タオスの街 5
役場での邂逅にて幾人かの人生を盛大に方向転換させたナチは、虜囚だった人々を連れて再び冒険者ギルドに訪れた。
冒険者ギルド――タオスの街で最も設備に優れ、厳重に守られた場所である。この街にあるのは単なる派出所だが、それでも周辺の施設とは比べ物にならない。
莫大な資金と技術力を背景に、冒険者ギルドは全国何処でも統一した規格、設備を揃えている。
そんな冒険者ギルドの職員は、当然の如く高度な知識と専門性を兼ね備えた優秀な人材だ。
タオスの街のギルド員たる青年もその例外ではない。
彼は役場にあったものより遥かに詳細な地図を片手に、人々のあやふやな証言から故郷を割り出し、村人の足で歩いた場合におおよそかかる時間を弾き出した。
地図があるとはいえ容易く出来る芸当ではない。人々が覚えている曖昧な地理や地元でしか通用しない村の名前(国から正式に与えられた村の名前とは別に、昔からの愛称のような名前で覚えていることが多いのだ)、生産物を聞いただけで彼は出身の村を特定したのだ。
彼の脳内には周辺の村、道の様子が詳細に刻み込まれていた。
冒険者ギルドとは帝国のもう一つの統治機構なのだ。
「――では冒険者の階級は下級のデクリオンもしくはテッセラリウスということで、総額でミレス金貨三十六枚とミレス銀貨四十二枚でございます」
ナチが金貨と銀貨を受け付けに乗せる。
青年は手早く確認して手元の黒檀の木版――これは魔導通信板だ。冒険者ギルドに備え付けられた設備の一つであり、相互接続によってネットワークを形成する魔道具である。全て同じ黒檀の木から削り出した板に銀と金で施した魔術式。これによって遠く離れたギルド間でも即座に情報をやり取りすることが出来、あらゆる情報を中央に集積することが可能となる――に入力した。
現在冒険者ギルドにいるのはギルド員の青年、ナチ、そしてソロンの三人だ。情報を聞き終えた後、虜囚だった人々は教会に戻っている。
壁にかけられた時計がカチコチと音を鳴らしていた。針は二本、細い秒針と長い時針のみ。文字盤には一から十二までの数字が刻まれている。
「この金額は全ての依頼をテッセラリウスが受けた場合を仮定しております。一階級下のデクリオンが受けた場合、その差額を返却することが可能ですが、ナチ様は当ギルド、または協賛ギルドに口座をお持ちではないので、お近くの冒険者ギルドに出向いていただくことになります。口座をお作りいたしますか?」
「口座?」
「はい。全ての冒険者ギルド、または協賛ギルドの窓口で入金、引き出しが出来るようになります。口座には幾つか種類がございまして、ナチ様ならば最上級の安全性を持つ口座を開設することが可能です。金貨千枚が必要となりますが、その安全性は他の口座と比べ物になりません。口座のレベルはともかく、もう一つのご依頼のことを考えても、お作りになるのをお勧めいたします」
「お願いします。そちらがおっしゃった口座で」
「かしこまりました」
うやうやしく一礼した青年は三連の孔雀石が嵌め込まれた台座に向かい――――この台座も魔道具だ。物体を瞬時に遠隔地へ移動させる転送装置。ギルド間の物質のやり取りを可能にした希代の大発明だ。それまで特殊な素質を持つ限られた者しか扱えなかった転移の魔術の汎用性を、物質のみとはいえ流通システムに取り込めるまで高めた――一枚の光沢のあるカードを取り寄せた。
続いて金庫の中から手の平に収まる大きさの、長方形の魔道具を取り出す。魔導写実機、透明な水晶のレンズの嵌め込まれた銀色の魔道具だ。
「本人確認の為に、お写真を撮らせていただいてもよろしいですか? これは魔導写実機、魔道具です。怪しい物ではございませんので」
「魔道具……」
「簡単な造りのものですけれどね。では、そちらの壁を背後にしていただいて……」
ナチは黒い光沢のある壁を背にして、写実機の四角いレンズを見つめる。青年が水晶のレンズを覗き込んでナチに合わせ、ボタンを押す。光や音はない。
