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ハオサーク  作者: 桜前線
13/25

タオスの街 4

 ウルクラート帝国の官僚制度は臣民に対して広く開かれている。

 採用において出自の高低が問われることなく、純粋に本人の能力によって選ばれるのだ。親が高位の役人であっても農民であっても採用基準に影響はない。

 求められるのは役職に見合った知識、そして人の上に立つ為に必要不可欠な戦闘能力である。


 とはいえ日々の暮らしも精一杯な農民や下層階級に役人になる為の勉強をする時間も機会もある筈がなく、戦闘能力にしたところで生まれ持った素質というものがある。同じ魔物を同じように倒しても、素質のあるなしで伸び幅が違う。また、都合よく鍛練にちょうどいい魔物が出てきてくれる訳もなく、鍛練に割く時間の余裕も体力の余裕も存在しない下層階級には結局のところ、自らの戦闘力を意識して向上させることは難しい。

 一定の戦闘能力を持ち、知識を得ることの出来る立場にいる者達―――役人となるのはそのほとんどが冒険者であった。


 一部の上級職を除いて、役人の俸給は一般的な冒険者が稼ぐ報酬よりも遥かに少ない。

 役人の俸給は税収から支払われる。税を払うのは大抵が貧しい下層階級だ。冒険者や魔道具に携わる者、癒師―――つまり魔物との戦いに貢献したと見做される者達は税を支払うことを免除される。

 当然財政は乏しくなる。硬貨鋳造権を持ち、事あるごとにぼったくる冒険者ギルドの方がよほど運営資金が潤沢だ。


 だが、役人になろうとする冒険者が絶えることはない。

 冒険者でいる限り、魔物と殺し合い何時死ぬとも知れぬ日々を送らなければならない。

 殺伐とした日々に耐えられなくなった者、自らの限界が見えてしまった者―――生きるか死ぬかの生活を何時までも続けられる人間はそう多くはないのだ。自らの素質に見切りをつけてしまった者なら尚更。

 引退する程年老いてはおらず、しかし魔物と戦い続けることは恐ろしい。

 そんな冒険者達が役人を目指すのだ。


 衛兵達に隊長と呼ばれるタオスの街の執政官、コスタスもまたその一人であった。


「ははぁ、それは、その、大変なことでございます」


 つい先程、息を切らして駆け込んできた衛兵に告げられ、なにを馬鹿なことをと思ったのも束の間、窓から見えたどこからどう見ても貴種の少女にコスタスは飛び上がった。飛び上がって部屋に散乱した酒瓶に滑って転んで頭を打った。そしてそのたんこぶを冷やす余裕もなく、最後の審判が今まさに下されるかのような勢いで、コスタス及び部下達は混沌とした室内の片付けに奔走した。


 なにせ貴種である。

 コスタス自身も冒険者時代に遠目に見たことしかなかったが、一度見ればどんなに悲惨な記憶力の持ち主でも忘れることが出来ないであろう、人類を越えた人間。もはや別の種族と言われた方が納得できる超越種。

 コスタスはこの日、赴任して初めて汚れるに任せていた執務室の汚さを後悔した。それはもう心の底から後悔した。


「連れの者ともはぐれてしまい、親切な村人に助けられてここに辿り着くことが出来ました」

「それは、その者に褒賞を与えねばなりませんな。ええ、街に襲い来る百匹の―――えー、百倍の魔物を打ち払ったのと、ええ、同じくらいの大手柄ですとも!」

「クレタス・マティ村の者達です。特に村長のソロンと云う者には世話になりました」


 淑やかな首元を守るように猛々しくも気高く煌めく紅の宝玉、艶やかに咲き誇る薔薇、黄金の蔦が悩ましげに絡みついている黒髪は、星々の輝きごと夜空を溶かして紡いだかのようだ。

 山奥深く密やかに降り積もった処女雪のような肌。淡く上気した頬ははっとする程鮮烈な生の輝きに染まり、何処までも深淵で透明な色を湛える瞳は、大いなる大地が惜しみなく寵愛を注いで生み出した黒曜石。光の加減で深い漆黒に色鮮やかな華が散る。


 少女は美しかった。 

 コスタスがこれまで見てきた命あるもの、命なきものの中で最も美しい。そしてこれからもきっと、これ以上に美しいものに出会うことはないだろう。


 コスタスの鼻を、世にも芳しい香りがくすぐる。

 街に漂う悪臭も、今ばかりはこの部屋へ侵入することを躊躇っているようだった。

 急いで焚き染めた香が間に合ったのか? いいや、あれは単なる安物、色街で匂いを誤魔化す為に使われるようなシロモノである。間違ってもこんな、高貴で麗しく素晴らしい、天上の花園のような薫りではない。

 これはそう、少女から漂う薫り―――


「ブフォッ……!」


 コスタスの呼吸器官が突如反乱を起こした。慌てて取り繕いつつコスタスは気遣ってくださる少女から視線を逸らす。―――痛い。心に残った一番純真な部分がちくちくと突き刺されている感じだ!

