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月下の庭  作者: 行見 八雲
一組目:王子と将軍
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ろの1――テンヨウ視点

 ここからは、筋肉さんこと、テンヨウさんの視点のお話になります。

 主人公視点とは違い、シリアスです。こういった温度差も好きです。



 あの日、俺は、隣国スローレイ王国との国境付近の森の中に敷いた、野営地の周囲の様子を見てこようと隊から離れ、森の中へと足を踏み入れた。といっても、そこはもう数日も軍を駐留させていたため、辺り一帯のことは知り尽くしていて、かなり遠くへ行かない限りは迷うことは無い――はずだったんだ。


 だが、気が付けば辺りは濃い霧に包まれていて、自分の数歩先の様子も見えない状態になっていた。

 この状況に、今何者かに攻撃されてはまずいと、内心で焦りながらも、野営地に戻ろうともと来た道を辿ろうとした。

 しかし、いくら歩いても霧は晴れず、俺は食料など一切持たないまま、おそらく丸一日以上――霧が濃すぎて今が昼か夜かも分からない状態の中――歩いていたと思う。

 戦場で、不眠不休で過ごしたことは何度もあるが、この、先がどうなるのか全く分からない状況というのは、ひどく神経をすり減らした。


 それでも何とか野営地に戻らなければと、もくもくと足を動かしていた時、ようやく霧が晴れ、抜けた森の先に一軒の家屋が見えた

 しかし、家屋のその造りは今まで見たことのないほど変わったもので、またその家の周囲には色とりどりの花や青々とした畑、そして豊富な水の流れる川があり、このようなところがこの辺りにあったのかと、その景色の美しさに目を瞠った。


 しばらくその景色に見惚れていたが、俺も歩き通しで疲れ果てていたし、腹も空いていたので、その家を訪ねてみることにした。このような地に住んでいるのはいったいどのような人物なのか、敵ではないだろうかと警戒しながらも、家の外から呼びかければ、中から女性の声がして、引き戸が開かれた。


 自分よりも随分と低いところから見上げてきたその女性に、俺は息を飲んだ。


 後頭部で纏められた髪は艶やかな漆黒で、見上げた瞳は大きく、僅かに下がった目尻が柔和な印象を抱かせる。柔らかそうな肌に、形の良い唇は赤く色づいて、まるでこの家の前に咲いていた花のようだ。

 その身に纏っているのも、今まで見たことの無いような衣装で、肌の露出は少ないが、柔らかな黄色に花の模様が施され、一目で上質と分かるようなものだった。

 自分の知るどの国の民族とも違う、初めて見る肌や目の色、そして容姿の人間であったが、俺は誰よりも彼女を美しいと思った。その纏う雰囲気は清楚でたおやかで、ちょっとした振る舞いも、気品に満ちている。

 何より、彼女の持つ柔らかな空気が、その淡い色の衣装と相まって、暖かな日差しのように疲弊した心に安堵と穏やかさをもたらした。


 もしかして、貴族や王族の私有地に迷い込んでしまったのかと思いながらも、自分の状況と、食事をさせて欲しいと頼んでみたところ、彼女は花開くように笑って、家の中に通してくれた。

 そして、様子を見る限り、彼女はこの家に一人で住んでいるらしい。

 そのような中に、自分のような見ず知らずの男を通して大丈夫かと思ったが、家に入った瞬間に感じた奇妙な緊張感と警戒心を持った何者かの気配に、彼女に何かをすればきっと身の安全は保障されないだろうということが察せられた。もとより、危害を加えるつもりなどなかったが。



 変わった作りの机と、草で作られた床に座り、不思議な部屋の内装を見ながら部屋を出て行った彼女を待っていると、部屋の外から二人分の足音がした。わずかにしか足音をさせていないのは、彼女のものだろう。では、もう一つは?