「……はい、もう動いていただいて大丈夫です」
「撮れましたか?」
「美しくお写りでございます」
青年は受付に戻って親指の爪くらいの大きさの、丸い銀の小片を取り出した。それぞれ一枚ずつ写実機と通信板に乗せると、小片は熱い紅茶に乗せられた角砂糖のように溶けて消える。
写実機を通信板に接続して、写真の情報を送る。
「登録するお名前はナチ様、だけでよろしいですか?」
「はい」
「では次にカードを作ります。これが口座の安全性の要ですね。魔力を記録して、同じ魔力を持つもの、つまり本人にしか扱えないようにするのです。一人として同じ魔力を持つ者はおりませんから」
「なるほど、安全ですね」
「それはもう」
異国の貴人に称賛されて、青年は礼儀正しい表情の中に、礼を失しない程度に誇らしさを混ぜて微笑んだ。彼は平均的なギルド員であり、つまり自らが所属する偉大なる冒険者ギルドに対して忠誠を誓っている。
青年は先程取り寄せたカードに、銀の小片を二枚乗せる。
白金の板に紅色の金属で複雑な模様が描かれているカードだ。水平線から昇る太陽のように輝く金属、オリハルコン。触れているだけでそのカードから沸々と湧き出る魔力が感じられる。
黄金よりも稀少な白金に、この世で最も硬い燃えるような緋色の金属、オリハルコンを惜しみなく使った一枚の芸術品。頂点に立つ者達しか持つことの出来ない力の象徴。
チップが溶けたのを確認し、青年は通信板にカードを接続して調整を行う。
黒檀の板に半透明の画面が立ち上がり、その上を銀色の文字が躍る。カードにナチのデータを入力するのはほんの触りだ。重要なのはカードに魔力を記録する為の下準備である。
「……よし。後は魔力を流し込んでいただければ完成です」
青年はうやうやしくナチにカードを渡す。
カードを受け取ったナチは気合を入れた。
なにしろ彼女は『魔道具』というらしいこの世界の呪具、初体験である。
ちょっとした浮かれ気分に任せてナチは”力”を練り上げた。
それを上機嫌で見ていられなかったのが青年、及びギルド内にいたソロンである。
空間を埋め尽くしていく濃密な魔力。
ギルド員である青年はもちろん、単なる村人であるソロンの感覚にも軋みを上げて襲い掛かってくる暴力的なまでに膨大な魔力の塊。
要するに、ナチは少々張り切り過ぎたのだ。
ソロンは今まで感じたことのない感覚に真っ白になり、青年はさすがギルド員、数瞬で我に返ってナチを阻止すべく受付を飛び越した。
(ちょっ、この貴種、ここに樹海でもつくるつもりか!? げ、限度ってもんがあるだろうが! って、あああ、ギルド、ギルドの壁がぎしぎし言ってる――!!)
「少々過剰なようでございます!!」
高貴なる客人の機嫌を損ねないよう言葉の選択はばっちりだ。心の中でどんな言葉を絶叫していようと表に出さない接客業の鏡である。
青年は鉄壁の笑顔を浮かべたままナチの手から迅速かつ丁寧にカードを回収する。その顔がやや引き攣っているのはご愛嬌だ。
女の柔らかい魔力でも、常識外れの量があれば脅威になることを青年は今日、知った。室内に充満した魔力の圧迫感は、手練れの冒険者の威圧に勝るとも劣らない迫力だった。
「魔力を記録するだけですので、棺桶に首まで突っ込んだ死にかけを全快させるような魔力は要りません! 大丈夫でございますよ、そんなに力を入れていただかなくても、ええ、まったく問題ありませんとも!」
「棺桶に片足を突っ込んだ死にかけを回復するくらいの魔力でしょうか?」
「いえいえ! ほんのすこーし、その百分の一もあれば大変結構です!」
「ナチ様、加減が大事です!」
奮闘する青年と加勢するソロン。目を皿のようにした二人に監視され、ナチは再びカードに魔力を込めることを試みる。
監視する二人の、凶悪な竜に立ち向かわされる無力な村人のような顔にナチは少し反省した。
「……見習わなければなりませんね」
