ろの2
やがて食事も終え、浴場に案内された。
またしても、今まで見たことの無いような道具がたくさんあったが、どれも彼女が丁寧に説明してくれたので、使用する際の苦労は無かった。その道具を見たクラウセルベート・ユト・ルーナ・スローレイも驚いていたので、やはりこの地にのみある特別なものなのだろう。
この地と彼女という存在のことを考えれば、あの豊富で変わった食材も部屋をあまねく照らす灯りも、見たこと無いような家の中の便利な道具の数々も、どのようなものがあっても何ら不思議ではなかった。
そして、風呂から出て、自分の家以外では信じられないほど寛いでいると、彼女が酒らしきものを運んできてくれた。らしき、と言ったのは、どれもやはり目にしたことも飲んだことも無いものだったからだ。その入れ物からしても、未知の素材と手触りで、便利さと中の水の零れない密閉性に驚いた。
飲み始めてしばらくは、互いの国のことを彼女に話して聞かせた。俺も負けはしないが、クラウセルベート・ユト・ルーナ・スローレイも、自国のことをそれは誇らしそうに、そして楽しそうに話した。
そんな中で、たまに過る苦い表情は、もしかしたら戦争のことを憂いているのかもしれない。
こいつの話から、自国もその民も非常に大切に思っているのは分かった。ならば、何故その国を危険に晒してまでも、我が国へと戦争を仕掛けてきたのか、もしかしたらその理由を聞けるかもしれない。
色々と話しているうちに、クラウセルベート・ユト・ルーナ・スローレイも血の通った人間なのだということが分かった。不思議なことだが、戦場で顔を見えずに戦っていると、相手は人などではなく人格の無い悪の化身なのではと思えるようになるのだ。
敵は、無感情に我が国民の命を奪い、殺すことをただ楽しんでいる、そんな殺人鬼なのだから、自分はただ相手を殺さなければならない。相手は人間ではなく悪であり、自分達こそが正義なのだと。
もし機会があったならば、戦況が泥沼化する前に、こうして話してみればよかったのかもしれない、そんな思いを素直に口にすれば、相手も同じように複雑な笑顔で答えた。
彼女が退席してからも、クラウセルベート・ユト・ルーナ・スローレイとは様々なことを話した。
そして、会話が進むにつれ、話の内容は深い部分へと及んで行った。それは、彼個人としての考え方だったり、――二国間の、戦争のことであったり。
現在、我が国とスローレイ王国との間に行われている戦争は、スローレイ王国が我が国に突如として攻撃を仕掛けてきて始まったものだった。何故スローレイが、今までそれなりに緊張関係にはあったが、開戦まではいかない一定の均衡を保っていた我が国に攻め込んできたのか、我が国はその理由を知らされることなく、今まで反撃に追われていた。
しかし、彼の口から語られた侵攻の理由は、あまりにも身勝手で腸が煮えくり返りそうな怒りがわき上がるものだった。そんなことで俺の部下の兵は死んだのかと、こいつの首を縊り切ってやりたかった。
……だが、それと共に、彼の立場を考えると、彼の懊悩も理解できるような気がした。そう思えたのは、彼が王太子でありながら、自ら進んで先頭に立って戦っているという、その潔さを感じていたからかもしれない。
現に我が国の王族など、城に篭っているか、戦火の及ばない後方で命令を出しているだけだ。戦場でどれだけの兵士が傷つき死んでいるか、数字でしか知らない。だから幾度も平気で無茶苦茶な命令をしてくる。この機会を利用して相手の国を手に入れようと、現状も見ずにむしろどんどんと戦いを煽ってくるのだ。
そんな奴らに比べれば、兵士達と同じところで戦場に立っている、クラウセルベート・ユト・ルーナ・スローレイを俺はそれなりに評価していた。
酒のせいか、素の表情と本音をさらし、苦しそうに手で顔を覆う姿は、身分など関係ない、ただ重責に苦しむ人にすぎず、それで今までの戦場での彼の業が許されるわけでは無いが、彼もまた多くのものに振り回され、自らの力の無さに苦しんでいたのだと、分かった。