 コスタスは心臓を押さえつつ少女から目を逸らし、そして目玉が飛び出そうになった。

 逸らした視線のその先、部屋の隅の戸棚から大急ぎで放り込んだあれこれが雪崩を打って飛び出そうとしているのを目撃したのだ。ちらりと見える少々肌色の割合が多い写真。


 即座に部下へハンドジェスチャー。二人が少女と戸棚の間を遮るように動きつつ給仕を行い、一人が密やかかつ速やかに戸棚の扉と格闘し、もう一人は戸棚とは反対側に陣取ってこの周辺の地域の説明を始め少女の注意を引く。

 実に迅速かつ見事な連携プレーであった。コスタスの指示はそれぞれの配置を示しただけ。ハンドジェスチャーでそんなに複雑な指示を飛ばせる程、コスタス達は訓練を積んでいない。というかこんな状況に対処する訓練など冒険者ギルドでもやっていない。

 部下達の行動は独自の判断に基づいたものである。コスタスも部下がこんなに動けるとは知らなかった。


 だがしかし、一つ苦言を呈するならば、もう少しマシな茶器はなかったのかと。真珠のような光沢を持つ手袋に包まれた繊細な手指にその染みの浮いたカップはあまりにも、あまりにも……! その中身もその辺のぱっとしない店で売っているような茶葉―――あぁ! その茶葉、買ったのは二年前……! それに地図も! 食べかすを慌てて拭った形跡のある、黄ばんだ羊皮紙。美しき黒曜石に映すにはあまりにもみすぼらしいではないか! ギルドにあるような黄金と白金とは言わないが、もう少しなんとかならないものか。それに部下達の服装も、もっときちんと糊のきいた制服を選んでくるべきだろうが!


 コスタス―――彼はナチを出迎えたことからもわかる通り、この街の役人達を束ねる者である。当然役場内の備品や部下達の風紀に干渉する権限を持っている。

 飲む物はもっぱら酒。茶器? 知るか、茶? お上品な泥水だろ? 地図もわざわざ使うようなことはなく何十年も昔の古地図のまま放置、こんなぱっとしない街で気張っても仕方がないと身だしなみに注意を払うこともなく。

 つまり、コスタスが内心で絶叫しているこの状況は身から出た錆、自業自得である。


「ウルクラート帝国カルタルメリア州コザーニ県アルタス郡……セレーネの森。クレタス・マティ村を囲む森でしょうか? 広いですね」

「セレーネの森……。その名の由来は月。セレーネはこの辺りの古い言葉で月を表します。紫銀の月光に照らされるとその深い森の奥から呼応するように銀色の輝きが浮かび上がることが由来とか。それはもう美しく数々の詩人に月の美姫に例えられ―――」


 意外過ぎる知識を披露する部下のむさ苦しい顔を眺め、コスタスはしばし精神統一した。まさかこいつらの顔を見て安堵を覚える日が来ようとは。

 なに一つ見惚れるところのない、じゃがいもに似た顔が浮遊した精神を地上に戻してくれる。なんにでも一つくらい取り柄はあるものだ。


 穏やかな気持ちでコスタスはカップを持ち上げ、そして一口呑み込む。……まずい。やはりお上品だろうとなんだろうと泥水は泥水。昨日の今日で嗜好は急に変わらない。

 いや、待て。

 コスタスはふと染みの浮き出たカップの中を凝視する。

 もしかしてこれは茶葉の質が問題なんじゃないだろうか。確か冒険者時代に会った上流階級かぶれの男がそんなことを言っていた気がする。乾かした草に質もなにもあったもんじゃないと思っていたが、もしかして自分は精一杯のもてなしをさせていただいたつもりでとんでもない間違いを犯していたんじゃ―――