そう、コスタス達のような細やかな心遣いが出来るように。
反省したナチの精密な操作によって、無事カードに魔力は込められた。微塵も余所に魔力が漏れ出すことなくカードが光り輝く。
固唾を呑んで監視する二人がカードを凝視する。そして顔を見合わせた。力強く交わされる握手。
「素晴らしいです、ナチ様!!」
「完璧です、ナチ様!!」
受付に戻った青年が、ナチからカードを受け取って最後の仕上げをする。黒い手袋を嵌めた指に黒檀の通信板が叩かれる度、カードに描かれた模様が変化する。最後に一度、眩い朱金の輝きを放ってカードは完成した。
「では、代金と口座への入金のことですが……」
「これを換金して、支払と入金をお願いします」
ナチは巻物から日緋色金――こちらではオリハルコンと言うらしい――のインゴットを取り出した。重さは十キロ。
「オリハルコンですか!」
青年は思わず驚愕の声を上げた。カードに使われているオリハルコンと酷似した金属のインゴット。それも充分な大きさのある。
錬金の魔術にも難度がある。銅よりも銀を、銀よりも金、金よりも白金を生成することが難しい。オリハルコンを、しかもこれだけの量を生成出来る者はこの広い帝国でも何人いるか。
「換金出来ますか?」
「もちろんでございます。これはナチ様の魔術によって……?」
「そうですが……術によって創り出したものは買い取っていただけませんか?」
「そのようなことはございません」
インゴットを持ち上げる青年の手に汗が滲む。インゴットには不思議な温もりがあった。ゆらゆらと紅く揺らめく、手袋越しにも内包する膨大な魔力を感じさせる金属の塊。
転送装置に接続した通信板でインゴットの真贋を確認する。
――――オリハルコン。重量十キロ。
通信板を操作して、インゴットの代金を作ったばかりの口座に振り込む。
「オリハルコン、十キロ。四兆ヴァレールでございます。内、千億ヴァレールは口座作成の代金として引かせていただき、口座には三兆九千億ヴァレールが振り込まれます」
青年は通信板の画面をナチに見せた。銀色の文字で口座の情報が映し出されている。
「もう一つのご依頼のことですが、過去冒険者ギルドに寄せられた依頼を調べたところ、類似した例を幾つか見付けることが出来ました。ただ難しいのが、奴隷というのは性能や用途によって価格が大きく変動しますので、相場を決めるのが困難なんですね。どれほどの金額で買い取れるのか、どの程度が妥当なのか。単なる村娘なので、そう法外な値段にはならないと思うのですが」
ソロンが顔を顰めて腕を組む。顔見知りの村娘の境遇を思えば、そして自身の娘を危うく売り飛ばされかけた彼にとって心地いい話題ではない。仕事だとはわかっているものの、青年の事務的な口調もソロンの神経を逆なでする。
「いただいた彼女らの似姿を見れば飛び抜けて見目が言い訳でもない。おそらく購入した者は百万ヴァレールも支払わなかった筈です。三人の内二人は娼館――というより売春窟でしょうね、ここは。売春窟に売られた二人は買い取るのにそう苦労はしない筈です。こういったところは後ろ暗い事情を抱えている経営者が多い。冒険者が乗り込んでいって、相応の金額を示せば大人しく差し出すでしょう。売られてからそう時間は経っていませんので、まだ使い潰されてはいない筈です。肉体の欠損についてはあまり心配する必要はないでしょう。ただ、手足の腱の切断、薬物による中毒、病気をうつされている可能性などないとは言えませんので、健康体にすることを望むのならばそれなりの費用がかかることかと存じます」
青年はさり気なくナチを観察する。
その美しい顔には動揺も嫌悪も浮かんでいない。内心がまったく読み取れなかった。
(さすがは貴種、といったろころか。だが、貴種とはいえ女性、しかもまだ子供といってもおかしくない年頃だろうにこの話題の中この余裕。支配階級としての教育を受けているのか?)