気が付けば、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。机に突っ伏して寝ていた顔を上げ、肩からずり落ちた毛布に、先に起きていた彼女に礼を言えば、自分ではないと言われ、仄めかされた真犯人に、どうにも面映ゆい気持ちにさせられた。
起きてきたクラウセルベート・ユト・ルーナ・スローレイと、彼女と三人で朝食を食べ、そろそろ出立しようと彼と共に彼女の家を出た。彼女に、渡したいものがあるから待っていてくれと言われていたため、クラウセルベート・ユト・ルーナ・スローレイと二人で家の前に立っていると、それまで黙っていた彼が、何かを決意したような強い目で俺を見てきた。
「俺は、これから国に帰り、この戦争を終わらせようと思う」
その言葉に秘められた決意に、俺は目を瞠った。この戦争は、彼の父である王の命令によって続いている。ならば、その命令を撤回させるか、もしくは、その王を討ち新たな王として戦を収めるか……。彼のこの言葉には、後者をも含む意志が込められているのだろうということが感じられた。
「俺が国を収め、戦争を終わらせる。勝手を言うが、出来れば協力してほしい」
戦争を終わらせることができた際には、出来る限りの償いはする、と真摯に彼は言った。目に宿る光は強く澄んでいて、彼の覚悟が見えた。
俺だとて、一刻も早くこの戦争が終わることをずっと望んできた。互いの戦力は拮抗し戦況は泥沼状態で、ただ互いに兵士を喪い物資を消耗するだけになっている。これ以上続けたとしても、どちらにも利益が無いことは明らかだった。
俺ら戦場に立っている者達の間では、スローレイ王国を手に入れたとて特に国民のためになるとは思えないという意見が圧倒的だ。ならば早く戦いを終わらせ、兵士を家族のもとに戻し、資源の無駄遣いを止めるべきだと、密かに話していたのだ。ただ上層部の一部の者の身勝手な我欲に振り回され、戦況を拡大させたくは無かった。
俺としてもクラウセルベート・ユト・ルーナ・スローレイの提案に、反対する理由は無い。
「いいのか? それで」
もしかしたら、彼は父親殺しの業を負うことになるかもしれない。そしてそれに加え、そのまま彼が王位に立つということは、父親を殺した彼に反感を持った兄弟や家臣とも戦うことになりかねない。何より、失敗すれば彼自身の命も危ないのだ。それらの事情を暗に示唆しながら、そう問えば、彼は俺から視線を外し、顔を顰めて地面に落とした。
「この戦争に何の意味もないことはずっと分かっていた……それなのに父上を止められなかったのは、私の弱さのせいだ。これ以上、国民を苦しめることはできない。それに……」
彼はゆっくりと顔を上げて、眩しそうに目を細めながら、ぐるりと辺りを見回した。俺もそれに倣い、周囲の景色に目をやった。
柔らかく吹いた風が木々を揺らし、爽やかな草の匂いが鼻先を擽る。家の前に広がる畑は、青々として伸びやかに風にそよぎ、色とりどりのみずみずしい野菜や果物を実らせていた。
川は透き通り穏やかに流れて、小さな魚が泳いでいた。忙しなく飛び回る虫が視界を過り、どこからか軽やかな鳥の声が木々の間を縫って聞こえくる。
どこまでも静かで穏やかで生命力にあふれた、そんな美しい世界がここにはあった。
「目標もできた。私は、我が国をこんな美しい国にしたい」
憧憬を孕んだ決意に満ちた声で、はっきりとクラウセルベート・ユト・ルーナ・スローレイはそう言った。
俺の国は、山が多く冬も厳しいため、農作物があまり採れない。そしてスローレイ王国も、平地は多いが土地が貧しく、天候も不安定なため、枯れた土地ばかりで農作物も満足に育たないらしい。
そんな俺達にとって、ここはまさに理想郷、神の愛した土地だった。
クラウセルベート・ユト・ルーナ・スローレイがこの地に憧れる気持ちも良く分かった。豊富な緑に、十分な水、便利な道具の数々。俺も我が国がこのようになることを、心から強く望んだ。
家の方から彼女が出てきたのが見えた。同じように彼女に気付いたクラウセルベート・ユト・ルーナ・スローレイが、心臓の上に拳にした片腕を押し当て、真っ直ぐに俺を見てきた。
「我、クラウセルベート・ユト・ルーナ・スローレイはここに誓う。我が命に換えても、この戦争を終わらせる」
