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月下の庭  作者: 行見 八雲
一組目:王子と将軍
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はの1――クラウセルベート王子視点



「殿下、一体どちらに!?」


 私の姿を目にした途端、慌てて駆け寄ってくる隊長達に苦笑いをしながら、私は今来た道を振り返った。


 現在私が立っているのは、平野の中の草が避けられただけの土の道で、その奥には鬱蒼とした木々の立ち並ぶ林が見える。先ほどまでそこは、幕のような濃い霧によって全くその向こうが見えないような状態であったのに、今は晴れ渡った空と樹木に日を遮られた薄暗い道が林の奥に続いているだけだ。

 もし、私が今踵を返して、再びその道を戻ったとしても、きっと先ほどまでいた“女神の地”へはたどり着けないだろう。



 “女神の地”――それは、この世界に昔から伝わる伝承の一つだ。


 この世界では、突然どこかに“女神の地”と言われる不思議な土地が現れる。それは、数年続いて現れることもあれば、数百年現れないこともあるらしい。

 その地へ足を踏み入れることができるのは、その土地の主である女神に選ばれた者だけだと言われている。

 そして、その地に迷い込んだ者は一様に、そこは楽園であったと話す。しかし、その地について語り継がれる内容は多くは無く、またここ数百年は“女神の地”が現れたという話が無かったこともあり、その楽園がどのようなものかは、伝承の語り手達の想像に尽きるものが少なく無い。

 ある者はその地を、金銀財宝といったこの世界のあらゆる富が集められた地だと言った。またある者は、不老不死の約束された、悲しみや苦しみなど一切の苦痛の無い地だと。


 だが、私が訪れたかの地は、そのどれとも異なった、しかし確かに楽園であった。

 豊かな大地に土地を埋め尽くさんばかりの作物、豊富に流れる澄んだ水に、そこここに息づいた生き物達。何より、その地を覆う空気は清浄で柔らかく、目に見えない大きな力に満ち溢れていた。そこに有るもの全てに、意思を持った偉大な何者かの存在を感じた。


 財も不老不死もそこには無かったが、確かに我々の求めるものがかの地にはあった。


 そして、その地で初めて目にした女神の存在に、私は目を奪われた。

 黒髪の人間はこの世界にも多くいるが、彼女のように艶やかでしなやかな黒髪は見たことも無く、またその澄んだ漆黒の瞳は宝石のように輝き、英知と思慮に満ちている。ふわりと浮かべる微笑みは慈愛に溢れ、柔らかな口調と澄んだその声は、心に温もりを落とした。

 露出の少ない衣装はどこまでも神秘的な彼女によく似合っており、淡い色合いがより清廉さを感じさせた。


 しかし、初めて彼女を見たとき、私は彼女が女神だとは思わなかった。

 彼女は、今まで神殿や教会で見てきた女神像とどこか似てはいたが、女神像そのままの容姿ではなかったし、なによりその対応があまりにも気安かったからだ。


 けれど、ふとした時に見せる、全てを見通しているかのような微笑みや、犯しがたい気迫、何かを導いているかのような対応に、しだいに我々とは違う存在なのだということに気付かされた。



 ならば、私が彼の地で、リッツ国の“血濡れの狂将軍”と出会ったのも、彼女の導きによるものだったのだろう。今ならそう思えるのだ。

 

 リッツ国の“血濡れの狂将軍”ことテンヨウ・オルセサイザーは、我が国では歩兵隊に当たる第二国軍を率い、自らも戦場で、普通に兵士が使うものよりは遥かに大きな剣を振るい、多くの我が国の兵士を薙ぎ払ってきた強者だ。

 だが、その力任せの戦い方と、躊躇いなく兵を次々と切り払っていく姿は、まるで血に狂い正気を失っているかのように容赦がなく残虐で、大量に血を浴び髪からも血を滴らせている姿から、その赤銅色の髪と相まって“血濡れ”と言われるようになったのだ。

 そして、私もずっと、あの男は普段でも血を求めて彷徨い、野蛮で手当たり次第暴力を振るっているのだろうと思っていた。


 けれど、かの地で見たあの男は、落ち着いていて、かの女性に対しても十分な礼儀と気配りをしていた。

 話してみれば、彼の口から語られるのは主に家族のことばかりで、彼がいかに家族を愛しているのかが良く分かった。彼は十一人兄弟の一番上で、末の妹はまだ十歳らしい。幼い兄弟達の失敗談や日常の出来事などを、彼が面白おかしく話すので、かの女性も楽しそうににこにこ笑っていた。