「もう一人については少し厄介です。彼女がいるのは中流層向けの作物を生産している農園。村娘にそういった農園で使用する魔道具を扱えるだけの魔力はない。強制的に魔力を吸い上げる処置を施されている可能性があります。魔力の枯渇は命に直結する。急がなければ手遅れになるかもしれません」
「解決できますか?」
「なるべく階級の高い冒険者を雇い、交渉にあたらせます。冒険者の階級はなんと申しますか……社会的な階級に匹敵しますので。上級は無理だとしても出来れば中級の、それも上の方の階級の冒険者を雇い、そして資金を惜しみなく用意することが肝心かと。本来ならばナチ様の一言で片付くのでしょうが、なにぶんナチ様は異国の方。それもこの国にいらしてから日が浅い。この国にナチ様のお知り合いの方は……?」
「ありません」
さり気なく探りを入れた青年に、ナチは首を振る。
青年はそれに目敏く目を止める。首を振ることで否定を表すはこの辺り――この辺り、といってもカルタルメリア州のことだが――の習慣ではない。カルタルメリア州では否定する時頭を反らして顎を上げるのだ。
そもそも外見からして青年の見たことのない人種である。帝国を構成するいくつかの人種のどれとも違う。似ている人種もあるような気もするが、やはり違う。
(唇の動きと聞こえてくる音が違う。翻訳の魔道具だろうな。ウルクラート帝国程の巨大な国家だ、公用語の翻訳機など何処ででも手に入れることが出来る。見慣れない衣服……異国の女性服か。だが、何故一人なんだ? 一度見たら忘れられない凄まじく目立つ貴種の、それも戦闘力のない女性を一人で送り込む意図はなんだ? そもそも何故こんな場所に現れる。村人と協力して盗賊を倒したと言っていたが――)
ギルド員の青年。彼はウルクラート帝国の役人であるコスタス達よりも、余程真剣に国家の守護者たる務めを果たしていた。もう一つの統治機関、冒険者ギルドの面目躍如である。
「でしたらやはり階級の高い冒険者、それも社交性のある――付き合い方を心得た者を雇い、交渉させるべきでしょうね。なにしろ戦闘に生きる者達ですから、そういったことに気が回らない者も多いのです。幸いこの農園の持ち主はさほどの力がある訳ではない。ごく普通の、引退した冒険者が起ち上げた農園です。今は三代目のようですね。依頼として農園の奴隷を買い取りに向かっても問題はないでしょう。ただ注意しなければならないのが、奴隷とは主人の持ち物、当然なにをしても罪には問われないので、交渉の最中に機嫌を損ねれば、相手の性格によっては意趣返しに目的の娘が殺害される可能性がございます」
「だから付き合い方を心得た者であることが重要なのですね」
「さようでございます」
目まぐるしく思考を巡らせていることなどおくびにも出さずに、青年はうやうやしく応対を続ける。
(村娘に惜しむことなく金を注ぎ込もうとする。クレタス・マティ村になにかあるのか、それとも彼女にとって惜しむほどの金でもないのか。ソロンという村長も、他の村人達も怪しいところは見られない。どう見ても単なる村人、運なく盗賊に目を付けられただけの無力な者達だ。彼女はこの辺りに来たばかりだとそう言った。『この辺り』とは? 冒険者ギルドのことを知らないような素振り。だがそんなことは有り得ない。冒険者ギルドが存在しない僻地だろうと、冒険者ギルドをまったく知らないということは有り得ない)
青年の身贔屓ではない。国境を越え、数多の大国に広がる冒険者ギルドは、紛れもなくそれだけの強大さを誇る組織である。
(僻地の、生涯生まれ育った村から出ることのないような農民なら納得出来なくもない。だが彼女は貴種、それも相当の力を持った貴種だ。世事から隔離されて育てられたなら有り得なくもないが、彼女の振る舞いはそういった類の人間のものではない。力ある者、連綿と続く血統の担い手――相応の教育を受けている筈)
「そのような性質の依頼となりますので、かかる経費を試算することが難しいのです」
「口座に預けたお金は全て使っていただいて構いません」
「それは……でしたら、充分かと。はっきりとは申しかねますが、ミレス金貨千枚、千億ヴァレール以上かかることはないでしょう」
考える様子もなく口にされた言葉。
三兆九千億ヴァレール、ミレス金貨三万九千枚。それを村娘一人に使って惜しくないという。
貴種にも格がある。貴種ではない者達、貴種と関わることのない者達から見ればどの者も常識外の力を持っているのにかわりはなく、その違いはわかりにくい。だが、確かにその差は存在するのだ。ともすると平民と貴種の間に横たわるものより大きな差が。