その重々しい言葉に、俺も真剣な顔で彼を見た。
「それは“女神の御許での誓い”か……?」
「ああ」
俺の問いかけに、クラウセルベート・ユト・ルーナ・スローレイはしっかりと頷いた。その覚悟に、俺も答えるように頷いて、同じように心臓の上に握り締めた手を当てた。
「ならば、テンヨウ・オルセサイザーも誓おう。俺もこの戦争を終わらせるために力を尽くす」
その俺の誓いに目を瞠った彼は、その後、ほっとしたように小さく笑みを浮かべた。戦場では常に冷静無表情で、ずっと感情など持ち合わせていないのだと思っていたクラウセルベート・ユト・ルーナ・スローレイは、意外と表情豊かで熱いやつだった。それを知ることができて良かったと思う。
ここに迷い込んで幸運だった。……いや、もしかしたら導かれたのか。
俺達のやり取りに首を傾げていた彼女に、感謝の気持ちが伝わるよう精いっぱいの笑みを向けて、礼を言った。何かお礼がしたいと告げたが、彼女は柔らかな口調でそれは必要ないと言った。困ったときはお互い様だと、その慈悲に溢れた言葉に胸が詰まるようだった。
“弁当”という食料までもらい、彼女に見送られながら、彼女の示す方へと足を向けた。
――“女神の御許での誓い”。それはその名前の通り、女神の前で行う誓いのことだ。本来ならば、教会や神殿内にある女神像の前で、決して違えることの許されない約束を為す場合に行われる。
もし誓いを破れば、女神がその聖なる刃を持って破った者の胸を切り裂き、その心臓を抜き取るのだと。そして、心臓を抜かれた者は、生きる屍となって自らが愛したものを殺して回り、未来永劫地上を彷徨い歩くのだと言われている。また、一説には、女神に仕える聖獣が、誓いに背いた者をその魂ごと食い殺し、その者は転生することも叶わず消滅してしまうのだとも言う。
「閣下! ご無事でしたか!」
またどこからともなく現れた深い霧の中を、今度は焦ることなくしっかりとした足取りで歩いた。そして、しばらくして霧が晴れたかと思うと、そこは深い森の中だった。
どことなく見慣れた景色に、辺りを見回していると、自分の傍付きの副官に、ひどく焦った様子で声をかけられた。
部下の話によると、俺は森を調べに出てから一晩、戻ってこなかったそうだ。そして、動ける兵士を総動員して、森の中を捜索していたところ、野営地の近くにひょっこりと俺が現れたのだとか。
「どこに行っていたんですか!」とか「心配したんっすよ!」と、肩を怒らせて怒る部下達に、俺は心配をかけたことを詫びながらも、暖かい気持ちで彼らを見ていた。
これから、信頼できる者を集めて、戦争を終わらせるつもりであるということを話し、今後のことを話し合わなければならない。他の隊にも協力を頼まなければならないだろう。場合によっては、戦争を煽っている上層部に危害を加えることになるかもしれない。それに伴う責任を負う覚悟はすでにできている。
俺は、今は霧などまったく見えない森の奥に、目を移した。
“女神の御許での誓い”に反した者は、女神に胸を切り裂かれ、心臓を抜き取られるという。だが、もちろん違えるつもりはないが、俺が誓いを違え、この胸をあの槍のような刃物で切り裂かれたとしても、きっとそこに心臓は無いだろう。
ふわりと暖かく包み込むような彼女の笑みが、踊るように翻るあの衣装の残像が、目蓋の奥に鮮やかに蘇る。
俺の心は、すでにあの地に、彼女のもとに、置いてきたのだから。
これで、テンヨウさん視点は終わりです。こっちがこんなにシリアスだったのに、肝心の主人公はあんな妄想をしていたという……。
女神に関する話やスローレイ国の事情などは、王子様視点で書く予定でしたが、テンヨウさん視点を書ききった時点で力尽きてしまい、まだ書けていません……m(__;)m 中途半端で本当に申し訳ありません! また地道に書いてUP出来たらと思います。
ですので、この度の、更新停滞のお詫びとしての連続更新は、これで終わりになります。
これからは、またコツコツと連載の方を頑張って行きたいと思います!
ここまでお付き合い下さって、ありがとうございました<(__)>