 貴種の少女はまだ出された物に口をつけていない。いないが、もしなにかの間違いで彼女がこの汚らしいカップにその花のような唇をつける気になってしまったら―――

 コスタスは固まった。かつてない程にコスタスは動揺していた。迷宮で初めて魔物と戦った後、パンツの中が湿っているのに気付いた時よりも動揺していた。


「外の国より来た私が、この国を旅する許可を貰いたいのです」

「許可、ですか? ええと……確かに外国人が街に入るのは旅券が必要ですが……その、尊い身分の方はまた別なんじゃないかと。自分も詳しくは知りませんが、上の方から通達が来るのが普通なんじゃ……」


 無駄知識を披露していた時の饒舌さはどこへやら、しどろもどろになってちらちらとコスタスに視線を向ける部下。彼には月の美妃だのなんだのの知識はあっても実務的な知識は役職に足る水準かそれ以下しかない。ある意味自分に正直な奴だ。


「私も与り知らない、不慮の事態で迷い込んでしまったもので……、旅券を発行してもらう訳にはいきませんか?」


 少女の視線も部下からコスタスへと動く。


「私の国はとても遠いところにあるので、帰るにせよ連れを待つにせよ、この国の中を移動しない訳にはいかないのです」

「と、遠いところ、ですか」

「ええ。とても……」


 どんな黒曜石も敵わない美しい瞳が想いを馳せるのは、不運な事故によって引き離されてしまった故郷のことか、それとも己の行く先への不安か。

 少女の瞳の揺らめきに、コスタスの胸は心臓を鷲掴みにされたように痛んだ。

 幼さの残る顔立ち。まだ十代半ばの年頃だろう。その美しいかんばせは侵し難い気品と威厳を纏って凛と引き締まっているが、少女が一人、異国に放り出されて不安にならない筈がない。それも蝶よ花よと厳重に守られて育ったであろう高貴な少女。

 そう思うと、気高い眼差しの奥に隠し切れない不安が秘められているような気がする。


 美しい双眸がそっと伏せられる。端麗な目許に憂いを帯びた影が落ちたのを認識した瞬間、コスタスは椅子から転がり落ちた。石造りの床に敷かれた絨毯の上で一回転して、そのまま少女の足許へと跪く。


「―――なんなりとお申し付け下さい!!」


 別にコスタスは埃を叩いたばかりの薄く磨り減った絨毯に転がりたかった訳ではない。

 彼は颯爽と少女の下へ馳せ参じたかったのだ。

 しかし悲しいかな、長きに渡る怠惰な生活で鈍った身体は本人の理想通りには動いてくれなかった。

 ほとんど衝動的な行動に贅肉のついた身体が付いて行けず、コスタスは太った尻を椅子から華麗に引き剥がすことに失敗したのである。


 コスタスは決意した。

 ―――鍛え直す。徹底的にだ。冒険者時代よりも強靭な肉体を手に入れて見せる……!!


「では、旅券を発行してくれますか?」

「私に出来る最善を尽くします!! お望みとあらばお連れ様の分まで!!」


 少女はコスタスを見つめて小首を傾げる。するりと黒髪が流れてコスタスの鼻腔を天上の薫りが擽る。

 コスタスは悟った。

 ―――ああ、天の国とは地上にあったのか……!!


「こんなにも快く承諾してもらえるとは。発行するのにどのくらいかかるでしょう?」

「十分もかかりません!」


 コスタスは部下の一人を振り返った。心得たもので、なにも言わずとも頷いて速やかに部屋から出て行く。部屋に残った部下達は少女に待ち時間を快適に過ごしていただこうと動き始める。

 かつてない一体感だ。安穏な生活に慣れ切り、けれどかつて冒険者だった頃のプライドを捨て去れず腐っていた連中と同一人物とは思えない。


「ただちに持ってまいります! それまで大変恐縮ですが、ここでお待ちいただけたらと……せ、僭越ながら私コスタスめがお話のお相手など」

「ありがとうございます。とても勤勉なのですね」

「はっ―――ははぁッ!!」


 コスタスの脳裏を鐘を持った天使達が駆け巡る。

 全ては今日、この日の為にあったのだ。


 地方の小役人―――魔物から逃げた敗残者。闘争に背を向けた臆病者。

 収入も良く、新人の教導役を務めることも多い、ある種の精鋭と見做されるギルド員とは違う。

 冒険者の中でも最下層のハスタティ、そして下級のドゥプリカリウス、デクリオン、テッセラリウス―――ここまでが小役人を目指しても受容される限界だ。それ以上の階級の冒険者がちんけな地方の役人になることはない。周囲の目が、また本人の誇りがそれを許さない。