(やはりあのオリハルコンはこの少女自身が生成した可能性が高い。どれほどの期間をかけたかはわからないが、見知らぬ村人に容易く――。間違いない。貴種の中でも相当力のある血統だ。上層の、それこそ大国の中枢、その核心に存在するような血筋……。だが、何処の? 何処にそんな国がある? 彼女の言が本当なら、彼女は冒険者ギルドの存在をここに来るまで知らなかった。有り得るのか? 見たことのない人種――何処だ? そんな国が、一体何処に)
「農園の奴隷と売春窟の二人、三人共、完全に健康体に回復させクレタス・マティ村まで送り届ける。これも冒険者にご依頼を?」
「はい」
「身体の状態によって回復に時間がかかる場合がございます。また深刻な欠損があった場合には、回復するのに少し手間をかけなければならない可能性も。欠損を再生できる程の癒師は数が少ないので……。その手配もこちらにお任せいただけますか?」
「お願いします」
「多目に見積もっても……総額五千億ヴァレールあれば充分です。経費や成功報酬、細かい振り分けはこちらが行う。全ての依頼が終了した後、残額は口座に返金されます。よろしいでしょうか?」
「はい」
青年は通信板を操作し、依頼の情報を入力する。
ナチはやはり読めない表情でそれを眺めている。
そんなナチがなにを考えているのかというと――実はなにも考えていなかった。
ナチは万一発覚した場合の影響を懸念し、術によって情報を読み取ることを試みてはいないものの、青年が不審に思い探りを入れていることは察していた。しかしここはナチにとってまったくの異世界。下手に取り繕おうとすればするほどぼろが出るのは明らか。
よって、ナチは誤魔化すことを放棄した。要するに開き直ったのである。これで厄介事になったのならそれはそれで仕方がない。青年はナチよりも弱そうであるし、腕力とか術とかで切り抜ければいい。
そうしてナチは探りを入れてくる青年を尻目に、悪臭の漂う街中に咲いた一輪のオアシス、清涼な空気に満たされた居心地の良いギルドで悠々と寛いでいるのであった。
「では、カードの使い方をご説明させていただきます。正式名称はアウロラ・カードと申しまして、何処でも口座内容を確認することが可能な――」
当然そんな内心を予想出来る筈もない職務に忠実なギルド員は、本来の務めとして依頼人へ抜かりなく応対しながら、同時にナチの情報を少しでも探ろうと奮闘する。
青年のこの必死さには訳がある。他国の貴種が何時の間にか国内に侵入しているなど、とんでもない一大事なのだ。
貴種とは国家の枢軸、軍事力の中核にして生産力の要。
これでナチの性別が男だったのなら、青年は悠長に情報集などせず本部に緊急連絡を入れていただろう。他国の軍団が武装解除もされず国内を闊歩しているようなものなのだ。許可なく国に侵入する、それだけで国家に対する侵略行為と見做されても文句は言えない。
だが、ナチの性別は女。事情はまったく異なってくる。
貴種の男が軍団ならば、貴種の女は宝物庫だ。
生命に力を与え、富を生み出す。それでいて戦う力を持たない。
故に生まれ落ちたその瞬間から、貴種の女は厳重に守られる。幼い頃は家族である貴種の男によって。長じて後は伴侶によって。
貴種の女は同じく貴種の男の庇護下に置かれる。それが鉄則だ。
貴種の女が供も連れず一人で、それも異国にいるこの状況は尋常ではない異常事態である。
「それにしても、これほど寛大にお慈悲を施しになるとは……。そこのソロンという者が申したように、まさに天より降臨された慈悲深き天使のようでございます」
「え、私ですか? あれ、そんなこと言った――」
「クレタス・マティ村は幸運です。ナチ様にお目をかけていただけるのですから。この辺りに来たばかりということでしたが、一体何時村の苦境をご存じになったのですか?」
「村を見たら、ちょうど村人達が盗賊に襲われているところだったのです」
「では偶然ということですか……。クレタス・マティ村はよくよく運が良い。――しかし、ナチ様」
青年は改まった様子でナチに向き直る。
「それでは盗賊達と戦われたのは成り行きだった、ということですか? 村人達の苦境を見過ごせず、思わず?」
「そうではありません。不愉快なものを取り除こうとした結果です」
「村人達も、ナチ様の激励を受けたのなら、さぞ奮闘して――」
「あ、いえいえ」
感銘を受けたような口ぶりで話す青年にソロンが口を挟む。
「ナチ様が共に戦ってくださったのです。私も及ばずながら少々棍棒を振るいましたが」
「……戦った? ナチ様が?」
「ええ、はい。――あ! ですけど、ナチ様はそうじゃありませんよ!」
青年に凝視されたソロンが慌てて付け加える。
「私の怪我も村の連中の患いもすっかり治してくださって――」
「村人達の背後から魔術と治癒で応援されたと、そういうことだな?」
「いえ、村の連中は危ないんで村に残っていて、ナチ様と私が盗賊達の根城に」
青年は眩暈を覚えた。盗賊? 盗賊の根城だと?
