誘導
「本当お前は、体任せの剣道してからに。そんなんじゃあ上に
行ったときに通用しねえぞ?」
「でも、先生、小手先の技なんて覚えたくないです。」
中学生の斎藤は、師に言った。
「何も小手先の技を覚えろ言うとらん。基本を大事にせいという
ちょるんじゃ。お前は、中学生にしちゃあデカい体しちょるから、
力任せの技が通用しとるがのう。高校、大学と行けば、お前ぐらいの
タッパのある奴は、なんぼでもおる。」
「そん時は、その時に考えます。」
今更になって、斎藤は昔の事を思い出していた。
「基本をおろそかにしちゃあいかん。」
中学生時代、師に口が酸っぱくなるほど言われた言葉。
それが、今になって身に染みている。
警察の業務が終わった後、剣道場で斎藤は、先輩と汗をながしていた。
歳が近い先輩とあって、よく稽古をしている。
更に言えば、同じ師に習った同門でもある。
いつもは、力任せの剣道をする斎藤だが、今日は基本に忠実な剣道を
していた。
そのせいか、苦手なはずである先輩と互角の戦いをしていた。
「このアホがっ!遅いんだよ。まったく・・・。」
練習後、先輩は斎藤に文句を言った。
「何がでしょう?」
「もっと早く、基本をしっかりやっとけば、全日本でもいい所まで、
行けたのに。まったく・・・。」
斎藤も、もうアラサーである。
「最近、井伊先生に言われてた事を思い出しまして。」
「お前は、ガタイが大きいし、先生も期待してたんだよ。」
「今、思えばそんな気がします・・・。」
「全日本で一回戦負けだろ?その時に気づけよ?」
「大学時代ですよ。先生はもう亡くなられてました。」
「俺が言ったろ。散々・・・。」
全日本で一回戦負けをくらい、落ち込んでた斎藤を散々励ましたのが、この
先輩だった。
結局、耳をかさずに現在に至る訳だが。
「しかし、本当、今更どうした?」
「先輩は、先生のお孫さんを知ってますよね?」
「当たり前だろ。この世界で知らない奴は居ないぞ?高校3連覇大学2連覇と
圧倒的じゃないか。」
「全日本では、いまいちですが。」
「というか、お前大学に教えに言ってるんだろ?何とかしろよ。」
「俺が教えてるのか、教えられてるのか、時折、判らなくなりますが・・・。」
「あの子の試合は、俺も審判してるときに何度も見てるが、基本はしっかり
出来てる。お前と違ってな。」
「で、ですね・・・。」
「しかし、男子と違って、女子は3強の選手がいるからなあ。
千鶴ちゃんも厳しいよなあ。」
「はあ。」
「それに、今の女子ナンバー1も先生のお孫さんだろ?」
「はい。」
「凄いよな。先生は。男子はサッパリだが・・・。」
「面目ないです。」
「まあ、俺もお前の事言えんし・・・。」
井伊門下の男子で、全日本で活躍した人間は居なかった。
「先輩、それでその千鶴ちゃんの事なんですが。」
「どうした?彼氏でも出来たか?」
「いや、そういうのより、剣道一筋って感じですよ。」
「だよなあ・・・。」
「で、その千鶴ちゃんなんですが、今、ゲームをやってまして。」
「おい、それってお前がやってる奴か?」
「ええ。」
「てめえっ!子供が生まれたばっかりなのに女子大生とゲームだとっ!」
「先輩落ち着いてください、そんな華やかな事は何もないですから、
むしろ血なまぐさい感じです。」
「なら、許すっ!」
「で、そのゲームでですねえ、千鶴ちゃんが勝てない相手が何人か居まして。」
「あれだよな?バーチャルなゲームで、本物の世界みたいな。」
「ええ。」
「医療機器メーカーのをテレビで見た事あるし、ゲーセンで一度やってみた
事もある。俺らが若い頃には、考えられない技術だよな本当に。」
「ですよね。」
「ちなみにお前は、千鶴ちゃんには勝てるのか?」
「勝てません・・・。」
「ははあんっ、それで今更になって基本に立ち返った訳だ。」
「そ、その通りです。」
「で、千鶴ちゃんが勝てない相手って、剣士か?」
「いえ、薙刀使いと魔拳士です。」
「魔剣士?魔法剣士の事か?」
「ああ、剣の剣士じゃなくて、拳の拳士です。」
「拳法家みたいなもんか。」
「はい。」
「薙刀の方は、千勢先生に聞けばいいんじゃないの?」
「そのう・・・勝てない相手が千勢先生でして・・・。」
「は?まてまてまて、千勢先生って70は超えてるよな?ゲームなんかやってん
のか?」
「え、ええ。」
「衝撃だな・・・おい・・・。」
「戦闘の動画ありますが、見ますか?」
「おお。」
斎藤は、スマホを取り出し、グランマの戦闘シーンを見せた。
「つ、つええええええ・・・。本物の薙刀使いだな。最後の魔法で負けたのは、
知らなかっただけだろうが。」
「スポーツのなぎなたとは違いますよね?」
「平仮名のやつか?千勢先生は教えてたろ。」
「今でも教えてるようで。」
「まあ武道ではなく、武術の方だな、千勢先生のは。」
「剣道で勝てますかね?」
「本人次第だと思うが?」
「剣道では、同じ相手しか想定してませんし、下半身への攻撃もありません。
不利だと思うんですが?」
「何でよ?」
「相手は上半身だけの攻撃を警戒すればいいわけで。」
「あのなあ、俺たちは上半身への攻撃のプロフェッショナルなわけよ。
もちろん相手も同じ条件で。そのプロフェッショナル同士が警戒した中、
攻撃してるんだぞ?素人に予測できるかよ。」
「た、確かに・・・。」
「それに千勢先生は、別として、もう一人は拳士だろ?」
「はい。」
「剣道3倍段って言葉知ってるだろ?空手だって下半身への攻撃はあるわけで、
それでも尚3倍強いってんだぞ?有利はあっても、不利はねえよ。」
「は、はあ。」
「それに俺たちは、上半身への攻撃はプロだが、下半身への攻撃は素人だ。
付け焼刃で、素人技覚える位なら、剣道を精進した方がいいだろ。」
「先輩、相変わらず口が旨いですね。さすが誘導のプロ。」
「おいおい、おだてんなよ?」
「是非、もっと剣道についてお聞かせ下さい。」
「しゃあねえな。ついてこいっ!」
こうして、今夜も斎藤は、酒を奢ってもらう事に成功した。