 わかっている。

 誰よりもコスタス自身がわかっている。

 コスタスは恐かった。

 魔物の殺意に晒され続けるのが、同期が次々と死んでいくのが、魔物と殺し合うのが恐かった。


 コスタスの最終的な階級はテッセラリウス、後一つ上がれば中級になれる下級の中の最上級。

 下級と中級の間には大きな壁があるとはいえ、コスタスにとって超えられないものではなかった。コスタスは幸か不幸か、平民出身の中では素質のある方だったらしい。

 だが、コスタスは中級に上がりたくなかったのだ。

 中級に上がれば再起不能の重傷を負うか、死ぬまで戦い続けることになる。

 引退しても”逃げた”と思われない年頃まで生き残れる冒険者は多くはない。コスタスは自分がその運のいい少数に入れるとは思わなかった。

 ギルド員になるという手もあったが、ギルド員は役人と比べて遥かに競争率が高く、また競争相手達も優秀だった。

 コスタスは、中級に上がりたくなかった。

 だから下級でいられる内に一線を退いて役人となった。


 コスタスは敗残者だ。どうすれば死なないで済むか、どうすれば魔物と殺し合う義務から逃れられるのか、冒険者になってからそればかりを考えていた。

 コスタスの家は裕福だった。父は冒険者で、母は魔術薬のギルドに属していた。

 父の引退前の階級はテッセラリウス。彼はコスタスが自分を超えるのを楽しみにしていた。

 役人となってから、実家には連絡していない。

 自分が臆病者の敗残者だということは、誰よりもコスタス自身がわかっていた。


 ―――だが、そんな日々はもう終わりだ!!


 コスタスには今、はっきりと自分の為すべき使命が見える。

 勤勉、勤勉―――そう、可憐な花のような唇からこの地上に零された天上の調べが紡いだ言葉、『勤勉なのですね』―――


 そうでございますとも! 私、コスタスは身を粉にして勤勉に務めを果たすのが身の上でございます!! あぁ、慈愛と尊さに満ち溢れたお言葉です! 私めの思い上がった勘違いでなければ、そのお言葉に含まれしかすかな、お、お褒めの念は私に向けられた―――あぁ! 今、ここで命が尽きても構わない―――ッ!! いや、ここでうかうかと屍になってしまったら、この貴き少女の願いを叶えられないではないか! しっかりしろ、コスタス!!


「隊長ッ、羽ペンを!」

「ああっ、感動のあまり意識が薄れてらっしゃる!!」

「お支えしろ!」


 息の合った部下達に補助されつつ、コスタスは旅券にサインした。しかし感情の昂ぶりを抑えきれずにサインはぐちゃぐちゃになってしまう。そこですかさず新たな旅券を差し出す部下。必要事項は記入されている。コスタスが目を向けると頼もしい笑みを返してくる。―――おお、同志よ!


「凄まじい集中力だ……!」

「お、俺、隊長のこんなにかっこいい姿、見たことねぇ」

「繊細かつ大胆に走る羽ペン……ッ、な、なんだこの迫力は……!」


 コスタスの全てを注ぎ込んだサイン。

 コスタスは旅券をじっと凝視する。


 ―――果たしてこれは、朝も昼も夜も彼女と共にあるのに相応しいのか。


 いくら考えても答えは出ない。難問だ。しかし、これはコスタスの全てを振り絞って書き遂げた現時点での精一杯。

 コスタスはそっと旅券から目を上げる。

 かすかに微笑む少女がコスタスを見守っていた。


 ―――ああ、なんという慈愛に満ちた……!


 全てを許された気がした。

 コスタスは少女にうやうやしく旅券を捧げる。


「ありがとう。とても素早い対応です」

「ごッ―――ご満足いただけたでしょうか……!?」

「ええ。労わねばなりませんね」


 少女が袂にするりと手を入れる。―――ああ、ちらりとお目見えする美しき腕……! そ、そんな無防備にッ……!


 コスタスが違うところに目を奪われている内に、ナチは巻物から金貨の詰まった皮袋を取り出した。足下に跪いているコスタスに差し出す。


「―――これを。あなたの働きに対する褒賞です」


 重そうに金貨が揺れる音に、コスタスは我に返って慌てて手を差し延べた。受け取ろうとした訳ではない。少女の華奢な手に重たい物が乗っていることに反応したのだ。


 ―――御手が、御手が! 繊細な御手が!!