「そ、そうか、人身売買する盗賊の根城に、貴種の女性、それも他国の」
「いやぁ、ナチ様がほとんど倒してくれたもんで、私なんかちっとも役に立たなかったんですけどね」
「ソロンさんは立派に戦っていらっしゃいました」
「そうですか? そう言われると照れちまいますね。私もね、訓練っつーか棍棒で打ち合ったりはしてたんですけど、実戦はあんまり――」
和気藹藹と話すソロンとナチ。その間、青年は罅の入りかけた精神を必死に糊付けしていた。そしてギルド員の誇りを胸に再び挑む。ただし質問は先程よりずっと直球だ。取り繕う余裕はあまり残っていない。
「随分と、仲が、よろしいようですが、ナチ様は何時からクレタス・マティ村に……?」
「昨日です」
「もう長いこと経ったような気がしてましたが、まだ昨日のことでしたねぇ……」
しみじみと言うソロンを努めて無視して青年は質問を続ける。
「昨日、ですか。この辺りには最近来たばかりとおっしゃってましたね。クレタス・マティ村に訪れる以前は何処に?」
「『海』にいたのですが、気が付いたら森に変わっていたのです。クレタス・マティ村の近くの森の中に」
「き、気が付いたら、ですか。ナチ様、お連れの方は……?」
「共に来てはいないようです」
「……」
青年は天上を見上げた。回転する羽から送られる清涼な空気が頬を撫で、遠ざかりかけた意識を優しく、しかし有無を言わせず現実に引き止める。
(転移の魔術……か? 生物の転移は非常に困難だ。どれ程優秀な魔術師でも特殊な素質がなければ発動できない。転移事故――彼女にその素質があり、なんらかの事情で暴発してしまったのなら――)
「ナチ様のお国は、どちらに……?」
そう言いながら、青年の視線が壁にかかった地図へと動く。白金と黄金の地図。
「あの地図には見当たりません。見慣れない地図なので、何処にあるのかはよく……」
「――!!」
(やっぱり……!! 薄々そんな気はしていた! 見たことのない人種だし、服の形も変わってるし、唇の動きが知ってる言葉と全然違うし……!! 単語が違うどころじゃなくて、文法からして全然違う感じだったもんな、そうだよな、『この辺り』――ああ!! この辺りって、この辺りって――世界地図丸ごとかよ!!)
「う、海にいたとおっしゃった気が」
「何時の間にか『海』が森に変わっていました」
ナチは間違ったことは言っていない。
ナチが直前まで居たところは『海原』と呼ばれる場所だ。そう呼ばれているだけで、実際に海水が満ちている訳ではないが。
そして当然そんなことは知らない青年は、当たり前のように塩水が満ち波打つ海だと理解する。
(う、海の向こうから、だと……? 人がいたのか……!! 海の向こうから来た人間……!! 黄金の大地は本当にあるのか? 魔物は? 魔物がいないというのは本当なのか!? 常に豊かな果実が実り、野には宝石で出来た花が咲くと――)
「う、海ですか! 海――海もいいですが、陸も捨てたもんじゃないですよ!!」
「ええ。還る場所ですので、自らが希薄になっていくのと同時に不思議と安らかな気分になりますが……陸には陸の、『海』には『海』の、それぞれの良さがありますよね」
「お帰りになるまで、冒険者ギルドがしっかりとお守りいたしますので!!」
「?」
「?」
ナチは首を傾げた。青年も首を傾げた。
「お連れ様はいらっしゃらない……ですよね?」
「はい」
「……あの、失礼ですが、これからのご予定は……?」
「向こうの方に行こうと考えております」
何処からか取り出した扇子をある方向に向けるナチ。その先にはギルドの壁がある。
青年は沈黙した。ソロンに目をやる。必死になにかを訴えかけてくるソロンの目とかち合った。
「――ナチ様!! まさかとは思いますが、お一人でいらっしゃるおつもりですか!?」
「一人という訳では……ほら、後から追いかけてくるかもしれませんし」
「それを一人と言うんです!!」
「よく言うではありませんか、離れていても共にいると――」
「精神世界の話をしているのではありません!!! 危機は現実で起こるのです!!」
ナチの真意を探ろうという目的は青年の頭から綺麗さっぱり吹き飛んでいた。いや、正確には一つの結論を出していた。
(迷子だったのか!!)
