全に現代魔術の常識を超えている。


 血液型、体質、アレルギーの有無、血圧、血液の状態――。

 人それぞれ身体の状態、生まれ持った体質は違う。

 治療する際には患者の状態によって使用する魔術を使い分けなければならない。

 血止めの魔術、血管再生の魔術、血液増幅の魔術、臓器再生の魔術、血圧降下の魔術、免疫力強化の魔術――。

 それらは更に幾種類もの魔術に分けられる。血止めの魔術を例にとると、よく使用されるものだけでも十を超える種類がある。

 幾つもの魔術の中から患者にあった魔術を選択し、人体を正常な状態に近付ける。

 それが癒師の治療だ。


 異なる疾患、外傷を抱えた複数人。

 それを一度で全快させる。

 そのような都合のいい魔術は有り得ない。


「癒しの魔術と縁のない村人が話を大げさに膨らませたか」

「そうであるとしても、それなりの癒師であることは間違いないかと」

「ああ。身体の内部はともかく、腕の欠損は誤魔化しようがない」


 内心を窺わせない眼差しがディスプレイに映し出された写真に向けられる。

 透明な表情を浮かべた美しい少女。


 少女の年頃は十代半ば。十五になるかならないか。

 貴種の寿命は長く、その大半を最盛期の姿のままで過ごす。

 アイダシュとルキニアスとサフィルス。三者共外見年齢は二十代後半だ。しかしアイダシュとルキニアスの二者とサフィルスの間には親子程の年の差がある。

 幼少期の貴種は平民と変わらない速度で成長する。その身に宿る膨大な魔力によって、身体が成長しきった時点で老化が止まるのだ。

 大抵の者の最盛期は二十代に来る。十代で成長が止まることはまずない。

 つまり、この少女の年齢は見かけ通りである可能性が高い。


 少女が使ったという癒しの魔術。そしてオリハルコンを少女が生成したのだとしたら。

 彼女は金属の生成と癒しの技、全く違った二つの分野に精通しているということだ。


 更に報告にあった少女がこの地に現れた経緯。


《――転移の魔術の暴発と思われる。また、自身の縁者が捜索に来る可能性を念頭に置いていた様子有り。おそらく転移の魔術を継承する血統である。今後国内に彼女の縁者が転移の魔術で現れる可能性有り――》


 生物の転移を可能とする汎用魔術は未だに開発されていない。ごく稀に特殊体質や『恩寵』として転移能力を得る者もいるが、あくまでそれは一代限りの特殊能力。血統によって継承することに成功した一族は存在しない。


 この少女の血統にもし転移の力が宿っているとしたら。

 それがどれ程の能力なのかはわからない。

 自分自身しか運べないかもしれない。数人を運ぶだけで精一杯かもしれない。

 だが一騎当千の戦士達が群雄割拠するこの世界ではその『一人』が大きな意味を持つ。

 仮に国内の何処かの一族がこの少女の血統を取り込むことに成功したら、家同士の力関係が大きく変化する危険性がある。

 他国に流出した場合は言わずもがなだ。

 見過ごすにはあまりにも『少女の血統が持つ可能性』は大きい。


「…………」


 半透明のディスプレイを琥珀の瞳で見据える皇帝に、鋭い視線で銀の文字を辿る大宰相、そして大画面の向こうで跪くコザーニ県知事。

 力ある者達。

 彼らはその内心を容易く悟らせたりしない。


「久々に愉快な話ではないか。――なあ、ルキニアスよ?」


 アイダシュは言葉の通り、端正な唇に楽しげな笑みを刷いてルキニアスに視線を向ける。


「海の果てから来た娘――真実であるとお考えですか?」

「さて、荒唐無稽ではあるがな。事実無根と断じてしまうにはいささか奇妙な点が多過ぎる。転移事故だとタオスのギルド員は判断したようだが……だとすれば随分と剛毅な娘だ。誰一人知る者のいない見知らぬ土地に飛ばされて、そこで盗賊を相手に大立ち回り。事後処理までこなしている」

「盗賊が扱っていたという商品でございますか」

「ああ。そして村から売り飛ばされた村娘を買い戻せという依頼。――ルキニアス、お前ならばこれだけ手厚い保護を与えるか?」

「いいえ。報告を読む限り貴種の目に留まる価値があるようには見受けられません。はなはだ過剰に過ぎるかと」


 ふむ、とアイダシュは頷く。


 貴種とは隔絶した存在だ。

 強大な力を持ち、食べる物も、住む場所も、服装も、知識も、立ち居振る舞いも、更には寿命まで違う。

 農村や地方都市の平民達が中世初期のような生活をしているのに対し、貴種は様々な魔道具を使用した快適な生活を送る。

 魔道具職人によってつくられる魔道具は全般的に高価だ。一つ一つが手作りで、その上一人の魔道具職人を育てるには一人の平民を冒険者に仕立て上げるよりも手間がかかる。また、魔道具職人になれるだけの適性もなければならない。

 魔道具を扱うにも魔力が要り、そして多くの平民は魔道具を動かせるだけの魔力を持たない。

 ハオサークでは階級によって生活の質が大きく異なる。

 貴種にとって平民とは土地を与え生かしてやる存在であり、また神に創られた同胞として種を存続させてやるべき存在である。


 ナチの行動はハオサークの貴種から見れば不可解なものだった。


「この村になにかあるというのか……?」


 そして――


 アイダシュは魔導通信版を操作する。画面に地図と、そして「認識不可能」というエラーが浮かぶ。


 アウロラ・カード――力ある者しか持つことの出来ないカードはそれ故にその使用記録、及び位置情報が冒険者ギルドへと送られる。

 もっともその位置測定機能の精度はあまりよくない。

 その理由は技術力ではなく政治だ。

 力ある者――つまりは貴種。

 彼らとの兼ね合いもあり、アウロラ・カードの位置測定機能は精度が悪いまま放置されている。


 そんな事情のあるアウロラ・カードの位置測定機能ではあるが、一応おおよその位置は把握出来る筈であった。

 しかしアイダシュの前にナチの位置は示されない。遮断されているのだ。


 偶然か、それとも――


「―――サフィルス。そなたが今いる場所はクレタス・マティ村の近くだな?」

「はい」

「そして其処は奇妙な魔力反応があった場所でもある、と」


 果たしてこの二つの事実に繋がりはあるのか否か。

 アイダシュは命じる。


「クレタス・マティ村を調査せよ。そしてサフィルス。そなたはただちに娘を追い、発見し次第保護下に置け。娘が街から出て行ってからまだあまり時間が経っていない。話が広がる前に急ぎ身柄を確保せよ」

「御意」



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