 少女が白い皮袋の紐を解く。重たげな音を立てて中から黄金の輝きが覗いた。

 更に二つ。皮袋がコスタスの膝の上に追加される。

 じゃらりと揺れる皮袋。中はぎっしり詰まった金貨。

 そういうことか、とコスタスは理解した。


 正真正銘の貴種が街を訪れたことを理解してすぐ、コスタスは情報収集を開始した。といっても、役場前の広場で村人達と少女が別れたのを確認して、兵士達を使って村人達に話を聞きに行かせただけであるが。小さな街の執政官、それも住民達と親密でもないコスタスに出来ることなど限られているのだ。

 普段は役人と見ると口が重くなる村人達であるが、余程誰かに吹聴したかったのか、用件が少女のことだとわかると得意満面でペラペラとしゃべってくれた。


 曰く、慈悲深い高貴な異国の貴族様であるとか。(あいつらは貴族と役人の区別もつかないのだ。ウルクラート帝国に貴族はいない。いつまでも昔の習慣が抜けず、昔からの名士、成り上がりの冒険者もまとめて貴族と呼ぶ。まったく無知な連中である。少女が高貴なことなど太陽が東から昇って西に沈むのと同じくらう当たり前のことだろう。わざわざ村人風情に言われずともわかっている)


 天の父がクレタス・マティ村に使わせた使徒であるとか。(天使のようだという意見にはまったくコスタスも同意する)


 盗賊達をやっつけてくれたとか。(なんということだ! 連中は彼女を一人盗賊達の巣窟に放り込んだのだ! もし彼女の珠の肌に傷でもついたらどうするつもりだったんだ! 盗賊達の不潔な皮膚を切り裂いて飛び散る血糊の中を舞う美しき―――ああ、その場に自分がいることが出来たのなら……!! ……そういえば盗賊達から賄賂がどうのこうのと言っていたな。小遣い稼ぎ程度は容認しているものの、人攫いに荷担するような部下がいるとは考えにくい。良くも悪くも部下達は冒険者として戦っていた頃の誇りを引き摺っている。元同業者……冒険者からの脱落者でもいたのか。勤勉な執政官として風紀の引き締めをしなければな)


 捕まっていた連中を冒険者まで雇って故郷に帰してやるとか。(ああ、叶うことならばこのコスタスが彼女の願いを遂行したかった……! 今ほど冒険者をやめて後悔したことはない!!)


 総合すると、この少女はまるで天使のように清らかで美しく、戦乙女のように凛々しく勇敢で、聖母のように慈悲深いということだ。なんだそれは、薄汚れた地上に落とされた奇跡じゃないか。


 その少女が勤勉な執政官であるコスタスに金貨を賜ったのだ。

 これの意図するところは一つ。

 地を這う哀れな民衆に慈悲を。


 嗚呼、とコスタスは嘆ずる。

 街の有様は高貴なる少女にとってとても耐えられないものだったに違いない。この地上にこのような掃き溜めがあることを想像すらしていなかっただろう。本来ならば生涯縁のなかった筈の場所である。

 どれほど衝撃を受け、どれほど心を痛めたか。

 少女は異国にたった一人落とされたという境遇で、それでもこの街の状況を痛ましく思い、慈悲を垂れてくださったのだ。


「時間はかかるでしょう。道のりも長く険しい、終わりのない道です。しかし、必ずやいつの日か、お心安らかに歩ける街を作ってみせましょうぞ……!!」


 コスタスは打ち震えていた。

 雷に打たれたような痺れを胸に覚えていた。

 彼は誓う。少女の慈悲をこの地上に実現させんと。それこそが自分の生涯を捧げるべき道なのだ。

 戦いから逃げた、惨めな敗残者。そんな自分に授けられた人生の意味。

 忙しくなるぞ。やらねばならないことは山ほどある。


 金貨を押し頂き、コスタスは少女に誓う。

 脳裏に描かれるのは清潔で、誰もがたっぷりと飯を食え、活き活きとした毎日を送っている、そんな街の未来。

 生まれ変わったような気分だった。いや、まさに今日、古いコスタスは死に、新しいコスタスが生まれたのだ。


 ―――こうしてコスタスらタオスの街の役人一同は、サルヴァトル教会の神父と共に、民衆に優しい街づくりに邁進することとなる。




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