 そのテンヨウ・オルセサイザーの話から、彼が随分と家庭的で面倒見が良い性格なのだということが窺い知れた。快活に笑う彼の姿を見ていると、“血濡れ”という呼び名がひどく不似合のように思えた。


 その後、彼女が休みに行き、二人で話をしたのだが、彼の話からは、彼は国のためというよりは自らの大切なもののために戦っているようだった。大切な家族のいる国を守る、そのためならば血に濡れようと、鬼と恐れられようと構わないと、愚直なまでの彼の真っ直ぐさが、やけに眩しく思えた。


 それに引き替え、私は一体何をしているのだろう。

 私の望みは、我が国を豊かにし、国民の生活を守ることだった。なのに、今は戦争をして、国民を戦場に駆り出し、国の資源を食い潰している。

 しかも、この戦争に、我が国に正義は無いことは分かっていた。

 今回の戦争は、我が国からリッツ国に仕掛けたものだった。そして、その原因というのが、ある一人の女の我が儘から生じたものなのだ。



 今の国王、我が父上の正妃だった母は、私を産み、そして数年後に弟を産んでから、病を患いこの世を去った。母がいた頃から、父上には後宮があり、そこには数人の側妃が住んでいた。しかし、その頃の父上は、どの妃にも分け隔てなく接する、穏やかな王であったと記憶している。


 そんな父上がおかしくなったのは、数年前に後宮に入ったあの女に出会ってからだ。

 あの女は、元は旅芸人であったが、その美貌を買われ側妃として召し上げられた。そして、その飛び抜けて若く美しい容姿と、豊満な肉体、話運びの上手さから、あっという間に父上のお気に入りとなった。

 今となっては、父上は他の側妃には見向きもされず、あの女を常に傍に置いている。あの女が望むものは全て与え、あの女が嫌がるものは物であれ人であれ全て排除した。

 王に苦言を呈する者は多くいたが、そのどれもが左遷されたり、任を解かれたりした。中には、不可解な病にかかったり、不自然な死を遂げる者もいたほどだ。

 あの女に擦り寄り、貢物をし、機嫌を取り、そうして自らの私腹を肥やす、そんな輩が徐々に王宮に溢れ、重苦しい空気が城内を満たすようになった。


 もちろん私とて、何度も父上に官の処分の取り消しや、状況の見直しなどを求めた。しかし、父上は私を鬱陶しそうに見るだけで、話を聞くことすら嫌がった。

 そんな中で、私は父上の代行をし、なんとか国を正常に回そうと努力したのだ。あの女の我が儘も、私の権限でいくつも却下した。あの女にとって、私はとてつもなく邪魔な存在だっただろう。


 ある日、あの女が王の耳元でそっと囁いたのだ。リッツ国の保有する、国宝の巨大な宝石の付いた首飾りと、その石を粉にして飲むと美容に良いと言われる希少な岩石が取れるという山が欲しい、と。

 父上は愚かにもその願いを受け入れ、リッツ国にそれらを差し出すようにとの書状を送った。当然ながらそれが受け入れられるはずもなく、ばっさりと切り捨てられた要求に、父上は憤り、ならば無理矢理に奪ってみせると、リッツ国に戦争を仕掛けたのだ。


 そんな父上の行動を、私は止めることができなかった。何度も止めるようには進言したが、いつもと同じように耳に入れてもらうことすらできなかった。もしあの時、体を張ってでも父上を止めていれば、多くの兵が命を失わずにすんだのかもしれない。そう悔やむことも幾度もあった。


 王の決めたことを覆す権限はまだ私には無く、ならばと、せめてもの父上への反抗と、戦場で自分にも何かできやしないかと、自分も最前線へ行くことを希望した。

 必死に私に考え直させようと言い募る臣下達の中で、父上は関心すらなさそうに表情を変えることも無く、そして、垣間見たあの女の愉快そうな笑顔は、今まで見てきたどの女の笑顔よりも醜く恐ろしいものであった。



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