 警戒しながら傍の剣に手を置いたとき、すらりと引き戸が開けられ、現れたその人物に、俺は体を強張らせた。

 そいつも、俺がいるのは予想外だったのか、目を見開いて俺を見下ろしている。


 その男の名は、クラウセルベート・ユト・ルーナ・スローレイ。我が国が現在戦争をしているスローレイ国の王太子だ。他国の王族の顔を何故俺が知っているのかというと、こいつとは戦場で何度も顔を合わせたことがあるからだ。

 クラウセルベート・ユト・ルーナ・スローレイは、その智謀知略と国軍の将にも劣らない剣の腕で、スローレイ軍を指揮している。その作戦に穴は無く、戦況を読む力も的確で、こいつの戦略に我が国は何度も苦戦させられてきた。それに、こいつの戦い方の冷徹さ、容赦のなさは有名で、我が軍では“死雪の王太子”と呼ばれている。

 その呼び名の由来は、クラウセルベート・ユト・ルーナ・スローレイの白に近い髪の色と、雪の多い我が国で、毎年多くの死者を出す死の雪を重ねたものだ。冷たく容赦なく全てを飲み込み命を奪う、そんな死の雪のように、こいつの戦い方は残酷だということだ。


 何故ここにこいつが、と思ったが、これはチャンスだ。ここでこいつを殺してしまえば、頭を失ったスローレイ軍は我が軍の敵ではない。容易く制圧することができるだろう。

 そんなことを考えながら、クラウセルベート・ユト・ルーナ・スローレイの挑発に乗る形で、胸ぐらを掴み上げ、隠し持っていた短剣に手をかけようとしたとき、目の前を鋭い刃物が過り、俺達の顔の間でぴたりと止まった。

 まさに、鼻先すれすれを過った刃物に、米神を流れる冷たい汗を感じながら、刃物のもとを辿れば、そこには槍のような長い柄を持ってにこりと微笑む彼女の姿が。

 穏やかな口調で、机に脚を乗せたことに対する注意をした彼女だったが、その刃物を手にしたときの気迫は凛と鋭く、柔らかな笑顔に逆らうことを許さない威圧感が感じられた。

 言われるままに机から足を下ろす。彼女がその刃物を収めるまで、生きた心地がしなかった。

 その後、彼女は部屋を汚さないようにと告げて部屋を出て行ったが、それはきっとこの地を血で汚すなという警告なのだろう。もし逆らえばどのような罰が待っているのか、考えると体の芯が凍えた。


 ちらりと見たクラウセルベート・ユト・ルーナ・スローレイも同じように神妙な顔をしていたので、多分俺と同じことを考えているのだと思われた。

 その後、互いに口を開くことなく、ただ睨み合ったまま彼女が運んできてくれる、飲み物や食べ物を口にしていた。



 夕飯のメインに出されたのは、大きな鍋に入れられた食材だった。彼女曰く、これは“お鍋”という料理で、スープに味も付いているし、寒い日にはうってつけなのだとか。


 俺は、その鍋の中の見たことの無い数々の食材にも驚いたが、何よりも、クラウセルベート・ユト・ルーナ・スローレイが大人しく彼女がついでくれたそれに口を付けたのに驚いた。

 こういった、大鍋に食事を作り、それを各自の器に注いで食べる料理は、戦場では一般的だ――もちろん味や具材は比べ物にならないほど、この“お鍋”の方が美味いが――。だが、クラウセルベート・ユト・ルーナ・スローレイは王族で、しかも次期国王となる王太子。このような大衆的な食事は嫌がるだろうと考えていた。

 しかし、彼女の手前であるからといっても、困惑したり嫌がったりする素振りなど一切見せず、むしろ慣れた様子で食べていることに、驚きを禁じ得なかった。もしかしたら、こいつも戦場ではこうした食事を、他の兵士同様、採っているのかもしれない。

 そういえば、この部屋も、一応椅子のように座れるようにはなっているし、床も柔らかいが、それでも床に座っているのと変わりがないようにも思える。それなのに、こいつは躊躇いなく座っていた。王族のみならず、身分が高い者なら、嫌がるであろうにも関わらず、だ。


 俺はずっと、こいつも我が国の王や貴族達と同じように、傲慢で金品に目が無く、贅沢や色を好み、身分の低いものを人とも思わないような奴なのだろうと思ってきた。だから平気で戦争をし、自国の兵士や我が国民を殺していくのだろうと。

 だが、目の前にいるこいつの振る舞いから、もしかしたら少しは違うのかもしれないと、思えてきたのだ。



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