そう考えると、内心の読めない表情も、一人異国に飛ばされた貴い少女の緊張の証のように見えてくる。
「ナチ様、どうか今しばらくお待ちください。高貴なる女性が危険に晒されるのを見過ごすは、このウルクラート帝国冒険者ギルドの名折れ。必ずや最高の戦士達を呼び寄せますので!」
「戦士? 呼び寄せ……、大丈夫ですとも! 本能が警鐘を鳴らす場所へ飛び込んでいけというのが我が一族の教えです!」
「ナチ様、それは男性用のものと存じます!」
「いえ、男女差別はよくないと最近巷でも――」
「ナチ様にとっては全てが全て見知らぬもの。ご不安になるのもまことにごもっともでございます」
「ふ――」
「ですが! 冒険者ギルドは並ぶ者のない勇者達の集う場所! それは誓って真実でございます!!」
青年は燃えていた。この少女が然るべきところに保護されるまで、守り抜かなければならないと燃えていた。それが誉高いギルド員たる己の役目である。
(転移の魔術――この方自身の魔術か? それとも他の人間にかけられたのか? この方自身の魔術だとしたら、今ここにいることから見てもまだ制御出来ないのだろう。自分で帰ることは困難。後から追いかけてくるかもしれないと言っていた。転移の魔術を受け継ぐ血統か? だとしたらこの方の血縁の貴種がここに現れるかもしれない。それまでは我々が保護しなければ!)
青年がそう結論を出したのも無理はない。盗賊から村を救い、捕らえられていた者達に心を配る。ナチの行動に不審なところはなにもない。あえて言うなら存在自体が不審だが。
「淑女をお守りするのが戦士たるものの務め! 誓ってナチ様には指一本触れさせません! どうか護衛をお申し付けに!!」
「そうですよ、ナチ様! 昨日はよくわからない内に話が終わってしまいましたが、今度は誤魔化されませんからな!」
受付から乗り出さんばかりに言い募る青年に、ここぞとばかりに加勢するソロン。
「いいですか!? 貴族の女性は狙われやすいんですよ! 貴族の男性に守られてたって隙を見て攫われた、なんてことに事欠かないんですから。この辺りでも昔一人誰だかが攫われたって話ですよ! その家はもう没落して平民になっちまったようですが」
「見知らぬ者に護衛を任せることがご不安ならば、どうかこの街にご滞在を!! この街の施設では物足りないとは思いますが、精一杯心地よく過ごしていただけるよう尽力いたしますので! なんでしたら私めが本部にかけあってナチ様の護衛を――」
余裕綽々で寛いでいたら何時の間にか面倒なことになっていたナチである。腕利きの護衛などつけられた日には、朝も昼も夜も自身の戦闘能力が露見しないように気を張らなければならない。守られるどころか神経が磨り減るだけである。正直勘弁して欲しい。
なのでナチはさっさとこの場を後にすることにした。聞きたいことはまだあるが背に腹は代えられない。
「――ああッ、もうこんな時間に!」
ナチは素早く椅子から立ち上がった。脱いでいた毛皮のマントを肩に引っ掛け、巻物から金、銀、銅、鉄、亜鉛、その他諸々のインゴットを取り出す。宙に浮かんだ大量のそれを今にも受付を飛び越えて来そうな青年に目がけて殺到させた。
「うおッ!!」
「この街の執政官、コスタスどのには大変世話になりました。どうかこれを換金して渡してください!」
金属の山に埋もれた青年の上から更にインゴットを乗せる。
「ナチ様、何処へ――」
「わたしは明日へ向かって旅立たねばなりません! ありがとうございました!!」
ナチはソロンの腕を掴み、冒険者ギルドから飛び出した。